第61話 解禁
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。紅斬鬼と巨大な大鳥居の上で激突する。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。御所前の広大な庭園内で蒼妖鬼と激突するのだが⋯⋯。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、色香に溢れた絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。紅斬鬼とは犬猿の仲。
蒼鋼鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。人間の身体の数倍はある巨体で、凄まじい怪力と絶大な威圧感を誇る。まさに”鬼に金棒“、手にした金砕棒で破壊の限りを尽くす。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━大鳥居に程近い地上では、乱戦を抜け出した一人の小さな影と一鬼の蒼い巨大な影が、一対一の激しい攻防を繰り広げていた。
それは白鞘の刃を握りしめた麒麟と、巨大な金砕棒を振り回す蒼鋼鬼。
《⋯⋯⋯━━━━ぬおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!》
蒼鋼鬼の怒りの金砕棒が、何度も何度も唸りを上げた。
麒麟を豪快に外した金砕棒が風を斬り、風圧だけで大地の白砂が土埃と共に舞い上がる。
片目を失っている蒼鋼鬼は今、怒り狂う猪突猛進の隻眼の野獣と化していた。
攻めても攻めても後方へと飛び退いて避け続ける麒麟に対して、ただひたすらに左右からの金砕棒による凶暴な連撃を繰り返していた。
《⋯⋯ええい!! ちょこまかちょこまかと逃げ回りおって! だが貴様の戦い方は攻めが全て! 的の大きな俺様が動かず留まっている間はその技も通用するだろうが、動きながら攻め込まれながらでは、俺様の肉体を十分に削ることはできん!! 早く観念してしまえ!!》
地には次々と大きな陥没穴が空いていく。
二振りに一度、金砕棒が勢い余って地を叩く度に、轟音と共に玉砂利が激しく空を舞った。
飛び跳ねる麒麟の小さな身体にも、玉砂利の激しい雨が振り注ぐ。
しかしそんな飛礫の白雨すらもまるで心地良さげに、麒麟は蒼鋼鬼と目線を合わせたまま、後ろも見ずに右後方へ左後方へと、ぴょんぴょんと軽快に飛び退いていく。
麒麟にはまだまだ余裕があった。
天性の力加減と手首の撓り。
この天舞の極意によって、模造の刃を巧みに操って、蒼鋼鬼の攻撃の合間に時折反撃もすらも試みていた。
しかし地獄の凶器である金砕棒と日本の単なる模造の刃とでは、そもそもの強さに天地ほどの開きがあった。
模造刀とは思えない驚異の耐久性を見せてきた白鞘の刃も、閻魔鋼による驚異の無限回復力を前にして、流石に傷みが目立ち始めている。
蒼鋼鬼の身体の硬さによって、攻撃力は段々に低下。
所々に刃毀れが生じていたのだ。
余裕はあるものの、決め手が無い。
刃毀れが今、わがままでせっかちな性分の麒麟を、強く激しく苛立たせていた。
「⋯⋯ちっ、筋肉馬鹿な見てくれと違って、割と頭は切れるんだね? ⋯⋯痛い所を突かれちゃったなあ、確かにそうなんだよなぁ、この白鞘だと削りにも限界があるんだよなああぁぁ」
麒麟は念のため辺りを見回す。
(⋯⋯あの役立たずの大将は、付いてきてないよな)
先程まで傍にいた兼季とは今は離れ、間違いなく近くには居ない。
そのことを確信した麒麟は、顔色と声色を突然がらりと変える。
鎌足を唖然とさせた、”あの“本性を剥き出しにして、蒼鋼鬼に罵声を浴びせ始めた。
「⋯⋯ったくよぉぉ! さっきから金棒をぶん回すしか能がねえのかぁ! おい! 蒼鬼のおっさんよぉ! いい加減に諦めて、その無駄にでけぇ身体を俺の好きなように、ざっくざくに削らせろ!!」
《⋯⋯むッ!? ⋯⋯ふん、ぐはははは! 劣勢のくせに生意気ぶりだけは健在、いやむしろ拍車が掛かったなぁ! だが口だけでは俺様には勝てんぞ! おい!》
麒麟の良からぬ挑発が、蒼鋼鬼の攻撃の変化と更なる怒りを誘った。
蒼鋼鬼は醜悪な蔑みの笑みと共に、金砕棒を握りしめる右腕を伸ばし、その狂気の先端を麒麟の方へと向けた。
《⋯⋯ふはははははは、ならばこれを食らってみても、その強気と生意気を貫けるか!? 俺様自慢の攻撃、亡者どもをまとめて貫き吹っ飛ばす、地獄の業砲! ⋯⋯“金砕砲”をなああぁぁ!!》
金砕棒の先端には、十数本の巨大な棘が付いている。
蒼鋼鬼が金砕棒に左掌を添え、勢いよく回転させる。
それは蒼鋼鬼の邪悪と暴魂を極めた大技だった。
麒麟に狙いを定めた先端の棘。
その全てが、まるで弾丸のように金砕棒から次々と発射されていったのだ。
目の前の憐れな犠牲者を殴打するだけの、近距離用の武器に見えた金砕棒。
しかし今、その金砕棒はまるで地獄の大筒のような、迸る狂気と無差別破壊の遠距離用武器と化していた。
「⋯⋯ははぁん! 飛び道具も有るのか! 面白え!」
迎え撃つ者に絶望を与えるこの驚異の攻撃を前にしても、麒麟の顔には焦りはまるで無い。
それどころか、むしろ愉しげな笑みを浮かべていた。
短筒にしろ大筒にしろ、普通の人間ならこれ程までの至近距離で狙われたのなら、まずひとたまりもない。
しかし麒麟はそんな常人の動きとありきたりの常識を、いとも簡単に覆した。
驚異的な眼力と体捌きで、発射された棘の軌道の全てを見切り、左に右に跳ね、空に飛び、地に伏せる。
そして最後は軽快に身体を翻した。
「⋯⋯下手な鉄砲は、下手な鉄砲。数撃っても、この麒麟様には絶対に当たらねえんだよ!」
発射された必殺の棘は、ただの一つも麒麟に掠りもしない。
外れた棘の砲弾の群れは、風だけを虚しく擦りながら、大鳥居を支える二本の太柱に次々と命中し、深くめり込んでいく。
大鳥居の柱は、啄木鳥の群れに襲われたように、穴だらけになっていた。
《⋯⋯ぬうっ!? ば、馬鹿な!! この近距離で全ての金砕砲の弾を避けきったというのか!?》
「⋯⋯へへ、よしっ、これで隙だらけになったぞ!」
腕を無警戒に上げた、砲撃後の蒼鋼鬼の左脇腹。
麒麟はその明らかに生じた“隙”をめがけて、次の瞬間には地を蹴っていた。
そして風を身に纏ったように素早く、蒼鋼鬼の懐に潜り込むと、刃を持つ右腕を撓らせる。
蒼鋼鬼の脇腹から心の臓へ向けて、得意の天舞の技を繰り出した。
《⋯⋯う、ぐぁあああああああああああああああああ》
「⋯⋯ははははははははは、さぁ! 削るぞぉおっ!」
《ああぁぁ⋯あ⋯⋯ぁぁあぁ⋯⋯ぁ⋯⋯⋯ぁぁぁ⋯⋯っぐ⋯⋯、⋯⋯ぐ⋯⋯⋯ぅぐ⋯⋯ぐぐふ、ぐふふふふふ》
「⋯⋯!?」
しかし刃毀れの影響は顕著だった。
麒麟の削る速さよりも閻魔鋼の戻る力や速さの方が強く早く、麒麟が付けた傷口は瞬く間に塞がっていく。
蒼鋼鬼の防御の金砕棒が、至近距離から麒麟を狙って振り下ろされた。
「⋯⋯ちぃっ!」
⋯⋯”削りきれない“。
咄嗟にそう判断した麒麟は、再び大きく後方へと飛び退いた。
驚くべきことに、金砕棒にも閻魔鋼の成分が組み込まれているのか。
棘を全て無くしていたはずの金砕棒の先端の穴。
そこからこの僅かな間のうちに、また新たな棘が元通りに生えてきていた。
(⋯⋯この白鞘の模造刀。多少の刃毀れがあっても、氣で硬化は出来る。⋯⋯とは言え、それすらも効かないくらいに大分傷んできたな。斬れ味が落ちてきてる⋯⋯、いや、落ちた、じゃねえな。もう殆ど思い通りには削れない、か⋯⋯、くそっ)
白鞘の刃毀れを確認する麒麟を、蒼鋼鬼が嘲笑う。
《何処を見ている! 立場逆転だなぁ! ⋯⋯おい!!》
そんな麒麟の姿に逆に隙を見出した蒼鋼鬼は、ここぞとばかりに金砕棒を初めて両掌で持った。
《⋯⋯よくぞ俺様をここまで本気にさせた! だが流石の御前もこれで終わりだ! 触れるもの全てを粉砕する、俺様の全力の金砕棒⋯⋯、受けてみよ!!》
「⋯⋯⋯お! 今度は両手持ちか⋯⋯!?」
麒麟は風で刃を研ぐように空を斬り、笑いながら身構えた。
《⋯⋯⋯⋯━━━━ぬうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ⋯⋯!!!》
腹の底から全ての力を込め、地獄の底にも届きそうな蒼鋼鬼の凄まじい咆哮。
それは金砕棒の渾身の一撃の合図だった。
蒼鋼鬼はその巨躯を最大限にまで撓らせる。
左腰の後ろに金砕棒を思い切り振り、そこから振り子のように速さと勢いをつけて、一気に右の肩口後方へ振りかぶる。
振り上げたことで生じた強烈な風が、吹き荒ぶ向かい風となって麒麟に襲いかかった。
「⋯⋯うおっ! ⋯⋯っと、とととと!」
麒麟の狩衣が、強風を受けてばたばたと激しく靡く。
その風圧の凄まじさに、流石の麒麟も足元をすくわれた。
すくわれた⋯⋯、と言うより実際は飛ばされた、と言ったほうが正しいかもしれない。
麒麟の足と草履が、ふわりと地に浮く。
そして次の瞬間には、麒麟は大鳥居の右の柱に背中からぶつかっていた。
もう後方への逃げ場は無い。
完全に追い詰められた状態だった。
それでも麒麟の表情は変わらない。
柱を背にしながらも焦りの色は微塵も見られず、蒼鋼鬼の撓る身体と振り上げられた金砕棒を眺めて、愉しそうな笑みを浮かべている。
その笑みの中に垣間見えるのは、心の奥の玉座に足組みしながら座り、刃向かう者全てを敵と見なす、未来の日本の覇者⋯⋯皇帝としての自分。
麒麟の果てしない野望、どこまでも深い出世欲だった。
「⋯⋯は、ははは。想像以上だ。⋯⋯いいぜ、いいぜ、こんな大暴れした蒼鬼を斃せたなら、俺の出世は間違い無しだ。⋯⋯位階だけじゃなく、役職も少なくとも中将は堅いな、いや、もしかしたら大将も狙えるか」━━━━⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯━━━━この時。
戦いに没頭する麒麟は、全く気付いていなかった。
麒麟の背にしている大鳥居。
その遥か上空の笠木の上に、地上の戦況を見下ろす二つの影が在ったことを。
それは綾麿と紅斬鬼。
柱に撃ち込まれた棘の弾丸の振動が足元にまで伝わる中、麒麟と同じようにこの両者もまた、蒼鋼鬼の金砕棒の両掌持ちに、ただならない警戒を見せていた。
眼下を一瞥し、呆れたような笑みを浮かべながら、綾麿が呟く。
「⋯⋯見よ、紅鬼の女よ。彼の恐れ知らずの小さき者が朱雀と同じ、麿の直属の配下の麒麟。どうやら血の匂いに引き寄せられ、ふらり内裏にやって来たと見える」
《⋯⋯くッ、あんな餓鬼よりも、まずあの金砕棒だ!》
「⋯⋯まあ、確かにそうだな。どうだ? これは巻き添えを食わないように、身構えた方が賢明ではないか? ⋯⋯お互いに、な」
《⋯⋯ッ!? まさか蒼鋼鬼、此処で!? ちいッ⋯⋯!》
金砕棒は、まさに凄まじい怪物の”魔手“と化した。
速さも重さも、今までの比ではない。
振り下ろされた金砕棒は、竜巻のような暴風と共に、雷鳴の轟きのような雄叫びを上げた。
金砕棒の残影が弧を描く。
「⋯⋯っとぉ! ははは、こいつは想像以上だ⋯⋯!」
麒麟がそう呟いた、次の瞬間⋯⋯。
⋯⋯麒麟の左横、すぐ間近に金砕棒は在った。
緩んでいた麒麟の口元が、一文字に引き締まる。
と同時に、麒麟の姿は夜に溶けた⋯⋯⋯⋯。
金砕棒に負けず劣らず、この時の麒麟の回避の速さや身軽さもまた、今までの動きの比ではなかった。
まるで一瞬で夜に同化するような、陽炎の揺らめき。
今までのどんな動きよりも強く、そして軽く。
麒麟はその身を、夜の闇に羽ばたかせていた。
両者の動作は、誰の目でも決して捉えられないほどの、刹那の攻防だった。
そして蒼鋼鬼の横殴は、誰の目から見ても世界の破滅を想像させる、最凶の一撃だった。
⋯⋯━━━━直後、かつて聞いた事の無い程の凄まじい爆発音が、御所の敷地内に響き渡った。
爆音は爆風を誘い、嵐を呼ぶ。
大鳥居とは相当の距離があったものの、乱戦の中、何人もの警備兵や蒼紅鬼たちが、この爆風の煽りを食って吹き飛んだ。
そして巨大な建造物が倒壊した後のような、黒と灰の煙が辺り一面に充満した。
⋯⋯爆音の出処である金砕棒は、大鳥居の片側、向かって右側の柱に深くめり込んでいた。
大鳥居の柱が異様なまでに大きく揺れる。
柱の陥没穴周辺には、無数のひび割れが生じていた。
ひび割れはまた新たなひび割れを呼び、柱の隅々にまで、無数のひびが拡がっていく。
《⋯⋯仕留めたか!? ⋯⋯ふっはっははっは! こりゃあ、力加減を誤ったか。はははは⋯⋯もしかして蟇蛙さながらにぐちゃぐちゃに潰れてしまったか!?》
立ちこめた煙で視界は限られているものの、麒麟が左右に逃げた形跡、その残像は見てはいない。
助走無しで飛び上がることは、まずもって不可能。
大鳥居下部の目視できる控柱(※鳥居の柱横の添え木的な柱)等の出張りの部分にも、麒麟の姿は無い。
《⋯⋯ぐふふ。⋯⋯さてと、ぺしゃんこになった生意気な蟇蛙の御開帳といくか。⋯⋯潰れたばかりの血肉は、きっと夜露に光輝いておるわ。⋯⋯ぐははははははは》
蒼鋼鬼が豪快に笑いながら、勝ち誇る。
柱にめり込んでいる金砕棒を、勿体ぶるように、ゆっくりとゆっくりと引き剥がしていく。
⋯⋯しかし、蒼鋼鬼の笑いはすぐに止んだ。
柱の陥没穴には、潰れた麒麟の骸は見当たらない。
金砕棒の先端も同じだった。
麒麟の肉片どころか、一滴の血すら煌めいてはいない。
《⋯⋯む!? 居らん!? ⋯⋯あやつめ! 何処へ!? ⋯⋯何処へ消えた!?!!》━━━━。
━━━━(⋯⋯ふぅ⋯⋯、危なかった⋯⋯)
件の麒麟は、空高くに居た。
その居場所は、大鳥居最上段の笠木の真下の横柱である貫。
地上から遥か離れたそんな高所に、両手をかけてぶら下がる麒麟の姿があった。
(⋯⋯危ない危ない。際の際まで出世の式典を想像しちゃってた。⋯⋯もう少し式典の称賛と酒に酔ってたら、逃げ遅れてぺしゃんこになる所だった)
すぐ真横にまで迫った金砕棒からの回避。
それはまさに伝説上の怪物⋯⋯麒麟の飛翔そのものだった。
麒麟は人間業とは思えない程の跳躍力を見せ、背に浴びた吹き上がる爆風すらも身に纏い、飛翔の足場と変えながら、この高さを一飛びしていた。
白鞘の模造の刃を後ろの帯に差して、ぶら下がったままの麒麟。
そんな一息ついている麒麟の真上で唐突に、笠木から貫へ、ふわりと舞い降りる誰かの足音が響いた。
「⋯⋯あ、あれ? おかしいな、今、足音が?」
足音に気付いた麒麟が目を上げる。
⋯⋯それは。
⋯⋯綾麿だった。
麒麟の手がかかっている貫の傍、ゆっくりと腰を沈めた綾麿は、麒麟を見下ろしながら声をかけた。
「⋯⋯麒麟よ、相変わらず無茶をする奴だ。こんな夜中に蒼鬼と一緒に、”啄木鳥“と“木こり”の真似事か」
「⋯⋯え⋯⋯!? ⋯⋯は? ⋯⋯あ、あわわっ!」
誰も居るはずのない大鳥居の最上部近く。
まさかの綾麿の声、そしてそのあまりにもの唐突さに、驚いた麒麟が手を貫から離しかける。
それでも麒麟は小さな身体をばたつかせ、両の掌を目一杯に広げて、必死に貫の柱を何とか掴み直した。
「⋯⋯わわ、お、落ちっ!? ⋯⋯あ、あ、あぁっ!! な、何で、あや、⋯⋯いや、中将様がこんな場所に!?」
目を丸くしてぶら下がる麒麟に、綾麿は淡々と語りかけた。
「⋯⋯ふっ、まあ、色々あってな。だがその問いかけ、麿とて同じだ。麒麟よ。御主、恐らく夜の闇に乗じて、鎌足でも斬りに来たのだろう?」
「⋯⋯え! あ、そ、そ⋯⋯、そんなことは⋯⋯、私は邪魔な馬鹿女を暗殺しに来ただけで⋯⋯、嘘ですよ、嘘! 真を嫌うのが私の身上ですから、⋯⋯あ、そうだ、それよりも中将さまぁ、⋯⋯この掴んでいる貫の幅、私の掌よりもかなり大きくて⋯⋯、今にも落ちちゃいそうで⋯⋯、⋯⋯落ちたら流石に怪我しちゃう、⋯⋯ちょっと引き上げては頂けませんか」
「⋯⋯⋯⋯、麿がそなたをぶら下げたのか?」
「⋯⋯⋯⋯、は?」
「⋯⋯⋯⋯、もう一度聞く。麿が御主をぶら下げたか?」
「⋯⋯⋯⋯、え? いや? ⋯⋯違いますけれども!?」
「⋯⋯⋯⋯、なら自分で上がれ」
「⋯⋯⋯⋯、はぁ!?」
「⋯⋯それよりも、聞け、この軋みを。そして御主も身構えよ。⋯⋯この大鳥居は終いだ」
「⋯⋯っ!?」
大鳥居は建造されてから相当の年月が経過していた。
その老朽化に加え、金砕砲の棘の着弾による陥没とひび割れ、そして金砕棒の両手での怪力の一撃。
その一撃は目的の麒麟は仕留められなかったが、大鳥居には確実な致命傷になった。
直撃を受けた柱のひび割れの数や長さは見る見るうちに一気に拡がり、柱を取り囲むように横に亀裂が走ったかと思うと、内部が広範囲に“弾けた”。
大鳥居の片側の支えは、既にその機能を失っていた。
左右の均衡を失った大鳥居が、徐々に徐々に右の方へ傾いていく。
《⋯⋯ちいっ! 蒼鋼鬼の野郎、後先考えずに、あんな物騒な得物、振り回しやがって!》
笠木の紅斬鬼もまた、この大鳥居の倒壊と終焉を予感していた。
鬼紅葉を再び団扇のように拡大させながら、倒れる向きとは反対の左の柱の端へと笠木を走る。
そしてそのまま南の空の闇の中に、その身を投じた。
夜の闇に紅斬鬼の声が響く。
《⋯⋯六歌戦、不知火綾麿、勝負は預けた! 私が相手にするのは御前ではなく、あの蒼鋼鬼でもない⋯⋯!》
空中で鬼紅葉を扇ぎ、ふわりと左の控柱まで飛び降りた紅斬鬼は、後はまるで女猿のようだった。
控柱と大鳥居の接合部の出張りを掴んでは、くるりと回転して体を揺らし、更に勢いをつけて至る所を飛び移りながら、大鳥居を駆け下りていく。
紅斬鬼の動きを目で追いながら、麒麟も叫んだ。
「⋯⋯中将さまっ! あの大きな蒼鬼は私が! 私が仕留めますから! 決して手出しはしないで頂きたい!!」
「⋯⋯⋯⋯」
「中将さまは、今のあの紅鬼のおっかない女と戦ってたんですよね!? そもそも何で蒼鬼じゃなく、紅鬼までが居るのか、正直よく分からないけど⋯⋯、あ、何ならあの女の紅鬼も私が斃しますよ! あ、それは流石に中将さまの手柄の横取りになっちゃうか⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯と、とにかく、中将さまぁ、どうかお願いです! 少なくともあの大きな蒼鬼は私に殺らせてください! 私は絶対に私が守りますから!」
既に大鳥居は相当に傾いてきている。
麒麟は相変わらず貫にぶら下がりながら、綾麿に懇願していた。
手柄を奪われては元も子もない。
そんな邪な想いに囚われ、体裁などは一切考えず、とにかく出世の礎作りに必死だった。
暫く無言を貫いていた綾麿は立ち上がると、村雨を納刀し、眼下にぶら下がる麒麟に淡々と言葉を告げた。
「⋯⋯よかろう、随意にしろ、一切手出しはせぬ。⋯⋯ただ、この由緒正しき朱の大鳥居、破壊せしは、麒麟、そなたの失態、言わば許されざる咎。⋯⋯残念だが少将からの降格は避けられぬだろうな」
「⋯⋯はぁ!?」
「⋯⋯見てしまったものは仕方がなかろう。⋯⋯関白殿や大臣殿にはありのままを報告しておく。嘘を嫌うのが身上なのだろう?」
「⋯⋯え?⋯⋯、⋯⋯え、⋯⋯そ、そんなぁぁぁ⋯⋯」
大鳥居はぐらぐらと揺れながら、明らかに斜めに傾いていく。
「⋯⋯だが、⋯⋯彼の蒼鋼鬼を斃せば、もしかしたら、咎無しの恩赦もあるかもしれん、⋯⋯倒れる位置から推察するに遠回りせざるを得んが、麿はこのまま帝の護衛のため、清涼殿に赴く。⋯⋯麒麟よ、せいぜい励め」
「⋯⋯ッ!?」
地上から見上げた大鳥居は、まるで御所建屋にお辞儀をしようとしているようにすら見える。
大鳥居はそれ程までに、相当の危険な角度に傾いていた。
(「⋯⋯大鳥居が倒れるぞぉ! 逃げろ⋯⋯!」)
(「⋯⋯あぁ、鬼に大鳥居までもが壊された!⋯⋯」)
(「そんなこと言ってる場合か、早く逃げるんだ!」)
戦いの最中にある残り僅かな警備兵たちが、揺らぐ大鳥居を目の当たりにして各々に悲鳴をあげる。
その倒れていく方向は、間違いなく御所の中核部。
この由緒ある御所家屋の広範囲は今、御所の象徴であったはずの大鳥居、その直撃の脅威に晒されていた。
ぶら下がりながら絶望の表情を浮かべる麒麟を余所に、綾麿は再び貫から笠木へ軽快に跳び上がった。
そして斜めになっていく最中の最上部の笠木、その中央部に悠然と立った。
後は倒壊の流れに、その身を任せようとでも言うのか。
徐々に近づいてくる御所建屋の全容をその目に焼き付け、そして被害の程度を推し量るように、綾麿は力強く眼下を睨みつけた。
(⋯⋯清涼殿への直撃だけは免れるか)
大鳥居の傾きはいよいよ顕著になった。
今度は更に東西南北、四方へとふらつきながら、その振り幅を大きくする。
既にひび割れは柱を上へと伝い、貫近くの上部にまで達し、柱の材である朱木の断片がめきめきと音を立てて剥がれ、辺り一面に弾け飛んでいた。
そして、終焉の時は想像以上に早くやってきた。
柱の根元の陥没穴とひび割れが、もう一度大きな音と共に弾けた。
右の柱の根元が、完全に破壊され、柱としての機能を失う。
大鳥居はその柱から血肉のような朱の木々を振り撒きながら、一気に御所の建つ西の方角に向けて激しく傾いていった。
「⋯⋯わわわわ、⋯⋯っと!」
麒麟はこの大鳥居の傾きを利用した。
ぶら下がり状態から身体を大きく前後に揺らすと反動をつけ、逆上がりの要領で貫の上にやっとのことで飛び乗った。
そんな麒麟の視界に入ったのは、笠木と貫の間にある、自身よりも一回りは大きい“神額”。
白鞘の模造刀を腰から抜いた麒麟は、すぐさまに身体を翻し、神額の四隅を斬りつけていた。
麒麟が狙ったのは、神額と大鳥居との接合部だった。
蒼鋼鬼の屈強な身体を削ることは困難になっても、抵抗と強度の弱まった神額や木ならば、まだ十分に麒麟の技は効く。
天舞の技と白鞘の刃によって切り離された神額は、ゆっくりと前方に傾き、そしてその傾いた勢いと重みのまま、大鳥居から地上へと落下していった。
麒麟もまたそんな神額の末路を追うように、次の瞬間には貫を足場にして夜の闇の空に身を投じていた。
麒麟は落下する神額の上に颯爽と飛び乗る。
そして地上に落下する寸前に再び神額を蹴り、宙を舞った⋯⋯。
⋯⋯一方、綾麿は依然として、笠木中央に凛と立ち尽くしながら、斜めに傾く大鳥居にその身を委ねていた。
しかし大鳥居と心中するようにも映るその姿とは裏腹に、その目は力強く見開き、”生“と“自身の使命”だけを見つめている。
(⋯⋯帝の元へ。⋯⋯いざ━━━━)
綾麿の身体が更に斜めに傾いた。
大鳥居が地上へと近づいていく。
大鳥居から見える景色が徐々に大きくなる。
大鳥居がいよいよ御所の大屋根に激突する⋯⋯。
⋯⋯その瞬間、綾麿は笠木を滑るようにして、大きく翔んだ━━━━。
━━━━《⋯⋯何だァ! この“板”は!! うおおぉ!!》
時を同じくして、蒼鋼鬼は自分の真上に落下してきた巨大な神額を、金砕棒を一振して空中で粉砕していた。
木っ端微塵になって降り注ぐ、神額。
絶え間なく落ちてくる、大鳥居の朱の破片。
足元に散乱していく瓦礫と埃が舞う中で、蒼鋼鬼は再び野獣のように吠えた。
《⋯⋯彼奴は何処だ!? あの麒麟とかいうふざけた奴は一体全体、何処にいるッ!? 何処に逃げたッ!?》
⋯⋯その時。
蒼鋼鬼の背後に、麒麟が颯爽と着地した。
片膝をつき、俯きながら麒麟は答えた。
「⋯⋯ここだよ」
その声に蒼鋼鬼が振り向く。
《⋯⋯ふはははははははぁ! ⋯⋯見つけたぞ⋯⋯!》
残された右の眼に麒麟の姿を映した蒼鋼鬼は、金砕棒を舐め回しながら、にたりと邪悪な笑みを浮かべた。
「御前のせいで⋯⋯、御前のせいで⋯⋯」
しかし麒麟は顔を上げようとしない。
俯いたまま、ぶつぶつと何かを呟いている。
《ふははは、あまりの破壊力と己の無力さを前にして、遂に頭がおかしくなったか?》
「⋯⋯俺の出世、どうしてくれるんだよ⋯⋯」
麒麟はまだ俯いている。
そして力無くゆらゆらと立ち上がった。
そんな麒麟の背後では、この京都御所の代名詞でもある巨大な大鳥居が、遂に最期の時を迎えようとしていた。
⋯⋯夜の闇に、朱の陽が沈んでいく。
大鳥居は清涼殿近くの屋根や部屋を尽く押しつぶしながら、御所という大きな山際の中へと、悲しく沈んでいった。
御所とぶつかり合う破壊の爆音が耳をつんざき、麒麟や蒼鋼鬼の元へ、御所建屋方面から煙と風が舞い上がる⋯⋯。
⋯⋯その煙の中に、ふと人影が揺らめいた。
人影はゆっくりと麒麟の方へと歩いてくる。
その時、霧が晴れるように、煙が夜の闇へと舞い上がった。
その場に現れた人影。
⋯⋯それは、地上へ颯爽と舞い降りた鳳凰。
綾麿だった。
麒麟は、そんな綾麿の姿どころか、大鳥居が倒壊したことにも気付かない。
相変わらず呆然自失状態で、ふらふらと蒼鋼鬼に近づいていく。
そんな麒麟の姿を一瞥した綾麿は、無言で歩を進めた。
綾麿の向かった先は、すぐ近くの地に刺さる”刀“だった。
刀はきっと今宵の鬼たちとの乱戦において、志半ばで斃された警備兵のものだろう。
綾麿は刀の前で立ち止まり、目を閉じ祈りを捧げると、地に刺さる刀の柄をそっと手に取る。
そしてゆっくりと刀を地から抜くと、不意に刀を麒麟に向かって投げつけた。
くるくると回転しながら飛んでいく、一振りの刀。
「⋯⋯ッ!」
麒麟も刀に気づき、飛んできた刀の柄をしっかりとその右掌に捉えた。
「⋯⋯ち、中将さま」
綾麿と麒麟の目が合った。
「⋯⋯己を戒め、白鞘の約束を守り抜いた褒美だ。今は大事。故に半刻だけ刀を使う事を許す。⋯⋯その代わり、⋯⋯よいか、⋯⋯必ずその蒼鋼鬼を斃せ」
「⋯⋯えっ!?」
戸惑いの表情を浮かべる麒麟に対して、綾麿は微かに微笑んだ。
そして口元を引き締めると、颯爽と身を翻し、清涼殿の方角に向かって悠然と去っていった。
《⋯⋯ぬッ! 今のは『六歌戦』、不知火綾麿!!》
綾麿を追跡しようと身構える蒼鋼鬼。
その傍で、麒麟が突然笑い出した。
「⋯⋯か、刀、⋯⋯刀だ! ⋯⋯ふ、ふふふふふ」
《⋯⋯ぬッ!? ⋯⋯何だ!?》
本来の持ち主を既に失っている、哀しき無銘の刀。
麒麟はその名も無き一振りを強く、強く握りしめた。
そして心から大事そうに、柄を指で優しくなぞった。
それまるで、長い間待ち続けた愛しい人との、再会の瞬間のようだった。
刃を眺める麒麟の口元が妖しく緩む。
《⋯⋯ふん、⋯⋯ぐはははは、よぅし、『六歌戦』も追う前に、まずは御前からだ。⋯⋯それにしても本当に気が触れたようだなぁ? ⋯⋯ふははは、他愛ない奴よ》
「⋯⋯気が触れてんじゃねぇ、刀に触れてんだよ、⋯⋯あぁ、随分久方ぶりの重みだ⋯⋯、やっぱり真剣の感触は良い、最高だ、早く、早く、試し斬りをしたい⋯⋯」
麒麟は相変わらずぶつぶつと呟きながら、蒼鋼鬼にふらふらと近づいていく。
しかし虚ろに彷徨っていた麒麟の眼だけは、先程までとはまるで違っていた。
蒼鋼鬼の姿を改めて捉えた瞳は、異常なまでの輝きを見せる。
「試し斬り⋯⋯、降格⋯⋯、無くなる⋯⋯、蒼鬼⋯⋯」
《⋯⋯ん、⋯⋯何だ、此奴!?》
「⋯⋯斬る、⋯⋯殺す、⋯⋯削る、⋯⋯あの心の臓を」
天舞の技が、届くか否か。
そんな間合いにまで到達した麒麟が、ぴたりと立ち止まった。
そして突如として不気味な恍惚の表情を浮かべ、狂気に満ちた鋭い眼光で、蒼鋼鬼を睨みつけ、叫んだ。
「⋯⋯御前を斃せば俺は今の地位に生き残れる! ⋯⋯真の天舞麒麟剣、たっぷりとその身体で味わえ!! ⋯⋯そして俺の出世のために、その”心の臓“を削らせろ!!」━━━━。
第61話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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次回第62話「血戦」は、5月23日〜5月25日の間に投稿予定です。(多忙のため次回は流動的でごめんなさい)
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創って頂いたオリジナルOP&EDです!
OP①https://suno.com/s/L80Vc3huKbKliBWn
OP②https://suno.com/s/nfaRr8NZ7QYcZui2
挿入歌 https://suno.com/s/90ui1ZP5RnEElQo3
ED①https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
ED②https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT
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