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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編

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37/51

第37話  毒酒と丸薬

【登場人物紹介】

伊賀の鎌足かまたり━━━━

 江戸城の公儀御庭番こうぎおにわばん伊賀組の小頭こがしらの女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎げんさいに授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸おにきりまる』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。担当となった東番前日、御所からの帰りに、葬魂そうこんの術で仲間の甚左じんざに成りすました紅鬼あかおに⋯⋯紅影鬼こうえいきに襲われる。


平次へいじ━━━━

 伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足かまたりの身だしなみには特にうるさい。東番の前日、大吾だいごと共に蒼鬼あおおにの群れに襲われる。


大吾だいご━━━━

 伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験にも乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。東番の前日、平次へいじと共に蒼鬼あおおにの群れに襲われる。


 ━━━━鎌足かまたりは気付いてはいないものの、何者かの手によって空っぽとなった水瓶みずがめ

 その露わになったかめの底は、毒で苦しむ鎌足かまたりに”絶望”の二文字を与えていた。


 勿論もちろん、喉や腹を洗浄できたとしても、効果がどれ程期待できるかは分からない。

 重要な問題は、水という”一縷いちるの望み“を絶たれたことにあった。

 溺れる者が掴むわらすら、この場には無くなってしまったのだ。


 絶望と失意。

 加えて絶え間なく襲いかかってくる痛みに、鎌足かまたりは頭の中が真っ白になった。

 そのままふらふらと数歩後ろへと退くと、短い嗚咽おえつと共に仰け反り、その場に卒倒そっとうした。


 倒れゆく鎌足かまたり⋯⋯その無いわらを掴むように宙を彷徨さまよったに当たった、板場いたばの皿や腕が宙を待う。

 そして激しい音を立てて、地に落ちる。



(⋯⋯死ぬ? ⋯⋯このままだと⋯⋯私、死ぬ)



 粉々に砕け散る皿や腕を横目に、仰向けに倒れている鎌足かまたりの身体は、小刻みな痙攣けいれんが止まらなくなっていた。

 


(⋯⋯でも、何で? ⋯⋯誰が⋯⋯毒を? 平次へいじ大吾だいごじゃない⋯⋯なら⋯⋯誰が⋯⋯、京都に来たばかり⋯⋯毒を盛るくらいに⋯⋯私達を憎んでいる者⋯⋯? ⋯⋯殺意を抱く者? 二人の後をつけて⋯⋯この宿を? ⋯⋯紫宸殿ししんでんでの恨み⋯⋯公家の誰か? ⋯⋯違う⋯⋯この宿は⋯⋯知らない⋯⋯、麒麟きりん? ⋯⋯違う⋯⋯彼奴あいつ⋯⋯昨日は警備の番⋯⋯そんな暇は⋯⋯無いはずだ、⋯⋯後は⋯⋯後は⋯⋯⋯⋯後は⋯⋯後は⋯⋯私たちを殺したいと願う者⋯⋯私を憎む者? ⋯⋯後は⋯⋯後は⋯⋯)



 苦しみ悶え続ける鎌足かまたりの頭に、妖刀を片手に妖しく高笑いする一人の男の顔が。



 ⋯⋯浮かぶ。




 「⋯⋯あ⋯⋯、あ、あや⋯⋯、あ、綾麿あやまろ⋯⋯!?」




 鎌足かまたり一際ひときわ大きな唸り声をあげた。



 中将ちゅうじょうの立場で、この宿を知っているかもしれない。

 帰り際に一緒にいた手下の輝里てるさととか言う公家に、自分たちの後を付けさせたのかもしれない。

 憎い伊賀忍の毒殺計画ありきだったならば、昨日の睨み合いで刀を抜き渋っていたのも合点がいく。

 そして昨日の殺意を含んだ不敵な挑発⋯⋯その一つの形が、この”毒“という卑劣な手段なのか。



 鎌足かまたりは土間に落ちても、地を這いずっても尚、しのびの本能でその手に鬼切丸おにきりまるだけは握っていた。

 見当違い⋯⋯たとえ毒を仕込んだのが綾麿あやまろでは無かったとしても、もしかしたら別にいる真の首謀者や見えない敵が、毒で苦しみ悶える鎌足かまたりらにとどめを刺すべく、今にもこの宿に飛び込んで来るかもしれない。


 鎌足かまたりは無我夢中で、鬼切丸おにきりまるを一層強く胸に抱いた。



 畳の上では、相変わらず苦しみもがき続ける平次へいじが、怒りと憎しみを込めた声で大吾だいご罵倒ばとうし始めていた。


「⋯⋯ッ、おのれ大吾だいご⋯⋯、何故だ、裏切ったか⋯⋯、誰の差し金だ! ⋯⋯ぐうっ、毒を⋯⋯、毒を盛る⋯⋯と⋯⋯は! は⋯⋯、恥を知れぃ!」


 大吾だいごは畳に額を擦り付け、苦しみ悶えながら先程同様にまた首を激しく振った。


「⋯⋯ぅぐ、わ、私⋯⋯では⋯⋯あ⋯⋯りません、今朝早く⋯⋯、ご、御所から⋯⋯、初番はつばん⋯⋯いわいに届けら⋯⋯れた⋯⋯あのさけに、甘酒に⋯⋯毒が⋯⋯仕込まれて⋯⋯いた⋯⋯としか、⋯⋯ぐッ」


 


(⋯⋯祝の甘酒!?)




 大吾だいごの弁明を耳にした鎌足かまたりの顔が、一気に強張こわばった。


 鎌足かまたりの脳裏に、初めて対峙した時の綾麿あやまろの言葉、そして足を崩した余裕な佇まいと不敵な笑みが過ぎる。 




⋯⋯(『⋯⋯無精ぶしょうゆえに東番就任の祝いの酒どころか、茶の一つも出せぬが、ゆるりとくつろぐがよい』)⋯⋯

 



(⋯⋯御所⋯⋯、から、酒⋯⋯だと? 御所⋯⋯あ⋯⋯あ⋯⋯綾麿あやまろ⋯⋯ぉぉおぉぉおぉおおをををを⋯⋯!!」


 鎌足かまたりの心の声が漏れる。

 怒りと苦しみ、そして迷いが入り混じった声にならない叫び声を上げ、何かに堪えるように歯軋はぎしりした。

 唇まで強く噛み締めたその口からは、赤い雫とよだれが滴り落ちた。



 ⋯⋯疑念は疑念を呼ぶ。

 今の鎌足かまたりには、どんな些細な事でも全てが綾麿あやまろと結びつけて考えてしまう。

 そんな思考の負の連鎖に陥りかけていた。




(⋯⋯本当に⋯⋯毒⋯⋯は、綾麿あやまろ⋯⋯、彼奴あいつの⋯⋯仕組んだ⋯⋯事なのか⋯⋯!?、⋯⋯とすれば、綾麿あいつは⋯⋯人? そしてやっぱり死んでない⋯⋯のか?)



 

 意識が迷走し、頭ががんがんと響く。

 知らず知らずのうちに胸ではなく土を掻きむしり、更に地を激しく叩いたのだろう、作った握り拳の甲や爪からは血が滲んでいた。


 平次へいじ大吾だいご鎌足かまたりと同じだった。

 部屋の畳の上をずっとのたうち回り、口から血を流して唸り声を上げ続けている。


「⋯⋯ががぁッ⋯⋯ぐ⋯⋯が⋯⋯大吾だいご⋯⋯ッ、甚左じんざ殿の、薬は⋯⋯妙草薬みょうそうやくは⋯⋯持っていないのか⋯⋯!?」


「⋯⋯あ⋯⋯、ぐ⋯⋯しまっ⋯⋯た、甚左じんざさんの⋯⋯着物と一緒に⋯⋯妙草薬みょうそうやくも埋めてしま⋯⋯っ」


「⋯⋯!? なんという⋯⋯ば、か⋯⋯もの⋯⋯ぐふッ」


「⋯⋯す⋯⋯すみませ⋯⋯ん⋯⋯、うっかり⋯⋯ぐうッ⋯⋯、でもあれは⋯⋯確か⋯⋯傷には効きますが⋯⋯、ど、毒には効きません⋯⋯」




 妙草薬みょうそうやく⋯⋯。




 耳に入ってきたその言葉に、鎌足かまたりは我に返って目を見開いた。




(⋯⋯くすり)




 それは本当に偶然だった。

 鎌足かまたりに一つの大事なことを思い出した。



(⋯⋯解毒薬、⋯⋯あるかもしれない)



 鎌足かまたりは任務の最中、このように毒を盛られる経験は初めてだった。

 初めての事による動揺と、激痛を堪えるのに必死で、大事な事が意識から飛んでいた。


 

 鎌足かまたりは普段から、忍装束の下の鎖帷子くさりかたびらのその更に下、肌と胸のさらしとの間に、”ある物“を挟み込んでいた。

 それは、もしもの時のためにと、一年程前に幻斎げんさいから鎌足かまたりだけに特別に手渡された、”御守袋おまもりぶくろ“⋯⋯。




⋯⋯(『よいな、鎌足かまたりよ。この御守袋おまもりぶくろは、常に身に付けておくのじゃ。この中に入っている丸薬がんやくはな、冬虫夏草とうちゅうかそうなど十七種の貴重な材料を用いて作られた、伊賀に代々伝わる万能薬。擦傷すりきず打傷うちきず切傷きりきず刺傷さしきず刀傷かたなきず、そして火傷やけどに”猛毒もうどく“まで、全ての傷や痛みに効く。今は邪魔な汚い小袋に思えても、いつかはきっと、戦いの中に生きる御主の役に立つ時が来るじゃろうて⋯⋯』)⋯⋯


 ⋯⋯幻斎げんさいの穏やかな笑い声が脳裏をぎる⋯⋯。



 

 “ある物”⋯⋯それは伊賀秘伝の万能薬が入った、御守袋おまもりぶくろだった。

 灯台下暗とうだいもとくらし。

 鎌足かまたり)は、その御守袋おまもりぶくろの存在を思い出したのだ。



 剣技の世界に真っ直ぐに生きる鎌足かまたりは、日頃から毒策どくさくの怖さを甘く見ていた。

 それゆえに肝心の中身の万能薬への興味は薄かったものの、慕い敬う幻斎げんさいから”直接に“拝領した⋯⋯、ただそれだけで、鎌足かまたりにとってこの御守袋おまもりぶくろは、特別で大切な物の一つとなっていた。

 そして鎌足かまたりはあの言いつけも律儀に守り続け、戦闘中の忍装束であっても、平時へいじの際の着物であっても、さらしに挟んだり、首から紐で掛けたり、無自覚ながら常に身近に忍ばせていたのである。

 


 鎌足かまたりは、何時いつ果てるとも知れない朦朧もうろうとした意識の中、寝巻の下のさらしを手探りで必死に探り続けた。



「⋯⋯毒⋯⋯消し、⋯⋯⋯⋯あってくれ」

 


 この貴重な伊賀の万能薬は、幻斎げんさいも口にしていたように、非常に万能な解毒の秘伝薬としても知られていた。

 鎌足かまたりは今でもたまに、当時の優越感を思い出す。

 まるで興味の沸いてこない小さな丸い玉とは言え、この万能薬を授かった時、他の伊賀の忍たちから相当に羨ましがられたものだった。


 幻斎げんさいもかつて、この万能薬に救われたことがあるらしい。

 七十年前⋯⋯幻斎げんさいが猛毒の剣や霧を操る紅鬼あかおにと戦った時、受けた毒刀の傷を癒やすために飲んだ⋯⋯、鎌足かまたりはそう仲間内の噂話で聞いていた。

 服毒から早い段階に飲めば、強力な鳥甲とりかぶとまむしの毒でさえも中和させる、即効性の解毒の効力を持っているという話だった。

 たった今自身が襲われている、この謎の毒への効果は定かでは無い。

 しかしあの聞いた話が本当ならば、この謎の毒にも打ち勝つ事ができるかもしれない。



(⋯⋯な、無い⋯⋯、で、でも、⋯⋯ぜ、絶対⋯⋯、挟んで⋯⋯る、⋯⋯何個か⋯⋯丸薬がんやく⋯⋯入っていたはず⋯⋯)



 あまりの激痛と意識の混濁に、今自分の両方の指先がどう動いているか、身体の何処どこを触れているかも既に分からなくなっていた。

 思うように動かなくなっている腕、手。

 それでも左に右に、また左に。

 諦めずに動かし続けた、そんな震える指先に、肌やさらしはしではないものが触れた。


(⋯⋯あ)


 ようやくにして伝わる、袋らしき何かの感触。

 手を震わせながら、胸のさらしからその”何か“を取り出した。



(⋯⋯あった、これだ)


 

 それは間違いなく、万能薬が入っているはずの、あの“御守袋おまもりぶくろ”だった。


 この小さな袋が、今は何よりも尊いものに感じ、後光ごこうが差しているように輝いて見える。


 鎌足かまたりは急いでその御守袋おまもりぶくろの紐を解き、逆さにして振り、中に入っていた丸薬がんやくてのひらに落とした。



(⋯⋯ひとつ、⋯⋯ふたつ、⋯⋯⋯⋯みっつ)



 天運うんは味方した。

 てのひら丸薬がんやくが、三つ転がった。



(⋯⋯良かった、⋯⋯三人分ある)



 鎌足かまたりはその三粒のうち一粒だけを素早く飲み込むと、痛みに耐えて力を振り絞って地を這って座敷の方へと進み、何とか懸命に上半身だけを起こして畳の部屋にもたれ掛かった。

 そして握る丸薬がんやくを、平次へいじ大吾だいごの元へと転がした。



「⋯⋯二人とも⋯⋯毒消し⋯⋯だよ、早く⋯⋯飲んで」



 それは二人にとっても天からの救いの声、神様からの贈り物の”玉“だった。

 平次へいじ大吾だいごは傍に転がってきた丸薬がんやくを急いで手にし、すぐに口へと運ぶ。



 そんな二人の姿を見届けた鎌足は、薄っすらと安堵の笑みを浮かべながら、土間へとずり落ちた。



 そして鬼切丸おにきりまるを胸に抱えながら、ただひたすらに呼吸を整えて、心を落ち着かせ、痛みが引いてくるのを待った。


 まだ周囲への警戒は解くことは許されない。


 それでも噂話の通りに丸薬がんやくが毒にも効くことだけを、ただひたすらに信じる。



 ⋯⋯それは祈りにも似た、願いだった。




 今の鎌足かまたりにできることは、それしか無かった。








 ⋯⋯幸いにも、伊賀の秘伝の丸薬がんやくは、この毒の力に打ち勝った。




 徐々に痛みは引いていった。



 半刻ほど静かに横になっていると、あの強烈な痛みや辛さは半減していた。

 更にもう半刻した頃には、まだ腹部だけは鈍い痛みは残っているものの、三人ともがなんとか四肢を自由に動かせ、まともな会話ができるようになるまで奇跡的な回復を見せていた。



「⋯⋯二人とも、無事かぁ?」


「⋯⋯ええ、何とか⋯⋯、小頭こがしらの薬が効いたみたいです、助かった⋯⋯」


「⋯⋯まだ少し痛みはありますが、血も止まりましたし、これならもうあと半刻もすれば⋯⋯、歩けるくらいにはなりましょう⋯⋯」


 三人は横になったまま、心の底から安堵する。


 それから更に半刻ほど、身体を休ませた。



 この毒に囚われた時間は想定外だった。

 いつのまにかときは、昼を大きく過ぎてしまっていた。



「⋯⋯睡魔も吹き飛ぶほどに目も冴えちゃったし、⋯⋯もうお腹が痛いのか空いてるのか、解らなくなってきてるや。たぶんきっと、私の臓腑ぞうふはもうぐちゃぐちゃだ⋯⋯、はは⋯⋯、お医者さんに診せたら、絶対安静にしてろって言われて東番どころじゃないな」


 鎌足かまたりは苦笑いをしながら呟いた。

 その言葉に、平次へいじ大吾だいごも薄っすらと苦笑いを浮かべる。



 三人とも完全ではないものの、顔色は随分と良くなってきていた。



「⋯⋯小頭こがしら此度こたび仕込まれた猛毒、御所の誰かの仕業でしょうか? それとも別の何者かが?」


 上半身を起こしながら、平次へいじが重い口を開く。


「⋯⋯小頭こがしら、本当に私ではありません。信じてください。今朝早くに御所からの使者と名乗る女性にょしょうがこの宿先を訪れ、⋯⋯応対した宿の女将おかみが受け取った祝の甘酒を、私はそのまま朝餉あさげとして出しただけなのです⋯⋯、それがまさか毒とは⋯⋯。本来は毒見すべき所、思慮が足りませんでした⋯⋯、すみません」


 正座した大吾だいごは、心から申し訳なさそうに、がっくりと項垂うなだれた。



「⋯⋯っ、大吾だいごよ、⋯⋯っ、それは誰からの酒だ? ⋯⋯何か女将おかみから聞いてはないのか? それか何か首謀者の目星となるものや、証拠となるものは無いのか?」


 まだ少し喋り辛そうな平次へいじの問いかけに、大吾だいごは更に申し訳なさそうに、ある事実と、⋯⋯そして一つの苗字を鎌足かまたりに告げた。


「⋯⋯その謎の女性にょしょう、残念ながら女将おかみには名を告げずに立ち去ったよし⋯⋯、しかし甘酒に付いていた熨斗のしの裏側には⋯⋯、確か”九条くじょう“という名と、“さがふじ”の家紋が⋯⋯」



「⋯⋯九条くじょう?」

 

 鎌足かまたりにとって、それは初めて聞く家名だった。

 


「⋯⋯その熨斗のしなら、まだ台所にあります。お見せします。それが毒を盛ったのが私ではない証拠です! ⋯⋯でも、でも、本当にすみません、小頭こがしら。⋯⋯これが不知火しらぬいとか、くちとかいう名が書いてあったり名乗っていたのなら、疑ってかかっていたのですが⋯⋯、初めて目にした九条くじょうの名⋯⋯てっきり小頭こがしら内裏だいりで会われた、お偉方えらがたのお一人かと⋯⋯」


「⋯⋯っ、小頭こがしら、その九条くじょうとやらの名や人物に、心当たりは?」


「いや、ないよ。私も今初めて聞いた」


「⋯⋯小頭こがしらっ、本当です、私は嘘は言っていません! 毒も盛っていませんッ! 信じてください!!」


「⋯⋯大吾だいご、大丈夫、分かってるよ、毒を盛ったのは大吾だいごじゃない、って事は。当然に平次へいじでもない」


 鎌足かまたりは二人の顔を見渡しながら、ゆっくりと言葉を続けた。



「⋯⋯その謎の女性にょしょうは誰の手下の者か。⋯⋯その“九条くじょう”とは何者なのか。⋯⋯その答えはやっぱりあの御所にあると思うんだ。京都に来たばかりの私たちだ、宿を知る者は数えるくらいしか居ない。そして毒の酒をわざわざ持ち込んで、しかも何かの謎かけみたいに“九条くじょう”の名を残すなんて⋯⋯、そんな手間をかけた卑怯な手を使ってまで、私たちを殺したい程に憎んでいる奴は、更に限られてくる」


 鎌足かまたりの神妙な顔と声に、平次へいじ大吾だいごも、黙って頷く。



「ねえ、二人とも。まだ身体やお腹も痛むとは思うし、東番の約定やくじょうときにも少しだけ早い、だけど⋯⋯、⋯⋯今からすぐに出発しないか。⋯⋯実は、この毒を盛った奴に少し心当たりがある。⋯⋯その男が首謀者かどうか、一刻も早く突き止めたいんだ」



 その男⋯⋯。



 敢えて鎌足かまたりは名前を挙げなかった。


 既に綾麿あやまろは、昨日の鬼の襲撃で死んでいて、葬魂そうこんの術を使った鬼が化けている可能性もあったからだ。

 毒を盛ったのが綾麿あやまろではなく、化けた鬼の可能性も想定されるため、鎌足かまたりは自然と抽象的な表現を使ったのだ。


 しかし平次へいじ大吾だいごは、それが誰の事を指しているのかは、もう既に分かっているようだった。

 昨日の鎌足かまたりの態度や先程の叫び声から、何となく想像が出来たのだろう。



「⋯⋯正体が人だろうが、鬼だろうが、関係ない。⋯⋯毒を盛ったのが間違いないならば、伊賀組に敵対するその首謀者おとこは、絶対にたおさなければならない。それもまた伊賀御庭番いがおにわばんとしての使命の一つなんだ」



 鎌足かまたりの意思の固い声に、平次へいじは再びゆっくりとうなずく。

 そして鎌足かまたりに負けじと、固い決意に満ちた顔で微笑んだ。


「⋯⋯その使命にこの命尽きるまで、最後までお供致します。この命、既に小頭こがしらに捧げております。⋯⋯ぜひ行きましょう、すぐにでも御所へ。そして東番も、伊賀の使命も、どちらも無事に果たしましょうぞ」



 大吾だいごも用意万端、刀を肩に背負いながら、気合の入った笑顔を見せる。


「⋯⋯そうと決まれば、さあ! すぐにでも出発しましょう。卑怯にも毒を盛り、我々を暗殺しようとした憎い首謀者⋯⋯、必ず見つけましょう! 小頭こがしら⋯⋯非力ながらも私も全身全霊、御所警備と毒の復讐に力添えします!」




 ⋯⋯平次へいじ大吾だいご、二人の頼りになる言葉を聞いた鎌足かまたりの前に今、改めて御頭おかしら半蔵はんぞう幻斎げんさいの顔が浮かぶ。

 この二人の見えない力と支えによって、鎌足かまたり紅影鬼こうえいき影法師かげぼうしの術、そして甘酒に仕込まれた毒の罠、この二つの窮地を脱することができた。



御頭おかしら百地翁ももち様⋯⋯、お二人のお陰で何とか東番初日を迎えることができました。この鎌足かまたり、改めて心から感謝致します。⋯⋯しかし、私の真の戦いはこれから⋯⋯!)



 鎌足かまたりの瞳からは、御頭おかしら幻斎げんさいの微笑みは消え、続けてぼんやりと現れたのは、⋯⋯一人の男。


 昨日の会談⋯⋯目の前で味わった屈辱⋯⋯今、最も毒の首謀者と思われる男の顔⋯⋯そして、あの怪しい嘲笑がはっきりと浮かぶ。




⋯⋯(『御主が憎いからだ、鎌足かまたり殿。⋯⋯ふふふ』)⋯⋯




 そんなまぶたの残像を斬り裂くように、鎌足かまたりの目が鋭さを増す。


(⋯⋯たおすべき敵は蒼鬼あおおに紅鬼あかおにだけに非ず! ⋯⋯不知火中将綾麿しらぬいちゅうじょうあやまろ、⋯⋯きっと、きっと江戸にあだなす男。その悪企わるだくみ、この鎌足かまたりが必ず暴いてやる。そして⋯⋯、全てが明るみになった時は⋯⋯、必ず御前の命、この伊賀の御庭番小頭おにわばんこがしら⋯⋯鎌足かまたりる!)━━━━。







 ━━━━平次へいじが前日から東番の武具を手入れしていてくれたり、大吾だいごが洗ったばかりの真新しい羽織袴はおりはかまを用意してくれていたこともあって、それから三人の東番準備の追い込みは順調に進み⋯⋯。


 ⋯⋯鎌足かまたりが早めの出立しゅったつを決断してから、およそ四半刻(※30分)後。

 鎌足かまたり平次へいじ大吾だいごの伊賀組三人は、初の東番そして毒の首謀者の本拠の地⋯⋯京都御所に向けて、足早に宿を後にすることができていた。








 ⋯⋯そして、誰も居なくなった宿はなれ




 ⋯⋯静まりかえった座敷。








 ⋯⋯その畳座敷の片隅には、誰にも飲まれることのなかった丸薬がんやく一粒ひとつぶ、転がっていた━━━━。

 



第37話も最後までお読み頂きありがとうございました。

創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、良かったらぜひ♪

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪(いつも無数の誤字脱字ばかりで、すみません)

次回第38話「壺装束の女」は、3月15日昼頃に投稿予定です。

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― 新着の感想 ―
どなたかが丸薬を飲んでいない……( ߹ㅁ߹)チーン とりあえず解毒の薬があったのは良かったですね どんなときもお守りや用意周到は大事ですね…… 余談ですが震災が起こっても大丈夫な様に日頃から水と…
誰かひとり、毒消しを飲まなかった者がいる…? まさか、誰かが鬼…!? ((((;゜Д゜))) スリリングなお話だった! でも、とりあえず、鎌足が死ななくてよかった(*^_^*) 甘酒飲みたくなったw
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