第85話 霧人 〜前編〜
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼と紅鬼の御所侵攻を退ける。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。少将の麒麟との戦いで手傷を負うが、美桜の看病を受け、元気に回復中。
美桜━━━━
京都御所を訪れた鎌足が出会った、桜色の髪飾りと着物の可愛い少女。鎌足とは歳も近く友達だと思っている。怪我をした鎌足を看病介抱する。命の恩人、新しい中納言に就任する鷹乃宮霧人に密かな想いを寄せる。
━━━━「これはこれは、美桜姫様、中将様。今日はお日柄も良く、大変に御機嫌麗しゅう⋯⋯」
「⋯⋯ああ」
「⋯⋯わぁ、ありがとう。今日は昨日の夜の激しい雨とは打って変わって、晴れ渡った穏やかな春日和。悲しい出来事には見舞われましたが、新しい中納言様と少納言様をお迎えし、当京御所もまた新しい第一歩を踏み出す。そんな門出の日に相応しい良き天気となりましたね。⋯⋯きっと素晴らしい就任の式典となりましょう」
まるで陰と陽だった。
廊下で声をかけてくる公家たちに対して、優しく朗らかに笑顔で応対する美桜とは間逆に、綾麿の返事は驚く程に素っ気無かった。
(⋯⋯暗い。⋯⋯暗すぎるぞ、綾麿)
綾麿の落ち着き払った堅物挨拶を、鎌足はまるで苦虫を噛みつぶしたような顔で、ぼんやりと眺めていた。
(⋯⋯美桜からちょっとは愛想を学べよな)
心の中で散々に綾麿に突っ込みを入れた鎌足が、ふと空を見上げる。
⋯⋯陽は真上から徐々に西に傾いていた。
綾麿や美桜の話によれば、新しい中納言と少納言の人事の式典が、間もなく紫宸殿で執り行われるらしい。
御所全体で喪に服している最中とは言え、位の高い公家たちは軒並み参列する、昨日同様に其れ相応の規模の場になることは間違い無かった。
今、その刻限である未の刻(※14時)が迫っていた。
(⋯⋯確か、鷹乃宮、⋯⋯陰陽頭、霧人⋯⋯って美桜が言ってたっけ。どんな人だろう?)
櫻の付き添いとして式典に急遽参列することが決まった美桜は、鎌足が手当を受けていた客間から、紫宸殿傍に用意された控えの間へと向かう途中だった。
廊下を歩く美桜のすぐ左隣には綾麿の姿。
そして前を行くこの二人と少し離れた背後には、寝巻から忍装束に着替え直して歩く鎌足の姿があった。
鎌足は鬼切丸と鎖鎌をいつも通り腰と脚に身に着け、包帯を巻いた胸元を手で押さえながら、まだ相当に痛みの残る身体でよたよたと歩いている。
そんな鎌足の目に、前を歩く二人の姿はまるで別世界の住人のように映っていた。
武官の中将として御所の警備を任されているだけではなく、整った顔立ちで、優雅で芳醇な香の匂いを魅惑的に振り撒く、時の『六歌戦』の一人でもある綾麿。
そしてあどけなく可愛く、誰に対しても笑顔を振り撒いてくれる美桜もまた、時の帝の実の娘。
そんな由緒も地位もあり、見た目も文句無く整った二人が並んで廊下を歩いているのだから、目立たないわけがない。
公家や女官たちとすれ違う度に、誰もが二人に中央を譲って立ち止まり、先程のような挨拶と共に低頭する。
一昨日の鬼の襲撃の撃退、昨日の麒麟との勝負と、この二日間における時の人であるはずの鎌足でさえ、完全にこの二人の華の陰に隠れてしまっていた。
中でも綾麿に対する女官たちの反応は、改めて鎌足を驚かせた。
通り過ぎる綾麿の横顔や背中を潤んだ瞳で見つめながら、女官の誰もが黄色い歓声を上げてはしゃいでいる。
(⋯⋯綾麿、女官からはやっぱり相当人気があるみたいだな。⋯⋯ったく、何処が良いんだ、こんな根暗で性格の悪い奴。剣の強さと香りが良いだけじゃないか。⋯⋯ふん、まあ、いいや。この私だけは騙されないからな)
鎌足は目を細めながら、前を歩く綾麿の背中をじっと見つめ続けていた。
そして心の中で何度も同じ愚痴を呟く。
(⋯⋯結局、綾麿のせいで、帝の事も何一つ聞けなかったしなあ)
つい先程、客間での会話を鎌足は再び思い出していた━━━━⋯⋯。
⋯⋯━━━━四半刻(※30分)近く前のこと。
帝の秘密を伝えようとしてくれた美桜。
その言葉の発する瞬間をまるで図ったように、客間の障子が唐突に音も無く開き、音も無く閉まる。
悠然とその場に姿を現したのは、儀礼の束帯姿の綾麿だった。
いつから話を聞いていたのか。
それともただの偶然なのか。
「⋯⋯美桜姫様、帝に関する委細はこの京都御所の最重要事項。よって他言無用。特に客人、部外の江戸者には。どうか秘密をお忘れなきように⋯⋯」
綾麿は美桜に向かって、冷静に淡々と呟いていた。
怒るでもなく、困るでもなく。
その表情からは正確な感情は読み解けなかった。
対して鎌足は、突然目の前に現れた宿敵の姿に動揺と憤りを隠せなかった。
あの夢で魘された綾麿の村雨の一閃。
その鋭い太刀筋と冷酷な瞳の煌めきが、つい今しがた受けた本当の情景のように脳裏を過ったからだ。
顔を激しく歪ませて歯軋りし、気付いた時には怒鳴るようにして綾麿の名を叫んでいた。
「⋯⋯あ、綾麿ぉッッ⋯⋯!!」
その声に綾麿の視線も反応する。
⋯⋯今日、初めて二人の目が合った、その瞬間。
本能が、感情が、無意識に弾けていた。
「やいっ、綾麿っ! よくも私を何の情け容赦もなく、燃やしたり凍らせたり、殺してくれたなぁ! ⋯⋯地獄の鬼裂きの刑はなぁ、無茶苦茶痛かったんだぞぉ!!(⋯⋯がるるるる)」
「⋯⋯鬼裂き? 一体何の話だ?」
(⋯⋯あわわわわ、鎌足さんっ)
混乱興奮の鎌足を慌てて制止し、眉を顰める綾麿を誤魔化し、その場を取り繕ってくれたのは美桜だった。
「鎌足さん、あ、あの⋯⋯、それはもしかして、夢の話なのでは? 中将様は何も悪いことはしていません」
「⋯⋯え? ⋯⋯⋯⋯、⋯⋯あ」⋯⋯━━━━。
⋯⋯━━━━(⋯⋯うああぁぁぁぁ、思い返すだけで恥ずかしいや。夢と現実をごちゃ混ぜにするなんて)
前を行く二人の背中を見つめがら、鎌足は改めて苦笑いする。
綾麿は結局、最後まで美桜の傍を離れなかった。
姫である美桜に近付く部外者、鎌足への警戒心も当然に有ったかもしれない。
しかし帝のことを聞かれたくない、知られたくない。
そんな意図が有るのも間違いなかった。
⋯⋯(「⋯⋯鎌足殿。そなたは謹慎中の身。今日から十日間、内裏には立入禁止だ。手当が済んだのならば、即刻出ていってもらおうか。そしてその身体の傷が癒えるまで、麿の前には決して姿を見せるな。⋯⋯さあ、美桜姫様、櫻皇子様がお待ちです。式典の紫宸殿へ参りましょう」)⋯⋯。
鎌足と美桜の会話を邪魔する言葉を思い出す度に、綾麿を見つめる鎌足の表情は、険しく鋭くなっていく。
(折角の楽しい雰囲気、帝の秘密を知る絶好の機会だったのに。綾麿が来なければなあ。⋯⋯って言うか、何で美桜と一緒に紫宸殿に向かうんだ? 女官たちにきゃっきゃ言われながら、一人で行けばいいじゃん。美桜とまだ話したいのにさ。話しかけにくいなあ。とことん邪魔だなあ。綾麿、⋯⋯早く何処か行ってくれないかなあ)
そんな鎌足の刺すような視線を感じたのか。
じゃらじゃらと響く鎖の摩擦音、そしてどこまでもひたひたと付いてくる鎌足に向けて、綾麿は後ろを振り返りもせず、背中で話かけた。
「⋯⋯何故そなたまで付いて来る? 即刻退去と言ったはずだ。しかも謹慎中の身でありながら忍装束にまで着替えるとは何事ぞ。しかも鬼切丸や鎖鎌まで⋯⋯、内裏で大胆にひけらかすとはどういう了見だ?」
「いちいちうるさいな。余計なお世話だ。いつもの格好の方がしっくりくるんだよ。御前だって人のこと言えないぞ。これ見よがしに村雨を差しているじゃないか」
「⋯⋯⋯⋯」
「それに今は謹慎中の東番じゃなくて、美桜の御伴なんだ。誰かさんが狼の正体を現して、可愛い美桜に刀と鞘で襲いかかるかもしれないだろぅ? 美桜を絶対に守るって約束したからな。美桜を無事に紫宸殿に送り届けたら、すぐに出ていってやるさ」
「⋯⋯姫を守る、だと? ⋯⋯ふん。笑わせるな。そのような深手を負い、顔を腫らしたままで、か。その痩せ我慢や強がりだけは褒めてやる。大人しく傷を癒しておれば良いものを」
「これは痛みに堪えながら歩く練習をしているんだ。それにお生憎様。私の顔なんて綺麗な美桜には遠く及ばないからね。まあせいぜいあの蒼妖鬼より、ちょっとだけまともなだけの元々不細工な顔だから。腫れぼったさと恥ずかしさなんて、全然気にしてないよ。⋯⋯へんっ」
強気に言葉を返す鎌足だったが、本音は少し違っていた。
美桜と二人きりになれば、今度こそ間違いなく二重の御簾の秘密、帝がその先から姿を現さない理由を聞き出すことができる。
そう思っていたからだった。
(⋯⋯美桜にはちょっと悪いけど。でも暫く内裏を追い出されるんだったら、今日しか、今しか、美桜と話す機会は無いんだ)
当の美桜はそんな鎌足の複雑な心中や任務の裏表など知る由もない。
目線を合わせずに続く二人の会話の間中、ずっとくすくすと笑みを浮かべていた。
そんな美桜が口を挟む。
「中将様様。大人しく付いて来るだけなんですから、別にそんな目くじらを立てなくても良いではないですか」
「そうだ、そうだ」
「⋯⋯⋯⋯」
「鎌足さんは私のお友達ですから。それに鎌足さんが一緒に居てくれて、私はとても嬉しいんですよ?」
「ほらな、聞いたか、綾麿っ」
「⋯⋯⋯⋯」
「だから、ね、鎌足さんをそんなに悪く言わないで」
「⋯⋯⋯⋯、⋯⋯畏まりました」
「⋯⋯ふーん、綾麿、御前でも美桜には頭が上がらないんだ? やっぱり凄いなあ、美桜は」
「⋯⋯黙れ。御主がおいそれと気安く呼び捨てにしてよい御方ではない。⋯⋯しかし、姫。一つお尋ねしたい。何時何処で、この鎌足と深い仲に?」
「鎌足さんが初めて御所にいらした時からですよ。ふふ、私と鎌足さんは運命の赤い糸で結ばれてるんです」
⋯⋯赤い糸。
まるで恋に落ちる運命の二人を表したような、思いがけない美桜の言葉だった。
鎌足が頭を掻きながら赤面する。
(⋯⋯運命の赤い糸。⋯⋯へへへ、照れるなぁ。良かったぁ、美桜の後ろで。真っ赤な顔を見られなくて)
照れて俯いた鎌足の瞳には、前を歩く綾麿の腰に差す村雨が映っていた。
納刀したままにも関わらず、その鞘からはあの妖しい蒼白の煌めきが放たれているような気さえする。
剣技を知る者は、刀を知る。
少なくとも鎌足にはそう見えた。
村雨と綾麿を見つめる鎌足の視線は、更に鋭いものとなっていた。
(⋯⋯時の帝から拝領された刀、か。⋯⋯それにしても、まさか綾麿が武の誉高い『六歌戦』の一人だったとは⋯⋯。帝を守ったということは、あの強かった紅閃鬼も斃した、って事だよな。⋯⋯綾麿みたいな強さを持つ者があと五人、居るのか。他の『六歌戦』は、綾麿とは違って話が分かる人たちばかりなら良いんだけど⋯⋯)
「⋯⋯姫、お気を付けください。先程より背後から唯ならぬ殺気が放たれております。それとその鎌足と申す者ですが、どうか油断なさらぬよう。相当に感情的で妄想の癖もあったり、また少々思い込みも激しい性分故」
「やいっ、綾麿。聞こえたぞ。遠くにいる人みたいに言うな、後ろに居るんだ。それと怒りっぽいのは認めるけど、妄想とか思い込みが激しいってのはどういう意味だ?」
「⋯⋯ふん、何だ、まだ居たのか? ⋯⋯麿を毒殺の首謀者と決めつけて毒虫扱いしたり、勝手に殺したりしたではないか」
(⋯⋯一昨日の毒の追及の事と、大鳥居と共に死んだと勘違いしちゃった事を言ってるんだな。⋯⋯ちぇっ、何だ、まだ根に持ってたのか、嫌な奴。⋯⋯あ、でもそう言えば⋯⋯、綾麿へは大吾の礼がまだだったなぁ。あと死罪を取り消してくれた礼も、か⋯⋯)
鎌足は顎に手を当て、少しだけ考え込むような仕草を見せる。
そして何かを閃き、決意したように小さく頷くと、綾麿の背中に向けて”ある言葉“を伝え始めた。
「⋯⋯綾麿。あ、あのさ⋯⋯、昨日は、あの、その⋯⋯あ、⋯⋯あ、あり、あり⋯⋯が、ありが、⋯⋯と」
指をもじもじとさせながら、辿々しく。
会話上、何の脈絡も無い。
唐突に出た、しどろもどろな感謝の言葉だった。
「⋯⋯⋯⋯」
綾麿の反応は無い。
後ろを振り返ることも無い。
綾麿は無言で、怪訝そうに眉間に皺を寄せていた。
そして当の鎌足ではなく、隣の美桜に向けてひっそりと呟いた。
「⋯⋯姫、聞いての通りに御座います。このように頭も弱い故。どうか近づく際には、噛まれないよう、くれぐれも御用心を」
「⋯⋯おい、綾麿。また聞こえてるぞ」
鎌足の不機嫌な顔と、綾麿の仏頂面な顔。
二人のやり取りをすぐ傍で聞きながら、美桜だけが満面の笑みを浮かべていた。
「⋯⋯うふふ。やっぱり御二人はお似合いですね」
「⋯⋯? ⋯⋯姫、それはどういう意味ですか」
「⋯⋯美桜ぉ、それだけはやめてくれ、鳥肌が立った」
「そうですか? 運命の赤い糸、かもしれませんよ?」
にこにこと笑顔を振りまく美桜を見て鎌足は思った。
(美桜、やっぱり今日は特別に嬉しそうだな。笑顔が輝いてる。鷹乃宮って人に会えるのが余程嬉しいんだな)
今日の美桜は綾麿から見ても機嫌が良いらしい。
綾麿が鎌足の考えを見透かしたように代弁する。
「⋯⋯姫。⋯⋯今日はまた一段と嬉しそうですね」
「⋯⋯あ、うふふ。そう見えます? だって滅多には見ることの出来ない儀礼の場。しかもそれが新しい中納言様の就任の式なんて、楽しみで仕方がないんです。⋯⋯久しぶりにあの御方にお会いできるんですもの」
ときめく胸の内、嬉しさ、楽しみの表れなのだろう。
屈託の無い笑顔で答えた美桜は、心無しかその歩みを速めていた。
鎌足と綾麿をまるで急かすように、目指すべき紫宸殿に向かい、足取り軽く歩みを進めていく美桜。
そんな美桜の背中を見ながら、鎌足も嬉しそうに、”⋯⋯にひひ“と微笑む。
その鎌足の隣。
綾麿だけが一人、神妙な面持ちだった。
消えた美桜。
今は誰にも聞こえない。
意味有りげな冷たい声で、“その名”を呟く。
「⋯⋯五色の山門、陰陽寮、そして陰陽衆を束ねる『六歌戦』、鷹乃宮霧人⋯⋯、か」━━━━⋯⋯。
⋯⋯━━━━その頃。
会合が行われる紫宸殿近くの庭園を望む縁側に、一人の男の子の姿が在った。
その男の子は立派な儀礼の衣装に身を包み、つまらなさそうに一人で鞠で遊んでいる。
それは大人ばかりの集まりの退屈さに堪えきれず、場を抜け出した皇子。
⋯⋯櫻だった。
美桜が来るまでの暇潰しだった。
櫻は鞠を無造作に地面に弾ませていた。
「つまんないな⋯⋯、早く美桜姉ちゃん来ないかな」
⋯⋯その時。
鞠が櫻の手を弾く。
そして明後日の方向に転がっていく。
「あ、いけない、またやっちゃった⋯⋯」
鞠を拾いにいこうと、櫻は腰を浮かして縁側から身を乗り出した。
その転がっていく鞠の先。
櫻の視界の片隅に、見慣れない人影がちらつく。
「⋯⋯!? だ、誰!?」
櫻は驚いて呟いた。
転がる鞠が止まった場所には、一人の可愛らしい小さな少女が立っていた。
禿のような肩まで伸びた黒髪には、青、赤、黄、白、黒の五色で彩られた飾り紐。
狩衣と着物を混ぜ合わせたような、今まで櫻が目にしたこともない儀式的な純白の衣装と冠を纏っている。
「⋯⋯こんにちわ」
少女が親しげに口を開いた。
歳は櫻とさほど変わらない。
十歳になるかならないかぐらいだろう。
少女は足元に転がってきた鞠を拾うと、櫻に無邪気に笑いかけた。
「⋯⋯まり、わたしも、だいすき、⋯⋯あそぼ」
鞠を追いかけようとしていた櫻の足が止まる。
少女の何処か浮世離れした神秘的な出で立ちや、落ち着いた表情や声の響きに戸惑いを覚えたからだった。
「ね、いっしょに、あそぼ? わたしもたいくつ⋯⋯」
鞠を手にした少女は、あどけない笑顔で櫻を遊びに誘った。
「⋯⋯え、えっと、僕の名前は櫻。君は⋯⋯、誰?」
「わたしは、あまね。きのう、はじめて、やまの、おやしきから、みやこに、でてきたの」
「⋯⋯あまね、ちゃん? 山の? 御屋敷から来たの?」
いつもの櫻ならば、鎌足と出会った時と同様に、この”あまね“という名の少女ともすぐに打ち解けあって、一緒に無邪気に遊んでいただろう。
しかし櫻はこの時、その少女“あまね”に得体の知れない何か異様なものを感じ始めていた。
”あまね“⋯⋯いや、この謎の少女に安易に近付くことで、魔性の異世界への入り口に誘われてしまう。
不思議とそんな気がしてならなかった。
嗅ぎ慣れた内裏の空気。
檜の香りが伝わる縁側から、櫻はどうしても足が動かすことができない。
櫻にとっては今、この縁側はまさに異世界と内裏とを分かつ境界線となっていた。
近寄ろうとしない櫻を見て、少女が残念そうに溜め息をつく。
それが警戒心や猜疑心によるものであることは、この少女の方も感じ取っているようだった。
しかし少女は”遊び“や”誘い“を止めたわけではない。
新しい代わりの遊びで、櫻を誘い始めた。
「まりは、いや? ⋯⋯なら、うらない、は?」
「え⋯⋯、占い?」
「うん、おやかたさま、から、ひとには、あまり、みせちゃ、だめ、っていわれてるの。⋯⋯でも、とくべつ」
「⋯⋯特別。⋯⋯そうなんだ? ⋯⋯何を占うの?」
「⋯⋯えっとね。みらいに、なにが、おこるかとか、いつ、どこで、だれが、どういう、ふうに、死んじゃうか、とか⋯⋯」
「え⋯⋯?」
⋯⋯唐突に出た“死”という言葉。
鬼の襲来からまだ日も浅い。
大勢の犠牲者が出たこと、そしてその亡骸の悲惨さは櫻も聞いている上に、その言葉や字の持つ”圧“や、連想される“世界”は小さな子供には重すぎた。
櫻の顔が更に強張っていく。
そんな固まる櫻を見ながら、少女は何かを閃いたようだった。
櫻の返事を待たずに、嬉々とした声で呟いた。
「⋯⋯そうだ、さくの、みらい、みちゃおう、っと」
「⋯⋯えっ!?」
唐突に呼ばれた自分の名前。
もはや警戒心や猜疑心どころではない。
櫻の顔は完全に怯えきっていた。
しかし少女はそんな櫻の反応もまるで気にしない。
両手の掌をゆっくりと重ね合わせ、その上に鞠を乗せると、その球体の中心をじっと見つめ始めた。
子供の無邪気な遊びではない。
世間にありふれた情景でもない。
その少女の目は、その歳からは考えもつかないくらいに真剣そのものだった。
瞳は吸い込まれてしまいそうになる程に妖しく深く、そして強烈に禍々しい異彩を放っている。
(⋯⋯っ!? ちょ、ちょっと、やめ⋯⋯)
その異彩は今、戦慄や恐怖に色を変えていた。
櫻の心が震える。
“止めて”の三文字
それがどうしても最後まで口にできない。
少女は鞠を占術の水晶に見立てているようだった。
そして子供には決して似つかわしくない、大人びた不思議な言葉を続けざまに呟いた。
つい今しがたまで耳にしていた、あどけなさと可愛さだけの少女の声ではない。
その口から奏でられるのは、まだ幼さを残しながらも、一言一言一文字一文字が短く低く重々しく、そして妖しい音階。
それは陰陽の呪言、真言の類だった。
「⋯⋯唵、 阿 毘 羅 吽 欠 娑 婆 呵⋯⋯」
真言が唱えれる間、櫻はまるで蛇に睨まれた蛙のように無言のまま、身動き一つできなかった。
もしも動いたり逃げたりすると、何か良くない事が起こってしまう。
そんな不気味な感覚に包まれていたからだった。
そんな櫻の目の前では、その表面を波打ち取り囲むようにして、鞠が不思議な五色の輝きを放ち始めていた。
青、赤、黄、白、そして黒。
その五色の朧な光が繋がり、一つに重なった時。
⋯⋯真言は終わっていた。
そしてまるで素敵な宝物を見つけた時のように、鞠を見つめるこの謎の少女の目はきらきらと輝いていた。
「⋯⋯みえた」
「⋯⋯え、⋯⋯な、何が?」
「⋯⋯あつい、あお、さむい、しろ、かたな、おとこのひと⋯⋯。それと、くさり、はんぶんこ、かたな、おんなのひと⋯⋯。このふたりに、さく、まもられている」
「⋯⋯そ、そうなんだ? だ、誰だろう、は、はは」
作り笑顔で辿々しく言葉をかける櫻。
その顔には明らかに、この少女の全てに対する畏怖の念が滲んでいる。
その畏怖に向けても、少女は再びにっこりと微笑む。
そして占いの本当の意味での“結末”を告げた。
その言葉は、冷たく、暗く⋯⋯。
⋯⋯どこまでも深い闇を感じさせる声だった。
「でもざんねん、⋯⋯死んじゃうよ、⋯⋯ふたりとも」
「⋯⋯っ! し、死ぬ、って!? え⋯⋯、え⋯⋯?」
櫻の足ががたがたと震える。
その顔色は見る見るうちに陰を帯びていく。
あまりの恐ろしさに瞳には涙すら滲んでいた。
「⋯⋯わ、⋯⋯わ、⋯⋯もういいっ、やめ」
「あまね、うらない、はずしたこと、ない」
「⋯⋯ひいっ」
「⋯⋯ひとりは、おちてこなごな、ぐちゃぐちゃ、ひとりは、かたな、きられて、ばらばら、まっかっか⋯⋯」━━━━。
第85話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第86話「霧人〜後編〜」は、8月5日〜6日頃の投稿予定です。次回もどうぞよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓フォロワー様に創作して頂いたオリジナルEDです!
ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
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こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪
どちらもお気に入りです!ありがとうございます!




