第65話 紋章
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。帝の命を守るため、御所内へと消える⋯⋯。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷の探索の密命も帯びる。帝の命を狙う鬼達の襲撃の中、綾麿が死んだと勘違いし、更なる闘志を燃やす。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、色香に溢れた絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。紅斬鬼とは犬猿の仲。
蒼鋼鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。人間の身体の数倍はある巨体で、凄まじい怪力と絶大な威圧感を誇る。まさに”鬼に金棒“、手にした金砕棒で破壊の限りを尽くす。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━《⋯⋯御前! ⋯⋯その血に何を混ぜた!? ⋯⋯いや、何が混ざっている!? ⋯⋯御前はまさか!》
鬼紅葉は紅斬鬼の命令ではなく、自らの意思で鞭型から通常の野太刀の型へと、半端に変化を解いていた。
紅斬鬼の顔に明らかな動揺が浮かぶ。
大切な相棒が苦汁を舐めさせられた。
そんな怒りにも身体を震わせながら、紅斬鬼は鎌足を睨み付けた。
紅斬鬼の視線の先。
鎌足は目を合わせることもできずに、ぐったりと項垂れていた。
鬼切丸を握る手と腕をだらりと下げ、見るも虚ろな姿で立っていた。
それはまさに呆然自失という言葉がぴったりと当てはまる程に、誰が見ても”亡者“となる一歩手前、生気を失った瀕死の状態に見えた。
しかし明らかに亡者とは異なる、生者の証となる兆候もあった。
それはまだ輝きを喪っていない、地を見つめる瞳⋯⋯。
⋯⋯今、その瞳が何かに覚醒めるように、妖しく煌めいた。
鎌足の心臓が“どくん”、と大きく鼓動する。
遠くからか、近くからかも分からない。
外からなのか、内からなのかも分からない。
ただ、何処からか声が聞こえた。
(⋯⋯オモイダセ、ソノチヲ、ココニイルイミヲ⋯⋯)
(⋯⋯オモイダセ、ソノミニ、ヒメシ、チカラヲ⋯⋯)
そんな声の後。
━━━━鎌足の中で、また“何か”が弾けた。
項垂れたまま、鎌足の口だけがゆっくりと動く。
その声は何処か、⋯⋯愉しそうだった。
「⋯⋯久々に血を抜かれて、少しだけ目が覚めたよ。⋯⋯どうだ? ⋯⋯私の血は美味かったか? ⋯⋯え? 紅鬼さんよ?」
そして、鎌足は思った。
⋯⋯(⋯⋯あれ? 綾麿に向かった時と同じだ。また勝手に口が⋯⋯。言葉が胸の奥から自然と沸き上がってくる。そんなこと喋るつもりも無いのに何で⋯⋯)⋯⋯
自身の心の奥から沸き上がってくる、もう一人の自分の存在。
激しい動悸と共に全身に感じる、不思議で奇怪な二重の感覚。
それはつい先刻、綾麿に鎖の技を弾かれ、追い詰められた時に芽生えた感覚、朦朧とした意識、そして心の奥が疼くような鼓動と全く同じだった。
二回目だからだろうか。
胸の高鳴りは、今回の方が強く感じる。
⋯⋯(⋯⋯私もしかして、窮地を愉しんでいる?)⋯⋯
受けた身体の傷が癒されていくような、不思議な気力や闘志も漲ってくる。
しかしその反面、心だけでなく自分自身の全てが支配されていくのではないか。
そんな負の感情も入り混じる。
鎌足は今、生きるか死ぬかの戦いの中に身を投じている高揚感に包まれながら、言いようもない不安と戸惑いにも囚われていた。
そんな鎌足の脳裏に突如として浮かんでくるのは、鬱蒼とした紅葉の木々。
血が滴る枝葉。
枝に引っ掛かる、無数の亡骸。
もう一人の鎌足が呟く。
「⋯⋯あの鬼紅葉の記憶が、私に流れこんできたか」
紅の深い森の情景は、鎌足の視界一面どこまでも広がっていた。
その最深部に鎌足の心は在った。
おびただしい数の亡者の血を吸い、深い紅に染まっていく大木が、鎌足にははっきりと見える。
⋯⋯(⋯⋯この森、⋯⋯鬼たちの森? ⋯⋯あの女紅鬼と関係のある森? ⋯⋯でも、何で? ⋯⋯私は知っている? ⋯⋯行った事がある? ⋯⋯ただの夢? ⋯⋯死ぬ前に見る幻? ⋯⋯それとも⋯⋯、私の記憶?)⋯⋯
自分が自分でないような意識の混濁の中でも、鎌足の心は次第に落ち着いていった。
胸の刺し傷、太腿や肩の傷をはじめ、戦いで受けた痛みは不思議にもいつの間にか和らいでいた。
手や足に力や想いが伝わっていく。
それが今ははっきりと分かる。
(⋯⋯手足が動く。⋯⋯まだ戦える)
━━━━《⋯⋯ッ、ちぃっ! 鬼紅葉が血を拒絶するとは!? ⋯⋯御前は一体!?》
鬼紅葉の苦悶に面食らった紅斬鬼は、状況を完全に把握できないまま苦々しい表情を浮かべていた。
そして鬼紅葉を軽量の鞭の姿から元の重量感漂う野太刀の姿へと完全に戻し、再び鎌足を撃つべく身構えた。
(《⋯⋯まさか、こいつ、地獄に縁を!? ⋯⋯古から伝わる、あの血、か⋯⋯!? ⋯⋯いや、やはりそんなことは有り得ない、ましてや日本に潜んでいるなど聞いたこともない。⋯⋯では、紅蒼鬼の血すら好む鬼紅葉が、此処までに拒絶を見せたのは何故だ⋯⋯ッ!?》)
鎌足は頭をゆっくりと上げた。
そして正面の紅斬鬼と目を合わせた。
その瞳は力強い輝きを取り戻していた。
鎌足の中の想いが二つ、口と心で言葉になる。
「⋯⋯私には蒼紅鬼を斃す使命がある、⋯⋯いくぞ、女紅鬼!」━━━━
⋯⋯(綾麿の代わりに、私が帝を護らなくては⋯⋯! そして鬼切丸も絶対に渡さないッ!)⋯⋯
鎌足は鬼切丸を逆手に構えながら、一歩を踏み出す。
そして今出せる力の限り、疾走た。
「⋯⋯うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉッッッ!!」
咆哮と共に駆けたその速さは、先程までの力を無くした動きとは比べ物にならない。
そしていつもの鎌足でもない。
それは何かの見えない力に後押しを受けた、限界を超えた瞬速の脚捌きだった。
《⋯⋯速い! こいつ、⋯⋯何処にまだそんな力が!?》
紅斬鬼が鬼紅葉を振りかぶり、刃を伸ばしながら先端を五爪の熊手の型へと変える。
そして鎌足を斬り裂き、引き千切り、叩き潰すために、真正面から向かってくる鎌足の真上に向けて、鬼紅葉の五爪の熊手を思い切り振り下ろした。
その瞬間、鎌足は翔んだ。
人間の手のように蠢き迫り、鎌足を刃の拳で握り潰そうとすら見える熊手の鬼紅葉。
鎌足はその全ての指の攻撃よりも素早く、人差指と中指の二指の間を飛び抜けた。
鎌足を掴み損ねた鬼紅葉が、空振りの握り拳を作る。
その奇怪な刃の拳を背に、着地した鎌足は背後を振り返りもせず、すぐさまに再び全速で疾走た。
《⋯⋯ちいッ!》
紅斬鬼は鬼紅葉を握る右手を引いた。
その引きに連動して、鎌足の背後で鬼紅葉が再び変化を遂げる。
熊手の握り拳から鉤爪の型(※Jの形)へ。
紅斬鬼の刃の長さを縮める引きの動きに合わせて、今度はこの鉤爪型の鬼紅葉が、鎌足の命を狙っていた。
鎌足を背後から追いかけ、鉤爪で引っ掛け刺し貫く。
そんな邪念に染まった追跡の刃が、鎌足に届くと思われた瞬間。
鎌足は真上へと飛び上がった。
それはまるで後ろにも目が有るかのような、的確な判断と巧みな体捌きだった。
急襲を回避した鎌足は、蜻蛉返りのように後方回転しながら着地する。
《⋯⋯前方ではなく真上に飛び、やりすごす、か。最善の判断だ、⋯⋯だが》
紅斬鬼も負けてはいない。
鎌足が飛翔したその時既に、紅斬鬼は次の攻撃へと移行していた。
鉤爪の鬼紅葉を手元へと戻しながら、身体を一回転させる。
鉤爪の型は紅斬鬼を軸に旋回しながら、再び舟の櫂のような太い型へと変わっていく。
紅斬鬼が狙うのは、回転の遠心力を利用した強力な薙払いの一撃だった。
再び疾走りだそうと身を乗り出した鎌足。
その左側面に向けて、紅斬鬼はこの櫂型の鬼紅葉の刃を撓らせた。
「⋯⋯ッ!?」
《⋯⋯どうだ! さっきみたいにもう一度吹っ飛べ!!》
鎌足は右逆手で持っていた鬼切丸を咄嗟に斬り上げた⋯⋯。
刃と刃の激しい激突音が響く。
⋯⋯その直後、紅斬鬼の得意顔は、またも驚愕の顔へと変わっていた。
吹っ飛ぶどころか、鎌足は尚もその場に立っていた。
それどころか鎌足の翳した半刃の薄い鬼切丸は、この太い櫂状の鬼紅葉を完全に受け止めていた。
激突の余波が、辺りの空気をびりびりと斬り裂く。
流石に鎌足の顔は鬼紅葉の重圧に堪える辛さで満ち、また鬼切丸を持つ右手や添えた左手、そして小さな身体は小刻みに震えている。
しかし紅斬鬼の方は、まさか受け止められるなどとは露とも思ってはいない。
鬼紅葉が拒む血。
そして鎌足の秘めた力の片鱗。
不可解な事象を立て続けに見せられた紅斬鬼は、背中に不気味な薄ら寒さを感じずにはいられなかった。
《⋯⋯ぐッ!? ⋯⋯こ、こいつ!? ⋯⋯ぐ、ぐぐぐぐッ》
紅斬鬼は無意識に、鎌足のこれ以上の接近を拒絶していた。
その困惑と焦燥が、止められた鬼紅葉を団扇の型へと変える。
櫂が膨らみ団扇へと変わった次の瞬間には、鎌足の身体はこの巨大な団扇に強く扇られ、今近づいてきた距離を再び振り出しに戻されるように、ふわりと大きく後方へと飛ばされていた。
しかし鎌足は怯まない。
地を激しく滑り、風に圧されながらも倒れることなく踏みとどまる。
そして今一度、鬼切丸を逆手に構え直すと、紅斬鬼に迫るべく再び疾走た。
圧し戻した距離、再び開いた間合い。
この一時の間に、紅斬鬼は鎌足に対する油断を根本から改めていた。
《⋯⋯はっ、なかなかにやるじゃねえか。見直したぜ。⋯⋯ふん、あれこれと考えるのは止めだ。御前の正体や力がどうだなんて、殺しちまえば関係ねえ。紅閃鬼の言う通り、次は⋯⋯“全力で”潰してやろうじゃねえか。細かな連撃には耐えられても、これはどうかな》
剣技に秀でた紅斬鬼と、伸縮自在の鬼紅葉。
この組み合わせに、何ら変化の無い鎌足の正面からの再突撃は、これ以上は無い返り討ちの絶好の機会になっていた。
この長い間合いを利用した、”とある一撃“で次こそ鎌足を仕留める⋯⋯。
⋯⋯そう決めた紅斬鬼は、口元を緩めた。
その“とある一撃”とは、絶対の自信を持ち、鬼紅葉の様々な型のうち、最も得意とする変化と技。
そして自身の奥の手でもある一撃。
《⋯⋯間違いなく、これで終わりにしてやるぜ》
鬼紅葉を右手側やや中段に構え、ゆっくりと腕を引く。
鎌足を待ち受ける紅斬鬼は、その奥の手用の迎撃体制を取った。
そんな紅斬鬼の仕掛けに、鎌足はまるで気付かない。
気付くどころか、鎌足はただひたすらに紅斬鬼を討つことだけを想い願い、再び疾走ていた。
先程は鬼紅葉の型を次々と変え、攻撃を繰り出してきた紅斬鬼は、今度は一転して一切動かない。
指先の鬼紅葉に氣を集中させる。
銀の眼で獲物に照準を定めるようにして、鎌足が自身の絶対領域に入るまで待った。
駆ける鎌足の脚元と、鬼切丸の刃の向き。
紅斬鬼は、その二つに交互に目を配っていた。
そして突然に銀の瞳を妖しく煌めかせる。
横の動きは勿論、飛び退きも、飛び上がりもできない⋯⋯。
⋯⋯そんな絶対領域に鎌足が入ったことを見届けた紅斬鬼が、遂に動く。
鎌足に向けていた鬼紅葉。
その刃の切っ先を、一気に最大限まで伸ばす━━━━。
━━━━必殺の“突き”を繰り出した。
《⋯⋯ふふふふ! この近い間合いで、この突きをかわせた者は未だかつて誰も居ない! ⋯⋯終わりだ! 伊賀の鎌足!!》
それは単なる”突き“ではなかった。
振りかぶったり、突きの構えを取るでもない。
元々引き気味の中段の構えから、一気の腕の突きと同時に、切っ先も最長の長さまで高速で一気に伸びる、“突き”を極めた”突き“。
狙われた相手は決して誰も避けることができない、そう言っても過言ではない程の技だった。
そして紅斬鬼が最も得意とする間合いからの、必殺必勝の奥の手だった。
再び鎌足の胸を狙って、伸びる鬼紅葉の切っ先。
血を吸わせるのではない。
刃の先端に有るのは、確実な殺意。
「⋯⋯なにッ!?⋯⋯(⋯⋯ああッ!?⋯⋯)」
紅斬鬼の意図、勝負を一気に決めにかかる”突き“技に、疾走る鎌足もようやくにして気付く。
だが、時すでに遅し、だった。
鬼紅葉の切っ先は、既に鎌足の目と鼻の先に在ったからだ。
(⋯⋯避けきれない、⋯⋯弾くことも間に合わない?)
生死を分かつ緊急の場面に遭遇した場合、人が正しい判断を選ぶためには、十分な思考を巡らす”刻の猶予“が必要となる。
鎌足にとって、鬼紅葉の“突き”は完全に想定外だった。
そして勢いをつけて自分から駆け寄っていたために、その”刻の猶予“も完全に喪失していた。
「⋯⋯ッ、⋯⋯胸に、⋯⋯刺さる、⋯⋯殺られる?」
(⋯⋯綾麿を斃した、女紅鬼に私も敵わないのか?)
顔面に迫り来る避け難い鬼紅葉を前に、鎌足が”敗北”という唯一の選択肢を選ぶ覚悟を決めかけた⋯⋯
⋯⋯その時。
鎌足の脳裏を、ある男に告げられた言葉が断片的に過っていく。
鎌足は鬼紅葉の切っ先に、一人の男の影を見ていた。
⋯⋯(『⋯⋯半刃と言え、その斬れ味、鋭さ、想像以上だ⋯⋯刀には斬る側、受ける側、共に相性がある⋯⋯鬼切丸も半刃が故に薄く軽く⋯⋯⋯刃の特性を活かす法を知らぬ内は⋯⋯⋯⋯』)⋯⋯
鎌足が息を呑む。
そして最後に脳裏に映ったのは、不敵な笑みを浮かべ勝ち誇る、あの綾麿の顔。
そして刃のように心に鋭く突き刺さった、あの言葉。
⋯⋯(『⋯⋯⋯⋯綾麿には勝てぬ!』)⋯⋯━━━━
━━━━その言葉に、二人の鎌足が抗う。
「⋯⋯いや、私は絶対に勝つ! この鬼切丸と共に!」
(⋯⋯いや、私は絶対に勝つ! この鬼切丸と共に!)
鎌足の心と身体が一つになる。
「⋯⋯⋯ぅぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお⋯⋯!!」
躊躇は無かった。
どう逃げるか、どう避けるか、ではない。
此処で敗れ、斃れることも一切考えない。
鎌足は気合の咆哮を上げながら、迫る鬼紅葉を正面に見据え、むしろ前へ”加速“した。
それは今に至るまでの鎌足の全ての戦いの速さを超える、神速の動きだった。
二つの刃が激突する。
⋯⋯その刹那の瞬間。
鬼紅葉は野太刀のため、半刃となっている鬼切丸の刃よりは、かなり厚みがある。
その鬼紅葉の切っ先の真ん中、言わば刃の先端の芯となる部分。
言わば“切っ先の切っ先”に当たる最尖端に、鎌足は鬼切丸の刃先を“当てて”いた。
そして疾走る勢いそのまま、鎌足は鬼切丸で鬼紅葉を━━━━
━━━━縦に真っ二つに斬り裂いていった。
それは薄く軽く、そして類稀な鋭い斬れ味を持つ、鬼を斬るための刀⋯⋯鬼切丸の半刃の特性を咄嗟に最大限に活かした、鎌足起死回生の超人的な剣技だった。
《⋯⋯そんっ!? ⋯⋯な!! ⋯⋯馬鹿なぁぁああァァ!?》
「⋯⋯⋯⋯うおおおおおおおおおおぉぉぉぉ⋯⋯⋯!!」
鎌足の疾走りに合わせ、徐々に縦に斬り裂かれていく鬼紅葉。
今度ばかりは紅斬鬼の指図ではない。
意思に反して二又と化した刃が左右に分かれ、だらりと地にぶら下がっていく。
鬼紅葉を斬り、二つに裂き続けながら、鬼切丸は鎌足と共に紅斬鬼の手元に迫っていった。
この鎌足の反撃と剣技は、紅斬鬼の想定外だった。
皮肉にも十分な思考を巡らす”刻の猶予“は、紅斬鬼の方にも無かった。
この狭まりゆく間合いと鬼紅葉の状態では、もはや動きは限られていた。
刃を新たに変化させる事も難しく、また刃を突いている体勢では、先の鎌足同様に前後左右に逃れることもままならない。
最後の砦として鍔で鬼切丸を受け止めるしか、紅斬鬼の頭の中に残された術はなかった。
《⋯⋯ちぃッ、⋯⋯この動き!? ぐぬうぅぅッ⋯⋯!!》
「⋯⋯⋯⋯これが! 鬼を斬るための刀ッ━━━━!!」
だが勢いに乗った鎌足と、鋭さを増した鬼切丸の刃はそれでも止まらない。
鬼切丸と鬼紅葉の鍔が激突した⋯⋯。
⋯⋯その瞬間。
鬼紅葉の鍔と柄、そして”何か“の塊が空を舞う。
「━━━━鬼切丸だあああああぁぁぁぁッッ━━━!!」
鬼切丸が斬ったのは、鬼紅葉の鍔。
しかも鍔だけには留まらない。
鬼紅葉の柄までもが真っ二つに切断され、更に柄を握る紅斬鬼の“右手首”までもが、ものの見事に夜空に斬り飛ばされていた。
立ちはだかる全てを斬り尽くした鬼切丸と鎌足の小さな身体は、それでも止まらなかった。
鬼紅葉の全てを完全に二つに離断させながら、紅斬鬼のすぐ目前にまで鬼切丸の刃が迫っていく。
紅斬鬼の大きく見開いた銀の瞳。
その瞳の円全てを、鎌足の姿が覆っていた。
(《⋯⋯こ、これが、七十年前に紅鬼たち同胞を苦しめた、あの伝説の鬼切丸の力か!? ⋯⋯いや、それよりも、こいつの底知れない“強さ”の源は一体何だ!?》)
「━━━━おおおおぉぉぉ⋯⋯ッ、うおおぉッッッ!!」
最後に大きく吠えた鎌足は、紅斬鬼の懐⋯⋯その左胸に向かって飛び込んだ。
そして空中で身体を翻し、鬼切丸の切っ先を紅斬鬼の胸へと振り下ろした。
《⋯⋯⋯ぐがぁッ!? ⋯⋯がッ⋯⋯!?》
鎌足は紅斬鬼の脇をすれ違うようにして、飛び抜けていた。
⋯⋯すれ違った際、鎌足の脳裏に再び流れこんでくるのは、先程浮かんだあの禍々しい森や大木の情景。
しかし先程とは違って、最深部の大木も取り囲む森の木々も、何かの苦しみを露わにするように、その枝々や葉は激しくざわめいていた。
そのざわめきも最期は鎮まり色褪せ、全ての木々や葉が一本一枚残らずに果てていく。
そんな哀愁漂う、落葉と枯野の情景だった⋯⋯。
「⋯⋯主を失くした森が、⋯⋯消えていく⋯⋯」
⋯⋯鎌足は無意識に何かを呟いていた。
そして地を転がるようにして、危険な間合いの外まで脱出していた。
その掌の中には鬼切丸は無い。
鎌足は激しい呼吸のまま、左の片膝を地に突き、体勢を整える。
そしてその背後、今しがたの攻防ですれ違ったばかりの紅斬鬼の方を振り向いた。
鎌足からは背中しか見えないものの、紅斬鬼はまだ立っていた。
鎌足に背を向けたまま、紅斬鬼が静かに呟く。
《⋯⋯鬼切丸か。確かに。良い刀だ。七十年前、私たちを苦しめた理由が分かったぜ。⋯⋯ふふふ、やっぱり鬼切丸は、奪うに値する刀だ》
鎌足の掌の中から消えた鬼切丸は今、そんな薄ら笑みを浮かべる紅斬鬼の胸に在った。
紅斬鬼の左胸。
間違いなく心の臓の真上となる位置に、鬼切丸は深々と突き刺さっていた。
《⋯⋯それにしても、⋯⋯まさか、この私が、鬼紅葉が、人間の、女に、しかも餓鬼に、⋯⋯負けるとはね》
紅斬鬼の両膝が地に崩れ落ちた。
そして紅斬鬼もまた鎌足をゆっくりと振り返った。
紅斬鬼の虚ろな紅の目。
その中に揺らめく銀の瞳が末期に見たものは、膝を突く鎌足の左の太腿だった。
太腿に刻まれたものは、鎌足の生血を纏うことで炙り出された、月灯りと篝火に妖しく煌めく、”鴉の紋章“。
そして⋯⋯。
《⋯⋯その⋯⋯紋章、⋯⋯そして⋯⋯ッ! ⋯⋯そうか、御前の⋯⋯正体は⋯⋯やはり⋯⋯呪わ⋯⋯れし⋯⋯血の⋯⋯、⋯⋯お気を⋯⋯つけ⋯⋯紅皇⋯⋯鬼⋯⋯さま、⋯⋯まだ⋯⋯いる⋯⋯から⋯⋯す⋯⋯がァ⋯⋯》
振り向いた紅斬鬼の言葉はそこまでだった。
紅斬鬼の瞳に映っていた鴉の紋章は、徐々に閉じていく瞼の上下の塞ぎによって、今はもう完全に見えなくなっていた。
胸の傷から溢れ出した紅い瘴気が、紅斬鬼の全身と地に転がる鬼紅葉を包み込む。
かつて人間の魂を奪った葬魂の術。
その術も今、全てが解けていた。
身体の全てが時の逆流を受ける。
葬魂の名残の人骨へと変わり果てながら、紅斬鬼は前のめりで地に倒れ込んでいく。
身体を奪ってから、何百年と経っていただろう、頭蓋をはじめとするその脆すぎる骨々は、地にぶつかる僅かな衝撃にすらも耐えきれず、硝子細工のように粉々に砕け散った。
そして真っ二つに裂けた鬼紅葉と共に、紅斬鬼の身体だった”もの“は、紅い霧に包まれながら御所の夜の空へと飛散していった。
空に浮かぶ幾つかの紅の羅生門邪道、その中で紅斬鬼の命と繋がる、一際大きな紅渦も同じだった。
激しく揺らめきながら地に落ちていき、紅斬鬼の消滅同様、空中で弾けるようにして跡形も無く砕け散った。
後はその場に、暫しの静寂だけが広がる。
紅斬鬼の胸に刺さっていた鬼切丸だけが、僅かに紅斬鬼の血の匂いを残し、この激闘の結末を物語るかのように、その場に取り残されていた。
鎌足は息遣いもまだ乱れたまま、胸を押さえながらふらふらと立ち上がった。
そして落ちている大切な相棒の鬼切丸を掴み、そして感慨深げにその刃をじっと眺めた。
(⋯⋯綾麿、勝ったぞ。⋯⋯覚えているか? 詰所での約束。一方的に私が口にしただけだけど、綾麿がもし鬼に斃された時は、私が仇をとってやる、だったよな。約束は果たしたぞ。⋯⋯大吾を救ってくれた礼だ)
強敵、紅斬鬼を斃した━━━━。
安堵する鎌足だったが、その胸が突然に“どくん”と再び大きく弾んだ。
(⋯⋯!?)
「⋯⋯まだ、まだ⋯⋯、まだ、血が足りない」
鎌足の心とは裏腹に、その口からは意味不明な言葉が漏れ出る。
(⋯⋯!? さっきから一体どうしたんだ、私は!?)
紅斬鬼を斃す際は、一つとなった鎌足の心と身体。
しかしその一体感はまだ不安定で、朧気な”剥離”状態の真っ只中にあった。
⋯⋯その時だった。
鎌足の揺れ動く心、自問自答の困惑を更に刺激するように、突然の爆音と共に再び大地が激しく振動し、竜巻のような強い横風が吹き抜ける。
(⋯⋯な、何だ!? またか!? ⋯⋯今度は何が!?)
鎌足はまだ気付いてはいないものの、この時の大地の揺れと爆音爆風も、蒼鋼鬼の金砕棒によるもの。
両手での魂心の振り下ろしの一撃、無数の長棘を持つ『粉骨砕』が、大地と激突した音だった。
(⋯⋯っ!?)
鎌足はそのあまりの轟音の凄まじさに、耳を抑えて暫く呆けていた。
そして耳鳴りが治まると、その謎の爆音がした方に目を向けた。
⋯⋯其処には、あの閻魔鋼の身体を持つ強敵、巨大な蒼鋼鬼の姿が在った。
そしてもう一人。
蒼鋼鬼の頭上、天空からふわりと舞い降りる、刀を振りかぶった一人の少年公家⋯⋯。
地に降り立った少年が、続けざまに手首を撓らせる。
刀が激しく旋回する度に、蒼鋼鬼の胸は深く深く抉られ、無残に斬り刻まれていく。
苦悶の表情を浮かべる蒼鋼鬼とは正反対に、この少年は愉しそうに笑みを浮かべ、手首を巧みに撓らせ続けていた。
(「⋯⋯閻魔鋼、⋯⋯蒼鋼鬼、⋯⋯が、圧されてる!? そしてあれは⋯⋯、あの子供は⋯⋯)
鎌足の言葉と刻が止まる。
その少年の顔に、鎌足は嫌と言うほど見覚えがあったからだ。
「⋯⋯あれは、⋯⋯ま、まさか、樋ノ口少将麒麟!? ⋯⋯何故? 何故、非番の彼奴が御所に!?」━━━━。
第65話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第66話「凶刃」は6月3日か6月4日に投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創作して頂いたオリジナルEDです!
ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
ED②https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT
こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪




