第41話 暗殺
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち伊賀御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。内裏では男装をし、初の警備の日を迎えたのだが⋯⋯。
平次━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足の身だしなみには特にうるさい。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
大吾━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験にも乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
━━━━鎌足が綾麿を毒の首謀者と断定し、密かに殺害しようと決意を固めていた頃。
人目を避けるように忍び足で、御所内で一際豪華な装飾が施された広い廊下を歩く、一人の忍装束の男の姿があった。
(コノ先ハ、関白、摂政、大納言、中納言⋯⋯、位ノ、高イ、人タチノ、部屋ニ、繋ガッテイル⋯⋯)
眼前の廊下の奥から、手に長い笏を手にした恰幅の良い公家が一人、悠然と歩いてくるのが男の目に入った。
男はにやりと微笑むと、廊下の端に寄り、無言で膝をつき、礼に則って深々と頭を下げた。
「⋯⋯おお? 何や、そなた? 今日から東番を務める、忍とか申す者の一人かや? ほほほほ⋯⋯、麿の名は、梅小路中納言義久。⋯⋯このような場所に得体の知れぬ装束で、無粋な。⋯⋯此処はそなたのような下賤の者が、気安く来れる場所ではおじゃらぬ。空気が汚れまする。早々に立ち去られよ。⋯⋯まあ、今宵は帝やこの麿を命を懸けて守り、せいぜい忠義に励むが良いぞ」
中納言と言えば、文官上位の位である。
中納言は跪く男に対し、塵や芥を見るような蔑んだ視線と言葉を浴びせた。
しかしそんな蔑みを受けたにも関わらず、跪き頭を垂れた男は、音も無く笑っていた。
男はどうやら、この身分の高い公家と会えたことが、嬉しくて堪らないらしい。
(ドンナ、嫌味ナ、公家ト、話シテモ、顔ハ、笑顔デ、舌ハ、心ノ中、ダケデ、出スンダ⋯⋯)
声は無い。
笑う男の口元だけが、記憶を辿り、何かを思い出すように動き、舌舐めずりをする。
中納言の方は、その謎の笑みには気付いていない。
下を向いたままの男の横を、何かを祓うようにわざとらしく笏を揺らしながら、通り過ぎようとした。
⋯⋯その時だった。
跪いていた男は突然、背後からいきなり中納言に襲いかかり、手の笏を強引に奪い取った。
そして何が起きたか分からず唖然としている中納言を羽交い締めにすると、その口の中に奪った笏を思い切り押し込んだ。
「⋯⋯な⋯⋯ッが! ⋯⋯が⋯⋯が⋯⋯ぐがッ⋯⋯」
中納言が声にならない声で、泣き喚く。
口は笏で塞がれている。
助けを求める言葉どころか、呼吸すらもできない。
そんな辛さと痛みが混ざった嗚咽が、この二人以外は誰も居ない廊下に虚しく鳴り響いた。
それでも男の暴挙は止まらない。
男はその暴挙を、むしろ”愉しんで“いた。
「⋯⋯が、が、⋯⋯ほご⋯⋯が、ぐぁ、がぁっッ!」
そして⋯⋯。
長い笏はその全てが、中納言の喉の奥へと消えていった━━━━。
━━━━「⋯⋯⋯⋯れ⋯⋯か⋯⋯誰か! ⋯⋯誰か来てぇ! ち、⋯⋯中納言様が! 中納言様がぁッ⋯⋯!!」
それは突然の声だった。
広い御所の何処かから、耳を劈くような女性の叫び声が聞こえた。
その叫び声は、明らかに普通ではない。
何らかの不測の非常事態が起きたことは、誰の耳にも明らかだった。
鬼が最も現れやすいという”暮れ六つ“までには、まだ半刻(※1時間)と少しある。
とは言え、御所の外に屋敷を持つ公家たちにとっては、退所の準備を始める時刻。
また御所の中を生活の拠とする位の低い者たちにとっても、自室へと戻って固く戸を閉ざし始める時刻。
皆の心が鬼の脅威にざわめき始める⋯⋯。
そんな時刻の最中、御所内中に響いたこの女性の叫び声は、耳にした者全ての心の臓を激しく鷲掴みした。
何事が起きたのか、いや、鬼が早くも現れたのか。
その声の場所を突き止めよう、いや離れよう。
皆それぞれに困惑と恐怖を顔に浮かべながら、廊下を右往左往していた。
⋯⋯その声の出何処は、位の高い文官が使う奥座敷の近くの廊下からだった。
「⋯⋯おおお、何と!? 此れは一体どうした事!?」
「ち、中納言殿が⋯⋯、し、死んで⋯⋯おじゃる!」
「⋯⋯嗚呼、何んと惨たらしや、恐ろしや⋯⋯」
その突然の声や騒ぎの音は、中庭に居た鎌足の耳にも入ってきた。
綾麿が背後を通り過ぎた後も、鎌足は身体を震わせながらまだ太柱の陰に居た。
今にでも綾麿を背後から襲いかかってしまいそうな、そんな血気に逸る気持ちを、少しでも落ち着かせようとしていた。
そんな中で耳にした、この絶叫と騒ぎの声。
走り回る、多くの足音。
鎌足は、はっと我に返った。
「⋯⋯な、何が起きた!? ⋯⋯行かなきゃッ!!」
鎌足は、急いで騒ぎの音を辿る。
内裏の幾つもの廊下を駆け、幾つもの角を曲がり、人混みを素早い動きですり抜け、叫び声のした現場へと疾走り駆けつけた。
現場の廊下には、様々な位の文官や女官はじめ、下級官吏、着替え中の今夜の警備兵に至るまで、既に十数名もの人集りが出来ていた。
「⋯⋯ッ! 小頭、さっきの叫び声は一体!?」
「⋯⋯! 何事!? まさか鬼が現れたのですか!?」
そして鎌足にやや遅れて、御所の中を偵察していた平次と大吾もすぐに現場に姿を見せた。
「⋯⋯今の声は!? 一体何事ぞ!?」
更に、抜刀した何人かの武官を引き連れた、近衛大将兼季までもが、その場に駆け込んできた。
⋯⋯其処には。
公家が儀礼で使う笏を口に突っ込まれ、窒息死した憐れな中納言の亡骸が横たわっていた。
押し込まれた笏が喉や気道を傷つけたのか、亡骸の口からは赤い血の筋が流れている。
目を見開き天井を見つめ、その両手はもがき苦しんだように、空の何かを掴もうとしていた。
「⋯⋯こ、これは⋯⋯!? まさか鬼が!?」
鎌足が顔を顰め、狼狽する。
(⋯⋯いや、違う、まさか!?)
鎌足の心の目に、鬼の形相と化した綾麿が、愉しそうに笑いながら、中納言の口に笏を押し込んでいる⋯⋯、そんな狂気の残像が浮かぶ。
「⋯⋯あ、綾麿の仕業だ! あや⋯⋯ッ」
鎌足は思わず綾麿の名を叫びそうになった。
そして慌てて口を噤んだ。
その疑惑をこの場で口にしても大丈夫なのか。
それともこの凶行は、別な鬼の仕業なのか。
鎌足の頭の中を、様々な推察が駆け巡る。
(⋯⋯っ、待て、内裏警備の今日の責任者はこの私⋯⋯、ということは、綾麿、まさか私に警備不行き届きの咎を負わせよう、そう企んだのか⋯⋯!?)
犯人が誰でも、理由が何れにしても、東番頭を預かる立場として、中納言を守れなかったこの事態は、決してただで済むとは思えなかった。
(しまった⋯⋯、内情の偵察や毒の首謀者探し、綾麿に気を取られて、大事な本分を見失っていた⋯⋯)
中納言の亡骸を取り囲む人の輪の中で、鎌足は顔を引きつらせる。
そんな鎌足の存在に一人の公家が気付き、今にも鎌足の胸ぐらを掴みそうな勢いと剣幕で、声を荒げ始めた。
そして自身の笏で、鎌足の胸を何度も叩き始めた。
「新しき東番の鎌足殿っ! これは⋯⋯、どういう事じゃ⋯⋯? お、鬼に、鬼に中納言殿が命を奪われましたぞ!? ⋯⋯そ、そなた、警備はどうした? 警備は!?」
「⋯⋯いえ、暮れ六つには少し刻がありましたので⋯⋯、まだ警備は始めてはいなかったです⋯⋯」
「⋯⋯な、な、な、何と! 何と、何と? 何という失態じゃ! そなたの警護の番の日ぞ。暮れ六つ前から気を引き締めるのが、筋というものじゃ。油断では済まされませぬぞ。⋯⋯鎌足殿、この責任、どう取られるおつもりか!?」
「⋯⋯いえ、⋯⋯あの⋯⋯、それは⋯⋯」
周りの公家や女官たちも、その公家の追及に同調したように、蔑みの視線を一斉に鎌足に投げかけ始めた。
鎌足はしどろもどろになり、返す言葉に詰まる。
「⋯⋯く、くそっ!⋯⋯、小頭に何という無礼を!」
小頭を愚弄されては黙ってはいられないとばかりに、憤った大吾が、公家と鎌足の間に入ろうとする。
(⋯⋯待て、今は状況が悪い、落ち着け)
平次がそんな大吾を腕で制止し、今は駄目だとばかりに首を横に振った。
更に強さを増した公家の笏が、鎌足の胸を容赦無くばんばんと打ち叩いた。
「どう、した、の、じゃ! 鎌足殿!? あのその、では済みませぬぞ。今この場で腹を切り、亡き中納言殿に詫びを入れるのが、江戸の武士というものじゃろう!」
「⋯⋯あ、いえ、あの⋯⋯、その⋯⋯」
「この期に及んで、何を言い訳なさるか!?」
「⋯⋯武士ではなくて、⋯⋯忍です」
「⋯⋯ほ!? そんなことを聞いているのではござらぬ! せ、き、に、ん、をどう取られるか、と聞いておるのじゃ! 腹切りじゃ、腹切りしかあるまいて!」
今は白塗りは随分薄くなっているものの、鎌足はこの公家の顔に見覚えがあった。
あの初日の紫宸殿の謁見の儀の際、鎌足はこの男から散々に罵られていたからだ。
男装の羽織袴を着ている鎌足が、実は女性だということも当然に知っているはずだった。
それにも関わらず、公家は笏を鎌足の頬に押しつけたり、胸を直接に手で小突いたり、最後はこともあろうか笏で腹を切る仕草までしてみせた。
「⋯⋯う、⋯⋯す、すみません、あの⋯⋯、その⋯⋯、すみません、本当にごめんなさい」
鎌足はただ、ひたすらに頭を下げることしかできなかった。
(「おおお、腹切りじゃ、腹切りじゃ⋯⋯、江戸者が潔く腹を掻っさばくそうな⋯⋯」)
(「此れは此れで至極見ものじゃ、⋯⋯さあ、はよ、はよ⋯⋯、はよ、お斬りなされ」)
(「⋯⋯“天罰”じゃ、身の程をわきまえず、図々しく振る舞うた罰が当たったのじゃ⋯⋯」)
幾重にも重なった人集り⋯⋯その中心で項垂れる鎌足を取り囲む、邪な表情を浮かべた公家たちの輪。
この輪の中心で生まれた極刑を求める声、そして同調する声は、今は嵐が近づいている波のように、輪の外へ外へと拡がっていた。
「誰ぞ! 馬小屋から茣蓙を持って来や! 中庭に早う敷くのじゃ。此処で腹を切られては、神聖なる御帝の御殿が、江戸者の血で汚れまする!」
「あ⋯⋯、⋯⋯ほ、本当に今、この場で、腹を⋯⋯?」
「介錯人も刀もいらぬぞ! この者は鬼切丸という、妖しげな刀を隠し持っているはず。その刀で介錯無しで腹切りじゃ。ほほほほ⋯⋯、丁度良いわ、今日からは鬼切丸ではのうて、腹切丸と改銘じゃ!」
「あの⋯⋯、その⋯⋯、うぅ⋯⋯は、腹⋯⋯うぅぅ」
その拡がる波の大きさと相反するように、責め立てられる鎌足の声は段々と小さくなっていった。
⋯⋯その時。
中納言の亡骸やその周囲を念入りに調べていた大将の兼季が、鎌足と問い詰めた公家との間に割って入った。
「⋯⋯待ちなさい、大八木殿」
威厳に満ちた凛とした声だった。
内裏における武官の大将としての地位は、やはり他の者を圧倒する相当な力があるのだろう。
公家たちの怒りや嘲りを代弁していた、鎌足の胸や頬を叩く笏の動きがぴたりと止まった。
兼季に呼び掛けられた公家自身も、更なる罵りの言葉を飲み込まざるをえず、顔に悔しさを滲ませながら、もごもごと唇だけを動かしている。
「⋯⋯か、兼季様?」
思わぬ助け舟に、鎌足が驚きの表情を見せた。
「⋯⋯各各方、よく聞かれい。この非常時、そのような無意味な戯れ事をしている場合か。それに鎌足殿を責めるは筋違いというもの。⋯⋯これは鬼の仕業に非ず」
この兼季の毅然とした態度とまさかの断言に、その場にざわめきが起きる。
「周囲に爪痕も無ければ、おぞましき凶刃の痕も無い。更に中納言殿が逃げ惑った様子も無い。第一、笏を殺害に使うなど⋯⋯、私の見立てによれば、これは鬼の仕業ではなく⋯⋯」
⋯⋯そして、そのざわめきから繋がるように、その場に居るほぼ全員が静かに息を呑んだ。
「⋯⋯”人“の仕業だ」
この兼季の一言で、一度引いた波は再び荒波となって場に押し寄せた。
まるで身体の中に溜めていた不安が一気に外に吐き出されるように、あちらこちらで驚き混じりの短い嗚咽や狼狽が相次いだ。
「⋯⋯鬼ではない? ⋯⋯としたら一体誰が⋯⋯」
「⋯⋯この中に⋯⋯ひ、人殺しがいるのかや⋯⋯」
公家や女官たち、その場に居る全員の顔に深い動揺が広がっていく。
⋯⋯しかしこの時。
その場の人集りから少し離れ、豪華絢爛な刀を手に、この喧騒を眺め始めた者が一人居た。
⋯⋯不知火中将綾麿である。
綾麿は、現場に今駆け付けたばかりの警備兵を見かけると、声を掛けた。
「⋯⋯今日の江戸の東番。鎌足の他、伊賀の手勢は何人来ている? ⋯⋯確か一昨日の当初の申告では、手勢の数は三人だったはず。その内の一人は絶対に来ないのは知っている。⋯⋯残りの二人のうち、今日来ている者はいるのか?」
「⋯⋯え、絶対に来ない? ⋯⋯は、はぁ⋯⋯、た、確か、今日は御二人とも見えられてますよ。平次様と大吾様という名です。この御二人に鎌足様を加えた御三方で、今日は東番頭と補佐役をお務めになる手筈となっています。⋯⋯中将様の代わりに⋯⋯」
「⋯⋯二人」
「⋯⋯ええと、⋯⋯ほら、あそこに鎌足様と、その御二人も⋯⋯」
警備兵は、混乱の人集りの中にちらちらと見える、鎌足、平次、大吾の三人を指差した。
「⋯⋯⋯⋯」
平次と大吾の姿を確認した綾麿は、その二人の顔や挙動を暫く見つめた後、軽く溜め息をついた。
そして次に、呆然と立ち尽くしている鎌足の横顔に視線を移した。
綾麿はそれ以上は何も語ることはなく、また警備兵に尋ねることもなく、人混みの切れ間からたまに見える鎌足を、ただじっと冷静に見つめ続けていた。
綾麿の刺すような鋭さを持った、刃のような視線。
人混みの中、気が動転している鎌足は、視線に全く気が付かない。
「⋯⋯⋯⋯」
綾麿が身を翻し、その場を立ち去ろうとした。
⋯⋯その時だった。
「うあああああああああぁぁぁぁぁぁ⋯⋯⋯⋯」
二度目の叫び声が、御所内に響き渡った。
今度は、男性の低く唸るような大きな声。
怯えきった心の臓を更に鷲掴みにされる。
今この場で中納言の悲惨な亡骸を囲んでいる、その誰もが再び心の底から震え上がった。
「⋯⋯⋯⋯」
鎌足に背を向けた綾麿が、叫び声の聞こえた西の方角に目を流す。
「⋯⋯ッ! また⋯⋯!? 今度は⋯⋯向こうからか!」
東番初日に、これ以上の失態は許されない。
鎌足は即座に身を翻すと、その場に居並ぶ誰よりも素早く、その叫び声の聞こえた方向へと駆け出していた━━━━。
第41話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪(いつも無数の誤字脱字ばかりで、すみません)
次回第42話「第二の暗殺」は、3月24日投稿予定です。




