↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編 四

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/107

第40話  すれ違い

【登場人物紹介】


不知火綾麿(しらぬいあやまろ)━━━━

 従三位(じゅさんみ)中将(ちゅうじょう)。帝と日本を守る『六歌戦(ろっかせん)』の一人。謎の妖刀『村雨(むらさめ)』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨(むらさめ)の真刃(しんば)と鞘刃(さやば)を使った不知火(しらぬい)二刀流(にとうりゅう)の使い手。江戸の徳川政権を何故(なぜ)か激しく憎んでいて、鎌足(かまたり)たち伊賀御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。


伊賀の鎌足(かまたり)━━━━

 江戸城の公儀御庭番(こうぎおにわばん)伊賀組の小頭(こがしら)の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎(げんさい)に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸(おにきりまる)』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。平次(へいじ)と大吾(だいご)と共に、御所の初東番警備へと向かう。


平次(へいじ)━━━━

 伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足(かまたり)の身だしなみには特にうるさい。鎌足(かまたり)と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。


大吾(だいご)━━━━

 伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験にも乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。鎌足(かまたり)と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。


 ━━━━東番初日。

 

 刻(とき)を知らせる“三つ鐘”が鳴り響く。

 申(さる)の刻(※午後15時〜17時)を迎えていた。


 鐘の数と同じく、鎌足(かまたり)が御所の中を歩くのも三度目になる。


 しかし、昨日までとは明らかに異なることが、二つあった。



 ⋯⋯一つ目は、今日も用意されていた案内を、きっぱりと断ることが出来たということ。



「⋯⋯いえ。今日は案内(あない)の御伴(おとも)は結構です。昨日と一昨日で、ちゃんと“頭に入って”ますから。私、こう見えて実はそこそこ賢いんです。東番頭(ひがしばんがしら)を相務める者として当然ですよ。(⋯⋯なんてね。案内役さんがいると今日はちょっと邪魔なんだ)」


 案内役が居ないことで、内裏(だいり)の動きの自由も効く。

 昨日の案内の最中、麒麟(きりん)の刃から鎌足(かまたり)に命を救われた案内役は、何度も何度も鎌足(かまたり)に礼を述べ、頭を下げていた。



「⋯⋯鎌足(かまたり)様、昨日は私の命を救って頂き、ありがとうございました。九死に一生、本当に助かりました。⋯⋯昨日見ての通り、北南の番の少将(しょうしょう)麒麟(きりん)様は、一度怒らせたら手が付けられない⋯⋯怖い御方なんです」


「私も気をつけます。⋯⋯でも少将(しょうしょう)様はいつもあんな感じなのですか。あれでは内裏(だいり)の皆も大変でしょう?」


「ええ⋯⋯、位階(いかい)の高い方々の前では、普段はにこにこしてるんですが⋯⋯、私たち下々の者には無理難題ばかり仰(おっしゃ)られて⋯⋯。でも一度でも逆ったり機嫌を損なえば、地位や役職を剥奪されたり、下手したら本当に命までも⋯⋯、あ⋯⋯、この発言はどうぞ御内密に⋯⋯」


「勿論(もちろん)ですよ。御安心を、案内役(あないやく)さん。⋯⋯いえ、改めて御礼を言わないといけないのは此方(こちら)のほうです。昨日一昨日と丁寧な案内(あない)、本当にありがとうございました」


 頭を下げた鎌足(かまたり)は、昨日案内役に振り下ろされた麒麟(きりん)の白鞘(しろさや)の刃を、自然と思い出していた。

 綾麿(あやまろ)の“白鞘(しろさや)の謎掛け”はともかくとして、あれは間違いなく本気で案内役を殺しにかかっていた、文字通りの“凶刃”⋯⋯狂気の刃だった。



(⋯⋯昨日は麒麟(あいつ)の警備の番だった。でも誰かに指示を出したり脅したりして、毒の甘酒を届けさせることは可能かもしれない。麒麟(あいつ)に逆らったらどうなるか分からないからな、弱い立場の女性(にょしょう)が断るのは難しいだろう。⋯⋯動機はある。よく考えてみたら、麒麟(あいつ)も毒の首謀者の可能性はありそうだな。⋯⋯やっぱり綾麿(あやまろ)を首謀者だと決めつけるのは早計だ)



「番の日が違うので、あまりもう接点は無いかもしれませんが⋯⋯、どうかお気をつけて⋯⋯、そして初の東番、無事に終えられることを心から願っております」


「案内役(あやいやく)さん、精一杯頑張ります。そして帝の御命を、内裏の皆を、絶対に鬼から守ります。⋯⋯では。色々と準備があるので、これにて⋯⋯」



 ⋯⋯そして二つ目。


 それは、今日は平次(へいじ)と大吾(だいご)も一緒だということ。


「平次(へいじ)さん、どう思います? 毒の首謀者。小頭(こがしら)に刃を向けたという、その麒麟(きりん)って白鞘(しろさや)の小さい公家(やつ)も、かなり怪しいですよねぇ?」


「それはまだ何とも言えないな。昨日追跡した綾麿(あやまろ)を含め、此処(ここ)には他に怪しい公家、我々に敵対心を抱く輩(やから)は何人も居るだろう。よく調べてからだ」



 鎌足(かまたり)の後ろでいつもの声が聞こえる。

 それが鎌足(かまたり)は何よりも心強かった。


 仲間とくぐることができた正門と、案内役からの期待の声を前にして、鎌足(かまたり)には万感の思いと共に、改めて東番への決意が湧き上がってきていた。


 鎌足(かまたり)は、亡き甚左(じんざ)の用意してくれた羽織袴(はおりはかま)の袖を、ぎゅっと強く握りしめた。


(甚左(じんざ)、見てるか。いよいよだぞ。三人じゃない、四人で今歩いてるんだ。⋯⋯初の東番、皆で乗り越えような)



 内裏(だいり)の中へと続く廊下を踏みしめるたびに、床がみしみしと軋(きし)む。

 しかし”軋(きし)む“のは床だけではなかった。


(痛たたた⋯⋯腕に肩に背中に⋯⋯腹もか、まだ身体の色々な場所が痛む⋯⋯。だけど東番頭(ひがしばんがしら)として門をくぐったからには、もう泣き言は言ってられない)


 何時(いつ)現れるとも知れない、鬼への警戒。

 極秘裏に課せられている、内裏(だいり)の探索。

 そして毒酒を宿に届けた、首謀者や女性(にょしょう)の探索⋯⋯。


 綾麿(あやまろ)の”本当の“生死の確認⋯⋯人か鬼かを見極めることだけは、綾麿(あやまろ)が非番のために今日は叶わない。

 とは言え、警備の終わりの明け六つまで、やるべきことは山のようにあった。

 暮れ六つまでは残りおよそ一刻(※2時間)。

 一秒とて無駄にはできない。



 鎌足(かまたり)は痛みを堪えて、足早に廊下を進んだ━━━━。









 ━━━━この二日間、外で待機を余儀なくされていた平次(へいじ)と大吾(だいご)の二人にとっては、初めてその目で直に見る立派な御所の内部。

 何を見るにしても、感嘆の溜め息と共に目を丸くしている。

 鎌足(かまたり)はそんな二人に、「あれは何で、これはこう」と、まるで自分が案内役になったように得意気に説明を続けた。


 

 三人は奥へ、奥へと、進む。

 

 広大な御所のまだ中央手前⋯⋯中下級の官吏が働く辺りの廊下。


 出会う人間たち⋯⋯男女や年齢を問わず全ての者に対して、挨拶の笑顔の裏に忍の眼を潜ませながら、些細な表情の変化や一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)に注視する。


 鎌足(かまたり)は昨日までとは違い、忍装束を纏(まと)った男性二人を連れている。

 内裏(だいり)の景色とはまるで馴染まない、異風の三人が並んで歩く姿は大いに目立った。


 平次(へいじ)も大吾(だいご)も、鎌足(かまたり)同様に、仕掛けられた毒の罠を生き延びている。

 自ずとその毒の首謀者の目に入るはず。

 そして驚きや動揺は、表情や態度や仕草など何らかの形で表れるはず。

 そう睨んでいた。

 

 だがしかし、単に物珍しさだけの視線を浴びせてくる公家(おとこ)や女官(おんな)はいたものの、此処(ここ)までは特に不審に感じるような人間はいない。

 平次(へいじ)はともかくとして、拙い剣腕の大吾(だいご)までもが恐ろしい剣の達人に見えるのだろうか。

 鎌足(かまたり)が通り過ぎた後の恒例行事と化していた”ひそひそ話“も、昨日一昨日よりは明らかに少ないように感じられた。



(⋯⋯ここまでは該当者無し、か。でもまだ中下級官吏の働く場だ。注意すべきはこれから。区域の境(さかい)となる、内裏(だいり)中央の渡殿(わたどの)を越えたあたり⋯⋯、位の高い公家たちの集まりだす場所からだ)



 御所の中は、位階(いかい)の高い公家たちと、中下級の公家や官吏たちとの務め場所の線引きが、鎌足(かまたり)の想像以上に厳格になされていた。

 この二日間で得た知識はあるものの、まだ内部事情を完全に把握できていない鎌足(かまたり)にとって、人の配置がある程度想定できるこの“身分による区分”は、大いに助かっていた。


(分かり易いが⋯⋯、裏を返せば、狙われ易い、ってことにもなる⋯⋯。防衛面から言えば、あまり良いことでは無いかもしれないな)



 中下級官吏の働く慌ただしい区域を抜ける。

 鎌足(かまたり)は、上級公家たちが常駐する内裏(だいり)の奥へと繋がっていく、長い渡殿(わたどの)の前へと辿り着いた。

 入口で案内役から聞いた話によると、この先をもう少し進むと、今日の東番専用の別の案内役が付くらしい。

 


(流石に重要な区域は、私たち三人だけで⋯⋯ってわけにはいかないか)



 渡殿(わたどの)を渡りきった時、ふと大吾(だいご)が鎌足(かまたり)に問いかけた。


「⋯⋯小頭(こがしら)? こちらの立派な廊下は何処(どこ)に繋がっているのですか?」


 そう言いながら、大吾(だいご)は正面に続いている廊下ではなく、横へと続く一際幅の広い豪華な造りの廊下を指差していた。


「⋯⋯ああ、この先は確か、今日は居るか分からないけれど、関白(かんぱく)様とか摂政(せっしょう)様の部屋があるんだ。あと、大納言様とか中納言様とか、位の高い人たちの執務の部屋にも繋がってるはずだよ。案内役さんにこの先は昼間むやみやたらに彷徨(うろつ)くな、ってきつく釘(くぎ)を差されたから」


「⋯⋯へぇ〜。位の高い方々が⋯⋯、この先に。⋯⋯はぁ、そうなんですね、⋯⋯ふーん」


「こら大吾(だいご)。この先は今日は駄目だ。覗いたりするなよ。まだ初日。派手な動きは慎め」


 豪華な廊下の奥を見つめ続ける、そんな興味津々な大吾(だいご)を平次(へいじ)が冷静に戒める。


「⋯⋯はは、大吾(だいご)、我慢我慢。東番を何回か重ねたら、そっちにもこっそり探索範囲を広げよう。今日はまず、正面(こっち)からだ。⋯⋯この先は、毒の首謀者が居てもおかしくない、“不穏”と”疑惑“の溜まり場だ。謁見(えっけん)の時に居た公家達(やつら)も大勢居るはずだから⋯⋯」



 鎌足(かまたり)は正面に伸びた廊下の先に、鋭い視線を送る。

 そしていよいよ、御所の”本丸“に向けて、一歩を踏み出した━━━━。









 ━━━━申(さる)の刻が半ばに差しかかったことを告げる“四つ鐘“が、近隣の寺から鳴り響く。



 そんな中、鎌足(かまたり)たち三人は、待機していた案内役の男に、襖(ふすま)の無い開かれた広い奥座敷に通されていた。


「⋯⋯此方(こちら)で番が始まるまでは暫(しば)しお待ちを。此処(ここ)は警備の番頭(ばんがしら)様の差配(さはい)場所ともなっております。私(わたくし)の役目はこれにて。⋯⋯どうぞ、ごゆりとおくつろぎを⋯⋯」


 そう告げて、案内役はその場を立ち去っていった。


 この奥座敷は、鎌足(かまたり)も初めてだった。

 番頭(ばんがしら)しか入れない部屋なのかもしれない。

 座しながら、三人で座敷の周囲を見渡す。


 この奥座敷(ばしょ)は、かなり広い中庭にも面している。

 今通ってきた廊下⋯⋯身分の低い公家や官吏の駐在する区画にもすぐに移動できる上、位置的に考えて紫宸殿(ししんでん)や清涼殿(せいりょうでん)にも抜ける事ができそうだった。

 警備の指揮を取る場所としては、これ以上ない最適な位置に思えた。



「⋯⋯こんな中庭や奥座敷もあったんだ、やっぱり御所(ここ)はとてつもなく広い。⋯⋯無数の座敷に神殿の間、寝所に庭園、紫宸殿(ししんでん)に、そして禁忌(きんき)の清涼殿(せいりょうでん)⋯⋯」



 多くの場所を守らなくてはならない、鬼の襲来に備える東番の任務は、勿論(もちろん)この鎌足(かまたり)たち伊賀忍の三人だけで行うわけではない。


 鎌足(かまたり)を番頭(ばんがしら)。

 平次(へいじ)と大吾(だいご)を番頭補佐(ばんがしらほさ)。

 加えて、三人の下には、朝廷の傘下の下級武官たち約五十人程が従事する、と聞いていた。

 そして各々が刀や弓などの武器を手に、この広い御所の各所を巡回することになっていた。


(五十人か⋯⋯、この広さに比して、それでも少ないな。大将の兼季(かねすえ)様も言っていたけど、既に大勢の警備兵が鬼の犠牲になっているから、人手が足りない⋯⋯、ということか?)


 鎌足(かまたり)たち三人は、拠点となるこの奥座敷に陣取り、彼ら下級武官への細かな指示を行ったり、各所からの報告を受けては次の動きを指示したり、これからの夜半に御所で起こる出来事の“全責任”を背負うことになるのだ。

 その最たるものが、「清涼殿(せいりょうでん)に侵入を許した場合は、警備責任者は死罪」という厳格な決まりだった。


 その清涼殿(せいりょうでん)の帝の寝所⋯⋯夜御殿(よんのおとど)周辺には、大将(たいしょう)の兼季(かねすえ)率いる精鋭揃いの御帝親衛隊(みかどしんえいたい)が、鎌足(かまたり)の差配(さはい)とは別に恐らくもう待機していると思われた。

 


(⋯⋯清涼殿(せいりょうでん)の探索は、今日はもう無理そうだな。でも⋯⋯)



 東番の任開始の刻(とき)⋯⋯暮れ六つにはまだ早い。

 だがそれまでの残された時間が、今日の鎌足(かまたり)たちにとっては非常に重要だった。


(よし、清涼殿(せいりょうでん)以外の探索なら、まだ十分に動ける。申(さる)の刻も半ばを過ぎたし、内裏(だいり)の文官たちの仕事も終わるはず。人の動きが活発になる。それとなくすれ違う人の反応を窺(うかが)い回るには、都合が良い時間帯だ。⋯⋯毒の件だけじゃない。江戸幕府を敵対視するような動向(うごき)がないかも調べなくては⋯⋯、のんびりしてなんかいられない。任務はもう始まっている)



 鎌足(かまたり)は、平次(へいじ)と大吾(だいご)にそっと目配(めくば)せする。

 目は口ほどに物を言う。

 二人も即座に鎌足(かまたり)の意図を察した。


 隠密作戦に長け、急な事態にも臨機応変に対応できる平次(へいじ)。

 そして潜入経験はまだ浅いとはいえ、やる気に溢れた大吾(だいご)。


 二人は音もなく立ち上がると、周囲の目を警戒しながら座敷から抜け出し、それぞれ左の廊下と右の廊下に別れて去っていく。



 座敷の左右に伸びる通路、その奥へと二人が消えていったのを見届けた鎌足(かまたり)もまた立ち上がる。

 そして正面に伸びている、残り一つの廊下へと歩みを進めた。



 この廊下の先は、中(ちゅい)の上(じょう)から上(じょう)の下(げ)の位の公家たちの、日々の務めを果たす執務部屋に繋がっている。


 一人で歩く鎌足を見て、訝(いぶか)しげに見つめてくる公家が何人か見られた。

 鎌足(かまたり)はそんな公家たちとすれ違うたび、その顔色や表情の変化に注意を凝らし、何か怪しい点は無いかを確認する。


(⋯⋯昨日までとさほど変わりなし、か。位は高いかもしれないが、どいつもこいつも相変わらず小物感しかない公家(やつら)ばかりだ。⋯⋯毒を盛るどころか、幕府への反逆を企むような、注意すべき器量(きりょう)を感じる公家は皆無だな)



 見た限りは、焦りの表情を浮かべたり、怪しい動きをする者は、誰一人としていない。

 ただ毎回、通り過ぎた後には背後から、蔑(さげす)みの呟きが必ず聞こえてくる。


 鎌足(かまたり)は心の中で耳を塞いだ。

 

(⋯⋯今は御前たち白塗り御歯黒(おはぐろ)の小物(こもの)の戯(ざ)れ言に、じっくりと耳を傾けている暇(いとま)はない)



 その後も形だけの会釈を何度か繰り返しながら進み、鎌足(かまたり)は廊下の突き当たりを、今まで案内されてきた左ではなく、初めて右へと曲がった。


(⋯⋯あ)


 急に視界が拓(ひら)けた。

 先程通された奥座敷に面した中庭も十分に広かったが、それを更に上回る広さの白砂引きの中庭が、鎌足(かまたり)の目に飛び込んできた。


 其処(そこ)は、御所から繋がる大きな神殿の軒先に当たる場所だった。

 御所で最大を誇る、玉砂利庭園に隣接しているようで、中庭越しには紫宸殿(ししんでん)や正門がはっきりと見える。

 そしてその中庭には、たくさんの桜の木が咲き誇っていた。


 ⋯⋯目を奪われんばかりの美しさだった。



 申(さる)の刻はとうに回り、文官たちの出仕(しゅっし)の刻限も終わりを迎えていた。

 鬼への畏怖(いふ)が芽生え始める暮れ五つまでは、まだ少し時間がある。

 この風情に溢れた中庭は、御所の中において、文官の公家や女官(にょかん)たちの憩いの場でもあるのだろう。

 内裏(だいり)での一日の最後の時間(ひととき)を皆で楽しもうと、蹴鞠(けまり)をする何人かの文官公家や、立ち話に花を咲かせている女官(にょかん)たちの姿が見えた。


(それにしても今日は良い天気だなあ⋯⋯、映えある東番初日にはもってこいだ)


 季節は春真っ盛り。

 夕刻が近付いているが、今日はまだ陽射しが強い。

 ”被衣(かつぎ)“と呼ばれる日除けの薄い服を頭から被っている女官(にょかん)や、手拭いのようなもので汗を拭いている文官も何人か居た。


 きっと今目にしている情景が、内裏(ここ)の春の日常の風景なのだろう。



(⋯⋯見知らぬ顔ばかりだなあ。⋯⋯まあ当たり前か。今までは特に変わった態度を取る者もいないし⋯⋯。中庭(ここ)にも何も得る情報は無いかもしれないな。さて⋯⋯と、次は何処(どこ)に向かおうかな。⋯⋯やっぱり清涼殿(せいりょうでん)⋯⋯行ってみようかな)



⋯⋯(『夜御殿(よんのおとど)の御簾(みす)は⋯⋯決(け)して開けてはならぬ』)⋯⋯



 鎌足(かまたり)は頭では、清涼殿(せいりょうでん)の探索は難しいと分かっていながらも、あの綾麿(あやまろ)から告げられた言葉の意味が気になって仕方が無かった。

 忍としての”本能“が疼(うず)いていた。



(⋯⋯でもなぁ、流石に清涼殿(せいりょうでん)を探索するには刻(とき)が足りないか。さっき平次(へいじ)も言っていたけど、まだ東番の初日だからなあ。親衛隊(しんえいたい)に見つかったら、不審に思われてしまうかもしれないな。あの髭(ひげ)の親衛隊(しんえいたい)の人も怖そうだったし。⋯⋯残念だけど、清涼殿(せいりょうでん)辺りはもう数回は番を務めてからかな)



 鎌足(かまたり)がそう思いながら、身を翻(ひるがえ)してその場を離れようとした時だった。



 ⋯⋯鎌足(かまたり)の目に、“あるもの”が飛び込んできた。



 ⋯⋯それは、正門を通り、悠然と御所に入ってくる、とある人影。



 鎌足(かまたり)はその顔を見知っていた。


 決して忘れもしない、あの顔、そしてあの刀。



 それは⋯⋯。



「⋯⋯っ! ⋯⋯綾麿(あやまろ)、不知火中将(しらぬいちゅうじょう)⋯⋯、綾麿(あやまろ)⋯⋯!」



 思わず声が漏れた。



 その人物は間違いなく、⋯⋯あの綾麿(あやまろ)だった。



 忘れたくても忘れられない。

 鎌足(かまたり)を見下す、あの蔑(さげす)みに満ちた瞳と、自信に満ちた不敵な佇まい。

 そして妖しい煌(きら)めきを放つ豪華絢爛(ごうかけんらん)な妖刀、村雨(むらさめ)。



 互いの距離は相当にあったが、見間違えるはずが無かった。



 鎌足(じぶん)たちに毒を盛った、憎き首謀者の最有力候補。

 その中将綾麿(ちゅうじょうあやまろ)が、非番にも関わらず、何故(なぜ)か内裏(だいり)に姿を現したのである。


 

 幸いなことに此処(ここ)は神殿の軒先。

 鎌足(かまたり)の周りには、太めの柱が何本も建っていた。

 鎌足(かまたり)は咄嗟(とっさ)に、その柱の一つの陰に身を隠した。



(⋯⋯出仕(しゅっし)してきた? 非番のはずなのに、やはり私たちの“死”を確認しに来たか? ⋯⋯っ、そうか! もし私たちが毒で死んでいるならば、今日の東の番頭(ばんがしら)は空白となる。全てを知るが故(ゆえ)に、毒によって私たちが居ない事、すなわち”死“を確認した後は、そのまま都合良く代わりまでも務めに来たってことか!? ⋯⋯くっ、やはり綾麿(あいつ)が毒の首謀者なのか?)



 中庭を歩く綾麿(あやまろ)は、柱に隠れて鎌足(かまたり)が覗いていることに気付いている素振りはない。

 ゆっくりと、ゆっくりと、鎌足(かまたり)の方に向かって歩いてくる。

 


(⋯⋯それに、もう一つの疑惑だ。蒼鬼(あおおに)の群れに奇襲された、これは平次(へいじ)たちの話から間違いは無い。そして門番の話が本当なら、続けざまに手練れの蒼鬼(あおおに)にも襲われた⋯⋯とも。綾麿(あいつ)の剣腕(うで)はどれ程かは分からないけど、あんな手強い鬼たちの群れによる不意打ちを、果たして本当に生き延びられるものなのか? ⋯⋯昨日の綾麿(あいつ)の威圧は、御頭(おかしら)や百地翁(ももち)様すら凌駕(りょうが)しているような気がしたけど⋯⋯、でも⋯⋯)



 綾麿(あやまろ)はどんどん近付いてくる。

 綾麿(あやまろ)の足音がすぐ近くで聞こえるような錯覚に囚われて、鎌足(かまたり)は生唾(なまつば)を飲み込んだ。



(⋯⋯いや、やっぱりそんなはずない。あれもきっと錯覚だ。この鬼切丸(おにきりまる)と修練を重ねた私ですら、手練(てだ)れの紅鬼(あかおに)の紅影鬼(こうえいき)には、あんなに苦戦したんだ。きっとその蒼鬼(あおおに)も相当に強いはず。いくら妖刀村雨(ようとうむらさめ)を持っている武官とは言え、一介の公家ではまず勝つのは無理な話だ)



 鎌足(かまたり)と綾麿(あやまろ)の距離は、五十間(ごじゅっけん)(※約90m)を切っていた。

 鎌足(かまたり)はそっと身を乗り出し、もう一度、綾麿(あやまろ)を見つめた。



(⋯⋯でも、綾麿(あいつ)は現にああやって生きて歩いている⋯⋯。⋯⋯ならば、⋯⋯ならば、綾麿(あいつ)の正体は⋯⋯!)



 ⋯⋯綾麿(あやまろ)は、人か、鬼か。


 思い込みに囚われている鎌足(かまたり)の心は今、その結論については悪い方に流れつつあった。


 だが、まだ毒に関する決定的な証拠は無い。

 


 鎌足(かまたり)は身を翻(ひるがえ)し、更に何本か離れた一番太い柱の陰へと素早く移動し、綾麿(あやまろ)の動きを見張った。


(⋯⋯此処(ここ)ならすれ違っても気取られることはない)



 その時、鎌足(かまたり)以外にも、出仕(しゅっし)してきた綾麿(あやまろ)の歩く姿に気づいた者たちがいた。

 中庭で世間話に盛り上がっていた、女官(にょかん)たちである。

 きゃっきゃと黄色い声を上げて騒ぎながら、我先にと綾麿(あやまろ)に駆けよっていった。

 女官(にょかん)たちは皆が満面の笑顔で、我先にと綾麿(あやまろ)に何かを話かけている。



(⋯⋯綾麿(あいつ)、あんなに暗いのに、女官(にょかん)たちには人気があるのか? ふん⋯⋯、邪魔な伊賀者はもう死んだから、後はのんびり楽しく世間話の続きでもするつもりか?)



 対して綾麿(あやまろ)は、女官(にょかん)たちに素っ気なく一言二言だけ言葉を返すと、まるで興味も無さげにその場から早々と立ち去ろうとしている⋯⋯ように見えた。

 それでも女官(にょかん)たちは食い下がる。

 どうやら女官(にょかん)たちにとって、綾麿(あやまろ)は一方的な憧れの存在らしかった。



(⋯⋯むむ、何を喋ってるんだ? ⋯⋯よし)



 鎌足(かまたり)は、綾麿(あやまろ)や女官(にょかん)たちの口の動きを“読む”ことにした。


 鎌足(かまたり)には、読唇術(どくしんじゃつ)の心得(こころえ)があった。

 読唇術(これ)は、数々の隠密任務をこなす伊賀の忍にとって必要不可欠な力量の一つでもあり、鎌足(かまたり)もその技術(わざ)を厳しい修練によって会得していたのだ。



 綾麿(あやまろ)をどうにかして少しでも長く引き留めようと、興味を持ってくれそうな話題や質問を投げかけているだろう、女官(にょかん)たちの唇。


 鎌足(かまたり)の目が、その細やかな動きを確実に捉える。



「⋯⋯中将(ちゅうじょう)様、今日は非番でしょ? そう急(せ)かずに、まだ良いではありませんか。ちょうど、今噂のあの御方のことを皆で話していた所なんですよ」

「⋯⋯そうそう。確か、鎌⋯⋯何とか⋯⋯と言いましたかしら。その御方の事ですわ。中将(ちゅうじょう)様も興味がお有りでは?」

「⋯⋯ねえ、どう思われます? 中将(ちゅうじょう)様。中将(ちゅうじょう)様の代わりに東番に決まった、その江戸の御方。今日もまたえらい早めにやって来て、もう我が物顔で御所の中を練り歩いてはるらしいんよ?」

「⋯⋯名前は鎌足(かまたり)とかいう。ああ、本当(ほん)に腹立たしいわあ。中将(ちゅうじょう)様もそうお思いにならなくて? 中将(ちゅうじょう)様の東番を奪った上に、あの図々しくて不細工(ぶさいく)で小生意気(こなまいき)な顔。ありえませんわ」



(⋯⋯なんだ、悪口か)


 鎌足(かまたり)は額を引きつらせながら、溜め息混じりに苦笑いした。



 だが、その女官(にょかん)たちの悪口(ことば)を聞いた綾麿(あやまろ)が、少し驚いた表情を浮かべる。


 そして短く、呟いた。


 その綾麿(あやまろ)の唇の動きを、鎌足(かまたり)は見逃(ききのが)さなかった。

 


「⋯⋯! 何⋯⋯? 鎌足(かまたり)⋯⋯。今日来ているだと? ⋯⋯っ、鎌足(あやつ)、生きていたのか⋯⋯」



 その唇の動き、言葉に、鎌足(かまたり)の心臓の鼓動が一気に速くなる。

 



 ━━━━「生きていたのか」




 その言葉は、鎌足(かまたり)が生きるか死ぬかの“窮地(きゅうち)”に陥ったことを、はっきりと知る者にしか言えない言葉だった。



 鎌足(かまたり)に”窮地(きゅうち)“は昨日と今朝と二つあった。


 鬼の襲撃と、毒の罠。


 そのうちの一つ、鎌足(かまたり)が紅鬼(あかおに)⋯⋯紅影鬼(こうえいき)に襲われた事は、まずもって綾麿(あやまろ)が知っているはずが無い。



 ならば。



 生きるか死ぬかの窮地(きゅうち)は、必然的に一つしか無い。




 ⋯⋯毒。




(⋯⋯綾麿(こいつ)だ)




 鎌足(かまたり)は唇を噛み締めた。


 怒りが込み上げ、全身が震えた。

 


 あの綾麿(おとこ)に殺されかけた。

 自分も仲間も。


 毒という卑怯な手によって。



(⋯⋯刀⋯⋯あんな素晴らしい村雨(むらさめ)すら使わずに、毒で暗殺、か。⋯⋯はは、そもそも考えてみれば、己(おのれ)の剣腕(うで)に自信の無い、公家という弱い生き物の思いつきそうな愚策(こと)だ)



 鎌足(かまたり)の頬を一筋の光が流れた。

 真実を知った鎌足(かまたり)の目には、悔しさから涙さえ滲んでいた。



(⋯⋯嫌いなら嫌い、邪魔なら邪魔でいい。でもどうせなら鬼を斬る刀を持つ者同士、真正面から正々堂々来て欲しかったな⋯⋯)




 ⋯⋯この時の綾麿(あやまろ)の「生きていたのか」の言葉。

 それは実際、毒とは全く関係がなかった。

 綾麿(あやまろ)は、昨日の夜、鎌足(かまたり)が紅影鬼(こうえいき)に襲われたことだけは知っている。

 だが鎌足(かまたり)の生死を含め、襲撃(こと)の顛末(てんまつ)に関しては知らなかったたため、「生きていたのか」という言葉をつい口にしてしまっただけだった。



 しかし鎌足(かまたり)は、そんな綾麿(あやまろ)の呟きの理由を知る由(よし)もない。



 鎌足(かまたり)は少し俯(うつむ)いた後、ゆっくりと顔を上げた。


 その目には、既に涙は無かった。

 

 何かを睨みつけるような細く鋭い目に、燃え滾(たぎ)る憎悪と確かな殺気が宿っていた。



 それはまさに、忍の技を駆使して必ず狙った獲物を仕留める⋯⋯、”暗殺者“としての顔だった。




 綾麿(あやまろ)は引き留めようとする女官(にょかん)たちを振り切り、鎌足(かまたり)の方へとゆっくり歩いてくる。



 鎌足(かまたり)は今だ知らないものの、『六歌戦(ろっかせん)』として和歌(うた)に詠まれるほど、綾麿(あやまろ)は“不知火(しらぬい)二刀流(にとうりゅう)”の類稀(たぐいまれ)な剣の達人。

 何気ない普段の中でも、殺気を感じる事には長けている。

 しかし鎌足(かまたり)のこの時の、殺意を纏(まと)いながらも気配を完全に消し去る⋯⋯天性とも言える精神力と集中力は、その綾麿(あやまろ)の研ぎ澄まされた察知能力を上回っていたのかもしれない。


 綾麿(あやまろ)の歩みには、鎌足(かまたり)に気づいている様子は全く感じられない。




 ⋯⋯柱を数本挟んだ先、身を潜めて太柱にもたれ掛かっている鎌足(かまたり)。


 ⋯⋯その背後を、横切りながら歩いていく綾麿(あやまろ)。




 ふと、綾麿(あやまろ)の足が止まりかけた。


 そして鎌足(かまたり)が隠れている太柱の方へ、一瞬だけ目を流した。


「⋯⋯⋯⋯」


 ⋯⋯しかし、すぐにまた視線を前へと戻し、止まることなく歩き続けていた。




 立ち去っていく綾麿(あやまろ)の足音が聞こえる。

 その後ろ姿に向けて、鎌足(かまたり)は心の中で呟いた。



(⋯⋯もはや綾麿(あいつ)が人か鬼かなんて疑惑は、もう関係無い。⋯⋯卑怯者。⋯⋯許さない、絶対に許さない。⋯⋯目には目を。暗殺には暗殺を。⋯⋯必ず。⋯⋯必ず御前の命は貰う⋯⋯)━━━━⋯⋯


















 ⋯⋯━━━━綾麿(あやまろ)と鎌足(かまたり)。


 このすれ違う二人の後ろ姿と横顔を、中庭からじっと見つめながら、被衣(かつぎ)を被る女官(にょかん)の一人が淡く微笑んだ。



「⋯⋯うふふ。あらあら。⋯⋯『六歌戦(ろっかせん)』中将(ちゅうじょう)さま、凛々しくて素敵な相手じゃない。貴女にお似合いよ、鎌⋯⋯何とかちゃん」



 春風が吹き、桜の木が揺れる。



 唯(ただ)一人その場に残る、色香を漂わせた美しい女官(にょかん)。

 その真上から、風で舞い散った桜の花弁(はなびら)が、桃色の雨となって振り注いだ。



「⋯⋯鬼、忍、女⋯⋯。⋯⋯貴女はどれかしら? 偽(いつわ)る鬼心? 猛(たけ)る忍(しのび)心? それとも⋯⋯、揺れる乙女心? ⋯⋯うふふふふ、⋯⋯あぁ、愉しいな》



 綾麿(あやまろ)の目の前でも。

 そして今でも。

 しおらしく手を添え、深々と被っている、被衣(かつぎ)。


 

 悪戯な春の風を受けて、その被衣(かつぎ)が僅かに揺れる。




 春風にめくられた被衣(かつぎ)の端、ちらりと垣間見えた、世にも美しい女官(かのじょ)の目は⋯⋯。




 蒼(あお)みがかった眼と、銀色の瞳をしていた━━━━。

 



第40話も最後までお読み頂きありがとうございました。

創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪(いつも無数の誤字脱字ばかりで、すみません)

次回、第41話「暗殺」は、3月22日投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
綾麿さんの戦闘能力は高く安定した戦をされてたので そんな卑怯な事しなさそうなのでちょっとショックです( ᵒ̴̶̷᷄ ᵒ̴̶̷᷅ )
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。