第78話 再戦
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。昨晩起きた蒼鬼と紅鬼の御所侵攻を退ける。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣される。しかし裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。昨晩起きた蒼鬼と紅鬼の京都御所襲撃を何とか退けたのだが⋯⋯。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。白鞘の模造刀を手にする少年公家。天舞と呼ばれる剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。性格は執念深く自己中心的。人によって態度ががらりと変わる。些細な出来事から生じていた鎌足との確執により、緊急会合の場で鎌足を断罪するのだが⋯⋯。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
━━━━「私は断罪する! ⋯⋯少将麒麟、その許されざる咎を!」
この鎌足の凛とした言葉一つで、紫宸殿の空気は様変わりしていた。
手にした扇子一枚では驚きを隠しきれない、公家たちの好奇の念がざわざわと波を打っている。
「⋯⋯鎌足殿!? ⋯⋯何と! ⋯⋯この少将が警備兵を傷付け殺めた、と言うのか!? ⋯⋯いや、しかし⋯⋯」
鎌足の真正面では兼季が困惑の表情を浮かべていた。
そんな兼季を含め、紫宸殿内の全ての視線は今、麒麟一人に注がれている。
皆が悠然と座している中、興奮のあまり一人立ち上がって熱弁を奮っていた麒麟にとって、この一点集中の状況は最悪としか言いようがなかった。
完全に晒し者。
悪目立ちの極致だった。
麒麟は口を尖らせて真っ赤な顔で、しどろもどろになりながら鎌足に食って掛かった。
「⋯⋯な、なッ!? ⋯⋯こ、この期に及んで何を言い出すんだ! うそだ、うそだ、うそだ。⋯⋯嘘八百を並べて、こ、ここ、この私に、罪の一部を⋯⋯、い、いや、全部を擦り付けようとする魂胆だな!?」
自分が抜刀禁忌の清涼殿に居る。
そんなことすらも今の麒麟の頭には無い。
刀を抜いたら抜いたで、別の厳罰が待っている。
それにも関わらず、今にも鎌足に斬りかかりそうな勢いで、麒麟は腰の白鞘に手を伸ばしかけていた。
しかしそんな脅迫の言葉や強気な態度とは裏腹に、麒麟の動揺の大きさは明らかだった。
先程までの威勢は完全に吹き飛んでいた。
止めどなく流れる汗。
震える唇。
青ざめていく肌。
心の臓も激しく脈打っている。
今目の前に居並ぶのは、陰でどうとでも脅迫できる警備兵や下級官吏ではない。
左大臣たち内裏の実力者ばかりか、上官の綾麿や兼季までも目の前に座っている。
太々しい性格の麒麟と言えども、不気味に口元を緩ませて鎮座する鎌足の存在は、何が飛び出すか分からない恐怖の玉手箱の蓋に等しかった。
流石に戦慄以外の何物でも無かった。
「⋯⋯ぉおお、往生際の悪い咎人め!! ⋯⋯いいか、黙れ!! ⋯⋯そ、それ以上、言うな、何も言うなよ!! 二度とその馬鹿な口は開くなッ!! いいな!!」
しかし鎌足はそんな麒麟の威嚇にも全く動じない。
むしろ更に激しさと鋭さを増して、麒麟を睨み付けていた。
(自業自得だ、麒麟。御前も地獄へ道連れだ⋯⋯!)
麒麟の威嚇を鼻で一蹴すると、鎌足は目を丸くしたままの兼季の”隣“へ向き直る。
そして帝の影が揺らめく御簾に向かって、想いを込めた一言を熱く叫んだ。
「⋯⋯帝に申し上げます!」
「⋯⋯わ、わわっ、だ、⋯⋯だ、黙れったら!! この馬鹿女!! 耳が聞こえないのか!?」
「御存知ですか、帝! この樋ノ口少将麒麟は、表では従順な素振りを見せながらも、その本性は鬼にも勝るほどの邪悪そのもの! 帝の御命すらも軽んじる裏心と、尋常ではない野心を持っているのです!」
「⋯⋯わわわ、な、何を言い出すんだ!! だ、だ、だだだ、黙れ!! ⋯⋯み、帝っ、こんな馬鹿女の言うこと、信じてはなりません!! この女は一昨日から頭がちょっとおかしいんです!」
「そればかりではありません! 此度の乱戦に乗じて、言動が気に食わないという身勝手な理由だけで、⋯⋯そんな、そんなくだらない理由だけで、大切な仲間である警備兵を三人も無慈悲に傷付けました!」
「⋯⋯でっ、で、でで、出鱈目を言うな!! ⋯⋯ま、全くもって言いがかりだ! 警備兵たちがそう言ったのか!? 誰か目撃したのか!? おいっ! はっきりした証拠も無いのにいい加減な事を言うな!!」
「⋯⋯そしてその内の一人を死に至らしめたこと。⋯⋯これぞまさに日本への謀叛者の所業! この御所に巣食う邪悪な人鬼は.蒼鬼紅鬼と同じ⋯⋯、いや、それ以下です! 即刻排除すべきと存じます!」
「⋯⋯はああぁ!? ⋯⋯な、ななななッ!? ⋯⋯くッ、が、か、⋯⋯か、鎌⋯⋯足ぃぃぃぃぃぃっッッ⋯⋯!!」
(麒麟をこのままにしておいたら、ますます増長して好き放題やって、不幸になる人たちが増えるだけだ!)
⋯⋯鎌足の麒麟断罪は続いた。
麒麟との昨夜の経緯、そして耳にした許されざる発言の全てが、鎌足の口から真摯に語られた。
公家たちの殆どが扇子を口元に添え、隣同士でひそひそと話し合う中、綾麿だけは全く微動だにせずに目を閉じたままだった。
五感を聴覚にだけ集中させようとしているのか。
ただ黙って鎌足の話に耳を傾けていた。
鎌足は断罪の言葉の最後、そんな綾麿の隣でぼんやり突っ立ったままの麒麟に向けて、思い出したようにこう付け加えた。
「⋯⋯あと、大鳥居の倒壊も私は一切関与しておりません! 誰か別の者の仕業です、再吟味を!」
⋯⋯この時、麒麟の顔は既に半分死んでいた。
まさに茫然自失。
ただ口をぽかんと開けて、絶句していた。
「⋯⋯な⋯⋯が、⋯⋯ぁ⋯⋯う、鎌足、御前ぇえ⋯⋯」
しかしこの時、”絶句“していたのは麒麟だけではなかった。
相変わらず帝からの反応は無い。
鎌足が必死に訴えた御簾の向こうの影は、今の話が何一つ聞こえていなかったように思えるほど、沈黙の世界を守り続けていた。
反応が薄いという意味では、上座の左大臣や右大臣、大納言たちも同様だった。
上座に列席する者たちの中では兼季だけが唯一、寝耳に水の半信半疑で、あれやこれやと思案に暮れた顔を浮かべている。
兼季はその真っ直ぐな性格が災いしているのか。
元々麒麟の裏表には、他の公家たちほどは気付いていなかったのかもしれない。
その一方で、居並ぶ他の下座の白塗り顔の公家たちは皆、この鎌足と麒麟との確執や刑罰の行方に新たな愉しみを見出し、二人をじろじろと眺め続けていた。
(⋯⋯あの少将殿がの。これはまさかの展開。事の成り行きがどう転ぶか見ものでおじゃるのう?)
(⋯⋯少将殿は確か以前にも、鬼と一緒に何人かの警備兵を斬っておじゃるはず。あの激しい気性ならば、さもありなん。しかし肝心の証拠が無ければのう)
(⋯⋯そう、証拠、証拠ぞ。口では何とでも言えまする。もしや女忍が死罪を免れるため、嘘を言うておるのやも。⋯⋯まあ、何れにしても我々は深く口を出さぬ方が身のためじゃ)
(⋯⋯ほほほ。高みの見物としゃれ込みましょうぞ。決して疑義を口には出してなりませぬぞ。少将殿の機嫌を損ね、こちらが斬り刻まれては適わぬわ)
(⋯⋯あのな、口元隠しきれてないよ)
無意識に公家たちの唇の動きを読んでいた鎌足が、深い溜め息をつく。
伊賀忍に伝わる読唇術だった。
この公家たちの口を読み解いてみるに、麒麟の横暴で残虐な性格は、誰もが密かに恐れているように見えた。
加えてこれこそが京都の公家特有の伝統、事勿れ主義というものなのだろう。
少なくともこの下座には、麒麟への疑惑を敢えて口に出す、そんな肝の座った者は居るように見えなかった。
ましてや麒麟を追及する者など皆無に思われた。
生気も落ち着きも無くしている隣の麒麟に向けて、綾麿がぼそりと呟く。
「⋯⋯麒麟よ。今の話が全て本当ならば、そなたも咎人。人を殺した罪として、其れ相応の罰は受けねばならぬ。⋯⋯確か鎌足の此度の罪状は人殺しと暗殺。その刑罰は鋸挽きと牛裂きだったな。⋯⋯麒麟よ、人殺しはどちらの罰になる?」
「⋯⋯ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、中将さま、綾麿さまぁ!? ⋯⋯そんなすました顔で、いきなり恐ろしすぎる事を言わないでくださいよ!?」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯あ、鎌足の苦し紛れの戯言なんか信じないでください! 私が警備兵を殺したり傷つけたり、帝を蔑ろにしたりする訳が無いじゃないですか! ねぇ?」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯た、確かに、前に一度、蒼鬼と”間違えて“警備兵は何人か殺めてしまったことはありますよ。⋯⋯で、でも、ちゃんとそれからは中将様の言いつけは守って、人は斬らないように戒めの罰、白鞘の模造刀で我慢してるじゃないですか! 鎌足じゃなく、私の話の方こそを信じてくださいよ! ⋯⋯っ、私は貴方の忠実な五人の配下の一人ですよ!? 言わば“同志”じゃないですか!」
「⋯⋯その話は今、此処ではするな。⋯⋯ふん、人を斬らないように、か。麿がそなたに“心だけは常に白く在れ”と願い、渡した刀の禁。確かに守っているようには見える。⋯⋯表の世界では、な」
「⋯⋯え? ⋯⋯⋯⋯はは。⋯⋯な、何のことですか」
「⋯⋯⋯⋯」
綾麿は再び口を噤んだ。
その表情は立ったままの麒麟からは見えない。
(⋯⋯ち、中将⋯⋯さ⋯⋯ま、⋯⋯ッ、な、何だよ、何だよ、皆して俺を馬鹿にしやがって)
感情の高揚を抑えきれない。
麒麟は綾麿に問いかける代わりに、公家たち全員を見渡した。
そして再び声を荒げた。
「⋯⋯ねえ! 此処に居並ぶ皆さんも分かるでしょう? 鎌足の言うことは嘘ばかり。上手くこの場を誤魔化して、罪から逃れようとしてるんです! ⋯⋯私は帝を蔑ろにしてはいない、無実なんだ。⋯⋯あ、そうだ、あの大鳥居だって御前が壊したんだ、⋯⋯だよな! そうだよな! うん、って言え!! ⋯⋯鎌足ぃぃぃぃっっ!!!!」
「⋯⋯麒麟、言葉の節々には気をつけたほうがいいよ。さっきから段々と化けの皮が剥がれてきてるよ。⋯⋯まあ、さっきの公家たちの会話からも、御前の裏表なんて皆が知っている事みたいだけど」
「⋯⋯な、何だと!? こいつ、吹っ切れやがったな!?」
「⋯⋯吹っ切れてるのは御前だろ。やい、麒麟。これで少将からは降格間違いなしだな、⋯⋯いや、私と同じで鋸挽きかもね。⋯⋯削るのが好きなんだろう? 人生の最期くらい、自分が削られる方に回ってみろよ」
「⋯⋯ッ!? ⋯⋯う、嘘だ、⋯⋯嘘だ、全部嘘だ!! 帝っ、左大臣様、右大臣様、大納言様っ! 兼季様っ! この者は生来の嘘つき、⋯⋯鎌足ではなく、嘘足と皆に陰口を叩かれる程の女なのです! 決して話を鵜呑みにしてはなりませんッ!」
麒麟が上座に向かって叫んだ。
もはや体裁などまるで気にしてはいない。
自らの地位に意地でもしがみつこうとする、なりふり構わない執念が滲んでいた。
そんな隣の麒麟を綾麿は先程から一瞥もしない。
綾麿はずっと前だけを、鎌足の真剣な顔だけを、そしてその澄んだ瞳だけを見ていた。
ちょうどその時、二人を見かねた兼季が会話に割って入った。
「⋯⋯ならば少将よ、鎌足殿の話が嘘と言うなら、それをどうやって証明する? そなたに出来るのか?」
「⋯⋯そもそも強敵の巨大な蒼鋼鬼を斃したのは私。この樋ノ口少将麒麟です! この未熟な腕の鎌足ではないのです! この私の顔の左の傷も、その時に蒼鋼鬼の拳により付けられたもの! 私よりも格段に剣が劣り、しかもあんな小さな女が、あの巨大な蒼鋼鬼を斃せるはずがないでしょう!? 証拠と言われるならば、それが何よりの鎌足の嘘の証!」
「⋯⋯な、何だとぅ!? 麒麟! 嘘に塗れた保身はいい加減にしろ! 私は何一つ嘘はついていない! 私を小さいって言う前に、御前の方が私よりも小さいじゃないか! それに誰が未熟で剣が劣るだ!? その顔の傷の半分も、蒼鋼鬼の拳じゃなくて、私の鎖を受けた跡だろう!」
「⋯⋯ッ! ⋯⋯ち、ちが、⋯⋯ぐ、ふぐぅうッッ!」
自尊心を刺激された麒麟が、左頬に手を当てる。
傷の痛みがそのまま鎌足への憤懣やる方ない想いへと変わる。
顔を更に紅潮させた麒麟は、白鞘を握りしめながら鎌足を指差して叫んでいた。
「⋯⋯何一つ証拠も無いくせに出鱈目ばかり! この不細工な鎌女が! 弱いくせにこの場の空気に乗って図にも乗りやがって⋯⋯! ⋯⋯そうだ。⋯⋯ならばもう一度勝負しろ! どちらが強いかで、どちらが嘘をついているか、はっきりするだろう!?」
「⋯⋯っ!? ⋯⋯もう一度戦え、だと!?」
「⋯⋯ああ、そうだ。⋯⋯戦えばいいんだ。⋯⋯ふふ、ふはははは。⋯⋯どうした? 弱いくせに嘘つきだから怖いんだろう? この麒麟様を恐れてるんだろう? ⋯⋯ふ、はははははは、鎌足は嘘つきの臆病者だ」
「⋯⋯な、⋯⋯何だとぅ!?」
怒りに任せ、鎌足が身体を乗り出した。
⋯⋯その時だった。
麒麟の口車に乗りかけた鎌足の動きを制止するように、一人の男が立ち上がった。
「⋯⋯もうよい。二人とも。⋯⋯これ以上の罵り合いは紫宸殿を汚す。⋯⋯左大臣殿、右大臣殿、大納言殿。そしてこの場に集う皆よ。麿の話を聞いて頂きたい。⋯⋯この会合の総責任者である、この中将の言葉を」
⋯⋯綾麿だった。
(⋯⋯あ、綾麿っ。⋯⋯え? 今、会合の総責任者と言ったか!? ⋯⋯責任者は大将の兼季様じゃなかったんだ!? ⋯⋯綾麿が責任者!?)
今日初めて公で言葉を口にする綾麿の声は、とかく威厳に満ちていた。
その威厳に気圧された鎌足は、知らず知らずのうちに乗り出した身体を元へ戻さざるを得なかった。
そして姿勢を正しながら、綾麿の次の言葉に身構えていた。
(⋯⋯綾麿。⋯⋯今まで何も喋らず黙っていたのに、今から何を話し出す気だ!? ⋯⋯っ、まさか、配下の麒麟の肩を持つ気か!?)
綾麿は上座の左大臣たちに軽く会釈をすると、下座の公家たちをゆっくりと見渡し、力強く言葉を続けた。
「⋯⋯話が逸れすぎた故に、まず本題へと戻す。⋯⋯鎌足殿の咎の件。真実の事ならば、先程の厳罰に関しては、この不知火綾麿、中将としての立場からも何一つ異存は無い。鋸挽きに牛裂き、大いに結構。鎌足殿には壮絶な死をもって、犯した罪を贖ってもらう他は無い」
「⋯⋯!」
公家たちに感嘆のざわめきが起きた。
鎌足の極刑と厳罰を容認する言葉に、麒麟が安堵を浮かべながらにやりとほくそ笑む。
一方、改めて残酷な刑罰を告げられた鎌足の方は、唇を噛みながらわなわなと身体を震わせていた。
(⋯⋯な、何だとぅ!? ⋯⋯あ、綾麿。やっぱりだ、御前も麒麟の仲間ってことか、⋯⋯畜生っ!! 御前も此処に居座る公家たち同様に、帝の権威を笠に着て振る舞う、顔の白とは真逆の真っ黒な、ただの腐った性根の男だったみたいだな! くっそおぉぉぉ⋯⋯)
鎌足から放たれる綾麿嫌悪の視線は鋭かった。
視線の刃に綾麿もすぐに気付く。
(⋯⋯ふん)
しかし綾麿が鎌足の方へ目を流したのは、ほんの一瞬だけだった。
綾麿の唇が動く。
そんな綾麿が次に続けた言葉は、鎌足にとって意外すぎる“事実”だった。
「⋯⋯だが。⋯⋯先程から誰も口にはしないが、生き残った警備兵たちや、内裏で務めに励む者からは、鎌足殿の恩赦を求める嘆願書が、麿の元へは集まっている。その者たちによれば、『鎌足殿の活躍は目覚ましかった、もし鎌足殿が居なければ、日本はもっと大きな被害が出ていた』⋯⋯とのこと」
(⋯⋯へ? ⋯⋯嘆願書? ⋯⋯、⋯⋯私への!?)
そしてそれは鎌足の目を潤ますにも、十分すぎる程の”事実“だった。
鎌足の胸が熱く高鳴り、視界が涙でぼやける。
先程の廊下での挨拶の際、一部の公家たちから感じたあたたかな想いはやはり間違いではなかったのだ。
この会合が始まってから終始厳しかった鎌足の表情が、初めて綻んだ。
しかし鎌足を驚かせたのは、この嘆願書の話だけではなかった。
次に続いた綾麿の言葉も、鎌足を更に大きく驚かせるものだった。
「⋯⋯そしてもう一つ。日本『六歌戦』の不知火綾麿としての立場で、進言させてもらうならば、⋯⋯昨夜の鎌足殿の働きは、格別と言うより他は無し。⋯⋯よって犠牲者の数や御所の破壊を理由に、簡単にその命を奪うことは、甚だ疑問。情状を酌量し、暫くの謹慎程度で留めるのが妥当と思われるが、皆々よ、⋯⋯如何か?」
「⋯⋯えっ」
鎌足を殺そうとする程に、江戸者を激しく憎んでいるはずの綾麿。
そんな綾麿からのこの意外すぎる言葉に、鎌足は自身の耳を疑った。
(⋯⋯え? 何で⋯⋯、何で綾麿が私を?)
しかしこの時。
唖然としている鎌足以上に驚いていたのは綾麿の隣。
綾麿の直属の配下でもある、麒麟だった。
「⋯⋯なッ!?、何を言い出すんですか、中将さま⋯⋯綾麿様ッ!? 江戸を、徳川を、あれ程までに憎んでおられたではないですか! お互いに憎い鎌足じゃないですか! それを謹慎だけとは!? 納得がいきません!」
鋸挽きと牛裂きの死罪から、いきなり僅か十日ばかりの謹慎へ。
異例とも言える恩赦の裁決に、居並ぶ公家たちも皆、神妙な面持ちで綾麿の方を見つめている。
それでも綾麿は何一つ表情を変えない。
ただ冷静かつ力強い声で、裁決を締め括った。
「⋯⋯確かに鎌足殿に対しては私怨はある。だが、この中将綾麿、少なくとも、このような公に裁決を量る場では、決して私情は持ち込んだりはせぬ⋯⋯」
その瞳が鎌足を映す。
鎌足の瞳にも綾麿が映っていた。
(⋯⋯あ、綾麿)
「⋯⋯昨晩の一件に関してだが。此処、内裏における最前線に座る皆々は、鬼との戦いの最前線は避け、身の安泰を図りながら漫然と時を過ごしておられたはず。⋯⋯そんな者たちに、命を賭して何十という鬼と戦っていた者を咎め、一方的に裁く権利が果たしてお有りか。⋯⋯もう一度よく考えて頂きたい」
綾麿の言葉は、威圧感と説得力に満ちていた。
公家たちは誰もが綾麿に気圧されていた。
鬼たちから公家たちの命を守る存在でもある『六歌戦』。
その一人でもある綾麿の言葉は、いつ如何なる時も相当の発言力が有るのだろう。
もし綾麿に逆らった場合、もしかしたら自分だけ守ってもらえなくなってしまうのではないか。
居並ぶ公家たちの中には、そんな先の不安や恐れもあったのかもしれない。
上座の左大臣たちをはじめとして、誰一人として異論を唱えようとする者は居なかった。
皆がだんまりを決め込み、その多くが気弱に俯いている。
その時、場の静寂を破り、突然に拍手が鳴り響く。
沈黙の上座、帝の御簾の隣に座る兼季だった。
「⋯⋯素晴らしい。良くぞ言ってくれた、中将。今日だけはこの場を中将に任せて正解であった。今の話、真にその通り。私も中将に賛成だ。⋯⋯少なくとも、巻き添えに遭い落命した公家たちに関しては、彼らを昨晩御所内に留めたは私の決断、私の責任。鎌足殿は一切関係ない。⋯⋯もし鎌足殿が罰を受けるのならば、私も同じ罰を受けねばならないという事にもなるからな」
そして兼季は鎌足に向けて、にっこりと優しく微笑んだ。
その澄んだ明朗な笑顔に、鎌足の目が更に潤む。
(大将様も⋯⋯、ありがとうございます)
鎌足は涙目を腕で拭いながら、心の中で礼を伝えた。
そして続けざまに綾麿を見つめた。
(⋯⋯でも、不思議だなあ。⋯⋯何で? 綾麿、敵である私を助けたんだ⋯⋯? 何も発言せずに終わっていたら、九分九厘、私は死罪。直接に手を下さずとも邪魔者は消えていたのに)
「⋯⋯ッ!? ⋯⋯な、なななな、何だよ、それ」
麒麟だけは言葉にならない声を上げ続けている。
そんな隣の麒麟に対し、綾麿は小さな声で呟いた。
鎌足の読唇術でも読めない程の、僅かな唇の動き。
まるで睦言のような声。
しかしその声の凄みは、先程の公家たちに向けて発した言葉の比ではなかった。
「⋯⋯情けなく狼狽えるな。こうでも麿が言わねば、どう収まりがつく? ⋯⋯そして麒麟よ、そなたの裁定こそ私情以外の何物でもない。どちらが本当の話をしているか、この麿に見抜けぬと思っているのか」
「⋯⋯ひっ」
「⋯⋯これ以上この詮議を続けるは、麒麟の京追放はおろか、死罪へも近づこう。⋯⋯それともこの麿に、直属であるそなたの咎への鋸挽きや牛裂きの刑を告げさせたいのか? それが嫌ならばこの村雨の刃で果てたいか? ⋯⋯麿にこれ以上恥をかかせるな。⋯⋯愚か者め」
「⋯⋯ッ!!!? ⋯⋯ひいいっ!?」
麒麟はへなへなとその場に座り込んだ。
(⋯⋯もうだめだ、大鳥居の件も中将に見られてる。再吟味ならきっとすぐに足が付く⋯⋯、降格だ⋯⋯、少将から降格だ⋯⋯、⋯⋯は、はは、ははははは)
鎌足と麒麟。
両者の明暗は分かれた。
⋯⋯死罪から謹慎へ。
麒麟の口が閉ざされた今、紫宸殿の空気は一変していた。
覚悟の白装束の袖の端を握りしめながら、鎌足がぼんやりと考える。
(⋯⋯この流れなら、少なくとも私の命は助かるのか? ⋯⋯でも、それはあの麒麟もまた助かるという事⋯⋯)
鎌足が麒麟に目を送る。
麒麟はすっかり意気消沈していた。
小さい身体が更に小さく縮こまり、がっくりと項垂れて座っていた。
(私情は持ち込んだりはしない、か⋯⋯、でも⋯⋯)
鎌足に笑顔を向ける、亡くなった警備兵の姿。
その警備兵を無慈悲に斬り裂く麒麟の凶刃⋯⋯。
⋯⋯鎌足の脳裏には、昨日の情景や、一昨日の怯える案内人の顔が再び浮かんでいた。
(⋯⋯麒麟をそのままにしておくと、内裏で悲しむ人は決して無くならない)
⋯⋯「⋯⋯では。此度の昨晩の詮議の件、色々な意見は在るだろうが、鎌足殿は情状酌量し、十日間の謹慎ということで⋯⋯」
鎌足有利の結論を早く纏めるため、兼季が最後に切り出した言葉の最中⋯⋯。
⋯⋯その結を一つの声が遮った。
「⋯⋯お待ちください!!」
今だ項垂れたままの麒麟を除き、その場に居並ぶ全員がその声の出何処を振り返った。
⋯⋯その声の主は。
他ならぬ、鎌足自身だった。
「お待ちください! 私の罪をお許し下さるのは心より感謝致します。ですが、この鎌足、少将に何の咎めも無い事がどうしても納得できません!」
まさかの発言だった。
その毅然とした鎌足の言葉と態度に、再び紫宸殿内に動揺の波が広がっていく。
(⋯⋯っ、鎌足よ、何を考えている?)
鎌足を見つめ、綾麿が目を細めた。
その綾麿の隣。
鎌足に名指しされた当の本人である麒麟は、そんな鎌足の声すら聞こえていない。
依然として俯き呆け、真っ白に燃え尽きている。
「⋯⋯か、鎌足殿? な、ならばどうしたいと言うのだ? 十日の謹慎すらも不服なのか? ⋯⋯少将の件ならば、また追って調べを⋯⋯」
困惑した表情の兼季、そして怪訝な表情を浮かべている公家たちに向けて、鎌足は深く低頭し言葉を続けた。
「⋯⋯お願いが御座います。先程、少将は“自分ともう一度勝負しろ”と私に言いました。⋯⋯その勝負、是非とも受けとうございます!」
その場が更なる動揺に包まれた。
⋯⋯勝負を受ける。
その鎌足の言葉と公家たちの動揺の波に、やっと麒麟が反応する。
「⋯⋯ん? ⋯⋯あん?」
まだ口をあんぐりと開けて唖然茫然としたまま、麒麟は首だけをゆっくりと鎌足の方へと向けていく。
「⋯⋯私が勝てば是非、少将に厳罰を!」
低頭していた鎌足が再び頭を上げる。
目は口ほどに物を言う。
熱の籠もったその瞳が、鎌足の本気を表していた。
(⋯⋯あひゃっ、何と大胆不敵な。江戸者の、忍の女子からの京への、御所武官への、果たし状でおじゃる!)
(⋯⋯いやはや、無謀な挑戦というよりは乱心よ。⋯⋯大人しく謹慎を受けておればそれで良かったものを)
(⋯⋯そうじゃそうじゃ、乱心じゃ。阿呆じゃ。鎌足でも嘘足でもない。阿呆足じゃ、⋯⋯ほほほほほ)
公家たちが好奇と興奮と呆れで色めき立つ。
この大騒ぎにも関わらず、帝からは相変わらず何の反応も無い。
綾麿も厳しい表情のままだった。
その代わりに上座の端から声が飛んだ。
「⋯⋯ならば、もし負けたなればどうする? 鎌足殿」
久我右大臣だった。
公家たち全員の目が、鎌足に集中する。
そして全員が身を乗り出して、鎌足の返事を待った。
「⋯⋯私がもし少将に、麒麟に力及ばず負けたならば、その時は私の先程の話は全てが嘘偽りであることを認めます。鋸挽きでも牛裂きでも、少将が決めるどんな刑でも甘んじて受けます、好きにして構いません!」
そんな公家たちの熱視線に向けて、鎌足ははっきりと言い切った。
その瞳には何一つ揺らぎは感じられない。
兼季が慌てて口を挟む。
「⋯⋯ちょっと待ちなさい、鎌足殿。昨日受けた傷も相当に深手のはず、それがまだ何一つ癒えぬうちから、また次の戦いとは⋯⋯、何と無謀な⋯⋯。それに少将の本気の強さを知らなさすぎ⋯⋯」
「⋯⋯いえ、お待ちを! 大将様! 本人の意向なれば、口をお挟みになる理由は無し!」
兼季の言葉を遮ったのは、麒麟だった。
目をぎらぎらと輝かせた復活の麒麟が、にやりと笑いながら再び立ち上がっていた。
「⋯⋯はっははははは! 聞いたぞ、聞いたぞぅ。面白い! いいだろう! その勝負受けてあげましょう! ⋯⋯もし貴女が勝てば無罪放免、大いに結構! だが私が勝てば、その時は即座に天舞の柘榴刑を受け、その場で死んでもらいます! 異存は無いですね!」
麒麟は既に勝ち誇ったように、満面の笑みを浮かべていた。
(⋯⋯鎌足め。空気に酔って調子に乗ったな。馬鹿め、これで誰の文句も無く、公に鎌足を斬り刻める!)
一方、その隣の綾麿は徐に目を閉じ、深い溜め息をついた。
もはや打つ手無し。
その顔には苦々しさが滲んでいた。
そんな綾麿に上座から早良大納言が声を掛けた。
「⋯⋯麿をはじめ、大臣殿たちも、そなたには蒼鬼から命を救われた恩義がある。何とかしてやりたいのじゃが、もはや無理じゃ。許せよ」
そんな大納言に向けて綾麿は軽く頭を下げると、再び鎌足に目を送った。
(麒麟だけではない、此処にも愚か者が一人居たか⋯⋯。⋯⋯っ、折角の計らいを無下にしおって。⋯⋯御主の力では麒麟には絶対に勝てぬ。昨日あれ程までに伝え、またその力の差を昨晩身を以て知りながら、何故敢えて死の道を選ぶ? ⋯⋯鎌足よ)
綾麿の心の声は鎌足には届かない。
また鎌足の心の声も綾麿には届かない。
「⋯⋯異存ありませぬ!」
毅然と返事を返した鎌足と、殺意の眼を滾らす麒麟は既に激しく睨み合っていた。
そんな二人を最後に交互に見届けると、綾麿は少し苛立ったような表情で、ゆっくりと立ち上がった。
そして刮目すると再び全員を見渡し、反対意見が無い事を確認した後、目の前の麒麟、そしてその奥に座している鎌足に向けて凛とした声で言葉を告げた。
「⋯⋯よかろう。もはや何も言わぬ。⋯⋯さて、その勝負の審判だが、この場の責任者でもある、この不知火中将綾麿が相努ることとしよう、⋯⋯鎌足殿が勝てば無罪放免、何の咎めも無し。東番にも変わらず就いてもらう。だが少将が勝てば、天舞の剣技にて即座に鎌足殿は即時に死罪。⋯⋯無論あくまで麿は中立。何の手出しもせぬ、⋯⋯両人とも、それで異論は無いな?」
「望むところよ!」「望むところだ!」
鎌足と麒麟。
二人の声が重なりあう。
「勝負は今より四半刻(※30分)後、場所は昨日の因縁と同じ正面庭園。ただしこれは私闘につき、帝には決してお見せすることはできぬ。⋯⋯以上だ」
綾麿の声は冷たかった。
戦いの刻と場を告げ終えた綾麿は、くるりと身を翻した。
そして束帯の端をたなびかせると、鎌足には一切目も合わさず、一人控えの間へと消えていく。
公家たちが依然としてざわつき、おろおろと狼狽える中、鎌足はただひたすらに麒麟を睨み続けていた。
麒麟はそんな鎌足の視線すら嘲笑っている。
意気消沈していた麒麟はもういない。
其処にはいつも通りの麒麟が居た。
にこにこと余裕の表情。
そしてあどけない気楽さを漂わせながら、これ見よがしに鎌足の真横を通り、悠然と先に運命の戦いの場⋯⋯正面庭園へと向かっていく。
「⋯⋯さあて、と。大変なことになっちゃったなぁ。鎌足さんは強いからなぁ。⋯⋯負けないように頑張ろう、っと!」
すれ違った最中に漏らした、謙遜の表言葉。
しかし麒麟の内心では、邪気を帯びた笑いと、醜悪な裏言葉が止まらない。
(⋯⋯昨日受けたこの顔の傷の痛み恨み、今日受けた恥辱屈辱、た〜っぷりとお返ししてやるぜ。あの得意気な不細工面、四半刻後には柘榴のようにずたずたに斬り刻んで、もっともっと不細工に、死化粧を飾ってやるからなぁ! 覚悟してろ、鎌足ぃぃ!!)━━━━⋯⋯。
⋯⋯━━━━ 一人、また一人と、勝負の場となる庭園へと移動していく公家たち。
御簾の先の帝も、兼季に屏風の通路を案内されながら、誰にも姿を見せないままでこの場を後にしていた。
人の息吹が去り、静寂の刻に包まれた紫宸殿の中には今、鎌足一人だけが座している。
鎌足は昂る気持ちを力に変えるため、ずっと目を閉じていた。
そしてただひたすらに精神を集中させていた。
⋯⋯目の前に迫る、恐るべき天舞の技。
一昨日と昨日の戦いの残像を思い出す。
麒麟の間合い。
麒麟の手首の撓り。
そして体捌きの速さ、切れ、圧力。
その全て防ぎ、攻撃へと転じる。
刃をすり抜け、とどめを刺す。
そんな最善必勝の動きを頭の中で模索し、一歩一歩、一振り一振り、組み立てていく。
研ぎ澄まされた感情の中。
鎌足は目を見開いた。
そして羽織っていた白の死装束を脱ぎ払った。
「⋯⋯麒麟 ⋯⋯人間を人間とも思わない、残忍非道な御前にだけには、私は負けない⋯⋯。⋯⋯いや、絶対に負けたくない! ⋯⋯必ず勝つ! 勝ってみせる! 正義の名の下に、この御所に巣食う悪は、この私が討つ!!」━━━━。
第78話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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次回第79話は、7月12日に投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)




