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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編

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第89話  見えざる敵

【登場人物紹介】

不知火綾麿しらぬいあやまろ━━━━

 従三位じゅさんみ中将ちゅうじょう。帝と日本を守る『六歌戦ろっかせん』の一人。謎の妖刀『村雨むらさめ』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨むらさめ真刃しんば鞘刃さやばを使った不知火しらぬい二刀流にとうりゅうの使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足かまたりを快く思っていない。現在は謹慎中の鎌足かまたりに代わり東番も務める。


伊賀の鎌足かまたり━━━━

 江戸城の公儀御庭番こうぎおにわばん伊賀組の小頭こがしらの女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸おにきりまる』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。綾麿あやまろ配下の麒麟きりんとの戦いで負った傷を癒やしながら、現在十日間の謹慎中。


 ━━━━『くも』、そして、『ろっかせん』。


 江戸の幻斎げんさいから届いたふみに書かれていた、この二つの“かな文字”。

 その内の一つに鎌足かまたりは聞き覚えがあった。

 よく知るあの言葉以外には考えられない。

 思い浮かぶのはただ一つ。

 綾麿あやまろが属する、あの京都の守護者『六歌戦ろっかせん』だった。


(⋯⋯『六歌戦ろっかせん』!? ま、まさか綾麿あやまろが!? ⋯⋯だから第一の容疑者ということ⋯⋯? ⋯⋯いや、いやっ、それは無いっ。綾麿あいつにそんな虐殺を企てているような素振りや言動はまるで無かった。第一、綾麿あいつはほとんど御所やその周辺に居たもの⋯⋯)


 鎌足かまたりは激しく首を横に振った。

 そんな鎌足かまたりの脳裏に、あの鬼との戦いの夜に現れた“青龍せいりゅう”との会話がよぎる。



⋯⋯(「⋯⋯鎌足かまたり殿、私の後ろに控えるこの麒麟きりんも含め、私たち直属の者は皆、綾麿あやまろ様の配下です。⋯⋯鎌足かまたり殿の指示や願いを受ける義理ぎり等は有りません」)


(「⋯⋯え?」)


(「綾麿あやまろ様がもし紅鬼あかおにを斬ろと命じるならば、紅鬼あかおにを斬り⋯⋯、蒼鬼あおおにを斬ろと命じるならば、蒼鬼あおおにを斬り⋯⋯、そして鬼切丸おにきり鎖鎌くさりがまを使う、にっくき江戸の忍を斬ろ、⋯⋯と命じるならば⋯⋯」)


(「⋯⋯え、え?」)


(「何の遠慮も躊躇ちゅうちょも無く、その忍を斬ります。言わばあの御方の命令めいだけが、私たちにとって絶対の存在なのです。⋯⋯鎌足かまたり殿。それをどうかお忘れ無く」)⋯⋯



 ⋯⋯”私たち“。

 あの時、青龍せいりゅうは確かにそう言っていた。


(⋯⋯まさか。麒麟きりんみたいな手下が他にも何人もいて、そいつらに虐殺を!? ⋯⋯っ、確かに初めて会った時、百地翁ももち様の事は口にしていたけど⋯⋯。しかも凄く嬉しそうに⋯⋯)


 奥座敷での綾麿あやまろとの初めての会話。

 あの時、鎌足かまたりはうっかりと思わず幻斎げんさいの事を口にしてしまっていた。

 幻斎げんさいが生きている。

 その事実を知った綾麿あやまろの顔は、普段の落ち着いた表情が嘘のように嬉々としていた。

 会いに行かねばならない。

 そんな事までも口にしていたような気がする。


(⋯⋯もしかしたら、百地翁ももち様と過去に何かがあった? だからあんなに嬉しそうに⋯⋯、⋯⋯いや、待て待て、伊賀を憎んでいるなら、百地翁ももち様が”生きている“ことを知って、あんなに喜ばないんじゃないか? それに肝心の百地翁ももち様は綾麿あいつとは一度も会ったことが無い、って書いてあったし⋯⋯)


 そんな困惑の鎌足かまたりに歯止めをかけるように、ふみには少しだけ続きがあった。




『━━━━今、京にて流行りし、六つの歌

 収集のめい、下せしばかりなり

 

 御主の教養にて

 解決できぬ事、明白 ゆえ

 当、血文字が件

 心に留めるのみにて

 全て江戸に任せるべし


 尚

 得体知れぬ綾麿あやまろが目、在り

 鬼斬丸おにぎりまる役小角えんのおずぬ、忍狩り、血文字の件

 いずれも京御所には秘密にするべし━━━━』


 


(⋯⋯暗に教養⋯⋯が無い、ってことだよな。⋯⋯解決できない、江戸に任せよ、か。⋯⋯確かに。⋯⋯頭を使った任務が苦手の私じゃ無理だ。⋯⋯は、はは)


 鎌足かまたり甚左じんざ平次へいじという知恵袋を失っている。

 鎌足かまたり一人の思考や探索行動では、絶対にこの言葉の謎を解き明かすことは出来ない。

 誰よりも鎌足かまたりの知識の限界を知る幻斎げんさいらしい、至極しごく真っ当な”読み“だった。


(⋯⋯あぁ、その京都に居るのにぃ。謎が解けない、言葉の意味が分からないなんて、もやもやするなぁ。⋯⋯でも、そうか、うたか。六歌戦ろっかせんうたに詠まれるから名が付いた六人、って言ってたっけ)


 普段の鎌足かまたりなら放り出すような難題でも、今日は何故なぜか諦めきれない。

 いつのまにか熱い心の声は、口からも漏れ出ていた。


「⋯⋯あぁあ、でもうたは私は聞いても分からないんだよなぁ。うたじゃなくて、ことざわの六人だったなら、すぐに万事解決だったのになぁ。⋯⋯ろっかせん。⋯⋯あぁ、気になりすぎるよ。だって綾麿あやまろの有罪無罪がかかってるんだから。今度は私が御所での裁定の借りを返さないと」


 自身もよく分からない使命感の中、鎌足かまたりはこの十日と少しの記憶を精一杯に辿った。

 綾麿あやまろを思い浮かべては首を横に振り、そしてまた記憶を辿る。

 そしてふみに書かれた”くも“と“ろっかせん”。

 このたった七つの”かな文字“を凝視する。

 ひたすらその繰り返しだった。


(⋯⋯うーん、⋯⋯やっぱり忍狩りの残虐な奴等やつらの不可解な動きとまるで一致しない。⋯⋯うん、たぶん綾麿あやまろじゃない! ⋯⋯なら綾麿あやまろ以外の『六歌戦ろっかせん』の誰か? ⋯⋯それもなあ。他の五人は誰一人知らないけど、帝や人々を守るほまれ高き『六歌戦ろっかせん』に、あの陰険で意地悪な綾麿あやまろ以上によこしま剣客ひとなんて、絶対に居るはずがないよ。⋯⋯それにもう一つの言葉だ。“くも”とは、空の雲か、糸を張る蜘蛛か、それとも人の名の一部? ⋯⋯っ、いや、そもそも『六歌戦ろっかせん』の名を悪用したり、おとしめようとする誰かによる陰謀なのかも!? ⋯⋯うぅ、うーん⋯⋯)


 座敷の窓から覗く空の雲。

 そして座敷の天井の隅、八角の巣を作る蜘蛛くも

 鎌足かまたりは空と天井を交互に見比べる。


 いっそのこそ綾麿あやまろに直接聞いてみれば良い。

 そんな考えも頭をよぎった。

 『六歌戦ろっかせん』の一人である綾麿あやまろ

 その綾麿あやまろならば、他の五人の『六歌戦ろっかせん』の中で、この謎の言葉”くも“と関わりのある者を知っているかもしれない。

 いや、間違いなく知っているはずだった。


 しかしその名案も鎌足かまたりの頭の中で弾けて消える。

 誰に止められるでもなく、鎌足かまたりはすぐに自らの意思で首を横に振っていた。


(⋯⋯綾麿あいつにだけは聞けない、聞けるもんか。私の意地もあるけれど、意地それを曲げたって絶対に私を助けてなんかくれない。きっといつもの冷たい目で見下されて、“忍同士の事など関係無い”なんて一言で突っぱねられて終わりだよ。⋯⋯それに全部秘密にしろ、って書いてあるからなぁ、私、口下手だから上手く聞けないよ。“何故なぜ今そんな事を聞く?”みたいに逆に追求されても、返答に困るからなぁ⋯⋯)


 そして最後に大きな溜め息をつくと、うつむいた。


「⋯⋯それに私が綾麿あいつを嫌うように、綾麿あいつも私のことを嫌ってる⋯⋯。だって”鎌足わたしのことが嫌い“⋯⋯綾麿あいつ自身もはっきりそう言ってたもん」




『━━━━最後に、鎌足よ

 拙爺わしは常に御主の味方 ゆえ

 心おきなく戦え

 そして必ず勝つべし

 江戸にてまた逢える日が楽しみなり



 ━━━━幻斎げんさい半蔵はんぞう




 鎌足かまたりとの再会を願い、幻斎げんさい半蔵はんぞうの連名と花押かおうをもって、ふみは締め括られていた。


(⋯⋯大和国やまとのくにに消えた、忍を狩る見えない敵、⋯⋯か。あの百地翁ももち様がこんな切迫感を滲ませて書くくらいだから、これは私が思っている以上に伊賀存続に係る大事、いや、もしかしたら徳川の危難なのかもしれないぞ)


 鎌足かまたりは手元の鬼切丸おにきりまるを改めて見つめた。


 まだ見ぬ謎の敵。

 解けない謎の二つの言葉。

 加えて役小角えんのおずぬがどんな人物であるのか。

 今の鎌足かまたりには何もかもが想像もつかない。

 ただはっきりと理解できるのは、ただ一つ。

 新たな任務、出羽国でわのくに遠征の厳しさだった。


 慣れない編成で初めて訪れることになる極寒の地。

 侵入者として小角おずぬの配下の修験者しゅげんじゃたちに襲われたとしても、相手は罪無き人間、簡単に斬り捨てるわけにはいかない。

 修験者しゅげんじゃを一人として誤って殺害してしまっては、きっと小角おずぬの相当の怒りを買い、鬼斬丸おにぎりまるを譲り受けることは難しくなってしまうだろう。

 自身の命を守り、災いを退ける武力だけではない。

 知力交渉力も問われる任務となるのは明らかだった。

 そう考えると、最初は心強いと思っていた同伴の“九名”という数ですら、今は少なく思えてくる。


(⋯⋯九名。私を入れて十名か。もしかしたらだけど、あまりの過酷な任務のために、相当数の死者が出てもおかしくはない。だから百地翁ももち様はその減数も見越した上で、最初から人数を多くしたのかもしれない)


 任務遂行上における忍の落命は日常茶飯時だった。

 鎌足かまたり自身も何人もの仲間を見葬ってきた。

 ましてや今回は江戸や伊賀の危機になりうる事態。

 これまで以上の鉄の忍の心が求められた。



(⋯⋯でもまさか、あの綾麿あやまろの最後の一言の通りに、御所警備にしばらく顔を出せなくなってしまうなんて⋯⋯)


 明日は久々の出仕しゅっしが控えている。

 幻斎げんさいの命令により、ふみに書かれた全てを伏せたまま、上手く誤魔化す必要がある。

 明日は元々、大将の兼季かねすえには謹慎明けの挨拶に赴く予定になっていた。

 改めて面会の申し出を請う必要は無い。

 しかし問題はおおらかな兼季かねすえよりも、遥かに感の鋭そうな綾麿あやまろだった。

 とは言え、警備番の日であれ非番であれ、夕刻から夜明けまでが主となる出仕しゅっし綾麿あやまろは、早朝から夕刻までの間は御所に居る可能性は低い。

 明日は式典などの例外的な大きな行事も無い。

 朝一番に動けば、まず間違い無く第二陣の件は綾麿あやまろ抜きで説明できる。

 そしてすぐにでも出羽国でわのくにに旅立つことができる。


(⋯⋯しめた、ついてる、明日は大吉だぞ)


 算段の組みやすい、またとない良日と思えた。



 ふみの伝達を受け、様々に思いを馳せる鎌足かまたりの脳裏に、美桜みおさく、桜舞う京都御所の景色が浮かぶ。


(⋯⋯美桜みおさくちゃん。⋯⋯鬼たちの魔の手から二人を守りたい、守るって約束もしたんだ。⋯⋯でも命令は絶対。私は出羽国でわのくにに行かなきゃいけない。⋯⋯っ、どうしよう、本当に行っていいのか? 間もなく到着の援軍第二陣、きっと手練ればかりだとは思うけど⋯⋯、想い人の鷹乃宮たかのみや様も凄く頼りになりそうだけど⋯⋯。あ、そうだ、麒麟きりんもいた。⋯⋯あぁ、あいつ、美桜みおいじめたり、また悪さをしないだろうか⋯⋯)


 後ろ髪を引かれる思い⋯⋯とは、まさにこんな時に使うんだ。

 ふみを丸めながら鎌足はそう思った。


 そしてそっと目を閉じる。

 美桜みおさく兼季かねすえ麒麟きりん、諸大臣、門番、案内役⋯⋯。

 そして顔を合わせたばかりの霧人きりひとたちや、御簾みすの先の薄っすらとした帝の影まで。

 鎌足かまたり目蓋まぶたの裏で、京都で出会った全員の顔が次々と浮かぶ。


 夢や幻なのか、まだ脳で見ている姿なのか、それとも目蓋まぶたの裏の残像なのかは分からない。

 目を開けた鎌足かまたりの前に最後に現れ見えたのは、蒼白そうはく灯火ともしび



 ⋯⋯綾麿あやまろの顔だった。



 鎌足かまたりの口が、願いを呟く。



「⋯⋯“ろっかせん”の血文字。⋯⋯綾麿あやまろ、本当に御前じゃないよな? 青龍せいりゅうたち配下に命じて、非道な忍狩りなんて行っていないよな? 美桜みおは私の分まで守る。そう約束してくれただろ。⋯⋯御前のこと、本当に心から大嫌いだけど、約束それだけは絶対に信じているからな⋯⋯」





 ⋯⋯その時だった。


 遠くから大勢の叫び声が聞こえた。

 宿の前の通りも急に騒がしくなる。


「⋯⋯おおい! 鴨川かもがわに大勢の死体があがったぞ!」

「⋯⋯女子供まで皆殺しだとよ!」

「⋯⋯まるで亡骸むくろが山みたいになってるんだとよ!」


 皆口々に叫びながら、鴨川かもがわの方へ駆けていく。



「⋯⋯っ、うるさいなあ。野次馬たちめ。⋯⋯今は考え中なんだ。静かにさせてよ」


 

 ふみの到着や受取に喜ぶあまり、玄関の引き戸は全開のままになっていた。

 この離れの家屋の玄関は、庭を挟んでいるとは言え、大通りに面している。

 これが野次馬たちの雑音の原因らしい。

 鎌足かまたりは面倒臭そうに土間に降りると、玄関の引き戸を閉めようとした。


 ふと、その手が止まる。



(⋯⋯大勢の死体? ⋯⋯女子供まで皆殺し?)



 ⋯⋯謹慎中。

 そんな言葉は一瞬にして鎌足かまたりの頭からは消え去り、後は考えるよりも先に身体が動いていた。

 土間から草履ぞうりのまま座敷に駆け上がり、鬼切丸おにきりまるを握りしめる。

 そして疾風のように玄関を一足飛びで駆け抜けると、軒下に掛けてあった顔隠し用の”笠“を咄嗟とっさに手に取る。


 鎌足かまたり鴨川かもがわの方へと疾走はしり出していた━━━━。








 ━━━━鴨川かもがわ河川敷かせんじきは散々たる有り様だった。


 そこら中に転がるむくろむくろ、またむくろ

 亡骸それらは川に流され打ち上げられたと言うよりは、何処どこか別な場所で惨殺され、わざわざ人目につくよう河川敷かせんじきまで運ばれ、無造作に捨てられているようだった。


 数にして数十人は居るだろうか。

 その半分程は女子供だった。

 どれもが無惨な傷を負っていた。



「⋯⋯これは、⋯⋯文字通りの皆殺しだ」


 遠巻きの土手、野次馬たちの中。

 他人の目を避けるように笠を目深に被った鎌足かまたりは、目の当たりにしたそのあまりものむごたらしさに、悲しげに目を細めていた。


 亡骸なきがらの傷は様々だった。

 ある者は刃渡りが異常に大きい刃で斬られていたり、ある者は四方八方ありとあらゆる方向から刃の斬撃ざんげきを受けていたり、またある者は強固な何かによって首の骨を叩き折られていた。

 その傷の根拠だけで襲撃を行った者は複数人以上。

 被害者の数からも想定するに、非道の殺戮者たちは相当の数の集団であったことが見て取れた。


 中でも一際ひときわ鎌足かまたりの目を引いたのが、大多数の男の亡骸なきがらが受けている細い網目状の傷だった。

 顔や体の至る所が、焼いた網目状の細い金物か何かを押し付けたように斬り刻まれている。

 その傷の線は直線だけではない。

 空に弧を描くような放物線状であったり、直線から直角に急に曲がったり、不規則なあとを残していた。

 首や四肢が完全に切断されている亡骸なきがらもあったが、その断面は綺麗かつ見事という他は無い程で、その網目状の全てが鎌足かまたりが未だかつて見た事が無い、衝撃的とも言える傷痕ものだった。

 

(なんて美しくて狂わしい傷なんだ⋯⋯。人が抵抗して体を反らす以上、刀でもこうは上手く斬れない。何で斬ったかも分からないけど、あの傷痕きずあとを生んだ刃を振るった者は相当の、いや、信じられない程の⋯⋯いやいや、そんな表現じゃ生温い。化け物とも言うべき使い手だ)


 惨劇の瞬間を想像する鎌足かまたりの目の前、視界全体にまるで投網とあみのように幾何学的な刃の幻影が迫ってくる。

 鎌足かまたり狼狽ろうばいしながら、同時にある一つの事を確信していた。

 それは多くの野次馬たちや亡骸なきがらを片付けている役人でも気付かない、鎌足かまたりだからこそ知り得る“事実”だった。


(⋯⋯この亡骸ものたちは忍だ。傍に転がる小さな鉄の刃物。あれは忍が使う苦無くない欠片かけらだ。それに男たちの胸元には一族のしるしであるつる入墨いれずみ。間違い無い、山城やましろ京都の忍、蒲生一族がもういちぞくだ。戦乱を避けて人知れず忍里しのびざとで暮らしてたはず。女子供まで⋯⋯何てむごい事を。しかも斬った者、襲った者も侍や野盗ではない。間違い無く、しのびだ)


 鎌足かまたりは目を伏せて手を合わせる。

 そして鎮魂ちんこんの合掌を終えた掌を、そっと胸元に当てた。

 その胸元、指と指の隙間からは、麒麟きりんから受けた十日前の傷が垣間見える。

 十日経っているとは言え、その傷は明らかにこの河川敷かせんじき亡骸なきがらたちの傷の造りとは異なっていた。


綾麿あやまろの村雨のほむらによる傷ではない。麒麟きりん天舞てんまの傷口、この瘡蓋かさぶたの下も荒々しい。でもあの傷痕きずあとはまるで違う。やはり綾麿あやまろたちの仕業では無かった。良かった)


 鎌足かまたりはほっと胸を撫で下ろす。

 しかしその一方、“敵は忍である”という事実と、他の虐殺との奇妙な不一致が、鎌足かまたりの背筋にぞっとした悪寒を走らせていた。

 

 ふみに書かれていた他の忍狩り。

 虐殺が行われた日は、全てが一日刻みだった。

 ふみが江戸から送られてから、京都に届くまでには三日から四日を要する。

 幻斎げんさいふみを書いた当日には、見えざる敵たちは既にふみに記載された最後の虐殺の地である、大和国やまとのくににまで戻っていたことは間違い無い。

 しかし引き返したと思われる甲斐国かいのくに大和国やまとのくにまでの距離に比して、此処ここ京都の山城国やましろのくにから大和国やまとのくにまでの距離はあまりにも短い。

 それにも関わらず、この三日から四日で行われた虐殺はこの蒲生がもう一族だけなのである。


 当然に鎌足かまたりの知らない所で、何処どこか近隣の忍里しのびざとが襲われている可能性はあった。

 しかし、仮にそうであったならば、あまりにもこの数日の移動距離が短すぎる。

 この違和感が鎌足かまたりはどうしても拭いきれなかった。

 ある最悪の事態が頭をよぎる。


(⋯⋯大和国やまとのくにで止まってはいない。また大和国やまとのくにを本拠とする者たちの侵略でもない。⋯⋯見えざる敵の本隊は既に此処ここ京都に入っている⋯⋯。ならば敵の本拠ほんきょは⋯⋯此処ここ、京都なのか? ⋯⋯っ、なら、何故なぜ一度この京都を離れながら舞い戻ったんだ? 京都ここで不測の何かが起きたからか? 誰かに何かに呼び戻されたか? まさか! あの御所の蒼鬼紅鬼おにたちの襲撃とも関係が!?)


 鎌足かまたりは湧き上がる不安をも隠すように、笠を目元まで深く下ろした。

 そしてそっとその場を離れようと、周りの人混みを掻き分けた。

 改めて横目で見る蒲生がもう一族の亡骸なきがらの山。

 鎌足かまたりの瞳に最後に飛び込んできたのは、その陰惨な山の一番上に乗せられている、身体を”への字“に曲げた、腹掛はらかけと股引またひき(※軽装の下着)の男。



 飛脚ひきゃく姿の亡骸なきがらだった。



「⋯⋯ッ!?」


 驚いたのも無理はない。

 鎌足かまたりはその亡骸なきがらの顔に見覚えがあったからだ。

 江戸、京都、大坂間のふみや重要荷物の運搬を依頼していた、伊賀の流れを汲む飛脚ひきゃくの男だった。


「⋯⋯え? ⋯⋯あの亡骸おとこ百地翁ももち様もよくふみを依頼していた、江戸住まいの飛脚ひきゃくだ。⋯⋯でもついさっき、宿に来た飛脚ひきゃくは違う男だった、初めて見る顔だった⋯⋯」


 更にその飛脚姿の男の亡骸なきがらは、腹掛はらかけ等の飛脚ひきゃく特有の衣装以外でも、一人だけ他の蒲生がもう一族の亡骸なきがらたちとは異なる点があった。



 舌が斬り裂かれ、ひたいの上に置かれていたのである。



(⋯⋯ッ!? あれは! 市井しせいの者には絶対に分からないよう、忍の者だけが読み解ける伝言。日本ひのもと全ての忍の間での共通伝達手法の一つ!? ⋯⋯えっ、と、⋯⋯ひたいに舌、意味は⋯⋯、確か、『死人にもう口は不要━━━




 ━━━何を企んでいるか、全て知っているぞ』)




 鎌足かまたりは背筋が一気に凍りついた。


(⋯⋯なら、私にふみを届けに来た飛脚ひきゃくは誰だ? ⋯⋯百地翁ももち様のあのふみ、もう既に敵の忍の集団に見られている? ⋯⋯それか、まさか偽のふみにすり替えられた? ⋯⋯いや、あれは間違い無く百地翁ももち様の筆跡だ。⋯⋯でもそれなら何故なぜ、私の目に入る前に破り捨てなかった? 伊賀衆を、私を、まるで相手にもしていないと言う事か!? ⋯⋯何という恐るべき敵、余裕、そして自信!)


 鎌足かまたり御頭おかしら半蔵はんぞうの言葉を思い出していた。

 この共通伝達手段が使われる時、仕掛けた忍たちは必ず近くで様子を窺っている。

 それが常、忍のさがである、と。


 もしかしたらこの野次馬たちの中にも見えざる敵が紛れ込み、鎌足かまたりの一挙手一投足を今も何処どこかでうかがっているかもしれない。

 見えざる敵への緊張が、幻の視線を生む。


(⋯⋯うっ!? 錯覚!? いや、でも、⋯⋯ッ!!)


 鎌足かまたりの五感が乱される。

 誰かからの無数の視線を感じずにはいられなかった。

 鎌足かまたりは人混みを即座にすり抜けると、笠を手で押さえながら、誰も付近には居ない後方へと飛び退いた。

 そして周囲の往来を見渡した。


 老若男女、大勢の野次馬たち。

 新たに駆けつけてくる役人。

 野次馬相手に商魂たくましい飴売り。

 余所見よそみ一つせずに駆けていく駕籠かごかき。

 亡骸なきがらに向けて念仏を唱え続ける托鉢たくはつの僧。

 大きな風呂敷を背負った年配の行商人。

 立ち話に花を咲かせている着物の女性二人。

 人混みの最後尾から河川敷かせんじきを眺める素浪人すろうにん風情ふぜいの男。

 少し離れた橋から此方こちらを眺めている若い男女。


 視界に入る全ての人物が怪しく見える。


(⋯⋯っ、誰だ、誰が、見えざる敵なんだ!?)


 笠の下から覗く鎌足かまたりの警戒の眼が、左右、右左、また左右と、何度も激しく動く。


「⋯⋯笠のあんた、邪魔だ! 退いた! 退いた!」

「⋯⋯ひっ!?」


 突然近付いてくる大声に鎌足かまたりは更に飛び退いた。

 宙を舞いながら、その手は腰に差した鬼切丸おにきりまるへ。

 抜いて斬りかかる一歩寸前だった。


 そんな臨戦態勢とも言える鎌足かまたりの横を、亡骸なきがらとは違う色形の腹掛はらかけをまとった若い飛脚ひきゃくの男が、一目散に土手を東から西へと駆けていく。


(⋯⋯はぁ、⋯⋯はぁ、⋯⋯はぁ、だ、誰だ? あいつも、あいつも、あいつも、敵の忍かもしれないッ! ⋯⋯くそっ、私を見てるのは誰なんだよぉ!?)


 鬼切丸おにきりまるを握りしめたまま、鎌足かまたりは道の傍の大木に背を委ね、更に激しく左右に眼を動かした。

 季節はまだ四月中旬にも関わらず、鎌足かまたりの頬には真夏のように幾つもの汗の筋が滴っていた。


(⋯⋯っ、蒲生がもう一族はもしかして、あのふみがきっかけ!? 私を脅迫するためだけに、皆殺しにされた!? ⋯⋯え、ま、まさか、そんな、そんなことは⋯⋯、分からない、でも、⋯⋯一つだけは今、はっきりと言える)


 鎌足かまたりの額から流れた汗が、乾いた唇の端から口の中へと入る。

 汗と生唾を同時に飲み込んだ鎌足かまたりは、顔をしかめながら呟いた。



(⋯⋯敵はきっと伊賀も忍狩りの標的に入れている。江戸を狙っている、また必ず⋯⋯━━━━江戸に向かう)


 

 次の瞬間、鎌足かまたりは宿へと全速で疾走はしり出していた。



(⋯⋯っ、美桜みおさくちゃん、ごめん。私、やっぱり江戸に戻らなきゃならない。悔しいけど今は、二人の事は綾麿あいつ鷹乃宮たかのみや様に託すしか無い。⋯⋯っ、早く、早く! 一刻も早く! 出羽国でわのくに出立しゅったつする準備をしなくては! 見えざる敵の侵攻の魔の手が、江戸や伊賀に襲いかかる前に! 必ず鬼斬丸おにぎりまるを手に入れなくては!!)━━━━。










 ━━━それから暫しのときが流れた。


 鎌足かまたりが走り去り、人混みも消えた河川敷かせんじき

 そのすぐ傍の土手の下、今にも壊れそうな民家の軒先で、三人の子供がお手玉をしながら遊んでいた。


 昼間に河川敷で起きたあのむごい惨状も、今日を貧しく生きる者たちにとっては特段気にするような事件でもなく、苦しい生活の何かが変わるような大きな出来事でも無いのだろう。

 

 子供たちはいつも通りに夕焼け空にお手玉を飛ばして遊びながら、軽やかな旋律に乗せて短歌うたを楽しそうに口ずさんでいる。



  朝靄あさもやに 濡れてしのびし 葵花あおいばな

       今日けふあかし 土雲つちくも囲糸ゐと━━━━



「⋯⋯さあ、そろそろ晩御飯やよ」


「⋯⋯あ、そうだ、ねえ? おっかあ、この和歌うた、どんな意味なん? いつも歌うてるけど、意味までわからへんかったわ」


 一人の女の子が顔を出した母親に問いかける。

 母親は得意気な顔でその意味を語りだした。


「なんや、あんた、意味も知らずに歌うてたんか? これはね、あおいに青いが、雲に蜘蛛が掛かってるんよ⋯⋯



(朝の霧が立ち込める中、濡れた青い花が隠れるように咲いています。今日の明け方、貴方も密かに私を訪ねてくれたのでしょう。まるで貴方のように思える、土から這い出た蜘蛛が、空のような青い花に糸を囲い巡らせ、雲のように見える程の巣を作っていますから━━━━)



 ⋯⋯って意味や、覚えとき」



 それを聞いていた父親が、苦虫を噛みつぶしたような顔で口を挟んできた。


「御前、違うわ、あほ。それは表向きや、本当はな、あかしは正しくは“赤い死“、血の事を言うてるんや、今日けふは狂うと書いて”きょう“と読む。京都のきょうという意味もあるらしいで。土雲つちくもも元々は豪族に逆らう者たちの呼称や。だからつちの字もな、反逆するって意味が含まれとるらしい」


「⋯⋯へぇ、あんた、見かけによらず物知りやね。⋯⋯なら、本当はどんな意味なんよ?」


「本当の意味は恐ろしいで、⋯⋯



(朝廷が抱くもやとした気持ち、人目を隠れ涙するのも徳川のせいだ。密かに忍ぶように葵の御紋を斬り、狂気に満ちた赤い血で死を飾ってやる。我ら反逆の蜘蛛たちが徳川を包囲する。意図ねらいは外さない、覚悟しろ━━━━)



 ⋯⋯って意味や。まあ脅迫とか宣戦布告の和歌うたやな。まあ、詠人よみびとの気持ちも分かる。徳川に迫害され、関東から逃げてきた“あの忍衆”の中の一人が、”一族“の復讐と再興の時が来はるのを願って詠んだらしいからなあ」


「⋯⋯そうやね、分かるわぁ。⋯⋯こんな物騒な話、人前ではなかなか言われへんけど、⋯⋯私もね、この京や帝を昔からあれこれ締め付ける江戸は、大嫌いやもんね。だからこうしてずっと童歌わらべうたみたいに歌われ続けて、最近の流行り和歌うたにもなるんやねぇ。私もあの”御方“とあの”一族“には期待しとるんよ、本当ほんに生意気な徳川に、一糸いっし報いる日をねぇ」


「お母ちゃん、お腹空いた⋯⋯」

「⋯⋯私も」

「はよ、食べよぉ!」


「そうやね、御飯にしよか。それにもうすぐ暮れつ。和歌わか葵花あおいばなじゃなくてこわあおおにが出る出る」⋯⋯⋯⋯

 






 ⋯⋯⋯⋯子供たちの歌が消えたこの民家の軒先に、蜘蛛くもがひっそりと大きな巣を作っていた。


 そしてその巣には、羽根を小刻みに震わせる、美しい獲物が掛かっていた。


 浅葱あさぎ色の斑目まだらめの紋様。

 この季節には珍しい蝶だった。


 今日もまた山際に沈んでいく陽。

 その血のような赤色が混ざり、羽根の浅葱あさぎ色は徐々にあおい色へと染まっていく。


 まるでその時を待っていたかのようだった。


 音も無く蝶に近付いた蜘蛛くもは、そのあおい色の美しい羽根に向けて、そっと、夜のとばりをまとわせた━━━⋯⋯。




第89話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ちなみに今回の話と主に連動するのは、第72話「龍笛の男」です。ぜひ再チェックしてみてください。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回第90話「其々の思惑〜前編〜」は8月17日〜18日頃投稿予定です。次回もどうぞよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)

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