第60話 冥闇の神殿
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。紅斬鬼と巨大な大鳥居の上で激突する。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。御所前の広大な庭園内で蒼妖鬼と激突するのだが⋯⋯。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、色香に溢れた絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。紅斬鬼とは犬猿の仲。
蒼鋼鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。人間の身体の数倍はある巨体で、凄まじい怪力と絶大な威圧感を誇る。まさに”鬼に金棒“、手にした金砕棒で破壊の限りを尽くす。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━刻は既に暮れ六つを大きく回り、七つも半ばを回っていた。
夜の闇が御所を完全に包み、地上で鎌足が蒼妖鬼と対峙、激突している頃。
地上から遥か高く離れた大鳥居の最上部⋯⋯笠木(※一番上の大きな横柱)の上では、もう一つの激しい死闘が繰り広げられていた。
笠木は月明かりによる仄かな視界と、前後の動きだけが頼りだった。
信じることができるのは、鍛え上げられた己の視覚や聴覚など、言わば五感のみ。
体勢を崩すような大きな動きや、横への動きも制限されている狭い幅は、当然に逃げ場も無い。
一歩でも足を踏み外そうものなら、闇の中へと真っ逆さまに落ちていく。
そんな笠木の中央部分、一段下に飾り付けられた神額(※鳥居の上部の額)を境として、向かって左には日本の妖刀『村雨』を振るう綾麿。
そして右には、地獄の魔剣『鬼紅葉』を翳す紅斬鬼。
村雨の残炎が妖しく煌めき、鬼紅葉の撓る音が鋭く響く中、この二者二刀は何度も風を斬り、互いの頭上を何度も飛び越え、左右の立ち位置を何度も入れ替える。
両者の一進一退の攻防は、今まさに佳境を迎えようとしていた。
《⋯⋯ふははは、前後の動きしか出来ねえ、この狭い場所。最後に物を言うのは、己の体術、そして刀それ自体を扱う技量だ! いくら『六歌戦』とは言え、所詮は人間。こんな高所と狭所じゃあ、その力の半分も出せねえだろう! さっきから防戦一方じゃねえか!》
「⋯⋯⋯⋯」
紅斬鬼の挑発にも綾麿は答えない。
地上の乱戦を物語る刃と刃のぶつかる音や、鬼の唸り声、警備兵の物々しい叫び声、そして何かを打ちつけるような地響きのような音が、夜の風に紛れて微かに聞こえてくる。
《⋯⋯油断して気を逸らせば、即座の敗北や死、地上への落下に直結することになりかねない⋯⋯、だから黙りを決め込む、ってか。⋯⋯ふん、びびりやがって!》
「⋯⋯⋯⋯」
十数度目の剣閃。
左右それぞれの方角に向けて、二つの光が走る。
光の筋は相手の衣を掠り、互いに既の所で刃をかわしていた。
最接近した二つの視線が交差する。
振り向きざまに綾麿がやっと口を開いた。
「⋯⋯何処かで見た太刀筋だと思ったが、ようやっと分かった。平安の時代から伝わる古流剣術、巌流の一派、早乙女流だな」
《⋯⋯むッ!?》
「⋯⋯月闇の中とは言え、技や身体を葬魂により奪われた、生前の早乙女の女子の無念の姿が、そなたの後ろに重ねり見える」
《⋯⋯五月蝿え! だったらどうした! この身体や顔はな、かつての侵略における勲章の一つだぜ!》
交わる視線は、すぐさまに次の刃の閃きを導いた。
両者はそのまま至近距離で、数度激しく刃を交えた。
「⋯⋯⋯⋯」
《⋯⋯それにあの女もきっと、今頃は無間の地の底で喜んでるぜ! 紅鬼の葬魂の力⋯⋯、即ち私との一体によって、人間の僅かな生や修業では到達できない、剣に生きる女子としての強さの高みを、こうして極めることができたんだからな!》
「⋯⋯⋯⋯」
紅斬鬼は鬼紅葉を大きく引いた。
《⋯⋯”細長い“この場で、こいつは避けられるか!》
左右に逃れる道は無い、狭い笠木。
紅斬鬼が放ったのは地の特性を活かした、絶対的優位な一撃⋯⋯“突き”だった。
迫り来る鬼紅葉の切っ先。
だが防御に不利な近距離からの突きにも、綾麿は冷静な表情を崩さない。
切っ先の奥の紅斬鬼を一瞥した綾麿は、ふわりと空を舞い、何と鬼紅葉の刃の上に飛び乗ると、鬼紅葉を踏み台にして更に空高くへと飛翔する。
そして右から真刃、左から鞘刃。
村雨蒼白の両刃による剣閃を、突きで腕を伸ばしきった紅斬鬼に向けて放った。
しかし紅斬鬼も負けてはいない。
鬼紅葉をそのまま真上へと、力任せに振り上げた。
上からの村雨二刃、下からの鬼紅葉。
両者はそのまま互いの刀を弾きあった。
そしてその衝撃の反動で、互いに後方、笠木の左右へと跳び退いていた。
それぞれの刃が届くか届かないか、そんな緊迫の間合いを保ちながら、綾麿と紅斬鬼の視線が改めてぶつかり合う。
しかし戦いの高揚感と快楽に満ちた表情を浮かべる紅斬鬼に対し、綾麿の表情は喜怒哀楽に乏しい。
激しい戦いにも関わらず、至って冷静なままだった。
《⋯⋯ふふふ、ふはははは。やるな、流石は六歌戦。まさか“足技”まで得意にしているとはなぁ。⋯⋯日本が誇る『六歌戦』との本気同士の戦い、ぞくぞくするくらい愉しすぎるぜ》
「⋯⋯そうか。それは光栄だな。⋯⋯だが少々勘違いしているな。紅鬼の女子よ。麿は最初から本気など出してはおらぬ。それに生憎と、女子を無闇矢鱈と斬るような、無粋な村雨は持ち合わせては無いからな」
《⋯⋯何だと、本気を出してない、だ!? ⋯⋯ふん、しかも女子を斬る刀は無い、とはな。よく言ったぜ。女に負けるのが恥ずかしくて強がりか? まあ、そりゃそうだよなぁ、今まで私ほど強い女と戦ったことが無いんだろう? 面食らうのも分かるぜ、⋯⋯はっはっはっは》
「⋯⋯⋯。⋯⋯否、残念だがそれも違う。⋯⋯麿は御主より強い人間の女子を、少なくとも三人は知っている」
《⋯⋯っ、何ぃ!? 私より強い女!? しかも人間⋯⋯!? それが三人もこの世に居るだと!?》
「⋯⋯ああ」
《⋯⋯はっ!? 口から出任せを言うな! 紅と蒼の地獄に於いても人間界に於いても、この私より強い女など存在しない! そんな事は決して有り得ない!》
「⋯⋯ふっ、負けん気が強く、気性の激しい女鬼だ。⋯⋯大した自信だな。だが今の話は事実だ」
《⋯⋯聞き捨てならねえな、大洞は許さねえ。誰だ!? 其奴らは!? 京都制圧の前に私が殺ってやろうじゃねえか! 私の強さとそいつらの弱さを証明してやる! 事実だと言うなら、その三人の名を言ってみろ!!》
短気で自尊心が高く、自分こそが最強の女鬼と思っている紅斬鬼は、綾麿の言葉が心の底から許せなかった。
紅斬鬼の綾麿を睨む視線が、更に厳しく鋭くなる。
そんな紅斬鬼の睨みに対し、綾麿は落ち着き払った真剣な表情で、まず一人の女子の名を告げた。
「⋯⋯そんなに聞きたいか。⋯⋯ならば教えてやる。
⋯⋯まずは『六歌戦』が一人、
━━弓月院小夜」━━━━⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯━━━━「⋯⋯もん ⋯⋯開門! 開門を!!」
京都御所から離れること、五里(※約20km)。
無数の石燈籠や狛犬像を抜けた先、格式の高さを感じさせる寺院の楼門(※二階建の門)。
馬を降りた一人の男が今、この厳かな楼門を必死に叩いていた。
男は急ぎ駆けつけたばかりなのか、息も相当に荒く、大量の汗が額に滲み、顎からも滴り落ちている。
既に夜の帷は下り、辺りは闇に覆われていた。
そんな中、男は何度も何度も「開門」の言葉を大声で叫びながら、門を叩き続けていた。
何十回目か、いや、数十度目にはなるだろうか。
男の必死の“願い”は、通じた。
楼門の扉が、ゆっくりと左右に開いていく。
男の顔にやっと安堵の二文字が浮かぶ。
開いた楼門から差し込む、燭台や松明の仄かな光が、そんな男の顔や楼門正面の石段を照らした。
その光によってようやく色や形の全貌を露わにする、楼門上部に飾られた丸い紋。
見上げる男の目に入ってきたのは⋯⋯。
⋯⋯『満月に囲まれた、杜若と三日月の弓』━━━━
━━━━楼門の上部だけではなく、男が通された場の正面壁面にも、同じ大きな“神紋”が飾られていた。
張り詰めたような静寂の空気に包まれた、厳かな薄闇の神殿の中。
開門を迫った男は今、上座に向かって平伏していた。
神殿の中は紫宸殿に匹敵するほどに相当に広く、そして立派な造りをしている。
とは言え、京都の町中に点在する、古くからある小さな社などではなさそうだった。
内部の柱や梁、壁や天井はまだ相当に新しく、年月の経過による汚れや染みも見当たらない。
この頭を下げる男の息は、まだ荒々しく乱れていた。
馬で全速で駆けてきた疲れか、待ち受ける誰かとの対面に緊張しているのか、それとも気持ちの昂る、“何か”大きな出来事があったのか。
丁寧に平伏しながらも、何処かその背中は焦りの色に満ちていて、落ち着きがない。
⋯⋯その時。
夜の静寂を切り裂くように、神殿の扉が厳かな音をたてて開いた。
神殿の中に入ってきたのは、二つの人影。
男の前方の上座へと向かって、ゆっくりと歩を進めていく。
男は伏せたまま、目で二つの人影の歩みを追った。
刻は既に七つ半を回り、八つへと差し掛かっている。
加えて急な対応だったのだろうか、神殿の中の燭台は数えるほどにしか灯されてはいない。
薄暗く、朧気な視界、世界。
男の座している位置からは、今入ってきた二人の顔までは、はっきりとは見えない。
辛うじて分かるのは、歩き方や体格からその二人は女性であること、そして纏う衣の”色“だけだった。
夜の神殿の闇の黒に、ぼんやりと浮かぶ、白。
そして僅かに見えるのは、その白の下に繋がる、赤。
⋯⋯その二人は、巫女の装束を身に纏っていた。
先頭を歩く巫女の歳は、二十二、三歳程とまだ相当に若く見えた。
そして後ろを歩く巫女のような一般的な白い着物と赤の袴の巫女装束ではなく、格式の高さを感じさせる水干姿だった。
頭には通常の烏帽子の代わりに、豪華できらびやかな金の装飾の髪飾りを付け、美しい黒髪を下ろしている。
水干や黒髪に纏わりついた香の香りと、この神聖な場所ならではの背徳的な女の匂いが、男の鼻を刺激する。
この鮮明な嗅覚と、僅かな灯火の中での限られた視覚。
それだけでも十分に、先を歩くその女性の息を飲む程の美しさが伝ってきた。
この先を歩く水干の巫女は、この若さで神殿の主⋯⋯”宮司“なのだろうか。
優雅にゆっくりと上座へと座す。
そして一段下がった下座、男から見て右側。
宮司に次ぐ地位に相当する場に、後ろを歩いてきたもう一人の巫女も座した。
歳は上座の巫女よりも一つ二つ上、二十歳半ばほど。
この巫女もまた、相当に美しい。
長い髪に少しふくよかな肉感的な身体は、男なら誰もが思わず惹きつけられてしまうような、そんな妖艶な魅力と不思議な包容力に満ちていた。
ほんの少しの沈黙が流れた後、下座に座した巫女が、男に向けて淡々と口を開いた。
「⋯⋯御使者殿。こんな夜更けに突然の訪問とは。一体何用ぞ。⋯⋯当大社への赴きの用件をお窺い致そう」
その言葉に、伏している男の背中が更にそわそわと慌ただしくなる。
気持ちを落ち着けるためか、男は一つ大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。
そして心を少しだけ鎮めると、上座の女性に向け、慎重に言葉を選びながら話かけた。
「⋯⋯は、はっ。夜分に大変失礼致しまする。私めは御帝親衛隊が一人。⋯⋯一刻を争う火急の大事により、内裏から馬にて駆け参じましてに御座います」
男の言葉に上座の巫女は何も反応を見せない。
その代わりに下座の巫女が再び口を開く。
「⋯⋯おお、そなたはあの髭の屈強な御人、高坂殿が隊長を務めている、御帝親衛隊の御一人であったか。⋯⋯して、その一刻を争う火急の大事、とは?」
「⋯⋯はっ。本日暮れ六つ過ぎ、恐れ多くも帝の御命を狙って、鬼どもが大挙として内裏に出現、襲撃を開始。その数、二十以上。内裏に留まらず、京都の町中への動きも懸念されまする。故にその大事を、こうして報せに参りまして次第に御座います」
「⋯⋯鬼たちが。それは確かに一大事。守備は?」
「はっ。本日は東番。親衛隊を差配する我らが大将、近衛兼季様以下、通常警備兵が五十名。それと新たに東番担当に就任しました、江戸の援軍の御方が三名。あとそれともう御一人⋯⋯。非番ではありますが、たまたま本日居合わせました、『六歌戦』不知火中将綾麿様。⋯⋯以上五十五名にて現在、正門前の白の庭園内で鬼どもを迎え撃っております」
男は畏まりながら、守備の概要を口早に告げた。
その口上内のある言葉に、今まで静かに微動だにせずに聞いていた上座の巫女が、明らかに反応を見せた。
「⋯⋯綾麿、⋯⋯不知火綾麿」
たった二言ながら、その声は透き通るように美しく、視覚と嗅覚に加えて更に男の聴覚をも刺激する。
男は頬を赤らめながら答えた。
「⋯⋯は、はっ」
再び下座の巫女が口を挟む。
「それで戦況は? 御使者殿の親衛隊は、当防衛戦には参加してはいないのですか?」
「⋯⋯はっ、恐らくですが⋯⋯、戦況は芳しくはありません。そして我ら御帝親衛隊の持ち場は清涼殿内。管轄の外で何が起ころうと、帝の周辺を離れることは決して許されてはいませぬ故、私以外の十九名全員、万が一の鬼どもの清涼殿への侵入に備え、帝の夜御殿に続く回廊持ち場にて待機中」
「なるほど、決して持ち場を動かぬ親衛隊、か。⋯⋯では、一つ聞く。そなたは何故持ち場を離れて此処に来たのですか?」
「⋯⋯はっ、あまりの鬼の数、庭園での戦いの激しさ。本来なれば大将殿の御指図を要するところ、その大将殿も外にて交戦中。その生死すら定かではなかった故、高坂殿や我ら親衛隊二十名内での、取り急ぎのやむを得ぬ判断。二十名を代表してこの私一人が参ったが次第に御座います⋯⋯」
「して、用件は? そなたの望みは?」
「⋯⋯は? 用件? 望み? ⋯⋯い、いえ。⋯⋯ですから、今申し上げた通り、援軍を乞うため。鬼たちの襲撃から帝や御所を守って頂くために、夜分失礼を覚悟の上、最寄りの此処に参ったのです!」
男は伏せていた頭を上げて、熱を帯びた視線を上座へと向けた。
しかし上座にしろ下座にしろ、この二人の巫女の反応は、男が想像していたものとまるで異なっていた。
かつてない内裏の危機、そして帝の命の危機。
それを耳にしても、神殿に座した時と変わらず落ち着いたまま、何一つ動揺を見せてはいない。
「⋯⋯『六歌戦』綾麿様が一人先陣を戦っている中、その大切な同胞として、援軍として、一刻も早く⋯⋯」
上座の黒髪の影が、僅かに動いた。
男が続ける懸命な言葉を、今度は上座の巫女の冷静な言葉が唐突に遮った。
「⋯⋯最寄り、とか先程申しましたね。陰陽寮の方が此方より近いでしょう。まずはそちらへと向かったのではないのですか?」
「⋯⋯は、はい。⋯⋯お、仰る通りに御座います。最も内裏に近きは北の陰陽の山。まずはそちらに参ったのですが⋯⋯」
「⋯⋯神羅万象司る、真新しい五色の陰陽の山門。残念ながら堅く閉ざされていた。⋯⋯そうなのでしょう?」
「⋯⋯え、⋯⋯あ、⋯⋯は、はい。祈祷か何かの儀礼に入っているのか⋯⋯、いくら門を激しく叩いても、喉が枯れるほど大声で呼べども叫べども、誰一人として現れず。山門は頑として開くこと無く⋯⋯。陰陽頭様はじめ、数十人は詰めているはずの陰陽寮。いつもは誰かは必ず出てくるはずなのですが、⋯⋯やむを得ず」
「⋯⋯やむを得ず、ですか。⋯⋯なるほど、それで馬を南へと戻り走らせ、次に近い当”弓削大社“に参られたのですか。⋯⋯して他の三名は?」
「⋯⋯はっ。他の方々ですが⋯⋯、紀伊国から近江国周辺を遊撃中であったり、瀬戸内の海上という遠方であったり⋯⋯。どちらも早急に連絡を取るのが難しく⋯⋯」
「⋯⋯もう一人、あの“禁門の裏忍“の男は? 確かその本拠はこの京の都に在るはずですが」
「そ、それが⋯⋯、あの御方は御役目柄か、関東方面への視察という届けで、何日か前から多くの御仲間たちと共に旅立っておられまして。⋯⋯京都近郊に残っているのは、もう貴女様をおいて他には居りませぬ」
「⋯⋯なるほど。それで、私しか居らぬ、ですか。⋯⋯さてさて、どうするべきか。⋯⋯あの小生意気な綾麿が一人で鬼と交戦中とは。⋯⋯うふふ、それはそれで見ものではあるのですが」
「⋯⋯え、な、何を⋯⋯、お、御言葉ですが、ゆるりとしている暇はありませぬ! 貴女様の類稀なる弓の御力が必要なのです! こうしている内にも、鬼どもが帝の御命を狙って清涼殿にも⋯⋯、⋯⋯ッ、それに⋯⋯、此度現れた鬼、⋯⋯ッ、⋯⋯どうか驚かないでください、蒼鬼⋯⋯」
「⋯⋯━━━━ではなく、紅鬼⋯⋯なのでしょう?」
「⋯⋯ッ!? な、何故それを!? どうして御存知なのですか!?」
「⋯⋯どうして? うふふふ⋯⋯、そなたより先に報せがあったのです」
「⋯⋯私より先に報せが? そ、それは⋯⋯、何処から? いえ⋯⋯、誰から?」
「⋯⋯その質問に答える前に、そなたの二つの罪を踏まえた上で、援軍要請への私の返事をお答えしましょう」
「⋯⋯は? 二つの罪?」
「⋯⋯まず帝の御命を守る親衛隊ながら、勝手な判断で持ち場を離れた罪。⋯⋯まあ、これは私の管轄外。大将殿の御判断。大目にはみてあげることはできましょう。それに遅かれ早かれ今晩の内には、親衛隊二十名の命は、⋯⋯帝共々全員、もうこの世には無いのですから」
「⋯⋯え、な、何を言っているのです⋯⋯?」
上座の巫女が、下座の巫女に目配せをする。
下座のふくよかな巫女は音も無く立ち上がると、上座の壁際へと歩いていった。
上座の巫女は、巫女が下座から上座へと上がったことを確認すると、話を続けた。
「そして二つ目。この弓削大社本殿は男子禁制。これは先程の一つ目と違い、宮司を務める私の管轄。口出しも例外も一切認められません」
「⋯⋯そ、それは存じておりましたが、不測の事態。やむを得ず⋯⋯」
「⋯⋯やむを得ず、ですか。またその言葉で当大社への大罪を隠そうとするのですね。⋯⋯その心と罪を汲んでお答えしましょう、御使者殿、⋯⋯いや、不埒者よ」
その冷たい言葉と細めた目が合図だった。
下座の巫女が、上座の壁際に掛かる紐を一気に引く。
すると神殿の天井の一列が、くるりと表裏逆転し、仕掛けられていた“ある物”が、天井から男の頭上へと一斉に振り注いだ。
「⋯⋯が、⋯⋯ぐ、ぐがぁっ!?」
⋯⋯それは、無数の矢だった。
天井裏に仕掛けられていた、弓矢の発射装置。
引かれた紐はその装置の起動と連動していた。
天井から百本は超える矢の雨が、この無防備に平伏する男を襲い、その身体を容赦なく貫いていた。
理由が分からず、また何が起きたのかも分からず、神殿の床を舐めることになった男の視界がぼやけていく。
命の灯火が今まさに消えようとしている男の耳に、二人の巫女の言葉が響いてきた。
⋯⋯(「⋯⋯小夜神様。新しく来たばかりの巫女が、うっかりと門を開けてしまったばかりに⋯⋯。お手数申し訳ございません。御所から何らかの尋ねが有った場合、如何致しましょう」)
(「大勢の死者が出る内裏。親衛隊の一人が消えても、何の不思議もない。弓削は何も知らぬ、聞いてもおらぬ、そして誰も来てはおらぬ。⋯⋯それで通せばよい。わかったな、無鵺」)
(「畏まりました」)
(「それと、この男の汚らわしき亡骸は、“姫夜叉”たちに人知れず処分させるように」)
(「心得えております」)
(「あと、男子禁制の絶対を破り、門を開け、この男を神殿に案内してしまった巫女も同罪です。今宵のうちに同じく処分しておきなさい」)
(「それも心得えております。小夜神様」)
(「⋯⋯『六歌戦』不知火中将綾麿。⋯⋯此度の防衛戦、そして紅鬼の修羅との戦いの結末の報せ、ゆっくりと後程また聞かせてもらうとしよう⋯⋯、⋯⋯そうそう、先のこの者からの問いの答えがまだでしたね。⋯⋯まだ耳は聞こえているかしら」)
意識が途切れていく男の耳に聞こえるのは、上座から立ち上がり、倒れている自分の方へとゆっくりと近づいてくる巫女の足音。
男は最期の力を振り絞って、頭と目を動かした。
霞んでいく視界の中、改めて巫女の顔が映る。
薄暗い神殿、ぼんやりとした瞳でも、今ははっきりと分かる。
間近で見るその巫女の顔は、あの蒼妖鬼にも引けを取らない程の、まさに死の国に誘う魔性の天女。
そう言っても過言ではない程、絶世の美しさだった。
そんな美しい巫女に向けて、男は最期の言葉を途切れ途切れに呟いた。
「⋯⋯なぜ⋯⋯ろっ⋯⋯⋯⋯⋯せ⋯⋯⋯さよ⋯⋯さま」
死にゆく男の言葉に応えるように、この小夜と呼ばれた巫女は、美しく妖しい微笑みを浮かべながら囁いた。
「⋯⋯うふふふふ。何処から、誰から聞いたか。貴方は決して知らない御方。死人に口無しと言います。⋯⋯なので冥土への土産に、特別に教えて差し上げましょう」
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯男は既に息絶えていた。
「⋯⋯報せは地獄の底から。紅皇鬼の遣いの鬼からよ」━━━━。
━━━━《⋯⋯弓月院⋯⋯小夜だぁ!? ⋯⋯ちぃっ、あいつか、⋯⋯ふん、あとの二人は!!!?》
「⋯⋯⋯⋯」
紅斬鬼の返す言葉に、綾麿の刻が一瞬止まった。
綾麿は目を鋭く細め、そして口元を緩めた。
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯もう一人は、麿の直属の配下。
⋯⋯京の裏世界での通り名は
━━番傘剣朱雀」
《⋯⋯番傘剣朱雀だぁ!? ⋯⋯ッ、何処の誰だ、そいつは!! 居場所を言え! 鬼紅葉でぶった斬ってやる!!》
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯さて、そうは上手くいくかな。まだ十八になったばかりの女子だが、御主よりも遥かに速く、御主よりも華麗に舞う者だ」
《何だとぉ、十八の小娘だとぉ!? ⋯⋯けっ、たかだか十八年しか生きていない、何処の馬の骨とも分からない糞餓鬼が、私より速く華麗に舞うだと!? ⋯⋯っ、教えろ! そいつは何処にいやがる!?》
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯生憎だが御所には居らぬ。麿が命じた極秘の任務に就いているからな。⋯⋯しかし⋯⋯ふっ」
《⋯⋯あぁん!? 何を笑う!? 何がおかしい!?》
「⋯⋯いや。図った通りの上首尾が嬉しくて堪らなくてな。⋯⋯ふふふ、単純な御主の性格、今後の決起と断罪のため、上手くいけば何かを見聞きできる⋯⋯、そう思い、紅斬鬼の方を選んだが、この大事の中でも笠木まで上がり、力を抑えた意味があったというもの」
《⋯⋯何ぃ!? ⋯⋯力を抑え!? ⋯⋯っ、まだそんな強がりを言ってやがるのか! それに上首尾に、見聞きに、礼だと⋯⋯!? どういう意味だ!?》
「⋯⋯麿のかねてからの疑念は、また一歩確信へと近づくことができた。あの女子を排除する時は、麿としてもそれ相応の覚悟と理由を要するからな。⋯⋯礼を言う」
《⋯⋯答えになってねえ! 疑念が確信だと!? 何をわけのわからねえ事を、連連とほざいていやがる!? 》
「⋯⋯さあな? ⋯⋯さて。それよりも最後の一人だが」
《⋯⋯くッ⋯⋯ぬうっ、誰だぁあッ! 言ってみろ!!》
「⋯⋯その女子の名は。
⋯⋯御庭番小頭
━━━━伊賀の鬼切丸、⋯⋯鎌足」
《⋯⋯なッ!? か、鎌足だぁ!? あの“ちび餓鬼”がこの私より強いだと!? ⋯⋯はっ!? ふざけるな!!》
「⋯⋯ふざけてなどおらぬ。丁度良い機会ではないか。朱雀は居らぬが、鎌足なら下に居るぞ。ならば実際に戦って試してみてはどうだ? 鎌足が秘めている、底知れない”何か“がその身をもって分かるはずだ。⋯⋯⋯⋯、それに。下を見よ、男ではあるが、此方に近づいてきているあの若く小さな人間も、本気を出せばそなたよりは格段に強いぞ?」
《⋯⋯何っ!? ⋯⋯⋯⋯っ! ⋯⋯あれは!!》
綾麿に続き、紅斬鬼も気付いた。
広大な中庭の遠くから、この大鳥居付近に近づいてくる、あまりもの異様な大轟音。
そして笠木にまでも伝わってくる、異常な振動を。
紅斬鬼は、綾麿の視線の先、地上へと目を向けた。
その音の正体。
出所は━━━━。
━━━唸りを上げて振り下ろされる、巨大な金砕棒だった。
猪突猛進、前へ前へと進みながら金砕棒を振り回し、次々と地に打ちつけていく巨大な蒼鬼修羅、蒼鋼鬼。
その全ての攻撃を、左後方⋯⋯右後方⋯⋯また左後方と、交互に飛び退いて軽快に避け続ける、麒麟。
百の人鬼が入り混じった乱戦の中。
一番大きな影と一番小さな影が今、この巨大な大鳥居の下へと近づいていた━━━━。
第60話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第61話「解禁」は、5月19日もしくは5月20日投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創って頂いたオリジナルOP&EDです!
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こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪




