第75話 死闘の終幕 〜後編〜
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。図らずも鎌足と共に御所防衛に身を投じる。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷の探索の密命も帯びる。初の警備番の日に帝の命を狙う鬼たちの襲撃を受け、戦いの中に身を投じる。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れた。
━━━━御所上空に現れた巨大な蒼の渦、⋯⋯羅生門、邪道。
誰もが天を見つめて騒然としていた。
新たな敵の来襲に備えて警戒を強める。
そんな中、天から目を離す者が一人居た。
⋯⋯青龍だった。
「⋯⋯さて、と。主の綾麿様の無事も確認できたことですし、私は此処を離れるとしましょう。たった今見えた占いによると、私は何も見ていない、そして私はこの場を離れた方が吉兆に繋がる。そう出ました故⋯⋯。麒麟、後は官職の有る貴方に任せましたよ」
「⋯⋯え?」
「それに私は元来、貴方ほどは争い事を好みませんからね。⋯⋯よいですか。今だけは大目に見ますが、くれぐれも綾麿様との約束、軽んじないように」
青龍は最後に改めて、麒麟に一言釘を差した。
そしてにこりと涼やかに微笑むと、蒼の渦にくるりと背を向けた。
我関せず。
後の動きはそんな胸の内や言葉を体現していた。
空を仰ぎ見る鎌足や警備兵たちを余所に、青龍は御所を取り囲む土壁の方へと歩いていく。
「⋯⋯ちょ、せ、青龍さん!? 逃げるんですか!?」
麒麟の声にも青龍は振り返ることはなかった。
身軽に桜の木の枝に飛び乗ると、土壁の上へと颯爽と飛び降りる。
そしてそのまま夜の通りへと身を投じていった。
「⋯⋯ッ⋯⋯って⋯⋯本当に行ってしまった⋯⋯。相変わらず気まぐれな奴だな。いつもこうだ。強いくせに、笛を吹いているか、逃げるか、どっちかなんだから」
麒麟が呆れ顔で呟く。
⋯⋯青龍の姿が御所から消えたその時。
羅生門の渦が唸りを上げる。
地上に向けて稲光のような蒼い閃光が三本走った。
その光の中には、“何か”が在った。
三つの光の筋は蒼い霧を纏いながら、地上に三つの人影らしき姿を形作っていった。
「⋯⋯あの影は! そうかッ! やっぱり援軍だな!?」
額からの嫌な汗が、鎌足の頬を伝う。
閃光を通じて地上に降り立った三つの影。
それは“人形のようなもの“から、徐々に頭部と四肢を持つ明らかな“人形”へと変わっていった。
蒼い霧が闇に溶けていく。
そして影を覆い尽くしていた霧の九分が晴れた時。
綾麿や鎌足たちの前には、明らかに三人の人間がその場に立っていた。
まだ微かに身体に蒼霧を纏うため、容姿や衣の全容までは見えない。
しかし薄っすらと見える中でも、その内の二人は厳密には人間ではなかった。
蒼みがかった眼に、銀色の瞳。
額に生えた二本の角。
しかしその容姿はいかにもな鬼の形相ではなく、人間とまるで同じ。
ともすれば人間以上に美しかった。
一人だけは全身を豪華な蒼の鎧兜で覆っていた。
顔も面頬で隠しているのか。
角は目視できず、目元しかまだ分からない。
しかしその隙間から覗く鋭い眼の輝きは、やはり蒼と銀色とで彩られている。
立ち位置からして、その鎧兜の中は他の二人と同じ種の”鬼“であることは明白と言えた。
目にできる僅かな証拠だけで分かる。
鎌足は生唾を飲んだ。
その三つの影は紛れもなく蒼鬼。
(修羅だ⋯⋯)⋯⋯
⋯⋯《⋯⋯蒼極鬼様ぁっ!》
鎌足の心の声を斬り裂くように、蒼妖鬼が揉み手で嬉しそうな声を上げた。
三鬼中央のとりわけ凛々しい立ち姿の影が、蒼の残霧を左右に分かちながらその全身を現した。
品位を感じる落ち着いた佇まい。
長髪を靡かせ、唯ならない威厳と美を感じさせる男の蒼鬼だった。
「⋯⋯だ、誰だ、こいつ⋯⋯、こんな落ち着き払っているのに威圧感が尋常じゃない。⋯⋯紅閃鬼や紅斬鬼は勿論、あの蒼鋼鬼も比じゃない⋯⋯」
鎌足が警戒を強める中、“蒼極鬼”と呼ばれたその男鬼は、蒼妖鬼に近づくと優しく声をかけた。
《⋯⋯待たせたな、蒼妖鬼》
《⋯⋯嬉しい。まさかお越しになるなんて。⋯⋯あ、此度の妾の戦いの様子、妖凛刀の目を通して、ちゃんと地獄から見て頂けたかしら?》
恥ずかしさと嬉しさで、蒼妖鬼がまるで紅鬼羅刹のように赤面する。
《⋯⋯ああ。最後の帝の寝所の御簾、その謎の黒き光り、⋯⋯まで、な》
《でも蒼極鬼様っ、折角のお越しなのに申し訳ありません。謎の邪魔が入り、このようにまだ京御所は陥落前。帝の命も⋯⋯、⋯⋯ッ、今すぐにこの人間たちを仕留め、この日本京の居城、落とします故に!》
蒼妖鬼が綾麿や鎌足たちの方を再び振り向く。
この蒼極鬼という男鬼に、これ以上は無様な姿は見せたくないはないのだろう。
蒼妖鬼の顔は傷ついた身体のことも忘れ、勝ち気さと自尊心が満ち満ちている。
そんな蒼妖鬼に向け、蒼極鬼が発した次の一言は、まさに意外すぎる言葉だった。
《⋯⋯蒼妖鬼よ、もうよい。⋯⋯今日の所は退くのだ》
《⋯⋯えっ! ⋯⋯で、でも! まだやれますわ!》
《いや、人間の雑魚どもなら何ら問題は無いだろうが、あの『六歌戦』を相手にその身体では戦いは不利だ。それに紅鬼共々に全滅を味わうより、そなた一人だけでも生き延びた方が、紅皇鬼めは悔しがるだろう。⋯⋯ふふふ、案ずるでない。蒼鬼と紅鬼の勝負⋯⋯、少なくともこれは我々蒼鬼の勝ちだ》
《⋯⋯まぁ、そうですが、⋯⋯でも、でも悔しいわ》
《⋯⋯それだけではない。万が一に御前を失っては、私の胸が張り裂んばかりに痛むというもの。⋯⋯さあ。蒼の地獄に戻り、いつもの美しくきらびやかな着物を纏い、皆の目を癒やしながらゆっくり傷も癒やすがよい》
《⋯⋯まあっ、蒼極鬼様⋯⋯》
《その美しい顔に傷が殆ど無くて、何よりだ。私は今宵の勝利を欲するよりも、そなたの無事が一番嬉しい》
《⋯⋯は、はい。⋯⋯ありがとうございます》
蒼妖鬼の目を見つめながらの蒼極鬼の穏やかな声に、蒼妖鬼は更に頬を紅潮させている。
そんな蒼妖鬼に、蒼極鬼は黙って掌を差し出した。
蒼妖鬼もまた夢見心地で、その差し出された掌に自身の掌を重ねていた。
《⋯⋯そしてだ、蒼妖鬼よ。帝の間で起きたあの謎の閃光の話。後程私にゆっくりと聞かせてくれ》
《⋯⋯はい、勿論ですわ。蒼極鬼様》
⋯⋯人間たちはそっちのけだった。
蒼鬼の男と女だけの世界が在った。
「⋯⋯な、な、何なんだ、こいつら。深い仲なのか」
男女の仲に疎い鎌足ですら、眉を顰めて呆気にとられていた。
そんな鎌足の隣で綾麿が呟いた。
「⋯⋯深い仲、か。⋯⋯鬼にそれは無い」
「⋯⋯えっ?」
鎌足は綾麿の顔を仰ぎ見た。
しかし今しがたの呟きは無意識だったのか。
綾麿は蒼鬼たちだけを真っ直ぐに凝視し続けている。
その真剣な眼差しを前にして、鎌足も慌てて気合を入れ直し、蒼鬼たちに向けて目線を戻した。
その瞬間にはもう鎌足の頭の中からは、今の綾麿の何気ない言葉はすぐに消え失せてしまっていた。
そんな呆気にとられている鎌足たちを余所に、蒼極鬼は着物の袖を仰々しく広げ、蒼妖鬼を蒼渦の真下へと優しく案内していく。
綾麿は鎌足に一瞬見つめられたことも気付かず、ただ黙って蒼妖鬼たちの様子を見ていた。
その瞳の中心に映るのは、ただ一人。
⋯⋯蒼極鬼だった。
この時、綾麿の脳裏に様々な場面が浮かぶ。
それは朧気な蒼の霞に包まれた記憶の断片。
⋯⋯けたたましい馬の鳴き声。
⋯⋯目の前で前脚を上げる馬。
⋯⋯馬に乗る凛々しい男の姿。
⋯⋯その額に煌めく二本の角。
⋯⋯そして、人間を見下した冷たい瞳。
(⋯⋯蒼極鬼)
綾麿はこの蒼鬼の名前を呟いた。
村雨を握る右手が、みしみしと音を立てる。
既に蒼霧の全てが晴れていた。
蒼極鬼の脇を固めている二鬼の蒼鬼。
明らかになったその内の一鬼は、長髪で薄蒼色の格衣を纏っていた。
右掌な指と指の間に賽を挟み持ち、それをくるくると回転させながら、眼前の人間たちの一挙手一投足を蔑んだ目で観察している。
もう一鬼は先程の全身を蒼の鎧兜で纏った、重々しく威圧感のある武者姿の蒼鬼。
こちらの蒼鬼の鎧兜の装飾も相当に豪華だが、何よりも腰に差している重厚で派手な装飾の刀が目を引いた。
抜刀していなくても発している、邪悪な氣。
そして唯ならない妖気と凄み。
それは一目惚れ、と言ってもよいかもしれない。
その禍々しい刀に麒麟は釘付けになっていた。
「あ、あれは⋯⋯、あの刀は⋯⋯」
蒼極鬼はゆっくりと辺りや人間たちを見回すと、中心に立つ綾麿に向かって丁寧に声をかけた。
《⋯⋯貴様が日本『六歌戦』、不知火中将綾麿だな》
「⋯⋯ああ」
《⋯⋯此度の人間たちの命を賭した戦い。真に見事であった。紅鬼二十三鬼だけではなく、我らの死掛けた蒼の地獄、修羅羅刹二十三鬼のうち、その二十二までを尽く“奇跡的に”返り討ち、撃破するとは》
「⋯⋯⋯⋯」
《この蒼鬼が総大将、蒼極鬼、ただただ感服するしかない。憎き紅鬼を我等の代わりに斃してくれた礼と、“奇跡”とやらに免じて、今日の所は一旦退かせて頂こう》
「⋯⋯⋯⋯」
《⋯⋯だが》
「⋯⋯だが、次は必ず殺す、か? 御丁寧に相手を見下した宣戦布告の言葉遣い。⋯⋯相変わらずだな」
綾麿の目は冷淡さを増していた。
そんな瞳の色に相応しい淡々とした言葉で、蒼極鬼の言葉を遮った。
《⋯⋯? ⋯⋯相変わらず? ⋯⋯ふふ、おかしな男だ。初めて会ったと思うが⋯⋯》
「⋯⋯⋯⋯」
《⋯⋯ふっ、まあよい。『六歌戦』不知火綾麿。私はこの美しき蒼鬼、蒼妖鬼の刃の目を通して、ずっとこの戦いを見ていた⋯⋯》
「⋯⋯そうか。抜け目が無いな」
《それ故、貴様の自慢の剣技があまり見れなかったのは残念だが⋯⋯、日本を最後まで守ると言うならば、恐らく貴様とはいずれまた会い、相見える事になろう。⋯⋯ただし、⋯⋯ふふふふ、貴様が蒼鬼以外に足元を掬われなければ⋯⋯、の話だがな》
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯ッ! 言いたい放題好き勝手に言いやがって!」
話の最中、突然に鎌足が割って入った。
蒼極鬼の挑発の言葉に我慢ができなかったのだ。
蒼極鬼に向かって鬼切丸の刃を翳し、鎌足は激しく啖呵を切った。
「⋯⋯この鬼切丸が御前たち蒼鬼の野望を止めてやる! 何なら四鬼とも纏めて今からでもいいぞ!!」
怒りに任せた鎌足の宣戦布告。
その無謀で真剣な表情を蒼妖鬼がせせら笑う。
蒼妖鬼は寄り添っている蒼極鬼の目に、視線で合図を送った。
蒼極鬼も目を合わせる。
やれやれとばかりに肩をすくめる蒼極鬼と微笑みあった後、蒼妖鬼は首を軽く横に振りながら、溜息混じりの真顔で呟いた。
《⋯⋯うふふ、蒼極鬼様。この鎌⋯⋯何とかちゃんは、毒に強い腹だけが取り柄。相手にしても何の得にも自慢にもなりませんわ。あんな戯言は無視しましょう》
「⋯⋯このッ、名前は鎌”足“だって言ってるだろう! いい加減に覚えろ! この草婆!」
毒の怒りはまだ収まっていなかった。
鎌足は空いていた左拳を思いきり握り、顔を真っ赤にしながら吠えた。
《⋯⋯っ!! ⋯⋯な、何ですって!?》
蒼妖鬼の美頬を彩る仄かで愛らしい紅潮が、瞬時に殺伐とした興奮の真紅へと変わる。
蒼極鬼のすぐ前で侮辱的な言葉を浴びせられた蒼妖鬼の方も、鎌足同様に怒りで顔が真っ赤になっていた。
鎌足と蒼妖鬼の間で、見えない火花が散ぶ。
激しく視線がぶつかり合う。
(「⋯⋯がるる」《⋯⋯がるる》)
そんな威嚇の声が聞こえてきそうなくらい、この鎌足と蒼妖鬼の睨み合いは、まるで雌の狂犬同士の睨み合いだった。
しかしそんな諍いには一切興味無さげに、蒼極鬼は鼻息荒い鎌足にも淡々と話しかけた。
《⋯⋯そして今吠えた伊賀の鎌足とやら。蒼妖鬼と貴様の戦いなら見ていた。江戸を守る伊賀の鎖鎌の技、そしてその半刃の刃。⋯⋯七十年前に我等の宿敵、紅鬼軍を斃した伝説の鬼切丸。その端々に垣間見える力の程は、地の底より存分に愉しませてもらった》
「⋯⋯何っ!? 」
鎌足が蒼極鬼の”とある言葉“に反応する。
それは“我等の宿敵”、”紅鬼軍“という箇所だった。
(⋯⋯待て。今、紅鬼を宿敵⋯⋯、と言ったか!? 二つの鬼が戦っているのは、奇妙だったけど、やっぱり、そうか。蒼鬼と紅鬼は啀み合っていたんだ。⋯⋯なるほど。だから過去の侵攻はそれぞれ交互に日本を襲わざるを得なかったのか。御頭や百地翁にも報告しなきゃ)
《⋯⋯ふふふ、おやおや、その表情。もしかして我ら蒼鬼と紅鬼の事は知らなかったと見える。まあ無理もないな、地獄の事など人間どもは知りようもない。これは口が滑ったかな。⋯⋯人間界では口は災いの元、と言うらしい。⋯⋯ふふふ、ふははは、剣腕だけではなく口も立つ『六歌戦』も居る。気をつけねば。⋯⋯なあ、蒼妖鬼》
《⋯⋯うふふ。蒼極鬼様ったら》
蒼極鬼は完全に鎌足を見下していた。
続く嘲りの言葉と不敵で余裕な笑みが、鎌足の堪忍袋の緒を一気に緩めていく。
《⋯⋯さて、何の話だったかな、⋯⋯そうそう、鬼切丸は愉しめた。だが。その刀を握る貴様の実力はまだまだ不十分。⋯⋯この私には地の底と地上ほどに遠く遠く、及びはせぬ。ふふふふ⋯⋯》
「⋯⋯な!?」
鎌足は悔しさで唇を噛み締めた。
抑えきれない怒りの衝動が言葉に変わる。
「⋯⋯ッ!? 何だとう!? 鬼切丸を馬鹿にするな!!」
⋯⋯”綾麿みたいな事を言うな“。
そんな言葉も浮かんだが、鎌足は本人を前にして何とか口に出さずに飲み込んでいた。
しかし、その時。
蒼極鬼の目線や意識は、会話の相手であり自身を激しく睨みつけてくるこの鎌足では無く、何故かずっと別の場所へと向いていた。
蒼鬼たちに向けられている、数多くの人間たちの熱い視線。
蒼極鬼はその内の一つに、鎌足や綾麿のような敵対心ではなく、何故か自分たち蒼鬼への好奇心に近い特別な氣を感じていたのだ。
放たれている好奇な視線の出処は、鎌足の背後。
⋯⋯麒麟からだった。
蒼極鬼はこの麒麟が蒼鋼鬼を追い詰めていたことを、今は知らない。
蒼極鬼にとっては、名も無き刀を持つ、名前も知らない、力の程も知らない、知らない尽くしの小さな少年。
しかし蒼極鬼は同時に、この小さな少年の視線と心に秘められた、深い深い“闇”の存在にも気付いていた。
麒麟の目はずっと閻魔刀を見つめている。
ただ真っすぐに、ひたすらに貪欲に。
その二つの眼は、蒼極鬼にとってこの上なく興味深い人間に見えた。
蒼極鬼は無言のまま、麒麟を見つめていた。
《⋯⋯⋯⋯》
⋯⋯そして唐突に麒麟たちに背を向けた。
「⋯⋯⋯⋯」
その蒼極鬼の後ろ姿を、麒麟もただ無言で見つめていた⋯⋯。
⋯⋯《⋯⋯では戻るぞ。蒼の地獄へ》
天に浮かぶ羅生門の渦、その中心部。
他の二鬼が待つその真下の位置に向かって、蒼極鬼と蒼妖鬼が歩を合わせて更に進む。
その蒼極鬼の背中に向けて、睨みを利かせていた綾麿が言葉の刃を投げかけた。
「⋯⋯聞け。蒼極鬼。羅生門を通り、この日本に迷い出る蒼鬼紅鬼どもは皆、必ずやこの不知火中将綾麿が、村雨の刃が⋯⋯、斬る」
《⋯⋯⋯⋯》
「⋯⋯そして羅生門本道も必ずや見つけ、⋯⋯御前の首を斬る。首を洗って覚悟しておけ」
蒼極鬼が立ち止まった。
僅かに後ろを振り返るように、綾麿の方を向いた。
そして冷たい笑みを浮かべ、綾麿とその背後に立ち並ぶ人間たち全員に向けて、最後に余裕の言葉を残した。
《⋯⋯ふっ。日本にとってそうなればよいな。せいぜい我々蒼鬼を愉しませてくれ》
再び玉砂利を踏みしめる蒼極鬼と蒼妖鬼の背後を、鎧武者姿の蒼鬼と賽を持つ蒼鬼も続く。
邪道の蒼渦の真下まで来ると、この四鬼は揃って再び人間たちに向き直った。
蒼極鬼は乱戦の舞台となった御所を左から右へ悠然と見渡すと、背後の鎧武者の鬼に愉しそうに一つの命令を下した。
《⋯⋯ふふふ、見よ。人間界の象徴とも言うべきこの京都御所、憐れにも中途半端に壊れかけている。⋯⋯蒼将鬼よ、折角だ。解体を手伝ってやろうではないか》
《⋯⋯解体。ふふふ⋯⋯名案ですな。大工どもの手間が省ける》
《⋯⋯閻魔刀を一振りしてやれ。人間の強気な挨拶の、その良い礼にもなろう。⋯⋯ただし、ほんの軽く、な》
《はっ⋯⋯》
“蒼将鬼”と呼ばれた鎧武者の蒼鬼が頷いた。
徐ろに腰からその目立つ重厚な刀を抜く。
そして綾麿たちに背を向け、御所の方に向き直ると、”閻魔刀“と呼ばれた刀を右片手上段に構えた。
鎧兜が擦れる金具の音だけだった。
他は何の気合の言葉も、声も無い。
次の瞬間、蒼将鬼の右腕が動く。
御所に向けてその重厚な刃を、ほんの“軽く”振り下ろした⋯⋯。
⋯⋯それは、たった一振り。
しかしその一振りは、この傷ついた日本京都御所にとって最悪の一振りとなった。
剣閃の風と刃が衝撃の波動に変わる、
凄まじい突風が吹き荒ぶ。
目の前に広がる、まだ形を残す御所の建物。
閻魔刀から生まれ出でた突風は、その御所に僅かに残された威厳へと襲いかかった。
今宵起きた様々な難を逃れていた、屋根や壁や床。
そのどれもがこの刃の軌道に沿って真っ二つにされ、音を立てて倒壊していった。
半壊部も一瞬にして全てが粉々に砕け散り、更なる瓦礫の山と化していく。
その破壊力は先刻起きた黒光に勝るとも劣らない。
それ程までにこの蒼の閃光もまた凄まじかった。
「⋯⋯あ、⋯⋯あ、⋯⋯う、⋯⋯あ」
鎌足が言葉を失う。
この閻魔刀による暴挙の間。
攻撃対象の反対風下に位置する鎌足や警備兵たちは、御所の更なる惨状に驚愕と唖然の表情を浮かべていた。
成す術なく、ただその場に立ち竦むしかなかった。
「⋯⋯っ! 閻魔刀。⋯⋯地獄一と名高い魔剣⋯⋯か」
土煙や埃を避けるように狩衣の袖を口に当てながら、綾麿が呟く。
閻魔刀の驚異的な破壊力の一振りを前に皆が怯え戸惑う中、その場でただ一人、麒麟だけは様子が違った。
風に髪を靡かせながら、その目は感激や感動で潤んでいた。
このとてつもない威力を秘めた魔剣を、更なる羨望の眼差しで見つめていた。
(⋯⋯凄い。何て素晴らしいんだ。⋯⋯これこそ俺が求めていた刀だ。⋯⋯目の前に立ちはだかる邪魔者、その全てをたった一撃で滅ぼす力⋯⋯。⋯⋯欲しい、⋯⋯あの刀が。⋯⋯もし、もし、あの閻魔刀を手にする事が出来れば、⋯⋯中将や『六歌戦』なんて目じゃない。⋯⋯間違い無く俺は無敵になれる!)
音を立てて崩れ落ちていく御所。
蒼将鬼の納刀を見届けた蒼極鬼は、最後に妖しい笑みを浮かべた。
他の三鬼もそれぞれに人間を見下し、荒廃した地上に嘲笑を浴びせた。
いつの間にか再び蒼い霧が辺りに立ち込めていた。
四鬼の身体はこの蒼い霧に包まれながら、ゆっくりと天に昇っていく。
そして禍々しい回転を続ける渦の中心に吸い込まれるようにして、この四つの鬼の霧影は、羅生門邪道の蒼の螺旋の中へと消えて行った⋯⋯。
⋯⋯四鬼を飲み込んだ後。
羅生門は音も無く、徐々に小さくなっていく。
そして。
蒼極鬼たちと同じく、夜空の奥に消えた⋯⋯。
「⋯⋯ッ、蒼鬼が消えた? 地獄に戻っていった?」
鎌足が気付いた時、空をすっぽりと覆っていた黒い暗雲もまた消え去っていた。
この雲も蒼鬼の羅生門が連れてきたのか、偶然の気象現象だったのか、それとも⋯⋯。
それは今の鎌足には知る由もない。
羅生門邪道が消えた今はただ、満天の星々だけが澄んだ夜空一面に広がっていた。
「⋯⋯あ、⋯⋯とりあえず、戦いは終わったのか?」
鎌足が半信半疑な声で呟く。
「⋯⋯は、はは。⋯⋯やった、私たち人間の“勝ち”だ」
鎌足の呟きの直後だった。
生き残っていた警備兵たちの誰も彼もが、刀や槍を高々と天に掲げる。
そして鎌足の言葉に呼応し、自らも”勝利“の実感を味わうように、大きな歓声を上げた。
口々に改めて”生“の喜びを噛み締めた。
今は鬼たちの狂気の叫び声ではなく、また敵意を持った鋭い刃でも無い。
温かな命の声だけが鎌足を取り囲む。
「⋯⋯勝った、勝ちましたよ、御頭。百地翁。⋯⋯良かった。本当に良かった」
この歓声に鎌足は心から安らぎを感じていた。
身体中の気力が一気に抜けていくのを感じる。
「⋯⋯あ、あれ? あれれ? おかしいや。安心したら、⋯⋯身体に力が入らない」
目の前が霞み、ぼやけていく。
胸や肩や脚。
身体中に受けた傷の痛みが、改めて押し寄せてくる。
「⋯⋯は、ははは⋯⋯、いたた、⋯⋯あれ?)
⋯⋯意識をほとんど失っていた。
ふらふらと、数歩前に進む。
足元がよろけた。
そして。
鎌足はその場で、ゆっくりと前のめりになっていく。
そのまま鎌足は地面に⋯⋯
⋯⋯倒れなかった。
その倒れゆく鎌足を、“誰か”の手と腕が支えていたからだった。
差し出された腕に固く支えされた鎌足は、鬼切丸を大事そうに胸に抱えながら、もう既に寝息を立てていた。
鉄扇や鉄串による肩口の切創。
鬼紅葉の吸血の一刺しを受けた胸の刺創。
そして想定外の麒麟の来襲、天舞によって抉られた生々しい裂創。
忍装束はぼろぼろで、至る所に穴が空き、太腿からはまだ血が少し流れ落ちていた。
疲れ果てて眠る鎌足の柔肌に残る、そんな痛々しい激戦の傷痕たち。
(⋯⋯女子の身にも関わらず、⋯⋯更にこれ程までの深い手傷を負いながらも、最後まで戦い抜いたか)
鎌足を支えている腕の主は、傷をじっと見つめていた。
(⋯⋯清涼殿に侵入を許せば、死をもって贖う。⋯⋯その事実を目の当たりにし、死を受け入れながらも、帝のために此処まで⋯⋯)
そしてふと忍服の隙間から覗く胸の膨らみに気づき、気恥ずかしそうに視線を逸らした。
鎌足を起こしてしまわないように。
鎌足の腕の上から、穏やかで優しい声が聞こえた。
「⋯⋯東番の大義、御苦労。⋯⋯よかろう、⋯⋯麿からの褒美だ。今宵受けた傷が癒えるまでは、一切手出しはせぬ。咎人にもさせぬ。御所でのそなたの命も麿が約束しよう。⋯⋯今はただ、ゆっくりと眠りにつくがよい」
⋯⋯その腕の主は、綾麿だった━━━━。
第75話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第76話から新展開! 7月1日か2日に投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創作して頂いたオリジナルEDです!
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