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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編

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第86話  霧人 〜中編〜

次回予告では今回は「後編」となっていましたが、長くなったので二つに分けて、「中編」としました。

後編も明日明後日には投稿する予定です。


【登場人物紹介】

不知火綾麿しらぬいあやまろ━━━━

 従三位じゅさんみ中将ちゅうじょう。帝と日本を守る『六歌戦ろっかせん』の一人。謎の妖刀『村雨むらさめ』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨むらさめ真刃しんば鞘刃さやばを使った不知火しらぬい二刀流にとうりゅうの使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足かまたりを快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼あおおに紅鬼あかおにの御所侵攻を退ける。


伊賀の鎌足かまたり━━━━

 江戸城の公儀御庭番こうぎおにわばん伊賀組の小頭こがしらの女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸おにきりまる』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。少将しょうしょう麒麟きりんとの戦いで手傷を負うが、美桜みおの看病を受け、元気に回復中?


美桜みお━━━━

 京都御所を訪れた鎌足かまたりが出会った、桜色の髪飾りと着物の可愛い少女。鎌足かまたりとは歳も近く友達だと思っている。怪我をした鎌足かまたりを看病介抱する。命の恩人、新しい中納言に就任する鷹乃宮霧人たかのみやきりひとに密かな想いを寄せる。


 ━━━━”あまね“⋯⋯自らそう名乗った謎の少女は、驚き怯えるさくに向け、無垢な笑みを浮かべていた。


 その笑みからは悪意や邪念は微塵も感じられない。

 得体のしれない”何か“魔が憑依したような占術の時の顔とは打って変わって、年相応の無邪気な笑顔だった。


 しかしその幼い口から告げられたのは、見た目からは想像もつかないようなおぞましい予言。

 

 ⋯⋯死、⋯⋯ばらばら、⋯⋯真っ赤。


 誰のことを、何を、言っているのかはわからない。

 しかし明らかに誰か“人”の死や破滅を連想させる言葉に、告げられた側のさくが今にも泣き出しそうになった。


 ⋯⋯その時。


 救いを求めるようなさくの潤んだ目に飛び込んできたのは、廊下の門を曲がって現れた二つの人影。

 美桜みお綾麿あやまろの姿だった。


「⋯⋯あ、さくちゃん、こんな所に居たの? 探したわ」


 何も知らない美桜みおさくに微笑みかける。

 そして縁側のさくに向かって手を振った。


「⋯⋯っ、お姉ちゃん!」


 美桜みおが言葉を言い終える前だった。

 さくは駆け出していた。

 そして感情に任せて、美桜みおふところに飛び込んだ。

 式典に出るために整えた冠はころころと乾いた地を転がり、美桜みおに抱きついたさくの手は小刻みに震えていた。


「⋯⋯ど、どうしたの? さくちゃん?」


「⋯⋯あの子が」


「あの子?」


 さく美桜みおの着物に顔を埋めたまま、ほんの少しだけ後ろを振り返る。

 そして震える指で恐る恐る中庭を指し示した。


 美桜みお綾麿あやまろの視線が動く。


 ⋯⋯その中庭さきにはあの少女。


 綾麿あやまろ美桜みおが急に現れても、この謎の少女の様子は先程から何も変わらない。

 さくのお気に入りの赤い鞠を両掌の上に乗せ、美桜みおさくの方をじっと見つめながら親しげに微笑み続けていた。


「⋯⋯わ、わああっ」


 すぐに美桜みおの着物へと顔をうずめ直したさくは、美桜みおの傍から離れようとしない。

 少女をかたくなに拒絶するように、美桜みおの袖や帯の端をぎゅっと固く握りしめていた。


 普段とはまるで違う行動や表情を見せるさくに、美桜みおも戸惑いを隠せない。

 それでもさくの心が少しでも落ち着くようにと思い、美桜みおは冠が取れて乱れたさくの髪を優しく撫でながら、出来る限りの優しく穏やかな声で問いかけた。

 

「⋯⋯あの子とまりで遊んでいたのね。どうしちゃったの? 喧嘩でもしたの?」


「⋯⋯違うよ、遊んでない。あの子とは遊びたくない」


「⋯⋯どうして? 可愛らしい子じゃない? 歳も同じくらいだし、一緒に遊んであげたら?」


「⋯⋯あの子、こわい」


「⋯⋯え?」


 さくの顔が再び陰影いんえいを纏った、その時。

 子供の喧嘩には興味が無いのか、何故なぜか押し黙って静観している綾麿あやまろの背後で、結んだ髪の毛の束がひらりと揺らめいた。


「⋯⋯にひひ」


 そしてさくの耳に確かに聞こえたのは、何処どこかで聞いたことのある特徴的な笑い声。

 さくがその正体に気付いた次の瞬間、綾麿あやまろの背後から、その髪と声の主がひょっこりと顔を出した。


「⋯⋯へへ、さくちゃん、久しぶり!」


 満面笑顔の鎌足かまたりだった。


「あっ! 鎌足かまたりさんだ!」


 突然に訪れた、予想外の再会だった。

 どんよりと曇り空だったさくの顔は、雲間から突然に陽の光が差したように、明るさを取り戻していた。

 さくは今度は鎌足かまたりの元へ駆け寄り、そして美桜みお以上に思い切り鎌足かまたりに抱きついていた。


「⋯⋯わっ、な、何だ、何だ、一体どうしたんだ?」


「⋯⋯こわい。こわい子、悪い子がいるんだ」


 必死に恐怖を訴えるさく鎌足かまたりを見上げる。

 そのさくの目に、改めて鎌足かまたりの左目や左頬の痛々しい傷が飛び込んできた。


「⋯⋯あ、鎌足かまたり姉ちゃん? ⋯⋯えっと、何か顔が、左の方が凄く腫れてるよ⋯⋯? 大丈夫?」


「⋯⋯え、あ、こ、これ? ははは、大丈夫、大丈夫。(うぅっ、痛い。強く抱きつかれると胸の傷が⋯⋯)」


 抱きつかれた鎌足かまたり美桜みおと考えは同じだった。

 数日前とはまるで違うさくの表情。

 経緯いきさつはよく分からないものの、さくにこれ以上の不安を与えないようにしなければいけない。

 そう直感的に感じた鎌足かまたりは、込み上げる痛みを必死に堪えながら、ぎこちない最高の作り笑顔を見せていた。


「良かったわね、さくちゃん。鎌足かまたりさんにまた会えて。⋯⋯うふふ、少しは元気を取り戻したみたい」


 いつものさくを僅かでも見ることができた美桜みおは、とりあえずはほっと胸を撫で下ろしていた。

 しかし、どうしても先程のさくの言葉が気になって仕方がない。

 美桜みおはもう一度視線を中庭の方へ向け、謎の少女の姿を瞳に映した。


「⋯⋯こわい? あんなに可愛いのに。何かの見間違いとかかな? ⋯⋯でも、あの子、確かに見かけない顔。何処どこの誰かしら」


 そして記憶を探るように首を傾げる。


「⋯⋯⋯」


 そんな美桜みおの動きに追随するように、綾麿あやまろもその少女に目を送っていた。

 しかしその目は顔や手の鞠ではなく、少女がまとっている不思議な儀式用の白い衣や冠に向けられていた。


「⋯⋯あの衣は」


 綾麿あやまろが呟く。

 二つの疑念の視線に気付いた少女が、綾麿あやまろ美桜みおに微笑み返した。



 ⋯⋯その時。

 


 美桜みおたちが向かっていた紫宸殿ししんでんへと繋がる廊下。

 その反対側から、綾麿あやまろ鎌足かまたりたちの居る此方こちらに向かって歩いてくる、二つの人影があった。


 その足音に気付いた途端、少女の視線と笑顔は綾麿あやまろたちから離れ、その二つの人影へと向く。

 そして瞳を輝かせて、嬉しそうに呟いた。


「⋯⋯あ! おやかたさま」


 しかし表情が急変したのはこの少女だけではない。


(⋯⋯あ、⋯⋯あれは)


 何故なぜ美桜みおも同じだった。

 見るからに頬を赤らめ、顔も少しうつむき気味で恥ずかしそうにしている。

 そして半ば無意識で、美桜みおは吐息混じりの小さな声で呟いた。


「⋯⋯運命の、⋯⋯赤い糸」


「⋯⋯え?」


 すぐ近くに居た鎌足かまたりの耳だけが、その美桜みおささやきを拾っていた。

 聞き覚えのある”赤い糸“という言葉。

 咄嗟とっさに反応した鎌足かまたりが、美桜みおの方を振り返る。

 そして美桜みおの視線の先を追いかけるように、鎌足かまたりの目もまた、悠然と並び歩いてくる二人を捉えていた。


 烏帽子えぼしを被っていることから、公家であることはまず間違い無い。

 しかし二人とも、鎌足かまたりが今まで見たことのない不思議な白い衣をまとっていた。


 全身から放たれる高貴さと、自信に満ちた表情が印象的な前を歩く男は、歳はまだ相当に若い。

 綾麿あやまろと同じ、二十代前半から半ばくらいだろう。

 一言二言で形容するならば、“美しく凛々しい”。

 そんな表現が似合う公家だった。

 金色の刺繍が施された白衣。

 五芒星ごぼうせい金色こんじきの丸紋の飾られた烏帽子えぼし

 背中でひとつ結びにした長髪の束が颯爽と風になびき、その結んだ髪や前髪の中には、魅惑的な黒に加えて所々に青、赤、黄、白の四色に染まった部分も見える。

 加えて腰に差したきらびやかで豪華な金色の宝剣からは、この男の格式や権威の高さも垣間見えた。

 落ち着いた高貴さと知的さ、そして洒落た優雅さをもまとうその表情と佇まいは、何処どこか現実離れした独特の妖気すら醸し出している。


 そしてその隣、向かって右を歩くもう一人の公家は、前を歩く男同様にまだ二十代前半に見えた。

 ⋯⋯立てば芍薬しゃくやく、座れば牡丹ぼたん、歩く姿は百合ゆりの花。

 そんなちまたの流行り言葉がそのまま当てはまるような、白拍子しらびょうしや舞台役者に見えるくらいの”華“と”美“を備えた、おっとりと物静かな雰囲気が漂う女性だった。

 銀色のしとやかな刺繍が施された白衣に、しなやかにすらりとした細身。

 公家特有とも言える、太い殿上眉てんじょうまゆ

 烏帽子から伸びる、長く艶のある黒髪。

 そしてそんな黒髪に映える、青、赤、黄、白、黒の五色の色とりどりの花の髪飾り。

 そのどれもが華やかで目を引く。

 麒麟きりんと同じような白鞘しろさやの刀を腰に差しているが、その刀の装飾の豪華さや漂う純白の気品は、麒麟きりんのありきたりな外見の模造の白鞘しろさやとは比べ物にならない。

 


 そんな二人も中庭に少女の姿を捉えると、目で合図を送るように爽やかに微笑んだ。


 少女はまりを手にしたまま、先程”おやかたさま“と口にした前を歩く凛々しい男の方へと、駆け寄っていく。

 男は腰を沈めると、少女と目の高さを合わせて優しく声をかけた。


「⋯⋯天音あまね、物珍しさは分かるが、あまり御所内を動き回っては駄目だぞ。迷子になる」


「まいご、なった」


「⋯⋯だから言っただろう。よいな、二度と迷子にはならぬよう、この新しい住処すみか、京御所に早く慣れるのだ」


「はあい」


「⋯⋯ん、おや? そのまりはどうした?」


 少女の掌の中の鞠の存在に男が気付く。

 少女はさく美桜みおの方を指差して答えた。


「⋯⋯いっしょに、あそんでた」


「⋯⋯ほう?」


 男がその指の先に視線を送る。

 その目に真っ先に飛び込んだのは、綾麿あやまろの姿だった。

 綾麿あやまろと男の目が合う。

 この時。

 男の口元には、少女に向けていた優しく涼やかな微笑みとはまるで違う、別の妖しい綻びが浮かんでいた。


「⋯⋯これはこれは。誰かと思えば。お久しぶりです。不知火しらぬい中将ちゅうじょう綾麿あやまろ殿」


「ああ⋯⋯、久しぶりだな。霧人きりひと


 この時、綾麿あやまろが口にした“霧人きりひと”の呼び名。

 鎌足かまたりはその名前に覚えがあった。


(⋯⋯ん? この二人は知り合い? ⋯⋯ん、ん? 待てよ、今、霧人きりひとと言ったか?)


 鎌足かまたりが横目で美桜みおを見る。

 美桜みおは明らかに動揺していた。

 綾麿あやまろの陰に隠れるようにして、その顔はほんのりと紅色に染まっている。

 鈍感な鎌足かまたりとは言え、何となく状況は察することができた。


(⋯⋯ははーん)

 

 美桜みおの着物の袖を引っ張った鎌足かまたりは、その耳元で問いただした。


「⋯⋯ねえねえ。美桜みお? さっき言っていた鷹乃宮たかのみや陰陽頭おんみょうのかみ霧人きりひとって、⋯⋯この人?」


「ひゃっ⋯⋯あわわわ」


 美桜みおの反応は分かりやすかった。

 鎌足かまたりの耳元で美桜みおもそっとささやき返した。


「そうです。あの御方が、陰陽師おんみょうじの方々が集う陰陽寮おんみょうりょうの長官をお務めになっている、鷹乃宮たかのみや様。まだあんなにお若いのに、歴史上の伝説の陰陽師おんみょうじ様たちをも凌ぐ、神力しんりき霊力れいりきを身につけている⋯⋯、そう皆に噂されているくらいの天才陰陽師様なんですよ」


「えっ、陰陽師おんみょうじって、あの、ただの紙を人に変えたり、空を飛んだり化け物を召喚したりする、あの陰陽師おんみょうじ!?」


「⋯⋯ふふふ、鎌足かまたりさん、それはあくまで物語や昔話の世界のお話です。確かに結界を張ったり、特別な神力しんりきを求められる時もあるんだけど、実際は天文学の研究や暦の作成、祭祀さいしの際の吉凶の占術が主な御仕事なのよ」


「何だ、そうなのか、へぇ⋯⋯」


「でもね、あの鷹乃宮たかのみや様はね、今まで朝廷に仕えてきた”ぶん“を重視する陰陽師おんみょうじ様たちとは違って、”“にも力を入れているの。私も詳しくは知らないんだけど、⋯⋯陰陽道おんみょうどうと剣術を組み合わせた、新たな流派、御所防衛の術式。その開祖かいそである上に、更に日々その剣技を研鑽けんさんされているそうなの」


「わあ、なるほど。それで剣の腕の方も超一流なのか。新しい流派、陰陽道おんみょうどうと剣術か。凄くかっこいいなあ、私の美桜みおを惚れさせるだけのことはあるよ、うん。⋯⋯にひひ、これは応援しがいがあるぞ」


「わ、ちょ、ちょっと! 鎌足さん、からかうのは止めてください⋯⋯」


 美桜みおは頬を紅潮させ、困ったように即答する。

 しかし満更まんざらではなさそうだった。



 そんな鎌足かまたり美桜みおの恋話には目もくれず、綾麿あやまろ霧人きりひとに向かって淡々と語りかけていた。


「⋯⋯霧人きりひとよ、霊山れいざんの山中の陰陽寮おんみょうりょうに籠もり、鬼を封じる術を探究する役目を負っていたはずの御主が、まさか従三位じゅさんみ中納言ちゅうなごんへの一気の昇進が叶うとはな⋯⋯、聞いた時はいささか驚いたぞ、大きな後ろ盾でもできたか」


「どうやら綾麿あやまろ殿は、陰陽頭おんみょうのかみの私率いる陰陽衆おんみょうしゅうが、この京都御所内、警備にまで台頭してくるとは思いもよらなかったと見えますね⋯⋯、此度こたびの御所の不手際と惨事が憂慮され、『武だけではなく、文武の知をもって鬼をしずめ、封じよ』との諸大臣殿たちの意向で、我々が呼ばれたのです。後ろ盾などはありませんよ。⋯⋯そういうよしにての事、これからは綾麿あやまろ殿ら武官や警備の皆々様には、微力ながら我ら陰陽衆おんみょうしゅうもお力添え致しまする」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯っと、私としたことが。今しがた”不手際“と申しましたが、それは綾麿あやまろ殿では無く、鎌足かまたり殿という江戸の援軍の御方が起こした不手際でしたね。⋯⋯ふふふ、綾麿あやまろ殿の落ち度ではなかった、失礼致しました。⋯⋯そう、江戸の援軍と言えば、昨日から今日に会合式典が延びたのも、その鎌足かまたり殿の不手際や揉め事が原因とか」


「⋯⋯すみません、ここに居ます。不手際の張本人が」


 霧人きりひとの言葉に続けるようにして、鎌足かまたりが申し訳なさそうに、綾麿あやまろの陰から顔を覗かせた。


「⋯⋯おやおや、これは、まさか、御一緒でしたか。重ねて失礼を。悪気はないゆえ、どうか許して頂きたい」


 そんな唐突に現れた鎌足かまたりにも、霧人きりひとは爽やかな笑みを浮かべる。

 そして身分が遥かに下の鎌足かまたりに対しても頭を下げた。

 御所の公家たちの不遜な態度を、この数日で鎌足かまたりは嫌という程に知っている。

 そんな鎌足かまたりにとって、この霧人きりひとの対応は、まさに聖人君子せいじんくんしのように映っていた。


(わぁ、何てできた人なんだ。生意気な綾麿あやまろとは全然違う。これは美桜みおが好きになるのが分かるよ。うんうん)


 鎌足かまたりは腕組みをしながら、隣の綾麿あやまろをちらちらと見つめていた。

 綾麿あやまろの今までの言葉を思い出しながら、心の中で綾麿あやまろ霧人きりひとの二人を比較する。

 そして霧人きりひと軍配ぐんぱいを上げ、何度も何度もうなずく。


 そんな鎌足かまたりの自問自答の動きや表情を、霧人きりひとの足元に寄り添う天音あまね怪訝けげんそうにじっと見つめている。

 そして鎌足かまたりの顔の腫れを指差して呟いた。


「おやかたさま、みてみて、かお、ぼこぼこ、⋯⋯まかふしぎ、⋯⋯しびとが、うごいてる」


(⋯⋯ふぐぅっ!?)


 死人しびと扱いをされる程に、鎌足かまたりの左頬や左目は腫れていたらしい。

 鎌足かまたりが心の中で握り拳を作る。

 そして湧き上がる感情全てを、苦笑いで圧し殺した。


(⋯⋯お、落ち着け。落ち着くんだ、怒るな。相手は子供だ⋯⋯。しかも美桜みおの想い人と深い関係のある子みたいだ。多少の暴言、子供の戯言ざれごとは我慢しろ、鎌足わたし)⋯⋯



 ⋯⋯「⋯⋯ん? おや、其処そこに居るのは、もしかして美桜姫みおひめ様ではないですか?」


 鎌足かまたりが怒りを堪えて顔を紅潮させる中。

 綾麿あやまろの陰に隠れて赤面する美桜みおの存在に気付いた霧人きりひとは、ふわりと白衣の袖を靡かせていた。

 綾麿あやまろの横を抜け、美桜みおのすぐ前まで近付く。

 手を伸ばせば霧人きりひとの優しい笑顔に触れることができる程に今、霧人きりひと美桜みお、二人の距離は縮まっていた。

 今にも噴火するのではないかと思うくらい、顔を真っ赤にした美桜みおが、辿々しく初々しく口を開く。


「⋯⋯た、鷹乃宮たかのみや様⋯⋯、お久しぶりで御座います、本日もご機嫌麗しく⋯⋯」


「⋯⋯やはり! 美桜みお姫様、お久しぶりです。いや⋯⋯すぐに姫と気付かない程、しばらく見ぬ間に、これはまた一段と更にお美しくなられた御様子」


「まあ、そんな⋯⋯。あ、あの⋯⋯、鷹乃宮たかのみや様、中納言ちゅうなごん就任、本当におめでとうございます。⋯⋯私、自分の事の様に嬉しいです。中納言ちゅうなごん様としてこの御所に鷹乃宮たかのみや様が常駐じょうちゅうして頂けたら、どんなに心強いことか⋯⋯。あの⋯⋯、これからは今までよりも数多くお会いできたりするのでしょうか?」


 美桜みおの言葉の間、霧人きりひと美桜みおの瞳をずっと真っすぐに見つめていた。

 そして甘く優しい声で答えを返した。


「今日の式典が終われば一旦は陰陽寮おんみょうりょうへ戻りますが、それは御所常駐への用意を整えるため。十日もすればまたこの御所に戻って参ります。しばらくは内裏だいり陰陽寮おんみょうりょうを行き来するかもしれませんが、それでもきっとこれまで以上に美桜姫みおひめ様とはお会いできましょう」


「本当ですか。⋯⋯嬉しい」


 ⋯⋯御所常駐。

 ⋯⋯これまで以上に会える。


 そんな霧人きりひとの返事に美桜みおの表情が今日一番に輝いた。

 うれしい。

 それはたった四文字の返す言葉。

 姫という立場を自覚しているのか、口調は遠慮がちに穏やかだったが、その四文字の響きには溢れんばかりの幸せが滲んでいる。

 霧人きりひとに秘めた特別な想いを隠す、そんな美桜みおの乙女心が鎌足かまたりには垣間見えていた。


「⋯⋯あの、鷹乃宮たかのみや様、あと、その可愛らしい子は?」


 美桜みおが目線を下げる。


「⋯⋯ああ、天音あまねですか。この子は物心が付きし頃から占術せんじゅつに優れ、それを気味悪がった親に捨てられてしまった孤児みなしごなのです。神仏の御導きによるえにしがありまして、我ら陰陽寮おんみょうりょうにて引き取り、妹のように思いながら世話をしているのですよ」


「まあ、なんとお優しい。流石は鷹乃宮たかのみや様ですわ。⋯⋯ふふ、自己紹介がまだだったわね。私は美桜みおよ。よろしくね、天音あまねちゃん」


「よろしく、みお」


 美桜みお天音あまねに優しく微笑む。

 天音あまねもまたそんな美桜みおに可愛く微笑み返した。


さくちゃん? 聞いたでしょ? 意地悪しちゃ駄目よ」


 美桜みおの呼びかけにもさくは答えない。

 鎌足かまたりの後ろに隠れて、天音あまねの方は見ようともしない。



 その時、鎌足かまたり美桜みおたちにそっと近付く者があった。

 それは今まで黙って佇んでいた、もう一人の若く美しい女性の公家だった。


陰陽頭おんみょうのかみ様。天音あまねも見つけましたし、そろそろ式典の束帯そくたいに着替えなければいけない時間かと⋯⋯」

 

「そうだな、もう頃合いか、樟羽くずは


 ”樟羽くずは“と呼ばれたその女性は、美しい見た目からの想像と違わず、穏やかでおっとりとした透き通るような声をしていた。

 間近で見るその顔や黒髪は、ただただ“美しい”と言うより他は無く、鎌足かまたりも思わず感嘆の溜め息を漏らす程だった。

 鎌足かまたりが心配そうに美桜みおの耳元で呟く。


「⋯⋯あの女の人、綺麗だよね。あの人も陰陽師おんみょうじかな? 美男美女だよ、美桜みお。心配じゃない? あの女の人に鷹乃宮たかのみや様を取られちゃうかも、って」


「⋯⋯ふふふ、鎌足かまたりさん、大丈夫ですよ」


「⋯⋯え? 何で?」


「だって、あの樟羽くずは様は、殿方よ」


「⋯⋯ふーん、そうなんだ。⋯⋯なら大丈夫だよね⋯⋯って⋯⋯⋯⋯⋯えええええええええええええええっ!?」


 思わず大きな声が出た。

 美桜みおは笑い、綾麿あやまろ怪訝けげんそうに睨み、そしてさくは心配そうに鎌足かまたりを見つめている。

 

「御名前を春日目かすがめ樟羽くずは様、と言ってね。春日目かすがめ様も高名な陰陽師おんみょうじよ。陰陽寮で陰陽助おんみょうのすけって役職を務められていて、陰陽頭おんみょうのかみ鷹乃宮たかのみや様に次いで偉い御方なのよ。⋯⋯そして新しい少納言様でもあるの」


「⋯⋯ふええええ、そうなんだ。新しい少納言様? ⋯⋯陰陽師おんみょうじ陰陽寮おんみょうりょうって、何か凄いなああぁぁぁ」

 


 驚きで目が点になっている鎌足かまたりと、”五月蝿うるさい“とばかりに鎌足かまたりを睨む綾麿あやまろ

 そんな二人を他所よそに、霧人きりひとが白衣をひるがえす。


「⋯⋯では。我々は先に紫宸殿ししんでんに失礼致します。美桜姫みおひめ、また後日改めてゆっくりと⋯⋯」


「は、はい。⋯⋯ぜひまた、必ずや」


 最後まで美桜みおは赤面していた。

 そんな美桜みおの隣で天音あまねはまださくまりを持っている。

 そのことに気付いた樟羽くずはは、天音あまねの肩に手を置きながら優しく穏やかに声をかけた。


天音あまね? そのまりは返さないといけませんよ」


「⋯⋯うん、くずは⋯⋯、まり、かえす」


 さくのお気に入りのまりだが、天音あまねもこの赤いまりが余程気に入っていたらしい。

 残念そうに呟くと、鎌足かまたりの隣のさくへと近寄っていく。

 そしておずおずとまりを差し出そうとした。


「ひいっ⋯⋯」


 あの占いの光景や言葉を思い出したさくの顔が、一瞬にして怯えた表情に戻る。

 差し出された天音あまねの手を弾き、鎌足かまたりの背中に隠れ直すと、震えながら声を絞り出した。


「いらない⋯⋯、あげる、いらない」


 冷たく突き放すような言葉だった。

 転がっていくまりを見ながら、天音あまねは目を丸くして驚いた顔をしている。


「⋯⋯こ、こら、さくちゃん! 何て酷いことを⋯⋯、天音あまねちゃんに謝らなきゃ駄目じゃない」


「嫌だ、この子には謝らないっ、(まり)もいらないっ」

 

 美桜みおが慌てて天音あまね樟羽くずはの方へと向き直り、その場を取り繕ろう。


「⋯⋯あ、あの、違うんです、この子、悪気はなくて、あの、大人の会合に出るの慣れていなくて⋯⋯、緊張してるんです。普段はこうじゃないんですけど⋯⋯。失礼は本当にごめんなさい。そのまりはどうか持っていってください。天音あまねちゃんの遊び道具として使ってください」


 そして申し訳なさそうに、さくの代わりに深々と頭を下げた。


 転がったまり樟羽くずはが拾い上げる。

 樟羽くずはまりの汚れを払い、天音あまねの前に差し出すと、穏やかな笑みを浮かべながら優しく囁いた。


「⋯⋯聞きましたね? 折角です。頂いておきなさい、天音あまね。大事にするんですよ」


「うん、もらう、ありがとう⋯⋯」


 天音あまねまりをもう一度両手のてのひらの上に大事そうに乗せ、そして無邪気に嬉しそうに笑っていた。




 ⋯⋯この時。


 この一連の流れを、不可解な妖しい薄ら笑みを浮かべながら、眺めている者が在った。


 霧人きりひとである。


 その霧人きりひとの隣に突然、綾麿あやまろ束帯そくたいひるがえる。


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 再び交錯する二人。

 霧人きりひとの鋭い流し目の視線が綾麿あやまろを捉える。

 そんな霧人きりひとへ向け、綾麿あやまろが淡々と口を開く。


「⋯⋯先日の鬼の襲撃。霊山れいざんいただきにある陰陽寮おんみょうりょうからは、音は聞こえずとも、御所の火の手や大鳥居の倒壊は見えたはず。何故なぜすぐに動かなかった?」


「⋯⋯確かその時刻は、陰陽衆おんみょうしゅうたちと日本ひのもとの行く末を占う大事な加持祈祷かじきとうの真っ最中。⋯⋯私としたことが、外の様子までは気が回りませんでしたね」


「⋯⋯そうか、また“私としたことが”、か。⋯⋯未来を見通す霊力れいりきを持つ、千年に一人の天才陰陽師とまで謳われる御主にしては、失態ばかりだな? 霧人きりひと


「⋯⋯何が言いたいのです? 綾麿あやまろ殿」


「⋯⋯今日はこれまでとしておく。⋯⋯近い内、久々に我々六名の召集が決定した事、御主も既に大将たいしょう殿より聞いているはずだ。⋯⋯その日その時、他の四人と共に、改めて今後の日本ひのもとの行く末、そしてそなたの考えについて、じっくりと話を聞かせてもらう」


 綾麿あやまろの言葉を冷静な表情で黙って聞き終えた霧人きりひとは、得意気に薄笑みを浮かべながら言葉を返した。


「⋯⋯ふふ、何を言い出すかと思えば。こちらこそお手柔らかに。此度こたびの合議、全員の賛成を要する決まりの通り、“全会一致”となれば良いですね。⋯⋯ふむ、その御顔から推察するに、さぞや奇想天外きそうてんがいな打開策を考えている御様子かと。綾麿あやまろ殿の革新かくしん的な意見や思想が、”私も含め“、皆の前で通る事を、心より願っていますよ?」


 そして霧人きりひともその陰陽師おんみょうじの白衣を颯爽とひるがえすと、綾麿あやまろに背を向けて歩き出した。




 ⋯⋯⋯⋯霧人きりひと樟羽くずは、そして天音あまね

 三人はそれぞれ三者三様に微笑みながら、この場を立ち去っていく。


 遠ざかる二つの背中、一つの小さな背中。


 この時、霧人きりひと樟羽くずはは廊下を歩きながら、綾麿あやまろたちには決して聞こえない程の声で密かに囁きあっていた。


(⋯⋯天音あまね櫻皇子さくらのみこ、そして我々の出現、⋯⋯全てが偶然。奴等の目にはそう見えたはず。⋯⋯なぁ? 樟羽くずは

(間違い無く。何の不審も抱いてはおらぬでしょう)

(⋯⋯綾麿あやまろ鎌足かまたりとやらが現れたのは想定外だったが、まあよい。役者は多いほうが面白い。我々の仕掛けもまだまだよいの口。本当の闇も、お愉しみもこれからだ)

(⋯⋯ええ)⋯⋯⋯⋯




 ⋯⋯⋯⋯「⋯⋯⋯⋯」


 そんな三人の後ろ姿を、綾麿あやまろは黙って見つめていた。



 霧人きりひとへのほのかな恋心を抱く美桜みおもまた、霧人きりひとの去りゆく背中に見惚れて、幸せな余韻の中に浸っていた。

 鎌足かまたり美桜みおの横顔を眺めてみる。

 恋がどんなものかを知らない鎌足かまたりには、美桜みおの全てがきらきらと輝いて見えた。


(恋⋯⋯かあ、どんなものなんだろう)


 そんな鎌足かまたり美桜みおの耳には、あの最後の綾麿あやまろ霧人きりひとの会話は届いていなかった。


 鎌足かまたりの心の中は今、ただ一つの事だけ。

 それだけを切に、心の底から祈っていた。



(⋯⋯どうか、どうか、美桜みおの運命の赤い糸。この恋が成就しますように⋯⋯)━━━━。




第86話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回第87話「霧人〜後編〜」は、8月7日〜8日頃の投稿予定です。次回もどうぞよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)

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