第49話 覚醒
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸の徳川政権を何故か激しく憎み、鎌足たち伊賀御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。鎌足の東番の当日、遂に鎌足と激突、刃を交えることになる。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。東番の当日、暮れ六つ前の綾麿の訪問をきっかけに、鎌足を悲劇が襲い、遂に綾麿と刃を交えることになる。
━━━━飛ばした分銅の先に切っ先鋭く煌めく、鬼切丸。
強敵の中将綾麿を前にして、勝利した紅影鬼との戦いを再現したこの二段階の目眩まし攻撃こそが、鎌足が辿り着いた”秘策“だった。
鎌足は身体を翻して背中に手をまわした際、腰の帯に鬼切丸を差したと見せかけて、実は密かに鎖分銅の先端に鬼切丸を絡めていたのである。
分銅よりも鬼切丸の刃先のほうが、当然に遥かに長く鋭く、攻撃力にも優れている。
綾麿が鎌足の鎖鎌の技を目にするのは、今が初めて。
鎖の間合いや速さは、まだ掴めてはいない。
更に鎌足を見くびり、ひたすらに余裕を見せている。
攻撃範囲が広く一撃の威力もある鬼切丸で、上空背後の死角から攻めれば、勝機は十分に掴めるはず。
これが鎌足の算段だった。
「これぞ、伊賀流鎖鎌、『天渡り』⋯⋯ならぬ、三十一ノ鎖刃、『紛渡り』! 引っ掛かったなッ、綾麿! ⋯⋯もらったあああぁぁぁ!!」
想定した通りの展開を確信した鎌足が、勝ち誇った笑みを浮かべかけた⋯⋯。
⋯⋯その時。
その笑みは中途半端に止まる。
綾麿の次の動きは、鎌足の想定を遥かに超えていた。
上空背後から迫る、鬼切丸の刃。
綾麿は背後を一瞥することもなく、まるで後ろに目でもあるかのようにひらりと身を翻すと、左逆手の村雨の鞘刃で、いとも簡単に鬼切丸と鎖を弾いたのである。
「⋯⋯!? まさか! 死角からの鬼切丸もあんなに的確に鞘で⋯⋯!? そんな!」
勝利の確信から一転、手元に戻ってきた鎖と鬼切丸を掴んだ鎌足は、ただただ愕然としながら綾麿を見つめるしかなかった。
逆に綾麿の表情には動揺や焦りは微塵も無く、左右それぞれの刃をだらんと下段に構えたまま、涼やかで妖しい恍惚の表情を浮かべている。
「うッ⋯⋯あ、ま、まさか⋯⋯、避けられた⋯⋯」
今の綾麿の迎撃の動きで、村雨の鞘刃から完全に解けた下緒が、綾麿の足元にだらりと垂れ、蛇のように地を波打っている。
狼狽えて後退りする鎌足。
そんな鎌足に向けて、綾麿は下緒を操る蛇の化身のように、妖しく狡猾な笑みを浮かべた。
「まさか鬼切丸を飛ばし空を操るとは⋯⋯、ふっ、なかなかやるな、⋯⋯だが残念だったな、この鞘刃の光沢は鏡と同じ。背後からの攻撃を如実に教えてくれる。⋯⋯まあ、鞘刃が無かったとしても、あれしきの攻撃、避けることは容易いこと。⋯⋯よいか、麿に戯れ事は通じぬ。⋯⋯この束、鍔、下緒、鞘の鳳凰に至るまで、全てが村雨! ⋯⋯麿の狂刃」
「⋯⋯そ、そんな⋯⋯」
そして綾麿は解けた下緒を手元に手繰り寄せ、鞘刃に再び巻き付けながら、鎌足に決定的な一言を告げた。
「今の技がそなたの目一杯の力、”限界“だろう。残された頼みの綱の伊賀流鎖鎌⋯⋯、その間合いも読めた。長さ、速さ、強さ、鋭さ、全て見切った」
「⋯⋯っ!?」
「その鎖も投げやすさに重きを置き、そなたの素早さを消さぬよう、恐らくは伊賀秘伝の軽い鉛を使って造られたものだろう。だが、その軽さではこの村雨二刀の無敵の刃を弾くことはできん。後は鎖にどんな変化をつけようが、麿には決して届かぬ故、意味は無い。⋯⋯よって勝負は諦めよ、⋯⋯終わりだ、伊賀の鎌足」
(⋯⋯そ、そんなことまであの一撃で見抜いたのか!?)
綾麿の戦闘能力、そして相手の力を見抜く分析能力は、鎌足の予想を遥かに凌駕していた。
綾麿に鎖の軌道を見切られることを恐れての、一撃必殺の初手。
鬼切丸までも使った秘策だった。
それを難なく弾かれたばかりか、鎖鎌術の秘伝も含め、その全てを見切ったという今の綾麿の言葉。
(⋯⋯今の”見切った“という言葉、⋯⋯はったり⋯⋯、じゃない。しかも、まだ全然本気でもない。そして余裕を見せながらも、警戒だけは怠っていない。今の動きも鎖や鬼切丸の変化に備えて、十分な間合いを取って避けていた⋯⋯、くそっ、きっと『鎌鼬』でも通じない、どんな変化をつけても綾麿には届かない⋯⋯、⋯⋯綾麿⋯⋯一体何者なんだ、江戸にも存在を知られていない、こんな強い剣客がこの世に居ただなんて⋯⋯)
血の滲む努力をして会得した鎖鎌が、目の前でにやにやと笑う、この世で一番憎いと思う男には通じない。
鎌足に今、悔しさがこみ上げる。
(⋯⋯くそっ、くそっ、⋯⋯う、ううぅぅ⋯⋯)
「さあ⋯⋯、いくぞ。⋯⋯その柔肌を焦がされるのと、凍らされるのと、どちらの死が好みだ? ⋯⋯選べ」
(⋯⋯ぐっ、⋯⋯こ、綾麿は人じゃない、⋯⋯鬼でもない、⋯⋯“魔物”だ)
真刃と鞘刃、左右の二刀を煌めかせた綾麿の殺意の笑みに、鎌足の胸の鼓動が早くなる。
(⋯⋯こんな憎い綾麿に負けて殺され、そして大吾の仇も討てないまま、終わるのか⋯⋯!? うっ⋯⋯、い⋯⋯嫌だ、⋯⋯嫌だ、そんなの⋯⋯嫌だ!)
悔しさだけではない。
急激に高まる絶望感。
そして自分自身への嫌悪感。
心の奥底に秘めていた”何か“に少しずつ触れるように、胸の奥が熱く昂っていく。
村雨から放たれた蒼白の波動で受けた、全身の傷。
力を込めて鎖と鬼切丸を投じたことによって、その傷口も開いていた。
その開いた傷から、鎌足の太腿へと一筋の血が流れていく。
(もう勝ち目は無い⋯⋯、私は負ける⋯⋯、一番殺されたくない相手に、殺される)
そんな負の確信、死の覚悟が鎌足に芽生えた時。
何処からか、声が聞こえた⋯⋯。
(⋯⋯オモイダセ、⋯⋯オマエノ、トザサレタキオクヲ)
⋯⋯ような気がした。
伝い流れる血が、太腿の鴉の紋章を赤く染める。
⋯⋯とくん
胸の奥が、熱く、強く、脈打つ━━━━。
━━━━何かが鎌足の中で弾けた。
鎌足はゆっくりと俯いた。
その真下を向いた顔には、何故か笑みが溢れていた。
先程までの絶望や悲嘆は今、不思議と何処かへと消え失せていた。
⋯⋯目の前に現れた、生涯最強とも言える強敵。
⋯⋯その自信に満ちた得意気な顔が、許せない。
⋯⋯それを今、木っ端微塵に叩き潰せる、喜び。
⋯⋯そんな不思議な興奮と快感の感情が、極彩色の花が芽生え蕾が開くように、鎌足の心の奥底から唐突に次から次へと沸き上がっていた。
(⋯⋯あ、あれ? どうして⋯⋯、こんな気持ちに?)
口元を緩ませ、顔を上げた鎌足。
その顔は、嬉々とした妖しい笑みに包まれていた。
湧き上がる感情が、鎌足の口から漏れる吐息を、半ば無意識に荒々しい挑発の言葉へと変える。
「⋯⋯っふふ、うふふふふふふふふ、⋯⋯これまで散々に人を斬って斬って、斬りまくってきたけど⋯⋯、⋯⋯こんなに殺しがいのある化け物は初めてよ!!」
挑発的な言葉を吠えたその瞳から伝わるのは、戦いを見守る警備兵たちが、本当に鎌足が乱心していると信じてしまうほどの、常軌を逸した輝き。
それは殺意を超えた、狂気。
血走っている眼は、綾麿への憎悪の念と共に、何処かどす黒い快楽の情にも満ちていた。
「⋯⋯!? ⋯⋯⋯⋯、そなた⋯⋯?」
鎌足の尋常ではない異変に、綾麿もすぐに気が付いた。
「⋯⋯面白い、殺ってみろよ。⋯⋯その前に殺ってやるよ。伊賀を舐めるなよ、おい⋯⋯、綾麿」
鎌足は薄ら笑みを浮かべながら、妖しくぎらついた眼をそっと閉じる。
敵を前にしながらも、眼を瞑る。
その意味と意図が、綾麿にはすぐに分かった。
「⋯⋯ほう、麿に動きを読ませぬため、まずは殺気を消そうというのか、これは面白⋯⋯」
⋯⋯綾麿がそう言いかけた時。
⋯⋯その綾麿のすぐ目の前で、鎌足は目を大きく見開きながら、鬼切丸を高々と振りかざしていた。
「⋯⋯っ、何だ!? この動きは! 今までとは別人!?」
「⋯⋯うふふふふふふ! 死ね! 綾麿ぉ!!」
綾麿はこの鬼切丸の不意の一撃を既の所でかわすと、すぐさま後ろに飛び退いた。
その狩衣の左袖は、大きく縦に斬り裂かれていた。
「⋯⋯ちっ、外したか。でも次は外さない」
「⋯⋯殺気が消せる、か。しかも速い。⋯⋯そなた、先程までの鎌足ではないな。⋯⋯もしや」
「⋯⋯もしや、何だよ? ⋯⋯へんっ、あまりの速さに驚いただろ」
綾麿に何ら臆せず、愉しそうに薄笑いを浮かべる鎌足の眼は、笑みとは正反対の狂気と殺意に溢れていた。
(⋯⋯こやつ)
「⋯⋯へへへ、⋯⋯ふふふふふ」
そのまま綾麿と鎌足は、言葉のないまま激しく睨み合う。
(⋯⋯この鎌足。⋯⋯明らかに違う。内に秘めていた本当の力が無意識に表に出ているのか? ⋯⋯だとするとこの凄まじいまでの狂気は⋯⋯? ⋯⋯何れにしても、生かしておくわけにはいかぬ、か)
⋯⋯下段に構えた村雨の真刃と鞘刃を、腕を開きながらゆっくりと上げていく綾麿。
⋯⋯鎖と分銅を左腕に肩当や手甲のように巻き付け、右逆手に鬼切丸を構える鎌足。
両者は無言のまま間合いを崩さず、横に走り出した。
広い中庭を駆けながら、徐々に間合いを詰めていく。
鎌足がまず先に地を跳ね、飛んだ。
軽業師を彷彿とさせる前方回転で勢いをつけ、更に宙で見えない何かを踏んだようにもう一段階跳ねると、舞うような華麗な動きで綾麿の遥か頭上から斬りかかる。
そして目にも止まらない速さで鬼切丸を振るう、瞬速の連続攻撃。
一撃一撃の切れ、剣閃の回数、その斬撃の全てが、先程までの連撃とは段違いの鋭い体捌きだった。
綾麿も怯まない。
村雨の真刃と鞘刃を、鎌足の剣閃の煌めきに合わせて、妖しく揺らめかせた。
それはまさに鏡合わせ。
左には左、右には右、上には上、そして斜には斜。
目にも止まらない速さで縦横無尽に二刀を巧みに操って、十二支の方角から乱れ飛んでくる鎌足の攻撃の全てに、真刃と鞘刃をぶつけていく。
綾麿もまた、先程までの回避とは段違いの速さと切れだった。
鎌足の鬼切丸の剣閃、その全てをまたたく間に弾き返す。
最後の袈裟斬りを弾いた綾麿は、狩衣を翻し、今度は逆に鎌足に斬りかかっていった。
攻めに転じた綾麿の、左右からの村雨二刀の連続攻撃。
鎌足はその剣閃を左右に跳びはねて避けると、最寄りの御所の廊下へと宙返りしながら跳び上がった。
そして隣接した障子戸を体当たりで破ると、内裏の部屋の一つへと飛び込んでいった。
綾麿も即座に追撃する。
廊下へ、そして広間へと、地や床を跳ねるようにして飛び込んでいく。
中庭に集い見守る五十人の警備兵たちにとっては、剣の達人同士が繰り広げる、まさに息をも吐かせぬ死闘。
しかし二人の戦いは、詰所でもこの広い中庭でも終わらない。
もはや御所内の全ての場所が今、この二人の生死を賭けた“戦場”の場と化していた。
「⋯⋯ふふふふふ、逃さぬ、伊賀の鎌足」
「⋯⋯ははははは、私を捉えてみろ、綾麿」
襖に囲まれた畳敷きの、由緒を感じる広間の中。
綾麿の真刃による一閃。
陽炎のような残像を残しながら、その刃をかわした鎌足の姿が、綾麿の前から、ふっ⋯⋯と消えた。
鎌足を外した綾麿の真刃は、背後にあった襖を袈裟懸けに鋭く斬り裂いていた。
長方形から台形へと形を変えた、襖の上半分が燃えながら宙を舞う。
そして次の瞬間には、その舞う襖の陰に潜むようにして、姿だけでなく鎌足の気配もまた、その場から忽然と消えていた。
襖の残った下半分も、真刃の蒼い波動によって炎に包まれていた。
広間や内裏の長い歴史を感じさせる、古めかしい焦げた匂い。
二人の今の心を表したような、黒い煙。
視覚と聴覚を刺激しながら、襖は激しく燃え盛る。
みるみるうちに木枠と灰だけに化していく、襖の奥。
⋯⋯それは灯りの無い、隣接した広間。
燃える襖の明かりすらも届かない。
そんな隣室の漆黒の闇の中から、綾麿を狙って、鎖と分銅が突如として飛んだ。
(⋯⋯伊賀鎖鎌術、四十一ノ鎖刃、螺旋斬⋯⋯)
殺意に満ちたこの鎖は、螺旋状に激しく回転していた。
幾重にも渦を巻きながら、触れる何もかもを飲み込むような勢いと速さで、綾麿の喉元へと迫っていく。
綾麿は、左逆手の鞘刃を巧みに撓らせた。
それは螺旋の流れに逆らうのではなく、敢えて“合わせる”動き。
そして鎖をまるで鞘に巻き付け絡め取るようにいなしながら、弾き飛ばした。
襖の奥の隣室に目を流した綾麿が、闇の中に立つ鎌足の左腕だけを捉える。
その左腕が鎖を手繰り寄せる。
すると綾麿に弾かれた鎖と分銅は、宙を舞いながら再び隣室の闇の中へと戻っていく。
鎖が闇に消えると同時に、綾麿が今しがた一瞬捉えた鎌足の姿と気配は、再び完全に消え去っていた。
⋯⋯ほんの僅かな静寂の時が流れる。
綾麿はゆっくりと目を閉じた。
障子に襖、天井に畳、床下に中庭。
空間の四方八方周囲に、綾麿は意識を集中する。
そんな綾麿の背後から、まるで枝垂れ桜のように、鎖と分銅が天井からゆっくりと、音も無く垂れ下がってきていた。
そして綾麿の真後ろへと下りた鎖は、徐々に振り子のような揺れを見せ始めた。
背後の異変に気付いた綾麿が目を開いた時。
鎖は一際大きく振れると、一気に攻撃に転じた。
綾麿が振り向きざまに、迫る鎖分銅を真刃で弾く。
それが新たな死闘の合図だった。
天井に潜んでいるだろう鎌足の、次なる鎖鎌の技が牙を剥く。
(伊賀鎖鎌術、十二ノ鎖刃、枝垂嵐⋯⋯)
弾かれた後に天井裏へと消えた鎖と分銅は、今度は別の天井板を激しく突き破り、綾麿へと再び迫っていった。
綾麿はその頭上からの攻撃を、真刃と鞘刃の二刀で弾きながら、華麗にかわしていく。
綾麿に弾かれ避けられるたびに、鎖分銅は再び天井裏へと消え、そしてまた別な天井板を突き破っては現れ、弾かれて消え、先に空いた穴からまた再び現れる。
これが十数回は繰り返されただろうか。
そして最後は、天井板の数枚を激しく突き破って、”何か“が落下してきた。
それは、鎖を太腿や腰へと巻き直した、鎌足自身だった。
天井裏で鎖を操っていた鎌足が遂に姿を現し、鬼切丸を翳して襲いかかってきたのだ。
綾麿を突き殺そうと、その頭上から振り下ろされる鬼切丸。
その急襲の刃を、颯爽とかわした綾麿は、着地したての鎌足が乗る畳に、真刃を突き刺した。
そして鎌足を乗せたまま、真刃を握る右手を天に掲げるように思い切り畳をめくり、鎌足を畳ごと宙を舞わせた。
畳を蹴り、宙を舞う鎌足。
二人の間を舞う畳。
床へと落ちる畳を挟んで、二人の刃が同時に突きを放ち合う。
畳を突き抜けた、綾麿の真刃と鞘刃。
同じく畳を突き抜けた、鎌足の鬼切丸と“槍”。
畳が地へと落下した時、綾麿と鎌足は、畳越しに向かい合っていた。
綾麿を外した槍の切っ先が、ぱらばらと崩れ、鎖へと戻っていく。
(伊賀鎖鎌術、三十六ノ鎖刃、槍衾⋯⋯)
鬼切丸は綾麿の狩衣の右袖あたりを貫いていた。
一方、真刃は鎌足の胴すれすれを通り、鞘刃は鎌足の髪留めを掠り、粉々に吹き飛ばしていた。
風圧で鎌足の解けた髪と、綾麿の前髪がなびく。
真刃も鞘刃も、そして鬼切丸も、相手の身体を捉えてはいない。
即座に綾麿が反撃に転じる。
畳一枚越し、すぐ傍に佇む鎌足を仕留めるため、綾麿は畳を貫いている二刀を持つ手を、まるで観音開きの扉のように左右に開き、畳を一気に真っ二つに斬り裂いた。
髪をなびかせながら後方へと飛び退いた鎌足の眼前で、斬り裂かれた畳の半分は先の襖のように激しく燃え上がり、もう半分は氷が地に落ちた時のように粉々に砕け散っていく。
(⋯⋯逃さぬ、と言ったであろう)
綾麿は真刃を鞘刃へと仕舞うと、鞘刃に巻き付けていた下緒を一気に振り解く。
そして今度は手首ではなく、明らかな絞殺の意図をもって、間合いを取った鎌足の首に向けて、その下緒を投じた。
しかし、鎌足も同じ手は食わない。
素早く身を反らして下緒を間一髪避けきると、再び障子を突き破り、隣接した廊下へと飛び出していた。
「此処までおいで⋯⋯」
そしてそのまま、真っ直ぐに長く伸びた廊下を、正門近く紫宸殿の方角に向けて疾走りだした。
綾麿も、すぐに追撃へと動く。
障子を蹴破り、廊下を駆け、鎌足の後を追う。
全速で疾走る鎌足が、不意にぴたりと足を止めた。
そして追ってくる綾麿を即座に振り返り、心から愉しそうに、にやりと笑った。
その右手には、構え直した鬼切丸。
「⋯⋯なーんてね」
そんな鎌足の視界の真ん中に、鎌足を追尾する綾麿がどんどん迫ってくる。
振り向いた鎌足、追いかける綾麿。
二人の目が合う。
鎌足の笑みに呼応するように不敵な笑みを浮かべる綾麿。
その左手が構えるのは、下緒をたなびかせた村雨の鞘刃。
鎌足が踵を返し、綾麿に向かって全速で疾走た。
綾麿も突進してくる鎌足を迎え撃つため、更に疾走る。
鎌足が疾走りながら、左逆手で腰の鎌を抜く。
綾麿も疾走りながら、鞘刃から真刃を抜いた。
長い廊下の中央で今、二人の影と刃が再び激しくぶつかり、交差していた━━━━⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯「⋯⋯その命、此処で、捨ててもらう、鎌足!」
「私たちに害をなす魔物め、死ね、綾麿!⋯⋯」⋯⋯
⋯⋯⋯⋯━━━━綾麿と鎌足、この二人の死闘は、その後も様々な部屋や廊下、中庭で繰り広げられていた。
暮れ六つからは、四半刻(※30分)近くが経とうとしている。
既に陽もかなり沈み、松明や篝火の炎が各所に揺らぐ中、激しい戦いと斬り合いの末に、二人がたどり着いた場所⋯⋯。
土壁と共に四方を取り囲み、咲き誇る満開の桜。
橋が掛けられた池、水面に揺れて映る美しい月。
随所に灯籠や仏塔が立ち並ぶ、厳かな和の景色。
⋯⋯それは御所正面。
あの荘厳に聳え立つ、巨大な赤鳥居の真下。
一面の玉砂利に彩られた、内裏最大の広さを誇る、中庭だった。
鎌足は今、玉砂利の音を大きく響かせながら、鬼切丸を手に、この広大な中庭を全速で駆けていた。
そんな鎌足と睨み合いながら並走するのは、村雨二刀を手にした綾麿。
⋯⋯攻撃の間合いを図り、最善の位置を取る。
疾走る鎌足は、その一点だけに集中していた。
距離の目算のため、綾麿からほんの一瞬、地の玉砂利の方へ目線が逸れた。
⋯⋯そこに、隙が生まれた。
綾麿はその隙を逃さない。
鎌足の足元⋯⋯次の一歩の着地点をめがけ、素早く懐から取り出した“何か”を投げつけた。
それは綾麿の”余裕の象徴“とも言える、あの扇子だった。
扇子は疾走する鎌足の、踏み出した足元を的確に払っていた。
軽く小さな扇子とは言え、不意の飛来と衝突では、意外な程の大きな効果を持つ。
想定外かつ予期せぬ死角からの飛び道具に、鎌足は足元がほつれ、その勢いで躓き、そして前のめりで頭から激しく地に倒れ込んだ。
「⋯⋯なッ!! ⋯⋯ッ、⋯⋯う、うぐッ」
鎌足はすぐに半身を起こしたものの、相当に頭を強く打ち付けたのか、それとも打ち所が悪かったのか、頭を抱えてその場に座り込んだ。
綾麿は鎌足のすぐ傍に駆け寄る。
そして座り込む鎌足の頭上で、村雨の真刃を振りかざした。
⋯⋯これで勝負は決した。
⋯⋯鎌足は綾麿に斬られ、ここで命果てる。
二人の戦いを必死に追いかけ、遠目で眺めていた何人かの警備兵たちの誰もがそう思った。
しかし何故か綾麿は、その刃を鎌足の頭や首には振り下ろさない。
それどころか明らかに様子がおかしい。
考え込んでいるのか、それとも何かを思い出しているのか。
鎌足を見下ろす眼はどこか虚ろで、遠い何かを重ねているように見える。
そんな綾麿が、二つの短い言葉を呟いた。
「⋯⋯__⋯⋯__」
それは声にならない声。
呟いた、というよりは、吐息。
いや、唇だけが動いた、といったほうが正しいのかもしれない。
鎌足は依然として、頭を抱えて唸り声を上げながら座り込んでいる。
綾麿は固まったまま、そんな鎌足を暫く見つめていた。
しかし後は何も語ることもなく、ゆっくりと振り上げた刃を下ろすと、その場に落ちている扇子を拾って懐へと戻した。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯ッ、痛たた⋯⋯、あ、あれ? 私、何を⋯⋯?」
痛みで涙目の鎌足が、左右に首を振りながら、頭から手を離す。
手を離したことで改めて見える、鎌足の眼。
それは⋯⋯、綾麿が昨日から見知っている、つい先程までの鎌足の眼だった。
(⋯⋯頭を打ち、正気に戻ったか。⋯⋯しかし、それにしても、本能だけの戦いで“俺”に七分から八分の力を出させるとは⋯⋯。『六歌戦』の五人はともかく、麒麟や青龍たち以外に、そのような人間がいたとはな)
「⋯⋯くっ⋯⋯、⋯⋯あ!? あ、綾麿ッ!」
傍に立つ綾麿に気づき、鎌足は後方に飛び退いた。
綾麿はそんな鎌足を、ただ黙ってじっと眺めている。
(⋯⋯此奴の秘めた力は常人のものでは無い。少々見くびりすぎていたこと、やはり認めざるを得ぬな。⋯⋯侮れぬ奴。いや、決して侮れぬ、女子だ。⋯⋯早い内に芽を摘まねば、弓削の小夜と同じく大きな脅威となろう)
⋯⋯「⋯⋯どうした! ⋯⋯一体この騒ぎは何事だ!?」
綾麿と鎌足の戦いの騒ぎを聞きつけ、近衛大将兼季も駆け付けてきた。
兼季だけではない。
いつの間にかこの中庭には、今晩の警備兵五十人全員が集結していた。
そして二人の事の成り行きを、遠巻きに見守っている。
「⋯⋯確か、鬼切丸の『紛渡り』が弾かれて、⋯⋯で、綾麿の声を聞いて⋯⋯、ん、えっと⋯⋯、⋯⋯あ。そこからの記憶がぼやけてる? ⋯⋯けどまだ決着は着いて⋯⋯、⋯⋯無い!?」
鎌足は記憶を思い出しながら現状を確認すると、再び綾麿に向き直って鬼切丸を構えた。
「⋯⋯⋯⋯」
綾麿もまた、村雨の真刃と鞘刃を固く握り直す。
「⋯⋯やいっ、綾麿ぉ! 人の皮を被った鬼め⋯⋯! 大吾の仇、そして日本の平和と、江戸の安寧のため、今、此処で御前を斬るッ!」
「⋯⋯否、死ぬるはそなただ。⋯⋯一つ悟った。麿たちの決起にとって、そなたの存在はいつか必ず大きな災いとなるだろう。⋯⋯それ故に絶対に生かしてはおけん」
静かに猛る綾麿と、熱く猛る鎌足。
二人が再び刃を向け合った⋯⋯。
⋯⋯その時だった。
何処からか吹き込んでくる、紅い霧風。
その妖しい氣流が、綾麿と鎌足の足元に、不快に纏わり付いていく。
「⋯⋯ッ!? おい、あれは何だ⋯⋯!?」
「⋯⋯空が! 空が、歪んでいく⋯⋯!」
何人もの警備兵が空を見上げて指差し、口々に声を上げる。
御所の上空は、今まで見たこともない程に濃い紅色に澱んでいた。
それだけではない。
空には紅い”穴“が無数に現れ、まるで触れるもの全てを吸い込む竜巻のように、激しく渦を巻いている。
そしてその渦から、螺旋状に回転しながら迸っているのは、霧のような紅い瘴氣。
そしてその数もまた、異常だった。
それは渦の“群れ”とも言える情景だった。
⋯⋯五、⋯⋯十、⋯⋯十五、⋯⋯二十。
ざっと数えただけで、確実に二十以上の禍々しい紅い渦が、京都御所の上空にぽっかりと口を空けている。
その中でも特に目を引くのは、一際大きく脈打つ、“群れ”の中央に位置する、三つの渦。
その三つだけは大きさと言い、回転の速さや氣の量と言い、他の紅い渦とは別格だった。
「⋯⋯あ、あれは!? ⋯⋯ま、まさか!?」
「⋯⋯ひっ、出、出たああああぁ⋯⋯!!」
警備兵の誰しもが恐怖を覚え、身体を震わせていた。
武人としての武者震い、ではない。
恐怖の身震いだった。
紅渦は紛れもなく、この現世と地獄とを繋ぐ、魔性の入り口に他ならなかった。
「⋯⋯っ、全軍、警戒しろ! ⋯⋯鬼が来る!!」
兼季が刀を抜き、大声で警備兵たちに檄を飛ばす。
鎌足は初めて目の当たりにする異形の光景に、背筋が凍り付くような戦慄を感じずにはいられなかった。
額に汗が滲み、鳥肌が立ち、鬼切丸を握る手が、自然と小刻みに揺れる。
「⋯⋯あ、あの紅い渦は? そしてこの邪気は!? ⋯⋯御所に今、一体何が起きているんだ!?」
村雨の真刃と鞘刃もまた、霧の紅に染まっていた。
綾麿は眼光鋭く、空を見上げ、そして呟いた。
「⋯⋯開いたか、⋯⋯紅の『羅生門』邪道。⋯⋯来たな、鬼ども⋯⋯」━━━━。
第48話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください。(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
次回、いよいよ第50話!
「紅の羅生門」は、4月16日投稿予定です。




