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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編

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84/94

第84話  鎌足と美桜 〜後編〜

【登場人物紹介】

不知火綾麿しらぬいあやまろ━━━━

 従三位じゅさんみ中将ちゅうじょう。帝と日本を守る『六歌戦ろっかせん』の一人。謎の妖刀『村雨むらさめ』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨むらさめ真刃しんば鞘刃さやばを使った不知火しらぬい二刀流にとうりゅうの使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足かまたりを快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼あおおに紅鬼あかおにの御所侵攻を退ける。


伊賀の鎌足かまたり━━━━

 江戸城の公儀御庭番こうぎおにわばん伊賀組の小頭こがしらの女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸おにきりまる』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。やたら因縁をつけてくる少将しょうしょう麒麟きりんと戦うことになったのだが⋯⋯。


美桜みお━━━━

 京都御所を訪れた鎌足かまたりが出会った、桜色の髪飾りと着物の可愛い少女。鎌足かまたりとは歳も近く、友達だと思っている。鎌足かまたり麒麟きりんの戦いを聞き、駆け付けたのだが⋯⋯。


 ━━━━「⋯⋯ッ⋯⋯はぁはぁ、⋯⋯はぁはぁ⋯⋯」


 目覚めた鎌足かまたり

 その吐息は荒かった。

 寝汗も酷く、背中も布団もぐっしょりと濡れ、汗に混じって目には薄っすらと涙すら浮かべていた。


「⋯⋯え? 此処ここ何処どこ? 今見たのは全部、夢⋯⋯なのか? ⋯⋯それともまた違う地獄!?」


 鎌足かまたりは慌てて辺りを見渡す。

 その視線に飛び込んできた情景は、迷いの袋小路でも、奇怪な地獄絵図でもない。

 綾麿あやまろ麒麟きりん蒼妖鬼そうようきの姿も無い。


 蒼妖鬼そうようきささやきの代わりにと、障子に映る春の木影から小鳥のさえずりが聞こえてくる。


 壁には年代物の掛け軸。

 豪華な墨絵の障子。

 畳の”い草“の香り。

 そしてふかふかの布団。

 

 それは程よく十分な広さとおもむきを持った客間だった。

 その部屋の中央の布団の中に今、鎌足かまたりは寝巻で横になって上半身を起こしていた。


 軽く自身の身体にも視線を下ろしてみる。

 結んでいたはずの髪は解けて肩に掛かっているものの、汚れた泥や土の名残などは全く無く、櫛でかされて綺麗に整えられている。

 今織られたばかりのような純白の寝巻から覗く胸や腕にも、丁寧に何重にも包帯が巻かれていた。


(⋯⋯むむむむ。これは。⋯⋯地獄ではなさそうだな)


 麒麟きりんに削られ、綾麿あやまろに燃やされ凍らされ、そして蒼鬼紅鬼おにたちには鬼裂きの刑に処せられる。

 そんな身の毛もよだつ悪夢から解放された事を確信した鎌足かまたりは、腕で額の汗をぬぐいながら大きく息を吐いた。


「⋯⋯それにしても恐ろしくおぞましい夢だったなぁ」


鎌足かまたりさん、良かったあ。目が覚めて」


「⋯⋯え」


 すぐ近くから聞こえた、若い女性の優しい声。

 鎌足かまたりは慌てて声の方を振り向いた。


「⋯⋯あ」



 ⋯⋯声の主は、美桜みおだった。



 美桜みおは布団の傍で尻餅をついて体勢を崩しながら、鎌足かまたりに優しく微笑みかけてくれていた。


 鎌足かまたりは思い出す。

 先程飛び起きた時。

 助けを求めて伸ばした腕を、”何か“柔らかいものに当ててしまったことを⋯⋯。


 どうやらあの“何か”は、美桜みおだったらしい。


 ⋯⋯謝らないと。

 すぐにそう思う鎌足かまたりだったが、夢見心地でうわついた頭では、上手く謝罪の言葉が出てこない。

 心の半分はまだ地獄の石台の上にあった。


「⋯⋯ごめん、手を当てちゃって、い、痛くなかった? ⋯⋯で、あ、あ、あの⋯⋯美桜みお美桜みおだよね、本物の。地獄の⋯⋯お、鬼じゃなくて」


「⋯⋯? ⋯⋯うふふ。鎌足かまたりさんたら。大丈夫ですよ、気になさらないで。それにまだ寝ぼけているんですね、私ですよ、正真正銘、美桜みおです」


「⋯⋯美桜みお、本物の美桜みお? ⋯⋯かなあ?」


 鎌足かまたりは目を細めて、美桜みおをじっと見つめる。

 その目はまだ半信半疑だった。

 しかしそんな不審人物極まりない鎌足かまたりの受け答えに対しても、美桜みおは出会った時とまるで同じように、優しくにこにこと鎌足かまたりに微笑みかけてくれている。

 そんな美桜みおの笑顔はきらきらと輝いていて、鎌足かまたりには障子から差し込む陽の光よりもまぶしく爽やかに見えた。


(⋯⋯あ、間違いない、本物の美桜みおだ)


 鎌足かまたりの顔も正真正銘の安堵に包まれていく。

 外の木の枝の小鳥が驚いて逃げる程の大きな声で、鎌足かまたりは思わず叫んでいた。


「⋯⋯わぁぁ、美桜みおだぁ! 美桜みおが助けてくれたぁ! 美桜みおがあの毒の草婆くさばばあを吹き飛ばしてくれたぞぉ! ありがとうー!! 美桜みお!!」


 鎌足かまたりは思わず美桜みおに抱きついていた。


「⋯⋯わわ、ちょ、ちょっと、⋯⋯鎌足かまたりさん、地獄、草婆くさばばあ? って何ですか? ⋯⋯うふふ。余程悪い夢を見ていたんですね。かなりうなされていましたよ」


「そう! それ! まさに悪夢だよ。麒麟きりんに刻まれるわ、綾麿あやまろには燃やされて凍らされるわ、それで地獄に堕とされて⋯⋯、本当になんて奴等だ⋯⋯、ッ! ⋯⋯あ、麒麟きりん、⋯⋯そうだ! 麒麟あいつは? ⋯⋯えっと、確か」


 真剣な表情に戻った鎌足かまたり朧気おぼろげな記憶を辿る。

 断片的にぼんやりと浮かぶ、麒麟きりんとの戦いの情景。

 鎌足かまたりの中の記憶の欠片かけらが一つにまとまっていく。


「⋯⋯あ。⋯⋯そっか、私、負けたんだった。麒麟あいつに」


 思い出したくもない、無くしてしまい程の記憶。

 そんな現実に辿り着いてしまった鎌足かまたりが顔をしかめる。

 明るく弾けていた鎌足かまたりの表情は今、一転してどんよりと沈んでいた。

 歯を食いしばりながら、悔しさと怒りを滲ませる。


「くそっ、麒麟きりんめ。このままでは済まさせないぞ。⋯⋯この借りはいずれ近い内に必ず⋯⋯」


 鎌足かまたりの心は今、自分でも知らず知らずのうちに戦場へと舞い戻っていた。

 麒麟きりんへの憎悪、嫌悪、そして復讐心。

 まるで昨日の戦いの最中のような表情を見せていた。

 美桜みおはそんな鎌足かまたりの心情を察したのか。

 優しい慰めの言葉で鎌足かまたりの心に寄り添った。


「⋯⋯でも、私は鎌足かまたりさんが死罪にならずに、こうして無事で居てくれて何よりです」


「⋯⋯え?」


「死罪にならずに済む事になって、私、本当に心の底から安心したんですよ」


「⋯⋯っ!? 私は死罪じゃないの!?」


「⋯⋯? ⋯⋯あ、そっか、鎌足かまたりさん、最後の中将ちゅうじょう様の声が聞こえていなかったのね」


「⋯⋯え、でも私、負けたのに?」


「ううん、中将ちゅうじょう様の裁決は引き分け。だから当初の中将ちゅうじょう様の進言通り、十日の謹慎で済んだのよ」


「⋯⋯まさか、あの綾麿あやまろが!? 引き分け、って? 命を繋ぐことができたのはありがたいけど、でも⋯⋯何で?」


「ん⋯⋯、あ、それに中将ちゅうじょう様は私にこうも言ってましたよ。駆け寄った私が怪我をしないように私をかばって、鎌足かまたりさんはわざと勝たなかったんだ、って」


「⋯⋯え? ⋯⋯あの綾麿あやまろが本当にそんな事も?」


「はい。⋯⋯それに、私は鎌足かまたりさんが勝負を捨ててくれたからこそ助かったの。⋯⋯今こうして生きているのも鎌足かまたりさんのお陰。鎌足かまたりさんは私の⋯⋯いえ、御所の皆さん全員の命の恩人。本当にありがとう、鎌足かまたりさん」


「⋯⋯い、いやぁ、そんな。⋯⋯て、照れるなぁ。それ程でもぉ、ないけどぉ、⋯⋯はは、でも、またこれからも美桜みおとたくさん話が出来るんだよね。良かったぁ」


 鎌足かまたりの安堵の言葉に、美桜みおは心から嬉しそうな笑顔で何度も何度もうなずいてくれた。


「はい、私も一緒です。意味の無い戦いの勝ち負けや、罪が有るか無いかなんかよりも、鎌足かまたりさんが無事だったことが一番嬉しいんですから。⋯⋯うふふ」


「⋯⋯ありがとう、美桜みお。⋯⋯麒麟きりんに勝てなかったのはやっぱり悔しいけど、もう終わっちゃったことは今更どうしようもないからね。⋯⋯気持ちを切り替えるよ。“福助ふくすけ盆に返らず”、ってことざわもあるし」


「⋯⋯ことざわ? 福助ふくすけ⋯⋯? 何ですか、それ」


「そっか、美桜みおはずっと内裏だいりで生活しているから、世間を知らなくて当然かぁ。福助ふくすけ人形ってね、商売繁盛を願う陶器の置物があるんだけど、お盆に乗せていた福助ふくすけが下に落ちたらさ、割れちゃって二度とお盆には乗せられないでしょ。だから“一度起きたことは後悔しても元には戻せない”、って意味のことざわなんだ。⋯⋯えっへん」


「⋯⋯ふぅん(⋯⋯ことわざ福助ふくすけじゃなくて、覆水ふくすいじゃないかしら)⋯⋯うふふ、鎌足かまたりさんは物知りなんですね」


「⋯⋯はははは、あはははは。まぁそれ程でも。和歌うた俳諧はいかいの教養は無いけどね。急所きゅうしょ猫が噛む、とか、福助ふくすけとか、ことざわの知識にはちょっぴり自信があるんだ。昨日は刀では劣っちゃったけど、ことざわの知識では、きっと麒麟きりんの遥か上をいっていると思うよ」


「⋯⋯うふふ、ですね」


「⋯⋯にひひ」


 歳も近い二人、鎌足かまたり美桜みお

 短い会話の中でも二人は既に心打ち解けあっていた。


 そのまましばらく笑い合っていた、その時。


 鎌足かまたりの胸や顔に痛みが走る。

 心の不安が落ち着いたことによって、身体が一時忘れていた傷の痛みを認識し始めていたのだ。


「⋯⋯痛たた、麒麟あいつにやられた傷が」


 胸の痛みは昨日の天舞てんまの刃の傷だった。

 そして左の視界がままならないことにも、鎌足かまたりはようやく気が付いた。

 左頬に手を当ててみる。

 鏡を見ているわけではない。

 しかし手で触れて分かるほどに左頬、特に目の周辺は酷く腫れ上がっているようだった。


「⋯⋯あ、そうか。最後、麒麟あいつにこれでもかってくらいに、ぶん殴られたんだった」


「⋯⋯あ、鎌足かまたりさん、横になっていてください。胸の傷は内裏だいり御抱おかかえの高名な侍医じい御方せんせいにもお見せしましたし、出来る限り治療はしました。顔もずっと氷水で冷やしていたので、当初よりは腫れは引いていると思います。侍医せんせいの話だと、しばらくは痛みやうずきはあるだろうけれど、十日もすれば腫れも傷も和らぐ、との事ですよ」


「⋯⋯あ、この胸の包帯、お医者さんにも診せてくれてたんだね。至れり尽くせり、ありがとう、美桜みお。⋯⋯でも十日かあ。これは謹慎期間はそのまま治療と回復期間になりそうだなぁ。⋯⋯左の視界や傷がこんなだから、さっきの夢は左側が酷かったのかも。鬼裂きが出てきたのも、麒麟あいつが牛裂きの刑をちらつかせていた影響せいだ」


 溜め息をついた鎌足かまたりは改めて思った。

 麒麟きりんとは絶対に分かり合えない、と。



 それからも二人の会話は弾み、鎌足かまたりは自分がどれだけ長い間悪夢にうなされていたのかを知った。


 今は翌日の昼を回っていた。


 鎌足かまたりが倒れてから、既に丸一日近くが経っていることになる。

 美桜みおはその間寝る間も惜しんで、ずっと鎌足の看病をしてくれていたらしい。


 土や泥の汚れを洗い流して、光沢が見えるまで綺麗に拭いてくれた鬼切丸おにきりまる鎖鎌くさりがま

 そしてほつれや傷穴まで直してくれている上に、整然とたたんでくれている忍装束。

 愛用の髪留めを含め、そのどれもが鎌足かまたりの寝床の横に丁寧に置かれていた。

 鬼が相手では使う機会も無く、ずっと懐に忍ばせていた手裏剣数枚までも、全てが綺麗に磨かれ重ねてある。

 美桜みおの優しさと几帳面な性格が垣間見えた。


 その中でも特に忍装束の匂いは格別だった。

 優しい香りがふんわりと鼻を包む。


(⋯⋯良い匂い。きっと洗濯したてなんだろうな)


 初めての京都遠征。

 公家たちから邪険にされ、大切な仲間たちを失い、孤独を感じずにはいられなかった今の鎌足かまたりにとって、屈託の無い笑顔を浮かべて優しさの欠片(かけら)を振り撒いてくれる美桜みおは、何年も一緒に過ごしてきたような、そんなかけがえのない大切な存在に思えてならなかった。


 もっと美桜みおを知りたい、仲良くなりたい。

 鎌足かまたりはそう思っていた。

 しかし次の言葉を口にするのを、鎌足かまたり躊躇ためらった。

 もしかしたらこの今の心地良い関係を、崩してしまうことになるかもしれない。

 それが少し怖かったからだった。

 

 美桜みおはそんな鎌足かまたりの心をつゆとも知らない。

 手裏剣の一枚を手に取り、裏を返したり表に戻したり、興味深そうに眺めている。

 鎌足かまたりは布団の端を握りしめた。

 そして唇を軽く噛みしめると、意を決して美桜みおに話かけた。


 鎌足かまたりが言葉を躊躇ちゅうちょした理由。

 それは昨日、薄れ行く意識の中で最後に耳にした、美桜みお綾麿あやまろとの会話。

 友達関係が主従関係に変わるかもしれない。

 あの言葉を思い出していたからだった。



「⋯⋯あのさ。美桜みおって、“姫”って呼ばれていたよね」


「あ⋯⋯、それ、聞こえてましたか、⋯⋯あはは」


 美桜みおは少し困ったような笑顔を見せた。


「⋯⋯そうです。私は帝の娘です」


「⋯⋯やっぱり。⋯⋯わぁ、全然気が付かなかったなあ。⋯⋯あはは、⋯⋯っ、申し訳御座いませんでした、数々の御無礼、大変に失礼致しました。どうか私めをお許しください。これからは美桜姫みおひめ様とお呼び致します」


 鎌足かまたりは寝巻を整え、座し直す。

 そして深々と美桜みおに頭を下げた。

 しかしそんなかしこまる鎌足かまたりに、美桜みおは先程までと何も変わらない笑顔で、優しく言葉を続けてくれた。


「ちょ、ちょっと鎌足かまたりさん、頭を上げてください。今までと変わらず美桜みおって呼んでください。話し方も接し方も今までと同じがいいです。その方が私は嬉しいです」


 まさかの言葉だった。

 鎌足かまたりは驚きと嬉しさが入り交じった上目遣いで、美桜みおを顔を見つめた。


「⋯⋯え。⋯⋯本当に今までのままでいいの?」


勿論もちろん。だって私と鎌足かまたりさんはお友達ですもの。お友達なんだから、かしこまったりする必要はないでしょう?」


「⋯⋯う、うん、そう、だね。じゃあ⋯⋯御言葉に甘えて、⋯⋯み、み、み、み、みお?」


「はい、鎌足かまたりさん」


「⋯⋯みお?」


「はい、鎌足かまたりさん」


「⋯⋯美桜みおぉ?」


「はい、鎌足かまたりさん」


「⋯⋯えへへ、やっぱりこっちの方が、呼びやすいや」


「⋯⋯うふふ。はい、美桜みおでお願いします」


「⋯⋯あ、でもね、主従の呼び方じゃないけど、これだけは約束するよ! 美桜みおを襲ったり泣かそうとするような悪い奴は絶対に許さないから! 姫は私が守るから! これだけは覚えておいてね」


「わぁぁ。鎌足かまたりさんが私を守ってくれるなんて、こんな頼もしいことはないわ。ありがとう、鎌足かまたりさん」


「⋯⋯に、にひひひ。大船どろぶねに乗った気分で、私に任せておいて! ⋯⋯あっ! そうだ、あとさ、念のためもう一つだけ聞いてみるけど、⋯⋯と言うことはさくちゃんも、もしかして⋯⋯?」


「ええ。私の弟でもあり、帝の後継者でもあります」


「⋯⋯わわわわ。じゃあ私、凄い二人と知り合いになってたんだなあぁぁぁ」


 驚きで仰け反りながら、鎌足かまたりが目を丸くする。


「そうですよ、鎌足さん、⋯⋯うふふ」


「それにしても一昨日おとついの鬼の襲撃。美桜みおさくちゃ⋯⋯いや、さく様も、無事で本当に良かったよ、負傷者には小さな子は居ない、って聞いてたし、大丈夫かなとは思ってたんだけど。かなり心配だったんだ」


「呼び名、さくちゃん、でいいですよ、あの子も私と同じで、そう呼ばれたほうがきっと喜びますから。私たち二人は夜は別邸の方に移っているので無事だったんですけど⋯⋯。御所の惨状には本当に胸が締め付けられます」


「⋯⋯で、そのさくちゃんは? 今日は?」


「今日はあの子は紫宸殿ししんでんに呼ばれています。鬼の襲撃で中納言様や少納言様が亡くなってしまったらしく⋯⋯。それに今日は帝は別に大事な用があって欠席なんです。後継者だし男の子だから、新たな人事の発表と挨拶の儀礼に、帝の代わりに出席しなくてはいけないみたいで、その準備に。⋯⋯うふふ、堅苦しいのが苦手な子なので、退屈せずに最後まで持つかしら」


「⋯⋯あ、儀式、私も苦手だよ。私なんて最初の謁見えっけんの時、この鬼切丸おにきりまるをぶん投げたんだから」


「⋯⋯え、そうだったんですか? 初耳です。⋯⋯ふふふ、でもそれは流石にやりすぎですよ、鎌足かまたりさん。⋯⋯さくちゃんが真似をするので、あの子には絶対に言わないでくださいね、うふふふ」



(今日の美桜みお、何だかいつにも増して本当に楽しそうだな。⋯⋯ん、私の目覚めとは別に何か良い事でもあったのかな⋯⋯、⋯⋯あ)



 鎌足かまたりはあることに気が付いた。


「あれっ⋯⋯? でも確か、新たな人事を決めたりするのは昨日じゃなかったっけ? 紫宸殿ししんでん兼季かねすえ様が一番最初の挨拶でそう言っていたような?」


「⋯⋯あ、それなんですが、その⋯⋯鎌足かまたりさんと少将しょうしょう様のいさかいの件があったので、人事の全ては今日のひつじの刻に延期になったんです」


「⋯⋯ふぅん、そうなんだ。⋯⋯何か色々な人に迷惑をかけたり悪い事したなぁ。⋯⋯でも今日の人事、新しい中納言様や少納言様が少しでも話やすい人だといいなあ。御所ここの公家さんたちは皆、話がしづらくてさ」


「本当に⋯⋯。私もそう思います。位の高い方々は地位や名誉にこだわり、自分より身分の低い者を見下してばかり⋯⋯。私が今の御所に務めておられる方々の中で、心から信を置いている御方は大将たいしょう様と中将ちゅうじょう様だけ⋯⋯」 


「え! 大将たいしょう兼季かねすえ様は分かるけど、あの綾麿あやまろを!?」


「いえ、綾麿様あのかたは本当に素晴らしい御方よ。確かに寡黙ですし、何をお考えになっているか分からない時もあります。ですがあの御方の日々の尽力じんりょくのお陰で今の私たちがあるんです。その意味に於いては、鎌足かまたりさんと同じく、私にとっては命の恩人とも思える御方なんです」


「⋯⋯あの、綾麿あやまろがぁぁ??」


「⋯⋯鎌足かまたりさんとの経緯いきさつは私は知りませんが⋯⋯、日本ひのもとを想う御心の強さが信頼できるからこそ、父も大事にしていた村雨むらさめ中将ちゅうじょう様に授けたんだと思います」


「⋯⋯村雨むらさめかぁ、⋯⋯ふぅん」


「⋯⋯うふふ。それに鎌足かまたりさんも”綾麿あやまろ“と、中将ちゅうじょう様を呼び捨てにしているじゃないですか? それは仲が良い証拠なんですよ? 私を“姫”と呼ばないみたいに」


「⋯⋯え、⋯⋯あ? ⋯⋯ちょ、違う、違う! それは綾麿あやまろから、⋯⋯その、⋯⋯呼び捨てで、良い⋯⋯って、言われたから⋯⋯、そう呼んでるだけでぇ⋯⋯」


「この御所で御本人の公認有りで綾麿あやまろ呼びしているのは鎌足かまたりさんだけですよ? 他の女官にょかんの皆さんが聞いたら絶対に嫉妬しっとすると思うので、注意してくださいね、ふふ」


「え⋯⋯?」


 鎌足かまたりの脳裏に浮かんだのは、一昨日の正門前の情景。

 我先にと鼻息荒く、綾麿あやまろに話かけていた、手強そうな女官にょかんたちの姿だった。


(⋯⋯⋯⋯。みんな、怖そうだな。気をつけよう)



「でも鎌足かまたりさん? その御二人以外に、信頼できる人がもう一人増えそうなんですよ、うふふ」


 美桜みおは袖を口に当てて、嬉しそうに笑った。

 心無しか少し顔を赤面させているように見える。


「え? 三人目が? 誰? まさか麒麟きりんじゃないよね!?」


「⋯⋯んー、あの少将しょうしょう様、麒麟きりんさんは私も苦手で。あまり会う機会は無いのですが、たまにお会いすると、毎回鋭い視線を感じるんです。にこにこ笑ってくれてはいるんですが、目だけは異様に真剣で、顔も何処どこか引きつっていて、真っ赤で。たぶん私が何か怒らせることをしてしまったんです。だから私のことが大嫌いなんだと思います。⋯⋯それに、大切な鎌足かまたりさんを、女の人を、一方的に殴るような殿方は信頼できませんから⋯⋯」


「何だ、麒麟きりんの奴、帝の娘の美桜みおにまで、そんな攻撃的で反抗的な態度を見せてるのか! 江戸から来た私になら分かるけどさ、こんな優しくて可愛い美桜みおの何が気に入らないって言うのさ。やっぱり許せないな⋯⋯、⋯⋯ん、なら、三人目ってのは誰? 誰?」


 鎌足かまたりは興味深そうに美桜みおの顔をのぞき込んだ。


「⋯⋯えっと、今日の紫宸殿ししんでんで正式に決まる新しい中納言の御役おやくに、私の知っている御方が御就任ごしゅうにんされるそうで⋯⋯、その御方の事も私は心から信頼していまして」


 美桜みおは更に頬をあかくしている。

 嬉しさと恥ずかしさが入り交じったように、もじもじとしていた。


「あの⋯⋯、実は二年前、私の誕生日の祝いの宴席に野犬の群れが入り込んで⋯⋯、その時たまたま参列されていたその御方が、襲われそうになった帝と私を助けてくださったんです。その時のその御方の凛々しい御姿に、私は今も感謝の気持ちでいっぱいで⋯⋯」


「⋯⋯へへぇ。その人も美桜みおの命の恩人なんだね」


「⋯⋯その御方は普段は御所とは別な場所で、この京都のために日々務めておられるので、今まであまり御所にはお見えにならず⋯⋯、就任これを縁に会える機会が、もっともっと増えればいいなあ、なんて。⋯⋯は、ははは」


 美桜みおの照れ笑いに、鎌足かまたりひらめいた。


(なるほど⋯⋯、だから機嫌がいいんだ)


 そしてにんまりと笑いながら、美桜みおに問いかけた。


「⋯⋯ふぅん? ⋯⋯にひひ。美桜みおはその方のことが好きなんだねぇ。どんな人なのかなあ?」


 ”好き“、その言葉を聞いた途端、薄紅色だった美桜みおの顔は動揺で真っ赤になっていた。


「え⋯⋯? ⋯⋯わわわ、違います。憧れというか、尊敬というか⋯⋯。その御方は家柄も良く、文官の役職や寮の長官としての知識教養の深さは勿論もちろんのこと、剣の腕までも本当に凄いんですよ」


「⋯⋯へえぇ。ただ頭がいいだけじゃないんだ? 文官の出なのに剣の腕も? そんな凄い人がいるんだ?」


「はい、野犬の群れを撃退した時の幻想的な剣捌けんさばきも素晴らしかったのですが、刃を持たせてもお強いのに、敢えて知識という平和の武器を選んで、京を陰で支える謙虚で誠実な御姿にも更に感動して⋯⋯、⋯⋯そうそう、私、その御方の和歌わかまで詠んだんですよ?」


「⋯⋯わか?」


「帝の娘が詠んだ和歌わかだから、きっと皆さんも面白がったんでしょうね。あと私を立ててくれたのか、その歌が今は市中でもよくうたわれて広まっているみたいで⋯⋯、嬉しいやら恥ずかしいやらで」


「⋯⋯わか?? かぁ。⋯⋯ん、私はことざわ以外のそっちの才能や知識は全然ないんだけど⋯⋯、美桜みおが創った“わか”?なら、凄く気になるなあ。⋯⋯どんな”わか“?」


「え⋯⋯?⋯⋯っと⋯⋯ちょっと恥ずかしいけど⋯⋯、こんな和歌わか




  君がため 高天原たかまがはらの いんよう

       思ひつのりて はな咲き誇る━━━



(大切な帝と貴女のため、そして天照大神あまてらすおおみかみが住む天上界のため、陽が照る時も陽が沈み陰る時も、鷹のように凛々しく天高く空を飛び見守ってくれてるのでしょう。そんな貴方に対して、春の桜の花が美しく咲き誇るように、恋しい想いは募っていくばかりです)━━━━」




 美桜みお和歌わかを伝える間、鎌足は口をぽかんと開けて、目が点になっていた。


鎌足かまたりさん、意味分かったかな? その御方の名前の”たか“という文字を、”高天原たかまがはら“に掛けているんだけど⋯⋯、あはは、ちょっと難しいか。下手な和歌わかでごめんね」


「うーんなるほどぉ? ちなみにその人の名前って?」


鷹乃宮たかのみや様。⋯⋯鷹乃宮たかのみや 陰陽頭おんみょうのかみ霧人きりひと様って言うの」


「⋯⋯たかのみや、おんみょうのかみ、きりひと?」


「はい。と〜っても、格好良くて素敵な御方ですよ」


「ふうん、でも、思いが募るとか、美桜みおがその鷹乃宮たかのみやって人にあてた恋の手紙だって事は分かったよ、にひひ」


「⋯⋯え? ⋯⋯⋯⋯ひゃああああぁぁぁぁ⋯⋯⋯⋯」


 鎌足の“にひひ顔”に、美桜みおの頬は更に火照り、今日一番に赤くなっていく。

 あまりにも恥ずかしかったのか。

 誤魔化しのために、美桜みお鎌足かまたりの胸を軽く何度も何度もぽかぽかと叩き始めた。


「⋯⋯もうっ! 鎌足かまたりさんたら! 知らないっ!」


「あいたたたたた、痛い、痛い! 胸! 胸! きず、きず、傷っ! ⋯⋯美桜みお、ごめん、ごめんッ! やめてぇ」


「⋯⋯あ、⋯⋯ご、ごめんなさい。ついうっかり⋯⋯」


「⋯⋯いたたた、あぁ、効いたなぁ。麒麟きりんの技よりも効いたよぉぉ⋯⋯」


「⋯⋯まぁ、⋯⋯うふふ。鎌足かまたりさんたら」



 そして最後は二人で顔を見合わせ、大笑いした。



「ああ⋯⋯、それにしてもそれなら尚更に今日の紫宸殿ししんでんに出てみたかったなあ、正装した凛々しいさくちゃんも居るし、美桜みおのかっこいい想い人もいるし、⋯⋯あ、でもそういえば、美桜みおの父上、帝の御顔もまだ拝見できてないや。綾麿あやまろは寝所の御簾みすすらも開くな、なんて言っていたけど⋯⋯、結局は近づく機会すらも無かったよ」


 それは鎌足かまたりがふと漏らした、何気ない呟きだった。

 美桜みおがびくっと身体を震わせる。


「⋯⋯か、鎌足さん!」


「わっ! ごめん、想い人⋯⋯なんて言っちゃって」


「⋯⋯違います、鎌足さん。⋯⋯帝の、父の事を聞いていないんですか? ⋯⋯何も知らないんですか?」


 鎌足かまたりが帝の話を切り出した瞬間。

 美桜みおは今までの笑顔から一転していた。

 その表情、声は真剣そのものだった。

 そんな美桜みおの意外な変化に、鎌足かまたりは戸惑いながら言葉を返した。


「⋯⋯え? いや、全然⋯⋯、何一つも」


 きょとんとしている鎌足かまたりを見つめながら、美桜みおは少しの間考え込んでいた。

 そして神妙な面持ちで向かい直ると、急に声を小さくして鎌足かまたりささやきかけた。


「⋯⋯鎌足さん、どうか此処ここだけの話にしておいてくださいね? ⋯⋯実は」



 ⋯⋯その時。



 鎌足かまたり美桜みおの秘密の会話を、まるで意図的にさえぎるかのように、部屋の外で人影が揺らめいた。



 そして聞き慣れた声が障子越しに響いた。



「⋯⋯美桜みお姫、もう宜しいでしょう」



「⋯⋯!?」

「⋯⋯わっ」



「その者は怪我人。謹慎期間は既に始まっているゆえ、ゆっくり休ませなくては。⋯⋯さあ、着替えの間にお越しください、今から開かれる紫宸殿ししんでんの会合。美桜みおひめも来てほしいと、櫻皇子さくらのみこが申しておりますゆえ⋯⋯」



 そして、部屋の戸がゆっくりと開いていく。



「⋯⋯ッ、⋯⋯あ、⋯⋯綾麿あやまろっ!」



 鎌足かまたり美桜みおの前に姿を見せたのは、昨日と同じ儀礼の束帯そくたいに身を包んだ、不知火中将しらぬいちゅうじょう綾麿あやまろだった━━━━。




第84話も最後までお読み頂きありがとうございました。

陰陽は「おんよう」と読むのが正式らしいですが、世間一般の浸透度から「おんみょう」として読んでいます。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回第85話「霧人〜前編〜」は、7月30日〜31日頃の投稿予定です。次回もどうぞよろしくお願い致します。

※7/31追記

次回は8月1日の投稿になります。(^_^;)


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)


【その他】

↓フォロワー様に創作して頂いたオリジナルEDです!

ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg

ED②https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT

こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪

どちらもお気に入りです!ありがとうございます!

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