第71話 殺戮の代償 〜後編〜
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。帝の命を守るため、清涼殿防衛に向かう。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷の探索の密命も帯びる。帝の命を狙う鬼達の襲撃の中、綾麿が死んだと勘違いし、更なる闘志を燃やす。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。帝の命を狙い、御所内部に侵入中。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。飛翔する鉄扇の刃と鉄串が武器。帝の命を狙い、御所内部に侵入中。
━━━━「⋯⋯さあ、着いたぞ⋯⋯」
宣言の通り、綾麿は紅閃鬼の待ち受ける廊下の端まで達していた。
紅閃鬼は自然と緩む口元を鉄扇で隠しながら、絶対の自信を持つ秘策と共に、綾麿を待ち受けていた。
《⋯⋯さらばだ、『六歌戦』》
「⋯⋯村雨の正義の刃、受けてみよ」
紅閃鬼の挑発に、綾麿が乾いた声で呟く。
燭台と松明に灯された綾麿の瞳が煌めいた。
⋯⋯と同時に、綾麿が動いた。
村雨の真刃と鞘刃を交差させ、床を蹴る。
壁に並んだ僅かな灯りだけを頼りにする薄暗い廊下に今、二筋の光が閃いた。
⋯⋯間髪入れず、紅閃鬼も動いた。
即座に綾麿へと翳す、鉄扇二枚。
紅閃鬼の身体と鉄扇は、想定していた通りの防御の軌道を取る。
そして至近距離から一気に眼前に迫ってくる村雨真刃と鞘刃を、この二枚の鉄扇で左と右から挟み込んで受け止めた。
(《⋯⋯ふふふ、想定通り。此処まで私を追い詰めた油断や自信からの、変化の無い直線的な動き。⋯⋯至極、読みやすい。既に私の勝ちへの道筋は見えたり》)
綾麿が第二の斬撃へ移行する前に、防御から束縛へ。
そして攻撃へ。
蒼刃鬼戦と同様に、紅閃鬼の身体が再び、禍々しい邪を纏う”扇の化身“と変わる。
綾麿の身体を束縛するため、まずは衣の長襟が奇怪な変化を見せた。
《⋯⋯鬼扇乱舞、⋯⋯縛!》
長襟が綾麿に鎌首をもたげ、一瞬にして解ける。
紐糸一本一本がまるで小さな蛇の群れのようだった。
綾麿の狩衣や両腕など上半身、そして村雨の真刃と鞘刃に複雑に絡み付いていく。
その束縛の紐糸全てが、ぴんと張るのと同時だった。
強烈な村雨二刀を真正面から受け止めた鉄扇が、防御と目眩ましの役目を終えて砕け散った。
《鉄扇は囮! 引っかかりましたね! これぞ私が得意とする接近戦用に特化した、鬼扇乱舞、⋯⋯『枝垂桜』!》
蒼白の残炎と共に、左右に散らばっていく鉄扇。
その宙を舞う細切れの欠片の中、紅閃鬼は両掌を拡げ、綾麿に向けて十指を翳していた。
次の瞬間。
その紅閃鬼の指の爪が、鋭い鉄爪へと変わりながら、目と鼻の先の綾麿を目掛けて、至近距離から爪形に一気に伸びていった。
爪を桜の枝に見立て、急速に伸び、独特な軌道を描く不意の十の鉄刃。
しかも綾麿の動きは紐糸に制限されている。
しかし綾麿の腕力と、村雨二刀の防御に動く速さは、“半分近くは防がれる可能性がある”、そんな紅閃鬼の最悪の場合の“読み”を上回っていた。
十のうち六つまでが、限られた身動きの中で巧みに切り返された、村雨真刃と鞘刃の防御を受けていたのだ。
村雨二刀の盾とぶつかった六つの爪先が、粉々に砕け散る。
《⋯⋯まだここまで動け、刃を切り替えせるとは! 流石ですね! しかし⋯⋯ッ!》
それでも紅閃鬼の口元が綻ぶ。
残り左二爪、右二爪の四爪は、この村雨二刀の防御の間を巧みにすり抜けていた。
《⋯⋯ふふふふふ、所詮は人間、紅鬼には及ばない! 此処まで鬼の域に近づけても、結局最後は私の勝ちです! 死になさい! 『六歌戦』の愚者よ!》
紅閃鬼の口元を優雅に隠す鉄扇は、今は無い。
自然と露わになった笑みから伝わるのは、嬉々とした勝利の確信と殺戮の快楽だけではない。
敗北を招いた綾麿の油断への嘲笑が垣間見えた。
その笑みに飾られるように、最後の防御を突破し、殺意の華を咲かせた枝垂桜の鉄爪四刃は、触れる何もかもを貫かんばかりの凄まじい勢いで伸びていく━━━━。
━━━━その狙いは、綾麿の眉間、目、喉、胸。
綾麿は紐糸で拘束している。
あと僅か、ほんの僅かだった。
残るは、親指一本分程の長さ。
⋯⋯しかし。
鉄爪の伸長はそこまでだった。
伸びる鉄爪。
その絶対的勝利へと繋がる動き。
が⋯⋯、突如として。
”止まった“。
《⋯⋯ッ! ば、馬鹿な⋯⋯、何故だ!? 何故『枝垂桜』が伸びない!?》
止まった爪先を凝視して、紅閃鬼が狼狽する。
そして両の鉄爪の手元へと目線を落とした。
《⋯⋯ぐ! ⋯⋯なッ!?》
手元には紅閃鬼が予期だにしていなかった、目を疑うような光景があった。
村雨の真刃と鞘刃にぶつかった、枝垂桜の根元となる左右の手。
その左右どちらもが、薄闇にきらきらと輝くほどに、白化していた。
《⋯⋯こ、これは⋯⋯、何だ!? ⋯⋯ま、まさか!?》
その“白”の正体に、指先から伝わる“冷気”を感じた紅閃鬼が、ようやくにして気付く。
それは氷による”白“。
鞘刃が放つ凄まじい冷気によって生み出された”白“。
この時、紅閃鬼の手元は⋯⋯。
⋯⋯凍っていた。
《⋯⋯こ、氷!? ⋯⋯そ、そんな!?》
紅閃鬼が凍結の出処を目で辿る。
この凍結の始まりは、村雨の鞘刃だった。
鞘刃によって折られた爪先。
その爪先を始点として、凍結はまず指を伝い、掌に移っていた。
そして凍結は掌を介して、折れずに伸びた他の指先までを完全に侵食していた。
指先の鉄爪だけではない。
綾麿を雁字搦めに束縛していた無数の紐糸までもが、全て繊細な硝子細工のように凍らされている。
紅閃鬼の身体は今、肘の先から指先まで、村雨鞘刃の放つ凄まじいまでの氷の波動に包まれていた。
《⋯⋯ッ! これは夢なのですか、幻なのですか!? ⋯⋯そんな筈は無い。あり得ません。私の鉄爪が、私の技が、この日本の、現世の武器に凍らされるとは⋯⋯!?》
鉄の四爪は、綾麿の額や眼や首に届く、その一寸程(※約3cm)前で止まっていた。
凍り付いた鉄爪の先端を瞬きもせずに見つめながら、綾麿が呟く。
「⋯⋯惜しかったな」
その声は此処まで廊下を歩いてきた声と全く同じ、何物にも動じない、淡々と落ち着いた声だった。
綾麿は冷気を放ち続ける白火の鞘刃を横に一閃し、凍る鉄爪と紐糸を全て粉々に砕き飛ばした。
季節外れの氷の結晶が宙を舞う。
そんな幻想の情景の中、綾麿は続けざまに鞘刃の鳳凰の彫りを擦りながら、灼熱の蒼火の真刃を振り翳した。
蒼の炎焔が燃え上がり、真刃を包む。
そしてそんな蒼炎を纏い猛る真刃を、綾麿は真横へと薙ぎ払った。
《⋯⋯がああああァッッ!?!!》
両者の間合いは既に”無い“に等しかった。
この一閃で十分だった。
村雨の刃の筋を受けた紅閃鬼の“首”は、完全に離断されていた。
天井に直撃する程にまで飛び、後は両壁に交互にぶつかりながら、床を転がっていく。
そして最後の村雨の剣閃を目に焼き付けるかのように大きく目を見開きながら、葬魂の名残りの白骨化と共に蒼白の炎にも包まれ、やがて紅の霧と化していった。
残った紅閃鬼の上半身も同様だった。
いつの間にか凍結は、肘を遥かに超え、長襟全体を包み込み、胸元より下にまで及んでいた。
首の無い紅閃鬼の身体が、ふらふらと数歩進んだ後、がくりと膝をつく。
そして前のめりで、床に崩れ落ちていく。
身体の何処かに所持していたのか、それとも紅の地獄からの最後の反撃を試みようとした召喚だったのか。
紅閃鬼の袖からは、十数枚の鉄扇がばらばらと床に零れ落ちた⋯⋯。
⋯⋯今宵の乱戦の中、数多の人間の身体を刻んできた鉄扇。
そして数え切れない程の人間の命を奪ってきた紅鬼修羅、紅閃鬼⋯⋯。
鉄扇は今、倒れた紅閃鬼に押し潰され、まるで氷の彫刻のように粉々に砕け散り、また紅閃鬼の身体も首同様に白骨と化した後に、深い紅の霧と化していく。
そんな紅閃鬼の姿を、綾麿自身は見ようともしない。
身体を颯爽と翻し、白い冷気に包まれた鞘刃を縦にすると、今歩んできた廊下を一望できる位置まで、するすると数歩退いていく。
戦いが終わっても尚、綾麿の眼は鋭いままだった。
そしてまだ戦いの余韻が残る蒼い焔滾る真刃を、立て翳した鞘へとゆっくりと納刀していった。
納刀の音だけが、この終戦の場に響く。
「⋯⋯」
自身以外は誰も生者が居なくなった廊下。
その事実だけを眺めながら、戦いの高揚を解くように、綾麿は一度だけ深く息を吐いた。
そして直ぐに、左手に続いている夜御殿への通路⋯⋯帝の元へと続く回廊の入口へと、颯爽と身を躍らせた。
⋯⋯御所の上空。
残りはあと二つのみになっていた羅生門邪道、蒼の渦と紅の渦。
その内の一つ、最後の紅の渦が今、ゆっくりと揺らめきながら地に沈んでいく。
そして紅閃鬼の身体や鉄扇同様、季節外れの花火のように空中で粉々に砕け散った。
紅の邪道の消滅。
それは即ち、今宵この京都御所に侵略を図った紅鬼軍、二十三鬼が全滅となったことを現していた━━━━。
━━━━しかし今、一面に荒涼とした景色が広がる内裏庭園内には、この紅の渦の消滅、紅鬼の全滅に気付く者、喜びの声を上げる者は、誰も居なかった。
この場で戦っている警備兵すら一人も居なかった。
全滅した紅鬼は勿論、蒼妖鬼を除く蒼鬼の姿も、既に一鬼として居なかった。
人と蒼鬼紅鬼の乱戦は終焉を迎えていた。
性も根も尽き果てて座り込んでいる、数える程の警備兵以外は、動いている人の影はたった二つ。
⋯⋯鎌足と、麒麟。
この二人だけだった。
二人に天を仰ぎ見ている余裕は無い。
そしてこの二人は、奇しくも人間同士。
生死を賭けた死闘の真っ只中にあった。
「⋯⋯いいか! 次は容赦無しだ! 本気の天舞の技で、その鬼切丸とかいうくだらない刀を握る、“右腕”を削ぎ落としてやる!」
麒麟はじりじりと鎌足との間合いを詰めていた。
「⋯⋯鎖鎌を。⋯⋯麒麟の間合いの外から攻撃できる、鎖鎌を早く手にしなくては!」
鎌足が目線を左に右に移しながら、麒麟が前に出た分だけまた後ろに下がる。
変わらずの戦法だった。
その鎌足の右の視界に待望の光景が飛び込んでくる。
地に転がる鎖鎌の端を捉えたのだ。
(⋯⋯見つけた!)
目で鎖鎌との距離を目算する。
そして攻撃に転じるため、最善の動きを推し計る。
(麒麟の頭に今有るのは、私の後を追うようにただ前に出ること。そしてどう刀を振るうか。この二つしかないはず。今なら右に疾走れる! この状況なら初動の差で、先に鎖鎌を手にして攻撃できる!)
即座に身体が動く。
鎌足は唐突に右に駆け駆けた。
鎖鎌の端では無く、全体が視界に映る。
「⋯⋯っ! てめぇ! 逃げるのか!?」
鎌足の思惑にまだ麒麟は気付いていない。
麒麟は怒りや不満で顔を顰めながら、鎌足を追うために直ぐに左に疾走った。
そして前にも出ながら、間合いを詰めていく。
その時、鎌足は一足早く地に飛び込んでいた。
地に落ちている鎖鎌の鎖部分を掴む。
(昨日の清涼殿前での立ち会い、麒麟には鎖鎌の技は見せていない! しかも麒麟は左の目辺りを蒼鋼鬼に殴られて、あんなに腫れている。今は視界が完全でないはず! 左側を狙った右からの一閃で勝負をつける!)
鎌足の鎖鎌の秘策だけではない。
そもそも鎖鎌が近くに落ちていること。
鎌足が鎖鎌による遠距離攻撃に長けていること。
麒麟はそのどれもこれも想像だにせず、また露とも知らなかった。
逃げる鎌足との間合いを一気に詰め、そして右腕を削ぎ落とそうと、麒麟は既に地を蹴り、大きく空へと翔んでいた。
大鳥居の上部に一気に飛び移った時と同じような驚異の跳躍力で、麒麟が鎌足の頭上から襲いかかる。
「⋯⋯今度こそ絶対に逃さねえッ!」
天を舞うような跳躍力だけではない。
麒麟は凄まじい速さも兼ね備えていた。
それは地上で迎え撃つ鎌足にも、大きな驚愕を与えていた。
鎖を手に鎌足が振り向く。
そして空から感じる異様な殺気に、天を見上げる。
その瞳に真っ先に映ったのは、遥か上空から刀を振り上げ、まるで鬼神のような凄まじい狂気の表情の麒麟だった。
鎖の持ち手を整える暇も、繰り出す技のあれこれを考える余裕も、そしていつも通りの力を込める術も、この時の鎌足の頭の中には浮かばない。
斬られたくない。
ただその一念だけを想い、戦いの経験と身体に染み付いた反応だけを頼りに、鎌足は咄嗟に身体を回転させる。
麒麟の痛めている顔、傷、視界。
死角となっているはずの左側側頭部に向けて、思い切り鎖を旋回させた。
(⋯⋯頼む! この右腕を斬られる前に⋯⋯、麒麟に届いてくれ!! 麒麟の左に隙があってくれ!!)
「⋯⋯はははっ! まずは右腕にお別れを言うんだな!」
麒麟の真剣を持つ右手が空中で撓る。
しかしこの時、蒼鋼鬼に殴られた麒麟の左側の視界は、幸運にも鎌足の想定以上に塞がれていた。
更に麒麟は鎌足が逃げ出したと思い込んで、一層頭に血が上っていた。
反応が完全に遅れる。
左から弧を描きながら飛んでくる鎖、分銅。
麒麟が“何か”違和感の存在に気付いた時。
鎌足の懸命の賭けでもある鎖分銅は、既に麒麟の左目の真横にあった⋯⋯。
⋯⋯「⋯⋯あ」
麒麟が呟いた次の瞬間⋯⋯。
⋯⋯「⋯⋯があッ!?!?」
鎖の先端の分銅は、麒麟の左のこめかみ辺りにめり込んでいた。
その衝撃と同時だった。
鎌足もまた右肩の上部の忍装束、そしてその下の皮膚と僅かな肉が、麒麟の天舞の波動によって、広く浅く抉り取られていた。
「⋯⋯あああッ!?」⋯⋯
⋯⋯「⋯⋯がはあッ!?」
真正面から迎撃された麒麟は、右後方に激しく弾き飛ばされた。
そして鎖分銅に撃たれた左側頭部を下にして、地上に激しく落下していた。
麒麟の身体が地を跳ね、土埃が巻き上がる。
一方の鎌足は右肩を押さえて、しゃがみ込んでいた。
忍装束と鎖帷子の存在が、まだ幸いしていた。
傷はさほど深手ではない。
それでも痛みに堪えきれずに、鎌足は地に転がる。
そして苦悶の声を上げた。
押し寄せる激しい痛みが、傷を受けた右肩を透過するように全身に伝染していく。
しかしそんな鋭い痛みとは裏腹に、鎌足には自然と安堵の声も漏れていた。
「⋯⋯ッ! と、届いた⋯⋯。間一髪、先に。⋯⋯ッ! う、腕は? ⋯⋯あ、ある、まだあるぞ。良かった。麒麟の技が弱まったお陰で、何とか助かったんだ」
とは言え、まだ戦いは終わってはいない。
鎌足は傷を押さえたまま懸命に立ち上がると、傍に落ちていた鎌袋を拾い、鎌を改めて腰に納めた。
そして左掌で鎖を握り直し、右掌に鬼切丸を構え直した。
「⋯⋯麒麟は? ⋯⋯どうなった?」
麒麟が墜ちた辺りに、鎌足が慌てて目を送る。
まだ土埃が巻き上がる中、地に横たわっている人影がぼんやりと見えた。
「⋯⋯た、斃したか!?」
土埃が次第に晴れていく。
横たわる人影。
それは間違いなく、麒麟だった。
刀は傍には無く、動く気配は無い。
土埃が完全に消えても、麒麟は横たわったままだった。
その生死を確認しようと、鎌足がふらふらと麒麟に近づこうとした。
⋯⋯その時だった。
「⋯⋯よいしょ、っと」
麒麟の上半身だけが、むくりと起き上がったのだ。
「⋯⋯ッ!?」
鎌足は反射的に数歩飛び退いていた。
麒麟はそんな鎌足の動きにも、存在にも気付かない。
上半身だけを起こしたままだった。
頭を打ち付け、意識が混濁しているのか。
何かを振り払うように、首を左右に激しく振る。
左に右にぽきぽきと首を鳴らす。
そしてぼんやりとした眼で、左の目とこめかみ辺りを指で触りながら、ようやくにして呟いた。
「⋯⋯痛い。⋯⋯あれ? ⋯⋯あれれ? 左の目の横の骨が、欠片の集まりみたいにぐらぐら少し動いてる。⋯⋯頬骨や頭蓋が折れた?」
「⋯⋯麒麟! 伝説の獣、麒麟同様、不死身か!?」
鎌足の身体を、痛みと共に戦慄が駆け抜ける。
肩を押さえながら、無意識に鬼切丸を身構えていた。
「⋯⋯わぁ、衣もぼろぼろ、泥だらけだ」
そんな鎌足を余所に、麒麟はゆっくりと立ち上がる。
そして辺りをきょろきょろと見回した。
「⋯⋯あ」
記憶までも錯綜しているのか。
麒麟は視界の先に鎌足を見つけると、腫れが更に増して血だらけになっている顔のまま、にっこりと鎌足に微笑みかけた。
「⋯⋯っ!?」
その不気味なほどの清々しい笑顔に、鎌足の肩や背中が“びくり”と震える。
「⋯⋯おや、伊賀の鎌足さんだ? んー⋯⋯」
麒麟は首を傾げた。
その異様な動きに、鎌足はまた数歩飛び退いた。
昨日の初対面での麒麟の笑顔が、鎌足の頭を過る。
(⋯⋯っ、嫌な予感しかしない)
鎌足は腰を沈めて、更なる臨戦態勢を取った。
「⋯⋯あ、そっか。⋯⋯⋯⋯、⋯⋯ふぅ」
何かを思い出した麒麟が、少し間を置いてから深く息を吐く。
その直後だった。
⋯⋯麒麟の意識が完全に帰還した。
麒麟はほんの一瞬の内に、満面の笑顔から一転、怒髪天を衝く憤怒の形相へと、その表情を一変させていた。
「⋯⋯いい痛えええええッ!! 鎌足ぃぃぃィ!! 御前ぇ、やりやがったな!! 何だ? 鎖鎌を使うから鎌足ってか!? 名前からしてふざけた事しやがって! ⋯⋯許さねぇ、⋯⋯もう絶対に許さねぇぞ!! この顔の痛み、折れた骨、千倍万倍にして返してやる! その目ん玉と脳味噌をくり抜いて、御所の厠の溝に流してやる!!」
鎌足との間に落ちていた、持ち主を無くした無銘の刀。
麒麟をその一振りを怒りに任せて乱雑に拾い上げると、再び鎌足に向けて歩き出した。
(⋯⋯ッ、間合いはさっきよりも延びている。今度こそ伊賀流の鎖鎌術で⋯⋯!)
鎌足の額を、生温い汗の雫が幾つも伝う。
鎌足が鎖鎌の先端に鬼切丸を巻きつける。
そして麒麟が鎖鎌の長い間合いに入ってくるのを、固唾を呑んで待ち受けた。
「⋯⋯歩く度に左の顔が痛え。頬骨もかたかた動いてるじゃねえかあぁぁぁあ! ⋯⋯がまだりぃぃぃッッ!!」
じりじりと再び両者の間合いが詰まっていく⋯⋯。
⋯⋯その時だった。
歪み合い、殺し合う二人。
その荒れた魂を諌めるような、あたたかで涼やかな笛の音が、何処からともなく響いてきた。
鎌足の心が止まる。
(⋯⋯な、何だ。この笛の音は⋯⋯、この音色、何処か寂しくて哀しくて、⋯⋯でも、温かくて安らかで、⋯⋯それでいて懐かしい感じもする)
時には激しさを感じ、時には静けさを感じる。
満ちては引いていく穏やかな波のような抑揚や、心の奥を揺り動かされるような一音一音の余韻。
それは人の昂った心を自然と鎮めてくれる、そんな不思議な包容力も含んだ、澄み渡った雅な音色だった。
そしてこの笛の音色は、この場に残っている僅かばかりの生者だけではなく、決してもう旋律に耳を傾けることのできない、横たわる多数の死者に対しても奏でられているように、鎌足の耳には聞こえた。
日本では俗に、亡くなった人間を悼む歌を”挽歌“、哀しみの心を慰める歌を“哀傷歌”などと言う。
”挽歌“とは、“棺桶を挽く歌”、と書く。
即ち、死者の棺を乗せた大八車などの挽き人が、死者の弔いにと詠い始めたのが、この言葉たちの起こりと言われていた。
そしてこの死者を安らかに葬り、生者の心を癒す風習の旋律は、日本の平安や万葉の昔より、時に身分の高低を問わずに人々の間で拡がっていた。
今宵、多くの御霊を新たに生んだ京都御所。
そんな戦場の跡地に今、聞こえてくるこの笛の哀憐の音色こそ、まさにそんな”挽歌“、“哀傷歌”と言えた。
この音色は、生と死の狭間に身を投じる、教養に疎い鎌足の心にも届いていた。
そして怒りに染まり、激しい憎悪の炎が滾る、麒麟の荒れた心にも届いていた。
再びの激突に向け、間合いを縮め合っていた鎌足と麒麟。
二人の足が自然に止まる。
「⋯⋯っ! この龍笛の音色は⋯⋯、まさか!?」
麒麟が焦りながら、周囲を見回す。
「⋯⋯!?」
鎌足も麒麟同様に、その謎の音色が聞こえてくる方向を耳と目で辿る。
⋯⋯その笛の音は、御所の庭園の脇からだった。
御所でも一際大きな桜の木。
その一番太い枝に座り、幹に寄りかかるようにして、この謎の笛の演者は居た。
額に鉢金を巻き、大陸渡りと思われる剣を腰に、青を基調とした漢服を着た一人の男。
目を閉じ、穏やかな表情で、麒麟が呟いた、俗に”龍笛“と呼ばれている独特の横笛を吹き続けていた。
つい今しがたまで、全身溢れんばかりの殺意と憎悪に満ちていた麒麟。
その刀や腕が、まるで萎びた桜の枝のようにだらりと下がる。
「⋯⋯ッ、あ、⋯⋯あ」
そして明らかに動揺を滲ませた声で、呟いた。
「⋯⋯せ、青龍⋯⋯、さん!? ⋯⋯どうして内裏に!?」━━━━。
第71話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第72話は、6月18日もしくは19日に投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創作して頂いたオリジナルEDです!
ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
ED②https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT
こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪




