第35話 東番の朝 〜蒼天〜
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
平次━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足の身だしなみには特にうるさい。
大吾━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験に乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。
蒼極鬼━━━━
蒼鬼の総大将の『修羅』。蒼鬼軍の本拠”蒼鬼城“の主で、閻魔宮では、閻魔王の傍で亡者の罪状を記録する“司録”の役目に就く。常に穏やかで冷静沈着だが、その涼し気な瞳の奥には底知れない残虐さも秘めている。
蒼将鬼━━━━
蒼鬼軍の『修羅』で副将格。蒼の鎧や兜に身を包んでいる。顔には面頬を装着し、その顔色は窺い知れない。閻魔王から授かった『泰山閻魔刀』を帯刀する。
蒼妖鬼━━━━
蒼鬼軍の女『修羅』で、絶世の美を誇る。罪人を刃の枝葉が実る木の上から誘惑する、衆合地獄『刀葉林』の番人。豪華絢爛な蒼い着物を幾重にも纏っている。
━━━━紅鬼軍の紅皇鬼が日本侵略の軍を整える中、地獄の蒼の巨城、蒼鬼城。
その最上階八層目、天守閣。
城の後方の奈落の谷から吹き上がる地獄の風を全身に浴び、長い髪をなびかせながら、蒼の鬼の総大将⋯⋯蒼極鬼は、胸の奥から沸き上がる怒りに堪えていた。
苦々しく唇を噛み締め、拳を震わせる。
普段は冷静な蒼極鬼。
だが、居並ぶ下中級の羅刹や獄卒⋯⋯蒼鬼たちは、激怒した時の普段との差が、どれ程恐ろしいかを知っていた。
それ故に、蒼極鬼に言葉をかけるのを躊躇して、全員だんまりといった様子だった。
《⋯⋯蒼将鬼よ、重ねて聞く。誠か。紅鬼の軍が動き出したこと、⋯⋯そして蒼炎鬼が斃されたというのは》
《はい、間違いはありませぬ》
蒼極鬼の背後に佇む、戦国時代の武者のような蒼い鎧を纏った蒼鬼が、毅然として応えた。
その鬼の顔は付けている面頬により窺い知れないが、兜の隙間から覗かせた蒼い目と銀の瞳から、鬼であることは間違い無かった。
その只者ではない重厚かつ高尚な雰囲気は、蒼極鬼に次ぐ蒼鬼の軍の副将格に相応しい。
この鎧兜の鬼こそ、閻魔宮で紅鬼の副将格⋯⋯紅呪鬼や紅斬鬼と諍いを起こした、蒼将鬼だった。
《紅鬼の紅影鬼が動いたとの情報、それが意味するものは即ち、紅鬼軍の始動。我々と同様にまずは京都の制覇を目指し、動き出していることはこれで明白となり申した。⋯⋯そしてもう一つ、蒼炎鬼と共に向かった五鬼の羅刹たちですが、蒼炎鬼他全員、ただ一鬼の羅刹を除き、尽く敗北、消滅⋯⋯》
《⋯⋯信じられん。蒼炎鬼の地獄の蒼の火焔が、人間に通じぬとは。蒼炎鬼を斃したのは、やはり京都の警護役の公家⋯⋯少将の地位に就いている、麒麟という者なのか?》
《それが⋯⋯、例の日本の協力者の男、我々に最低限の情報しか伝えてこず⋯⋯、背格好や年齢などの情報が無く、それによって些か手違いが生じ、⋯⋯蒼炎鬼め、誤って違う者を襲ってしまい⋯⋯》
《⋯⋯なに。人違いをしたのか? ⋯⋯にも関わらず、返り討ちにあったというのか》
《はい。残念ながら。⋯⋯誤って狙った相手の名は不知火中将綾麿。⋯⋯その正体は、『村雨』とかいう謎の刀を持つ『六歌戦』の一人。⋯⋯最初から我々が警戒し、蒼炎鬼の今回の襲撃の対象から外していた者です》
《⋯⋯何? 『村雨』⋯⋯? そして六歌戦の一人だと? ⋯⋯もしや、今まで送り込んだ偵察部隊が消息を絶ち続けているのは、この男が大いに絡んでいるのかもしれんな》
《⋯⋯その可能性は濃厚かと》
《蒼将鬼よ。その綾麿を含む『六歌戦』⋯⋯、今の奴等は六人全員の一致が無ければ、もし京都江戸を舞台にした大戦が起こっても、積極的に攻めに動くことはない⋯⋯。そうだったな?》
《はっ、“それ”故に拙者も過去の侵略よりも、”安泰“だと思っておりましたが、⋯⋯改めて気付かされました。『六歌戦』⋯⋯その強さ、脅威のほどを》
《日本の協力者⋯⋯あの男にも、綾麿の此度の一件、伝えたのか?》
《はい。直ちに綾麿の件と手違いの襲撃の件、伝えた所⋯⋯、あの者からの返事を一言一句そのままお伝えすると、「知り得た情報はきちんと流した。間違えた蒼鬼たちが悪い。綾麿の単独行動までは知らねぇ。今は大事の前の小事、くだらない事に構っている暇は無い。鬼の不始末は鬼で片付けろ」⋯⋯とのこと》
《⋯⋯小事、くだらない事だと? 傲慢な奴め。⋯⋯だが、その傲慢さに見合うだけの強さは持っている。⋯⋯ふん、まあよい、大切な同盟先だ。今は多少の暴言は多めにみてやろう》
《⋯⋯あのぅ、蒼将鬼さぁ?》
蒼極鬼と蒼将鬼の話の横から、突然に綺麗な女性の声が飛んだ。
蒼将鬼が振り返った声の先には、豪華できらびやかな着物を幾層にも纏った美しい女性が一人。
飲みかけの西洋風の腕皿を乗せた卓子を前にしながら、長椅子で優雅にまったりとくつろいでいる。
そして指先で髪をくるくると丸めたり、手鏡で色々な角度から自身を映したりしながら、蒼将鬼に向けて、甘美で妖艶な微笑みを浮かべていた。
《⋯⋯蒼炎鬼は間違えて、『六歌戦』の綾麿って男を襲って負けちゃったわけだけど、もっと悲惨なのは紅鬼の奴等でしょ。さっき聞いた情報によると、紅鬼は江戸からの援軍に紅影鬼まで差し向けて、鎌⋯⋯? 何とかって女忍に返り討ちにあったらしいわね。⋯⋯うふふ、笑えるわ。なんて恥ずかしいのかしら。相手はただの忍よ、しかも女子に負けたのよ? ⋯⋯うふふふふ、紅鬼の奴等って、本当に何て、お、馬、鹿、さん》
その美しい顔の額には、二本の角。
それは亡者たちを木の上から手招きし、枝刃で斬り刻む、あの『刀葉林』の絶世の美女⋯⋯蒼妖鬼だった。
着物の袖を口にあてて、愉しそうに笑みを浮かべ続ける蒼妖鬼を、蒼将鬼が厳しい声で戒めた。
《⋯⋯決して侮るなかれ、蒼妖鬼よ。⋯⋯その女忍、七十年前に紅鬼の奴等を封じた妖刀、鬼切丸を所有している、との事だ。紅影鬼を斃したのは、まぐれではないかもしれん》
《はい、はーい》
蒼妖鬼がつまらなさそうに、気の抜けた言葉を返した。
そして目を瞑ったまま、西洋風の腕で飲み物を優雅にすすると、目を細く見開き、艶のある溜め息を吐いた。
《⋯⋯はぁ》
腕から離したその妖美な唇⋯⋯そして銀の瞳が、今度は一転して妖しく煌めく。
そして続けて発する声には、先程の口調とは一転して”冷たさ“が増していた。
《⋯⋯でもさ、蒼将鬼のその情報こそ、鵜呑みにしていいの? 襲われた話の中で、紅影鬼の名を語っているのなら、襲われたのはまず間違いないとしても⋯⋯。その鎌⋯⋯何とかちゃん、⋯⋯本当に“勝てた”のかしら?⋯⋯本当に”人“なのかしら? 実は⋯⋯葬魂の“紅影鬼”だったりしてぇ⋯⋯?》
《⋯⋯⋯⋯》
蒼将鬼が言葉に詰まる。
人間は言わずもがな、一度仕掛けられた葬魂の術は、たとえ鬼同士であっても互いに見破るのは容易ではない。
それほどまでに、この”葬魂“は恐ろしい秘術だった。
蒼妖鬼の言葉に同調するように、蒼極鬼が言葉を失っている蒼将鬼に問いかけた。
《⋯⋯蒼妖鬼の疑惑も一理ある。⋯⋯ただでさえその女忍、鬼切丸を持つとのこと。紅影鬼が女忍に化けているのなら、紅鬼たちに鬼切丸が渡ったことになる。それは由々しき一大事だ⋯⋯、もたらされた情報の真偽は念のため調べねばならんな。⋯⋯情報元という残る一鬼、その羅刹は今は何をしている?》
《⋯⋯はっ、元々此度の蒼炎鬼に付けた五鬼。出世欲の強い羅刹ばかりを選んでおります故。その一鬼は、咄嗟の機転により、援軍の伊賀者一人を殺害後、すぐに葬魂の術を仕掛け、現在は決死の潜入中に御座います》
《そうか。⋯⋯念のため、その羅刹に、女忍が”人“ではなく“紅影鬼”である可能性を伝えよ、功を焦らずに慎重に動け、と。⋯⋯そして上手く事を成せば、その身体を足掛かりにして、きっと上級鬼『修羅』への道も拓かれよう⋯⋯とも、な》
《⋯⋯はっ、畏まりましてに御座います》
《⋯⋯して、その後はどう動く手筈だ?》
《はっ、そのまま京都御所に警備番として潜入し、我々の害となる剣客や関白、大臣、三納言など要人の暗殺作戦へと移行の予定⋯⋯。勿論、その女忍も一度隙を見せれば、すぐに殺させまする。⋯⋯なにせ、人だとしても紅影鬼だとしても、殺してしまえば関係ありませぬ故⋯⋯》
《⋯⋯御所内に入ることを許されている立場を利用しての暗殺工作か。それは名案だ。⋯⋯素晴らしい。紅鬼の邪魔や蒼炎鬼の失態で荒んだ、我が心の慰めになる。⋯⋯流石は蒼将鬼だ》
《⋯⋯身に余るお言葉。更に暗殺の標的は、要人や鬼切丸を持つ女忍だけに非ず。⋯⋯謎の刀『村雨』を持つ強敵、『六歌戦』綾麿もまた既に標的。⋯⋯ただ、報告によると、この両者⋯⋯、面白いことにお互いに憎み合っているとか。どうやら奴等もまた我々蒼鬼と紅鬼の争い同様に、一枚岩では無い様子かと》
《⋯⋯なに、憎み合っている、だと?》
蒼将鬼の言葉を聞いた蒼極鬼が指を顎に当て、謎の笑みを浮かべる。
⋯⋯この笑みは、何かの名案を閃いた合図。
それを知る蒼将鬼と蒼妖鬼は目を見開き、身を乗り出した。
《⋯⋯確かにそれは面白い。⋯⋯ならばこの総大将、蒼極鬼にも負けじと一つ名案がある。『六歌戦』綾麿や女忍に油断や隙が見当たらず、もしも二人の暗殺が思い通りに進まぬ時は、⋯⋯葬魂をそのまま利用した次の計へと移行。⋯⋯その二人を更に強く激しくいがみ合わせ、”戦わせる“、というのはどうだ? ⋯⋯ふふふ》
《⋯⋯なるほど。葬魂の真髄、疑心暗鬼の計⋯⋯、を》
蒼将鬼がゆっくりと頷く。
《⋯⋯流石は蒼極鬼様っ。鎌⋯⋯何とかちゃんが、人であっても紅影鬼であっても、ちょっと刺激を与えてやれば、きっと綾麿とやらと熱く激しく揉めるのは間違いないわ。⋯⋯武力でなく知力で攻める、⋯⋯あぁ、惚れ惚れする名案。まさに一石二鳥。私たちの手を汚さずに、少なくとも厄介者のどちらかは必ず死ぬ⋯⋯という事ね!》
蒼妖鬼は揉み手で、きらきらと目を輝かせた。
《⋯⋯とすると、残りの懸念はやはり紅鬼ども。⋯⋯蒼極鬼様、後は紅鬼より先に、京都へ猛攻撃を仕掛けるのみ。如何御決断なされますか》
蒼将鬼の面貌の下の銀の瞳が、強い煌きを放つ。
それは、紅鬼に後れを取ることは絶対にあり得ない⋯⋯そんな強い意志を感じさせた。
《⋯⋯そうだな、⋯⋯暮れ六つを迎えれば、その女忍の正体、紅影鬼か人か、それも自ずと明らかになる。⋯⋯よし、本日だ、暮れ六つの刻をもって、日本の本拠である御所内に羅生門邪道を開き、京都征服、帝殺害に向けた総攻撃の第一陣とする。 ⋯⋯蒼鋼鬼と蒼刃鬼を呼べ。⋯⋯二十鬼の羅刹の特攻部隊と共に、この二鬼の『修羅』に映えある第一陣を任せることにしよう》
《はっ⋯⋯!》
重々しく鎧の音を響かせながら、蒼将鬼が深々と頭を下げる。
《わわわっ、これは楽しそうっ》
蒼妖鬼は長椅子から飛び跳ねるように立ち上がると、妖美な微笑みを浮かべながら、蒼極鬼のすぐ目の前に歩み寄ってきた。
そして、何かをおねだりをするように、その身体を蒼極鬼に擦り寄せた。
《⋯⋯あのぅ? 蒼極鬼様ぁ? 妾も疑心暗鬼の計、何かお手伝いさせてくださいな。⋯⋯そして、折角の名誉な第一陣。出来るなら、妾も参加したいわ。⋯⋯毎日毎日、助平な亡者の殺戮ばかりで、ちょうど新しい刺激が欲しいと思ってましたの》
《⋯⋯ふっ、よかろう。⋯⋯遊んでくるがいい》
《きゃは。やったぁ。お任せあれ。⋯⋯そうと決まったら、いつでも羅生門を抜けられるように準備しなきゃ。暮れ六つまでの残り半日と少し、悪戯をどう仕掛けようかなぁ。⋯⋯あ、その前に、おめかし、おめかし⋯⋯っと》
蒼妖鬼は着物の裾をひらひらとたなびかせ、子供のように嬉しそうにはしゃぐと、蒼極鬼に向けて満面の美笑を浮かべた。
⋯⋯蒼極鬼が天守閣から地獄の統治下を俯瞰しながら呟く。
その燦然と輝く銀の目は、地獄界を超えて、標的の人間界をも確実に捉えていた。
《⋯⋯見ていろ、人間ども。紅の鬼ども。⋯⋯鬼切丸だろうが、村雨だろうが、そして紅皇鬼だろうが、⋯⋯行く手を阻む者は何者であろうと、全て蹴散らしてやろう。⋯⋯二十三の『修羅』と羅刹、⋯⋯我等が蒼の鬼の進軍、止めれるものなら止めてみよ⋯⋯!》━━━━。
━━━━夜が白白と明けていた。
どんなに悲しくても、朝はまたやって来る。
鎌足たち伊賀の忍たちが担当する東番⋯⋯その当日の朝を迎えていた。
忍とは、草に生きて、草に死ぬ。
墓標など無い。
これは伊賀忍軍の“しきたり”でもあった。
鎌足たち三人は、甚左の亡骸を、夜半この京都の人知れない地に埋めて弔うしかなかった。
涙ながらに甚左を埋葬した後、鎌足は紅影鬼から受けた傷に応急処置を施し、子の刻(※1時)過ぎにはやっと床へと着いていた。
しかし布団の中で上半身を起こしたまま、一睡もできていなかった。
その目は涙と睡眠不足で、赤く腫れ上がっている。
目の前で大切な仲間⋯⋯甚左を失った胸の痛み、その傷の余りもの重さが、鎌足に大きくのしかかっていた。
大切な仲間の死の悲しみや辛さ、傷の痛み、戦いの興奮の余韻もあったが、鎌足が眠れなかったのには、他にも一つの大きな理由があった⋯⋯。
(⋯⋯平次たちも鬼に襲われた。⋯⋯しかも私と違って蒼鬼たちに)
朝になっても尚、一晩の間に何度思い出したかわからない、昨日の夜の平次と大吾の言葉が過ぎる。
(「⋯⋯小頭。本当に恐ろしい蒼鬼の群れでした、私も大吾も、互いの屋根の上で自らの生命を守るので精一杯、後を付けるどころか反撃すらままならず⋯⋯、面目ない」)
(「⋯⋯無我夢中で刀を振り回して逃げて⋯⋯、気づいたら見知らぬ町中。はは⋯⋯、でも平次さんも私も、何とか無事に逃げることができて、本当に良かった。⋯⋯いやあ、鬼の怖さ、改めて身をもって知ることができました」)
⋯⋯そのもう一つの理由とは、鬼たちに襲われた驚きや動揺からではない。
平次と大吾が見届けられなかった、綾麿の“その後”が気になって仕方がなかったからだった⋯⋯。
(⋯⋯たぶん、⋯⋯蒼鬼が襲おうとしていたのは平次や大吾じゃない。⋯⋯綾麿なんじゃないかな? ⋯⋯二人は綾麿を背後から尾行していた。⋯⋯ということは綾麿も襲われた⋯⋯のか?)
今、鎌足の頭の中に、様々な推察や疑惑が渦を巻いていた。
綾麿がその後どうなったのか。
綾麿は人だったのか。
それとも鬼だったのか。
(「綾麿は鬼かもしれない」⋯⋯これは甚左に化けた紅影鬼の、単なる出任せの言葉、真っ赤な嘘だったのか? ⋯⋯いや、でも、平次と大吾をおびき寄せて、蒼鬼に襲わせたのが、もし先を歩いている綾麿だったとしたら⋯⋯? やっぱり綾麿は蒼鬼⋯⋯)
当然に今この時点では、綾麿の生死までは分からない。
鎌足の頭は、絶対に答えを導き出せない、自問自答の困惑の迷路の中にあった。
(⋯⋯もし蒼鬼じゃなくて人だったとして⋯⋯、背後から不意に集団で凶暴な蒼鬼に襲われて、果たして無事なんだろうか。⋯⋯綾麿は昨日会った時は人だったとしても、夜の襲撃によってもう殺されてしまったのかのもしれない。⋯⋯憎たらしい奴だし、江戸徳川にとっては朗報かもしれないけれど⋯⋯、でも、でも⋯⋯、もし、綾麿を殺した蒼鬼が葬魂の術を綾麿に使っていたら⋯⋯? そしてもし死んだはずの綾麿が、何食わぬ顔でまた御所にふらりと現れたとしたら⋯⋯?)
一度考え出したら最後、色々な可能性や状況が頭の中で枝分かれしていく。
そして疑念は枝分かれした先で、更に幾重にも廻り出す。
鎌足は唇を噛みしめ、拳を握りしめた。
(⋯⋯今日は綾麿は非番のはずだから、生きているか、死んでいるか、今日突き止めるのは無理かもしれないけど、遅かれ早かれ近い内にははっきりさせなきゃ。⋯⋯人なのか、⋯⋯鬼なのか、それも含めて、全てを⋯⋯)
鎌足は開いている窓から、外の晴れ渡った蒼天の空を眺めた。
(⋯⋯でも、蒼鬼だけじゃなく、紅鬼まで現れたんだよな⋯⋯)
蒼鬼と紅鬼。
二つの種の鬼が京都に現れた。
これもまた大きな謎を秘めた出来事ではあったが、今の鎌足には、その意味を深く考えるだけの余裕は無かった。
夜はもう明けてしまった。
どんなに悲しくても苦しくても悩み抜いても、今日は東番当日。
蒼鬼だろうが紅鬼だろうが、鬼がまた御所に現れるならば、命を賭して再び戦いの中に身を捧げなくてはならない。
(⋯⋯やるしかない、⋯⋯三人で力を合わせて)
陽はどんどん高くなっていった。
「⋯⋯小頭、見てくださいよ、今日は雲一つ無い晴れ渡った青い空ですよ! しかも蒼が綺麗に輝いてます! こういうのを、”蒼天“って言うらしいですよ? ⋯⋯いやあ、東番初日にぴったりな良い天気だ!」
遠くの部屋から、大吾の元気な声が聞こえる。
「⋯⋯確かに、今日は心地良い程の快晴。まさに”蒼天”。⋯⋯映えある東番初日、その門出に相応しい青空だ。きっと小頭の日頃の行いが良いからだな」
近くの部屋から、平次の明るい声も聞こえた。
二人とも、辛い気持ちを乗り越え、鎌足に元気を送ろうとしてくれているのだろう。
その声は、いつもよりも明るく、力強かった。
⋯⋯しかしその明るい声に反して、鎌足は相変わらず布団の中で上半身を起こし、視線を前に向けてぼんやりとしたままだった。
鎌足はその彷徨う視線を、何気に右横の畳に移した。
美しく光輝いているのは空だけではなかった。
鎌足の隣畳には、昨日共に戦い生き残った戦友とも言える、鬼切丸と鎖鎌が、朝陽に照らされてきらきらと美しい光を放っていた。
(⋯⋯うん、そろそろ起きなきゃ。⋯⋯そうだよな、⋯⋯前向きに。今日の日のために今まで皆で頑張ってきたんじゃないか。⋯⋯甚左の分まで使命を果たさなきゃ、⋯⋯だよね。⋯⋯⋯⋯ね、甚左⋯⋯)
心の中で甚左に誓いをたてる鎌足⋯⋯その部屋の隣の土間では、先程から大吾が珍しく朝餉の用意をしている。
障子の向こうで大吾の影がせわしく動き、包丁の音が聞こえ続けていた。
料理好きな大吾の作る味噌汁、大根の漬物、塩魚は、江戸での鎌足の大好物の組み合わせだった。
鎌足の落ち込みを見て、元気が出るようにと、相当に早くから起きて、わざわざ作ってくれているらしい。
障子の向こうから、大吾の声が聞こえた。
「小頭、あれほど早く休んで、と言っていたのに⋯⋯、何度か障子越しに様子を見に来ましたから、知ってますよ。結局一睡もしてないんでしょう? 困った小頭だなぁ。さあ、この朝餉が出来たら起こしてあげますから、今からでも少し寝られては? いや、大事な日だからこそお願いです。寝てください。必ず起こしますから」
「ありがとう、大吾」
トントントン、トントントン⋯⋯
包丁の小気味良い音。
トントントン、ドン、ドンッ⋯⋯
時折、まな板を強く叩く音が聞こえる。
左の部屋では、平次も昨日から一晩かけて、本日の東番警護に持参する刀や手裏剣の手入れをしてくれていた。
鎌足の傷や疲れを心配し、また大吾にも負担をかけさせまいと、平次はこの大事な準備のほぼ全て⋯⋯三人分を一人で引き受けてくれていたのである。
右腕とも言える甚左を失ってしまった今、鎌足にとって、平次本当に心から頼りになる存在となっていた。
襖の向こうから、平次の声が聞こえた。
「小頭、傷は少しは癒えましたか。昨晩からずっと起きていたようでしたが⋯⋯、心配だな、少しは寝ないと身体が持ちませんよ。東番の用意は私と大吾でしますから。どうか半刻ほどでもいい、寝てください。私たちは大丈夫ですから。小頭と違って逃げただけ⋯⋯、あ、はは、いや、これはまた恥ずかしい話をしてしまったな」
「平次もありがとう。助かるよ」
シュッッ、シュッ、シュッッ⋯⋯
刃を砥ぐ摩擦音。
シュッ、⋯⋯シューーーッ⋯⋯⋯
時折、鋭さを増した音が響いてくる。
「二人とも、本当にありがとう」
(初の東番、何事も無く、三人で無事乗り越えられますように⋯⋯)
忍の修練を受けた鎌足は、三日三晩不眠不休で任務をこなすことも多々あり、不眠に慣れていないわけではなかった。
だが、京都への早旅、御所の探索、綾麿や麒麟との確執、昨夜の紅影鬼との死闘と手傷、そして甚左の死を受けての慟哭⋯⋯。
鎌足は今、心身ともに疲労の絶頂にあった。
トントン、トントントン⋯⋯
シュッ、シュッ、シュッ⋯⋯
トントントン、トントントン⋯⋯
シュッ、シュッ、シューーッ⋯⋯
トントントン、トントン⋯⋯
シュッ、シュッ、シュッ⋯⋯
鎌足は、つい微睡んだ。
トントン、トントントン⋯⋯
シュッ、シュッ、シュッ⋯⋯
トントントン、トントントン⋯⋯
シュッ、シュッ、シューーッ⋯⋯
目蓋が下がっていく。
視界が狭く、薄くなっていく。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯はっ」
眠りに落ちかけた。
その寸前で、鎌足は何とか意識を保った。
目の前の障子が、人の顔一つ開いている。
包丁を手にした大吾が無言で立っていた。
左隣の襖もまた、人の顔一つ開いている。
忍刀を手にした平次が無言で覗いていた。
「⋯⋯小頭、朝餉の用意ができました⋯⋯」
「⋯⋯小頭、刃の砥ぎが終わりました⋯⋯」
第35話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています!(ぜひ★マークやブックマークで応援よろしくお願いします♪)
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪(いつも無数の誤字脱字ばかりで、すみません)
次回、第36話「毒の罠」は、3月11日投稿予定です。




