第56話 天舞
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。鬼との戦いの中で鎌足と一時的に手を組む。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。鬼との戦いの中で、宿敵だった綾麿と一時的に手を組む。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、色香に溢れた絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。紅斬鬼とは犬猿の仲。
蒼鋼鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。人間の身体の数倍はある巨体で、凄まじい怪力と絶大な威圧感を誇る。まさに”鬼に金棒“、手にした金砕棒で破壊の限りを尽くす。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅鋏鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。襲撃の紅鬼たちの中では一番の巨躯を誇る。性格は横暴を極め、手にした巨大なやっとこ型の鋏で、人間たちの舌を狙い暴れ回る。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━兼季の背後から話しかける謎の人影。
その声の主は篝火の灯りに妖しく照らされながら、兼季と蒼鋼鬼を見つめて悠然と立っていた。
⋯⋯それは昨日の夕刻、鎌足と一悶着あった、あの白鞘を手にした少年公家、樋ノ口少将麒麟だった。
《⋯⋯何だ、この生意気そうな小さい餓鬼は?》
近づいてくる小さな影⋯⋯麒麟の姿に気付いた蒼鋼鬼が呟いた。
「⋯⋯派手な金棒を振り回してる、でかい図体の蒼鬼さん、戦いの最中に横から失礼しますよ。私は武官、従四位下、樋ノ口少将麒麟。この内裏で、警備の北番と南番を任されている者です」
《⋯⋯何ぃ? 武官、少将麒麟、北番と南番だぁ? ⋯⋯御前みたいな餓鬼が、か?》
どこからともなく突然現れ、警備の重職である北番と南番を担っていると呟く少年。
(《⋯⋯確か東番は江戸の鬼切丸、鎌足。⋯⋯西番は『六歌戦』、村雨を持つ不知火中将綾麿。⋯⋯そして北番と南番は、本来昨日、蒼炎鬼の奴が腕試しに襲うはずだった、少将の⋯⋯確か名は、麒麟。日本の情報源、協力者である“あやつ”の情報とは合致はする、⋯⋯が、しかし》)
東西南北四番の存在は事前情報として把握していた蒼鋼鬼が、訝しげに首を傾げた。
その身の丈は、先程逃げられ仕留め損なった女忍の鎌足と、さほど変わらない。
むしろこの麒麟の方が小さいくらいだった。
この突然現れた白鞘を携えた小さな邪魔者に、蒼鋼鬼は怪訝さと好奇心をたっぷりと漂わせた後、明らかに不快感を露わにした。
《⋯⋯ぐふふ、いや、まさかな、それはない、流石に違うな。⋯⋯ぐはっははは。御前みたいな餓鬼が警備の重職を担っているわけがない。蒼鬼を笑わせるな! ⋯⋯ぐははは。⋯⋯餓鬼め、運悪く少将の父親とはぐれ、この庭園に迷い込んだのだろう。父親と自分の名を勘違いしておるわ。それか俺たち蒼鬼の恐ろしさを目の当たりにして、頭がおかしくなったと見える! ⋯⋯まあ、それも致し方なし! ぐはははははは!》
そんな蒼鋼鬼の不信や嘲りを、麒麟はまるで気にもしない。
遠慮も怖がる素振りもなく、兼季の横も通り過ぎながら、更に蒼鋼鬼の方へと近づいてくる。
そして蒼鋼鬼に向けて、にっこりと微笑んだ。
「⋯⋯今の話。信じる、信じないはどうぞ御勝手に。⋯⋯さて、と。来たばかりなのでいまいち事情が分かってないんですが、この状況から推察すると、馬鹿は東番の大役を果たす事ができなかったみたいですね、満足です。⋯⋯で、現れた蒼鬼紅鬼たちの中では、人間にそっくりでこの図体のでかい蒼鬼が、明らかに一番目立っていて強そうですね。⋯⋯うん、此奴はこの樋ノ口少将麒麟が斃しますから。大将様、御安心を」
《⋯⋯あぁん!?》
小さい身体に似合わず、よほどの肝が据わっているのか。
麒麟と蒼鋼鬼の距離は、夜間でも互いの顔や姿がはっきりと見えるくらいにまで近寄っていた。
しかし蒼鋼鬼の、あからさまに怒りを滲ませている強面や、山が喋っているようにしか見えない天まで届きそうな巨躯、そして人や鬼の血肉がべっとりと付いた金砕棒をすぐ目の前にしても、相変わらず麒麟は一向に怯まない。
自信満々に口元を緩めて、普通に人と話をしているような余裕で涼しい顔をしている。
九死に一生を得た兼季は、そんな何一つ動じない麒麟に向けて、安堵と複雑さが入り混ざった神妙な顔で言葉をかけた。
「⋯⋯助勢は心から感謝の言葉しかない、⋯⋯だが少将よ、有事の際と言えども、そなたは中将から白鞘だけで戦うよう、きつく言われているはず。それを破れば処罰の対象ともなろう。そなたの天衣無縫流の強さは知っているが、その白鞘であの化け物に挑むのは⋯⋯」
そんな兼季の不安や心配ですらも、麒麟は天真爛漫な笑顔で打ち消した。
「大将様、嫌だなあ、心配しなくても大丈夫ですよ、⋯⋯だってこの私は強いから。それに中将さまの許しが無いのも分かってます。許可が無いんだったら、此度もこの白鞘でしか戦いませんから」
麒麟の言葉を聞いた蒼鋼鬼の額の血管が、ぴくぴくと怒りに震える。
取るに足らない小さな邪魔者、頭がおかしくなった子供の戯言とは言え、自分を無視しているような振る舞いだけは、蒼鋼鬼の自尊心が許せなかった。
この平常心と生意気を極めた麒麟の態度や言動に、蒼鋼鬼の苛々や我慢は限界点を迎えようとしていた。
《黙れ! 小僧。⋯⋯いや、頭の悪い糞餓鬼め。黙って聞いておれば、俺様を斃すだの、自分が強いだの、詭弁の強がりばかり、連連とほざきおって!!》
大地が振動する。
堪忍袋の緒が切れた蒼鋼鬼が、世にも恐ろしい威嚇の声で吠えた。
しかも今、この麒麟の命を狙っているのは蒼鋼鬼だけではなかった。
刀と槍を手にした蒼鬼二鬼も、いつの間にかこの睨み合いの場に傍に近寄ってきていた。
そして蒼鋼鬼の左右から様子を窺い、隙あらばすぐにでも麒麟や兼季に襲いかかろうと、邪悪な舌なめずりをしている。
《⋯⋯グフフフ、子供ダ、何故カ人間ノ餓鬼ガイルゾ》
《⋯⋯コイツハ殺シ甲斐ガアリマスネェ、蒼鋼鬼様》
《⋯⋯おい、糞餓鬼、命乞いしても無駄だ。泣き喚いて逃げようとしても、絶対に逃がさん。今すぐ此処で胡麻のように磨り潰してやる!》
「⋯⋯うッ!?」
蒼鋼鬼のあまりにも迫力に、兼季は間に悠然と立つ麒麟へと慌てて近寄った。
「⋯⋯よく聞け、少将よ。自信を持つことは良いが、油断は禁物だ」
麒麟の背中に向けて口にしかけた、兼季の忠告の言葉。
それでも麒麟は余裕な表情を変えず、兼季の方を振り返りもしない。
「それに、奴は受けた傷をすぐに回復させてしま⋯⋯」
それどころか手を横に伸ばして掌を広げ、兼季の助言の核心部分すら制止した。
「言わなくても分かっています。先程矢傷が治る様を少しだけ見たので。奴に不思議な力があることは承知していますよ。⋯⋯だ、か、ら、私が相手するんです⋯⋯」
麒麟は白鞘に手をかけながら、ゆっくりと前屈みになっていく。
(だって⋯⋯)
その顔や口は笑顔でも、眼だけは鋭く、そして蒼鬼紅鬼に匹敵するような”狂気“に満ちていた。
(⋯⋯たくさん斬り刻めて、愉しめるから)
《⋯⋯!?》《⋯⋯ガ!?》《⋯⋯!? ⋯⋯な、何ぃ!?》
麒麟の一歩目は、あまりにも素早かった。
蒼鋼鬼と二鬼の蒼鬼たちは、全く反応できなかった。
金砕棒による壁、防御体制も取っていなかった。
飛ぶように踏み出した一歩目。
麒麟は一気に白鞘をく。
更に蒼鬼たちに近づく二歩目。
その足が地に着く前には、右手首を高速で回転させ、巧みに抜いた刀を操り、そして虚空に何筋もの剣閃を光らせた。
麒麟が起こした鋭い風の閃きによって、白鞘に付いている紙垂がたなびく。
光は風になり、風は刃となった。
《⋯⋯がッ!?》
⋯⋯胸への突然の衝撃。
我に返った蒼鋼鬼が顎を下げて自身の胸を見る。
目にした胸は信じられない程に丸く深く抉れ、金砕棒を打ちつけた大地を彷彿とさせる、陥没穴のような大きな窪みができていた。
「⋯⋯まだ序の口。お愉しみはこれから、かな」
窪みは明らかに麒麟の仕業だった。
麒麟の手の中で剣閃が光る。
その度に蒼鋼鬼の胸や腹、そして腕や足や顔の肉までが、止まることなく深く鋭く、削りに削られていく。
《⋯⋯ッぐあぁ!? 何だこの穴は、傷は!? 肉が無え!?》
蒼鋼鬼の余裕は一瞬で消し飛んでいた。
想像だにできなかった、破壊力を秘めた攻撃。
そしてどんどん肉が削られていく、衝撃と激痛。
(《⋯⋯北南番、樋ノ口少将、⋯⋯麒麟んんッ!?》)
押し寄せる“想定外”の嵐によって、最初に告げられた麒麟の言葉が正しかったことを悟った蒼鋼鬼が、顔を歪めながら叫んだ。
《⋯⋯ら、羅刹よ、かかれ! ⋯⋯あの刃を止めろ!》
蒼鋼鬼は傍に居た蒼鬼二鬼を目で追う。
しかし閻魔鋼が埋め込まれた肉体を持つ蒼鋼鬼ですら、削りに削られた状態。
左右に居たはずの蒼鬼二鬼、そのどちらもが既に全身を蒼鋼鬼以上に容赦無く斬り刻まれ、跡形も無く”消え失せて“いた。
頭も身体も四肢も、その何もかもが柘榴と化している。
肉片は四方八方に飛散し、後は地上からの消滅を意味する蒼い霧が漂っていた。
蒼鋼鬼の左右には、肉塊の山が二つ。
羅刹ニ鬼が居たことを物語るものは今、ただその山二つしか残されてはいなかった。
《⋯⋯ッ、な、何だと!? 不壊不死の閻魔鋼をここまで一気に斬り刻むとは! 信じられん! こんな神刀がまだこの日本に存在していたのか!? これはまさか⋯⋯、過去の蒼鬼の日本侵攻時、海に沈み消えたと伝えられる、伝説の”天叢雲剣“か!?》
「⋯⋯ん? 天叢雲剣?」
蒼鋼鬼の狼狽の中、”刀のくだり“の部分に関心を示した麒麟が、一旦その手の撓りと刃の煌めきを止めた。
「⋯⋯もっともっと斬り刻みたいから、このあたりで一回止めておこう、っと。⋯⋯で、何でしたっけ? ⋯⋯あ、そうそう、この刀が天叢雲剣? ⋯⋯あははは、違いますよ。そんな伝説の名刀が本当に存在するなら、喉から出る程手に入れたいです。⋯⋯いや、とりあえずは無銘の刀でもいいか。こんな刀じゃなくて、ちゃんとした刀があれば、もっと上手く愉しく斬れるのにな。全然思った通りに斬れないや」
麒麟は溜め息混じりで呟きながら、左掌の中の白鞘と右掌の抜いた刀を交互に眺め始めた。
麒麟が刃の煌めきを止めているその間、蒼鋼鬼の身体の傷は急速に元の傷の無い身体へと戻っていく。
《⋯⋯な、普通の刀だと!? ⋯⋯餓鬼、何をわけのわからん事を言っている!? 目が見えんのか? 貴様の持っているのは、れっきとした”刀“。その左に持っている白い鞘から抜いた、紛れもない“刀”ではないか!》
「⋯⋯ん? ⋯⋯あれれ、人と鬼はまた違うかもしれないけど、もしかして勘違いしてたかな。どうやら貴方は大きな見た目ほど、大したことはないみたいですね」
《⋯⋯な、何だと!?》
「中将さまに言わせるとですね、本当に強い剣客は、この刀と刃を交えたら、その本質にすぐに気付く。⋯⋯そして更に、中将さまや私みたいな凄腕の使い手を、脅かし凌駕するような達人中の達人は、どんなに離れていても刀を一瞥しただけでその本質に気付く、と。⋯⋯で、何も気付かない奴に言えるのはただ一つ、⋯⋯それは相手にする価値も無い拙い奴だ、と」
《⋯⋯餓鬼め、だからどうした!?》
「⋯⋯少し離れていたとは言え、貴方は何も気付かなかった。だから“拙い”んですよ。⋯⋯まあ、昨日少しだけ立ち合った馬鹿も、全然気が付かなかったみたいだけど。⋯⋯あの、これ、⋯⋯刀じゃないんです」
《⋯⋯何ぃ!?》
「これ⋯⋯、模造刀、なんです」
《⋯⋯も、模造刀だと⋯⋯!?》
「はい、稽古に使ったり、観賞用だったり、縁日や土産物屋で売られてたり⋯⋯。それっぽく見せるために、光沢は塗ってますけどね、何せ本物に見えないと恥ずかしいから、はは」
《⋯⋯お、玩具の刀だと言うのか?》
「まあ、平たく言えば、そうです。⋯⋯ははは」
《(⋯⋯な、今程のこの餓鬼、麒麟とか言う奴の技。あの刀を止めるまで、俺の心の臓を守る閻魔鋼、その半分程までもが削られていた⋯⋯、そんな、まさか)、⋯⋯ぐっ、模造刀でそのような真似が出来るだと⋯⋯!?》
「⋯⋯うーん、死んだ師匠や中将さまに言わせると、“天才の剣”、⋯⋯らしいんですけどね。よく分からないや。ただ実際には、刀の波動で斬っている、って言うのが正しいのかな」
《⋯⋯刀の、波動だと!?》
「”鎌鼬“って呼ぶ人も居るみたいですけど、麒麟って名前なのに、鼬はちょっとね。だからこう呼んでます」
麒麟は蔑みの薄笑いを浮かべながら、得意気に自身の剣技の名を告げた。
「⋯⋯天舞麒麟剣」
そのあまりもの鼻高々な得意顔に、蒼鋼鬼の浮き上がった額の血管は再び激しくひくついた。
そして直後、この夜一番に地を揺るがす程の、怒りと殺意に満ちた大声で吠えた。
《⋯⋯こんの憎たらしい餓鬼がああああぁぁぁぁ!!!!》
「⋯⋯あっははははは、かっこいいでしょ?」
《何が天舞麒麟剣だ!? 舐め腐った名前を付けおって!? そのような技、餓鬼畜生剣あたりで十分よ!!》
「⋯⋯はは、何それ、酷いなぁ。⋯⋯こんな小さい身体でも、京の裏社会では樋ノ口少将ではなく、天を舞う少年、天才の剣の子、⋯⋯そんな意味を込められた、“天舞童麒麟”って呼ばれてるんですよ? ⋯⋯一端の剣客ならその通り名を知らぬ者は居ないくらいに、ね」
白鞘に付いている、何かの封印のような四枚一組の紙垂。
麒麟はにやりと再び妖しく微笑むと、その紙垂の一枚だけを千切り、指に挟んで目の前に掲げた。
「⋯⋯舞うのは身体だけじゃないんですよねぇ。⋯⋯散々悪口を言われた御礼に、特別に良いものをお見せしましょうか。中将さまには内緒ですよ?」
そしてその一枚の紙を、先程の刀で見せた技と同じような手首の動きで、蒼鋼鬼に向かって投げ捨てた。
ただ軽く投げ捨てたはずの、このたった一枚の紙切れ⋯⋯紙垂は、刀と同じような閃光を放っていた。
そしてその光の煌めきと共に次の瞬間にはもう、目にも止まらぬ速さで蒼鋼鬼の左眼に突き刺さっていた。
《⋯⋯が!? ぐぉぉおおぁおおああああおぉあああ!!》
蒼鋼鬼が左目を押さえ、痛みに絶叫する。
薄くて軽いただの紙は今、まるで刃の欠片のような鋭さと重さで、蒼鋼鬼の左眼球の奥深くまで突き刺さっていた。
蒼鋼鬼の目を抑えた指の隙間からは、紙垂の下半分がひらひらとたなびいていた。
《⋯⋯ふぬぅんうううぅ!? ⋯⋯ぐぅおおおおぉッ!!》
「天舞の技を極めると、こんな事までも出来るんですよ⋯⋯、どう? ⋯⋯凄い? あははは、⋯⋯あれれ? 眼玉は不壊不死じゃなかったのかな? ⋯⋯はははは」
《⋯⋯ぬぅ!? ふぅうぬぬぬぬぬぬぬんんうっ⋯⋯!!》
その麒麟の蔑みの笑い声に、蒼鋼鬼の怒りは頂点、その更に上にまで達した。
蒼鋼鬼は紙垂だけではなく、強引に紙垂ごと眼球までも引っこ抜いていた。
痛々しく閉じた左目から流れるのは、少し蒼みがかった赤い血。
血が上空から大きな雨粒のように、ぽたぽたと地上へ血の雨を滴らせる。
そして引っこ抜いた左眼を地に激しく投げ捨て、金砕棒で磨り潰しながら、蒼鋼鬼は残った右目だけで麒麟を激しく睨みつけ、怒りに打ち震えた。
そんな怒髪天を衝く蒼鋼鬼を指差しながら、麒麟はずっと無邪気に笑い続けている。
「⋯⋯あっははははは、胡麻じゃなくて、自分の眼玉を磨り潰してる! ⋯⋯あははははは」
《⋯⋯おのれ、小癪な真似をぉお!! 抜かったわ、日本にこのような強者がまだ在ったとは! 貴様ぁ、『六歌戦』とやらの一人か!?》
蒼鋼鬼の問いかけに、麒麟は笑みを必死に我慢しながら呟いた。
近くで固唾を呑んでこの戦いの行方を見守っている兼季には、絶対に聞こえない程の小さな声だった。
「⋯⋯近い将来の、ね」
そして麒麟は続けざま、今度は兼季どころか誰にも聞こえない程のもっと小さな小さな声で、もう一言だけ呟き添えた。
(⋯⋯いや、その頃にはこの国の帝になってるかもね)
この時の麒麟の瞳は、ぎらぎらした野望、そして邪念に満ちていた。
それは決して聞かれてはならない、禁断の言葉。
背後の兼季を僅かばかり振り返った麒麟は、疎ましさに満ちた舌打ちをする。
(⋯⋯ここだと大将が居るから言いたいことが言えないや。⋯⋯ちぇっ、大将邪魔だな、助けなきゃ良かった。でも見届け人が居ないと、折角の鬼退治の手柄の証明が出来ないからな。⋯⋯我慢我慢。大将を助けた上に、この目立つ”でかい“のを斃せば、少なくとも従四位上、正四位下や正四位上も見えてくるぞ、⋯⋯いや、中将と肩を並べる従三位だって夢じゃない)
麒麟は背伸びをするように、頭を上から下に動かした。
そうして蒼鋼鬼の身体の頭の先から足の指まで、その全身を隈無く舐め回すような視線を送った。
「⋯⋯よし、治った、塞がってる」
引っこ抜いた左の眼以外、蒼鋼鬼の身体の全ての傷が完全に塞がった事を確認し終えた麒麟は、再び模造の刃を斜に構えた。
受ける蒼鋼鬼も金砕棒を眼前に構え、攻撃防御一体の型を見せ、麒麟の剣を待ち構える。
《⋯⋯減らず口を! ⋯⋯いいだろう、来い! 餓鬼⋯⋯いや、少将麒麟とやらよ! 貴様の戦い方は読めた! 俺様も本気で貴様を叩き潰しにいく!! ぐふふふ⋯⋯、この左眼の代償、相当に高く付くぞ!!》
「⋯⋯ははは。そうやって最初から話を信じてくれたなら、その左眼も失わずに済んだかもしれないのに⋯⋯、そういうのを自業自得、って言うんですよ」
再び天舞の剣の第一歩目を踏み出すため、麒麟の小さな身体がゆっくりと前屈みになっていく。
「⋯⋯さてと。次は心の臓まで抉らせてもらおうかな。これも出世のため。悪く思わないでくださいよ?⋯⋯」━━━━。
━━━━出世を目的に乱戦に加わった麒麟が蒼鋼鬼と対峙し、綾麿と鎌足が蒼鬼紅鬼に足止めされ、そして蒼刃鬼と紅閃鬼が修羅同士の激しい死闘を繰り広げている、ちょうどその頃。
時を同じくして乱戦の最前線⋯⋯御所家屋前では、紅斬鬼と対峙する蒼妖鬼の背後から、密かに狂気の武器を振り上げながら忍び寄る、謎の鬼影があった。
《⋯⋯影に角が? ⋯⋯な、⋯⋯何よ!?》
振り返った蒼妖鬼が見た鬼影。
⋯⋯それは蒼妖鬼の口の中に鋏をねじ込み、その美舌を引き抜こうとする紅鋏鬼の姿だった。
振り上げられているのは、やっとこ型の鋏。
その狂気の二つの先端が、蒼妖鬼に向かって振り下ろされた。
《⋯⋯その舌ぁぁ! ⋯⋯頂きだぁあああああああ!!》
《⋯⋯ッ!? 紅鋏鬼!?》
すぐ目の前で起ころうとしている惨劇の宴への期待と、犬猿の仲の蒼妖鬼の消滅を確信して、紅斬鬼が満面の笑みで歓喜の声を上げる。
《はっはは⋯⋯! 世にも残酷で愉しすぎる蒼鬼修羅の舌抜き制裁の始まりだ! 醜女もこれで終わり! 舌が無けりゃあ、もうくだらねえ台詞は吐けねえよなあ! 紅鋏鬼、構うことはねえぜ! 舌の後は衣もひん剥いて、耳も鼻も腕も脚も全部、引っこ抜いちまえ!》
振り向いた蒼妖鬼の美しい顔が、刃先に血肉がこびり付いた鋏の先端に挟まれた⋯⋯。
⋯⋯と思った瞬間だった。
蒼妖鬼の姿が、歪んだ残像へと変わる。
そして紅斬鬼と紅鋏鬼の視界も同じように揺らいだ⋯⋯。
⋯⋯かと思うと、鋏に挟まれたはずの蒼妖鬼の姿は、この二鬼の紅鬼修羅の目の前から、忽然と消え失せていた。
《⋯⋯がッ!? どうなってやがる!? ⋯⋯き、消えた!》
《⋯⋯これは、⋯⋯この“歪み”は⋯⋯ッ、畜生ッ! 醜女得意の『霞幻夢』の術だ! ⋯⋯逃がすなよ、そして惑わされるなよ!? 紅鋏鬼!》
《当たり前だ! 舌は⋯⋯、舌は何処に消えたぁ!?》
慌てふためく紅斬鬼と紅鋏鬼に向けて、どこからともなく笑い声が響き渡った。
⋯⋯《うふふふ⋯⋯、妾は此処よ。さあ⋯⋯》⋯⋯
その声の主は、消えた蒼妖鬼だった。
蒼妖鬼の妖艶な声が、乱戦の最前線に木霊する。
その声は男ならば誰もが自然と心が蕩けてしまうような、甘美で妖しい魅力を纏っていた。
《この声ッ!? ⋯⋯ッ、聞くなよ! 紅鋏鬼! 蒼妖鬼の罠だ!》
《⋯⋯あ、ああ。舌が、耳から舌の声が聞こえる⋯⋯》
《⋯⋯おい、紅鋏鬼! 耳を塞げ! 聞く耳持つな!》
紅鋏鬼は鋏から手を離して、両耳を手で塞いだ。
《うふふ⋯⋯、我慢などしなくてもよい、煩悩のまま、欲望のまま、ここまで登って来て。妾は御所の屋根の上よ。もし登って来れたならば、この妾を好きにしてもよいぞ。それこそ舌だけではない、何もかも抜き放題よ》
そんな紅鋏鬼に追い撃ちをかけるように、蒼妖鬼の妖艶な声が辺り一面に再び響き渡った。
《⋯⋯ぐぉっ!? 耳を塞いでもまだ舌の声が聞こえてくる、⋯⋯段々と大きく、強く⋯⋯、⋯⋯ぐ、ぐがぁ、何故だぁ!?》
紅鋏鬼が辺りを見渡し、蒼妖鬼の声の出何処を目で探す。
《⋯⋯御所の、屋根の上ぇ⋯⋯?》
左右に動いた瞳が、ゆっくりと上へと動く。
紅鋏鬼は目の前の御所家屋、その大屋根に目をやった。
紅鋏鬼が見上げた空には、今宵の十六夜の月と共に、二色の羅生門邪道の渦が無数に浮かんでいる。
そんな月明かりと蒼紅の霧に照らされた幻想的な大屋根の上には、地上に向かって手を差し伸べる、女性の柔らかな影があった。
その影の主は、鉢巻も髪留めも外し、色めかしく長い美しい髪を下ろした、⋯⋯蒼妖鬼だった。
妖艶に優雅に腰を沈めながら、地上を見下ろして甘い微笑みを浮かべている。
紅鋏鬼が視界に蒼妖鬼を捉えた時、御所家屋の壁面に沿った大地に異変が起きた。
突然の地響きと共に大地が部分的に盛り上がり、その大地が割れて地中から”何か“が突き出したかと思うと、横にも膨らみながら、壁面に沿うようにして一気に真上へと伸びていったのだ。
そしてその“何か”の先端は、あっという間に大屋根の蒼妖鬼のすぐ傍にまで到達していた。
⋯⋯その“何か”は、一本の大木だった。
大屋根へと続く御所の壁際に沿って、無数の枝葉が生えた太幹の巨大な木と、その幹を取り巻くように地上から無数の草が伸びていた。
《⋯⋯うおっ、あんな所に、あんな上に、ぐうぅ⋯⋯、上なのに、舌があああああぁ!!》
紅鋏鬼の目は、完全に蒼妖鬼の色香の魔力に取り憑かれているようだった。
徐ろにこの巨木に近づくと、巨木から生える枝々を握りしめ、時には御所壁面を足場にしながら、太幹をどんどんよじ登っていった。
《⋯⋯お、おいッ! 何をしている!? 紅鋏鬼ッ!? ⋯⋯聞く耳持つな、って言っただろう!? ⋯⋯戻れ! 罠だ!! 分からないのか!?》
しかし聞く耳を”持たれなかった“のは、紅斬鬼の方だった。
紅斬鬼の制止の声は、既に紅鋏鬼には何一つ聞こえていない。
大屋根に佇む蒼妖鬼の元へ、地獄一の美女⋯⋯その舌の元へ。
紅鋏鬼の頭にはただそれだけしかなかった。
ただ大屋根の上だけを仰ぎ見つめ、ひたすらに大木の上へ上へと突き進んでいく。
しかもこの時、蒼妖鬼の誘惑の罠に堕ちたのは、紅斬鬼だけではなかった。
紅鬼一鬼、三人の警備兵、逃げ惑っていたはずの何人かの公家たち⋯⋯。
蒼妖鬼のまるで天女のような美しい姿や声を目や耳にして、人鬼関係なく魅せられ惹き寄せられた“男”たちが、次々と木や草や壁に手をかけていた。
挙句の果てには、蒼妖鬼の仲間であるはずの蒼鬼羅刹の一鬼までもが、ふらふらと巨木に近づいていく。
そしてその全員が、まるで何かに取り憑かれたように虚ろに瞳を輝かせながら、我先にと蒼妖鬼の手招きする大屋根を目指して、幹や枝木や壁を伝って大木を登っていった。
《あらっ? 蒼鬼まで? ⋯⋯はぁ、妾の美しさは敵味方関係なく虜にしてしまうのね。⋯⋯うふふ、でも京都制圧という大作戦だもの。多少の犠牲は仕方ないわねぇ》
腰を下ろして男たちを見下したまま、蒼妖鬼は色香に溢れた溜め息をついた。
その甘く切ない吐息が、一心不乱に幹に抱きつき、一生懸命に枝々を握りぶら下がる、無数の”男“たちの鼻息を荒くする。
そして蒼妖鬼は、徐ろに薙刀『妖凛刀』を両の掌に乗せながら、にっこりと美笑を浮かべて呟いた。
《現世刀葉林⋯⋯、さあ、⋯⋯お愉しみはこれからよ》━━━━。
↓創って頂いたオリジナルOP&EDです(*>_<*)ノ↓
OP https://suno.com/s/L80Vc3huKbKliBWn
ED https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
第56話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、☆評価、感想、顔文字リアクション等、良かったらぜひ。
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください。(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
次回第57話「妖の刃」は5月6日か7日に投稿予定です。投稿日は改めて活動報告やXでお知らせします。




