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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編

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87/95

第87話  霧人 〜後編〜

【登場人物紹介】

不知火綾麿しらぬいあやまろ━━━━

 従三位じゅさんみ中将ちゅうじょう。帝と日本を守る『六歌戦ろっかせん』の一人。謎の妖刀『村雨むらさめ』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨むらさめ真刃しんば鞘刃さやばを使った不知火しらぬい二刀流にとうりゅうの使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足かまたりを快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼あおおに紅鬼あかおにの御所侵攻を退ける。


伊賀の鎌足かまたり━━━━

 江戸城の公儀御庭番こうぎおにわばん伊賀組の小頭こがしらの女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸おにきりまる』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。少将しょうしょう麒麟きりんとの戦いで手傷を負うが、美桜みおの看病を受け、元気に回復中?


美桜みお━━━━

 京都御所を訪れた鎌足かまたりが出会った、桜色の髪飾りと着物の可愛い少女。鎌足かまたりとは歳も近く友達だと思っている。怪我をした鎌足かまたりを看病介抱する。命の恩人、新しい中納言に就任する鷹乃宮霧人たかのみやきりひとに密かな想いを寄せる。


 ━━━綾麿あやまろ霧人きりひとの“偶然”の対峙から程無く。

 京、そして内裏だいりは今、ひつじの刻を迎えていた。


 兼季かねすえの新たな人事を告げる厳かな声と言葉が、つい先程からこの紫宸殿ししんでん内に響き続けている。


 鬼の襲撃を受けた後、これからの対策を含めて有識者や冠位有る者が話し合う場。

 本来ならば参列者が意見を交わし合い、新たな人事も自薦他薦を踏まえて多数決で決定される、協議の場でもあるはずだった。

 しかし今回の中納言及び少納言に関する新人事は、参列者は誰も意見を述べる事は無く、また誰からも意見を聞く事も無く、まるで神の神託のように最初から全てが決定されていた。

 それは明らかに御所で相当の権力を持つ者からの、“鶴の一声”であることは間違い無かった。


(会合とは名ばかり。最初はなから就任の式典と銘打つとは。いくら鬼の襲来で切迫した状況とは言え、陰陽寮おんみょうりょうからの昇格と警備への参画は、異例とも言える人事よ。此度こたびはどなたの力添えによるものかのう)

(帝は今日は何やら大事な用があるとか。さすれば誰かの力添えがあったとしても、帝ではないのやもしれぬ。さすれば誰が⋯⋯)

(⋯⋯それは早計そうけいというもの。だからこそ帝は顔を見せぬのかもしれぬ。それとも関白かんぱく殿たちは口にはせぬが、やはりかねてからの噂通り、体調が良くないのやも⋯⋯)


 上座の二重の御簾みす

 今日はその向こう側に人影は見えない。

 その代わりに上座には、武官大将の兼季かねすえをはじめ、関白、左大臣、右大臣、大納言たち最上級の文官たちがずらりと勢揃いしていた。


(⋯⋯あの中の誰か? 大納言殿か右大臣殿、はたまた左大臣殿か。⋯⋯いや、もしかしたら関白殿、いやはややはり帝の御意志かも。何れにしてもこの人事だけは、まるでせぬわ)

(⋯⋯いやいや、待ちゃれ。どちらにしても新しい人事には麿まろは賛成じゃ。落命した警備の者たちの代わりは、あのものが率いる陰陽衆おんみょうしゅうたちを置いて他にはおらぬて)

(そうそう、此度こたびの侵略、敵の女鬼おにが何かの呪詛じゅその失敗により自爆。それで帝は運良く難を逃れたとの事らしいではないか。もし次あらば不安極まりないでおじゃる。警備に陰陽衆おんみょうしゅうが加わるのは心強い、麿まろも大賛成じゃ)

(それに、これで当京御所にほまれ高き『六歌戦ろっかせん』が二人も詰めることにもなる。めでたき事、喜ばしき事じゃ)


 参列している公家たちは、長々と続いている兼季かねすえの辞令を聞くことに飽きて、隣同士でひそひそと噂しあう。

 しかしこの新しい人事に関しては、疑念はちらほら耳にするものの、異論や反論は誰も口にはしない。

 見えない権力者の姿に遠慮配慮をして、新たな人事を素直に受け入れざるを得ない状況下にあった。


 そんな公家たちに囲まれた紫宸殿ししんでん中央には、噂話に花を咲かせる参列者とは異なり、平伏し真剣な表情で兼季かねすえの言葉を受ける主賓しゅひんの二人。

 黒の束帯そくたいまとった若く凛々しい公家の姿が在る。

 

 京の陰陽師たちを束ねる陰陽頭おんみょうのかみ鷹乃宮霧人たかのみやきりひと

 そして霧人きりひとの補佐役筆頭である陰陽助おんみょうのすけを務める、春日目かすがめ樟羽くずは


 召集を受けて陰陽寮おんみょうりょうから下山したあの二人だった。



「⋯⋯以上をもって、両名を中納言、少納言に任ずる」


 そして兼季かねすえの言葉が終わりを迎え、二人が低頭していた頭を上げ、霧人きりひとの目が凛ときらめいた瞬間⋯⋯。


「⋯⋯はっ、我ら陰陽寮おんみょうりょうが二人、中納言と少納言の重き任、謹んでお受け致しまする。歴代先代の誇り高き陰陽師おんみょうじたちの名に恥じぬよう、学び極めし文武ぶんぶとこの命を賭して、帝の御為おんために当京御所を守り抜く所存しょぞん⋯⋯」


 霧人きりひと陰陽頭おんみょうのかみ兼任の中納言に。

 樟羽くずは陰陽助おんみょうのすけ兼任の少納言に。


 ⋯⋯それぞれの昇格が正式に決定された。



 兼季かねすえの背後、上座の御簾みすのすぐ隣にはさくの姿。

 その真横には、さくに寄り添うように座している、式典用の単衣ひとえに着替えた美桜みおの姿も在った。


 兼季かねすえの辞令一言一言に真剣に耳を傾け、目をきらきらと輝かせながら聞いていた美桜みおだったが、その視線は会合が始まってからずっと、この新たな中納言ちゅうなごんである霧人きりひとに対して向けられていた。

 男性ばかりで難しい言葉も飛び交う慣れない場にも関わらず、美桜みおの顔は今、春の暖かな日差しのように幸せに溢れて綻んでいる。

 そしてほんのりと紅に染まっていた。


 ⋯⋯それは紛れもなく、恋する乙女の目だった。



 この場には、そんな美桜みおをじっと見つめる者も居た。

 最上段の上座の一段下、高官たちの座している中段に昨日と同じ席で座している小さな影。


 ⋯⋯麒麟きりんである。


 他人の出世を祝うつもりもなく、ましてや自分より上の位、新たな中納言が就任する式典。

 今日は恨みつらみをぶつける憎い鎌足あいては居ない上に、昨日の今日で顔を合わせづらい綾麿あいては居る。

 参列する気はまるで無かった。

 事実、二刻ふたときほど前までは、呑気に屋根の上で昼寝をしていたくらいだった。


 急遽参列している理由はただ一つ。

 視線の先の美桜みおだった。


 昼寝の最中、屋根の真下に当たる廊下から聞こえた、式典に関する公家たちの立ち話。

 珍しく美桜みおが参列することを耳にした麒麟きりんは、飛び起きてすぐに身支度を整え、そして今この場に何食わぬ顔で座していた。


 とは言え、美桜みおと直接話ができるでも無く、麒麟きりんにとっては元々まるで興味の“き”の字も無い会合。

 美桜みおを密かに見つめては、その度に頬を紅くしていたものの、肝心の式典自体に関しては、大きなあくびを繰り返してばかりいる。


(⋯⋯んー、美桜みお様、今日の衣は特に美しいなぁ。⋯⋯でもそれにしてもつまんねえなあ。退屈だ、ふぁああ、ねみぃ⋯⋯、⋯⋯ん?)


 霧人きりひとを見つめる美桜みお美桜みおを見つめる麒麟きりん

 この一方通行の二つの視線以外にも、この場には不可解な視線がもう一つ存在していた。


 呆けている麒麟きりん、その姿を見つめる瞳も在ったのだ。


 式典の最中央。

 その視線の出処でどころは、少納言に任命されたばかりのくだんの人物、春日目かすがめ樟羽くずはからだった。


(⋯⋯ぁあん? 何だ?)

 

 心此処こころここに非ずとしていても、麒麟きりん類稀たぐいまれな剣の達人。

 氣を察する力には長けている。

 樟羽くずはの視線はすぐに麒麟きりんの気付く所となっていた。


 樟羽くずは麒麟きりんを見つめるだけではなく、薄笑いまで浮かべている。

 それは愉しそうでもあり、何かを企んでいるようでもあり、また麒麟きりんあざけさげすんでいるようにも見える。


 掴みようの無い謎の妖気をまとっていた。

 

(⋯⋯あれは、⋯⋯新しい少納言じゃねえか。何だ、此奴こいつ? じろじろこっちを見やがって)


 苛立ちを見せた麒麟きりんは、樟羽くずはを鋭く睨み返した。

 ほんの僅かな視線の交錯の後、樟羽くずはは顔を横へと戻しながら、麒麟きりんからゆっくりと視線を外していく。

 そして何時しかその顔からは、麒麟きりんを苛立たせていた笑みも消えていた。

 後はまるで何事も無かったように、兼季かねすえ美桜みおたちが座している正面の上座を、樟羽くずははじっと見つめていた。


(⋯⋯ッ? 何だ!? よく分からねえが、生意気な奴だな。⋯⋯っ、それにしてもそれ以上に何て気味の悪い奴なんだ。しかも本当に男なのか? どう見ても女だ)


 麒麟きりんいぶかしげに口元をゆがませる。


(⋯⋯ふん、まぁ、男に見えるけど女だった鎌足やつもいるくらいだからな。逆もありえる、か)


 そんな麒麟きりんの歪んだ氣を感じながら、横顔の樟羽くずはもまた再び微笑んだ。

 それは流石の麒麟きりんも気付かないような、ほんの僅かな所作しょさ、微かな口角の動きだった。


 この時。

 もう一人、麒麟きりんには気付かれず、密かに妖しい薄笑いを浮かべている者が在った。

 樟羽くずはの左隣。

 麒麟きりんからは樟羽くずはの陰に隠れるようにして座している、もう一人の主賓しゅひん霧人きりひとだった。


 霧人きりひと麒麟きりんに軽く目を流した後、周りには聞こえない小さな声で、樟羽くずはに向けて呟いた。

 そして樟羽くずは睦言むつごとのように小声で、霧人きりひとに応える。


 それはまるで声無き声。

 心と心の会話だった。


(⋯⋯どうした、樟羽くずは。あの少将ものが気になるのか)


(⋯⋯いえ。何とまぁ、可愛い⋯⋯、そう思いまして。笑ってしまう程にあんなに自信過剰な氣は久し振り)


(⋯⋯ほぅ。⋯⋯ふん、なるほどな、確かに)


(⋯⋯あの自信を粉々に砕き、これ以上は無い程の絶望を与えて”潰す“には、どうすればよいか。あれこれと考えていましたら愉しくなってしまって。⋯⋯うふふふ)


(御前に目を付けられるとは。あの少将ものもとんだ災難だな。まぁ、焦らずともよい。紫宸殿このばや今日明日でなくとも、刻の猶予は存分にある。いつでも消し潰せよう)


(⋯⋯うふふ。心得ております。陰陽頭おんみょうのかみ様⋯⋯いえ、中納言様)


(⋯⋯⋯⋯)


(⋯⋯どうされました?)


(⋯⋯この視線)


 二人の声無き会話がぴたりと止んだ。

 この時。

 霧人きりひとは誰かからの刺すような視線を感じていた。


「⋯⋯⋯」


 霧人きりひとがその視線の先に目を送る。   

 相変わらずあくびをしながら呆けている麒麟きりんの右隣。

 其処そこに視線を放つ張本人ものは座していた。


(⋯⋯綾麿あやまろ不知火しらぬい綾麿あやまろ


 霧人きりひとが目と心でその男の名を呟く。

 綾麿あやまろは瞬きすらも一切していないと思える程に、細めた目と鋭い瞳で、霧人きりひとだけをじっと見つめ続けていた。


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 綾麿あやまろ霧人きりひと、互いに表情には色は無い。

 当然に言葉も無い。

 紫宸殿ししんでんの上座では、高官たちの厳かな儀礼の挨拶が今だ続いている。

 参列している誰も、この綾麿あやまろ霧人きりひとの睨み合いには気付いていない。

 変わらない厳かな空気の式典の中、この二人の視線は今、まるで見えない刃で斬り合っているように激しく、そして熱くぶつかり合っていた。


 その間隙かんげきを縫うように、霧人きりひとの隣では樟羽くずはが動いた。

 誰にも気取られないように。

 透き通った穏やかで小さな陽声こえが、陰影いんえいまとう。

 密かに両掌で幾つかの印を結ぶ。

 

(⋯⋯おん 阿謨伽あぼぎゃ 尾盧左曩べいろしゃのう 摩訶母捺囉まかぼだら 麼抳まに 鉢納麼はんどま 焔縛囉じんばら 鉢囉韈哆耶はりばりたや うん 蘇婆訶そわか⋯⋯)


 そして最後に右の中指を数度素早く回し、ささやくように指先に念を唱えた。


(⋯⋯おん


 その直後だった。

 樟羽くずはの指先から突然に発した赤く美しい光に、一瞬公家たち全員の目がくらむ。

 その直後、視界を元に戻した誰もが、驚きで目を丸くする異変がこの紫宸殿ししんでんに起きていた。


 天井から、柱の陰から、扉や戸口の隙間から。

 色鮮やかな蝶の群れが現れたと思うと、紫宸殿ししんでん内を優雅に乱舞し始めたのだ。

 蝶の数はゆうに百、二百は超えているだろう。

 公家たちが一斉にどよめく。


「⋯⋯おお、これは。⋯⋯何と美しきかな」


 驚きに包まれている兼季かねすえの目の前を、浅葱あさぎ色の鮮やかな斑目まだらめの蝶がひらひらと舞っていく。


「⋯⋯わぁ、蝶がこんなに。何処どこから迷いこんで来たんだろう。綺麗だね、さくちゃん」

「⋯⋯うん、お姉ちゃん、わぁ⋯⋯凄いなぁ」


 美桜みおさくも、紫宸殿ししんでんの至る所を飛び交う蝶を見上げながら、感嘆の声を上げていた。

 この上座の三人だけではない。

 摩訶不思議な珍しい美の現象を前にして、関白かんぱくから最下位の者まで身分の高低を問わず、居並ぶ顔はその誰もが歓喜と興奮に満ちている。


「⋯⋯ひゃあ、これは幻の蝶、浅葱斑あさぎまだらではないか。他にも珍しき蝶がにぎ々じゃ。このような季節、映えある場にこのように大量に! ⋯⋯おお、何と縁起の良い事よ」

「⋯⋯此度こたびの人事を祝って天から舞い降りたのじゃ。おおおぉぉ⋯⋯、何とめでたいことじゃ、なんともはや、きっとこの先の御所には果報かほうしか来ぬのう」

「そうじゃ! これは新たな中納言ちゅうなごん殿と少納言しょうなごん殿の御祝いに、神が遣わしたのじゃ。神の使者ぞ。此度こたび鷹乃宮たかのみや殿と春日目かすがめ殿の就任、神からも祝福を受けておじゃる」


「⋯⋯一羽、せめて一羽、記念に我が屋敷にも!」


 見るだけでは飽き足らず、式典そっちのけで珍しい蝶を捕まえようと追いかける、公家の姿すら在った。

 そんな公家の伸ばした手をすり抜けた一羽の斑目まだらめの蝶が、格子こうしからひらひらと外へと舞っていく。


(⋯⋯下界は何とあさましきことでしょう)


 やれやれ顔で樟羽くずはが呟いた。

 その隣では霧人きりひと綾麿あやまろの睨み合いはまだ続いていた。

 そんな二人の視線上にも蝶は優雅に乱れ舞う。

 綾麿あやまろと目を合わせたまま、蝶の幻術からくりの全てを知り得ている霧人きりひとが、樟羽くずはに向けて呟く。


(⋯⋯陰陽おんみょう五色ごしきつかさどるは中指、火の赤。化蝶かちょう 真秀婆まほろばの幻術、いつ見ても見事だ、樟羽くずは。本当の蝶は十⋯⋯、いや、一羽は外に羽ばたいたゆえに、今は九羽か。他の蝶は夢幻ゆめまぼろし、そして⋯⋯ふふふ)


(はい。仰る通り。ほとんどが幻影か、蝶より念を取り込み、変化を施した擬態の蝶。折角の映えある式典。全て蝶にしても良かったのですが、御所げかいの公家たちは卑しき者ばかり、蝶の美しさにはそぐわない。擬態これで十分。ほほほ⋯⋯、出過ぎた真似を失礼致しました。しかし恐れ多くも身の程をわきまえず、中納言様を睨むあの綾麿あやまろと申す男を、少々驚かせてやろうとも思いまして。⋯⋯それか蝶では物足りなければ、また“けもの”でも放ちますか?)


法眼ほうがんめの術か。それでは二年前の二番煎じ。面白みも何ともない。⋯⋯それに、だ。御前の目論見もくろみ、いささか外したな。まだ睨んでくる綾麿あやつとその隣の自信過剰のの小さきもの、術に何も動じてはおらぬ。見えているな)


(⋯⋯!?)


 霧人きりひとの言葉、樟羽くずは霧人きりひとの視線と同じ先を追う。

 蝶霞ちょうかすみの向こうの綾麿あやまろは至って冷静そのものだった。

 恍惚の笑みを浮かべる公家たちと蝶の乱舞の中、何一つ表情を崩さずに霧人きりひとだけを見つめ続けていた。


 一方その綾麿あやまろの隣、麒麟きりん綾麿あやまろ同様に他の公家たちとは様子が違っていた。

 しかしこちらは顔の近くを舞う蝶を、手を払いながら慌てた仕草を見せている。


(⋯⋯っ、公家達こいつら、こんな状況で何をへらへら笑ってやがるんだ!? 蝶もいるにはいるがほんの僅か。ほとんど━━━━⋯⋯


 


 ⋯⋯━━━━”“じゃねえか!)




 この紫宸殿ししんでんに集う公家たちの中で、麒麟きりんそして綾麿あやまろの目にだけははっきりと見えていた。


 乱舞する美しい蝶。

 そのほとんどが、その実は蝶大のだった。


 公家たちは誰一人として真実の景色には気付くことなく、満面の笑顔で蛾をしみじみと眺めては愛でながら、霧人きりひと樟羽くずはを讃え続けている。

 

 その時、綾麿あやまろの近くにも数羽の蝶が舞った。

 綾麿あやまろ村雨むらさめを立て、さやの先でを突き、そしてつばを軽く弾く。

 ほんの一瞬、指先ほどの長さ、さやさら僅かばかりに抜かれた村雨むらさめの刃。

 この時、刃から瞬時に放たれた閃光は、納刀の音と共に、この蝶に化けた蛾の数羽を既に、蒼白い小さなほむらの中へ包んでいた。

 線香花火の火種のようにに落ちていくくすぶる羽根は、美しく煌めく斑目まだらめの紋様から、特有の大きな目玉のような鱗粉りんぷん毒々しい環状紋の羽根へと変わっていく。

 そんな偽りの蝶の最期の姿にすらも、綾麿あやまろは見向きもしない。

 その視線の先はやはり霧人きりひとだった。


 樟羽くずはが初めてその美しい口元を歪ませる。


(⋯⋯小手調べの軽い幻術とは言え、それなりの剣氣を高めた者にしか、真秀婆まほろばの幻術は見抜けぬはず。『六歌戦ろっかせん綾麿あやまろはともかく、なかなかやりますね、あの少将しょうしょう、確か⋯⋯、麒麟きりんとか申す者も。⋯⋯うふふふ、これは来たるべき時が益々持って楽しみとなりました)


(⋯⋯ああ。我ら陰陽おんみょう流の五色ごしきの秘剣と妖術を前にしては、如何なる武の者も絶対に勝てぬ。それが例え『六歌戦ろっかせん』、綾麿あやまろ小夜さよたちであろうとだ。⋯⋯蛾が蝶の美しさには決して勝てぬように、な)


(⋯⋯確かに。⋯⋯うふふ、うふふふふふふ)


(⋯⋯ふふふ。⋯⋯ふはははははははははは)



 睨み合いは唐突に終わりを告げる。


 霧人きりひとが動いた。

 鋭い睨み合いから一転、綾麿あやまろへにこりと爽やかな微笑みを投げかける。


「⋯⋯⋯⋯」


 その笑みがきっかけとなった。

 あれだけ霧人きりひとを激しく睨んでいた綾麿あやまろが、無言のままゆっくりと目線を霧人きりひとから外していく。

 そして誰も居ない御簾みすの先、上座へと向き直ると、そのまま静かに目蓋まぶたを閉じた。

 

 綾麿あやまろの目の動きを確認した霧人きりひとの口元が、今しがた見せた“そう“から“よう”へと変化を遂げる。



(⋯⋯『六歌戦ろっかせん』妖刀村雨の蒼白そうはくまと不知火綾麿しらぬいあやまろ。その配下で天衣無縫てんいむほう天舞てんまの剣を操るくち麒麟きりん⋯⋯か、ふふふ、我々陰陽衆おんみょうしゅう占術せんじゅつによれば、既に鬼との戦いの命運は”凶“。死相しそうが出ている事も知らずに⋯⋯。⋯⋯

曩莫のうまく 三曼多さんまんだ 伐折羅赧ばさらだん かん、⋯⋯京都御所及び羅生門らしょうもん覇権はけんは、時既ときすでにこの『六歌戦ろっかせん鷹乃宮たかのみや中納言ちゅうなごん霧人きりひと差配さはい陰陽衆おんみょうしゅう手中しゅちゅうに在り⋯⋯⋯⋯!)



 ⋯⋯その心は、まと陰陽師おんみょうじ狩衣かりぎぬの白か、それとも、この式典に臨んだ束帯そくたいの黒か。



 綾麿あやまろも、鎌足かまたりも、そしてほのかな想いを寄せる美桜みおも。


 『六歌戦ろっかせん鷹乃宮霧人たかのみやきりひと陰謀いんぼう、そしてこの謎めいた微笑みの真意を知る者は、御所にはこの時、まだ誰一人として居なかった━━━━━⋯⋯。










 ⋯⋯一羽の蝶が、ひらひらと舞う━━━━⋯⋯⋯⋯。











 ⋯⋯⋯━━━今日もまた暮れ六つが迫っていた。



(⋯⋯浅葱あさぎ色の斑目の蝶だ。綺麗だなぁ、⋯⋯紫宸殿ししんでんの方角から飛んできたのかも)


 見上げたのは夕刻の寂しげな空だった。

 既に文官の公家たちのほとんどが帰路に着き、静まり返った御所の正門の外には、自身の”今“と空を飛ぶ蝶を重ねる、鎌足かまたりの姿が在った。


 左頬や左目には包帯を巻いている。

 しかしそんな痛々しさを感じさせない程に、その表情は何かを決意したように熱く、そして凛々しかった。

 鎌足かまたりの表情や心と呼応するように、忍装束の腰には鬼切丸おにきりまるの刃がまばゆく力強く光っている。



「⋯⋯あんたはん、まだ御所ここに来るつもりかい?」


 鎌足かまたりの背中に顔馴染みの門番が話しかけた。


「⋯⋯うん」


 鎌足かまたりは軽く相槌を打つ。


「悔しいけど今は、警備は綾麿あやまろ村雨むらさめを頼りにするしかない。⋯⋯でも、十日、経ったら、⋯⋯また来るよ」


「⋯⋯ん、こんな話をするのも何やけどな、⋯⋯京都ここと江戸はまるで違う。この何日かでよ〜ぉ分かったやろ。もし嫌になったんならな、別に来なくてもええんやで。命あってのものだね。逃げるも勝ちの一つや」


 門番がざっくばらんに甘い言葉を投げかける。

 助言それ鎌足かまたりはきっぱりと否定した。


「⋯⋯逃げないよ。⋯⋯逃げたら本当の勝ちなんて掴めない。本当に心から笑える勝利は、最後まで逃げずに挑んだ者だけが掴めるんだ。⋯⋯って、御頭おかしらが言ってた」


紅鬼あかおににも蒼鬼あおおににも殺されかけて。それに命を賭けて守りはった公家はんや、同じ番頭ばんがしら中将ちゅうじょう様や少将しょうしょう様、言わば仲間からもうとんじれたり、罪をなすりつけられて死罪ころされかけたんやろ? 江戸のお仲間はんもおらん。一人になりはった以上、どうとでも都合良く江戸うえには報告できるやろ。何で気張ってそこまでしはるんや?」


 鎌足かまたりは少し間を置いて、こう答えた。


「⋯⋯私もよく分かんない。⋯⋯この国に生きる人間ひと、だからかな? 記憶は無いし確証も無いけれど、きっとこれが私の“宿命”なんだよ」


「⋯⋯んー? よぉ分からんなあ。⋯⋯まぁ、それが、あんたはんの選んだ道⋯⋯、とでも言うことなんやな」


 御所の空高く。

 蝶は徐々に小さくなって、夕刻の町に消えていく。

 そんな一足先に御所に別れを告げた蝶を見送った後、鎌足かまたりは誰に向けるでも無く、にっこりと微笑んだ。

 そしてそのまま御所や正門は振り返らず、大通りへと一歩を踏み出した。



「⋯⋯美桜みおさくちゃん、待ってて。私はまた戻ってくる。この傷を癒して、そして心ももっと強くなって、御所ここに必ず、⋯⋯必ず戻ってくるから」



 近くの寺院の鐘撞き堂から、あの晩鐘が響く。



 ⋯⋯一つ。



 ⋯⋯二つ。



 ⋯⋯三つ。



 ⋯⋯四つ。



 ⋯⋯五つ。



 ⋯⋯六つ。



 それは奇しくも綾麿あやまろたち『六歌戦ろっかせん』と同じ数。


 ときと共に、風雲急を告げる。


 この六つの鐘のだけが今、ひとり御所を去り行く鎌足かまたりの背中を見送っていた━━━━。

 



第87話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回第88話は、8月11日〜12日頃の投稿予定です。次回もどうぞよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)


【その他】

フォロワー様に創作して頂いたオリジナルEDです

https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg

ラストシーンに凄く似合うのでぜひ聴いてみて♪

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― 新着の感想 ―
 ……普通に味方の方が来てくれませんね(笑)。美桜姫目を覚まして(´;ω;`)。  人間として麒麟は救いようがないんじゃ? と綾麿も部下にした頃を回顧して育ててみるか→残虐さが加速しておる、みたいな諦…
感想一覧
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