第70話 殺戮の代償 〜前編〜
今回も本文が長くなったため、読みやすさを考慮して、前後編の二部構成に分けました。
今回は前編になります。
後編は明日か明後日には投稿予定です!
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。帝の命を守るため、清涼殿防衛に向かう。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷の探索の密命も帯びる。帝の命を狙う鬼達の襲撃の中、綾麿が死んだと勘違いし、更なる闘志を燃やす。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。帝の命を狙い、御所内部に侵入中。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。飛翔する鉄扇の刃と鉄串が武器。帝の命を狙い、御所内部に侵入中。
━━━━清涼殿奥。
帝の寝室である夜御殿へと繋がる回廊、その手前。
向かい合うのは、帝の命を守るべく駆け付けた綾麿と、帝の命を奪うべく殺戮を続けた紅閃鬼。
そして⋯⋯。
《⋯⋯うふふ、この対決、何方が勝つのか楽しみね》
密かにこの両者の一触即発の対峙を覗き見していた蒼妖鬼は、鬼眼の木目の妖凛刀をくるりと回転させると、愉しそうに微笑んだ。
《⋯⋯でも、どちらが勝つにせよ、妾にとっては先に帝の命を奪う絶好の機会。この隙に先に行かせてもらうわ。悪く思わないでよね? ⋯⋯紅閃鬼に『六歌戦』の綾麿ちゃん。⋯⋯じゃあね、どちらも頑張ってね》
身を隠していた柱の陰から、ぴょんと飛び跳ねるようにして姿を見せた蒼妖鬼は、艶めかしくも唇に指先を当てて片目を閉じて、”最後“は綾麿と紅閃鬼に向けて、接吻を投げる動作をした。
そして帝の居る夜御殿へと繋がる“最後”の通路へと、嬉々として駆け出していった━━━━。
━━━━蒼妖鬼の足音が遠ざかり消えた時。
燭台と松明の炎に照らされた綾麿が呟いた。
「⋯⋯御主は非道な殺戮を繰り返し愉しみながら、この通路をそちらに向かったのだろう? ⋯⋯ならば、麿もまるで同じ事をしてやろう。そしてそちら側に辿り着いた時、御主の首を刎ねる。それが死んでいった数多くの御霊への一番の供養となる。⋯⋯行くぞ、紅閃鬼」
《⋯⋯ふん。大口を。私はそういう冗談は好みません》
ゆっくりと自分に向かって歩いてくる綾麿に対し、苦々しく微笑んだ紅閃鬼は鉄扇を一振りした。
不快を纏う風が、長い通路を突き抜ける。
風の正体は鋭い無数の鉄串だった。
綾麿は左手で懐から扇子を取り出すと、扇ぐようにしてその鉄串全てを薙ぎ払った。
そしてぼろぼろになった扇子を通路に無造作に投げ捨てて、何事も無かったように更に歩みを進めていく。
《⋯⋯ほう? 貴方も扇子持ちでしたか。面白い。目には目を。扇には扇を、ですか。だが⋯⋯》
余裕な紅閃鬼は両の掌の中に、鋭い刃先を持つ十枚の鉄扇を広げ、そして綾麿を嘲笑うように呟いた。
《⋯⋯私の鉄扇には敵いませんよ》
そんな紅閃鬼の挑発を受け流し歩きながら、綾麿が再び口を開く。
「⋯⋯良い機会だ、御主にも一つ二つ聞こう。何故に此度の日本への侵略、過去の侵略の流れの通りに蒼鬼だけではない? 七十年前は紅鬼の侵略の番。紅鬼の羅生門が閉じている此度は、蒼鬼の番のはずだ」
《⋯⋯何?》
⋯⋯“紅鬼の羅生門が閉じている”。
⋯⋯”此度は蒼鬼の番“。
綾麿の言葉の節々に不思議な違和感を感じた紅閃鬼は、少しだけ怪訝な表情を浮かべた。
《⋯⋯知ったような口を。それを聞いて何になると? ⋯⋯ふふふ、地獄には地獄の掟がある。それが少し変わっただけのこと。人間どもには知る必要も⋯⋯》
「⋯⋯敵対している蒼鬼と大手を振って戦える“何か“が起きた、か。⋯⋯閻魔王から詔でも出されたのか?」
綾麿の無機質な呟きが、紅閃鬼の言葉を遮る。
蒼鬼と紅鬼の確執は、御所での乱戦を目の当たりにすれば、おおよその推測はつく。
しかし詔の件は、決して人間には知る由も無い。
言葉の綾や偶然の可能性はあるものの、これには流石の紅閃鬼も驚きの表情を隠せなかった。
《⋯⋯ッ、何故に閻魔王、そして詔の事を!? ⋯⋯奇怪な者め⋯⋯、⋯⋯鬼扇乱舞、閃及舞、断捨離!》
鉄扇の数は更に倍となっていた。
二十枚もの鉄扇を両掌に広げた紅閃鬼が、左右の手首で宙を斬る。
左右を壁に囲まれて逃げ場の無い綾麿。
そんな獲物に狙いを定め、二十枚の鉄扇はまるで二十羽の鳥のように、刃の嘴と牙を尖らせ飛翔していく。
「⋯⋯図星か」
迎え撃つ綾麿は、手にした村雨を眼前に掲げた。
そして鞘から一気に村雨の真刃を抜き放った。
真刃からは蒼い焔が、鞘刃からは白い冷気が迸しる。
綾麿が左の鞘刃を一閃する。
鋭角から首を狙ってきた先陣の三枚の鉄扇は、この僅か一閃でその全てが弾かれていた。
更に真刃を振りおろして一枚、また即座に斬り上げて一枚。
二枚の鉄扇を真っ二つに叩き斬った綾麿は、すぐさまに壁に向かって跳躍した。
鎌足を苦しめた紅閃鬼の鉄扇は、此度もまた弾かれても角度を変えて、獲物である綾麿の後を再び追尾する。
後ろからだけではない。
まだまだ攻撃は序の口とばかりに、正面からも第三陣、第四陣、第五陣と、十枚以上の鉄扇が連なり向かってくる。
そんな通路の宙を支配する鉄扇の群れを前にして、綾麿は左右の壁を蹴り、床を跳ね、四方八方ありとあらゆる角度に、華麗に身を翻していく。
刃の流れに乗って、蒼と白の筋が宙を走る。
綾麿は右の真刃と左の鞘刃の巧みで正確な剣戟で、紅閃鬼の投じた地獄の鉄扇を、次々と真っ二つに叩き割っていった。
襲いかかる鉄扇、綾麿がその最後の一枚を弾く。
と同時に綾麿は、その一枚諸共に鞘刃を思い切り右の壁に叩き付け、壁に鉄扇をめり込ませた。
綾麿の左手に力が入る。
鉄扇が更に壁にめり込んでいく。
そして次の瞬間には、鉄扇は粉々に砕け散っていた。
「⋯⋯よく見ておけ。御主が人を無情に殺めたように、麿もこの鉄扇は容赦なく粉砕する。⋯⋯そして、まだ問いかけの途中だ」
語尾を強めた綾麿は、紅閃鬼を改めて睨み付けた。
《⋯⋯ほほぉ。私の断捨離の鉄扇、緩急を様々に付けた二十枚をこうも華麗に素早く防ぐとは⋯⋯! その技、人間にしては素晴らしい! 流石は日本が誇る『六歌戦』⋯⋯、と言いたい所ですが、口の利き方といい、無敵の紅鬼軍に歯向かう身の程の知らなさといい、どうやら他の『六歌戦』の者たちの中では、“賢さ“の点で劣るようではありますが。⋯⋯ふふふ》
紅閃鬼は攻撃をかわされても、嘲りの言葉を呟く程にまだまだ余裕があった。
紅閃鬼の口から偶然に出た、『六歌戦』という言葉。
綾麿の細めた目が、より鋭く強く煌めいた。
「⋯⋯丁度良い。聞きたいと思っていたのが、その『六歌戦』の事だ。麿の⋯⋯、否、此処には誰の気配も無い。女鬼のように気を遣う必要も無い。肩がこる公家言葉ではなく、特別に”俺“自身の言葉で話してやろう」
綾麿は自身のことを“麿”ではなく、初めて”俺“と呼んだ。
その自称の変化が持つ“意味”、そして秘めている“真意”に、この時の紅閃鬼は全く気付いてはいなかった。
鬼の紅閃鬼だけでは無い。
江戸から駆け付けたばかりの鎌足は勿論、公家や警備兵、そして大将である兼季に至るまで、内裏の誰もが綾麿の真意には気付いていなかった。
⋯⋯ただ一人、直属の配下である樋ノ口少将麒麟を除いては。
《⋯⋯む、貴方自身の言葉? ⋯⋯そして『六歌戦』の事だと?》
「⋯⋯ああ。御主ら紅鬼軍。⋯⋯予てから『六歌戦』の、“とある女”と関わりがあろう。俺が長年に渡り調べ、抱いていた疑念疑惑は、御主の仲間である紅斬鬼が漏らした話から、ほぼ確信へと変わった」
《⋯⋯紅斬鬼が? ⋯⋯ふふふ、それはあり得ません。あの女鬼は口が固い》
「⋯⋯確かに口にしてはいない。だが紅斬鬼の高い自尊心や尋常では無い敵愾心が仇になったな。”紅斬鬼よりも強い人間の女子の知っている“、そう伝えた後に三人の女子の名を告げた時。その内の一人『六歌戦』の女子にだけは、明らかに敵意や怒りを露わにしなかった」
《⋯⋯ほぅ?》
「⋯⋯確たる証拠は無い。が、今はそれだけで十分。それに御主に聞いても決して答えぬだろう? 『六歌戦』弓月院小夜が、密かに紅鬼と通じている、とはな」
《⋯⋯ふふふ、これまた面白い推察ですね。日本を守りし『六歌戦』に裏切り者がいるとは⋯⋯、しかもそれが当の『六歌戦』本人の口から語られるとは⋯⋯、これは滑稽すぎる話。侵略を果たして地獄へ帰還する際の土産話にさせて頂きますよ。⋯⋯ちなみに私は肯定も否定もしません。⋯⋯ふふふふふ》
「⋯⋯そこでだ、紅鬼よ。今の話を踏まえての俺の問いだ。⋯⋯御主が知っているかは知らぬが、昨日俺は蒼鬼の修羅に襲われてな」
《⋯⋯ふふふ、それはそれは御愁傷様。それで?》
「その蒼鬼の動きや言葉から、蒼鬼と密かに手を組む御所外部の者の存在を知った。⋯⋯即ち日本を裏切った『六歌戦』がまだ居るはずだ。⋯⋯紅鬼のことは話せずとも、蒼鬼のことなら話しても問題は無かろう。蒼鬼と繋がる者。もし知っていれば言え。⋯⋯それは誰だ? ⋯⋯もしくは⋯⋯誰と、⋯⋯誰だ?」
《⋯⋯何と。蒼鬼たちが『六歌戦』とねぇ。それは良い情報を得ました。しかし、貴方はそれを知ってどうするのです? 日本を守る大切な仲間では? ふふふ⋯⋯、白黒を問いただし、黒ならば説得でもするのですか?》
「⋯⋯否。⋯⋯内通は既に鬼と化したも同じ。日本のため、先の小夜同様、その者も絶対に死んでもらう。⋯⋯この不知火中将綾麿、例え『六歌戦』に名を連ねる者と言えども、⋯⋯裏切り者は尽く⋯⋯━━━━斬る」
綾麿は村雨の真刃を、まるで見えない敵と向かい合うように眼前に翳した。
真刃の隣に並ぶ綾麿の瞳は、未だかつて無い程にぎらついていて鋭い。
そんな闘氣を露わにする綾麿を前にして、紅閃鬼は変わらずにやにやと笑みを浮かべ続けている。
そして問いかけの返答とばかり、先程の数を遥かに上回る、幾重にも連なる鉄扇を掌の中に広げていった。
紅閃鬼に言葉は無くとも、その鉄扇の臨戦態勢が問いの返答であることは、綾麿も自ずと悟っていた。
紅閃鬼の返事を待たずに、綾麿が動く。
だらりと左右に村雨両刃を下げ、再び紅閃鬼に向かってゆっくりと歩き出した。
《⋯⋯蒼鬼のことは別として、先の小夜とやらの件。例え知っていたとしても、死に逝く者には教えません。⋯⋯ふふふ、それにしても裏切り者が出るとは⋯⋯、日本も間違いなく終いですね。そしてこの三十の鉄扇で貴方も終いです。此処で詠み終えましょう、『六歌戦』の歌一つ》
紅閃鬼が衣を派手に靡かせた。
左に十五枚、右に十五枚。
掌の中の鉄扇三十枚を、綾麿に向かって投げ放つ。
《⋯⋯『六歌戦』の貴方に敬意を評して、私の最も得意とする奥義の一つで葬ってあげましょう。⋯⋯鬼扇乱舞。死終の秘扇、⋯⋯『闇時雨』!》
紅閃鬼の手を離れた鉄扇が、次々と勢いに任せて左右の壁を突き破る。
紅閃鬼の衣の袖が靡き終えた頃には、鉄扇三十枚全てが、長い廊下からその姿を完全に消していた。
しかし穴だらけとなった壁の向こう側で、消えた鉄扇は飛翔を続けていた。
今度はまるで巨大な蝙蝠の羽音のように、無数の何かが確実に宙を羽ばたいている音が、この閉ざされた空間の壁や床や天井に鈍く微かに響く。
それは不吉や不幸を連想させる、悍ましい重低音の飛翔音だった。
その音の出処も左か右か、もしかして上からなのか、はっきりとは分からない。
そんな見えない恐怖が支配する廊下を、綾麿は何も怯むことなく、悠然と歩を進めていた。
⋯⋯その時。
突如として左右の壁を突き破り、消えていた鉄扇が一枚、また一枚と弧を描きながら姿を現す。
左の壁から、右の壁から、背後の壁から、時には天井や床を突き破りながら、そしてまた一度壁に隠れては、また現れながら、綾麿の隙となる角度や不意を突いて、四方八方から鉄扇が襲いかかった。
それでも綾麿は、顔色一つ変えずにまだ歩き続けていた。
防御の盾は、手にした村雨二刀。
眼前に迫る鉄扇を、真刃で二枚、鞘刃でも二枚、たった一振りでまたもや真っ二つにする。
そしてその迎撃を起点として、綾麿は身体を翻し、再び壁と壁の間、天井と床の間を跳ねた。
左右の壁を蹴り、天井と床を跳ね、宙を右に左に、斜め下に斜め上に、自由自在に舞う。
空中で真刃を巧みに振るいながら、七枚の鉄扇を次々に叩き割っていく。
颯爽と床に着地した綾麿は、次はゆっくりと片膝をつきながら腰を落としていった。
真刃を鞘刃に納める。
そして即座の瞬速の抜刀。
村雨から放たれた蒼白の炎の渦は、更に五枚の鉄扇を一度に粉々に砕き飛ばした。
綾麿はその低い姿勢のまま、返す刀でくるりと身を回転させる。
そして刃と鞘刃の二重の旋回で、全方位から迫っていた鉄扇十枚を一度に薙ぎ払った。
撃墜された八枚の鉄扇は、割れた皿のように粉々になって床に落下していく。
しかしその内の二枚だけは、扇面を大きく破損しながらもまだ飛行能力を有していた。
生き残った二枚は、再び壁の中へと消えていく。
壁越しに聞こえる二枚の羽音に目を流しながら、綾麿はゆらりと立ち上がった。
そして強烈な突きを一閃。
正面から向かってた鉄扇三枚を、真刃で串刺し状態で破壊する。
その体捌きの流れのまま、直後に頭上から襲ってきた鉄扇一枚も、今度は逆手持ちの鞘刃を真上に斬り上げ、真っ二つに粉砕した。
その時再び、壁と床から最後の二枚の鉄扇が飛び出してきた。
一枚は右の壁から弧を描く。
もう一枚は床下から高速の直線で、二枚で前後を挟み込むように綾麿に襲いかかる。
しかしその最後の二枚も綾麿には届かない。
振り翳された真刃と鞘刃によって、二枚とも今度こそ木っ端微塵に粉砕され、残骸は床へと虚しく飛び散っていった。
⋯⋯それは流れるような、美しい動きだった。
一から三十の撃墜破壊までに、刻の数えは五十どころか三十も必要なかったかもしれない。
鳥のように蝙蝠のように縦横無尽に飛び回った鉄扇の群れは、あっという間に全てが儚くも砕け散っていた。
この綾麿の剣舞のような華麗な剣技を前にして、紅閃鬼の表情にも明らかな動揺の色が滲む。
《⋯⋯ッ! まさか!? 三十枚もの鬼扇乱舞、しかも姿も影も消す、必殺の『闇時雨』がこんないとも簡単に!?》
「⋯⋯当然だ。これしきの温い飛道具、簡単に退けないようでは、鬼と共に俺が真に斃すべき、『六歌戦』⋯⋯、神速の魔弓には敵わない事になる」
綾麿の視界は既に目の前の紅閃鬼ではなく、来たるべき未来の戦いの姿を見ていた。
その両の眼に映るのは、上下左右東西南北ありとあらゆる方向角度から、紅閃鬼の鉄扇を遥かに上回る速さで迫り来る、無限とも思える数多の矢。
そしてそんな弓の大群の奥に垣間見える、箙を背負い、矢を番える、三日月のような弓と巫女装束の朧気な影の輪郭。
綾麿は一度目を閉じて仮想の敵の幻影を払拭すると、斃すべき敵を、再び紅閃鬼へと定め直した。
冷静な面持ちは尚も変わらない。
激しい動きの後にも関わらず、呼吸もまるで乱れることもなく、村雨二刀を下げた綾麿は、再び紅閃鬼の元へと近づいていく。
長い廊下とは言え、綾麿が端から歩いてきた距離は、既に四分の三に達していた。
紅閃鬼に辿り着くまで、気付けばもうあと僅かの距離しか無くなっていた。
いつの間にか無くなっていたのは、距離だけではない。
紅閃鬼の当初の余裕までもが無くなっていた。
《⋯⋯くッ! 貴方⋯⋯いや、貴様、地獄の詔を口にしたり、私の鉄扇と渡り合える村雨とやらの二つの刃、地獄の焔を彷彿とさせる妖しげな二つの炎⋯⋯! 例え『六歌戦』とは言えど、只の剣客⋯⋯いや、人間ではないと見た! 一体何者!? 地獄に縁の有る者だとでも!?》
問いかけられても綾麿は一切歩みを緩めずない。
短く一言だけ、淡々と言葉を返した。
「⋯⋯否。鬼を心の底から憎む、只の人間だ」
《⋯⋯ッ、貴様ッ!?》
廊下に綾麿の影が揺らめく。
綾麿の影を煌々と照らす一つの燭台の灯りは今、紅閃鬼の苦虫を噛みつぶしたような顔までも、仄かに照らしていた。
一つの灯りで両者が照らされる。
そんな紅閃鬼のすぐ近くまで、綾麿は迫っていた。
「⋯⋯さあ、もう目の前だ。⋯⋯それでもまだ鉄扇を出すか。刀を持たず、攻撃の間合いも限られている御主に、接近戦での勝ち目は無いのではないか」
綾麿の一歩また一歩、床を踏みしめる草履の音。
それが紅閃鬼の耳には、たまらなく不快で耳障りに響いていた。
(《⋯⋯落ち着け。地獄に縁など、そんなことは有る訳が無い。蒼白の刃が地獄に有るなど聞いたことも無い。ましてやこの者自身にも角は無いではないか》)
⋯⋯しかしこの至近距離でも、まだ紅閃鬼には秘策があった。
庭園の乱戦時、接近戦で蒼刃鬼を斃した、あの技。
(《⋯⋯この者、やはり人間に間違いない。鬼扇乱舞の鉄扇を上手くかわしただけで図に乗るとは。何と愚かな人間でしょう。⋯⋯ふふふ、私の鉄扇は接近戦こそが真骨頂。蒼刃鬼同様に『枝垂桜』の鉄爪で貫き、一気に決着を付けるとしましょう》)
今目にしたばかりの太刀筋、村雨の真刃と鞘刃の斬り抜く速さ。
そして自身の纏う長襟を変化させての紐糸の縛りと、爪の変化による刺す速さ。
紅閃鬼が両の技を推し測る。
(《⋯⋯ふふふふふ、勝ち負け、しかと見えました》)
⋯⋯枝垂桜は、受ける綾麿にとっては全くの想定外であり、未知数の技。
しかも接近戦用に特化し、鋭利軽量。
軽さから繋がる速さには絶対の自信があり、その優位性はどう考えても揺るがない。
同じ発動、同じ間合い、そして更に仮に同じ速さだったとしても、目の前で一気に伸びきる十爪その全てを弾き防ぐのは不可能。
鉄爪の何本かは、間違いなく綾麿に相手に届く⋯⋯。
紅閃鬼がだらりと下げた手の十本の指を、綾麿に気取られないように妖しく滑らせる。
(《⋯⋯私としたことが、少し気が昂ぶってしまったらしい。慌てる要素も、敗れる要素も何一つ無い。さあ来い。⋯⋯近づけ、⋯⋯もっと近づけ。⋯⋯私の間合いに入ったが最期、貴方は血飛沫をあげて死ぬのです》)
紅閃鬼は両の掌に一枚ずつ、無数の小さな刃を光らせた防御の鉄扇を広げた。
綾麿の死を想像した、紅閃鬼の口元が自然と緩む。
高ぶる笑みを鉄扇で隠しながら、紅閃鬼は綾麿を待ち構えた。
紅閃鬼の秘策、接近戦への絶対の自信に、綾麿はまるで気づかずに歩み続ける。
一歩。
また一歩。
紅閃鬼へと近づいていく。
そして遂にその時は来た。
互いの攻守の間合いとなる、“生死の線”。
その一線を綾麿が、⋯⋯超えた。
後は互いに一足飛びで事は足りる。
村雨の真刃と鞘刃は、紅閃鬼の身体に届く間合いに入っていた。
紅閃鬼の秘技、枝垂桜が綾麿の身体に届く間合いに入っていた。
綾麿が淡々と呟く。
「⋯⋯さあ、着いたぞ。⋯⋯覚悟を決めろ、紅閃鬼」
《⋯⋯ようこそ。よくぞ此処まで辿り着きました、『六歌戦』。心より歓迎致します⋯⋯》━━━━。
第70話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第71話「殺戮の代償〜後編〜」は、6月15日もしくは16日に投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創作して頂いたオリジナルEDです!
ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
ED②https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT
こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪




