第63話 血戦
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。紅斬鬼と巨大な大鳥居の上で激突する。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。御所前の広大な庭園内で蒼妖鬼と激突するのだが⋯⋯。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、色香に溢れた絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。紅斬鬼とは犬猿の仲。
蒼鋼鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。人間の身体の数倍はある巨体で、凄まじい怪力と絶大な威圧感を誇る。まさに”鬼に金棒“、手にした金砕棒で破壊の限りを尽くす。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━大鳥居の太柱に致命傷を与えた、蒼鋼鬼による金砕棒の渾身の一撃。
生じた地響きや爆音爆風はあまりにも凄まじく、交戦中の鎌足と紅閃鬼の両者に、”何らかの大事“がこの御所に起きていることに知らせるには十分だった。
(⋯⋯わわわ、何だ!? この異様な振動と、何かが爆発したみたいな音と風は!?)
(《⋯⋯むッ、あれは!? ⋯⋯大鳥居か!》)
鳥の夜目のように銀の眼を妖しく煌めかせ、異変の出処を探る紅閃鬼に対して、鎌足の方はそれどころではなかった。
何が起きたのか⋯⋯よりも、どうやって迫りくる鉄扇を避けるか。
その一点だけに集中していた。
しかしこの時。
揺れや音だけではなく、この攻防の場に異変がもう一つ起こっていた。
鎌足と紅閃鬼の攻防を眺めているはずの、蒼妖鬼。
その姿がいつの間にか、この場から忽然と消えていたのだ。
この一切の音も無い蒼妖鬼の消失と移動に、鎌足も紅閃鬼も全く気が付いていない。
蒼妖鬼の密かな企みの存在までもが、この爆風の白煙と夜闇の中に霞のように紛れ失せていた。
(⋯⋯ッ、揺れなんて気にしている場合じゃない、⋯⋯かわすんだ、今はとにかく全てを避け、隙を待つんだ)
(《⋯⋯朱の鳥居が倒れる、か。⋯⋯縁起でもない》)
既に身体に多数の傷を負っている満身創痍の鎌足が頼るのは、御頭である半蔵と共に修練を重ねた忍の体術、そして的にはなりにくい小柄な身体と身軽さ。
襲いかかる鉄扇の刃の雨あられを、ただひたすらに避け続けた。
《⋯⋯なかなかしぶといですね。秘扇をここまでかわし続ける人間が居るとは、少々驚きでもありますが⋯⋯、ならば、これは如何》
懸命な鎌足を煽るように嘲笑った紅閃鬼は、再び手首を撓らせると、掌の中に鉄扇を一枚広げた。
そして大きく扇った。
風を切った鉄扇が召喚したものは、乱戦当初に鎌足を苦しめた、無数の鉄串。
あの細く鋭い恐怖の串が何本も、地を跳ねる鎌足の足元を目がけて跳んで行く。
天からは、鉄扇。
地からは、鉄串。
この天と地の連動攻撃が、鎌足を更に苦しめた。
鉄扇を避けて地に手や足を突くと、その掌や指や脚を貫こうと鉄串が飛来する。
鉄串を避けて空に身体を委ねると、喉元や身体を斬り刻もうと鉄扇が飛来する。
太腿からの出血も依然として止まらず、徐々に意識も薄まり遠のいていく。
鎌足は今、考えるより先に身体が動く、そんな半ば無意識にも近い状態で、いつかは生じるはずの紅閃鬼の隙を待ちながら、ひたすら四肢を動かし続けていた。
「⋯⋯はぁはぁ、負けるか、⋯⋯はぁはぁ、ここまで必死に戦ってきたんだ、⋯⋯絶対に負けるもんか!」
《⋯⋯っ、諦めが悪いですよ、死に損ないの分際で!》
痺れを切らした紅閃鬼が、衣の左右の袖を大きく翻した。
その袖の動きに呼応するように、鎌足を狙う攻撃は鋭さと激しさを増す。
天空から急角度で降ってくる、鉄扇。
地表を這うように迫ってくる、鉄串。
同時に襲いかかる二つの凶暴な刃を、鎌足は前方に飛び込むように避けた。
そして玉砂利を弾き飛ばしながら、頭から地に滑りこみ、息を切らしながらそのまま仰向けになった。
「⋯⋯はぁはぁ、⋯⋯はぁはぁ、⋯⋯はぁはぁ。⋯⋯ッ、次は空からか⋯⋯、それとも地からか」
鎌足が空を仰ぎ見る。
そして地上の鉄串に備えるため、ふと視線を横に送った。
その鎌足の目にぼんやりと飛び込んできたのは、あの見慣れた朱の大鳥居。
その時、鎌足は初めて気が付いた。
それは、先程の振動や爆風爆音の理由。
驚くべきことに大鳥居は、⋯⋯傾いていた。
夜の闇によって、全容は明瞭ではない。
しかし大鳥居の巨大な影は、明らかに右の方角に傾いていた。
しかも今にも倒れてしまうのではないかと思える程に、大鳥居の影は蝋燭の炎のように揺れ動いている。
鎌足は慌てて目を擦って見直した。
やはり見間違いではない。
影は揺れ続け、その傾きは更に大きくなっていた。
「⋯⋯え、⋯⋯は? ⋯⋯ッ!? 大鳥居が⋯⋯倒れる!?」
それは鎌足にとって、まさに驚天動地の驚きだった。
鎌足は受けた傷や身体の痛み、そして鉄扇と鉄串に襲われていることまでも忘れて、飛び起きた。
⋯⋯その時。
身を起こした鎌足の上空から、鉄扇でも鉄串でもない、“別の刃”の閃光が突然に走った。
「⋯⋯ッ!?」
それは⋯⋯、鬼紅葉の刃だった。
綾麿と戦っているはずの、紅斬鬼。
その紅斬鬼がまさに鬼の形相で、狂気の野太刀⋯⋯鬼紅葉を、鎌足に向けて振り下ろしていたのだ。
(⋯⋯ッ!? さっきの紅鬼の女だ!)
鬼紅葉が鎌足の頬を掠める。
急襲の凶刃を既の所でかわした鎌足は、地を横へと数度転がった。
そして後方へも数度飛び退きながら、急襲の紅斬鬼との間合いを取った。
(⋯⋯ッ、綾麿と戦っているはずの女紅鬼が何で!? ⋯⋯あ、綾麿はどうしたんだ⋯⋯!?)
《⋯⋯よぉ。ちっこいの。さっきぶりだな。まだ生きてたか。⋯⋯へっ、好都合だ》
紅斬鬼は鬼紅葉を不敵に肩に担ぐと、怒りや憎しみの情に加え、明らかに蔑みの念も含んだ乾いた笑みを浮かべた。
そんな紅斬鬼の背後、鎌足の瞳に改めて揺れる大鳥居が再び映る。
この僅かな間にも、大鳥居の傾きは進んでいた。
傾きの角度は既に四十五度は超え、既に御所の屋根にまで達しようとしている。
「⋯⋯あ、た、倒れ⋯⋯、あ、⋯⋯あや、綾麿は?」
《⋯⋯ふん、綾麿だと? ⋯⋯あぁ、『六歌戦』の彼奴は、大鳥居だ》
鎌足の問いかけに背後を軽く一瞥した紅斬鬼は、倒壊の間際にある大鳥居に向け、荒々しく親指を立てた。
「⋯⋯え、⋯⋯な、何だって!? 大鳥居の上に!?」
《ああ、そうだ。大鳥居と心中。⋯⋯お陀仏だ》
「⋯⋯!?、あ、綾麿が、あの上に⋯⋯」
鎌足が再び大鳥居に視線を送った、その時だった。
⋯⋯大鳥居が遂に御所の大屋根に激突した。
身の毛もよだつような凄まじい破壊音が轟き、激突の衝撃が周辺の大地を激しく揺らした。
押し潰され破壊された、屋根瓦や木材や調度品が辺り一面に弾け飛ぶ。
めきめきとした不快な音と共に、大鳥居は御所の中へと吸い込まれるようにして、ゆっくりと沈んでいく。
吹き荒ぶ風を真正面で受け、髪を激しく靡かせながら、鎌足が呟いた。
「⋯⋯あの綾麿が死んだ? ⋯⋯女紅鬼に殺られた?」
鎌足の刻は、止まっていた。
表情が一気に陰り、憂いの色を帯びていく。
目は見開いたまま、視点も定まっていない。
(⋯⋯そ、そんな。あの無茶苦茶に強い綾麿が⋯⋯負けた? ⋯⋯もうこの世には居ない? 嘘だ⋯⋯、でも紅斬鬼が此処に居るということは⋯⋯)
そんな鎌足の力の無い狼狽や心を余所に、鎌足と対峙した紅斬鬼は口元を苦々しく歪めていた。
紅斬鬼の頭の中に靄と渦を巻いているのは、大鳥居の上で告げられた綾麿の言葉。
⋯⋯(「⋯⋯麿は御主より強い人間の女子を知っている、⋯⋯その女子の名は御庭番小頭、伊賀の鬼切丸、鎌足⋯⋯」)⋯⋯
《⋯⋯ちぃっ》
呆然としている鎌足を睨みつけながら、紅斬鬼が唇を噛みしめる。
(《⋯⋯こんな呆けている小さな鎌足が、私よりも強い⋯⋯だと? ふざけるな! 全くもって信じられない、認められない。⋯⋯そんな事は地獄と人間界の逆転どころか、地獄と天界がひっくり返ってもあり得ない!》)
紅斬鬼の身体からは、鎌足への憎悪や憤怒が更に燃え上がり、そして抑えきれない程にまで膨らんだ戦意をも巻き込んで、紅蓮の狂氣となって猛り迸っていた。
そんな明らかな苛立ちを見せている紅斬鬼の傍に、紅閃鬼がゆっくりと歩み寄る。
そして顔に疑問符を浮かべながら声をかけた。
《⋯⋯紅斬鬼よ、どうしたのです? ただならない闘気が乱れ、昂っていますよ。何かあったのですか?》
《ああ、ちょっとな、⋯⋯⋯ん、おい、⋯⋯あの醜女はどうした? 居ないぞ、斃したのか?》
《⋯⋯蒼妖鬼のことですか? ⋯⋯いや、まだですよ、これから⋯⋯⋯⋯おや? 姿が見えないどころか気配までが⋯⋯、しかし、つい先程まで此処に居たのですよ。いつの間に⋯⋯、まさか逃げた?》
《⋯⋯いや違う、⋯⋯あの醜女、⋯⋯ッ、そうか、間違いない。紅鬼たちを出し抜きやがったな。⋯⋯帝だ、帝の命を狙いに行ったに違いない!》
《⋯⋯帝? ⋯⋯命?》
「⋯⋯帝? ⋯⋯命?」
依然として口をぽかんと空け、身動き一つすらせずに呆けていた鎌足だったが、“帝の命”という言葉を聞いた瞬間、その肩がぴくりと揺れた。
鎌足の瞳に再び大鳥居が映る。
あの荘厳に聳え立つ、御所の象徴としての姿は見る影もない。
この地上からでは人的被害も含めた被害状況はは計り知れないが、御所の建屋の広範囲を押し潰していることだけは間違いない。
めきめきと嫌な音を立て、白煙を上げながら沈んでいく最中だった。
(⋯⋯み、帝。そうだ、⋯⋯帝があの下に居る?)
鎌足が危機的な現状に気付きかける一方で、紅斬鬼は紅閃鬼に目で合図を送っていた。
《⋯⋯紅閃鬼。見ての通り、あの御所の中は見るも無残に粉々だ。御所の中にいる奴等や、外に残っている警備兵どもの何人かは、慌てて帝の元に集まるはず。⋯⋯闇雲に中を探して回るよりも、人を追い、向かった場所を攻めるんだ。そうすれば必ず帝の居場所に辿り着ける》
《⋯⋯成程、帝を守りたいと思う人間の心。それこそが私たちを帝へと導く道標となる、というわけですか》
《⋯⋯ああ。そして、⋯⋯鎌足は、⋯⋯私が殺る。⋯⋯帝の命、抹殺は任せた》
《⋯⋯よいでしょう。⋯⋯委細承知しました》
紅閃鬼は言葉を言い終えるや否や、指を鳴らした。
するとあれだけ上空を舞い、鎌足を斬り刻もうと猛威を奮っていた鉄扇、その全てがまるで最初から幻影だったかのように一斉に姿を消し、次の瞬間には紅閃鬼の掌の中へと移動していた。
《⋯⋯では》
紅閃鬼が衣の袖を靡かせ、御所の建屋の方へ身体を翻す。
そして掌の中の鉄扇を今度は御所の方角に向けて、連続して何枚も上空へと投じていく。
「⋯⋯な、何を⋯⋯、⋯⋯あ」
鎌足が見上げた空には、目を疑うような光景が広がっていた。
御所の大屋根に向け、鉄扇が空に止まり、ずらりと並ぶ。
しかも鉄扇と鉄扇の間は、六尺(※約1.8m)程度の一定した距離があり、御所に近づく程に二尺程度(※約60cm)ずつ高くなっていた。
それはまさに御所へと続く道、飛び石の階段だった。
紅閃鬼は驚くべき身軽さを見せ、一番手前に浮かぶ鉄扇に飛び乗ると、空に浮かぶ無数の鉄扇の道を次から次へと軽快に飛び移り、空を”渡って“いく。
鉄扇の道が向かう先は、大鳥居の激突で潰され、大きな穴が空いた御所の大屋根、その中央部。
この時、既に大鳥居の大部分は建屋の中に埋もれ、朱の色は何一つ見えなくなっていた。
更に大きさを増した白煙が、御所の辺り一帯を包み込む。
この京の都に住む人々にとって、この破壊の情景は、筆舌に尽くし難く、誰しもが目を疑いたくなるような、まさに悲劇とも言える光景だった。
そんな悲劇を上空で悠然と一望し、鉄扇の道を優雅に飛び渡りながら、紅閃鬼は地上の鎌足に向けて、にやりと恍惚の笑みを浮かべた。
その恍惚の笑みに、鎌足は我に返った。
紅閃鬼たちが何をしようとしているのか。
その全てを理解し、表情が強張った。
今、鎌足の頭を過るのは、綾麿と交わした約束、そして東番責任者としての逃れられない約定だった⋯⋯。
⋯⋯(「⋯⋯番を担当している最中、万が一にも警備に落ち度が生じ、夜御殿に敵の侵入を許し、そして帝の御命を危険に晒した場合は、たとえ江戸からの御使者であろうと、失態はその命で贖ってもらう。決して死罪は免れることはできぬ。これもまた内裏の”決まり“だ」⋯⋯
⋯⋯(「⋯⋯それは勿論もちろん承知の上です。帝に鬼は絶対に近づけさせません。この鎌足の一命を賭して、帝を御守りします、約束致します。帝の寝所、いえ、清涼殿にすら鬼は入れさせません。もし約束を違えたなら、この鎌足の命、罪滅ぼしに差し出します」)⋯⋯
⋯⋯(「⋯⋯その言葉、確かに聞いた。絶対だぞ、鎌足殿?」⋯⋯
⋯⋯(「⋯⋯はっ」)⋯⋯
「⋯⋯あ、⋯⋯ちょ、ちょっと。⋯⋯だ、駄目だ、ま、待て、そっちには行くな。⋯⋯清涼殿、夜御殿⋯⋯、侵入を許せば、私は死罪になってしまう⋯⋯」
混乱と動揺が一気に押し寄せてくる。
鎌足は遥か上空の紅閃鬼に向けて、無意識に手を伸ばしていた。
その決して届かない無意味な手、そして鎌足の心の声を嘲笑うかのように、紅閃鬼はいとも容易く鉄扇の橋を渡りきっていた。
御所の大屋根に飛び乗った紅閃鬼は、大鳥居の倒壊によって空いた御所中央部の大きな穴に歩み寄ると、手にした鉄扇を更に一振りした。
穴の周辺の屋根瓦や木材が、尽く吹き飛んでいく。
歪だった穴は今、人が難なく下りることができるまでに、ぽっかりと無防備な出入口と化していた。
「⋯⋯あ、⋯⋯あ、⋯⋯だ、駄目だ、⋯⋯ぉい、其処は駄目だって! 入るなよ、卑怯者っ! ⋯⋯そ、そうだ、私を斬り刻むんだろ? 戦ってやる、戦ってやるから! ⋯⋯も、戻ってこい、戻って来いったら!」
鎌足の叫びが虚しく響く。
その叫びすらも、紅閃鬼には届かなかった。
《さて⋯⋯、と。では帝の首を頂きに参りましょう》
紅閃鬼は鎌足を一瞥することもなく、颯爽と穴の中へと身を躍らせていった。
(⋯⋯くそっ、くそっ、⋯⋯何でだ、何でだよぅ)
鎌足は脚を震わせながら、懸命に立ち続けていた。
どれだけ手を伸ばしても、もはや紅閃鬼には決して届かないこと、何の意味は無いことは、頭では十分に分かってはいた。
しかしそんな頭の中とは裏腹に、紅閃鬼の姿が消えた御所の大屋根へ、手は自然と向いていた。
何も掴めない、宙だけを彷徨う指。
それでも鎌足は必死に動かそうとする。
だがそんな手の指ですら、今の傷つき疲れ切った鎌足には、思う通りには動かせなくなっていた。
鎌足はよろめきながら、再び地に膝を突いた。
(くそっ⋯⋯、くそっ⋯⋯、行かせたら駄目だ、綾麿はもう居ない。居ないんだ。綾麿を斃すくらいの強さなんだ、いくら帝を警護する御帝親衛隊と言えども、勝てる見込みなんて無いよ)
手を伸ばす代わりに、鎌足は脚腰から鎖を解き、そして力の抜けた指で、鬼切丸を出来る限り強く強く握り直した。
それは戦う相手、止めるべき紅閃鬼のいない、空の臨戦態勢だった。
鎌足の目には涙が滲む。
もはやどう言い訳をしようが、御所の約定がある以上は死罪は免れないだろう。
しかしその涙は、残り僅かとなってしまった命の灯火を儚み、嘆き悲しむ涙では無かった。
東番の大役を果たせず、帝の命を危険に晒したことの自責の念から来る、悔しさの涙だった。
「⋯⋯蒼紅鬼を止め、帝を守ることができるのは⋯⋯、もうこの私と鬼切丸しかないのに!!」
《⋯⋯はぁ? いつまで泣きべそをかいてんだ? 御前》
その時、紅斬鬼の冷たい声と共に、鎌足の左側から唐突に、長く太い巨大な影が迫った。
その影はまたも歪に禍々しく変化を遂げた、鬼紅葉。
刃の全体が鎌足の背丈程にまで肥大化し、まるで船の櫂を更に大きく膨らませたような形状をしていた。
それは鎌足の全身を的確に粉々に打ち砕くため、鎌足の身体の大きさに寸分違わず合わせ変化させた、強烈な薙ぎ払いの一撃だった。
大鳥居の御所への激突や立ち昇る白煙、帝に迫る紅閃鬼、そして帝の安否に意識が飛んでいた鎌足は、この紅斬鬼の急襲に殆ど無警戒だった。
その一撃の重さ、速さ、その全てを全身で直に浴び、その場から大きくふっ飛ばされた。
「⋯⋯うがッ!? ⋯⋯ぐふッ!!!!」
鎌足の身体が、人形のように空を飛び、手毬のように何度も大きく地を弾む。
そして三十間(※約55m)以上は飛ばされた鎌足の身体は、地を滑るようにしてようやく止まっていた。
頼みの綱の鬼切丸を手離してしまう程に、その衝撃は凄まじかった。
鎌足同様に鬼切丸もまた宙を舞い、鎌足のすぐ横の地に突き刺さっていた。
鬼切丸だけではない。
腰に付けていた鎌袋も身体から外れ、鎖鎌は鎌足の手の届かない、遥か離れた地へと転がってしまっていた。
鬼紅葉を受ける際、鎌足は咄嗟に左腕で身を庇ったものの、内臓や骨への損傷は明らかだった。
直撃を受けた左腕は痺れ、感覚は無いに等しかった。
感じるものと言えば、かつて味わったことのないような尋常ではない激痛、そして骨の軋み。
「⋯⋯⋯ッ!? あぁ⋯⋯が⋯⋯、⋯⋯あぐぅ」
《何だ何だ? ⋯⋯全然大した事無えじゃねぇか》
紅斬鬼は、”期待外れ”、”拍子抜け“といった声を上げながら、鬼紅葉の形状を元の野太刀へと戻し、横たわる鎌足を冷酷に見下している。
鎌足はうつ伏せのまま、薄っすらと片目を開けた。
その目に映るのは、紅斬鬼の嘲笑と、その背後の御所の中へ消えた大鳥居の白煙。
鎌足は霞んだ瞳で、目の前に映る景色をただぼんやりと見つめるしかなかった。
⋯⋯段々と意識が薄れていくのを感じる。
(あの大鳥居の沈んだ場所って、帝の清涼殿の辺りなのかな⋯⋯、行かなくては⋯⋯帝を守らなくては⋯⋯)
まだ帝を守りたいという心は在った。
紅斬鬼に挑む意思も在った。
だがそんな心とは裏腹に、今はもう指先までも全く力が入らない。
(⋯⋯あ、⋯⋯あれ? まるで金縛りにあったように身体が動かない、⋯⋯力が、⋯⋯出ない、目の前も霞んでいく⋯⋯、⋯⋯これが、⋯⋯死?)
鎌足の耳に、紅斬鬼の勝ち誇った声が微かに聞こえてきた。
《綾麿の言葉、真に受けて損しちまったぜ、⋯⋯まぁ、冷静に考えたら私より強いなど、あり得ない話だよな》
(⋯⋯⋯⋯)
《後は⋯⋯、さてと、そうだな、鎌足の見た目は“ちび”で、いまいち気に入らねえが、その刀だけは紅鬼にとっては、七十年前の忘れ難き記憶の欠片。人間に復讐を遂げる意味でも、それなりの戦勝品にはなりそうだな》
(⋯⋯⋯⋯)
《⋯⋯よし、鎌足の魂に葬魂の術でも仕掛けるとでもするか。⋯⋯見た目は今の私、早乙女の剣士のまま。その鬼切丸って刀だけは、脇差用に頂くのも悪くはねぇな》
(⋯⋯⋯⋯え?)
鎌足の目はもうほとんど閉じかけていた。
過去の記憶を失っている鎌足だったが、それでも瞼の裏には、江戸の伊賀衆たちの懐かしい顔が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。
(御頭⋯⋯、百地翁様⋯⋯、甚左⋯⋯、平次⋯⋯、⋯⋯大吾ッ!)
一緒に京都に来た大切な仲間たちは、鬼の凶悪な葬魂の術の犠牲になった。
今しがた微かに聞こえた紅斬鬼の声が聞き間違いでないならば、次は自分が身をもって葬魂の術を味わうことになるのだろう。
(⋯⋯葬魂⋯⋯魂を奪われる?、私は地獄の底を永遠に彷徨うのか? ⋯⋯鬼切丸も奪われる? ⋯⋯嫌だ、私の魂はともかく、鬼切丸だけは、鬼切丸だけは⋯⋯)
鬼切丸を渡したくない。
鎌足はその一心だけで、再び目を見開いた。
そして地に刺さった鬼切丸を横目に、寝返りをうった。
右肘を突き、懸命に身体を起こす。
(⋯⋯起きなきゃ。⋯⋯何とかして起きなきゃ)
鎌足は自分の身体に言い聞かせるようにして、全身に精一杯の力を込めた。
《日本の帝の命も、醜女の命も、紅閃鬼に狙われたら、もはや風前の灯。醜女の刀葉林の召喚や霞幻夢の幻惑や移動も、狭い内部だと限度があるだろうからな。⋯⋯ふはははは、京都制圧も目の前だぜ》
この時、鬼紅葉を肩に担いだ紅斬鬼は、高らかに笑っていた。
この日本侵攻戦における紅鬼軍の勝利を、既に確信していたからだった。
そして一頻り心の底から笑った紅斬鬼が、突然何かを閃いたように邪悪で狡猾な笑みを浮かべる。
《⋯⋯そうだ、乱戦も落ち着いたこの機会だ。前祝いに丁度いい。大事な鬼紅葉に馳走でも振る舞ってやるか》
紅斬鬼は鬼紅葉を肩から下ろし、眼前に掲げた。
そして銀の眼を煌めかせながら、邪念を込めた。
すると鎌足を弾き飛ばすほどの硬さを誇っていた鬼紅葉が、一瞬にして柔らかい撓りを見せる。
不思議にも鍔から先の刃の部分が全て、鞭のようにだらりと地に垂れていく。
《⋯⋯生きた人間の血。たっぷりと心ゆくまで吸わせてやる。それで満足するだろう? 鬼紅葉、⋯⋯ふふふ》
鬼紅葉が禍々しい鞭へと変貌を遂げていた丁度その時、鎌足は両膝を地に突き、呼吸を荒らげながら、ゆっくりと上半身を起こしていた。
(⋯⋯鬼切丸だけは、⋯⋯渡せないッ)
昨日の紅影鬼から受けた、針の傷の疼き。
加えて、暮れ六つからの綾麿や紅斬鬼との乱戦で受けた、肩や太腿の生々しい傷口。
更に今、鬼紅葉の直後を受けた、臓腑や骨の痛み。
今朝の毒の苦しみや、今も尾を引く腹部の鈍痛、大切な仲間を失った心の痛みに至るまで、昨日今日で蓄積されてきた全ての苦痛と疲労が、今改めて鎌足の全身を襲っていた。
その足元はふらふらとおぼつかない。
それでも必死に立ち上がろうとする鎌足の姿に、紅斬鬼もようやく気が付いた。
《⋯⋯ん、はっははは、何だ、まだ動けるのかよ。⋯⋯てっきりもう、くたばったかと思ってたぜ。聞きな。今から御前の魂を葬ってやる。死ぬ痛みは一瞬だろうが、死んだ後に目の前に広がる闇の世界は、死ぬ痛みとは比べものならないからな、⋯⋯数千倍、いや数万倍は苦しいぜ、覚悟しな、でも光栄に思えよ。この地獄最強の女鬼剣士の、この私に殺されるんだからな》
紅斬鬼が左の掌で、鬼紅葉の柔らかな刃を、まるで着物の帯のように靭やかに折り曲げ、指をなぞらせる。
その時。
御所に向かって駆けていく一人の警備兵の姿が、紅斬鬼の視界に入った。
⋯⋯帝の元へと向かおうとしているのだろう、その忠義の警備兵は、今この瞬間において、日本で一番不運な男となった。
紅斬鬼は、この鞭と化した鬼紅葉で一度大地を激しく叩いた後、続けざまにその不運な警備兵に向かって、鬼紅葉の鞭を撓らせた。
瞬き一瞬程の凄まじい速さで、鞭の先端がその警備兵の胸に突き刺さった。
警備兵の身体はみるみる内に血の気を失い、顔の頬は痩せこけ、身体全体がまるで木乃伊のように土気色になって萎んでいく。
警備兵の血を吸い、毒々と波打ちながら、鬼紅葉の鞭は、より深く、より紅く、妖しい輝きを増していった。
それはまるで鞭⋯⋯鬼紅葉自身が意思を持ち、喜びを表しているように見えた。
《⋯⋯今日の贄は地獄の森に迷い込んだ亡者じゃない。生きた人間の血だ。⋯⋯ふふふふ、そうか、そうか。人間は格別に美味いか。⋯⋯ならば、生きた人間の女の血は、たぶんもっと美味いぜ。鬼紅葉》
紅斬鬼は再び腕を撓らせ、警備兵の血を全て吸いきった鬼紅葉を身体から抜き、手元に引き寄せる。
そして笑みを浮かべながら、握る鞭の先端を鎌足へと向けた。
《⋯⋯ふふふ、次は御前だ。この世の名残りとして何か最期に言い残したり、聞きたいことはないか? 特別だ、耳を傾けてやるぜ。⋯⋯ん、どうだ? 怖そうにみえて、私も案外優しい所もあるだろう? ⋯⋯ふふふ》
「⋯⋯はぁはぁ、⋯⋯はぁはぁ、⋯⋯う⋯⋯ぐっ」
鎌足は歯を食いしばり、身体を小刻みに震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「⋯⋯その葬魂の術、⋯⋯受けた人間はそんなに苦しいのか?」
《ああ、そうだ。⋯⋯かと言って今更もう命乞いしても無理だぞ? その半刃の刀、鬼切丸は私が貰う。御前よりは上手く使って、この鬼紅葉と共にたくさんの人間を殺してやるから、安心しな》
鎌足は何とか立ち上がることができたものの、力無くがっくりと項垂れたままだった。
痛みで身体を震わせながら、気力だけで辛うじて立っていた。
「⋯⋯なら、一つ⋯⋯、一つだけ、最期に教えてくれ、葬魂の術を使っている鬼に殺された人間は、自身が葬魂の術を受けたに等しい苦しみを味わう⋯⋯、そう綾麿から聞いた。⋯⋯それは本当なのか? もし葬魂の術を使う鬼から傷を受けて、死にかけている人間が目の前に居たなら、⋯⋯人間の手で先に殺してやった方が、その人間の魂は救われるのか?」
《⋯⋯あぁ? そんな事を聞いてどうするってんだ?》
「⋯⋯特別に何でも聞いてくれるんだろう?」
《⋯⋯ふん、まぁ、いいぜ、答えてやるよ。⋯⋯私が人間の御前の立場なら、その死にかけている者⋯⋯、間違いなく先に私の手で息の根を止めてやるだろうな》
「⋯⋯っ!」
《葬魂の呪縛に関わり死ぬ者、滅する者は、それだけ苦しい世界が待っている。その恐怖を抱いて死ぬのと、抱かずに死ぬのとは、雲泥の差だ》
「⋯⋯⋯⋯」
《⋯⋯まあ、それは人間だけじゃない。葬魂の術をかけた側の鬼も一緒さ。人間一人の魂に二つの地獄は存在しない。奪った魂が先に地獄に葬られている以上、葬魂の最中⋯⋯即ち人間の姿をしている時に、万が一にも斃されなどすれば、鬼とは言え魂の行き場を失くす。結果、無間地獄に堕ちてしまうっていうわけだ》
「⋯⋯その話、⋯⋯嘘や偽りは無いな?」
《今から死に逝く者を騙してどうする? それに葬魂を操る紅鬼である、この私自らが言っているんだぜ?》
「⋯⋯そうか」
鎌足の口元が、少しだけ緩んだ。
「⋯⋯良かった。なら大吾は最期、救われたんだな」
暮れ六つを迎えた際の綾麿との確執。
その心の痞が解けた鎌足は、少しだけ身体の痛みが減り、身体が軽くなった気がした。
《何をぶつぶつ言っている? さあ、そろそろ覚悟を決めろ。紅鬼に立ち向かった勇気だけは褒めてやるぜ》
紅斬鬼は得意気に笑みを浮かべると、撓らせた刃の先端を左掌に持ち、今にも鎌足に向けて投じようと、鞭型の鬼紅葉を構え直した。
「⋯⋯あと一つ、⋯⋯今度は伝えたいことがある」
変わらず俯きながら、鎌足が呟いた。
《⋯⋯はぁ!? しつこいぞ! まだあるのか!? 何だ!?》
血気に逸る紅斬鬼が、顔を顰め嫌悪感を露わにする。
「⋯⋯鬼切丸は⋯⋯」
鎌足はゆっくりと顔を上げた。
「⋯⋯絶対に渡さないッ!!!!」
叫んだ鎌足の瞳は、まだ死んではいなかった。
鎌足は残る最後の力を振り絞り、疾走った。
疾走りながら、地に刺さっている鬼切丸を引き抜く。
いつもの鎌足の動きではない。
その速さはいつもの半分にも満たないかもしれない。
それでも鎌足は、紅斬鬼に向かって懸命に疾走った。
紅斬鬼を無間地獄に葬るため、鬼切丸を振りかぶる。
そして鎌足は、残された力の限り、吠えた。
「⋯⋯うぉぉぉおおおおおおおぉぉぉぉぉ━━━━!!」
シュッ⋯⋯
何かが撓る音がした。
「━━━━ぉぉぉぉぉ⋯⋯⋯⋯、お⋯⋯」
ズンッ⋯⋯
何かが刺さる音がした。
その音の後、僅かに数歩だけ前に進んだ鎌足だったが、その足は完全に止まっていた。
「⋯⋯⋯⋯え?」
鎌足自身も今、自分の身に何が起きたのか、全く分からなかった。
ただ胸に感じるのは、熱さと痛み。
鎌足が目線をゆっくりと胸へと下ろす。
「⋯⋯⋯⋯あ」
胸には、何故か刃があった。
⋯⋯鎌足の胸の真ん中には、鞭と化した鬼紅葉の刃の切っ先が、深く突き刺さっていた━━━━。
第63話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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次回第64話は、5月28日もしくは29日に投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創って頂いたオリジナルOP&EDです!
OP①https://suno.com/s/L80Vc3huKbKliBWn
OP②https://suno.com/s/nfaRr8NZ7QYcZui2
挿入歌 https://suno.com/s/90ui1ZP5RnEElQo3
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ED②https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT
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