第48話 綾麿 対 鎌足
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸の徳川政権を何故か激しく憎み、鎌足たち伊賀御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。内裏では男装をし、初の警備の日を迎えたのだが⋯⋯。
━━━━綾麿が言う人と鬼の境目、そして鎌足の東番開始を告げる、暮れ六つの鐘が鳴り終えていた。
そしてその重々しい音色に導かれたように今、東番の詰所内には様々な憎しみと怒りが激しく交差していた。
遂にそれぞれの“鬼を斬る妖刀”を抜いて睨み合う、上座の綾麿と下座の鎌足。
「⋯⋯さあ、どこからでもかかってくるがよい。憎い人鬼と呼ぶこの麿の命、その鬼切丸の刃で奪ってみよ」
上座の綾麿は特に仰々しく構えるでもなく、左右の腕をだらりと下げ、下段に村雨の刃と鞘を備えていた。
そして蝋燭の炎のように揺らめきながら、上座から下座へ、ゆっくりとゆっくりと鎌足に近付いていく。
余裕の笑みが浮かぶ綾麿とは対照的に、鬼切丸を構えた鎌足は、体の中でじわじわ湧き上がってくる畏怖の念を拭いきれない。
綾麿が一歩前に進むごとに、鎌足は半ば無意識に近い警戒の念に囚われ、一歩ずつ後ろへと退いていた。
村雨の刃と鞘から、迸るように波打つ蒼白の焔。
これ程までの尋常ではない凄まじい妖気を放つ刃を、鎌足は未だかつて目にしたことがなかった。
(⋯⋯凄いのは刃だけじゃない。扱う綾麿も刃の妖気と完全に一つになっている⋯⋯)
鎌足は今日に至るまで、江戸徳川と将軍の危機を排除する公儀御庭番として、数多くの任務をこなしてきた。
相当に腕がたつ武芸者との立合も、奇怪な剣術を使う他流派の忍との戦いも、数多くの実戦経験があった。
更にこの十日あまりの間でも、甲賀忍の中に潜んでいた蒼鬼や、甚左に成りすましていた紅影鬼など、人外の鬼や地獄の武器との遭遇も経験している。
そして鎌足はその全ての死闘を勝利して、今日まで生を繋げてきた。
しかし今、迫りくる綾麿と村雨の両の焔は、鎌足の瞳には、過去に出会ったどの強敵をも凌駕する、恐ろしい存在に映っていた。
鎌足は素早く上下左右に目を送る。
(⋯⋯っ、この狭い詰所の中では鎖鎌は十分に使えない⋯⋯か、⋯⋯とすれば、頼むぞ、鬼切丸)
自ら積極的に動こうとはせず、明らかに攻めに躊躇を見せている鎌足を、綾麿が冷ややかに挑発する。
「⋯⋯ふふふ、先程までの威勢はどうした? 攻めて来ないのならば、此方から先にいくぞ」
その言葉が終わるや否や、綾麿が先に静から動へ、攻めに転じた。
攻撃の狼煙か、やや前屈みとなった綾麿は、数にして僅か二、三度、床を強く蹴った。
それは音も無い、たった二、三歩。
しかし次の瞬間には、鎌足が退きながら維持していた警戒の間合いを越えて、綾麿は一気に鎌足のすぐ近くへと迫っていた。
まさに流れる水のような、滑らかな動き。
それはたった数歩が、一足飛びに思える程に素早かった。
(⋯⋯なッ!?)
目を丸くする鎌足。
その眼前に迫ると同時だった。
綾麿は右手に持つ村雨の刀⋯⋯自身が“真刃”と呼ぶ刃を、鎌足の顔をめがけて下手から斬り上げていた。
「⋯⋯くっ!」
唐突に崩された間合い。
鎌足の正面真下から、振り子のように迫ってくる村雨の真刃。
鎌足は既の所で身を引いて、どうにかその刃をかわしていた。
(⋯⋯ッ、なんて速い動きなんだ!? 十分な間合いと警戒を怠らなかったのに、消えて⋯⋯、そして一瞬で目の前に現れた⋯⋯)
鎌足の驚きはそれだけではない。
真刃の第一撃をかわした鎌足の顔に、その真刃が生み出した高熱の波動が伝わってきた。
「⋯⋯熱いっ!? ⋯⋯これはやっぱり見間違いや幻覚なんかじゃない、刀自体が燃えている!?」
「⋯⋯ほう、まだ様子見の軽い一振りだったとは言え、この間合いの限られた中で、村雨真刃の下段斬り上げをかわすか」
綾麿は縮まった間合いの中、くるりと身を翻した。
そしてその回転の勢いのまま、今度は左の逆手持ちの鞘⋯⋯自身が”鞘刃“と呼ぶもう一つの刃で、鎌足の死角から突きを放った。
「⋯⋯っ、今度は鞘で、か⋯⋯!?」
再び眼前に迫る刃⋯⋯鞘の鐺(※鞘の先)に対し、鎌足は咄嗟に身体を捻らせ、目一杯に仰け反る。
先程まで鎌足の手首を拘束していた、鞘刃に巻かれた下緒。
その因縁の朱色の紐が、周りの空気を切り裂くように、鎌足の目の前に勢いよくなびいていた。
懸命の動きで鞘刃を避けきった鎌足には、その眼前でなびく下緒すらも、自分に襲いかかってくる第三の刃のように思わずにはいられなかった。
「⋯⋯うッ!? つ、冷たいっ⋯⋯、氷の刀!?」
しかも肌に感じるのは、先のような熱さではない。
今度は凍えるような冷気が、よろける鎌足の頬を掠めていた。
「⋯⋯ほう。⋯⋯なるほど、紅鬼でも名うての術者、紅影鬼を斃したのは、まぐれではないかもしれんな」
再び間合いを取るためにふらふらと後退した鎌足を余所に、綾麿は真刃と鞘刃をだらりと下段に構え直し、まるで剣舞の余興でも愉しんだ後のように、余裕に薄笑みを浮かべている。
(⋯⋯綾麿、全然本気を出していない⋯⋯、⋯⋯っ)
この隙に鎌足も呼吸を整える。
そして動揺を捨て去り、再び闘志を湧き立たせるように、鬼切丸を正眼に構え直した。
しかし、その心の中は落ち着くどころか、むしろ更に乱れに乱れ、激しくざわついていた。
(⋯⋯くそっ、麒麟の化け物ぶりを昨日はあれこれ語っていたくせに、綾麿自身も同じ⋯⋯、いやそれ以上の化け物だ⋯⋯、鞘で人を斬れるなんて⋯⋯。そして刃にも鞘にも炎や冷気を纏わせるなんて⋯⋯、これは妖刀村雨だからこそ成せる技なのか!? ⋯⋯っ、一体どうなっているんだ、東西番頭、武官の中将とは言え、ただの貧弱な一介の公家のはずなのに⋯⋯、やはり昨日感じた御頭や百地翁様をも凌ぐ強大な氣は、勘違いじゃなかったのか!? そして⋯⋯綾麿の動き⋯⋯あまりにも⋯⋯う)
⋯⋯鎌足は思考の続きを止めた。
そして首をぶんぶんと横に振った。
目の前で初めて見た綾麿の華麗な体捌き、そして真刃と鞘刃の二刀の流れ。
それをどこか“美しい”とすら感じてしまっている自分。
それを鎌足は懸命に否定していた。
生き死にの戦いに集中して臨んでいる鎌足に、そんな雑念をふと抱かせる程に、この時の綾麿は、ともすれば魔性と言える人外の妖美さと強さを纏っていた。
(⋯⋯落ち着け、落ち着け、惑わされるな)
そんな鎌足の心の声や性格まで全てを見通したのかのように、綾麿は嘲笑いながら鎌足を挑発した。
「⋯⋯ふふふ、麿の動きに驚いて足が竦んだか。先程までの威勢は早くも何処かへ消え去ったようだな。⋯⋯さて、なら次は麿がその太刀を受けてやるとしよう。⋯⋯さあ、七十年前、紅鬼どもを滅したという伝説の鬼切丸の力、見せてみよ。⋯⋯死に急ぐ、伊賀の愚か者よ」
(⋯⋯な、なにぃっ!?)
奇しくもこの綾麿の挑発が、短気な鎌足の闘争心に火をつけ、再び燃え上がらせた。
油を注がれた怒りの火勢は、鎌足の雑念を一気に忘却の彼方へと吹き飛ばす。
「⋯⋯臨むところ⋯⋯だッ!!」
鎌足が攻めに転じた。
正眼の構えのまま重心を低くし、鬼切丸と共に全速で綾麿の懐に突っ込む。
鎌足の小柄な体躯は、刃の競り合い時などは不利になることもあったが、その逆に優位な点も幾つかあった。
最大の利点は、その動きの”早さ““身軽さ”だ。
(⋯⋯綾麿が村雨の二刃、それぞれの重さや圧で攻めるなら、⋯⋯鬼切丸での私の攻め方は、⋯⋯こうだ!)
鎌足は連撃に活路を見い出そうとした。
自身の素早さと、半刃の鬼切丸の扱いやすさ。
この二つの長所を最大限に生かした攻撃だった。
「⋯⋯うぉぉぉおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!!」
この鎌足の真っ向から斬り掛かった最初の一撃は、綾麿がいとも簡単に真刃で弾いた。
ぶつかり合う刃と刃。
火炎の花が散る。
自身の右上に跳ね上げられた鬼切丸。
鎌足は頼みの綱を危うく手放しそうになった。
(⋯⋯くそっ、こんな奴に負けるかッ!)
だが何とか気迫で鬼切丸を持ち直す。
そしてそのまま第二撃となる袈裟斬りを繰り出した。
この第二撃も、薄ら笑みと共に颯爽とかわされる。
かわされた後の第三撃は、また逆に右上に戻すように刃を斬り上げる左逆袈裟斬り。
しかしその第三撃も、綾麿の鞘刃によって防がれ弾かれた。
「これが江戸の柳生新陰流の流れを汲む、伊賀新陰流か。⋯⋯ふふふ、なるほど、その若さで小頭に抜擢される意味が少しは理解できる。麒麟に近い天性の素質はある。⋯⋯だが、まだまだ太刀の繋ぎや振りが甘い」
(⋯⋯何っ!? ⋯⋯知ったような口を! どこまでも偉そうにッ!? ⋯⋯私の連撃はこんなものじゃないぞ!! ⋯⋯まだまだッ! )
かわされても弾かれても、そして蔑まれ罵られても、鎌足の攻撃は続く。
身を屈めてからの飛び上がるような突きの第四撃、かわされてもまた次の第五撃と、立て続けに鬼切丸の刃を綾麿に向けて繰り出していく。
右から左への水平斬り。
今度は左からの袈裟斬り。
その刃を戻しながらの逆袈裟斬り⋯⋯。
しかしどの攻撃にも、綾麿は涼やかに余裕の笑みを浮かべ続けていた。
鎌足の必死の連続攻撃は、そのどれもが綾麿に悠々といなされていく。
身体を旋回させながら振り下ろす左右の変則的な連撃も、真刃と鞘刃で難なく弾かれてしまう。
また続けざまに繰り出した上段中段下段の三段突きも、綾麿は狩衣をふわりと優雅に翻しながら、まるで風を身に纏ったように華麗な動きでかわしていった。
「⋯⋯ふふふ、どうした? それが全力か。麿はまだ半分も力を出してはおらぬぞ?」
(⋯⋯くそっ、くそっ! 素早さでは絶対に優るはずなのに!!)
どの角度から刃を走らせても、真刃と鞘刃に的確に弾かれ、鎌足の攻撃は綾麿の狩衣にすら掠りもしない。
一太刀一太刀繰り出すたびに、逆に鎌足の表情に焦りの色が滲んでいく。
そんな鎌足とは対照的に、綾麿の目はどこまでも冷静だった。
(⋯⋯これが鬼切丸の力か。⋯⋯そろそろ頃合だな)
刀と刀がぶつかり合う音や閃光の数は、三十回はゆうに越えていた時だった。
「⋯⋯うおおおおっ!!」
もう何回目になるのかも分からない、鎌足の渾身の叫びと再びの袈裟斬り。
それを綾麿は真刃と鞘刃の二刀を十字に交差させ、鬼切丸を挟み込むようにして、それ以上の動きを封じた。
「⋯⋯あっ!?⋯⋯ッ」
連撃を止められたことを悟った鎌足が、短く狼狽の声を上げる。
二人は互いに至近距離で睨み合いながら、刀の鍔迫り合いの状態となっていた。
しかし男と女、二刀と一刀。
力の差は歴然だった。
鍔迫り合いさえまだ手を抜いているのか、涼しい顔をしたままの綾麿に対して、力では圧倒的に不利な鎌足の顔には、明らかに苦しさが滲んでいた。
鎌足の顔のすぐ間近に迫る、村雨二刀の妖しい熱気と冷気。
その異様さを如実に表すように、鎌足の額から流れる汗は、右頬と左頬で全く異なっていた。
右頬を伝う汗は氷点下の外にいるように凍りつき、そして左頬の汗はその量が尋常ではなく、床へと途切れることなく滴り落ち続けている。
その時、追い詰めた鎌足を刃越しに見下しながら、綾麿が淡々と口を開いた。
「⋯⋯流石は鬼切丸。半刃とは言え、その斬れ味、鋭さ、麿の想像以上だ。来たるべき鬼の本隊との戦いで使えることは間違いない。⋯⋯だが、⋯⋯残念なのはその持主よ」
「⋯⋯ぐッ、ッ⋯⋯、な、⋯⋯何だとぅ!?」
「良いか。斬る側と扱う側⋯⋯刀と持主には常に相性というものがある。扱いやすさの点ではそなたと鬼切丸は相思相愛かもしれんが、鬼切丸が秘める真の強さにそなたは見合ってはおらん。また鬼切丸も半刃が故に薄く軽く、同類の妖刀村雨の二刀を前にしては、その力の差は歴然。まるで大人と子供、決して敵わぬ。⋯⋯鬼切丸が村雨に及ばぬということは、それ即ち、そなたは麿には絶対に勝てぬということ」
「⋯⋯ッ、⋯⋯そ、そんなこと、ないッ⋯⋯」
「⋯⋯否。その刃の特性を活かす法を知らぬうちは、まるで赤子の手を捻るようなものだ」
最後に吐き捨てるように嘲りの言葉を投じた綾麿は、真刃と鞘刃で鎌足を押し込んだ。
そして二つの刃を握る手に力を込め、一気に鎌足を強く突き放した。
「⋯⋯うわあああっ!?」
突き飛ばされた鎌足は背中から、壁際の雨戸にまで吹っ飛んでいた。
そのまま鎌足の身体は、背中から雨戸を突き破り、廊下を弾み、詰所の外の中庭にまで転がっていく。
「⋯⋯が、がはッ! ⋯⋯ぅぅッ、が」
飛ばされた勢いのまま後方に数回転しながらも、鎌足は何とか片手で地を叩いて飛び跳ねると、後方宙返りしながら中庭に着地した。
片膝をつき、顔を顰めている鎌足の視線の先には、完全に粉砕されて内部が筒抜けの雨戸。
その開放された大きな穴からは、詰所の中に悠然と佇む綾麿が見える。
先程と同じく村雨の二刀を下段、左右両手で広げるように構えている綾麿は、目が合った鎌足を不敵に一笑すると、そのままゆっくりと中庭の方へと歩き出した。
詰所の外へと戦場を移しかけている、綾麿と鎌足の戦い。
これに動揺を隠せなかったのは、暮れ六つ近くになっても鎌足たちが集合場所に現れないことを不審に思い、詰所の周辺に集まっていた五十人の警備兵たちだった。
誰からともなく刀や槍や弓を手に、とりあえず詰所周りに集まってはみたものの、その中から漏れ聞こえてくるのは、入るのを躊躇してしまうくらいの激しい物音と怒鳴り声。
⋯⋯一体この中で何が起きているのか。
ほとんどの警備兵たちが固唾を飲んで様子を窺っていた最中に、鎌足がいきなり雨戸を破って飛び出してきたのである。
驚き慌てふためくのも無理はなかった。
更に鎌足の痛々しい姿と、外からちらりと垣間見える平次と大吾の悲惨な亡骸に、早くも鬼が現れたのかと勘違いし、謎の雄叫びを上げる者も多数いた。
警備の指示出しをする者が居ない中、警備兵たちは総じて皆、どうしてよいか分からず右往左往している。
ゆらゆらと揺らめく殺気、熱気、そして冷気。
綾麿はこの妖しい三つの氣に包まれながら、詰所と中庭の境である廊下へと姿を見せていた。
鎌足の畏怖の念が、御所を舞う風にも伝わったのか。
中庭の鎌足を睨みつける綾麿の凛とした立ち姿は、中庭に咲き誇る桜の木々から舞い散る花弁にも包まれて、鎌足が感じた美しさに加え、神々しさえも纏っていた。
まさか中将の綾麿までもが詰所に居るとは思わなかった警備兵たちは、更に激しく戸惑いを見せていた。
(中将様⋯⋯?、今日は警備の御担当ではないのに、どうして詰所に!?)
(江戸の援軍の方と、中将様が戦っておられる!?⋯⋯のか? 何故こんな状況に!?)
(もう東番は始まっているというのに、一体何が何だか⋯⋯、我らはどうすれば⋯⋯)
ざわつく警備兵たちを左から右へ軽く見渡した綾麿は、中庭へと降りる三段程の小さな踏み段の前で立ち止まると、取り囲む警備兵に向かって高らかに声を上げた。
「⋯⋯皆の者、聞け。⋯⋯東番頭鎌足殿は、御皇の名代であるこの麿に、恐れ多くも刃を向けた。⋯⋯見ての通り御乱心故、麿が今からこの場にて斬り捨てる。当東番の警備兵五十名がその見届役だ。⋯⋯そして麿の仕置きには⋯⋯、ふふふ⋯⋯、一切の手出しは無用」
(⋯⋯なッ? ⋯⋯ら、乱心だと!? ⋯⋯く、くそっ、言わせておけば!)
怒りを露わにする鎌足を一瞥した綾麿は、僅か三段の足場を一段一段、愉しそうにゆっくりと降りていく。
先程の威厳に満ちた命令に加えて、内裏での位階の高さに、東西番頭としての経験と実力が生む求心力、そして鬼を斬る妖刀村雨の神秘的な魅力。
この場に集まった警備兵たちの心は今、綾麿が完全に掌握していた。
新参者の江戸の若き東番頭、鎌足に心なびく者は皆無だった。
(⋯⋯中将様、御御足が、足袋が汚れます、どうぞ)
綾麿への心酔や忠義の表れか、最後の一段に立った綾麿に、丁寧に草履まで差し出す者もいた。
その草履を履き、絶大なる余裕と内裏での権威を鎌足に見せつけながら、綾麿は悠然と中庭に降り立った。
「⋯⋯動きに鈍さが見られるのは、昨日の紅影鬼の針を受けたのか、どうやら身体の至るところに怪我をしているみたいだな。それと、毒とか先程ほざいていたが、その影響か足元も何処かおぼつかぬ。⋯⋯満身創痍。⋯⋯とは言え、それを差し引いても、まだまだだ」
余裕綽々に呟く綾麿を苦々しく見つめながらも、鎌足は今、もう一つの武器⋯⋯鎖鎌に活路を見出そうとしていた。
(⋯⋯広い中庭ならば鎖鎌が使える⋯⋯! 伊賀流鎖鎌の技は、綾麿は一度も見たことはない。間合いの外からの攻撃こそ間違いなく私に分があるはず。⋯⋯後は私の必殺の間合いに綾麿をどう引き込むかだ)
いつでも鎖や分銅を放てるように⋯⋯。
そう考えた鎌足が、忍ばせた腰と足の鎖を外すため、羽織と袴を脱ぎ捨てようとした時だった。
「⋯⋯そなたが連撃ならば、麿も次は連撃で応えてやろう。⋯⋯いくぞ」
「⋯⋯うっ!?」
「⋯⋯覚悟しや」
その一言の直後だった。
綾麿はたった数歩で間合いを一気に詰め、鎌足の眼前へと凄まじい速さで迫っていた。
「⋯⋯くッ!⋯⋯(この間合いでは駄目だ!)」
「⋯⋯真刃と鞘刃の連撃、⋯⋯果たしてそなたにかわせるか?」
妖しく瞳を煌めかせた綾麿が、左右の手を撓らせる。
四方八方、縦横無尽に、次から次へと間髪入れずに鎌足に降り注ぐ、真刃と鞘刃の雨、殺意を帯びた熱気と冷気。
その全てを鎌足は必死に避け、そして鬼切丸で懸命に受け止めた。
閉ざされた詰所内に引き続き、今度は外で繰り広げられる激しい剣撃。
刃と刃、ぶつかり合う二本の刀と鞘の音の一つ一つが、中庭全域に見えない衝撃波のように拡がっていく。
見守る警備兵たちは、二人の間に高速の光の筋の残像しか見えない。
そんな驚愕の死闘の情景に、口をぽかんと開けたまま全員が固まっていた。
鎌足の鎖鎌の術にも、敵に触れずとも真空で敵を切り裂く『鎌鼬』という技があるが、綾麿の剣閃もまさに“それ”だった。
肌に触れるぎりぎりをかわしながらも、鎌足の頬や腕や腿は、炎で焼かれ氷で凍らされたように、無数の細かな傷を重ねていった。
綾麿の十字に構えた真刃と鞘刃が、再び鎌足の鬼切丸を受け止める。
「⋯⋯諦めろ。⋯⋯何度も言わせるな、そもそもそなたには万に一つも勝ち目も無い。早くこの村雨の錆となったらどうだ? ⋯⋯ふふふ」
「⋯⋯ッ、⋯⋯はは、⋯⋯冗談はよせ。誰が諦めるか。私は諦めの悪い性格なんだ」
相変わらずの綾麿の挑発に、相変わらずの勝ち気さを貫いた鎌足は、この短い接近戦の間に全神経と意識を集中させて、綾麿の次の動きを必死に予想していた。
(⋯⋯ッ! 先程よりは村雨に込めた力は強い⋯⋯が、⋯⋯まだかなり余裕を見せているな、こちらの力量を測るように、徐々に本気を出していく気だな⋯⋯、くそっ、⋯⋯ならばきっと、また”突き放す“はずだ)
突き放す⋯⋯。
そんな綾麿の残像を想像する鎌足の中に、まだ手の内を一切見せていない鎖鎌を使った、様々な作戦が閃く。
(⋯⋯突き放されたと同時に、得意の間合いまで退き、油断しているところを狙って即座に鎖鎌を放つ⋯⋯! これならばいける! ⋯⋯でも綾麿の事だ、いくら見た事の無い鎖鎌だとしても、一、二度軌道を見れば、きっと間合いを見切られてしまう)
鎌足の頭を最後に過ぎるのは、昨日の紅影鬼との戦い。
(⋯⋯紅影鬼同様に二撃までで決着をつけるしかない。大蛇縛りは⋯⋯、⋯⋯駄目だ。あの二刀で鎖の隙間を作られる⋯⋯。鎌鼬は⋯⋯、⋯⋯駄目だ。綾麿は余裕とは裏腹に、避ける間合いには細心の注意を払ってる⋯⋯、隙なんて無い⋯⋯、どうする⋯⋯どうしたらいい⋯⋯)
慎重になればなるほど、浮かんでは消え、また浮かんでは消える次の一手。
思案にくれる鎌足を、綾麿が再び嘲笑う。
「⋯⋯懲りぬ奴だ、ここまで意固地な男は初めてだ」
「⋯⋯ッ!? 男じゃない! ⋯⋯私は、“女”だ!!」
「⋯⋯な、に?」
鎌足の何気ない返事に、一瞬だけ綾麿の動きが“止まった”。
(⋯⋯!? 力が弱まった! これなら自分から刀を弾き、必殺の間合いまで一旦、退ける!)
「⋯⋯女、⋯⋯女子だと?」
「⋯⋯ッ! その余裕が、命取り⋯⋯⋯⋯よッ!」
鎌足は今度は自ら村雨の二刀を弾くと、相当の後方へと飛び退いた。
(⋯⋯色々考えたけど、やはりこの手しかない!)
そして鎌足は遂に⋯⋯、身に纏っていた羽織袴を脱ぎ捨てた。
御所内で初めて露わにする、御庭番の忍装束。
風に舞い、桜の花弁と共に宙をたなびく羽織。
羽織を脱ぐ時に触れた鎌足の一つ結びの髪が少し解け、解れた黒絹の糸のように風にふんわりとなびいている。
若い女性らしく瑞々しい色白の太腿には、その白と似つかわしくない鉛色の鎖が妖艶に巻き付き、背中には文庫結び(※蝶結び)の帯が鮮やかに閃く。
そしてその帯の隣には歪な鬼切丸の刃が、沈みゆく陽の光を浴びて煌めいていた。
そんな鎌足の姿もまた先程の綾麿と同様、今、舞い散る桜の花吹雪に包まれて、警備兵の何人もが溜め息をつくほどに凛々しく、そして何よりも、美しかった。
⋯⋯偽りの若衆姿ではない、明らかに女忍としての鎌足の本当の姿が、其処にあった。
夕闇と桜に映える鎌足のその姿を、ぼんやりと見つめていた綾麿が、珍しく動揺を見せながら呟いた。
「⋯⋯女子、⋯⋯鬼切丸を操り、紅影鬼を斃したのが、女子だと? ⋯⋯まさか⋯⋯」
「⋯⋯ふんっ! 女だからって甘く見るなぁ!!」
声も完全に本来の女声に戻した鎌足は、綾麿にわざと見せつけるように、敢えて大きな動作で鬼切丸を腰の後ろに差した。
そして脚や腰に巻き付いている鎖を、じゃらりとした音を響かせて一気に外し、腰の鎌袋から鎌を抜いて眼前に差し出すようにして構えた。
⋯⋯鬼切丸ではなく、鎖鎌で攻撃に転じる。
綾麿にそう”意識させる“ための動きだった。
そんな鎌足の企みに、綾麿は何一つ勘付いてはいない。
(⋯⋯なるほど。まさか女子だったとは。⋯⋯小夜や朱雀だけではない、此処にも男顔負けの剣腕を持つ、強気の女子が居ったか⋯⋯。今の世の女子の力、決して見くびることはできぬものよ。⋯⋯だがしかし)
綾麿は軽く目を閉じ、何かを自身に言い聞かせると、冷静に悠然と立ち尽くしたまま、いつもの斜め上からの嘲りの笑みを浮かべた。
「⋯⋯ふふふ、それにしても切っ先届かぬ間合いを取るなど。御庭番の女子忍は、余程“逃げ”が得意と見える」
何度も鎌足を苛立たせてきた、綾麿の挑発。
しかし今、鎌足は憤るどころか、この綾麿の笑みと不動の佇まいに、逆に内心にやりとほくそ笑んでいた。
(⋯⋯綾麿、この間合い、⋯⋯私のものだ)
今の両者の間合い。
それはまさに、鎌足の狙っている間合いそのものだった。
「⋯⋯どうした? 鬼切丸が駄目なら次は鎖鎌か?」
鎌足が心の中で再びほくそ笑む。
「⋯⋯鎌足の名の由来の一つ、その身体でとくと思い知るがいい! ⋯⋯伊賀流鎖鎌、壱ノ鎖刃、天渡りッ!!」
鎌足は素早く、身を翻した。
全身をばねにしての回転、捻り。
鎌足が味方につけたのは、遠心力。
鎌自体は手の中に残し、その鎌から繋がっている鎖と分銅の方を、回転の勢いそのまま、綾麿に向けて思い切り投げつけた。
「⋯⋯ほう、天渡り⋯⋯とな」
綾麿に凄まじい勢いで襲いかかる鎖。
「⋯⋯これが伊賀の秘伝の鎖鎌術、か。⋯⋯ふっ、大したことはない」
しかし綾麿は余裕そのものだった。
何故ならば、鎌足の投じた渾身かつ秘策の第一撃の鎖は、目的の綾麿の真正面には飛んではいなかったからだ。
やや左へとずれて飛翔した鎖は、綾麿がほんの半身軽く横へ動くだけで、呆気なくかわされてしまっていた。
「⋯⋯ふふふ、何処を狙っている?」
鎌足の明らかな失投に、綾麿は嘲りの笑みを浮かべていた。
的であったはずの綾麿を外した鎖の先端も今、嘲り笑う綾麿の背後の空高くを虚しく斬っていた。
⋯⋯それを見た鎌足は、焦るどころか何故か勝利を確信する。
(⋯⋯狙い通りだッ!!)
嬉々としてその目を見開いた。
「⋯⋯掛かった! 亥の角、⋯⋯隙ありッ!!」
鎌足は手にしていた鎖と鎌を、強く巧みに引く。
すると引かれた鎖は、空中で突如として向きを変えて弧を描き、不自然に左右に揺らめいた。
鎌足は更に鎖を引く。
その複雑で素早い腕の動きによって、鎖は更に空中で直角に向きを変え、綾麿背後の斜め上空、右の死角から再び綾麿に向かって急角度で襲いかかった。
その鎖の先端には、分銅⋯⋯
⋯⋯ではなく。
紅影鬼を斃した時と同様に、先程腰に差し戻したと”思わせた“鬼切丸が、いつの間にか結びつけられていた━━━━。
第47話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください。(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
次回、第49話「覚醒」は、4月12日投稿予定です。




