第57話 妖の刃
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。鬼との戦いの中で鎌足と一時的に手を組む。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣されるが、裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。鬼との戦いの中で、宿敵だった綾麿と一時的に手を組む。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的かつ残虐な性格で、自分よりも位が下の者には容赦は無い。些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつけ、暗殺のために御所にふらり現れる。
近衛兼季━━━━
従二位大将。武官最高位の大将として、清涼殿だけを警備する御帝親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流の使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足にも親しみを見せる。
蒼妖鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。『刀葉林』と呼ばれる刃の木の上で亡者を誘う、色香に溢れた絶世の美女鬼。薙刀型の『妖凛刀』を操る。紅斬鬼とは犬猿の仲。
蒼鋼鬼━━━━
京都御所を襲撃する蒼鬼の修羅。人間の身体の数倍はある巨体で、凄まじい怪力と絶大な威圧感を誇る。まさに”鬼に金棒“、手にした金砕棒で破壊の限りを尽くす。
紅斬鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。派手な戦闘用の衣に身を包んだ女鬼。短気で勝ち気な性格。伸縮も変化も自由自在の長刃の野太刀、『鬼紅葉』を背負っている。
紅鋏鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。襲撃の紅鬼たちの中では一番の巨躯を誇る。性格は横暴を極め、手にした巨大なやっとこ型の鋏で、人間たちの舌を狙い暴れ回る。
紅閃鬼━━━━
京都御所を襲撃する紅鬼の修羅。長い髪に長襟の羽織を纏い、落ち着いた風貌だが性格は残虐。鉄扇の刃と扇ぎ放つ鋭い鉄串の雨で、人間たちを容赦なく貫き裂く。
━━━━《おい! 紅鋏鬼! 御前は女には惑わされない、一徹極めた屈強な地獄の舌抜き処刑人だろうッ!? あんな醜女の『霞幻夢』如きに惑わされるな! 蒼妖鬼の本当の醜い顔を知ってるのか!? 正気に戻れ!!》
紅斬鬼は鬼紅葉を背中へと戻し、紅鋏鬼の魂を地上へと呼び戻すために叫んだ。
しかしこの紅斬鬼の力強い怒声ですら、今の紅鋏鬼の耳には一切届いてはいない。
御所大屋根の上から響く、蒼妖鬼の誘惑の声。
その美しい誘惑によって、紅鋏鬼の両の鼓膜、そして鼓膜から繋がる脳までもが今、完全に理性を奪われていた。
『上、舌、上、舌、上、舌、上、舌、上、舌ぁあ!!』
紅鋏鬼は蒼妖鬼の舌を求めて、何かに取り憑かれたようにただひたすらに、大木や壁を伝い御所を上へ上へと登り始めていた。
そんな紅鋏鬼の前後左右にも、同じように蒼妖鬼に恋焦がれる男たちの必死の姿が在った。
それはたまたま近くに居たことから、蒼妖鬼の色香に囚われ魅せられてしまった者たち。
紅鋏鬼と同胞の紅鬼羅刹、警備兵や公家衆、更には蒼妖鬼の同胞の蒼鬼までもが今、御所の大屋根を目指して突き進んでいる。
全員の目的はたった一つ。
蒼妖鬼を我が物とすること。
その光景は傍から見れば、蒼妖鬼の待ちうける大屋根を最終目的地とした、木登り競争のような異様さを呈していた。
《妾の魅力に堕ちない男など、日本広し地獄深しと言えども、この世には決して居らぬ。うふふふ⋯⋯、秘術、現世 刀葉林⋯⋯。さあ、これからがこの妖の刃の真骨頂、本当の姿よ。今日だけは特別に、もっと妾に近づき易くしてあげるわ。⋯⋯その身を無数の刃で切り刻まれる、痛みと引き換えに、ね》
蒼妖鬼は腰を下ろしたまま、掌の中の妖凛刀をそっと口元に近づけた。
刃の切っ先から境の千段巻き(※刃と柄の間)まで。
そしてくるりと上下を返して、柄の先端の石突から再び千段巻きまで。
蒼妖鬼は妖凛刀の全体に向けて、優しく艶かしく息を吹きかけていく。
すると妖凛刀がその甘い吐息によって、”芽吹いた“。
長い刃の切っ先、千段巻きの段差の隙間、石突の先端など、妖凛刀の各所から草葉や蔓がするすると生え出し、大屋根から壁や下屋根を伝って大木の幹に巻き付きながら、御所の壁面にも沿って伸びていく。
この大屋根からの蔓草の奇怪な増殖は、紅鋏鬼たち大屋根を目指して登る者たちにとっては、思いがけない助けとなった。
握ることのできる場所や、上手く足場と成り得る場所が増えたことにより、枝を掴む手や草に乗せた足の踏ん張りにも力が入る。
人鬼問わず大木を登る誰もが今、大木の幹や枝に加えて、この大屋根から伸びて絡みつく蔓草にも身体を委ね、その命を預けていた。
《⋯⋯うふふ、良い頃合い。⋯⋯”開花“は、今ね》
伸ばした蔓草の先端が地上へと着き、根を張ったことを確認した蒼妖鬼は、魔性の銀の瞳を輝かせて妖しく微笑んだ。
《⋯⋯さあ、血の棘花よ。咲裂き誇りなさい⋯⋯》
蒼妖鬼の一言で、この大木の枝や蔓草に恐怖の”花”が咲いた。
幹や枝や草から、無数の刃が一斉に飛び出す。
そしてその刃は、必死に登っている最中の男たちの皮膚を斬り裂き、身体を突き刺したのだ。
「⋯⋯うおお!? な、何だぁ⋯⋯!?」
「⋯⋯ぎゃああっ、枝から刀がぁ!?」
《⋯⋯グガアアッ!? ⋯⋯ガガッ!!》
身体中に刃が突き刺さり、苦しみ藻掻く阿鼻叫喚の光景は、まさに色欲深き亡者が堕ちると言われる、衆合地獄。
⋯⋯現世に召喚された地獄の刀葉林そのものだった。
「⋯⋯うぅ、ぐぁ、痛い、⋯⋯がぁ、のぼ⋯⋯るぅ!」
「⋯⋯ぎゃひぃ、い、痛いでおじゃる、が⋯⋯参るぞ」
《⋯⋯グガアッ!? ⋯⋯登ル、絶対ニ登ッテヤル⋯⋯》
枝刃 幹刃 草刃 蔓刃⋯⋯刀葉林の様々な刃に全身を切り裂かれながら、尚も登り続けようとする、警備兵三人、公家三人、蒼鬼一鬼と紅鬼一鬼、そして⋯⋯。
⋯⋯紅鋏鬼。
図体の大きい紅鋏鬼は特に、この刃の枝木によって、数え切れない程に無数の裂創刺創を負っていた。
その全身の傷からは、人間よりも濃い紅い血がとめどなく噴出し続け、幹や枝葉を伝いながら、身体の進行方向とは逆の地上へと流れ落ちていく。
《⋯⋯舌ぁ、上に舌ぁ、舌ぁは上だぁ、⋯⋯珍味をよこせぇ! その舌を引っこ抜かせろぉおおぉおおおぉ!!》
《⋯⋯さてさて、一番最初に登り切るのは誰かしら? ⋯⋯あ、そうそう、⋯⋯妾の舌はここよ》
眼下を眺めていた蒼妖鬼は、登り続ける一人一人、一鬼一鬼全てに順番に目を送ると、最後にぺろっと舌を出した。
そして”何か“を誘うように、口の周りを妖艶に舐めまわした。
それは蒼妖鬼を求めて登り続ける男たちにとっては、まさに決定的にとどめとなる魔性の誘惑。
中でも『霞幻夢』の術中に堕ち、既にどっぷりと蒼妖鬼の美貌や声や香りに魅せられている紅鋏鬼が、その血塗れの巨体を震わせて激しく反応した。
《ええいッ! 俺の邪魔をするなぁ! ⋯⋯退けぇ!!》
登る速さを増した紅鋏鬼はまず、あろうことか目の前をよじ登っている同胞の紅鬼羅刹の腹を、手にしていた鋏で突き刺した。
刺された羅刹も羅刹で、蒼妖鬼の虜になっていた。
大屋根の蒼妖鬼へと辿り着けない悔しさや哀しみが、断末魔の叫びとなって響き渡る。
力無く崩れた紅鬼羅刹の身体は、枝刃に切り裂かれながら、大木の幹刃をぎざぎざと滑り、また枝刃に裂かれ弾かれ、地上へと頭から落下していった。
《⋯⋯ぐへへ、まずは邪魔者一鬼、舌落ちた》
紅鋏鬼の眼下で赤い霧が死散する。
紅鋏鬼は先を行く新たな邪魔者を見上げた。
一鬼を排除しても、まだまだ紅鋏鬼の暴走は止まらない。
紅鋏鬼の次の獲物は、紅鋏鬼と同じように、血塗れになっている一人の警備兵。
その警備兵は、紅鋏鬼の左上方で無数の枝刃に引っ掛かっていた。
痛みと苦しみで泣き喚きながらも、大屋根の蒼妖鬼に向けて笑顔で手を振っている。
紅鋏鬼は傷口から血を迸らせながら、その警備兵に抱きつくように飛びついた。
そして背後から頭を鷲掴みにすると、怪力で首を捻り、舌をそのまま素手で引っこ抜いた。
舌を抜かれた警備兵は、身体を幹刃や枝刃に刻みに刻まれながら、襤褸布のように落下していく。
《⋯⋯ぐはは、痛てててて、痛ぇ、⋯⋯だが人間の舌は最高の良薬だ、死の味が効いて痛みが和らぐぜぇ》
無惨な落伍者を余所に、紅鋏鬼は抜いた舌をその場で即座にむしゃむしゃと味わった。
“いの一番”の大屋根到達。
紅鋏鬼はその一念を達成するための、執念の怪物と化していた。
幹や枝などの刃によって、身体のありとあらゆる箇所を切り刻まれながらも、痛みには一切怯むことなく、頭上に連なる枝木の刃を次々と力強く掴んでいった。
《⋯⋯うふふふふ、あらあら。⋯⋯まあ、何だかんだ言っても、一番乗りは紅鋏鬼のような気がするけど⋯⋯、その前に妾は肝心なことを調べないと》
大屋根の端に屈み、眼下に広がる壮絶な情景を眺めていた蒼妖鬼は、現在大木の一番高い場所⋯⋯競争の先頭に立っている公家の一人に目を送った。
その公家は類に漏れず、全身が血塗れ。
顔は血の気が引き青ざめ、意識朦朧。
枝刃と幹刃に身体を貫かれ、草刃も蔓刃も身体に絡みつき、ばたばたと手足を動かしながら、もごもごと蠢いている。
しかしその文字通りの血の滲む努力によって、大屋根までの距離はあと僅かとなっていた。
痛みに耐え最後の力を振り絞り、必死に登ってくるその公家の方へ、蒼妖鬼はゆっくりと近づいていく。
妖凛刀を後ろ手で屋根に置いて隠し、公家の顔を覗き込むように屈み込んだ蒼妖鬼は、親しみに溢れた優しい笑顔で公家に問いかけた。
それは可愛く甘えた猫撫声での、”お願い“だった。
《帝の居場所は何処? 今日は居らっしゃいますか?》
蒼妖鬼はもう目と鼻の先。
その囁きは公家の耳を、その香りは公家の鼻を強烈に刺激する。
声をかけられた公家の男は、蒼妖鬼へと必死に手を伸ばし、今にも死にそうな顔で、それでも嬉しそうに涎を垂らしながら答えた。
「いる、います、清涼殿、⋯⋯その奥、⋯⋯迷路のような長い回廊を抜けた先の寝所に、帝はおじゃる⋯⋯」
公家の涎と血だらけの笑顔の即答に、蒼妖鬼は嬉しそうに言葉を返した。
《どうもありがとう。お優しいお公家さん》
蒼妖鬼の問いかけに答えた後、この公家は恍惚の表情で、これ以上の喜びの表現は無い程、満面の笑みを浮かべた。
絶世の美女に直接に声をかけられた、そんな天にも昇るような高揚感に満たされた笑顔だった。
そしてその直後。
その首が、⋯⋯がくんと力無く折れ曲がった。
⋯⋯公家の男は、そのまま息絶えていた。
その時、蒼妖鬼の背後で、⋯⋯どすん、という空から何かが落ち、地を踏み締めるような大きな音が響いた。
続いて聞こえてくるのは、荒く野太い呼吸音。
⋯⋯それは大木を登り切り、大屋根へと飛び降りた、全身傷だらけ血だらけの、“いの一番”の到達者。
鋏を振りかざした、紅鋏鬼だった。
《⋯⋯はぁはぁ、⋯⋯ぐふふふ、さあ、誰よりも先に登ってきたぞ。その舌を、舌を、舌をよこせぇ!!》
《⋯⋯はぁ、やれやれ、紅鋏鬼は背後から攻めるのが好きね。⋯⋯本来なら霞幻夢の術で“下“にさっさと移っても良いんだけど⋯⋯、下は下で、阿婆擦れが汚い棒切れをまた振り回してくるだろうし。⋯⋯ふぅ、⋯⋯幹刃や枝刃でそれなりの傷も負わせた紅鋏鬼と、まずは此処で決着を着けようかしら》
いつのまにか大屋根の一面にも、桟瓦を覆い尽くす程に、草刃や蔓刃が鬱蒼と生い茂っていた。
蒼妖鬼が持ち上げた妖凛刀にも、ずるずると糸を引くように蔓刃が絡みついている。
蒼妖鬼は脇構えの型をとり、そして殺意を込めた切っ先を、紅鋏鬼へと向けた。
《⋯⋯それに、醜くて穢らわしい紅鋏鬼の顔は、もう見たくないのよね》
《⋯⋯ぐふ、ぐふ、ぐふふふ。舌のくせに、約束を違え、俺に逆らうのか》
《妾にまだ触れることはできてないでしょ。この刀葉林の天上天下は、あくまで妾なの。⋯⋯それにしても、舌、舌、さっきから煩いわねぇ! この変態!!》
《何じゃあ、そりゃあ!? ⋯⋯いいか、嘘をついたらなぁ、この俺に舌を抜かれるんだ! ⋯⋯蒼鬼の女ぁ!!》
紅鋏鬼が邪念を帯びた雄叫びを上げる。
それは舌への羨望と、目の前の蒼鬼を斃すという気迫に満ちていた。
紅鋏鬼は鋏を二つに分離すると、歪な曲線を描く二本の刃を中央部分で交差させる。
掌の中に造られた武器。
⋯⋯それは世にも恐ろしい、卍型の斬器だった。
《⋯⋯蒼の女鬼、地獄一の珍味、真っ赤な嘘に塗れた、その舌ぁ! この『鬼卍』で刈り取ってやるぜぇ!!》
紅鋏鬼はこの狂気の卍剣を、風車のように掌の中で激しく旋回させながら、蒼妖鬼に襲いかかった。
《⋯⋯奪えるものなら奪ってみなさいよ。⋯⋯べえっ》
意地悪そうに舌を出した蒼妖鬼は、妖凛刀を巧みに旋回させ、紅鋏鬼を迎え撃った。
両者の体捌きは、見た目通りにまるで正反対だった。
蒼妖鬼は舞うように優雅に。
紅鋏鬼は猪突猛進で強引に。
刃と刃がぶつかり合う閃光が、大屋根で何度も煌めいた。
激しく刃を交える蒼妖鬼と紅鋏鬼の足元、屋根一面広がる草刃と蔓刃。
その足元に潜んでいる無数の小さな刃を、攻め込み踏みつける度に、紅鋏鬼の足裏は無残に刻まれ続け、血塗れになっていく。
対して蒼妖鬼の足周りは、常に不気味に蠢いていた。
飛んだり跳ねたりの激しい剣戟にも関わらず、蒼妖鬼の着地の際には、不思議なことに足元には刃の蔓草は一切無い。
蔓草どころか、小さな葉の一枚も見当たらない。
草刃も蔓刃も意思を持っているように自在に波打ち、主である蒼妖鬼が踏まないように移動を繰り返していたのだ。
《━━━━斬り合いついでに ━━━━聞いてみるけど、あんた ━━━━何でそんな鱈子みたいな唇の強面の顔や ━━━━不格好な身体の人間の魂を ━━━━葬魂の術にかけたのよ!? ━━━━趣味悪すぎよ!》
《━━━━あぁん!? 舌だから目が付いてねえのか!? (痛ァ) ━━━━こんな男らしくて美しい顔と(痛ッ)━━━━逞しい身体は(痛ァ)━━━━この世に二つと無いぜ!(痛ェ) ━━━━ぐふふふ、羨ましいだろう、惚れるだろう!! (痛ッ)》
《━━━━どこが!? ━━━━あんたの美意識と頭の中はどうなってるのよ!? ━━━━蒼極鬼様の爪の垢でも ━━━━煎じて飲ませたいくらいよッッ!!》
《━━━━ええい、ちょこまかと!(痛タタ) ━━━━諦めの悪い舌だッッ!! ⋯⋯って、さっきからよぉ、足が痛えだろうがよおぉぉぉ!!》
舌戦も繰り広げられる中、紅鋏鬼の鬼卍による力任せの攻撃は、蒼妖鬼の操る妖凛刀の前に、時には巧みにいなされ、時には兎のようにぴょんぴょんと跳ねられ、かわされていく。
それどころか紅鋏鬼だけ、屋根を足で踏みしめる度に、足裏足先に刃に切り裂かれる激痛が走る。
攻撃は当たらない、捉えられない、足はずたずた。
この繰り返しに紅鋏鬼の苛々は最高潮に達していた。
《━━━━うふふ━━━━》
《━━━━うぬぬ━━━━》
紅鋏鬼の最後の大振りをかわした蒼妖鬼が、間合いをとるために大きく後方へと翔び、離れた北側の大棟(※屋根の先端の山)の上に身を躍らせた。
その動きに合わせて、紅鋏鬼も反対の南側の大棟の上に飛び乗る。
二鬼は御所の長い大棟の上、北と南の端に分かれて真っ正面から改めて睨み合っていた。
接近戦では蒼妖鬼を仕留めきれず、業を煮やした紅鋏鬼は、苦々しく口元を歪ませながら、予想外の次の一手を放った。
《⋯⋯ならば、これならどうだ! ⋯⋯その舌でたっぷりと味わえ!!》
大きな身体を捻り、鬼卍を大きく振りかぶると、飛び退いた蒼妖鬼に向けて、この狂気の武器を思い切り投げつけたのだ。
それはまるで巨大な卍型の手裏剣。
空飛ぶ狂気の刃は鋭く激しく縦横斜め、自在に回転の向きを変えながら、二鬼との間に生い茂る草刃や蔓刃をも一気に薙ぎ払い、真っ直ぐに蒼妖鬼へと向かっていく。
(《⋯⋯ッ、あの鋏は⋯⋯! 蒼刃鬼の鬼剣と同じで、変形だけじゃなく飛翔も可能なの!?》)
迎え撃つ蒼妖鬼は、妖凛刀をくるくると数度回転させると、飛来する鬼卍手裏剣に切っ先を向けて下段に構えた。
《⋯⋯衆合地獄、刀葉林の刃よ、あの奇鋏を封じよ!!》
その言葉に妖凛刀がすぐさま反応を見せる。
切っ先に引っ掛かり、残っていた僅かな蔓刃。
その蔓刃の節が急激に膨らみ、内部から弾けるように裂けた。
そしてその中から無数の刃を持つ新たな蔓が次々と宙へと飛び出し、まるでその蔓一つ一つが意思を持っているかのように、鬼卍の手裏剣に向かって飛んでいく。
しかし蒼妖鬼が発動した防御は、この前方から迎え撃った蔓刃だけではなかった。
大屋根一面に茂る草刃や蔓刃も、蒼妖鬼の防御へと動いていた。
一気にその丈が伸び、真下から鬼卍の手裏剣に一気に絡みついていく。
⋯⋯鬼卍と無数の蔓刃が、真正面からぶつかり合った、次の瞬間。
紅鋏鬼が投じた必殺の手裏剣型の鬼卍は、蒼妖鬼には僅かに届かず、その数歩手前で宙に止まっていた。
卍手裏剣は前と下から蔓刃や草刃に複雑に絡まれ、まるで網にかかった海星のように、空中でその動きを完全に封じられていた。
虚しく空回りしながら勢力は衰え、みしみしと敗北の音を立てている。
刀葉林や妖凛刀から派生した、数々の刃。
その“数”で押さえつける力は、触れた何もかもを斬り裂くこの鬼卍の手裏剣の“圧”を上回っていた。
《⋯⋯何ぃ!? 馬鹿な!! 鬼卍が止まった、だと!? ⋯⋯んんんッ、舌が舌で味わえねえじゃねえかァ!?》
狼狽と絶句の紅鋏鬼に対して、蒼妖鬼は不敵に笑みを浮かべる。
撓る蔓刃によって鬼卍が弾き飛ばされ、宙を舞った。
《⋯⋯逃さないわよ!》
次は蒼妖鬼が素早く駆けた。
そして丸腰となった紅鋏鬼に向けて、下段から地を払うように妖凛刀を薙ぎ払った。
その蒼妖鬼の動きに呼応するように、紅鋏鬼の足元の草刃と蔓刃は、まるで人の手のように紅鋏鬼の両足を突き刺し、絡みつき、その動きを完全に奪っていた。
《⋯⋯あぁん!? な、何だ、この草どもは!?》
紅鋏鬼の怪力や、足を跳ね上げる脚力をもってしても、両足は屋根に張り付いたようにびくともしない。
蒼妖鬼は紅鋏鬼の懐近くへ一気に踏み込むと、妖凛刀を下段から上段へと斬り上げた。
⋯⋯光の筋が走る。
《⋯⋯ぐ!? ⋯⋯が、ぐあはああァッッ⋯⋯!!!!》
紅鋏鬼は十分な抵抗が出来ないまま、妖凛刀に下腹部をざっくりと斬り裂かれていた。
そして腹を抑えながら、よたよたと前へ歩き出した。
此処は屋根の上、御所の大屋根と言えども広さには限りがある。
ましてや紅鋏鬼の大柄な体格。
おぼつかない十数歩程度の歩きでも、紅鋏鬼の足元は既に大屋根の中央付近、軒の間際となっていた。
最後にぐらりと大きく身体を揺らした紅鋏鬼が、軒から足を踏み外す。
そして大屋根から地上へ落ちていく⋯⋯。
⋯⋯ことを、蒼妖鬼そして召喚された刀葉林は、許さなかった。
すぐ傍に聳え立つ刀葉の大木。
無数に生えている枝刃がざわめき、急速に伸びて蠢いたかと思うと、落下直後の紅鋏鬼を空中で捕らえていた。
刀葉の大木からだけではない。
大屋根からも蔓刃が襲いかかり、紅鋏鬼の首に絡みつく。
紅鋏鬼は今、大屋根から身体だけが落下し、喉から上の首の部分だけは軒上に引っ掛かかるという、まさに宙ぶらりん半首吊り状態と化していた。
《ぐががががッ⋯⋯! 身体が⋯⋯、動かせねぇッ!?》
《⋯⋯うふふふ、⋯⋯捕まえた》
蒼妖鬼は悠然と大屋根を歩き、手足をばたつかせる紅鋏鬼へと近づいていく。
《⋯⋯このまま下に落としても、どうせまた登ってきちゃうんでしょ。⋯⋯はぁ。⋯⋯なら、いっそ此処で》
蒼妖鬼は妖しい微笑みを浮かべると、妖凛刀の先端⋯⋯石突から新たな蔓刃をずるずると引き出した。
そしてすぐ真下にぶら下がっている紅鋏鬼の太い首へ、その長い蔓刃をぐるぐると巻き付けた。
《⋯⋯さあ、早く紅霧になっちゃいなさい!》
蒼妖鬼は蔓刃を握る腕を力強く引いた。
紅鋏鬼の首を、巻き付けられた蔓刃が更に強く絞め付け、切り裂き、喉に無数の小さな穴を開ける。
紅鋏鬼の喉からは血が噴水のように溢れ、地上へと滴り落ちた。
《⋯⋯ぐが、ぐぅ⋯⋯っ⋯⋯ぐッ⋯⋯へっへ、何だその技は。⋯⋯ただ絞め付けるだけじゃあ、俺は絶対に斃せねえぞ、舌が上に有るのに、下に落ちてたまるかぁ!》
首を絞め上げられ、追い詰められた紅鋏鬼だが、それでも屈しない。
屈するどころか、蒼妖鬼が想像だにしていなかった世にも恐ろしい反撃へと転じていた。
何を思ったか、自身の右手で左腕を掴んだかと思うと、左腕の肘から先を力任せに引っこ抜き、そして今度はその右腕を口に咥えるとやはり右腕の肘から先を引っこ抜いのだ。
その直後の光景が、更に悍ましかった。
それは怪異と言う他は無かった。
腕の両肘からは、血飛沫と共に、鋏の先端のような鋭い“骨”が飛び出した。
そしてその奇怪な腕の骨は、失なった前腕や手の長さまで一気に伸びていく。
紅鋏鬼は手首の位置で両腕を交差させると、その奇怪な骨の先端は、まさに”骨の鋏“と化していた。
《これこそが俺の究極の秘技『骨鋏』! ⋯⋯油断したな! その舌ぁぁ! 今度こそ貰ったああああぁぁ!!》
紅鋏鬼は軒先にぶら下がった状態で、真下から頭上の蒼妖鬼の顔や舌を狙って、頭蓋骨を挟み粉砕しようと、手首で交差したまま両腕の『骨鋏』を振り上げた。
閉じる鋏の刃先のように左右から迫る『骨鋏』を前にして、蒼妖鬼の銀の瞳が妖しく光る。
《⋯⋯ッ! この妾を甘く見ないでよね! ⋯⋯蔓刃よ、衆合せよ!》
蒼妖鬼の力強い声を合図として、手に握っている紅鋏鬼の首を締め付けている蔓が再び変化した。
蔓の至る所から顔を出す無数の小さな刃。
その手元に一番近い刃が隣の刃と合体し、倍の大きさの刃となる。
その倍になった刃はまた隣の刃と合体し、三倍の大きさの刃となる。
そうして次々に隣同士の刃が重なり集まり、段々と大きな刃と化しながら、蔓の表面を波打つように伝っていく。
それは蔓を海とするならば、集まり大きくなっていく刃は、まるで巨大な波、鮫の“ひれ”。
そうして蔓の先に捕獲している紅鋏鬼の喉元へと、この波の刃は凄まじい勢いで迫っていった。
《⋯⋯ぐがああああああああぁぁぁぁぁぁッ⋯⋯!?》
反撃の『骨鋏』が頭上に振り上げられる前、刃の波は先に紅鋏鬼に到達していた。
蔓刃の全ての刃を飲み込み、最後は一つの刃となったこの鋭利で巨大な一撃は、狙い通り紅鋏鬼の首へと深くめり込んでいた。
力と制御を失い、蒼妖鬼を外した『骨鋏』が、蒼妖鬼の眼前で交差する。
それを見届けた蒼妖鬼は、狂気と悦楽に満ちた笑みを浮かべた。
《⋯⋯千斬れろ!、⋯⋯⋯⋯梵ッ!》
蒼妖鬼は腰を沈めて片膝立ちへと体勢を変えながら、思い切り蔓を引っ張った。
⋯⋯それは最期の一押し。
蒼妖鬼が大屋根の軒先に膝を付けた瞬間には、ここまで堪えてきた紅鋏鬼の太い首は完全に切断され、御所を見渡せる空を舞っていた。
《⋯⋯あがが!? どうなっている!? 舌が遠ざかる、目がぐるぐる回る、⋯⋯舌に落ちていく、舌に、舌に⋯⋯》
⋯⋯ついさっきまで居たはずの大屋根⋯⋯上空から見渡す京都の町並みや寺院の夜景⋯⋯幹の刃、枝の刃、大木に絡まる草の刃⋯⋯地上で苦々しい表情を浮かべる紅斬鬼⋯⋯軒先に蠢く蔓と巨大な刃⋯⋯疎らになってきた庭園の乱戦⋯⋯その中でも一際目立っている蒼鋼鬼の巨体⋯⋯闇の中に浮かぶ蒼と紅の渦、十六夜の月⋯⋯今もまだ刃の木を登る蒼鬼や人間たち⋯⋯遠ざかっていく目当ての蒼妖鬼⋯⋯そして。
どんどん迫ってくる地上を目の前にして、紅鋏鬼の口は、最後まで”舌“⋯⋯と動いているように見えた⋯⋯。
⋯⋯紅鋏鬼を宙に留めていた蔓刃の縛りも、今は解かれていた。
そして葬魂の術が解けた紅鋏鬼の身体も、首と同様だった。
人間の骨へ変わりながら、失くした首を追うようにして、紅い霧と共に今度こそ本当に地上に落下していく。
そして地上への衝撃と共に、胸骨も腰骨も手足の骨も、その全てが粉々に砕け散り、濃い紅の霧となって夜空に飛散し消えていった。
紅鋏鬼の“全て”が地上に落ちたことを見届けた蒼妖鬼は、その地上への視線を僅かにずらして、紅斬鬼の姿を見下ろした。
地上では、その紅斬鬼の足元に、紅鋏鬼の首が髑髏へと変わりながら、ころころと転がっていく。
そして紅斬鬼の足にぶつかって止まった。
紅鋏鬼の髑髏は風化され紅の霧となり、日本の地上から消滅していく。
その紅霧を見下ろしながら、紅斬鬼は口元を苦々しく歪め、激しく舌打ちした。
《⋯⋯ちっ、紅鋏鬼の馬鹿め、醜女の罠に堕ちた上に、油断しやがって》
紅鋏鬼の“全て”が地上から消滅したことを見届けた紅斬鬼は、足元への視線をゆっくりと上げ、大屋根の蒼妖鬼の姿を見上げた。
夜空に無数に浮かぶ紅の渦、羅生門邪道。
中でも一回り大きな紅の渦が三つ。
その内の一つの渦が小刻みに揺れながら、まるで沈む日輪や紅星のように、ゆっくりと立ち上がる蒼妖鬼の背後の空に沈んでいく。
そして花火のように砕け散った。
大屋根と地上。
紅の花火に彩られた蒼妖鬼と、紅の霧に包まれた紅斬鬼。
女鬼同士が、互いに激しく睨み合う。
蒼妖鬼は、妖凛刀から伸びる蔓をするすると引っ込めると、再び脇へと構え直した。
紅斬鬼は、一度背中へと戻していた長刃の鬼紅葉、その柄を右肩の上で握りしめた。
《⋯⋯さて、と。ねえ、そろそろ貴女との決着も着けようかしら。帝の場所も分かったことだし、あまり時間をかけたくないの》
《⋯⋯初めて意見が合ったな。私の鬼紅葉も蒼妖鬼の血を吸いたくてうずうずしてるんだ。いいぜ、殺るか!》
闇に煌めきを放つ、妖凛刀と鬼紅葉。
蒼妖鬼と紅斬鬼が互いに身を乗り出した⋯⋯。
⋯⋯その時。
上半身を炎に包まれ下半身を凍らされた蒼鬼一鬼と、喉元を斬り裂かれ大量の鮮血を迸しらせる紅鬼一鬼が、左右背後から紅斬鬼の目の前に吹っ飛んできた。
《⋯⋯これは。⋯⋯ふん、また舞い戻って来やがった》
迸る謎の殺気と闘気を察知し、紅斬鬼が後方をゆっくりと振り向いた。
その紅斬鬼の視線に飛び込んでくる、”二つ“の影。
「⋯⋯へんっ、どうやら一番良い場面に、間に合ったようだなぁ」
小柄な影が呟く。
大屋根の蒼妖鬼は、その小柄な一人の影を見て、愉しさと鬱陶しさが入り混じった溜め息をついた。
《⋯⋯あらあら。毒の仕返しに来たのかしら?》
「⋯⋯そのようだな。⋯⋯ふん、”拙い“ながらも此処までは上出来だ。⋯⋯さあ、いくぞ。修羅の蒼鬼紅鬼を斬り、終わらせるのは、⋯⋯今」
もう一つの影も呟いた。
“二つの影”、それは⋯⋯。
村雨二刀を下段に構え、不敵に笑みを浮かべる、綾麿。
⋯⋯そして。
鬼切丸を手に、闘志に満ちた目で鬼を睨みつける、鎌足だった。
鬼紅葉の柄を力強く握りしめながら、紅斬鬼はにやりと笑い、早くも闘気を滾らせながら呟いた。
《⋯⋯女子の会に、どうやら飛び入りの参加者⋯⋯、いや、邪魔者が来たみたいだぜ。どうするよ、醜女?》
妖凛刀の柄を妖しく指でなぞりながら、蒼妖鬼も優雅に微笑み、甘い溜め息を混じらせて呟いた。
《⋯⋯ねえ、鎌⋯⋯何とかちゃん、知ってる? 女子の会に男を連れてくるような子は、⋯⋯嫌われるのよ?》━━━━。
第57話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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次回第58話「四剣激突」は、5月11日投稿予定です。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
【その他】
↓創って頂いたオリジナルOP&EDです!
OP1 https://suno.com/s/L80Vc3huKbKliBWn
ED1 https://suno.com/s/UDlzMnlrwuPI3Apg
ED2 https://suno.com/s/dKiO9ljefO0sG1RT
こちらも良かったらぜひ聴いてみてください♪




