第45話 綾麿の提案
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸の徳川政権を何故か激しく憎み、鎌足たち伊賀御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。内裏では男装をし、初の警備の日を迎えたのだが⋯⋯。
平次━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足の身だしなみには特にうるさい。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
大吾━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験にも乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
━━━━暮れ六つの鐘を迎えるまで、四半刻も既に残り半分(※15分)を切っていた。
伊賀の誇り、そして自らの命をも懸けた東番。
本来なら五十人もの警備兵に細かな指示を行うため、番頭用の座敷へと移動していなくてはならない刻限。
しかし鎌足たち伊賀の三人はまだ、一人の予期せぬ訪問者と共に、控の間である詰所の中に留まっていた。
呼吸は荒々しく乱れ、震える手で握りしめた脇差を、朧気な眼差しで見つめ続ける、鎌足。
自分が鬼ではないことを必死に訴える、二人の忍。
平次と大吾。
そして上座に悠然と立ち、三人の忍を見下しながら、一つまた一つと数を数え続ける、綾麿。
⋯⋯暮れ六つを前にした詰所は今、今宵の内裏警備のどの場所よりも早く、生と死の緊迫感の中にあった。
「⋯⋯七つ」
「⋯⋯はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯」
「⋯⋯八つ」
「⋯⋯あ⋯⋯うぅ⋯⋯」
「⋯⋯九つ」
「⋯⋯う、⋯⋯うぅっ」
「⋯⋯十」
綾麿の淡々と数を数える声と、鎌足の短い苦悶の声と吐息だけが、詰所の中に響いていた。
誰一人その場を動かないまま、時間だけが刻一刻と過ぎていく。
「⋯⋯斬れない、私には出来ない、分からないよ⋯⋯」
大切な仲間二人の内、どちらかが鬼。
そして、もう死んでいる可能性。
信じられない、信じたくはない。
鎌足は脇差を両手でぎゅっと握りしめ、現実から目を背けるように、顔を顰めながら目を瞑っていた。
(⋯⋯誰か、⋯⋯どうしたら良いか教えて⋯⋯)
綾麿は本当に毒の首謀者でも、蒼鬼でもなかったのか。
一体どうやって、二人の中に潜む異形の蒼鬼を見定めればよいのか。
そもそもこの綾麿の話自体、本当に正しいのか。
今までの話は全て、自分たち三人を混乱させるためだけの、作り話ではないのか。
まさに”八方塞がり“状態だった。
潜んでいる蒼鬼を見つけ出すことも、目の前の綾麿に斬りかかることも、鎌足はどちらもできなくなっていた。
「小頭⋯⋯、どうか私たちを信じてください!」
「さっき私たちの味方だ、そう言ったじゃないですか!? 何をそんなに怯えているんですか!? ⋯⋯小頭っ」
鎌足を案じた、大吾が動く。
鎌足に近づき、小刻みに揺れるその小さな肩に触れようとした。
⋯⋯その瞬間。
鎌足はその大吾の手を、恐ろしい形相で無意識に払い除けていた。
「⋯⋯ひっ!? ⋯⋯さ、触らないで⋯⋯! 誰も!」
「⋯⋯ッ!? こ、小頭⋯⋯!?」
この時、鎌足の頭には、江戸の甲賀忍と昨日の甚左の姿⋯⋯人が鬼に変わる瞬間の悍ましい情景が横切っていた。
そしてそんな鬼が手に持ち、黒光りさせているのは、鎌足を殺そうと狙う狂気の刃。
葬魂の術の記憶は、現実と幻想が入り混じりながら今、大吾の姿に鬼の幻影を重ねて見せていた。
「⋯⋯あ、⋯⋯ち、違っ、⋯⋯そんな意味じゃ、⋯⋯ない、⋯⋯ッ、⋯⋯ご、ごめんなさい」
大吾の悲しい表情を見て、鎌足はすぐに我に返った。
そして今にも泣き出しそうな顔で、大吾に謝った。
言葉では謝罪を伝えながらも、鎌足の表情は、明らかに綾麿の言葉と“見えない何か”に怯え、悲壮感に満ちている。
「⋯⋯小頭」
「⋯⋯⋯⋯」
俯いた鎌足からも、それ以上の言葉は無かった。
平次と大吾も鎌足にかける言葉が見当たらず、後は困惑と悲しみが入り混じった表情で、ただじっと鎌足を見つめ続けるだけだった。
⋯⋯そんな心乱れる三人の伊賀忍とは真逆に、綾麿だけはずっと冷静だった。
上座から三人の動向を毅然として眺め、数えも何一つ乱れてはいない。
そんな綾麿の瞳には、今だに鞘から刃を抜けずに葛藤を続ける鎌足の姿が、堪らなく歯痒く映っていた。
(⋯⋯帝から東番の大役を賜りながら、何故鬼に立ち向かおうとはせぬ。⋯⋯そして何故、目の前の現実から目を逸らそうとする、⋯⋯鎌足よ)
数を数えながら綾麿は身体を翻し、立て掛けてある村雨に近づいた。
そして村雨の柄を握りしめ、鎌足たちを再び振り返り、何かを考えるようにゆっくりと目を瞑った。
既に数えは二十五を超えていた。
「⋯⋯っ、⋯⋯斬れないよ、⋯⋯私には斬れない⋯⋯」
鎌足は動かない、動けない。
平次と大吾も身構えたまま、微動だにしない。
綾麿は、ゆっくりと目を開けた。
そして最後まで何もできずに動けなかった鎌足を一瞥すると、深い溜め息をついた。
「⋯⋯三十」
静寂の中、綾麿によって、約束の刻限の終わりが告げられる。
「⋯⋯うぅ⋯⋯あ」
「⋯⋯時間切れだ、鎌足殿」
綾麿は伊賀の三人に見せつけるように、村雨を眼前に掲げた。
そしてまだ狼狽えたままの鎌足を、もう一度じっと見つめた。
(⋯⋯鬼と戦い、この日本を守るためには、時には鬼と化した仲間さえも容赦なく斬らねばならぬ。そなたに果たしてその覚悟と、東番頭を務める力量があるのかどうか。最後の機会を与えたにも関わらず、この不始末。ここまでに女々しさを極めているとは。⋯⋯紅影鬼を斃すほどに、鬼と戦う力を秘めている男であるならば、あるいは⋯⋯と思ったが、所詮は使えぬ、心弱き男。⋯⋯そしてただの憎き江戸者の凡人の一人であったか)
綾麿は軽く上を向き、詰所の虚空を眺めた。
(たとえ鬼切丸を持っていようが、この者の心では本当に強き鬼、待ち受ける死闘には決して勝てぬ、生き残れぬ。遅かれ早かれ鬼に殺され、鬼切丸も奪われ、葬魂の悪鬼『修羅』と化す。⋯⋯そして、その技や鬼切丸は、後々日本に必ずや大きな災いをもたらす)
鎌足へと視線を下げた綾麿と、綾麿を睨みつけるように見上げた鎌足。
再び二人の目が合った。
(まず邪魔な蒼鬼を斃してから、ゆっくりと人か鬼か、そして秘めた力の真偽を見定めた上、形を付けるつもりであったが⋯⋯、もはやそんな必要は無い。鎌足よ。今すぐ此の場で、蒼鬼共々、まとめて葬り去ってくれる)
「⋯⋯ッ!?」
綾麿は一歩前へと進んだ。
そして身構える鎌足に向けて、冷たく言い放った。
「⋯⋯時間だ、もうよい。戯れも終わりだ。麿がその二人ともを斬り、鎌足殿の憂いを全て終わらせてやろう」
「⋯⋯ッ! ⋯⋯い、嫌だ、止めろッ! 一体何が御前の狙いなんだ!? この狂人⋯⋯いや狂気の鬼め! ⋯⋯平次も大吾も鬼だって決まったわけじゃない! 証拠なんて何一つ無いじゃないか! ⋯⋯二人は⋯⋯仲間は、絶対に斬らせるもんか!」
鎌足は、咄嗟に脇差を綾麿に向けて構えた。
その顔からは、これ以上近づいたら戦いも辞さない、そんな気迫が満ちていた。
「⋯⋯どこまで愚かなのだ。まだ後ろの“蒼鬼”を庇うか。⋯⋯どうしても麿の言葉、信じぬようだな。⋯⋯ふん、よかろう。そこまで蒼鬼と心中したいのならば、冥土の土産だ。そなたの愚かな望み、叶えてやる。⋯⋯麿の今までの言葉が全て真実であること、そして蒼鬼の正体。その確たる証拠を今、しかと見せてやろう。⋯⋯少しは痛みを伴うが、我慢しろ」
「⋯⋯っ! ⋯⋯何っ!? 証拠だって!?」
綾麿は無言のまま、眼前の村雨を左腰、すぐにでも抜刀できる位置にまでゆっくりと下げていく。
そして鎌足に気取られないように、鞘に巻いた朱色の下緒(※紐)を、親指で軽く緩めた。
「⋯⋯っ! む、⋯⋯村雨、いよいよ抜く気だな!?」
鎌足も咄嗟に、腰の鬼切丸に右手を伸ばした。
そして綾麿の次の動き次第で、自身もすぐに鬼切丸を抜けるように、右の掌に意識を集中した。
綾麿の狙いは、恐らく自分だけではない。
綾麿のあの性格ならば、間違いなく宣言通り、背後の平次と大吾にも斬り掛かるだろう。
(⋯⋯左か、右か、⋯⋯それとも上段からか⋯⋯!? その速さはどの程度か⋯⋯、まだ見たことのない村雨の刃と太刀筋、絶対に見極めて二人を守らないと⋯⋯!)
警戒を強める鎌足だったが、綾麿の次の言葉は、鎌足を更に激しく混乱させた。
「⋯⋯ふふふ、何をそんなに大層に構えている? そなた如きに村雨は抜かぬ」
「⋯⋯な、何っ!?」
「⋯⋯それよりもいい加減に正体を見せたらどうだ? ⋯⋯“紅影鬼”」
「⋯⋯、⋯⋯え!?」
「魂を奪った鎌足に上手く成りすましたな。更にこの期に及んでも、まだ二人を庇う名演技。流石は紅影鬼だ」
「⋯⋯、⋯⋯は!?」
その綾麿の言葉は、鎌足にとって全く予想外だった。
鎌足はぽかんと口を開けたまま、固まってしまった。
(⋯⋯は? 一体何を言っている?)
全く意味の分からない内容。
だがしかし内容よりも、ある一つの言葉に鎌足は驚きを隠せなかった。
それは、紅影鬼の名。
鎌足は紅鬼に襲われたことを、綾麿には何一つ告げていなかった。
それ故に、襲撃者である紅影鬼の名を綾麿が知っていることは、絶対にあり得なかったからだ。
「⋯⋯何故だ!? 何故、綾麿が紅影鬼を知っている!?」
唖然としながら狼狽える鎌足を前にしても、綾麿は平然と話を続けた。
「⋯⋯だが、その後ろの蒼鬼同様に、この麿の目は決して欺く事はできぬ。御主は今しがたの幾つかの言葉の中で、正体が鬼⋯⋯紅影鬼だと分かる、決定的な間違いを犯した」
「⋯⋯え!? な、何を⋯⋯、何のことだ⋯⋯?」
「⋯⋯紅影鬼よ。殺した鎌足に化け、仲間の伊賀者二人には、紅影鬼は鎌足に斃されたと偽り続けたな。ふふふ⋯⋯、上手く考えたな。東番頭として当御所内に潜入し、蒼鬼同様、帝や要人の命を狙う目的なのだろうが、残念だったな、そうやすやすと事は運ばせぬ」
そんな綾麿の視線は何時しか鎌足ではなく、その肩越しに並んで見える平次と大吾⋯⋯二人へと向けられていた。
鎌足の背後に視線をずらし、綾麿は一方的に言葉を続けていく。
「⋯⋯蒼鬼よ、聞け。御主も気になってはいるだろうが、この者は鎌足では無い。⋯⋯紅鬼だ」
「⋯⋯はぁ!? ⋯⋯な、何を言い出すんだ!? ⋯⋯私は紅鬼じゃない! 鎌足だ!!」
「⋯⋯しかも紅鬼の中でも相当の使い手、針の山の番人『修羅』の紅影鬼だ。この麿も正体を見抜くのに苦労したのだ。⋯⋯御主も今の今まで、正体が紅影鬼である確証は得ることはできなかったはず。そうであろう?」
平次と大吾は刀の柄に手をかけ、額に汗を滲ませながら、綾麿を睨み続けている。
⋯⋯綾麿が自分たちに何を語りかけているのか、何を言おうとしているのか、全く理解できない。
二人の表情には汗だけではなく、そんな怪訝さも明らかに滲んでいた。
「⋯⋯知っているだろうが、麿は御主よりも遥かに強い『修羅』の蒼炎鬼を斃している。それに、この場で御主だけは分かっているはずだ。⋯⋯麿は”鬼“ではなく、“人”だということを」
「⋯⋯おいっ、綾麿っ!? さっきから何をわけの分からない事を言っているんだ!? 御前が人だ、っていう確証だって、何処にも無いぞ!!」
どれだけ口を挟んでも、全く相手にされない鎌足は、どんどん声を荒げていった。
しかしそんな鎌足には依然として目もくれず、綾麿は平次と大吾の二人を更に激しく睨みつけ、時折不敵に笑みを浮かべながら話を続けた。
「暮れ六つは刻一刻と迫っている。あれこれ理由を付け、暮れ六つだけは一人になって迎える腹だったはずだが、もはや手遅れ。このまま刻が流れ、暮れ六つになってしまえば、自ずと蒼鬼であることが露見してしまうぞ?」
「⋯⋯ッ! おいっ、いい加減に私の話を聞けっ! ⋯⋯ふざけるな! 綾麿っ!!」
「⋯⋯鎌足よ、そう麿を睨むな。⋯⋯ふふふ、見たか、蒼鬼よ。この者の今の鬼気迫る表情を。これが鎌足の本性だ。御主の葬魂にまんまと騙されたことに、内心相当に腹を立てているに違いないな。これは間違いなく、暮れ六つの後、御主は鎌足に殺さるだろうて」
「⋯⋯だから無視するな、って!! 一体何の話なんだ!? それに私は紅影鬼じゃない!!」
「⋯⋯そこでだ、この麿から一つ、提案⋯⋯助け舟を出そうでないか⋯⋯」
「⋯⋯ッ!? 二人とも! こんな奴の言葉を、まともに聞いたら駄目⋯⋯」
鎌足の視線が、平次と大吾の二人に向いた⋯⋯。
⋯⋯その瞬間だった。
綾麿が激しく袖をたなびかせた。
手にしていた村雨。
その鞘に巻き付けられていた下緒を瞬時に全て振り解くと、まるで投縄か投網のように鎌足に向けて投げつけた。
「⋯⋯ッ!? ⋯⋯なっ、何を⋯⋯!?」
宙を蛇行しながら飛んだ長い下緒の先端は、鎌足の左右両の手首を的確に捉えていた。
そして幾重にも複雑に回転しながら、そのまま鎌足の両手首を縛り上げるように絡みついた。
「⋯⋯ッ!? 腕が⋯⋯!? ⋯⋯し、しまっ⋯⋯、た」
綾麿は村雨もろとも、両手で下緒の手元側先端を力強く握る。
そしてその掌を巧みに撓らせて、下緒の端を自らの腕に巻きつけていく。
今、鎌足の両手の自由は、この突然に投じられた下緒の拘束により、完全に奪われていた。
「⋯⋯あ、綾麿っ、御前っ!?、⋯⋯な、何を⋯⋯、する!? ⋯⋯ほ、解け!」
鎌足は腰の鬼切丸も鎌も抜くことができず、当然に脚の鎖も外せない。
鎌足の間合いに残された武器は、床に転がる脇差だけだった。
鎌足は慌てて目線を下げた。
(⋯⋯ッ! ⋯⋯さっきの脇差、足の指を使って抜けなくもないが、綾麿との間合いがありすぎる⋯⋯、⋯⋯っ、でも綾麿も両手が塞がれている。こんな拮抗した状況なら、綾麿だって村雨は抜けないはずだ。⋯⋯っ、一体何がしたいんだ!? 綾麿⋯⋯!! ⋯⋯ってか⋯⋯)「⋯⋯早く下緒を解け!! 綾麿ぉおおおお⋯⋯!!」
「小頭! うッ⋯⋯、くそっ! 一体どうすれば⋯⋯」
「⋯⋯っ! 綾麿! ⋯⋯小頭に何て事を!」
平次と大吾の緊迫感に満ちた声が、背後から鎌足の耳に聞こえ続けていた。
束縛の下緒を外そうと、鎌足は藻掻き続けた。
しかし綾麿は、そんな鎌足をやはり相手にもしない。
鎌足の動きを止める下緒を強く堅く握りしめながら、その鋭い眼は平次と大吾だけを睨み続けていた。
鎌足の両腕に絡みつく下緒が、激痛と共にめりめりと軋みの音を立て続ける。
(⋯⋯痛たたた、⋯⋯駄目だ、⋯⋯どう手首を捻っても外せない⋯⋯、動きの自由が効かない!)
血の流れを止められたその手首は、既に左右共に青白く変わっていた。
そして綾麿と鎌足、両者を繋ぐ下緒は、二人の間で拮抗したまま、まるで双方から引かれた綱のように、力強く⋯⋯ぴんと張り続けていた。
「⋯⋯さあ、鎌足の動きは封じた。⋯⋯この紅鬼、鎌足の命、⋯⋯蒼鬼の御主にくれてやろう。これで厄介な鬼切丸は決して抜けぬ。⋯⋯今ならば簡単に倒せるはずだ」
「⋯⋯はぁ!? ⋯⋯な、何を言い出すんだ!?」
「⋯⋯その代わりに内裏の暗殺の続行は諦めてもらう。⋯⋯だが既に中納言殿と少納言殿を殺めている上、紅影鬼までも斃せるのだ、日本侵攻の前哨戦としては、十分すぎる成果ではないのか? ⋯⋯蒼鬼の総大将への良い土産にもなる、⋯⋯それに何より、上級の鬼⋯⋯『修羅』となるべき道もこれで拓けるのではないか?」
「⋯⋯お、おいっ、⋯⋯は、早く解け! その下緒を離せったら! 早く! おいっ! このっ、綾麿ぉお!!」
「安心しろ。麿もこの通り、二本とも腕は使えぬ。今なら村雨は抜けぬ。⋯⋯さすれば、鎌足を殺した後は、御主を見逃がすしか手はない」
「⋯⋯はぁ!? ⋯⋯今度は、な、何を企んで!?」
「⋯⋯麿が江戸徳川や伊賀の忍を憎んでいるのも知っているだろう? 麿としてはこの憎き鎌足が殺されている事が分かり、満足している。⋯⋯もはや蒼鬼の生存や消滅にはさほど興味も無い」
「⋯⋯ッ、だから私は生きてる、って!! そんなことより、は、早く、早く離せったら! おい!? 綾麿ッ!! ⋯⋯解けよおぉ!!」
「⋯⋯麿の言葉を戯れ言と怪しむか? ⋯⋯ならば、手に入れた伊賀の記憶をどこまでも辿れ! ⋯⋯こんな女々しい青二才の小頭如きの技や力が、あの紅影鬼に通用すると思うか? 本当に勝てると思うか?」
「⋯⋯ぐ! 綾麿ぉ! 何度も言わせるな! 私は本当に紅影鬼に勝ったんだ! ⋯⋯くっ、綾麿⋯⋯いや、この蒼鬼め! ⋯⋯離せ! 解け! 早く!!」
鎌足は縛られた両手をばたつかせながら、必死に吠え続けた。
しかし抗えば抗うほどに、下緒は手首に食い込んでいく。
「さっきからわけの分からない話ばかり! ⋯⋯そうだ、小頭の言う通り、中将様、貴方の方が鬼だ!」
「小頭っ、この中将の詭弁にはもう我慢ができません! ⋯⋯この蒼鬼を三人の力を合わせて斃しましょう!!」
背中越しに聞こえた平次と大吾の力強い反発の声。
その声に後押しされた鎌足は、外そうと抗うのではなく、今度は下緒を引っぱるために掌に力を込めた。
だがそれでも下緒の張りは、びくともしない。
鎌足が出来る限り力を込めて下緒を引いても、反対側を握る綾麿は涼やかな顔のままだった。
「⋯⋯っ、何て力だ、公家の細腕のくせに」
綾麿を苦々しく睨みつけた鎌足は、この時ふと、あることに気が付いた。
(⋯⋯待て、この情景、⋯⋯前にもあった、⋯⋯あれは)
鎌足はこの時、とある記憶を思い返していた。
それは四年前、あの伊賀屋敷での、御頭や幻斎を前にした、熊手の陣内との激突。
鎖と下緒の違いはあるが、あの時も不意の鎖によって、鎌足は動きの自由を奪われていた。
(⋯⋯そうか、あの時と同じだ。⋯⋯よぉし、なら⋯⋯)
記憶に活路を見出した鎌足は、下緒に”抗う“でも“引く”でもなく、“押した”。
即ち、あの時に陣内を怯ませたように、敵の懐⋯⋯綾麿の方に向かって敢えて床を蹴り、飛び上がるように駆けていた。
そしてそんな鎌足の足には、まるで手で掴んだように、いつの間にか抜かれた脇差の刃が挟まれていた。
(⋯⋯これが、私の⋯⋯鎌足の名の由来だッ!!)
綾麿との間合いが縮まれば、下緒にも何らかの”弛み“が生じる。
弛ませた下緒ならば、足技で振り解くことができるかもしれない。
更に綾麿は、村雨と共にその両手は塞がれている。
まず村雨の刃による反撃を受けることはない。
それに綾麿も陣内同様に、まさか自分の元に鎌足から駆け寄るなど、全く想定はしていないだろう。
勝機は十分にあるように思えた。
(⋯⋯上手くいけば、肘打ちで綾麿を打ちのめせるッ! ⋯⋯もっと上手くいけば、脇差の刃で、綾麿の喉笛を掻っ切ることができるッ!!)
⋯⋯しかし、そんな鎌足の目論見は、一瞬にして打ち砕かれた。
鎌足の動きと狙いを瞬時に察知した綾麿は、後方へと颯爽と飛び退き、下緒を紙縒の束程も弛ませない。
そしてまるで後ろにも眼があるように、背後の壁を蹴って宙へと舞うと、下緒を握る手首を撓らせ、下緒に強烈な波動を生じさせていた。
その下緒を伝わる波動の渦に飲み込まれた鎌足の手首は、鎌足の身体をも巻き込んでいく。
「⋯⋯ぐ⋯⋯ああっ、⋯⋯そんなっ」
そして次の瞬間には、鎌足は弾き飛ばされるように詰所の床に一回転しながら、背中から激しく叩きつけられていたのだ。
「⋯⋯ぐはあっ」
宙を飛んだ脇差が、床へと突き刺さった。
そんな脇差の傍、鎌足が落下した場所は、先程まで立っていた場所とほとんど変わっていない。
下緒も変わらずに、みしみしと嫌な摩擦の音を立てながら、綾麿の掌と鎌足の両手首を堅く繋いでいた。
(⋯⋯な、何だ、今の動きは⋯⋯、一体何が起きたんだ!? ⋯⋯綾麿の方が後に動いたはずなのに、先に動いた私の速さを、動きを⋯⋯、上回る⋯⋯なんて、そんな馬鹿な!?)
苦しそうにふらふらと立ち上がった鎌足は、今しがた目の前で起こったことが信じられないといった驚きの表情を浮かべた。
綾麿の神業とも言える圧倒的な動きを目の前で見せつけられ、平次と大吾も言葉にならない声と共に、目を丸くしたまま固まってしまっている。
一方、綾麿はまるで何事も無かったように、下緒を握る腕を掲げ、涼やかに妖しく微笑んだ。
そして鎌足の狼狽を飛び越えて、ひたすら動揺を見せる平次と大吾に向かって言葉を続けた。
「⋯⋯ふふふ、これでよく分かったであろう、麿の力を。⋯⋯蒼鬼の『羅刹』如きが挑んでも、到底この麿には敵わぬ」
「⋯⋯い、今は油断していただけだ! 本気じゃない⋯⋯、⋯⋯ほ、本気じゃ⋯⋯なかった」
ぶつぶつと呟く鎌足を一瞥した綾麿は、鎌足のそんな精一杯の強がりを嘲笑った。
「⋯⋯ふふふ、よかろう。蒼鬼よ。この惨めな姿を晒している鎌足が、仮に紅影鬼では無く人間だったとしても、あの鬼切丸を所有している厄介な人間を討てるのだ。⋯⋯そしてこの場から一旦地獄へと退き、『修羅』となるために、その命を繋ぐことが出来る」
「おいっ、何だよ!? 惨め、って!? 本気じゃなかった、って言っているだろう!? それに紅影鬼じゃないってことも、さっきから言ってるだろう!? 私は鎌足だ!!」
「⋯⋯もし退くなら、麿は一切手は出さぬ、改めて約束しよう。⋯⋯よく考えろ、蒼鬼よ。悪い話ではあるまい。此処で暮れ六つの鐘と共に死ぬるか。それとも紅影鬼の首を土産に、妖力を高める足掛かりを得て生き延びるか。⋯⋯ふふふ、⋯⋯さあ、どうする蒼鬼!」
「⋯⋯っ、このぉ! 平次も大吾も二人は、“人”だ! ⋯⋯ッ! 今改めて確信した! ⋯⋯綾麿ぉ! やっぱり御前が鬼なんだな! その話は全部嘘だ、でたらめだ! 間違いないッ!」
「紅影鬼よ、この期に及んで悪足掻きか。まだ鎌足のふりをするか? ⋯⋯どんなに言い逃れをしようと、御前は既に蒼鬼の”贄“だ」
「だから! 何度も言わせるな! 私は鎌足だって! それに贄ってどういう意味だよ!? おい、頼むから外せ! この下緒を解けったら!!」
「⋯⋯ふふふ、さあ、蒼鬼よ、どうする? 今見ての通り、この者は十分に動けぬ。上級の蒼鬼『修羅』を斃す千載一遇の機会だ。暮れ六つの鐘が鳴り終えると共に、蒼炎鬼すらも凌ぐこの麿⋯⋯村雨の刃に斬られたいか? それとも。⋯⋯⋯⋯鎌足を滅して、逃げるは今!!」
「⋯⋯くそっ、言いたい放題⋯⋯、綾麿ぉ⋯⋯! この卑怯者! こんな陰湿な手じゃなくて、正々堂々と立ち合いで、真剣で、勝負しろ!!」
「⋯⋯さあ! もう下緒を解くぞ!? ⋯⋯決断しろ! 蒼鬼!!」
「⋯⋯伊賀の忍を甘く見るな! 綾麿! 御前の口車には騙されない! ⋯⋯っ、⋯⋯そうだ、解けないなら切ればいいんだ⋯⋯。⋯⋯⋯っ、平次! 大吾! 早くこの下緒をその刀で切ってくれ! ⋯⋯綾麿は間違いなく蒼鬼だ! 私が綾麿を斬る!! ⋯⋯さあ!」
鎌足が手首を差し出し、後ろを振り向いた。
⋯⋯その瞬間だった。
鎌足が心から信頼している一人の忍が、腰の刀を抜き、刃を振りかざしていた。
そしてその黒光りする刃は、綾麿が絡めた手首の下緒ではなく、鎌足の額に向けて振り下ろされていた。
「⋯⋯⋯⋯、⋯⋯え、⋯⋯何で? ⋯⋯え?」
鎌足の瞳に映る、見慣れた顔。
その見慣れたはずの顔と眼は今、主であるはずの鎌足への激しい殺意と、“絶対に生きる”という生存本能で、禍々しくぎらついていた。
⋯⋯鎌足の眼前に凶刃が迫る。
「⋯⋯やはりそちらが蒼鬼か」
蒼鬼の正体を改めて見届けた綾麿は、妖しく笑みを浮かべた。
「⋯⋯ふふふ、鎌足よ。望みは叶えてやった。最後まで仲間と信じ、守り抜こうとした者。その面を被った葬魂の蒼鬼に殺されるのだ、心おきなく、死ね。⋯⋯そして永遠の苦しみが待つ、蒼の無間地獄へと堕ちるがよい」━━━━。
第45話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください。(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)
次回、第46話「慟哭」は、4月4日投稿予定です。




