第40話 すれ違い
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち伊賀御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。平次と大吾と共に、御所の初東番警備へと向かう。
平次━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足の身だしなみには特にうるさい。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
大吾━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験にも乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
━━━━東番初日。
刻を知らせる“三つ鐘”が鳴り響く。
申の刻(※午後15時〜17時)を迎えていた。
鐘の数と同じく、鎌足が御所の中を歩くのも三度目になる。
しかし、昨日までとは明らかに異なることが、二つあった。
⋯⋯一つ目は、今日も用意されていた案内を、きっぱりと断ることが出来たということ。
「⋯⋯いえ。今日は案内の御伴は結構です。昨日と一昨日で、ちゃんと“頭に入って”ますから。私、こう見えて実はそこそこ賢いんです。東番頭を相務める者として当然ですよ。(⋯⋯なんてね。案内役さんがいると今日はちょっと邪魔なんだ)」
案内役が居ないことで、内裏の動きの自由も効く。
昨日の案内の最中、麒麟の刃から鎌足に命を救われた案内役は、何度も何度も鎌足に礼を述べ、頭を下げていた。
「⋯⋯鎌足様、昨日は私の命を救って頂き、ありがとうございました。九死に一生、本当に助かりました。⋯⋯昨日見ての通り、北南の番の少将麒麟様は、一度怒らせたら手が付けられない⋯⋯怖い御方なんです」
「私も気をつけます。⋯⋯でも少将様はいつもあんな感じなのですか。あれでは内裏の皆も大変でしょう?」
「ええ⋯⋯、位階の高い方々の前では、普段はにこにこしてるんですが⋯⋯、私たち下々の者には無理難題ばかり仰られて⋯⋯。でも一度でも逆ったり機嫌を損なえば、地位や役職を剥奪されたり、下手したら本当に命までも⋯⋯、あ⋯⋯、この発言はどうぞ御内密に⋯⋯」
「勿論ですよ。御安心を、案内役さん。⋯⋯いえ、改めて御礼を言わないといけないのは此方のほうです。昨日一昨日と丁寧な案内、本当にありがとうございました」
頭を下げた鎌足は、昨日案内役に振り下ろされた麒麟の白鞘の刃を、自然と思い出していた。
綾麿の“白鞘の謎掛け”はともかくとして、あれは間違いなく本気で案内役を殺しにかかっていた、文字通りの“凶刃”⋯⋯狂気の刃だった。
(⋯⋯昨日は麒麟の警備の番だった。でも誰かに指示を出したり脅したりして、毒の甘酒を届けさせることは可能かもしれない。麒麟に逆らったらどうなるか分からないからな、弱い立場の女性が断るのは難しいだろう。⋯⋯動機はある。よく考えてみたら、麒麟も毒の首謀者の可能性はありそうだな。⋯⋯やっぱり綾麿を首謀者だと決めつけるのは早計だ)
「番の日が違うので、あまりもう接点は無いかもしれませんが⋯⋯、どうかお気をつけて⋯⋯、そして初の東番、無事に終えられることを心から願っております」
「案内役さん、精一杯頑張ります。そして帝の御命を、内裏の皆を、絶対に鬼から守ります。⋯⋯では。色々と準備があるので、これにて⋯⋯」
⋯⋯そして二つ目。
それは、今日は平次と大吾も一緒だということ。
「平次さん、どう思います? 毒の首謀者。小頭に刃を向けたという、その麒麟って白鞘の小さい公家も、かなり怪しいですよねぇ?」
「それはまだ何とも言えないな。昨日追跡した綾麿を含め、此処には他に怪しい公家、我々に敵対心を抱く輩は何人も居るだろう。よく調べてからだ」
鎌足の後ろでいつもの声が聞こえる。
それが鎌足は何よりも心強かった。
仲間とくぐることができた正門と、案内役からの期待の声を前にして、鎌足には万感の思いと共に、改めて東番への決意が湧き上がってきていた。
鎌足は、亡き甚左の用意してくれた羽織袴の袖を、ぎゅっと強く握りしめた。
(甚左、見てるか。いよいよだぞ。三人じゃない、四人で今歩いてるんだ。⋯⋯初の東番、皆で乗り越えような)
内裏の中へと続く廊下を踏みしめるたびに、床がみしみしと軋む。
しかし”軋む“のは床だけではなかった。
(痛たたた⋯⋯腕に肩に背中に⋯⋯腹もか、まだ身体の色々な場所が痛む⋯⋯。だけど東番頭として門をくぐったからには、もう泣き言は言ってられない)
何時現れるとも知れない、鬼への警戒。
極秘裏に課せられている、内裏の探索。
そして毒酒を宿に届けた、首謀者や女性の探索⋯⋯。
綾麿の”本当の“生死の確認⋯⋯人か鬼かを見極めることだけは、綾麿が非番のために今日は叶わない。
とは言え、警備の終わりの明け六つまで、やるべきことは山のようにあった。
暮れ六つまでは残りおよそ一刻(※2時間)。
一秒とて無駄にはできない。
鎌足は痛みを堪えて、足早に廊下を進んだ━━━━。
━━━━この二日間、外で待機を余儀なくされていた平次と大吾の二人にとっては、初めてその目で直に見る立派な御所の内部。
何を見るにしても、感嘆の溜め息と共に目を丸くしている。
鎌足はそんな二人に、「あれは何で、これはこう」と、まるで自分が案内役になったように得意気に説明を続けた。
三人は奥へ、奥へと、進む。
広大な御所のまだ中央手前⋯⋯中下級の官吏が働く辺りの廊下。
出会う人間たち⋯⋯男女や年齢を問わず全ての者に対して、挨拶の笑顔の裏に忍の眼を潜ませながら、些細な表情の変化や一挙手一投足に注視する。
鎌足は昨日までとは違い、忍装束を纏った男性二人を連れている。
内裏の景色とはまるで馴染まない、異風の三人が並んで歩く姿は大いに目立った。
平次も大吾も、鎌足同様に、仕掛けられた毒の罠を生き延びている。
自ずとその毒の首謀者の目に入るはず。
そして驚きや動揺は、表情や態度や仕草など何らかの形で表れるはず。
そう睨んでいた。
だがしかし、単に物珍しさだけの視線を浴びせてくる公家や女官はいたものの、此処までは特に不審に感じるような人間はいない。
平次はともかくとして、拙い剣腕の大吾までもが恐ろしい剣の達人に見えるのだろうか。
鎌足が通り過ぎた後の恒例行事と化していた”ひそひそ話“も、昨日一昨日よりは明らかに少ないように感じられた。
(⋯⋯ここまでは該当者無し、か。でもまだ中下級官吏の働く場だ。注意すべきはこれから。区域の境となる、内裏中央の渡殿を越えたあたり⋯⋯、位の高い公家たちの集まりだす場所からだ)
御所の中は、位階の高い公家たちと、中下級の公家や官吏たちとの務め場所の線引きが、鎌足の想像以上に厳格になされていた。
この二日間で得た知識はあるものの、まだ内部事情を完全に把握できていない鎌足にとって、人の配置がある程度想定できるこの“身分による区分”は、大いに助かっていた。
(分かり易いが⋯⋯、裏を返せば、狙われ易い、ってことにもなる⋯⋯。防衛面から言えば、あまり良いことでは無いかもしれないな)
中下級官吏の働く慌ただしい区域を抜ける。
鎌足は、上級公家たちが常駐する内裏の奥へと繋がっていく、長い渡殿の前へと辿り着いた。
入口で案内役から聞いた話によると、この先をもう少し進むと、今日の東番専用の別の案内役が付くらしい。
(流石に重要な区域は、私たち三人だけで⋯⋯ってわけにはいかないか)
渡殿を渡りきった時、ふと大吾が鎌足に問いかけた。
「⋯⋯小頭? こちらの立派な廊下は何処に繋がっているのですか?」
そう言いながら、大吾は正面に続いている廊下ではなく、横へと続く一際幅の広い豪華な造りの廊下を指差していた。
「⋯⋯ああ、この先は確か、今日は居るか分からないけれど、関白様とか摂政様の部屋があるんだ。あと、大納言様とか中納言様とか、位の高い人たちの執務の部屋にも繋がってるはずだよ。案内役さんにこの先は昼間むやみやたらに彷徨くな、ってきつく釘を差されたから」
「⋯⋯へぇ〜。位の高い方々が⋯⋯、この先に。⋯⋯はぁ、そうなんですね、⋯⋯ふーん」
「こら大吾。この先は今日は駄目だ。覗いたりするなよ。まだ初日。派手な動きは慎め」
豪華な廊下の奥を見つめ続ける、そんな興味津々な大吾を平次が冷静に戒める。
「⋯⋯はは、大吾、我慢我慢。東番を何回か重ねたら、そっちにもこっそり探索範囲を広げよう。今日はまず、正面からだ。⋯⋯この先は、毒の首謀者が居てもおかしくない、“不穏”と”疑惑“の溜まり場だ。謁見の時に居た公家達も大勢居るはずだから⋯⋯」
鎌足は正面に伸びた廊下の先に、鋭い視線を送る。
そしていよいよ、御所の”本丸“に向けて、一歩を踏み出した━━━━。
━━━━申の刻が半ばに差しかかったことを告げる“四つ鐘“が、近隣の寺から鳴り響く。
そんな中、鎌足たち三人は、待機していた案内役の男に、襖の無い開かれた広い奥座敷に通されていた。
「⋯⋯此方で番が始まるまでは暫しお待ちを。此処は警備の番頭様の差配場所ともなっております。私の役目はこれにて。⋯⋯どうぞ、ごゆりとおくつろぎを⋯⋯」
そう告げて、案内役はその場を立ち去っていった。
この奥座敷は、鎌足も初めてだった。
番頭しか入れない部屋なのかもしれない。
座しながら、三人で座敷の周囲を見渡す。
この奥座敷は、かなり広い中庭にも面している。
今通ってきた廊下⋯⋯身分の低い公家や官吏の駐在する区画にもすぐに移動できる上、位置的に考えて紫宸殿や清涼殿にも抜ける事ができそうだった。
警備の指揮を取る場所としては、これ以上ない最適な位置に思えた。
「⋯⋯こんな中庭や奥座敷もあったんだ、やっぱり御所はとてつもなく広い。⋯⋯無数の座敷に神殿の間、寝所に庭園、紫宸殿に、そして禁忌の清涼殿⋯⋯」
多くの場所を守らなくてはならない、鬼の襲来に備える東番の任務は、勿論この鎌足たち伊賀忍の三人だけで行うわけではない。
鎌足を番頭。
平次と大吾を番頭補佐。
加えて、三人の下には、朝廷の傘下の下級武官たち約五十人程が従事する、と聞いていた。
そして各々が刀や弓などの武器を手に、この広い御所の各所を巡回することになっていた。
(五十人か⋯⋯、この広さに比して、それでも少ないな。大将の兼季様も言っていたけど、既に大勢の警備兵が鬼の犠牲になっているから、人手が足りない⋯⋯、ということか?)
鎌足たち三人は、拠点となるこの奥座敷に陣取り、彼ら下級武官への細かな指示を行ったり、各所からの報告を受けては次の動きを指示したり、これからの夜半に御所で起こる出来事の“全責任”を背負うことになるのだ。
その最たるものが、「清涼殿に侵入を許した場合は、警備責任者は死罪」という厳格な決まりだった。
その清涼殿の帝の寝所⋯⋯夜御殿周辺には、大将の兼季率いる精鋭揃いの御帝親衛隊が、鎌足の差配とは別に恐らくもう待機していると思われた。
(⋯⋯清涼殿の探索は、今日はもう無理そうだな。でも⋯⋯)
東番の任開始の刻⋯⋯暮れ六つにはまだ早い。
だがそれまでの残された時間が、今日の鎌足たちにとっては非常に重要だった。
(よし、清涼殿以外の探索なら、まだ十分に動ける。申の刻も半ばを過ぎたし、内裏の文官たちの仕事も終わるはず。人の動きが活発になる。それとなくすれ違う人の反応を窺い回るには、都合が良い時間帯だ。⋯⋯毒の件だけじゃない。江戸幕府を敵対視するような動向がないかも調べなくては⋯⋯、のんびりしてなんかいられない。任務はもう始まっている)
鎌足は、平次と大吾にそっと目配せする。
目は口ほどに物を言う。
二人も即座に鎌足の意図を察した。
隠密作戦に長け、急な事態にも臨機応変に対応できる平次。
そして潜入経験はまだ浅いとはいえ、やる気に溢れた大吾。
二人は音もなく立ち上がると、周囲の目を警戒しながら座敷から抜け出し、それぞれ左の廊下と右の廊下に別れて去っていく。
座敷の左右に伸びる通路、その奥へと二人が消えていったのを見届けた鎌足もまた立ち上がる。
そして正面に伸びている、残り一つの廊下へと歩みを進めた。
この廊下の先は、中の上から上の下の位の公家たちの、日々の務めを果たす執務部屋に繋がっている。
一人で歩く鎌足を見て、訝しげに見つめてくる公家が何人か見られた。
鎌足はそんな公家たちとすれ違うたび、その顔色や表情の変化に注意を凝らし、何か怪しい点は無いかを確認する。
(⋯⋯昨日までとさほど変わりなし、か。位は高いかもしれないが、どいつもこいつも相変わらず小物感しかない公家ばかりだ。⋯⋯毒を盛るどころか、幕府への反逆を企むような、注意すべき器量を感じる公家は皆無だな)
見た限りは、焦りの表情を浮かべたり、怪しい動きをする者は、誰一人としていない。
ただ毎回、通り過ぎた後には背後から、蔑みの呟きが必ず聞こえてくる。
鎌足は心の中で耳を塞いだ。
(⋯⋯今は御前たち白塗り御歯黒の小物の戯れ言に、じっくりと耳を傾けている暇はない)
その後も形だけの会釈を何度か繰り返しながら進み、鎌足は廊下の突き当たりを、今まで案内されてきた左ではなく、初めて右へと曲がった。
(⋯⋯あ)
急に視界が拓けた。
先程通された奥座敷に面した中庭も十分に広かったが、それを更に上回る広さの白砂引きの中庭が、鎌足の目に飛び込んできた。
其処は、御所から繋がる大きな神殿の軒先に当たる場所だった。
御所で最大を誇る、玉砂利庭園に隣接しているようで、中庭越しには紫宸殿や正門がはっきりと見える。
そしてその中庭には、たくさんの桜の木が咲き誇っていた。
⋯⋯目を奪われんばかりの美しさだった。
申の刻はとうに回り、文官たちの出仕の刻限も終わりを迎えていた。
鬼への畏怖が芽生え始める暮れ五つまでは、まだ少し時間がある。
この風情に溢れた中庭は、御所の中において、文官の公家や女官たちの憩いの場でもあるのだろう。
内裏での一日の最後の時間を皆で楽しもうと、蹴鞠をする何人かの文官公家や、立ち話に花を咲かせている女官たちの姿が見えた。
(それにしても今日は良い天気だなあ⋯⋯、映えある東番初日にはもってこいだ)
季節は春真っ盛り。
夕刻が近付いているが、今日はまだ陽射しが強い。
”被衣“と呼ばれる日除けの薄い服を頭から被っている女官や、手拭いのようなもので汗を拭いている文官も何人か居た。
きっと今目にしている情景が、内裏の春の日常の風景なのだろう。
(⋯⋯見知らぬ顔ばかりだなあ。⋯⋯まあ当たり前か。今までは特に変わった態度を取る者もいないし⋯⋯。中庭にも何も得る情報は無いかもしれないな。さて⋯⋯と、次は何処に向かおうかな。⋯⋯やっぱり清涼殿⋯⋯行ってみようかな)
⋯⋯(『夜御殿の御簾は⋯⋯決して開けてはならぬ』)⋯⋯
鎌足は頭では、清涼殿の探索は難しいと分かっていながらも、あの綾麿から告げられた言葉の意味が気になって仕方が無かった。
忍としての”本能“が疼いていた。
(⋯⋯でもなぁ、流石に清涼殿を探索するには刻が足りないか。さっき平次も言っていたけど、まだ東番の初日だからなあ。親衛隊に見つかったら、不審に思われてしまうかもしれないな。あの髭の親衛隊の人も怖そうだったし。⋯⋯残念だけど、清涼殿辺りはもう数回は番を務めてからかな)
鎌足がそう思いながら、身を翻してその場を離れようとした時だった。
⋯⋯鎌足の目に、“あるもの”が飛び込んできた。
⋯⋯それは、正門を通り、悠然と御所に入ってくる、とある人影。
鎌足はその顔を見知っていた。
決して忘れもしない、あの顔、そしてあの刀。
それは⋯⋯。
「⋯⋯っ! ⋯⋯綾麿、不知火中将⋯⋯、綾麿⋯⋯!」
思わず声が漏れた。
その人物は間違いなく、⋯⋯あの綾麿だった。
忘れたくても忘れられない。
鎌足を見下す、あの蔑みに満ちた瞳と、自信に満ちた不敵な佇まい。
そして妖しい煌めきを放つ豪華絢爛な妖刀、村雨。
互いの距離は相当にあったが、見間違えるはずが無かった。
鎌足たちに毒を盛った、憎き首謀者の最有力候補。
その中将綾麿が、非番にも関わらず、何故か内裏に姿を現したのである。
幸いなことに此処は神殿の軒先。
鎌足の周りには、太めの柱が何本も建っていた。
鎌足は咄嗟に、その柱の一つの陰に身を隠した。
(⋯⋯出仕してきた? 非番のはずなのに、やはり私たちの“死”を確認しに来たか? ⋯⋯っ、そうか! もし私たちが毒で死んでいるならば、今日の東の番頭は空白となる。全てを知るが故に、毒によって私たちが居ない事、すなわち”死“を確認した後は、そのまま都合良く代わりまでも務めに来たってことか!? ⋯⋯くっ、やはり綾麿が毒の首謀者なのか?)
中庭を歩く綾麿は、柱に隠れて鎌足が覗いていることに気付いている素振りはない。
ゆっくりと、ゆっくりと、鎌足の方に向かって歩いてくる。
(⋯⋯それに、もう一つの疑惑だ。蒼鬼の群れに奇襲された、これは平次たちの話から間違いは無い。そして門番の話が本当なら、続けざまに手練れの蒼鬼にも襲われた⋯⋯とも。綾麿の剣腕はどれ程かは分からないけど、あんな手強い鬼たちの群れによる不意打ちを、果たして本当に生き延びられるものなのか? ⋯⋯昨日の綾麿の威圧は、御頭や百地翁様すら凌駕しているような気がしたけど⋯⋯、でも⋯⋯)
綾麿はどんどん近付いてくる。
綾麿の足音がすぐ近くで聞こえるような錯覚に囚われて、鎌足は生唾を飲み込んだ。
(⋯⋯いや、やっぱりそんなはずない。あれもきっと錯覚だ。この鬼切丸と修練を重ねた私ですら、手練れの紅鬼の紅影鬼には、あんなに苦戦したんだ。きっとその蒼鬼も相当に強いはず。いくら妖刀村雨を持っている武官とは言え、一介の公家ではまず勝つのは無理な話だ)
鎌足と綾麿の距離は、五十間(※約90m)を切っていた。
鎌足はそっと身を乗り出し、もう一度、綾麿を見つめた。
(⋯⋯でも、綾麿は現にああやって生きて歩いている⋯⋯。⋯⋯ならば、⋯⋯ならば、綾麿の正体は⋯⋯!)
⋯⋯綾麿は、人か、鬼か。
思い込みに囚われている鎌足の心は今、その結論については悪い方に流れつつあった。
だが、まだ毒に関する決定的な証拠は無い。
鎌足は身を翻し、更に何本か離れた一番太い柱の陰へと素早く移動し、綾麿の動きを見張った。
(⋯⋯此処ならすれ違っても気取られることはない)
その時、鎌足以外にも、出仕してきた綾麿の歩く姿に気づいた者たちがいた。
中庭で世間話に盛り上がっていた、女官たちである。
きゃっきゃと黄色い声を上げて騒ぎながら、我先にと綾麿に駆けよっていった。
女官たちは皆が満面の笑顔で、我先にと綾麿に何かを話かけている。
(⋯⋯綾麿、あんなに暗いのに、女官たちには人気があるのか? ふん⋯⋯、邪魔な伊賀者はもう死んだから、後はのんびり楽しく世間話の続きでもするつもりか?)
対して綾麿は、女官たちに素っ気なく一言二言だけ言葉を返すと、まるで興味も無さげにその場から早々と立ち去ろうとしている⋯⋯ように見えた。
それでも女官たちは食い下がる。
どうやら女官たちにとって、綾麿は一方的な憧れの存在らしかった。
(⋯⋯むむ、何を喋ってるんだ? ⋯⋯よし)
鎌足は、綾麿や女官たちの口の動きを“読む”ことにした。
鎌足には、読唇術の心得があった。
読唇術は、数々の隠密任務をこなす伊賀の忍にとって必要不可欠な力量の一つでもあり、鎌足もその技術を厳しい修練によって会得していたのだ。
綾麿をどうにかして少しでも長く引き留めようと、興味を持ってくれそうな話題や質問を投げかけているだろう、女官たちの唇。
鎌足の目が、その細やかな動きを確実に捉える。
「⋯⋯中将様、今日は非番でしょ? そう急かずに、まだ良いではありませんか。ちょうど、今噂のあの御方のことを皆で話していた所なんですよ」
「⋯⋯そうそう。確か、鎌⋯⋯何とか⋯⋯と言いましたかしら。その御方の事ですわ。中将様も興味がお有りでは?」
「⋯⋯ねえ、どう思われます? 中将様。中将様の代わりに東番に決まった、その江戸の御方。今日もまたえらい早めにやって来て、もう我が物顔で御所の中を練り歩いてはるらしいんよ?」
「⋯⋯名前は鎌足とかいう。ああ、本当に腹立たしいわあ。中将様もそうお思いにならなくて? 中将様の東番を奪った上に、あの図々しくて不細工で小生意気な顔。ありえませんわ」
(⋯⋯なんだ、悪口か)
鎌足は額を引きつらせながら、溜め息混じりに苦笑いした。
だが、その女官たちの悪口を聞いた綾麿が、少し驚いた表情を浮かべる。
そして短く、呟いた。
その綾麿の唇の動きを、鎌足は見逃さなかった。
「⋯⋯! 何⋯⋯? 鎌足⋯⋯。今日来ているだと? ⋯⋯っ、鎌足、生きていたのか⋯⋯」
その唇の動き、言葉に、鎌足の心臓の鼓動が一気に速くなる。
━━━━「生きていたのか」
その言葉は、鎌足が生きるか死ぬかの“窮地”に陥ったことを、はっきりと知る者にしか言えない言葉だった。
鎌足に”窮地“は昨日と今朝と二つあった。
鬼の襲撃と、毒の罠。
そのうちの一つ、鎌足が紅鬼⋯⋯紅影鬼に襲われた事は、まずもって綾麿が知っているはずが無い。
ならば。
生きるか死ぬかの窮地は、必然的に一つしか無い。
⋯⋯毒。
(⋯⋯綾麿だ)
鎌足は唇を噛み締めた。
怒りが込み上げ、全身が震えた。
あの綾麿に殺されかけた。
自分も仲間も。
毒という卑怯な手によって。
(⋯⋯刀⋯⋯あんな素晴らしい村雨すら使わずに、毒で暗殺、か。⋯⋯はは、そもそも考えてみれば、己の剣腕に自信の無い、公家という弱い生き物の思いつきそうな愚策だ)
鎌足の頬を一筋の光が流れた。
真実を知った鎌足の目には、悔しさから涙さえ滲んでいた。
(⋯⋯嫌いなら嫌い、邪魔なら邪魔でいい。でもどうせなら鬼を斬る刀を持つ者同士、真正面から正々堂々来て欲しかったな⋯⋯)
⋯⋯この時の綾麿の「生きていたのか」の言葉。
それは実際、毒とは全く関係がなかった。
綾麿は、昨日の夜、鎌足が紅影鬼に襲われたことだけは知っている。
だが鎌足の生死を含め、襲撃の顛末に関しては知らなかったたため、「生きていたのか」という言葉をつい口にしてしまっただけだった。
しかし鎌足は、そんな綾麿の呟きの理由を知る由もない。
鎌足は少し俯いた後、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、既に涙は無かった。
何かを睨みつけるような細く鋭い目に、燃え滾る憎悪と確かな殺気が宿っていた。
それはまさに、忍の技を駆使して必ず狙った獲物を仕留める⋯⋯、”暗殺者“としての顔だった。
綾麿は引き留めようとする女官たちを振り切り、鎌足の方へとゆっくり歩いてくる。
鎌足は今だ知らないものの、『六歌戦』として和歌に詠まれるほど、綾麿は“不知火二刀流”の類稀な剣の達人。
何気ない普段の中でも、殺気を感じる事には長けている。
しかし鎌足のこの時の、殺意を纏いながらも気配を完全に消し去る⋯⋯天性とも言える精神力と集中力は、その綾麿の研ぎ澄まされた察知能力を上回っていたのかもしれない。
綾麿の歩みには、鎌足に気づいている様子は全く感じられない。
⋯⋯柱を数本挟んだ先、身を潜めて太柱にもたれ掛かっている鎌足。
⋯⋯その背後を、横切りながら歩いていく綾麿。
ふと、綾麿の足が止まりかけた。
そして鎌足が隠れている太柱の方へ、一瞬だけ目を流した。
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯しかし、すぐにまた視線を前へと戻し、止まることなく歩き続けていた。
立ち去っていく綾麿の足音が聞こえる。
その後ろ姿に向けて、鎌足は心の中で呟いた。
(⋯⋯もはや綾麿が人か鬼かなんて疑惑は、もう関係無い。⋯⋯卑怯者。⋯⋯許さない、絶対に許さない。⋯⋯目には目を。暗殺には暗殺を。⋯⋯必ず。⋯⋯必ず御前の命は貰う⋯⋯)━━━━⋯⋯
⋯⋯━━━━綾麿と鎌足。
このすれ違う二人の後ろ姿と横顔を、中庭からじっと見つめながら、被衣を被る女官の一人が淡く微笑んだ。
「⋯⋯うふふ。あらあら。⋯⋯『六歌戦』中将さま、凛々しくて素敵な相手じゃない。貴女にお似合いよ、鎌⋯⋯何とかちゃん」
春風が吹き、桜の木が揺れる。
唯一人その場に残る、色香を漂わせた美しい女官。
その真上から、風で舞い散った桜の花弁が、桃色の雨となって振り注いだ。
「⋯⋯鬼、忍、女⋯⋯。⋯⋯貴女はどれかしら? 偽る鬼心? 猛る忍心? それとも⋯⋯、揺れる乙女心? ⋯⋯うふふふふ、⋯⋯あぁ、愉しいな》
綾麿の目の前でも。
そして今でも。
しおらしく手を添え、深々と被っている、被衣。
悪戯な春の風を受けて、その被衣が僅かに揺れる。
春風にめくられた被衣の端、ちらりと垣間見えた、世にも美しい女官の目は⋯⋯。
蒼みがかった眼と、銀色の瞳をしていた━━━━。
第40話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪(いつも無数の誤字脱字ばかりで、すみません)
次回、第41話「暗殺」は、3月22日投稿予定です。




