第64話 吸血の刃
本当は1話に纏めていたのですが、今回も本文が長いため、読みやすさを考慮して前後半の二つに分けました。後半は明日5月30日か、5月31日には投稿予定です。
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。帝の命を守るため、御所内へと消える⋯⋯。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷の探索の密命も帯びる。帝の命を狙う鬼達の襲撃の中、綾麿が死んだと勘違いし、更なる闘志を燃やす。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、色香に溢れた絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。紅斬鬼とは犬猿の仲。
蒼鋼鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。人間の身体の数倍はある巨体で、凄まじい怪力と絶大な威圧感を誇る。まさに”鬼に金棒“、手にした金砕棒で破壊の限りを尽くす。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━⋯⋯『鬼に金棒』
屈強な鬼に金棒を持たせれば、鬼は更にとてつもなく強大な力を得る。
即ち、強い者に相応しい強い武器を与えれば、更に手に負えないほどの強者へと変貌を遂げる。
そんな例えを表した、日本の古くからの諺である。
怒り狂う紅斬鬼と鬼紅葉に狙われ、広大な庭園の東で鎌足が死闘を繰り広げている頃。
ほぼ刻を同じくして、庭園の西の地。
麒麟はまるでずっと欲しかった玩具を与えられた子供のように、嬉々とした表情を見せていた。
その手には、綾麿から渡され、使うことを許された、一振りの真剣が固く握られている。
互いの武器が届く間合いに入った麒麟は、喜びを噛みしめるような綻びから一転、眼光鋭く恍惚と狂気を帯びた笑みへと変わる。
「━━━━その”心の臓“を削らせろ⋯⋯!!」
その顔、その目、その声が新たな戦いの合図、蒼鋼鬼への宣戦布告だった。
麒麟は腰に差していた模造刀を左手で無造作に抜くと、もはや用無しとばかりに真横に激しく投げ捨てた。
そして東で鎌足が鬼紅葉を撓らせる紅斬鬼に向かって疾走たように、麒麟もまた蒼鋼鬼に向かって疾走るべく腰を沈めて、真剣を手に前傾姿勢を取った。
《⋯⋯ふん、無策の突撃に来るか! ⋯⋯ぐはははははは!!、やはり餓鬼は餓鬼、知恵の無い奴! 俺様の目を抉った不意の飛び道具だけは褒めてやるが、本気の俺様の金砕棒には絶対に勝てん! それに日本には古から“鬼に金棒”という教訓があるだろう! 不壊不死のこの無敵の俺様を褒め讃えるありがたい言葉よ!》
先の激突の経験から、蒼鋼鬼は麒麟の得意の攻撃の間合いや速さの程、そしてその性格までを把握していた。
蒼鋼鬼は今、”簡単には削られない“一定の間合いを常に保つという、防御に重きを置いた戦法を企んでいた。
(《模造刀だろうが真剣だろうが、所詮は人間界の刃。金砕棒で防御を固めて退き続け、合間合間に攻撃を繰り出す戦法を取れば、閻魔鋼が破壊される可能は万に一つも無い。しかも勝ち気で生意気な麒麟は必ずすぐに焦り出す。そして血気に逸って刀を大振りしてくる。その後の隙が狙い目。一気に前に出て金砕棒で叩き潰してやるわ⋯⋯!》)
蒼鋼鬼は得意気に口角を上げ、ほくそ笑んだ。
そんな蒼鋼鬼を見て、麒麟も不敵に微笑んでいた。
「⋯⋯鬼に金棒? ⋯⋯知らねえよ、そんな戯言。御前こそ知らねえのか。⋯⋯”麒麟に真剣“って、言葉をよ」
そしてその言葉の後。
⋯⋯麒麟の姿が、消えた。
正確には、“消えるように見える程の速さ”で、麒麟は地を駆けていた。
この時の麒麟の速さは、蒼鋼鬼の想像を遥かに超えていた。
しかも身体で風を切り踏み込む麒麟の眼は、異様なまでにぎらつき、恍惚と狂気の念が滲んでいる。
ともすれば、“何か”に取り憑かれている⋯⋯。
傍目にはそう見えてしまう程に今、鋭い身のこなしも正気を喪った眼も、その全てが“人間離れ”していた。
《⋯⋯な、何ィ!? は、速い!? 刀を変えただけなのに!? な、何故だ!》
蒼鋼鬼にとっては皮肉にも、真剣を手にした目の前の麒麟こそが、まさに『鬼に金棒』状態だった。
麒麟に真剣。
その麒麟が呟いた何気ない言葉の意味を、蒼鋼鬼は身をもって知ることになる。
東の方角である後方へと退きながら、次々と繰り出される防御七分、攻撃三分の金砕棒。
その攻防一体の連撃を、麒麟は俊敏にかわし続ける。
蒼鋼鬼の力を見極めている得意顔か、それとも真剣を手にしている自信の表れか、麒麟が再び笑う。
それは遊びの中に身を投じた”無邪気な子供“という言葉が似合うほどに、心の底から愉しそうに笑っていた。
しかし“無”邪気に見えながらも、その心の中は黒い邪気だけで満たされていた。
「⋯⋯いくぜ」
麒麟が更に加速する。
退く蒼鋼鬼の懐へ。
麒麟は何ら臆することなく、尋常ではない速さを武器に、いとも容易く飛び込んでいく。
そして完全に蒼鋼鬼の企んでいた間合いを殺すと、真剣を握る手首を鋭く回転させた。
麒麟の瞳が妖しく煌めく。
「⋯⋯“真”、天舞、麒麟、⋯⋯磨穿、⋯⋯剣!」
《⋯⋯ぬうッ! 小癪な!!》
一方、間合いに侵入を許した蒼鋼鬼も、麒麟の手首の撓りに素早く対処する。
破壊だけでなく盾としても絶大な効果を持つ巨大な金砕棒を、胸と首の付近に翳し、防御の姿勢をとった。
しかしこの時、麒麟の放った”真“の天舞麒麟剣は、頭に付く“真”の言葉の通りに、先程までの模造刀とは比べ物にならない程の破壊力を纏っていた。
この”真“の力を前にして、蒼鋼鬼が翳した防御の金砕棒は、一瞬にして相当の範囲が抉られ削られる。
そして麒麟の手首が撓り終えた時には、金砕棒の最も太い中央部には、何と大きな風穴が空いていた。
麒麟の姿が全て見える程にまで、ぽっかりと貫通した穴を覗き込みながら、蒼鋼鬼が口を歪ませ、動揺の声を上げる。
《⋯⋯ば、馬鹿な!? 棒の八分まで閻魔鋼を含ませた金砕棒を、これ程までにいとも簡単に砕くとは!?》
「⋯⋯あぁ、いい、⋯⋯やっぱり、いいなあ、真剣は」
麒麟は蒼鋼鬼が金砕棒をどんなに振り回そうが、どんなに怒りや驚きの声を上げようが、興味を示さない。
⋯⋯凶器、狂喜、狂気。
その頭に在るのは、真剣という自身に相応しい凶器を手にした狂喜と狂気だった。
続けざまに今度こそはと蒼鋼鬼の胸を狙い、手首を更に素早く回転させる。
「⋯⋯これぞ真剣の感触! 肉を抉る心地好さ! 骨を削る快感! 言葉にならないくらい最高だぁ!! ⋯⋯分かるか!? これが、天舞の“真の力”ってやつだよ!!」
《⋯⋯信じられん、⋯⋯そんなことが、そんなことが、あってたまるか!!》
蒼鋼鬼が当初の戦法通りに退いても退いても、圧倒的な体格差すら麒麟は全く意に介しない。
麒麟は蒼鋼鬼が退いた以上に、前へ前へと出続けた。
金砕棒の穴は閻魔鋼の回復力で再び埋まっていくものの、埋まっていく金砕棒の代わりにと、今度は蒼鋼鬼の身体がみるみるうちに削られていく。
《⋯⋯がッ!? ⋯⋯不壊不死の閻魔鋼が!?》
蒼鋼鬼の胸は、模造の刃で受けた傷とは比べものにならないくらい、既に深く広く抉れ、削られていた。
それは地獄一強固と言われる閻魔鋼の回復力に比べ、この麒麟の天舞麒麟剣の威力の方が、明らかに上回っている事を意味していた。
「⋯⋯さあさあ!? ⋯⋯そろそろ心臓に達っしちゃうんじゃなねえか!? ⋯⋯さあ、さあさあ!!」
《⋯⋯ぐぬぬぬぬ!? ⋯⋯俺様の無敵の閻魔鋼がこんな奴に⋯⋯、こんな人間の餓鬼に破られると言うのか!?》
蒼鋼鬼の歯軋りまでが耳に聞こえてきそうな中、麒麟の攻撃は続く。
蒼鋼鬼と金砕棒は交互に削られては戻るを繰り返しながら、麒麟の猛攻に耐えていた。
《⋯⋯ぐぬぬぬぬ、⋯⋯ならば奥の手の奥の手よ!!》
まだ穴が完全に埋まりきっていないにも関わらず、蒼鋼鬼は金砕棒を再び両手持ちする。
そして両手を真上に思い切り振り上げた。
すると金砕棒が、更なる凶暴さを露わにする。
先程は弾丸のように飛ばした先端の無数の棘。
その棘全てが、今度は元の長さの三倍ほどの長さにまで一気に伸びていく。
蒼鋼鬼が天高く最上部まで両腕を振り上げた時、全ての棘が伸びきった金砕棒は、まるで針山の槌のような邪悪な外観となっていた。
《⋯⋯うぬおおおおおおおおぉぉぉッッッ━━━━!!》
蒼鬼の修羅としての自尊心が、小さな人間への憤怒と気合の咆哮に変わる。
それは言わば、窮猫鼠を噛む⋯⋯、だった。
そしてその金砕棒は最凶の一撃だった。
追い詰められた蒼鋼鬼は、前に出てくる麒麟に向けて、巨躯の最高到達点から真下へ、全力かつ最後の賭けとなる一撃を叩きつけた。
⋯⋯今宵何度目かになるだろうか、轟音が響き、大地は揺れ、爆風が吹き荒ぶ。
金砕棒と無数の長い棘が、大地を潰しながら激しく削り、そして棘が深々とめり込んだ。
⋯⋯と同時だった。
その渾身の力の代償も大きかった。
回復が追い付かない程に穴が空き、強度自体が相当に弱っていた金砕棒は、蒼鋼鬼の掌と大地の狭間で粉々に砕け散った。
それぞれの棘の先端に剛力が集約される。
この一撃の威力は、金砕棒自身にも跳ね返るほどに強烈さを極めていた。
飛び散る金砕棒の欠片は、その凶暴な外観には似つかわしくない程に、夜の闇をきらきらと美しく飾り、そして蒼い霧と共に夜の闇に溶けるように消えていった。
その間にも、先程の大鳥居の柱への一撃を彷彿とさせるように、叩きつけた場所を起点として周囲の地は蜘蛛の巣状にひび割れ、次々と陥没していく。
数度の揺れを耐えてきた強固な造りの燈籠たちも、この揺れには勝てずに多数が崩れ落ちていった。
眼前の玉砂利は全てが吹き飛び、土煙が舞う。
その灰と赤茶の濁りは、地に直撃してから十以上は数えた後もまだ、相当に宙を燻り続けていた。
蒼鋼鬼は金砕棒の代わりに、仁王像のように両の拳を構え、辺りをゆっくりと見渡した。
土埃で視界が不明瞭な中でもはっきりと分かる、破壊の痕跡。
まるで隕石でも落ちてきたような、巨大な陥没穴。
美しい庭園の面影を失くした、凸凹の荒れた大地。
目の前には、この世の終わりを彷彿とさせる、荒涼とした地獄の大地だけが広がっていた。
腰を抜かしている何人かの警備兵たちや、戦闘中の蒼鬼羅刹や紅鬼羅刹の姿は在った。
しかしあの憎らしい小さな身体は、何処にも見当たらない。
辺りを一通りぐるりと見渡し終えた蒼鋼鬼が、今度こそ戦いの終幕を確信し、豪快に高笑いする。
《⋯⋯ふはははははは!! どうだ!? どうだ! 俺様の『粉骨砕』の威力は!! 今度こそ間違いない! 確実に死んだぞ!! 影も形もなく粉微塵よ!》
麒麟に抉られた蒼鋼鬼の胸の傷は、勝利の余韻に浸る間に、少しずつ元に戻っていく⋯⋯。
⋯⋯事を、麒麟は許さなかった。
土煙の後の地表には、麒麟は居なかった。
勿論先の大鳥居と同じく、潰れた蟇蛙にもなってはいなかった。
「⋯⋯また頭上がお留守だよ」
《⋯⋯ぐはははは⋯⋯、ん!? ⋯⋯は、⋯⋯がッ!?》
唐突に真上から呼び掛けられた声。
その声が鼓膜に届いた瞬間、蒼鋼鬼の勝ち鬨にも似た興奮の笑みは、ぴたりと止んだ。
そして”まさか“の三文字を顔に浮かべながら、声の出処である頭上を、半信半疑でゆっくりと見上げた。
《⋯⋯ぐぬぬぬぬ、まさか。この相手を見下した生意気な声。⋯⋯嫌と言うほど聞き覚えのある幼き声は⋯⋯》
麒麟は空に居た。
そして舞い上がる爆風に乗り、再び天を翔けていた。
頭上を見上げる蒼鋼鬼の瞳に、真剣の切っ先を蒼鋼鬼に向け、加速しながら落下してくる麒麟の姿が映る。
《⋯⋯なッ!? ば、馬鹿な! 全力の『粉骨砕』の一撃までも避けたというのか!? ⋯⋯貴様!? 本当に人間か!?》
麒麟は空中に見えない足場が在るように、自在に夜の空を駆けた。
同じ名を持ち、背中に入れ墨として刻む、古来から語られる伝説の獣、⋯⋯麒麟。
その力と翼を本当に背中に宿しているかのように、麒麟が空を美しく舞う。
何度も身体と真剣を翻し、衣の裾を靡かせた。
《⋯⋯⋯⋯な》
そして蒼鋼鬼がそんな姿に畏怖を覚えた次の瞬間。
身体に旋風のような回転の勢いを纏ったまま、麒麟がひらりと降下する。
そして着地へと至る残影と共に、天空袈裟斬りとも言える程に、蒼鋼鬼の胸を激しく鋭く斬りつけていた。
「⋯⋯金棒、遂に壊れちゃったね。空で見てたよ。⋯⋯丸腰、心よりお悔やみ申し上げます、なんてな」
真剣を閃かせながら、麒麟が颯爽と地上に降り立つ。
この一撃によって蒼鋼鬼の胸元の回復は止まり、刻を戻したように再び刀傷が大きく開いていた。
しかも今、『鬼に金棒』は、無い。
賭けとも言える攻撃に敗れ、武器を喪失した蒼鋼鬼に向けて、麒麟はすぐに追撃の刃を翳した。
とどめを刺し、心を満たす。
最後の”刃の撓り“へ⋯⋯。
⋯⋯流れるように体勢を移行していった。
《⋯⋯があぁッ! ⋯⋯ぬぐぅッ!?》
狼狽する蒼鋼鬼に向けて、麒麟は満面の笑みを浮かべながら叫んだ。
「⋯⋯あははははは! 真剣での天舞、愉しすぎるぜ! ⋯⋯後は心の臓を思いのままに、抉り出すだけ! 周りの石塊ども、よく見ておけ! 俺の活躍と手柄を! 少将からの降格なんぞ、全て”差了“だ!」━━━━。
━━━━東へと戦いの場を移しながら、今まさに終局の刻を迎えようとしている麒麟と蒼鋼鬼。
この麒麟の戦う場からさほど離れていない御所庭園の東の地でも、もう一つの人と鬼との戦いが終わりに近づいていた。
鬼切丸を手に、地を駆けた鎌足。
鬼紅葉を手に、迎え撃つ紅斬鬼。
この二者の戦いは今、“戦い”と言うよりは一方的な”嬲り殺し“”拷問“、言わば“死刑場”に近い様相を呈していた。
鞭に変形した鬼紅葉の瞬速の撓りに、動きの鈍った鎌足は何一つ抗うことが出来ない。
最後の力を振り絞り、攻め込んだ鎌足だったが、紅斬鬼の返り討ちに合い、鞭と化した鬼紅葉の鋭い刃先によって、その胸は無残にも深々と貫かれていた。
紅鬼 紅斬鬼の勝利を物語るするように、鎌足の鮮血が大地を紅く染めていく。
《⋯⋯ふふふふ。そこまでだ。ちっさいの。残念だったな。数多の紅鬼を斃してきた伝説の鬼切丸。七十年は相まみえる事は無かったが、やはり結局は強すぎる私には遥かに及ばず⋯⋯、だ》
「⋯⋯え、一体何が⋯⋯?」
⋯⋯鎌足は混乱した頭で考えた。
鬼切丸で攻撃するため、全力で駆けていたはずなのに、いつの間にか脚は止まっている。
倒すべき紅斬鬼は、鬼紅葉を長々と伸ばし、握る右腕を自分に向け、にやにやと笑っている。
そしてそんな紅斬鬼と自分は、鞭と化した鬼紅葉を介して、何故か繋がっている。
(⋯⋯あれ、何で? どうして?)
意識も既に混濁を見せていた。
鎌足の頭の中で、目の前の非情の現実と懐かしい江戸での近年の記憶が、重なりながら錯綜する。
(⋯⋯え? 江戸で悪餓鬼どもに腐った柿をぶつけられた時みたいに、胸が紅い? 不思議だ、⋯⋯あ、熱い)
胸の熱さを自覚しながらも、鎌足は自身に何が起きたのか、まだ理解が追いつかない。
紅に染まっていく胸の上で両手と鬼切丸をわなわなと震わせながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
紅斬鬼がそんな鎌足を嘲り笑う。
そして顎を上げて見下すように、鎌足に非情の現実を告げた。
《⋯⋯どうだ? 鬼紅葉に吸われる味は?》
(⋯⋯え? ⋯⋯あ、あれ、もしかして、私、⋯⋯あ、女紅鬼に、さ、⋯⋯刺された?)
ようやく鎌足が自分の身に何が起きたのかを悟る。
その瞬間、熱さを超えて、耐え難い“痛み”が身体を突き抜けた。
鎌足の表情や口元が一気に歪んでいく。
「⋯⋯えッ、そん⋯⋯な、⋯⋯が、か⋯⋯、かはッ!?」
鎌足は忍装束の下に、防御用の伊賀の鎖帷子を着込んでいた。
しかし鬼紅葉の先端の鋭利な刃は、そんな鎖帷子を容易く貫通し、鎌足の忍装束は既にべっとりと紅に染まっていた。
鎖帷子を伝わり流れた血は、更に鎌足の左の太腿から左足を伝う。
そして先の太腿の傷の血とも混じり合い、血の赤い雫は絶え間なく大地へと滴り落ちていた。
《⋯⋯ふん、鎖帷子か。少しは勢いが弱まったか。ついてたな。⋯⋯だが、どのみちすぐには殺さないつもりだったぜ、安心しな。生き血を吸うために最初から急所は外し、深さも加減してある。⋯⋯まあ、安心とは言っても、ちょっとだけ命が延びただけだけどな》
「⋯⋯が、が、あ、⋯⋯が、あ⋯⋯、ぐぅ⋯⋯」
《⋯⋯さあて、と。早速その生き血を頂くとしようじゃねえか。⋯⋯ふふふ、たとえ魂は無間地獄の底に堕ちても、この血だけはこの鬼紅葉の養分となり、地獄の紅い森で生き続ける事ができるんだ。⋯⋯ある意味、転生だ。むしろ誉と思いな》
紅斬鬼は嬉しそうに、鬼紅葉を持つ手に力を込めた。
その掌の力加減による命令に、鎌足に刺ささる鬼紅葉が連動する。
鎌足の身体から血を吸おうと、まるで蛭や蚯蚓の動きのように宙を波打ち始めた。
「⋯⋯⋯や、やめ、⋯⋯ろ、⋯⋯が、⋯⋯があぁッ!?」
鬼紅葉は血を吸う口はあっても、当然ながら鎌足の声を聞く耳などは持ってはいない。
鎌足に刺さっている鞭の先端が、不気味に拡がり蠢いた。
そして先端から鞭の末尾に至るまで、その刃全てがまるで渇きで水を求めている人間の喉のように、嚥下の動きを取った。
思わず鎌足は仰け反り、その胸は激しく痙攣する。
「⋯⋯あぁ、がぁ、⋯⋯ぐぁああ⋯⋯がが、が!?」
⋯⋯この鎌足の血を一滴ずつ、ゆっくりと味わう。
そして、体内に流れる血を全て吸い尽くす⋯⋯。
そんな鬼紅葉の魔性の心までが垣間見える程に、鬼紅葉は嬉しそうに小刻みに扇動し続けた。
鬼紅葉の最初の吸血の扇動から数えて、刻はまだ十の数にも達してはいない。
しかし鎌足の頬や腕は、早くも痩け始めている。
宙を彷徨うように藻掻いていた鎌足の両腕と鬼切丸が、がくんと下に落ちた。
抵抗しようにも身体にも手にも指にも力が入らない。
鎌足は後はされるがまま、血を抜かれるがままの状態となっていた。
先の警備兵同様に、見るも無残な木乃伊と変わり果てるのは、時間の問題だった。
「⋯⋯⋯⋯あ⋯⋯ぅ⋯⋯⋯⋯⋯⋯あ」
《⋯⋯はっはっは! 溝臭い蒼鬼の血ではなく、新鮮な生きた人間の、しかも今度は女の血だ! ⋯⋯心ゆくまでたっぷりと吸え、鬼紅葉。奴の骨の髄に残る最後の一滴、そして目玉の裏に残る血の涙までも、全てを吸い尽くしてしまえ!!》
紅斬鬼が勝ち誇り、叫んだ。
⋯⋯その時だった。
小刻みな扇動で血を貪り吸っていた、鬼紅葉。
その鞭の表面が、鎌足を模倣するように突如として痙攣し、大きく波を打った。
《⋯⋯ッ!? どうした!? 鬼紅葉!》
それは明らかな異常な光景だったのだろう。
紅斬鬼も思わず声を上げる。
鬼紅葉はその鞭の姿を大蛇のようにくねらせ、表面を打つ波も更に大きいものになっていった。
その動きから読み解ける感情は、ただ一つ。
⋯⋯苦悶。
何故か血を吸う喜びに浸っていたはずの鬼紅葉は、謎の苦しみを露わにしていた。
鎌足の胸を捉え、突き刺さっていた刃の先端。
その吸血の唇が、鎌足の胸から大きく弾け飛ぶようにして外れる。
そして先程まで藻掻いていた鎌足の手までを再現するように、苦しそうに宙を四方八方に彷徨った。
《⋯⋯なッ!? こ、これは! 鬼紅葉が嫌がっている!? こいつの血を拒絶している!?》
吸いかけの鎌足の血と思われる血飛沫が、鬼紅葉の先端から噴き出し、紅霧のように舞う。
ひとしきり宙を藻掻き苦しんだ後、鬼紅葉は地上へとだらりと垂れ、更に激しく地のたうち回っていた。
そして最後は人間が痰を出すように、今吸い出したばかりの鎌足の血の“塊”を吐き出した。
絶対に有り得ない鬼紅葉の苦悶を前にして、紅斬鬼が何かに気付く。
そして明らかな動揺を滲ませながら叫んだ━━━━。
《⋯⋯ッ!?⋯⋯御前! ⋯⋯その血に何を混ぜた!? ⋯⋯いや、何が混ざっている!? ⋯⋯御前はまさか⋯⋯!》━━━━。
第64話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第65話は、5月30日か5月31日には投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創作して頂いたオリジナルEDです!
ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
ED②https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT
こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪




