第81話 雨と土の味
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼と紅鬼の御所侵攻を退ける。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。御所警備の責任を問われ、罪の有無や生死を賭けて麒麟と戦うことになる。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。白鞘の模造刀を手にする少年公家。天舞と呼ばれる剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。性格は執念深く自己中心的。人によって態度ががらりと変わる。些細な出来事から生じていた鎌足との確執は根深く、地位と命を賭けて鎌足と戦うことになる。
美桜━━━━
京都御所を訪れた鎌足が出会った、桜色の髪飾りと着物の可愛い少女。鎌足とは歳も近く、友達だと思っている。鎌足と麒麟の戦いを聞き、駆け付けるのだが⋯⋯。
━━━━鎌足と麒麟の間に割って入ろうとする人影。
それは三日前と二日前に内裏で出会い、少年と共に鎌足に親しみの笑顔を浮かべてくれた、あの少女。
美桜だった。
鎌足にとっては完全に想定外だった。
観衆が、ましてや顔馴染みの者が飛び出してくることなど、頭の片隅にも考えていなかった。
この時、鎌足の鎖は白い霧の中、完全に死角となる空高くを飛翔していた。
麒麟の天舞の撓りもまた常人の目には捉えられない。
ただ鎌足の事だけを想い案じている美桜は、そんな危険な刃の間合いにはまるで気付くこと無く、麒麟の背後近くにまで迫っている。
後は最後の一撃を残すのみ。
十中八九、勝利は手にしている。
しかし鎖を握る鎌足の右手は躊躇していた。
(⋯⋯ッ! 鬼切丸の鎌鼬や鎖分銅。万が一にでも外したり、美桜の接近で麒麟に大きく避けられたら⋯⋯、美桜に衝撃がそのまま当たってしま⋯⋯うッ⋯⋯!?)
鎌足は唇を噛んだ。
忍の心は刃の心。
課せられた任務や己の正義のためには、時には人としての心を斬り、人としての一切の情けを捨てることも求められる。
それを成せてこそ、一流の忍。
そう御頭や幻斎に教えられ、また鎌足自身もそうで在りたいと願いながら生きてきた。
この生と死の狭間にあって、これがその“一流の忍”であったならば、いくら顔見知りとは言えども縁の薄い美桜には一切構わず迷わず、己の正義の刃を麒麟に突き立てていたのかもしれない。
しかしこの時。
鎌足は”忍“の心ではなく、“人”の心で在り続けた。
鎌足の指から力が抜ける。
鎖の威力も一瞬にして半減、それ以下になっていた。
鎌鼬の波動が伝わりきらなかった鬼切丸は、麒麟の首をもう少しで掠める距離で、虚しく空を斬っていた。
鎌足の”空振り“を見届けた麒麟が、想定していた通りの高笑いで鎌足を散々に嘲った。
「⋯⋯あっははははは!! 勝ったと思ったのに残念でしたぁ! おしい! ⋯⋯いや、おそい! こんな陳腐な技で勝ったつもりか! こんな攻撃、最初からお見通しなんだよ! 己の無力さを知るがいい!! 馬鹿め!!」
鎌足の目の前に、唐突に螺旋の渦が迫る。
それは麒麟の手首の撓りから生じた波動。
天舞の衝撃だった。
「⋯⋯しまッ!?」
空振りした鎖を手元に引き寄せながら、鎌足は後ろに飛び退いた。
しかしこの時、鎌足は既に自身の身体を危険地帯の最前線へと晒していた。
元々が鎌鼬を繰り出す事を前提とした流れの最中。
麒麟の意識を逸らすため、自分から天舞の間合いに一歩足を踏み込んでいた。
しかも麒麟の本気の腕の撓りの速さは、鎌足の想像を遥かに超えていた。
最後に鎌鼬を放てなかった鎌足にとっては、そのたった一歩が大きな誤算となっていた。
「⋯⋯ッ、鎌足殿っ!!」
思わず立ち上がった兼季が大きな声を上げた。
「⋯⋯⋯⋯」
対象的に綾麿は、そんな背後の悲痛な声にも、ほんの僅かに後ろを振り向いただけで無言を貫いていた。
観衆たちが全員、息を呑む。
鎌足の退いた脚が、地につくよりも先だった。
獣の爪であらゆる方向に幾重にも引っ掻いたような、そんな赤い筋が鎌足の胸に走る。
そしてその赤い筋からは、麒麟の腕の傷の血とは比べ物にならない程の大量の鮮血が迸った。
「⋯⋯が、⋯⋯がああああッッッッっっっ⋯⋯!」
鎖を引きながら後ろに飛び退いた勢い。
天舞の衝撃。
その二つの力を受けるがままだった。
鎌足は遥か後方へと吹っ飛んでいた。
自分の身体に何が起きたかも分からず、弓なりに仰け反りながら、地に落ちていく。
首を傾げて見開いた鎌足の瞳に、模造の刃を突き出した麒麟の勝ち誇った嫌な笑みが映った。
そんな麒麟の後ろに映るのは、目の前で突然に起きた惨劇に驚き、口に手を当てて目を潤ませる美桜の姿。
「⋯⋯あ、美桜は無事だ⋯⋯。よ、か⋯⋯っ⋯⋯た」
宙を舞いながら鎌足は呆然と呟いた。
視界に赤黒い血の飛沫が舞う。
瞳が一瞬、ふっ⋯⋯と赤を失う。
激しい落下音、そして巻き上がる砂埃。
再び瞳に色を取り戻した時、胸を斬り裂かれた鎌足は地面に大の字で横たわっていた。
飛び退いた事。
引いた鎖が幾分かは壁となった事。
そして忍装束の下に鎖帷子を着ていた事が幸いしたのかもしれない。
真正面から受けた天舞の傷にも関わらず、致命傷と成り得る重傷は免れていた。
身動き一つ出来ずに横たわる鎌足を心配して寄り添うように、鎖も鎌も鬼切丸も相棒たちは皆、鎌足のすぐ近くに落ちていた。
しかし今の鎌足には、もう武器を拾える気力や体力は残されていなかった。
昨日までの蓄積された疲れ、毒、傷、そして気力を振り絞った渾身の流れから受けた、胸への酷い裂傷。
小さな身体はもう限界を迎えていた。
(⋯⋯身体が、動かない⋯⋯)
そんな鎌足の耳に、玉砂利を踏み締める音が聞こえてくる。
その音はどんどん大きく、近くなっていく。
それは誰かが自分の元に歩み寄ってくる足音だった。
なんとか首だけを起こす。
鎌足はその足音が聞こえる方へと目を流した。
「⋯⋯ぐ⋯⋯、⋯⋯あっ」
⋯⋯足音の主は、麒麟だった。
「⋯⋯よお。⋯⋯まだ生きていたか。しぶといな」
麒麟は足元に落ちている鎖鎌を遠くへと思い切り蹴飛ばすと、蔑みに満ちた顔でにやりと笑う。
そして鬼切丸を拾い上げ、手の中で興味深そうにあれこれと弄びながら、横たわる鎌足のすぐ隣に立って得意気に敗者を見下ろした。
「⋯⋯はははは、薄っぺらい刀だなぁ。何だ、これ。こんなのでよく蒼鬼紅鬼に勝てたな。笑わせてくれるぜ」
麒麟が鬼切丸を振り上げ、嘲るように鎌足の顔の真横へと突き刺した。
「⋯⋯くっ」
鎌足が鬼切丸に目を流し、再び麒麟を見上げた時。
麒麟の顔は鎌足のすぐ目の前にあった。
鬼切丸を突き刺した麒麟は、次は拳を振り上げながらそのまま鎌足に馬乗りになっていた。
「とりあえずは左頬のお返しだ! 潰れろ!」
そして無抵抗の鎌足の顔を、左目や左頬を中心にして何度も何度も殴り始めた。
「⋯⋯がッ!? ⋯⋯ぎゃっ、ぐぅッ! ⋯⋯がはぁッ!!」
後はもう、されるがままだった。
麒麟の容赦の無い殴打に、鎌足の顔がどんどん腫れ上がっていく。
観衆たちも戦いの終わりを悟っていた。
(⋯⋯おほほほほ。やはりのう。ちと難しい勝負ではあったのう。⋯⋯哀れ哀れ、無残やなぁ、おほほほ)
(⋯⋯ほんに。まさか、とは思うたがやはり女子よ。少将には遠く及ばぬわ。⋯⋯ほほほ)
(⋯⋯江戸者の血で由緒正しき庭が汚れまするな。⋯⋯さて皆々様、これ以上は目の毒。処刑は少将殿にお任せして、紫宸殿に戻り、茶でも一杯。⋯⋯おほほほ)
(⋯⋯いやいや、麿はあの女子の苦痛に満ちた顔を最後まで見るでおじゃる。⋯⋯この上ない見世物じゃ)
笑いながら散開していく公家たち。
好奇に溢れた視線を投げかけ続ける公家たち。
そんな色とりどりの高らかな声が、鎌足の耳に聞こえてきた。
公家たちの醜悪な声だけはない。
観衆の溜め息混じりの声も、微かに響いてくる。
(⋯⋯ああ、駄目か、やっぱり勝てなかったか)
(⋯⋯このまま死罪になるなんて可哀想に⋯⋯)
(⋯⋯折角昨日を無事に生き延びれたのになあ)
目を覆いながら、観衆の多くが立ち去っていく。
それでも麒麟の激しい殴打は続いていた。
鼓膜までが潰れていくように感じる中、鎌足の耳が拾ったのは、美桜の悲鳴にも似た涙混じりの声だった。
(⋯⋯ひ、酷い、お願いです! 誰か止めてください! 鎌足さんが死んでしまいます⋯⋯!)
⋯⋯鎌足の意識が遠くなる。
それを防ぐように麒麟が拳を止め、鎌足の胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「⋯⋯おい、おねんねにはちっとばかり早くねえか?」
そして鎌足の意識を再び呼び覚ますように、激しく揺さぶった。
「⋯⋯あ⋯⋯う、⋯⋯うぅ、⋯⋯うう⋯⋯ぅ」
諤々と力無く前後に揺れる鎌足の顔は、麒麟の左頬以上に見るも無残に腫れ上がっていた。
「⋯⋯はっははははは、ざまあねえなあ、無様だなあ、鎌足ぃぃ? 最後に意地で天舞柘榴の直撃をかわしたのは褒めてやるが、残念ながらここまでだ。これで約束通り死罪確定だな。おさらば、だ。⋯⋯あっははははは」
「⋯⋯い、言い訳はしない、私の負けだ⋯⋯。⋯⋯や、敗れた、戦いに敗れた、忍の最期はどう、なるか、分かってる⋯⋯。⋯⋯いいよ、殺せ⋯⋯。斬るなり、刻むなり、犯すなり、⋯⋯勝った御前の好きに、しろ⋯⋯よ」
「⋯⋯あぁん?」
混沌とした意識の中でも、鎌足は敗北した忍の取るべき道、即ち”死の覚悟“を既に決めていた。
「⋯⋯へんっ、⋯⋯まあ、犯すのは無理か⋯⋯。お、御前が下にぶら下げてるのも、模造刀だもんな。⋯⋯は、あははは」
「⋯⋯はあッ!? ⋯⋯こ、此奴! まだ減らず口を!」
麒麟が怒りで顔を紅潮させる。
次の瞬間、麒麟の拳は再び鎌足の顔面を捉えていた。
再び鎌足が弓なりとなって宙を舞う。
「⋯⋯あうッ!?」
後方に飛ばされた鎌足は、地に激しく打ちつけられ、うつ伏せに倒れ込んだ。
「⋯⋯ッ!? ⋯⋯は、離して! ⋯⋯鎌足さん! ⋯⋯あぁ⋯⋯、⋯⋯鎌足さんを誰か助けて!!」
歯を食いしばり顔を上げた鎌足の目に、追いかけてきた警備兵に手を掴まれ、必死に抗う美桜の姿が映る。
そしてその耳にも、今度ははっきりと美桜の悲痛な叫び声が聞こえた。
(⋯⋯み、美桜⋯⋯、美桜⋯⋯っ)
「⋯⋯ふん、殴るのも飽きたし、そろそろ殺そうかな」
麒麟は邪悪で狂気的な笑みを浮かべ続けていた。
地に刺さる鬼切丸を引き抜くと、鎌足に歩み寄る。
鎌足はぴくりとも動かない。
顔面も身体も血だらけ。
左頬は腫れと痣だらけだった。
そんな生きた屍とも言える状態と化した鎌足の頭上から、麒麟は冷徹すぎる言葉を吐き捨てた。
「⋯⋯ああ、あとこれ、鬼切丸だっけか? 半刃のつまらねえ刀だが、仕方ねえ。御前を今から斬り刻んだ後、俺が貰っといてやるよ。ありがたく思え」
「⋯⋯ッ!?」
麒麟のまさかの言葉。
その一言に鎌足が身体を震わせる。
そして麒麟の予想を上回る、激しい抵抗を見せた。
「⋯⋯そ、それは!? それだけは駄目だ! 負けた私はどうなってもいい、だがそれは伊賀の誇り、百地翁様から頂いた、私の宝物だ!! ⋯⋯か、返せ!!」
「⋯⋯お!? 何だ、こいつ⋯⋯、血だらけで汚えな、衣に血が付くじゃねえか! 離せ、離せよ!」
「返せ! ⋯⋯鬼切丸を返せ!! ⋯⋯返してください!!」
麒麟は何度も何度も鎌足を足蹴にする。
しかし麒麟に蹴飛ばされても蹴飛ばされても尚、鎌足は必死に麒麟の足元に縋り付いた。
「⋯⋯ッ!? は、離せ! 離せったら! この!!」
「⋯⋯ぐがぁっ⋯⋯い、嫌だ、返せ、返して!!」
「⋯⋯ったく、しつこいな御前! ⋯⋯ふん、何だ、こんな片割れ刀! ⋯⋯なら、いらねえよ。でも返しもしねえ。⋯⋯ははは、真っ二つにしてやるよ!」
引き下がらない鎌足に、麒麟の苛立ちは限界を迎えていた。
そしてそんな麒麟の邪悪な眼差しの対象は、鎌足から掌の中の鬼切丸へと移ろうとしていた。
麒麟は手にしていた鬼切丸の切っ先と柄、その両端を握ると、思い切り弓なりにひしゃげていく。
「⋯⋯何だ、結構曲がるな。全然折れないや」
「⋯⋯ああっ、や、やめろ、やめろぉぉ⋯⋯」
「⋯⋯ふんっ。ならこうしてやるよ! おらあッ!!」
麒麟は鬼切丸を振りかぶり、そして地に思い切り叩き付けた。
鬼切丸が大きく地に弾む。
麒麟の横暴は止まらない。
そのまま鬼切丸を踏みつけると、草履の裏で激しく踏み躙った。
「⋯⋯わ、⋯⋯く⋯⋯そぉ、⋯⋯やめろよぉ⋯⋯おぉ」
鎌足は自身の身体を叩き付けられ、踏み躙られる想いだった。
今にも麒麟に飛びかかりたい。
しかし身体が思うように動かない。
今の鎌足に出来る手立ては、麒麟の脚にしがみつくことで精一杯。
そして玉砂利を思い切り掴み、歯がゆさと悔しさに耐えることだけだった。
「⋯⋯あれ、まだ壊れないや。頑丈だな。⋯⋯あ、そうだ、へへ。いいことを思いついたぞ。⋯⋯天舞の技で、どこまで削れるか試してみよう。⋯⋯ははは、これならぶっ壊れ間違い無しだ」
「⋯⋯え⋯⋯ッ!?」
麒麟は意地悪そうに微笑むと、鬼切丸を再び地に突き刺した。
そして自身の刀の刃を鬼切丸に向けて翳していく。
「⋯⋯や、やめろ⋯⋯、お願いだ、⋯⋯もうやめて!」
涙すら浮かべながら鎌足は麒麟の足元に縋り付いた。
「邪魔だ、どけ! 引っ込んでろ!!」
そんな鎌足を再び蹴り払った麒麟が、舌舐めずりをする。
その視線の先は、地に刺さる標的。
無防備な鬼切丸だった。
「⋯⋯や、やめて、⋯⋯やめてよ、やめてください」
涙と泥と血でぐちゃぐちゃになっている顔を歪ませ、懇願する鎌足。
そんな姿を一笑に付した麒麟が、その右腕を撓らせようとした時⋯⋯。
⋯⋯麒麟を咎める声が飛んだ。
「⋯⋯止めろ、麒麟」
「⋯⋯!?」
振り向いた麒麟の前に立っていた男。
⋯⋯それは綾麿だった。
「⋯⋯鬼切丸を返してやれ。それは鎌足の物ではない。『六歌戦』の先達、伊賀の百地殿の物だ。⋯⋯後日、百地殿とお会いする時にばつが悪い。⋯⋯返してやれ」
「⋯⋯いや、でも」
「⋯⋯でも、何だ」
「⋯⋯あ、いえ、⋯⋯そんな意味では」
「⋯⋯麒麟、麿の言うことが聞けぬのか」
「⋯⋯あ、いや、⋯⋯はい、⋯⋯分かりました」
渋々と麒麟が頷く。
そして地に刺さっていた鬼切丸を乱暴にひっこ抜くと、伏せっている鎌足の傍へ、まるで塵屑を扱うように放り捨てた。
鎌足は咄嗟に鬼切丸に抱きつくと、まるで愛しい人と抱擁するように、自身の懐に鬼切丸を抱き抱えた。
(⋯⋯良かった、折れてない、⋯⋯無事だぁ)
腫れ上がった鎌足の頬に笑みが浮かぶ。
その頬に一筋の涙が流れ落ちた。
「⋯⋯か、返しました」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯で、でも、死罪の執行は私にやらせてくださいね、中将様。それだけは誰にも譲りたくは⋯⋯」
「それだがな、麒麟。勘違いするな。この勝負は御主の勝ちではない、引き分けだ」
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯はぁ?」
「勝ち負けを決める審判は、この麿ぞ」
「⋯⋯それは分かってます、⋯⋯い、いえそういう話ではなく、⋯⋯え、⋯⋯は!? 引き分け!? ⋯⋯はぁ!?」
「引き分け故にどちらの意向も通らぬ。よって当初の麿の進言通り、鎌足は死罪ではなく十日間の謹慎とする」
「⋯⋯はぁ!? そ、そ、そ、そんな、それは一体どういう了見ですか!? 誰が見ても明らかに私の勝ち⋯⋯」
「最後の攻撃⋯⋯」
「⋯⋯は!?」
「鎌足は鬼切丸での鎌鼬を放ちかけ、わざとその手を止めた。⋯⋯もしそのまま鬼切丸からの鎌鼬を受けたならば、麒麟、御主の首は今頃どうなっていたであろうな」
「⋯⋯お、鬼切丸での鎌鼬!? ⋯⋯ッ、まさか⋯⋯、鬼切丸でも鎌鼬が撃て⋯⋯ッ、それは⋯⋯考えもしませんでしたが⋯⋯、で、⋯⋯でも何故? ⋯⋯何故鎌足は攻撃を止めたのです?」
血相を変えた麒麟が綾麿に詰め寄った。
焦りに満ちた麒麟と、不気味な程に冷静沈着な綾麿。
そんな二人の傍を、警備兵の手を振り払った美桜が駆けていく。
そして倒れている鎌足の背中に縋り付いて、泣きじゃくった。
(⋯⋯み、美桜⋯⋯さま? ⋯⋯え、何時こちらに!?)
麒麟はその時、始めて美桜の存在に気が付いた。
美桜を見つめる麒麟。
その包帯を巻いていない右の頬が、ほんのりと紅くなっていく。
綾麿は美桜を一瞥した後、美桜に見惚れている麒麟に鋭く冷たく言い放った。
「⋯⋯それが、分からなかった、⋯⋯否、今も分からぬようではまだまだだな、麒麟」
「⋯⋯御言葉ですが、例え鬼切丸での鎌鼬だったとしても! わ、私ならばすぐにそれと気付き、十分に避けきれていました! ⋯⋯そ、それに、ま、負けた方が死罪。そう会合で決まったじゃないですか!? それは言わば内裏の律令も同じですよ!? それを覆すなんて⋯⋯、納得がいきません!」
「⋯⋯内裏の律令、だと? ふん⋯⋯、この鎌足はな、昨日の怪我が癒える”まで“の間は、命は奪わぬ。咎人にもさせぬ。日本の命と法の番人『六歌戦』であるこの麿が、そう決めたのだ。何人たりとも文句は言わせぬ」
「⋯⋯ち、中将様が!? ⋯⋯決めた!? ⋯⋯な、何故!? 何で⋯⋯あれ程までに憎んでいる江戸の⋯⋯伊賀者ですよ!? なのに何故⋯⋯、何故⋯⋯ッ、ううううぅ⋯⋯」
「⋯⋯さあな、⋯⋯“三年前”、御主と出会った時と同じように、全ては麿の“気まぐれ”かもしれんな」
「⋯⋯うぐぅッ!?」
「⋯⋯麒麟よ。御主は三年前と何ら変わってはいない。そして昨日、警備兵をまた一人殺めたことも許せぬが、江戸の伊賀者如きにも油断、不覚を取りおって。⋯⋯この邪な痴れ者めが!」
「⋯⋯あ、⋯⋯う、⋯⋯あ、⋯⋯ッ」
「⋯⋯よいか、三度目は無いと知れ。次もし、麿の許し無くして内裏の者の命を奪った時は⋯⋯、この麿が、容赦なく御主を、⋯⋯斬る。⋯⋯肝に銘じておくがよい」
「⋯⋯ひッ、ひいっ!?」
麒麟へと投じた綾麿の言葉。
それは今すぐにも村雨を抜き放ちそうな程に、鋭い眼光と凄みを感じさせる声だった。
綾麿の全身から殺氣が漲っていた。
そんな強烈な威圧を放つ綾麿を前にして、麒麟は完全に萎縮していた。
愕然と青褪めた表情を浮かべ、暫くその場に固まっていた。
その姿に先程までの強気と威勢は何一つ無い。
そして最後はがっくりと項垂れると、鎌足とは反対の御所の方へとぼんやりと歩きだした。
麒麟の虚ろな眼の端に、再び美桜の姿が映る。
未だに戦いの中に心投じている興奮の中にあるのか、美桜の前で誹りを受けた羞恥心によるものか。
⋯⋯それとも。
麒麟の右頬はまだほんのりと紅かった。
麒麟が拳を握りしめ、唇を真一文字に噛み締める。
そして唇を僅かに動かし、何かの言葉を飲み込むと、一人ふらふらとその場を後にしていった。
綾麿と麒麟のやり取り。
そして麒麟が立ち去るその間。
左頬よりは腫れがましな右頬を下にして、鎌足はずっとうつ伏せで倒れ込んだままだった。
綾麿の声も麒麟の姿も、鎌足は何も見聞きはできていなかった。
ただ聞こえるのは、すぐ近くで聞こえる美桜の声。
鎌足の名を何度も呼ぶ、哀しい泣き声だけだった。
今度こそ意識が段々と遠のいていく。
この時、天は崩れていた。
腫れ上がった鎌足の左頬や涙の滲む左目に、戦いの幕切れを知らせる小雨が降り始めていた。
何処かで雷鳴が轟き、雨粒が次第に大きくなる中、綾麿は横たわる鎌足のすぐ傍にまで近付いていく。
そして意識も絶え絶えな鎌足を見下ろしながら、淡々と言葉を投げかけた。
「⋯⋯そなたもそなただ。麒麟には勝てぬ。麒麟とは戦うな、と一度忠告したはずだ。今を戦い抜く十分な力も、非情を貫く心も無い。ただ一端の正義面だけを掲げて、しゃしゃり出おって。⋯⋯死に急ぐ愚か者めが」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯憐れみや同情の言葉はかけぬ。⋯⋯先の話、聞こえたかもしれぬが、この戦いは引き分けとし、そなたは十日間の謹慎とする。⋯⋯そもそもその顔や傷では暫くは東番は無理だろう。よって今日より十日の間は、麿がそなたの代わりに東番を務める」
そして鎌足に背を向けた。
「⋯⋯故に、謹慎の間にゆっくりとその傷を癒やせ」
この時、綾麿の頭の中に浮かんでいたもの。
それは最後に麒麟をあと一歩まで追い詰めた、鎌足の技や動きだった。
鎌足と鬼切丸の残像が何度も浮かんでは消え、浮かんではまた過ぎる。
(⋯⋯それにしても、恐るべきは鎌足の底知れぬ強さ。この“俺”までもが読み違えていたかもしれぬ。⋯⋯この者、伝説の鬼切丸、そして⋯⋯。⋯⋯このまま生かしておけば必ずや後々、”俺“の計画の障害となろう⋯⋯。災いの芽は、やはり早めに摘まねばならぬか⋯⋯)
再び雷鳴が轟いた。
今度は、近い。
閃光が鎌足の横顔を照らす。
麒麟に散々に殴られたこともあり、鎌足の意識は既に朦朧としていた。
美桜の声が再び響く。
⋯⋯「⋯⋯鎌足さん!」⋯⋯
⋯⋯はっきりとした意識はここまでだった。
雷鳴を合図に本降りになった雨が、頬を強く叩く。
刻の流れと痛みに身を任せ、薄れゆく意識の中。
鎌足の耳の奥に、綾麿と美桜の会話がぼんやりと聞こえてくる。
(⋯⋯お願いします、中将様、どうか鎌足さんを助けてあげてください! ⋯⋯早く、早く傷の手当てを!)
(⋯⋯心得ております。⋯⋯此処は雨に濡れてしまいます故、ひとまず中へ⋯⋯、⋯⋯さあ、美桜姫)
(⋯⋯美桜⋯⋯”姫“?)
鎌足はほんの少しだけ唇を動かした。
そんな口元に、雨に濡れた土や泥が纏わりつく。
(⋯⋯⋯⋯にがい)
その日、鎌足は初めて、
雨に塗れた土の、泥の味を知った━━━━。
第81話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第82話「邂逅」は、7月20日〜22日頃に投稿予定です。次回もどうぞよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創作して頂いたオリジナルEDです!
ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
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こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪




