第87話 霧人 〜後編〜
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼と紅鬼の御所侵攻を退ける。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。少将の麒麟との戦いで手傷を負うが、美桜の看病を受け、元気に回復中?
美桜━━━━
京都御所を訪れた鎌足が出会った、桜色の髪飾りと着物の可愛い少女。鎌足とは歳も近く友達だと思っている。怪我をした鎌足を看病介抱する。命の恩人、新しい中納言に就任する鷹乃宮霧人に密かな想いを寄せる。
━━━綾麿と霧人の“偶然”の対峙から程無く。
京、そして内裏は今、未の刻を迎えていた。
兼季の新たな人事を告げる厳かな声と言葉が、つい先程からこの紫宸殿内に響き続けている。
鬼の襲撃を受けた後、これからの対策を含めて有識者や冠位有る者が話し合う場。
本来ならば参列者が意見を交わし合い、新たな人事も自薦他薦を踏まえて多数決で決定される、協議の場でもあるはずだった。
しかし今回の中納言及び少納言に関する新人事は、参列者は誰も意見を述べる事は無く、また誰からも意見を聞く事も無く、まるで神の神託のように最初から全てが決定されていた。
それは明らかに御所で相当の権力を持つ者からの、“鶴の一声”であることは間違い無かった。
(会合とは名ばかり。最初から就任の式典と銘打つとは。いくら鬼の襲来で切迫した状況とは言え、陰陽寮からの昇格と警備への参画は、異例とも言える人事よ。此度はどなたの力添えによるものかのう)
(帝は今日は何やら大事な用があるとか。さすれば誰かの力添えがあったとしても、帝ではないのやもしれぬ。さすれば誰が⋯⋯)
(⋯⋯それは早計というもの。だからこそ帝は顔を見せぬのかもしれぬ。それとも関白殿たちは口にはせぬが、やはり予てからの噂通り、体調が良くないのやも⋯⋯)
上座の二重の御簾。
今日はその向こう側に人影は見えない。
その代わりに上座には、武官大将の兼季をはじめ、関白、左大臣、右大臣、大納言たち最上級の文官たちがずらりと勢揃いしていた。
(⋯⋯あの中の誰か? 大納言殿か右大臣殿、はたまた左大臣殿か。⋯⋯いや、もしかしたら関白殿、いやはややはり帝の御意志かも。何れにしてもこの人事だけは、まるで解せぬわ)
(⋯⋯いやいや、待ちゃれ。どちらにしても新しい人事には麿は賛成じゃ。落命した警備の者たちの代わりは、あの男が率いる陰陽衆たちを置いて他にはおらぬて)
(そうそう、此度の侵略、敵の女鬼が何かの呪詛の失敗により自爆。それで帝は運良く難を逃れたとの事らしいではないか。もし次あらば不安極まりないでおじゃる。警備に陰陽衆が加わるのは心強い、麿も大賛成じゃ)
(それに、これで当京御所に誉高き『六歌戦』が二人も詰めることにもなる。めでたき事、喜ばしき事じゃ)
参列している公家たちは、長々と続いている兼季の辞令を聞くことに飽きて、隣同士でひそひそと噂しあう。
しかしこの新しい人事に関しては、疑念はちらほら耳にするものの、異論や反論は誰も口にはしない。
見えない権力者の姿に遠慮配慮をして、新たな人事を素直に受け入れざるを得ない状況下にあった。
そんな公家たちに囲まれた紫宸殿中央には、噂話に花を咲かせる参列者とは異なり、平伏し真剣な表情で兼季の言葉を受ける主賓の二人。
黒の束帯を纏った若く凛々しい公家の姿が在る。
京の陰陽師たちを束ねる陰陽頭、鷹乃宮霧人。
そして霧人の補佐役筆頭である陰陽助を務める、春日目樟羽。
召集を受けて陰陽寮から下山したあの二人だった。
「⋯⋯以上をもって、両名を中納言、少納言に任ずる」
そして兼季の言葉が終わりを迎え、二人が低頭していた頭を上げ、霧人の目が凛と煌めいた瞬間⋯⋯。
「⋯⋯はっ、我ら陰陽寮が二人、中納言と少納言の重き任、謹んでお受け致しまする。歴代先代の誇り高き陰陽師たちの名に恥じぬよう、学び極めし文武とこの命を賭して、帝の御為に当京御所を守り抜く所存⋯⋯」
霧人は陰陽頭兼任の中納言に。
樟羽は陰陽助兼任の少納言に。
⋯⋯それぞれの昇格が正式に決定された。
兼季の背後、上座の御簾のすぐ隣には櫻の姿。
その真横には、櫻に寄り添うように座している、式典用の単衣に着替えた美桜の姿も在った。
兼季の辞令一言一言に真剣に耳を傾け、目をきらきらと輝かせながら聞いていた美桜だったが、その視線は会合が始まってからずっと、この新たな中納言である霧人に対して向けられていた。
男性ばかりで難しい言葉も飛び交う慣れない場にも関わらず、美桜の顔は今、春の暖かな日差しのように幸せに溢れて綻んでいる。
そしてほんのりと紅に染まっていた。
⋯⋯それは紛れもなく、恋する乙女の目だった。
この場には、そんな美桜をじっと見つめる者も居た。
最上段の上座の一段下、高官たちの座している中段に昨日と同じ席で座している小さな影。
⋯⋯麒麟である。
他人の出世を祝うつもりもなく、ましてや自分より上の位、新たな中納言が就任する式典。
今日は恨み辛みをぶつける憎い鎌足は居ない上に、昨日の今日で顔を合わせづらい綾麿は居る。
参列する気はまるで無かった。
事実、二刻ほど前までは、呑気に屋根の上で昼寝をしていたくらいだった。
急遽参列している理由はただ一つ。
視線の先の美桜だった。
昼寝の最中、屋根の真下に当たる廊下から聞こえた、式典に関する公家たちの立ち話。
珍しく美桜が参列することを耳にした麒麟は、飛び起きてすぐに身支度を整え、そして今この場に何食わぬ顔で座していた。
とは言え、美桜と直接話ができるでも無く、麒麟にとっては元々まるで興味の“き”の字も無い会合。
美桜を密かに見つめては、その度に頬を紅くしていたものの、肝心の式典自体に関しては、大きなあくびを繰り返してばかりいる。
(⋯⋯んー、美桜様、今日の衣は特に美しいなぁ。⋯⋯でもそれにしてもつまんねえなあ。退屈だ、ふぁああ、眠ぃ⋯⋯、⋯⋯ん?)
霧人を見つめる美桜、美桜を見つめる麒麟。
この一方通行の二つの視線以外にも、この場には不可解な視線がもう一つ存在していた。
呆けている麒麟、その姿を見つめる瞳も在ったのだ。
式典の最中央。
その視線の出処は、少納言に任命されたばかりの件の人物、春日目樟羽からだった。
(⋯⋯ぁあん? 何だ?)
心此処に非ずとしていても、麒麟も類稀な剣の達人。
氣を察する力には長けている。
樟羽の視線はすぐに麒麟の気付く所となっていた。
樟羽は麒麟を見つめるだけではなく、薄笑いまで浮かべている。
それは愉しそうでもあり、何かを企んでいるようでもあり、また麒麟を嘲り蔑んでいるようにも見える。
掴みようの無い謎の妖気を纏っていた。
(⋯⋯あれは、⋯⋯新しい少納言じゃねえか。何だ、此奴? じろじろこっちを見やがって)
苛立ちを見せた麒麟は、樟羽を鋭く睨み返した。
ほんの僅かな視線の交錯の後、樟羽は顔を横へと戻しながら、麒麟からゆっくりと視線を外していく。
そして何時しかその顔からは、麒麟を苛立たせていた笑みも消えていた。
後はまるで何事も無かったように、兼季や美桜たちが座している正面の上座を、樟羽はじっと見つめていた。
(⋯⋯ッ? 何だ!? よく分からねえが、生意気な奴だな。⋯⋯っ、それにしてもそれ以上に何て気味の悪い奴なんだ。しかも本当に男なのか? どう見ても女だ)
麒麟が訝しげに口元を歪ませる。
(⋯⋯ふん、まぁ、男に見えるけど女だった鎌足もいるくらいだからな。逆もありえる、か)
そんな麒麟の歪んだ氣を感じながら、横顔の樟羽もまた再び微笑んだ。
それは流石の麒麟も気付かないような、ほんの僅かな所作、微かな口角の動きだった。
この時。
もう一人、麒麟には気付かれず、密かに妖しい薄笑いを浮かべている者が在った。
樟羽の左隣。
麒麟からは樟羽の陰に隠れるようにして座している、もう一人の主賓、霧人だった。
霧人は麒麟に軽く目を流した後、周りには聞こえない小さな声で、樟羽に向けて呟いた。
そして樟羽も睦言のように小声で、霧人に応える。
それはまるで声無き声。
心と心の会話だった。
(⋯⋯どうした、樟羽。あの少将が気になるのか)
(⋯⋯いえ。何とまぁ、可愛い⋯⋯、そう思いまして。笑ってしまう程にあんなに自信過剰な氣は久し振り)
(⋯⋯ほぅ。⋯⋯ふん、なるほどな、確かに)
(⋯⋯あの自信を粉々に砕き、これ以上は無い程の絶望を与えて”潰す“には、どうすればよいか。あれこれと考えていましたら愉しくなってしまって。⋯⋯うふふふ)
(御前に目を付けられるとは。あの少将もとんだ災難だな。まぁ、焦らずともよい。紫宸殿や今日明日でなくとも、刻の猶予は存分にある。いつでも消し潰せよう)
(⋯⋯うふふ。心得ております。陰陽頭様⋯⋯いえ、中納言様)
(⋯⋯⋯⋯)
(⋯⋯どうされました?)
(⋯⋯この視線)
二人の声無き会話がぴたりと止んだ。
この時。
霧人は誰かからの刺すような視線を感じていた。
「⋯⋯⋯」
霧人がその視線の先に目を送る。
相変わらずあくびをしながら呆けている麒麟の右隣。
其処に視線を放つ張本人は座していた。
(⋯⋯綾麿。不知火綾麿)
霧人が目と心でその男の名を呟く。
綾麿は瞬きすらも一切していないと思える程に、細めた目と鋭い瞳で、霧人だけをじっと見つめ続けていた。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
綾麿と霧人、互いに表情には色は無い。
当然に言葉も無い。
紫宸殿の上座では、高官たちの厳かな儀礼の挨拶が今だ続いている。
参列している誰も、この綾麿と霧人の睨み合いには気付いていない。
変わらない厳かな空気の式典の中、この二人の視線は今、まるで見えない刃で斬り合っているように激しく、そして熱くぶつかり合っていた。
その間隙を縫うように、霧人の隣では樟羽が動いた。
誰にも気取られないように。
透き通った穏やかで小さな陽声が、陰影を纏う。
密かに両掌で幾つかの印を結ぶ。
(⋯⋯唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麼抳 鉢納麼 焔縛囉 鉢囉韈哆耶 吽 蘇婆訶⋯⋯)
そして最後に右の中指を数度素早く回し、囁くように指先に念を唱えた。
(⋯⋯唵)
その直後だった。
樟羽の指先から突然に発した赤く美しい光に、一瞬公家たち全員の目が眩む。
その直後、視界を元に戻した誰もが、驚きで目を丸くする異変がこの紫宸殿に起きていた。
天井から、柱の陰から、扉や戸口の隙間から。
色鮮やかな蝶の群れが現れたと思うと、紫宸殿内を優雅に乱舞し始めたのだ。
蝶の数はゆうに百、二百は超えているだろう。
公家たちが一斉にどよめく。
「⋯⋯おお、これは。⋯⋯何と美しきかな」
驚きに包まれている兼季の目の前を、浅葱色の鮮やかな斑目の蝶がひらひらと舞っていく。
「⋯⋯わぁ、蝶がこんなに。何処から迷いこんで来たんだろう。綺麗だね、櫻ちゃん」
「⋯⋯うん、お姉ちゃん、わぁ⋯⋯凄いなぁ」
美桜と櫻も、紫宸殿の至る所を飛び交う蝶を見上げながら、感嘆の声を上げていた。
この上座の三人だけではない。
摩訶不思議な珍しい美の現象を前にして、関白から最下位の者まで身分の高低を問わず、居並ぶ顔はその誰もが歓喜と興奮に満ちている。
「⋯⋯ひゃあ、これは幻の蝶、浅葱斑ではないか。他にも珍しき蝶が賑々じゃ。このような季節、映えある場にこのように大量に! ⋯⋯おお、何と縁起の良い事よ」
「⋯⋯此度の人事を祝って天から舞い降りたのじゃ。おおおぉぉ⋯⋯、何とめでたいことじゃ、なんともはや、きっとこの先の御所には果報しか来ぬのう」
「そうじゃ! これは新たな中納言殿と少納言殿の御祝いに、神が遣わしたのじゃ。神の使者ぞ。此度の鷹乃宮殿と春日目殿の就任、神からも祝福を受けておじゃる」
「⋯⋯一羽、せめて一羽、記念に我が屋敷にも!」
見るだけでは飽き足らず、式典そっちのけで珍しい蝶を捕まえようと追いかける、公家の姿すら在った。
そんな公家の伸ばした手をすり抜けた一羽の斑目の蝶が、格子からひらひらと外へと舞っていく。
(⋯⋯下界は何とあさましきことでしょう)
やれやれ顔で樟羽が呟いた。
その隣では霧人と綾麿の睨み合いはまだ続いていた。
そんな二人の視線上にも蝶は優雅に乱れ舞う。
綾麿と目を合わせたまま、蝶の幻術の全てを知り得ている霧人が、樟羽に向けて呟く。
(⋯⋯陰陽五色、司るは中指、火の赤。化蝶 真秀婆の幻術、いつ見ても見事だ、樟羽。本当の蝶は十⋯⋯、いや、一羽は外に羽ばたいた故に、今は九羽か。他の蝶は夢幻、そして⋯⋯ふふふ)
(はい。仰る通り。ほとんどが幻影か、蝶より念を取り込み、変化を施した擬態の蝶。折角の映えある式典。全て蝶にしても良かったのですが、御所の公家たちは卑しき者ばかり、蝶の美しさにはそぐわない。擬態で十分。ほほほ⋯⋯、出過ぎた真似を失礼致しました。しかし恐れ多くも身の程を弁えず、中納言様を睨むあの綾麿と申す男を、少々驚かせてやろうとも思いまして。⋯⋯それか蝶では物足りなければ、また“獣”でも放ちますか?)
(法眼めの術か。それでは二年前の二番煎じ。面白みも何ともない。⋯⋯それに、だ。御前の目論見、いささか外したな。まだ睨んでくる綾麿とその隣の自信過剰の彼の小さき者、術に何も動じてはおらぬ。見えているな)
(⋯⋯!?)
霧人の言葉、樟羽も霧人の視線と同じ先を追う。
蝶霞みの向こうの綾麿は至って冷静そのものだった。
恍惚の笑みを浮かべる公家たちと蝶の乱舞の中、何一つ表情を崩さずに霧人だけを見つめ続けていた。
一方その綾麿の隣、麒麟も綾麿同様に他の公家たちとは様子が違っていた。
しかしこちらは顔の近くを舞う蝶を、手を払いながら慌てた仕草を見せている。
(⋯⋯っ、公家達ら、こんな状況で何をへらへら笑ってやがるんだ!? 蝶もいるにはいるがほんの僅か。ほとんど━━━━⋯⋯
⋯⋯━━━━”蛾“じゃねえか!)
この紫宸殿に集う公家たちの中で、麒麟そして綾麿の目にだけははっきりと見えていた。
乱舞する美しい蝶。
そのほとんどが、その実は蝶大の蛾だった。
公家たちは誰一人として真実の景色には気付くことなく、満面の笑顔で蛾をしみじみと眺めては愛でながら、霧人と樟羽を讃え続けている。
その時、綾麿の近くにも数羽の蝶が舞った。
綾麿は村雨を立て、鞘の先で床を突き、そして鍔を軽く弾く。
ほんの一瞬、指先ほどの長さ、鞘さら僅かばかりに抜かれた村雨の刃。
この時、刃から瞬時に放たれた閃光は、納刀の音と共に、この蝶に化けた蛾の数羽を既に、蒼白い小さな焔の中へ包んでいた。
線香花火の火種のように床に落ちていく燻る羽根は、美しく煌めく斑目の紋様から、蛾特有の大きな目玉のような鱗粉毒々しい環状紋の羽根へと変わっていく。
そんな偽りの蝶の最期の姿にすらも、綾麿は見向きもしない。
その視線の先はやはり霧人だった。
樟羽が初めてその美しい口元を歪ませる。
(⋯⋯小手調べの軽い幻術とは言え、それなりの剣氣を高めた者にしか、真秀婆の幻術は見抜けぬはず。『六歌戦』綾麿はともかく、なかなかやりますね、あの少将、確か⋯⋯、麒麟とか申す者も。⋯⋯うふふふ、これは来たるべき時が益々持って楽しみとなりました)
(⋯⋯ああ。我ら陰陽流の五色の秘剣と妖術を前にしては、如何なる武の者も絶対に勝てぬ。それが例え『六歌戦』、綾麿や小夜たちであろうとだ。⋯⋯蛾が蝶の美しさには決して勝てぬように、な)
(⋯⋯確かに。⋯⋯うふふ、うふふふふふふ)
(⋯⋯ふふふ。⋯⋯ふはははははははははは)
睨み合いは唐突に終わりを告げる。
霧人が動いた。
鋭い睨み合いから一転、綾麿へにこりと爽やかな微笑みを投げかける。
「⋯⋯⋯⋯」
その笑みがきっかけとなった。
あれだけ霧人を激しく睨んでいた綾麿が、無言のままゆっくりと目線を霧人から外していく。
そして誰も居ない御簾の先、上座へと向き直ると、そのまま静かに目蓋を閉じた。
綾麿の目の動きを確認した霧人の口元が、今しがた見せた“爽“から“妖”へと変化を遂げる。
(⋯⋯『六歌戦』妖刀村雨の蒼白を纏う不知火綾麿。その配下で天衣無縫の天舞の剣を操る樋ノ口麒麟⋯⋯か、ふふふ、我々陰陽衆の占術によれば、既に鬼との戦いの命運は”凶“。死相が出ている事も知らずに⋯⋯。⋯⋯
曩莫 三曼多 伐折羅赧 憾、⋯⋯京都御所及び羅生門の覇権は、時既にこの『六歌戦』鷹乃宮中納言霧人が差配、陰陽衆の手中に在り⋯⋯⋯⋯!)
⋯⋯その心は、纏う陰陽師の狩衣の白か、それとも、この式典に臨んだ束帯の黒か。
綾麿も、鎌足も、そして仄かな想いを寄せる美桜も。
『六歌戦』鷹乃宮霧人の陰謀、そしてこの謎めいた微笑みの真意を知る者は、御所にはこの時、まだ誰一人として居なかった━━━━━⋯⋯。
⋯⋯一羽の蝶が、ひらひらと舞う━━━━⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯━━━今日もまた暮れ六つが迫っていた。
(⋯⋯浅葱色の斑目の蝶だ。綺麗だなぁ、⋯⋯紫宸殿の方角から飛んできたのかも)
見上げたのは夕刻の寂しげな空だった。
既に文官の公家たちのほとんどが帰路に着き、静まり返った御所の正門の外には、自身の”今“と空を飛ぶ蝶を重ねる、鎌足の姿が在った。
左頬や左目には包帯を巻いている。
しかしそんな痛々しさを感じさせない程に、その表情は何かを決意したように熱く、そして凛々しかった。
鎌足の表情や心と呼応するように、忍装束の腰には鬼切丸の刃が眩く力強く光っている。
「⋯⋯あんたはん、まだ御所に来るつもりかい?」
鎌足の背中に顔馴染みの門番が話しかけた。
「⋯⋯うん」
鎌足は軽く相槌を打つ。
「悔しいけど今は、警備は綾麿と村雨を頼りにするしかない。⋯⋯でも、十日、経ったら、⋯⋯また来るよ」
「⋯⋯ん、こんな話をするのも何やけどな、⋯⋯京都と江戸はまるで違う。この何日かでよ〜ぉ分かったやろ。もし嫌になったんならな、別に来なくてもええんやで。命あってのものだね。逃げるも勝ちの一つや」
門番がざっくばらんに甘い言葉を投げかける。
助言を鎌足はきっぱりと否定した。
「⋯⋯逃げないよ。⋯⋯逃げたら本当の勝ちなんて掴めない。本当に心から笑える勝利は、最後まで逃げずに挑んだ者だけが掴めるんだ。⋯⋯って、御頭が言ってた」
「紅鬼にも蒼鬼にも殺されかけて。それに命を賭けて守りはった公家はんや、同じ番頭の中将様や少将様、言わば仲間からも疎んじれたり、罪をなすりつけられて死罪されかけたんやろ? 江戸のお仲間はんもおらん。一人になりはった以上、どうとでも都合良く江戸には報告できるやろ。何で気張ってそこまでしはるんや?」
鎌足は少し間を置いて、こう答えた。
「⋯⋯私もよく分かんない。⋯⋯この国に生きる人間、だからかな? 記憶は無いし確証も無いけれど、きっとこれが私の“宿命”なんだよ」
「⋯⋯んー? よぉ分からんなあ。⋯⋯まぁ、それが、あんたはんの選んだ道⋯⋯、とでも言うことなんやな」
御所の空高く。
蝶は徐々に小さくなって、夕刻の町に消えていく。
そんな一足先に御所に別れを告げた蝶を見送った後、鎌足は誰に向けるでも無く、にっこりと微笑んだ。
そしてそのまま御所や正門は振り返らず、大通りへと一歩を踏み出した。
「⋯⋯美桜、櫻ちゃん、待ってて。私はまた戻ってくる。この傷を癒して、そして心ももっと強くなって、御所に必ず、⋯⋯必ず戻ってくるから」
近くの寺院の鐘撞き堂から、あの晩鐘が響く。
⋯⋯一つ。
⋯⋯二つ。
⋯⋯三つ。
⋯⋯四つ。
⋯⋯五つ。
⋯⋯六つ。
それは奇しくも綾麿たち『六歌戦』と同じ数。
刻と共に、風雲急を告げる。
この六つの鐘の音だけが今、ひとり御所を去り行く鎌足の背中を見送っていた━━━━。
第87話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第88話は、8月11日〜12日頃の投稿予定です。次回もどうぞよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
フォロワー様に創作して頂いたオリジナルEDです
https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
ラストシーンに凄く似合うのでぜひ聴いてみて♪




