第39話 人か鬼か
第39話は読みやすさを考慮して、前後半に分けました。今回はエピソードタイトルを当初の予定から変更した、前半部分の投稿になります。後半部分は第40話「すれ違い」として、別エピソードとして改めて投稿するので、どうぞよろしくお願いします。(*^^*)
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。平次と大吾と共に、京都御所の初の警備へと向かう。
平次━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足の身だしなみには特にうるさい。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
大吾━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験にも乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。鎌足と共に、京都御所の警備へと向かうのだが⋯⋯。
━━━━「⋯⋯あいたたた、またお腹が痛くなってきた⋯⋯、あの酒、一体何の毒だったんだよぉ⋯⋯」
あと少しで御所に着くという辺りで、鎌足は腹を押さえてふらつき、溝に落ちそうになっていた。
「⋯⋯だ、大丈夫ですか!? 小頭!?」
「焦らずにもう少しゆっくり歩きましょう、腹の痛みの他に、小頭には昨日の戦いの怪我もあるんですから」
苦笑いを浮かべている鎌足を、平次と大吾が心配そうに見つめる。
「⋯⋯な、何とか大丈夫。心配してくれてありがとう」
⋯⋯差し入れられた、毒の甘酒。
幻斎から授かっていた伊賀秘伝の丸薬のお陰で、鎌足たち三人は間一髪、この毒の危難から脱することができていた。
三人の中でこの毒酒を一番多く飲んだのは、どうやら鎌足だったらしい。
まだ少しふらふらしている鎌足と比べ、平次と大吾の方は格段に回復は早いようだった。
「⋯⋯確かにがぶがぶ飲んでたからなぁ、私。はは⋯⋯、でも二人にも解毒の丸薬が効いて、本当に良かった。それにしても⋯⋯」
⋯⋯あの毒は、誰が仕掛けたのか。
その大きな疑念が、鎌足の中で今も激しく燻り続けていた。
⋯⋯毒を盛った首謀者は、もしかしたら鎌足たち伊賀忍や徳川の政権に、恨みを抱く者ではないか。
そしてその恨みを抱く者とは、昨日の会談の際、鎌足に対して明らかな敵意や嫌悪感を曝け出した、あの男⋯⋯不知火中将綾麿なのではないか。
(⋯⋯お腹が痛いなんて泣き言、言ってられない。⋯⋯早く、一刻も早く、御所に行かなくては! 真実を突き止めなくては!)
道すがら鎌足は、宿の女将が酒を渡された時の経緯を、平次と大吾から出来る限り詳しく聞き出していた。
そして経緯を聞けば聞くほどに、抱いている疑惑は更に深まっていった。
鎌足の隣を歩いている平次は、ずっと指を顎に当てて考え込むような仕草だった。
きっと鎌足のため、伊賀の忍としての誇りのために、知恵を絞り、これからどう動くべきかを思案してくれているのだろう。
甚左が居ない今、経験や知識の豊富な平次は本当に頼りになる。
「宿の女将によれば、見知った者からの東番就任の祝いの酒⋯⋯それだけ言えばきっと誰か分かるはずだ⋯⋯。その謎の美しい女性は確かにそう言っていたそうですが⋯⋯、果たして何者なのか」
忍としての注意を怠り、仲間を危険に晒してしまった事、そして毒という卑怯な騙し討ちで、呆気なく殺されかけた事。
この二つの憤りと悔しさが、あまりにも大きいのだろう。
普段は能天気な大吾も、鎌足と平次の後ろを歩きながら、珍しく厳しい表情で思慮を巡らしてくれている。
「そうそう、小頭に一昨日は会えずに昨日初めて会った⋯⋯、とも。小頭の謁見の儀や、昨日急遽挨拶に訪れたことまで知っているなんて、どう考えても口から出任せとも思えません。やはりその女性は小頭や此方の事を、初手から相当に詳しく知っていた、もしくは知り得る立場だったとしか」
そんな大吾の考えを聞いた平次が言葉を続ける。
「⋯⋯ふむ。⋯⋯とすれば、女将に語った言葉は、何もかもが嘘偽り無いのかもな。私たちを騙すために敢えて九分は真実を語り、一番大事な毒のことだけは隠す⋯⋯、もしそうならば、なんてずる賢い女性だ」
大吾も空を見上げるようにして、必死に答えを模索している。
「⋯⋯うーん、これはやはり、情報を入手できる御所の誰かが、その女を陰で操る首謀者ということなんでしょうか?」
鎌足もまた、そんな二人の話や意見を聞きながら、様々な想いを巡らせていた。
その手には、現場に残された唯一の証拠⋯⋯差出人の名前と家紋が記された熨斗。
(⋯⋯それとこの熨斗だ。記された”九条“の名と、”下り藤“の家紋。甘酒を飲む前に私たちが名前を知ると、怪しんで飲んでくれないと分かっていたんだ。そしてその代わりに、敢えてこんな熨斗を酒に付けたんだ。⋯⋯でも、⋯⋯もし綾麿が本当に首謀者ならば、すぐに首謀者と分かる痕跡や話を、使いの女に残させるだろうか? それともその女がついうっかり口を滑らせたり、失態を犯したのか?)
今日の内裏警備は、鎌足たち伊賀忍が担当する東番。
東番を明け渡した綾麿は恐らくは非番で、通常であれば今日は御所には居ないと思われた。
しかし毒の首謀者が、睨んだ通り綾麿であったとしても他の者であったとしても、毒で殺したはずの人間⋯⋯鎌足が御所に平然と現れたのなら、人知れず息を潜めている首謀者は、直接的にしろ間接的にしろきっと何らかの反応を示すはず。
(⋯⋯尻尾を出す者が居るかもしれない)
何れにしても、任務のためにも疑惑の追究のためにも、まずは京都御所に入らなくてはならない。
それが今の自分たちに出来る、最良の一手。
鎌足のそんな昂り急く心を映すように、御所へと向かう足どりも自然と速くなった。
毒の余韻を堪えて、ただ前だけを見つめて足早に歩き続ける鎌足。
その鎌足の後ろを、思案をし尽くしたのか口数も少なくなってしまった平次と大吾が、神妙な面持ちで続く。
戦うべき悪鬼羅刹と共に、恐るべき権謀術策までもが渦巻いている目的地⋯⋯京都御所は、もう目と鼻の先になっていた━━━━。
━━━━⋯⋯「た、たのもう」
御所に到着した鎌足は、さっそく門番にいつもの挨拶の言葉をかけていた。
今は出仕時間外だからだろうか。
正門は固く閉ざされている。
鎌足の体調の悪さに配慮してか、単純にまた呆れているのか。
それとも二人にもまだ服毒の影響が残っているのか。
鎌足のもはや恒例と化した場違いの変な挨拶に、今日は平次からの突っ込みや、大吾からのからかいは無い。
平次も大吾も黙って無表情で、門前の鎌足を遠くから見つめていた。
門番と挨拶をかわすのは、もう三度目になる。
「⋯⋯おや? ⋯⋯あ、⋯⋯またあんたか。毎日よう会うなあ。来るのがちょっと早くないか」
「⋯⋯は、はい、三日連続ですね。今日は初日なので、早めに来ました」
「⋯⋯ん? 何や、今日はえらい顔色が悪いなあ。腹でも痛いんか?」
鎌足は苦笑いしながら頭を下げた。
「⋯⋯す、すみません(⋯⋯当たり。⋯⋯あははは、⋯⋯あの毒を盛ったの、実はこの人じゃないよね? ⋯⋯はは)」
鎌足の腹痛や胸の内を何も知らない門番は、いつもの調子でずけずけと本音を語ってくる。
「あんたはん、いつも謝っとるね。⋯⋯今日は大事な東番やろ。⋯⋯うーん、ほんまに大丈夫かいな。あんたはんの番の時にだけは、鬼が出んように祈るしかないわ」
「⋯⋯はは、⋯⋯精一杯頑張ります」
「それに、⋯⋯噂、聞いたで。男のふりをして実は女子なんやて? 道理でなあ。やけに女っぽい声してはるなぁ、思うてたんや。⋯⋯もう内裏のほとんど皆が、あんたはんが女子やと知ってはるのに⋯⋯、なんや、今日も男の格好かいな」
「⋯⋯あ、はい」
鎌足は昨日と一昨日同様に、下に忍装束を着込み、表向きは羽織袴⋯⋯男装をしていた。
とは言え、装備に抜かりは無い。
長年愛用にしていた忍刀だけは紅影鬼との戦闘で失ってしまったものの、腰には鬼との戦いで絶対的な頼りになる鬼切丸、そして鎌の入った鎌袋。
その鎌から繋がる鎖も、羽織の下⋯⋯腰や脚に巻き付け、懐には手裏剣や苦無も幾つか忍ばせていた。
既に謁見や就任挨拶は終えている。
門番の言う通り、鎌足が男ではなく女であることは、今、御所内部では“公然の秘密”のような状況になっているだろう。
平次や大吾も、通りを歩く時は薄い羽織を纏って目立たないようにしてはいるものの、薄羽織の下は今日は礼服ではなく、伊賀忍の装束。
そんな二人から、今日はもう女子であることを隠す必要は無い、忍装束で訪れても構わないのではないか⋯⋯と鎌足は言われていた。
しかし今日の東番初日だけは、どうしてもこの羽織袴で臨みたい。
鎌足はそう強く思い、自らこの羽織袴姿を選んでいた。
それはこの羽織袴を懸命に仕立ててくれた、甚左に対する特別な想いからだった。
(甚左の気持ちが籠ったこの羽織袴で⋯⋯、甚左の心と一緒に、東の初番に就くんだ)
鎌足の顔に見慣れたのか、もはや江戸の変人と思われてしまっているのか。
門番は少しだけ訝しげな表情を浮かべたものの、それ以上は何も言わなかった。
(⋯⋯はは、どう思われてるんだろう。少しは私を理解してくれてるのかなぁ。⋯⋯でも、御所の中の人間、公家たちよりは随分と話しやすいや)
門番の情報力と知識、そして僅かな軽口を期待して、鎌足は気になっている事を思い切って聞いてみることにした。
「⋯⋯あ、あの、門番さん、中将様は⋯⋯? 綾麿⋯⋯さまは本日は御出仕されていますか? ⋯⋯あ、いや、昨日の夜、鬼に襲われた⋯⋯と噂で聞いて、心配になったもので⋯⋯」
「⋯⋯ん? 中将様? ⋯⋯あぁ、あの御方は誰かさんに東番を渡してもうたから、今日は非番。見えられてないよ。⋯⋯なんや、それにしてもその噂、もう広がってるんかいな。⋯⋯何でも昨日の夜、いきなり襲いかかってきた鬼の群れに、たった一人で立ち向かって、見事に返り討ちにしたそうや。手強い炎を使う親玉の蒼鬼までもやっつけはったらしいわ。⋯⋯いやはや、流石は中将様、流石は妖刀村雨や」
「そうですか、不在⋯⋯」
綾麿が出仕していないことは、想定はしていた。
とは言え、いざその事実を前にして、鎌足は改めて肩を落とした。
あの毒の真相を知ること。
綾麿の正体を確認すること。
これで今日は間違いなく、この二つの解決は出来なくなった。
その落胆の大きさに加えて、「綾麿もまた蒼鬼に襲われた」というもう一つの事実が、鎌足の顔を自然と曇らせる。
(⋯⋯鬼の群れ、か。きっと平次と大吾を襲った蒼鬼たちの事だろうな。だが、手強い蒼鬼とは何だ? もしかしたら綾麿も紅影鬼のような、相当な術を使う人形の蒼鬼⋯⋯『修羅』に襲われたのか?)
鎌足の脳裏に、再び昨日の綾麿の言葉が浮かぶ。
⋯⋯(『羅刹は一度しか葬魂の術を使えぬが、上級の鬼となれば話は別。⋯⋯妖力の高みを極めた上級の鬼⋯⋯『修羅』と呼ばれる鬼たちは、何度でも葬魂を使う事ができる』)⋯⋯
その言葉の信憑性は定かではないが、確かに綾麿はそう言っていた。
(⋯⋯ならば綾麿が本当に生きているかどうかは怪しい。無事という噂、そのまま鵜呑みにはできないな。もし戦いに敗北して、甚左みたいに葬魂の術を受けているならば⋯⋯、今の綾麿は当然偽物。その正体は、葬魂で姿を変えた⋯⋯蒼鬼⋯⋯なのか?)
「⋯⋯どうしたん? 急に固まってしもて」
難しい顔をして黙りこくっている鎌足に、門番が遠慮なく声をかけた。
その声に我に帰った鎌足は、ぶんぶんと手を振りながら苦笑いで答えた。
「⋯⋯あ、いえ、別に⋯⋯何でも。⋯⋯あはは」
「⋯⋯はぁ」
門番が深い溜め息をつく。
「⋯⋯本当に大丈夫かいな、東番」
「⋯⋯あ、そうだ。門番さん、もう一つ。御所の中で“九条”という名とか家に、心当たりはありませんか? あと、“下り藤”ってどなたの家の家紋ですか?」
「⋯⋯あん? ⋯⋯”九条“? ”下り藤“? ⋯⋯はぁ、⋯⋯あんたはん、九条家も知らんのかいな。“下り藤”はまさしくその九条家の家紋。九条家は関白、摂政を何人も輩出しとる名門中の名門やで」
「⋯⋯え、九条家とは、そんな由緒のある家柄なんですか。それなら今の家督を継いでおられるのは、文官の上位の御方? あの⋯⋯、その御方の位とお名前は?」
「は? 文官? ⋯⋯あんたはん、本当に何も知らへんのやなあ。⋯⋯今の御当主様はな、文官やない。⋯⋯九条家の歴代の御当主様の中でも珍しく、武官や」
「⋯⋯え、そうなんですか」
「その御方の名⋯⋯、それはな、あんたがよう知っとる、今日非番の武官の御方や」
「⋯⋯は? 私が知ってる? 今日非番の武官⋯⋯? そんな御方知らな⋯⋯⋯⋯、⋯⋯え、ま、まさか⋯⋯」
「そのまさか、や。⋯⋯綾麿様。不知火中将綾麿様や」
「⋯⋯あ、綾麿⋯⋯さま⋯⋯が、九条!?」
この門番の言葉は、晴天の霹靂だった。
鎌足は綾麿の名字を不知火とばかり思い込んでいた。
その名字の違いこそが、綾麿が毒の首謀者でないことを示す、数少ない証拠の一つになっていた。
しかし今、その思い込みは完全に覆された。
鎌足に困惑の波が一気に押し寄せる。
(⋯⋯九条、⋯⋯綾麿、⋯⋯下り藤、⋯⋯全て同一人物⋯⋯!? ⋯⋯なら、もしそうなら⋯⋯)
その顔には、明らかな動揺が浮かんでいた。
「⋯⋯せや。不知火はな、あの御方の剣の流派、不知火流から取った異名。内裏における公の文書や記録は全て、不知火ではなくて、九条。⋯⋯本当の御名前は、九条綾麿様。誰もが一目置く名門『九条家』の若き当主や。近い将来、関白や摂政にまで上り詰めるかもしれへん。⋯⋯覚えとき。東番に就任したとは言え、官位の無いあんたはんが気楽に話ができるような、そんな下々の立場の御方やないで」
「⋯⋯そ、そうなんですね、⋯⋯お、驚いたなぁ⋯⋯、そ、それは。⋯⋯は、はは」
激しく脈打ち続ける胸の鼓動や動揺を隠すように、鎌足は咄嗟に作り笑いをしていた。
「そしてその中将様から昨日、あんたはんに特別の許可が出とる。⋯⋯この正門、今日は通ってもよろしいで」
「⋯⋯え?」
その門番の言葉が合図となった。
固く閉ざされていた正門が、古く重く、そして奥ゆかしく厳かな軋みの音を立てながら、鎌足の目の前で今、ゆっくりとゆっくりと開いていく。
(⋯⋯っ!)
古の封印が解き放たれるように、左右に開いていく門。
⋯⋯その光景は、今の鎌足には何故か、混沌の異世界へと鎌足を引きずり込もうとする⋯⋯巨大な魔物の腕のように見えてならなかった。
「⋯⋯中将様の許可が無ければ、本来なら今日も裏門や。次に中将様にお会いしたら、よく御礼を言っておくんやな。⋯⋯で、他に何か聞くことは?」
「⋯⋯い、いえ。もう十分です、⋯⋯あ、ありがとうございました」
開いた門から右奥に見えるのは、あの荘厳な紫宸殿。
対する左奥には、甚左を含めた四人全員で近くで見上げたいと願っていた、雲を突き抜けて天まで聳え立つように靄を纏う、あの巨大な赤の鳥居。
そして初めて真正面から見ることのできた、赤の大鳥居から紫宸殿まで⋯⋯左から右に長々と連なる、壮大な御所の建屋と玉砂利の中庭の全容。
しかし、目の前に拓かれたそんな荘厳な景色とは裏腹に、鎌足の額には今、心地の悪い汗が流れていた。
⋯⋯頬を伝った汗の雫が地へと落ち、土の色を濃く変える。
鎌足の頭の中に抱いていた綾麿への疑惑もまた、地の変色と同様に、既に灰色から薄墨色へと変わっていた。
(⋯⋯九条綾麿、⋯⋯”下り藤“の家紋。⋯⋯っ、⋯⋯あれはちゃんと儀礼に則った、正式な熨斗の印だったんだ。⋯⋯ということは、やっぱり⋯⋯毒の首謀者は⋯⋯綾麿なのか⋯⋯!?)
門は既に完全に開ききっている。
だが、鎌足はまだ“動けない”。
足が地にへばり付いているように、その場に留まったままだった。
そんな”動かない“鎌足を心配して、遠くで見ていた平次と大吾が近寄り、声をかけた。
「⋯⋯どうされました? 門が開きましたが⋯⋯、入らないのですか? ⋯⋯っ、もしかして何か毒の首謀者の確たる証拠が見つかったのですか? ⋯⋯それともやはり体調がまだ?」
「⋯⋯それか門番に何か言われたのですか? ⋯⋯あ、ひょっとして⋯⋯、こんなにあからさまに仰々しく開門を見せつけておいて、今日もまた裏門からですかぁ!?」
「⋯⋯っ、いや⋯⋯、何でもない。行こう。入るよ」
鎌足は二人に心配をかけまいと、表情を取り繕う。
そして”何か“を門前で振り払うように、首を左右にぶんぶんと大きく振ると、そそくさと門の敷居をまたぎ、御所の敷地内⋯⋯広大な中庭へ足を踏み入れた。
門番の言葉は平次と大吾には聞こえていなかった。
鎌足の心情をまるで知る由も無い平次と大吾は、この鎌足の不可解な仕草に、互いに顔を見合わせて首を傾げている。
そして二人は、中庭を足早に歩いていく鎌足の後ろに無言のまま続いた。
⋯⋯前を歩く鎌足。
二人から見えないその顔は、門前で捨てきれなかった“何か”にまだ思い悩んでいた。
内裏の中庭の手入れされた美しい景色や、咲き誇る桜の花々とは似ても似つかない。
⋯⋯浮かない表情だった。
(⋯⋯少しは信じていたのにな、⋯⋯でも)
⋯⋯綾麿が毒の首謀者であってほしくない。
昨日の怒りや憎しみ、そして今朝の疑惑とは正反対に、実のところ心の何処かで、鎌足はそう思っていた。
それは同じ武の世界に生きる者、同じ鬼を斬る刀を持つ者としての、不思議な同類意識からだった。
激突対立が避けられないとは言え、闇討ちや毒などという卑怯で姑息な手を使わず、来るなら正々堂々と正面からぶつかってきてほしい。
そう強く願い、また綾麿ならばそうであるはずと、鎌足は信じ込んでいた。
鎌足は俯き歩きながら、思い切り顔を顰めて目を瞑る。
そして今だ沸き上がり続ける薄墨色の疑念や雑念を、頭の中で一旦整理し、中庭の玉砂利を敢えて強く踏みしめることで気持ちを切り替えた。
(⋯⋯いや、まだ、まだ結論には早い。⋯⋯九条や綾麿の名を騙ることなんて、誰にでもできるじゃないか。それに蒼鬼が毒酒なんて使うだろうか? ⋯⋯綾麿を“黒”とか”鬼“とか、決めつけるには早計すぎる。安易な推論は今は二人に告げては駄目だ。⋯⋯少なくとも毒に関しては、内裏や他の公家をもう少し調べてからだ⋯⋯)
そして俯いていた顔を上げ、凛々しく前を見据えた━━━━⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯━━━━鎌足を、この時、密かに見下ろしている、邪悪な蒼と銀の眼があった。
鎌足が今しがた一瞥した、赤の大鳥居。
その遥か上空に、蒼い霧を発する謎の渦が巻き、その渦から人の形をした、巨大な“何者か”の”影“が身を躍らせていた。
そして大鳥居の最上部⋯⋯笠木へと埃が舞い散る程に荒々しく降り立った。
その”影“は、空の渦と同じ蒼い瘴気を衣のように纏っていて、その顔や全身は窺い知ることはできない。
遠くから眺めても、また鳥居の真下から見上げたとしても、その姿はきっと笠木にかかった、少し変わった色や大きさの“雲”か“靄”程度にしか見えなかっただろう。
そしてその“影”⋯⋯蒼い”靄“は、人間の背丈の数倍はあるほどに、”巨大“だった。
それは明らかに、⋯⋯人間ではなかった。
《潜入中の羅刹が、鎌足とやらに続いて御所内に入っていく⋯⋯。⋯⋯毒の失敗から切り替えた要人暗殺計画の方は、順調に進行中と見える。⋯⋯ぐはははは、⋯⋯あとは疑心暗鬼の計の方か》
巨大な蒼い靄が、鳥居に振動が伝わるくらいの重く低い声で、不気味に呟いた。
その時、その巨大な靄のすぐ隣の空が、唐突に歪み始めた。
そして次の瞬間には、蒼い霧を噴出する第二の渦が空に現れ、その中からまた別の人形の“影”が飛び出した。
その第二の”影“もまた、蒼の瘴気をゆらめき纏っていて、その全身はやはり大鳥居に掛かる”雲“か”靄“にしか見えない。
この第二の蒼い靄は、先に現れた靄と同じように笠木にひらりと飛び乗ると、邪に満ちた冷たい声を発した。
《⋯⋯よぉ、遅くなったな。報告だ。⋯⋯妖刀 村雨とやらを持つ奴さん、⋯⋯やはり動き出したぜ》
身体に纏わりつく蒼の瘴気。
その隙間から僅かに分かるのは、こちらの人形の蒼い靄は、先の靄よりもまだ人間の背丈に近いが、かなりの長身で且つ細身ということ。
そして弓を更に大きく撓らせたような鋭利で歪な何かを、蝶の羽根のように左右対称に二つ、背負っていることだけだった。
この蒼い靄もまた、⋯⋯確実に人間ではなかった。
細身の靄が言葉を続ける。
《⋯⋯羅刹は御所に入ったのか》
《⋯⋯ああ、この手柄を足掛かりにして、俺たち修羅の一人として、“見下す”立場になりたいんだからな。羅刹も必死だ。⋯⋯しかも一緒に居るのが紅影鬼かもしれない上に、目の前にちらつく鬼切丸にも警戒しなきゃならないときてる。⋯⋯鎌足とやらを毒で殺せなかったのは残念だが、まあ、それも蒼極鬼様の想定の範囲内だ》
《⋯⋯ところで蒼鋼鬼よ。その毒を仕掛けた、蒼妖鬼は何処に行った?》
《早く御所に住みたいな⋯⋯とか何とか言いながら、ついさっきまで愉しそうに下を眺めてたんだがな。いつの間にかふらりと何処かに行っちまった。⋯⋯まったく、毒の暗殺が失敗しても凹むどころか、次の一手⋯⋯疑心暗鬼の計の方にもう目を輝かせてたぜ。だからたぶん、また何かの”遊び“だろうよ。⋯⋯まぁ、遊びとか言いながらも、あの熨斗といい、用意周到な抜け目のない女鬼だ》
《⋯⋯遊びだと? ⋯⋯蒼妖鬼らしいな。ふふふ⋯⋯、『六歌戦』綾麿の動きも、蒼極鬼様の読み通り。⋯⋯蒼炎鬼が現れた翌日だ。やはり御所が気になるんだろう。⋯⋯これは今日、暮れ六つまでには、鎌足って奴と間違いなく御所で一悶着あるぜ、ふふふ⋯⋯》
《蒼刃鬼よ。⋯⋯その鎌足とやら。御前はどう見る? ⋯⋯人間か、それとも紅影鬼か?》
《さあな⋯⋯、どっちでも構わねえ。暮れ六つになれば自ずと分かる話だからな。気になるのは、蒼炎鬼の炎を退けた『六歌戦』と、紅鬼の侵略を防いだ『鬼切丸』。我らの疑心暗鬼の計に堕ちて、都合良く殺し合ったら、果たしてどっちが勝つか、だ。⋯⋯なあ、もし公家野郎が勝ったら、あいつの命は俺が貰うぜ。⋯⋯この背中の奇剣が『六歌戦』の血を求めている》
《⋯⋯ぐはははは、いいだろう。俺は鎌足の正体は紅影鬼と睨んでいる。『六歌戦』ならいざ知らず、鬼切丸を持っているとは言え、人間如きが紅影鬼に勝てるはずがない。鎌足の正体が見立て通り紅影鬼で、戦いも勝利したならば⋯⋯、その時はこの俺に始末させろ。紅影鬼の身体、托鉢笠ごと脳天から粉々に粉砕してくれるわ》
《⋯⋯よかろう、異論は無い。ということは、鎌足が勝って、もし万が一にも人間だったなら、その時は蒼妖鬼の獲物だな》
《⋯⋯鎌足が勝ち、しかも人間だった、だと? ⋯⋯ぐははははは、一番ありえなくて面白味もない、まさに貧乏くじだな。蒼妖鬼が怒るぞ? 修羅たちの宴でまず酌はしてもらえなくなるな、ぐはははははは⋯⋯》
《⋯⋯なら、その時は、蒼鋼鬼と蒼刃鬼で、人間の鎌足を八つ裂きにでもして、半分ずつ喰らい尽くすか》
《⋯⋯いいだろう、⋯⋯ぐふふ、決まりだ》
《⋯⋯あとは、ただ待つのみだな⋯⋯》
《⋯⋯暮れ六つの晩鐘を、な⋯⋯》
《⋯⋯果たして人か鬼か⋯⋯》
《⋯⋯どちらが勝つか⋯⋯》
《⋯⋯見ものだな⋯⋯》
《⋯⋯ぐははは⋯⋯》
《⋯⋯ふふふふ》
《⋯⋯ぐはは》
《⋯⋯ふふ》
《⋯⋯は》
《 》
《》
⋯⋯鳥居とは。
神の使いである鳥が通り居る、と書く。
その言葉通りに、もし鳥居の周りを羽ばたく鳥たちに、この魑魅魍魎の悪巧くみの声を、人間たちに教える⋯⋯そんな神がかり的な能力があり、迫り来る新たな危難を鎌足に伝えようとしていたとしても、⋯⋯その鳥耳が捉えたのは、残念ながら”此処まで“だった。
無数の鳥の羽根が、ひらひらと虚空を舞う。
⋯⋯何故ならば、この大鳥居の近くを飛んでいた鳥たちは全て、謎の蒼い渦の中へと吸い込まれてしまっていたからだった。
風に彷徨った羽根が何枚か、笠木に重なり落ちる。
⋯⋯風の音以外、全ての音が消えたこの時。
二つの蒼い人形の靄も、空に浮かんでいた禍々しい蒼い渦も、笠木の上の異様で邪悪な痕跡の全てが、空の青に溶けるようにして、既に何処かへと消え失せていた。
大鳥居の上に確かに在ったはずの謎の影、声。
それに地上で気づいている人間は、誰も居ない。
⋯⋯たった”一人“を除いては。
御所の中を歩く鎌足の背後で、その“一人”だけが、“にたり”と狡猾な笑みを浮かべていた━━━━。
第39話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪(いつも無数の誤字脱字ばかりで、すみません)
次回、第40話「すれ違い」(従来の第39話後半部分)は、3月20日投稿予定です。ぜひ御一読ください♪




