第80話 来訪者
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼と紅鬼の御所侵攻を退ける。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。御所警備の責任を問われ、罪の有無や生死を賭けて麒麟と戦うことになる。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。白鞘の模造刀を手にする少年公家。天舞と呼ばれる剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。性格は執念深く自己中心的。人によって態度ががらりと変わる。些細な出来事から生じていた鎌足との確執は根深く、地位と命を賭けて鎌足と戦うことになる。
━━━━どちらが有罪か、どちらが無罪か。
そして死するはどちらか。
自身の生き死にをも賭けた、鎌足と麒麟の三度目の決戦が始まった頃。
この戦いの噂や騒ぎを聞きつけ、周辺に集まってきた公家や下級官吏の数は、既に二百を優に超えていた。
人波は庭園や能舞台では収まらず、能舞台に通じる長い廊下にも到達し、更にその先にも続いていた。
両横を向いても正面を向いても、鮨詰めの人集り。
人また人で覆い尽くされた黒山にようやく終わりが見えたのは、能舞台から相当に離れた離れの廊下だった。
戦う二人の姿などまるで何も見えない。
そんな場所にまで野次馬の群れは溢れかえっていた。
この野次馬たちによる混雑を監視するため、まるで京の大通りでの縁日のように、臨時の警備兵までが何人も駆り出されている。
⋯⋯これ以上人が押し寄せては危険だ。
警備兵たちは皆そんな警戒の念を顔に浮かべながら、人混みに目を光らせている。
そして大声で散会と注意を促していた。
「⋯⋯皆々様、御仕事に戻られてください! 血なまぐさい戦いですぞ。見てはなりません! 大将様からもお達しが出ています! どうか謹んでください!」
そんな野次馬たちの最後尾に今、場所取り競走に大きく出遅れてしまったと思われる少女が一人、姿を見せていた。
きらびやかな桜の髪飾り。
そして桜色の着物。
どちらもが麗しく似合っているその可愛らしい少女は、整理に勤しむ警備兵の姿を見つけると、その背中に向かっておずおずと話かけた。
「⋯⋯あの」
「あーん?」
あまりもの混雑、そして呼べど叫べど一向に退かない野次馬たち。
その整理の任務に苛立ちも募っていたのか、警備兵は不機嫌そうにその声の主を振り返った。
「⋯⋯見ての通り、見えるのは人の背中だけの大混雑。今から来ても、残念ながら何も見れませ⋯⋯、あっ」
警備兵の不機嫌な声が突然、驚きの声に変わる。
目の前には、もじもじと佇む少女。
そんな声の主を見て、警備兵は目を丸くしながら何故か姿勢を正した。
そして警備兵の方もおずおずと少女に聞き返した。
「⋯⋯な、な、何でしょう?」
「実は⋯⋯、鎌足さんが、能舞台の前で少将様と戦っているという、女官の方々の話を耳にしました。⋯⋯本当ですか? 勝った方が罪が許されて、負けた方がその場で殺されてしまう⋯⋯。そんな馬鹿げた見世物みたいな事が今、この内裏で行われているんですか?」
警備兵は畏まった神妙な面持ちで、少女の問いかけに答えた。
「⋯⋯は、はい、仰る通りです。今まさに戦いの真っ只中です」
「なら、すぐに私を通してください。鎌足さんは私の大切なお友達なんです。お願いします」
「⋯⋯ですが。『血を見る危険な戦いになる故に、誰であろうが極力人は通すな』、そう大将様や中将様からきつく言われていまして⋯⋯。申し訳ありません。貴女様と言えども⋯⋯いや、貴女様だから尚更です。それだけは御勘弁を。⋯⋯ささ、どうぞお引き取りください」
「そんな! 鎌足さんを死なせるわけにはいきません! 私を通してください」
「いえ、お通しするわけにはいきません」
「通して」
「できません」
「通しなさい」
「駄目です、お通しできません」
「⋯⋯ッ、⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯さあ、お引き取りください」
少女はなかなか引き下がらない。
頑な少女を前にしても、警備兵は一歩も退かない。
両手を広げて行く手を固く遮っていた。
この少女を此処から先、一歩たりとて通さない。
警備兵の表情にはそんな断固たる決意が滲んでいた。
そんな警戒を強める警備兵を前にして、少女は徐に項垂れていく。
そして暫く下を向いたまま黙り込むと、ゆっくりと後ろを振り返り、警備兵に背を向けた。
(⋯⋯やれやれ、やっと諦めてくれた)
来た廊下を戻ろうとする少女の姿に、警備兵はほっと胸を撫で下ろしていた。
しかし少女は警備兵のその隙を狙っていた。
「⋯⋯私、⋯⋯絶対に鎌足さんに会うんです!」
少女は警備兵の一瞬の隙を突いた。
「⋯⋯あっ! ちょ、ちょっと!」
少女は警備兵の広げていた両手の下を掻い潜り、近くにいた野次馬の公家たちの脇を走り抜ける。
そして通路の先、人混みの中へ割って入っていった。
「⋯⋯ま、待ってください! ⋯⋯おいっ! 誰か! あの御方を、止めろ⋯⋯、いや、お止めくださいッ!」
まだ十代半ばと思われる少女は、この場に集まる誰よりも小柄だった。
ごった返す野次馬の公家や官吏たちも、目的の前方へと意識が集中するあまり、背後から横を擦り抜けていく小柄な影には気付かない。
少女は人と人の僅かな間を縫うようにして少しずつ少しずつ、最前の場へ。
鎌足が戦う能舞台へと近づいていった。
「⋯⋯ちょっとぉ! 押さないでよ!」
「⋯⋯お、何だ何だ!? 誰だ!? 割り込んでくるのは!」
「⋯⋯何だ、この餓鬼ッ⋯⋯! ⋯⋯!? あ、貴女は!」
「⋯⋯すいません、通して⋯⋯! 通してください!」
少女は人混みに揉まれ、呼吸は乱れ、額には大粒の汗を滲ませている。
少女の顔は真剣そのものだった。
どうしても行かなくてはならない。
どうしても止めなければならない。
そんな熱い想いが、普段は絶対にしないような積極的な行動へと少女を駆り立てていた。
「⋯⋯はぁ、はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯鎌足さん⋯⋯、鎌足さんを絶対に助けなくては! ⋯⋯はぁ、はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯どうか⋯⋯どうか間に合って⋯⋯」━━━━。
━━━━そんな人集りの壁を抜けた先。
能舞台前の戦いの場の最前列ではその時、白塗り顔の公家たちや観衆からは、大きなどよめきが起きていた。
恐るべき強さを誇る麒麟を相手にしての、鎌足の予想外とも言える善戦。
そして伊賀の鎖刃の凄まじい秘技の数々を前にして、下級官吏や女官の反応は明らかに違いを見せていた。
(鎌足って方、女子なのにかなり強いぞ! あの鎖の技なら、もしかしたら少将様に勝てるかもしれへん)
(いつも得意顔で自信たっぷりの少将様の負ける所を見れるかもしれんへんぞ! もしそうなれば最高や!)
(鎌足様は罰を免れて、殺されずに済みますように! ⋯⋯! 気張るんや! 江戸の鎌足殿!)
観衆の中から自然に漏れ聞こえ始める、鎌足を応援し称賛する声。
決して内裏の建前ではない。
そんな人々の”本心“は、綾麿の背中や耳にも届いていた。
(⋯⋯麒麟の人徳の無さも拍車を掛けている、か。⋯⋯鬼を地獄に封じ、来たるべきこれからの日本を守護する、“新たな”『六歌戦』。その候補たる一人として、不徳が麒麟という強者の致命的な欠点、か)
そして村雨を握る掌を強め、遠い記憶を辿るような目で呟いた。
(麒麟、やはり御主に改心は⋯⋯、正しき人の心音を求めることは無理なのか⋯⋯)⋯⋯
⋯⋯その綾麿の視線の先。
麒麟と鎌足は次の激突に向けて、睨み合っていた。
鎌足の鎖の先端が、届くか否か。
麒麟の天舞の刃、その切っ先が届くか否か。
現在は“鎖鎌の間合い”だった。
鎖の射程距離の長さは、鎌足有利と言えた。
しかし麒麟の踏み込みの素早さも、市井の達人の遥かに上をいっている。
互いの得意の技、心理心情、そして油断、隙。
戦況は何か一つでがらりと様変わりする。
そんな一進一退、緊迫の間合いだった。
両者共に足の指先一本、また一本。
じりじりと互いの距離を縮めていく。
鎌足の目に麒麟の背後の観衆が映る。
観衆の歓声は更に大きなものとなっていた。
鎌足を応援してくれる、たくさんの声。
それは鎌足の耳にもはっきりと聞こえていた。
(⋯⋯みんな。ありがとう。⋯⋯力が湧くよッ! ⋯⋯必ず勝たなきゃ。そして麒麟の非道を裁き、御所の平和を守ってやる!)
観衆の声は当然に麒麟にも届いていた。
勇気に満ち溢れる鎌足とは対照的に、麒麟は明らかに不満顔だった。
(⋯⋯はッ? 御前等⋯⋯! 俺を応援すべき所だろうがよ! 賞賛すべき下々の立場だろうがよ! ⋯⋯へっ、まあいい。声は全部覚えたからな。⋯⋯後で全員必ず問い詰めてやる。⋯⋯俺を応援しない奴も全員死罪だ。全員纏めてぐちゃぐちゃにしてやる!)
麒麟が背後の観衆にまで殺意を放っていた、この時。
麒麟には悟られないよう、鎌足は後ろ手で鎖分銅の先に鬼切丸を絡めていた。
それは残された一手。
勝利の鍵を握る鎖刃の布石。
(⋯⋯まだ節々が⋯⋯昨日までに身体に受けたどの傷も痛む。麒麟も怪我をしているけれど、長期戦になると、間違いなく私の方が不利だ。⋯⋯次の連続波状攻撃で、必ず勝負を決めないと!)
鎌足は麒麟との間合いを徐々に詰めながら、次の必殺の攻撃体制への準備を着実に整えていった。
対する麒麟の方はどこまでも余裕だった。
鎌足がどんな策を講じ、どんな攻めをしてこようが、まるで興味は無い。
ただひたすらに天舞の技を駆使し、目の前の憎い相手を叩き潰す。
ただそれだけだった。
(⋯⋯俺の前に立ちはだかる者は、それが誰であろうと斬る! ⋯⋯叩き潰して、前へと先へと、頂に向かって進むだけだ! 少将から中将、中将から大将、そして果ては大臣や関白、帝にまで上り詰めるんだ! ⋯⋯こんなくだらない戦いで止まってなんかいられるか!)
麒麟の表情に邪念が浮かぶ。
その邪念な瞳に刺激を受けたのか、鎌足の勝ち気と正義感が熱い言葉に変わる。
「正義は勝つ! 悪なんかには絶対に負けない!!」
鎌足が狙うのは、鬼切丸を先端の鎖分銅に絡めた、伊賀流鎖鎌術、⋯⋯壱ノ鎖刃、”天渡り“。
昨日の綾麿との激突に於いて、初見だったにも関わらず全く通用しなかった奇策とも言える技。
しかしそれでも鎌足は、この奇策に命を賭けることに絶対の自信があった。
(麒麟にお見舞いするのは、綾麿に見舞った“天渡り”を更に変形させた型! これならば今の麒麟には通じる! ⋯⋯麒麟ならどう動くか、“思考“を読んで、必ず仕留めるんだ!)
鎌足の鎖の間合いに、麒麟が近づく。
二人の戦いの決着。
その瞬間がもう間近に迫っていることを確信した綾麿が呟く。
(⋯⋯次に全てを賭けるか、鎌足)
⋯⋯その時。
天が綾麿や鎌足の心の声に呼応した。
唐突に稲光が走った━━━━。
━━━━“決着”の時が来た⋯⋯。
⋯⋯足の指一本。
閃光が煌めく中。
麒麟が鎌足の鎖の間合いへと足を踏み入れた。
「⋯⋯いくぞ! 麒麟!」
鎌足が先手を取る。
「伊賀流鎖鎌術、十三ノ鎖刃、砂霞!」
鎌足は足元の玉砂利を鎖で打ち払い、白い砂塵を巻き上げた。
再びの目眩ましだった。
しかし今、目眩ましで隠すのは鎌足自身ではない。
鎖の先端の鬼切丸だった。
麒麟の視界が白い靄に覆われる。
(まずは敢えてさっきと同じ状況にする! また性懲りもなく同じ手だ、馬鹿な奴だと麒麟に思い込ませる!)
鎌足の第一の仕掛け、読み。
その意図に麒麟はまだ気付かない。
「あっはははは! 性懲りもなくまた同じ手かぁ!」
鎌足の動き、鎖の間合い、軌道。
そして鎌鼬の届く範囲。
全てを読み切っている。
どんな技が来ようが、避けることなど雑作も無い。
しかし、ただ簡単に避けただけでは面白くはない。
鎌足に最大の屈辱と絶望感を与えるためには、どうすれば良いか。
(⋯⋯わああぁぁん、こんな攻撃、避けられない、殺られちゃうぅ⋯⋯なーんて、淡い勝利の希望を一瞬だけ味合わせてから、既の所を避けて大笑いしてやるぜ。⋯⋯そして鎖が完全に伸び切った所を、天舞の技で斬り刻んでやる! せいぜい糠喜びするんだな!)
砂の霞の中。
鎌足の鎖が自在に空を舞う。
鎌足の次の動きを音で知り、霞む視界に鎖の流影を捉えた麒麟が、にやりとほくそ笑んだ。
(⋯⋯まるで動きが同じ。馬鹿の一つ覚えだなぁ!)
「⋯⋯砂霞からの! ⋯⋯壱ノ鎖刃、天渡り!」
麒麟の心の声に呼応するように、第二の仕掛けが霞の中で蠢いた。
鎌足の操る鎖と分銅が宙で大きく弧を描く。
鎖分銅は再び、怪我で視界が限られている麒麟の左側頭部を狙っていた。
更に鎌足が動く。
念には念を入れた、次の動き。
勝利への確実性を増す、第三の仕掛けへと移行する。
鎌足は敢えて不必要な一歩を踏み出した。
麒麟の天舞の技が届く間合いへと、意図的に身を沈める。
それは本来ならば決して入らない、危険な間合い。
その目的は、”肉を切らせて骨を断つ“。
自身を犠牲にした偽装工作だった。
麒麟の目や意識を鎖から逸らし、先端に付けた鬼切丸の存在を見破られるのを防ぐため。
そしてもう一つ。
自身の身体を麒麟の格好の“餌”とすることで、敢えて天舞の技を繰り出させるため。
(こんな目の前に、これ見よがしに無防備な身体が在ったら、麒麟なら必ず引っ掛かる! 何をおいても真っ先に、刀は私を斬り刻むために使う!)
天舞の技を繰り出すならば、襲いかかる鎖を“刀で弾く”という選択肢は無い。
ならば鎖分銅と鬼切丸への対処は、ただ一つ。
⋯⋯”避ける“しかない。
鎌足は麒麟が、鎖と鬼切丸による攻撃を“避ける”ことを望んでいた。
麒麟の心を読み、自在に操る。
無謀で危険すぎる一歩は、そんな自身の身体をも囮にした、鎌足の決死と必生の一歩だった。
(⋯⋯天舞の技は受けるかもしれない。⋯⋯が、この間合いならまだ飛び退き、致命傷は避ける事はできる!)
(⋯⋯ははははは、鎌足め! 油断したな! 勢い余って俺の間合いに入ったな!」
第二、第三の仕掛けに秘めた鎌足の意図。
そしてこの先に待つ最後の仕掛けの牙に、麒麟はまだ何も気付かない。
気付く気配すら無かった。
麒麟が模造刀を持つ右の手首に力を込める。
鎌足の鎌鼬による傷口が開く。
鮮血が再び、飛び散った。
掌に纏わりつく血は、まるで新たな命の芽吹きのようだった。
鈍い光を放っていた掌の中の模造の刃は、一瞬にしてまるで真剣のような煌めきを見せ始める。
麒麟を囲む赤い血と、白い霧。
そんな市松模様の砂霞の薄壁に紛れながら、鎖分銅は更に急角度に弧を描いていた。
その先端が密かに光る。
麒麟に気取られないように、鎌足もまた手元を巧みに回転させた。
その動きに連動して、鎖分銅が急角度で旋回する。
そして一時の相棒となった鬼切丸と共に、麒麟の背後の宙高くに回り込んだ。
(⋯⋯よしッ! ⋯⋯ここまでは想定通りだ!)
鎌足が一気に鎖を引く。
気配を消した鬼切丸。
その刃先の下ではこの時、麒麟の右腕は遂に”あの“撓りを見せようとしていた。
鎌足の放つ音を、麒麟は完全に制していた。
鎖がどれ程まで伸びたか。
その鎖の”張り“の“音”を確実に捉えていた。
「⋯⋯鎖は伸び切った! これまでだ、⋯⋯いくぜ! 天舞麒麟剣⋯⋯、秘剣、柘榴ぉぉ!!!!」
麒麟の腕の靭やかで邪悪な撓りが、囮となった無防備に近い鎌足の身体を狙う。
麒麟が攻撃に転じた。
⋯⋯その時。
(⋯⋯今だ! 伊賀の鎖よ、この世の悪を討つ鬼切丸よ! ⋯⋯私の手となり、牙となれ!!)
先に鎖を引いていた鎌足、その第四の仕掛けが、白い霞を斬り裂いて、麒麟の左側上空から姿を現した。
不意の死角からの鎖分銅。
先端に絡まるのは鬼切丸。
(⋯⋯麒麟は私が鬼切丸でも鎌鼬を撃てることを知らない! ⋯⋯避けろ、避けるんだ、私を嘲り、避けろ! 私を馬鹿と罵りながら、嘲るようにして、避けろ!)
⋯⋯鎌足の仕掛けた、最後の一撃。
それは鬼切丸の刃の厚みだけ攻撃可能域を増した、鬼切丸と”鎌鼬“の複合技だった。
(⋯⋯今度こそ衝撃波は麒麟に届く! ⋯⋯喉元や顔、ぎりぎりで避けろ! そうすれば必ず勝てる!!)
鎌足の願いにも似た心の叫びと共に、鬼切丸が麒麟に迫る。
受ける麒麟はどこまでも冷静だった。
この不意の奇襲時に於いても、類稀な天賦の才の片鱗を見せつけていた。
「⋯⋯成る程なぁ。風を切る音がさっきとは少しだけ違うと思っていたけど、⋯⋯そうか、鎖の先端に鬼切丸を付けたんだな!」
鎖の“音”の異変に気付き、先端に絡まる鬼切丸の存在も瞬時に把握していた。
「⋯⋯ふん! 無い頭でどうにかこうにか捻り出した秘策かもしれねえが、そもそも馬鹿の一つ覚えの攻撃なんざ、俺は全く気にしてねえんだよ!」
急角度で襲いかかる鬼切丸の刃を前にしても、麒麟は何一つ焦りや動揺を見せず、悠然と身構える。
(⋯⋯さあ、さあ、さあ! 糠喜びさせてからの、奈落の底へ真っ逆さま! 悔しさに溢れた顔を散々嘲り笑った後で処刑執行!! 江戸名物の削り粕にしてやるぜ!!)
それは絶対的な強者の余裕だった。
しかし同時に、麒麟は類稀な慢心の極致にあった。
完全に鎌足の力を侮り、油断していた。
意識の九分は天舞の攻撃と、鎌足を見下す愉しさに費やす。
そして残りの意識で、鎖分銅を避ける。
たった一分の意識。
それだけで十分に鎌足の鎖と鬼切丸に対応できる。
そう思っていた。
鎌足と麒麟、二人の一挙手一投足に、能舞台や周辺に集う観衆からは言葉一つ無い。
誰もが固唾を呑んで、目の前の攻防に心を奪われ、二人に熱い視線を送っていた。
そんな能舞台の上でただ一人、綾麿だけが無表情で勝負を見つめていた。
その瞳に麒麟の無警戒な余裕顔が映る。
綾麿は口元を歪め、目を見開いた。
(⋯⋯鬼切丸での鎌鼬か。⋯⋯鎌足め、麒麟のもう一つの欠点を突いたな。⋯⋯底無しの強さだからこその驕り、慢心。若さ故の未熟を⋯⋯)
麒麟は未だに鎌足の真意に気付いてはいない。
「ふん⋯⋯それにしても遅いな、何だよ、こんな攻撃」
この時、麒麟は半ば無意識だった。
迫る鎖分銅と鬼切丸。
その刃の軌道を完全に読み切っている“つもり”の麒麟は、刃が身体に到達する寸前まで、鬼切丸を引き付けていた。
そして鎌足の心情を弄ぶように、天性の実力と過信に委ねるまま、泣き真似のしたり顔で首の角度を僅かにずらした。
⋯⋯全てが鎌足の読み通りだった。
余裕綽々の麒麟は、避ける間合いは薄皮一枚程の余裕しか取っていない。
鬼切丸での鎌鼬。
鎌足が仕掛けた罠に、麒麟は最後まで気付いてはいなかった。
(⋯⋯よしッ! やっぱり何一つ気付いてない! いけるッ! 今度こそ! ⋯⋯この勝負、私の勝ちだ!)
鎌足が勝利を確信する。
(⋯⋯後は鎌鼬の波動を伝えるため、この右手に力を込め、そして⋯⋯!!)
鎖を握る右腕に、伊賀鎖鎌の極意である捻りと加減を加える。
鎌足の腕から生まれ出た鎌鼬の掌撃は今、掌から鎖へ。
そして長い鎖の一つ一つの鋼の輪を伝わり、先端の鎖分銅へ。
最後は鬼切丸の柄から鍔を抜け、刃の末端から先端へ。
鎌足の鎖刃、鎌鼬。
その全ての力が瞬時に、鬼切丸の細く鋭い切っ先へと集約されていく。
(⋯⋯鬼切丸を一振りするだけ⋯⋯だ⋯⋯、⋯⋯⋯ッ!?)
その時突然、鎌足の声が止まる。
勝利を決定付ける一連の流れの最中だった。
麒麟の喉元へ。
鬼切丸が必殺の間合いに入る寸前だった。
首をずらした麒麟の背後。
戦いを見届ける公家たちが集う能舞台。
その集団の最前列。
鎌足の視界に、”ある者“の姿が飛び込んできた。
立ち見の公家たちを掻き分け、椅子に座している左大臣や兼季たちの横を駆け抜けるようにして現れたのは。
⋯⋯美しい桜色の着物を纏った一人の少女だった。
少女は今にも泣き出しそうな、悲しい顔をしていた。
「⋯⋯ッ!? ⋯⋯あ、あの者は!? ⋯⋯っ、そちらへは行くな! 行ってはだめだ!!」
少女の想定外の飛び出しに、制止しようとした綾麿の初動も間に合わない。
綾麿の横を通り抜け、能舞台と庭園を繋ぐ段差も駆け下りる。
鎖が舞い、刃が撓る戦場へ。
危険を顧みず、鎌足と麒麟の元へ。
懸命に走る少女は既に庭園内、麒麟の背後近くにまで身を躍らせていた。
少女が叫ぶ声も今、鎌足の耳にははっきりと聞こえていた。
「⋯⋯どうか無益な戦いは止めてください! 鎌足さんッ⋯⋯!」
(⋯⋯あ、あれは、⋯⋯間違いない、⋯⋯あの娘だ)
鎖と鎌鼬の波動を握ったまま、鎌足が呟く。
その少女は。
⋯⋯あの美桜だった━━━━。
第80話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第81話は、7月18日〜19日頃に投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)




