第33話 生と死
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。不知火流という恐るべき剣の使い手。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。御所を去る鎌足たちの影の中に、鬼の気配を察知する。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
紅影鬼━━━━
紅鬼の上級鬼『修羅』の一鬼。紅鬼の総大将 紅皇鬼の命令で江戸からの援軍の実力を探る。地獄の針の山から召喚した狂気の武器と、殺した人間の魂を奪って本人に成りすます葬魂の術を用いて、鎌足たちを急襲する。
━━━━閉ざされた廃屋からの決死の脱出、そして凶悪な紅影鬼の打倒。
鎌足の命運を賭けた決戦の時が近づいていた。
(⋯⋯この一撃、この賭けで、私の生死が決まる。⋯⋯御頭、百地翁様、平次、大吾、そして⋯⋯甚左。⋯⋯皆、私に力を貸して━━━━)
鎌足は奇をてらわず、正面から飛び出すことを決めていた。
下手に小細工を弄さないほうが、逆に紅影鬼の裏をかけると思ったからだ。
鎌足は床を這うように身を低くしながら、音も無くゆっくりと土間へと降りた。
そして命運を握る両の手の鬼切丸と鎖鎌を、改めてそれぞれ強く握りしめた。
目の前には、鎌足の体当たりによって穴が空いて、半壊した戸口。
ちょうど鎌足の身体と同じ大きさのその穴は、まるで鎌足を死の国に飲み込み誘う魔物の口のように、鎌足を待ち受けていた。
(⋯⋯生きるか、死ぬか。⋯⋯いくぞ)
そんな生と死の境界線で、鎌足は来たるべき運命の時に備えて身構えた。
《⋯⋯そんな埃臭い場所に何時まで引き篭もる? そろそろ覚悟を決めて出て来い、伊賀の鎌足よ、ふはははははは⋯⋯》
紅影鬼の挑発。
その直後の油断を狙った。
⋯⋯鎌足は遂に動いた。
廃屋の中から、攻撃の動作に転じる。
「⋯⋯伊賀流鎖鎌術、十三ノ鎖刃、砂霞⋯⋯!!」
入ってきた戸口に鎖と分銅を投げる。
そして再度の鎖刃砂霞で砂埃を舞い上げる。
その砂埃が舞い上がる中、鎌足は一直線に外に飛び出し、駆けた。
不意の砂埃。
《⋯⋯!? ⋯⋯むぅッ⋯⋯!!》
惑わされた紅影鬼の針の雨は、全速で飛び出してきた砂埃の中の鎌足を完全には捉えきれない。
針は鎌足の疾走り抜けた後の地に、次々と刺さっていく。
(⋯⋯よしっ、まずは第一関門突破だ!)
無傷で廃屋を脱出することに成功した鎌足は、ここで意外な動きに出た。
何を思ったか物陰に身を隠すような事をせず、まるで針で全身を狙い射てくれとも言わんばかりに、道の真ん中に満月を背にしながら、颯爽と仁王立ちしたのだ。
その鎌足の眼前に、針の槍を構えた紅影鬼が即座に立ちはだかる。
《⋯⋯ふははははは、やっと出てきたか! 臆しおって! 待ちかねたぞ。伊賀の鎌足ぃぃ!》
鎌足の目の前から、紅影鬼の舌舐めずりの狂気と狂喜の声が飛ぶ。
《⋯⋯その魂、その姿、その技、その記憶、⋯⋯そして鬼切丸もだ。⋯⋯御主の全てを、この身共 紅影鬼が有り難く頂戴致す⋯⋯!! 御主の魂は地獄の底を永遠に彷徨うがよいわ!!》
鎌足が凛とした声で呼応する。
「⋯⋯お生憎様。こんな私の身体や技でも、そこそこ気に入ってはいるんだ。御前みたいな外道の紅鬼なんかに、みすみす渡してやるもんか!!」
《⋯⋯ほう、ならば影法師を破り、身共に勝てる、⋯⋯と申すのか? 小娘の分際で》
「⋯⋯勝てるよ」
《⋯⋯なに?》
「⋯⋯ふんッ、影法師の術、⋯⋯見破ったり⋯⋯! ⋯⋯御前の本体は、⋯⋯此処だッ!!」
力強く叫んだ鎌足は片膝をついた。
そして第一の攻撃の刃を振りかざした。
しかし、その攻撃の先は眼前の紅影鬼ではなかった。
満月に照らされ、目の前の足元から伸びる⋯⋯自分の影に向けて、だった。
そして手にした刃。
悩んだ挙句に、鎌足が第一撃に選んだ武器⋯⋯、それは。
鬼切丸でも無く。
また鎌でも無く。
⋯⋯腰に差していた、忍刀だった。
鎌足はその切っ先を、自分の影⋯⋯真下に向けて思い切り突き刺した。
《⋯⋯ぎゃあああああああああぁぁ⋯⋯⋯!!》
あれだけ鎌足を余裕に幻惑していた紅影鬼が、この戦いが始まって初めて苦痛の声をあげる。
それと同時に、鎌足と対峙していた紅影鬼の姿が幾重にも揺らめく。
そしてすぐに夜の闇や周囲の景色と同化するように、ぼんやりと透き通りながら消えていった。
鎌足の賭けは見事に当たった。
⋯⋯この戦いの最中、鎌足は常に満月の光を浴び、必然的に影を伴っていた。
紅影鬼の実体はその影の中。
⋯⋯つまりは鎌足のすぐ真下に潜んでいたのである。
鎌足がどれだけ攻撃を避けても退いても離れても、影だけは変わらず鎌足について回る。
それはすなわち、鎌足は常に紅影鬼をすぐ傍に連れながら、逃げ回っていたことに等しかった。
満月の光が十分に届かない暗い廃屋の中では、影ができない。
得意の幻影で惑わすことが出来なくなるため、紅影鬼は攻撃を躊躇し、また鬼切丸への警戒から”待ち“に徹していたのだ。
この影法師の術を見破るきっかけとなったのは、たまたま思い出した記憶の中の御頭の言葉、⋯⋯そして綾麿の顔が脳裏を過ったことから気づいた、影と満月との関係性だった。
「⋯⋯さあ、出て来い、本物の紅影鬼!!」
鎌足の予想外の反撃を受けて、鎌足の足元の影から、人の形の塊が浮かび上がる。
その塊は、徐々に紅影鬼の姿へと変わっていき、完全に影を飛び出した塊⋯⋯紅影鬼は、次の瞬間には夜空高くへと飛翔していた。
「⋯⋯くそっ、上か!!」
鎌足の忍刀による第一撃は、紅影鬼の心の臓よりもやや肩口寄りに突き刺さり、致命傷とはなっていなかった。
紅影鬼は大きく口を開き、苦痛で顔を歪ませてはいるものの、やはりなかなかに斃すことは難しい魔性の鬼。
《⋯⋯小癪な小娘め!》
紅影鬼が口を開く。
その口内からは巨大な針が姿を現し、紅影鬼は鎌足に向かって、まるで巨大な痰を吐き出すように、禍々しい凶暴な一撃を繰り出した。
「⋯⋯うおおおおおおおおおおっっッッ!」
この凄まじい速さで襲いかかってくる強烈な巨大針を弾くために、鎌足は気合の咆哮と共に身体を旋回させる。
そして、まだ第一撃の手応えが手に残る、愛用の忍刀を再び振り抜いた。
針と正面衝突するようにぶつかる、鎌足の忍刀。
あの江戸での蒼鬼との戦いをはじめ、幾多の戦いを鎌足と共に乗り越えてきた⋯⋯その愛用の忍刀の刃は、まるで鎌足の身代わりになったように、刃も鍔も柄までもが、粉々に砕け散っていた。
一方、空に逃げた紅影鬼は、再び幻影に戻ろうとしているのか、それとも地上に存在する木々や燈籠の影の中にでもその身を潜ませようとしているのか。
次第に身体の色が薄まっていく。
「⋯⋯ッ、逃がすか!」
その前に、鎌足が再び“計画通り”に動いた。
飛び散った忍刀の欠片が舞い散る中、先程の旋回の勢いそのまま鎌足の第二撃が飛んだ。
⋯⋯鎖と分銅である。
「伊賀流鎖鎌、伍ノ鎖刃、⋯⋯大蛇縛りッ⋯⋯!!」
鎌足が鎖を持つ手首を様々な角度にひねる。
その動きに命を与えられた鎖は、今、文字通り大蛇となった。
初めて焦りと痛みを見せて空を舞う、手負いの紅影鬼。
その身体に、まるで獲物をぐるぐる巻きにしていく大蛇の様に、鎌足の鎖は絡みついていた。
「⋯⋯手応えありッ! ⋯⋯捉えた!!」
《⋯⋯ぐぅっ、おのれ小娘め、⋯⋯ぉぉぉぁおおお、何の是式ッ⋯⋯!》
捕らえられた紅影鬼は、鎌足渾身の堅固な大蛇の縛りですらも滑り抜けようと、更にその身の色を薄くしていく。
(また幻影か! そうはさせるか⋯⋯!!)
紅影鬼の抵抗の前に、鎌足の用意した必殺の”第三撃“が牙を剥いた。
⋯⋯空を飛び、紅影鬼に絡みつく分銅。
⋯⋯その先端には、鬼切丸の刀身があった。
この鎖刃「大蛇縛り」は、敵を拘束して縛り上げるだけが目的ではない。
縛っている分銅とは反対側の鎌を用い、自由を奪った相手の喉を斬り裂く動きへと移ることもできる、連続攻撃の一つの布石としての側面も持っていた。
だがどうしても相当の間合いが生じてしまうために、間髪入れずに喉を斬り裂く次の動きに移れなくなってしまう。
それはこの戦いにおいては、致命的だった。
そのために鎌足が用意した最後の仕上げ⋯⋯打開策が、分銅の先端に取り付けた、この鬼切丸だった。
敵の自由を奪うと同時に、手持ちの最強の駒、鬼切丸の第三撃で勝負を賭ける。
⋯⋯第一撃の忍刀、⋯⋯急所を外した場合の第二撃、捕縛の鎖、⋯⋯そして第三撃、とどめの鬼切丸。
これが鎌足が辿り着いた、必殺の賭けの全てだった。
この時、空で紅影鬼を縛っている鎖の先端に絡みついた鬼切丸の刃は、正に大蛇の鎌首と化した。
《⋯⋯ぐッ、⋯⋯ま、まさか、身共は地獄の針山の番人ぞ⋯⋯ 誉れ高き上級の紅鬼『修羅』ぞ! 人間如きに⋯⋯、しかもこんな小娘如きに⋯⋯、まさか⋯⋯、こんなことが⋯⋯》
「⋯⋯伊賀を、⋯⋯人間を、見下し蔑んだ報いだ」
鎌足は再び巧みに鎖を操り、弧を描くように角度を付けた後、手元へと素早く引き寄せる。
その手首の動きに呼応して、鬼切丸の刃は、本物の大蛇の牙のように紅影鬼の首に突き刺さり、その喉をかっ切っていた。
《⋯⋯ぐぁああああああああああぁぁ⋯⋯⋯!!》
紅影鬼が断末魔の叫びをあげる。
夜空を紅に染める、魔性の鮮血が飛び散った。
既に勝負は決していた。
しかし鎌足は、この鎌首をもたげた大蛇⋯⋯鬼切丸の刃へと繋がる鎖での攻撃の手を緩めなかった。
鎌足は苦々しく唇を噛み締めた後、更に強くしなやかに、一気に鎖を引ききった。
それは一切の情を打ち捨てた非情の攻撃だった。
追撃の波動が鎖を伝わる。
次の瞬間、托鉢笠を被ったままの紅影鬼の首は、鬼切丸によって呆気なく胴体から吹き飛ばされていた。
月明かりの下、空からゆっくりと地上に落ちていく紅影鬼の身体、そして托鉢笠。
その身体は、かつて紅影鬼の葬魂の術によって奪われたであろう、人間の骨へと変わりながら朽ち果てていく。
そして音を立てて地上に落ちた後は、あれだけ猛威を奮った針の槍も、甚左の血で汚れた法衣も、そして鋭い銀の瞳を覗かせていた托鉢笠も、⋯⋯その全てが最後は瘴気に満ちた紅い霧となって、満月に吸い込まれるように夜空の中に飛散していった。
鎌足は鋭い目で、そんな紅い霧を見つめ、そして冷たく吐き捨てるように呟いた。
「⋯⋯最後の第四撃、⋯⋯これは甚左の痛みの分と知れ⋯⋯」
⋯⋯戦いは終わった。
賭けに勝ち、“生”を繋ぐことができた鎌足は、横たわる甚左の亡骸にふらふらと歩み寄ると、腰が砕けたようにその場に座りこんだ。
恐ろしい術を使う人形の紅鬼、『修羅』に勝った。
しかし今、その安堵や勝利の実感よりも、蒼鬼に続いて紅鬼までもが現れたという謎よりも、大切な仲間を失ったことの苦しみと悲しみが、涙の津波のように鎌足の心に押し寄せてきていた。
「⋯⋯ごめん、甚左、ごめんなさい⋯⋯」
顔を手で覆った鎌足の、涙と嗚咽は止まらなかった。
冷たくなった甚左の身体を抱きかかえ、額を擦り付けながら、衣に血が着くのも何ら厭わずに、⋯⋯泣いた。
ただひたすらに泣いた⋯⋯。
鎌足の尽きることはない涙と深い悲しみは、いつの間にか“通り雨”を呼んでいた。
⋯⋯涙雨。
鎌足の頬を、涙と雨が伝う。
初めての本格的な鬼との戦い。
京都に入り、僅か二日目にして⋯⋯
⋯⋯鎌足は大切な仲間を、早くも一人失った━━━。
━━━━それから約半刻(※1時間)程の後、場所は変わり、不知火中将綾麿の別邸。
香が焚かれた奥座敷。
この別邸の主⋯⋯中将綾麿は、村雨をすぐ脇に置き、目を瞑り座していた。
その正した姿は、自らの邸宅に居るにもかかわらず、まだ御所内に居るかのように見えた。
鎌足の前では足を崩していたが、それは「江戸の者へは礼儀は不要」という綾麿なりの信念によるものだった。
蒼炎鬼を斃しても尚、綾麿の心は中将として、そして西番頭として、今だ戦いの最中にあった。
(⋯⋯鎌足の方へ向かった蒼鬼の影⋯⋯、何処に消えた? 今晩のうちに始末しなくては⋯⋯)
綾麿の目がゆっくりと開いた。
「⋯⋯輝里か」
この夜、鎌足に起きるであろう出来事。
その一部始終と鬼の行方を見届けさせるため、追跡させていた配下の輝里が、その任を終えてこの別邸に戻ってきた。
障子の向こう、片膝を付いた影が見える。
「⋯⋯はい、中将様、こんな夜分に失礼致します」
襖を開け、輝里が廊下から半身を覗かせた。
「⋯⋯それより、綾麿様、此処までの道すがら、高官たちの屋敷の建ち並ぶ辺りが相当に焼失していましたが⋯⋯!、⋯⋯ッ、もしや綾麿様も襲われた⋯⋯のですか!? ⋯⋯お怪我はありませんか!?」
「⋯⋯大事無い。蒼鬼に襲われはしたが、斃した。⋯⋯それで鎌足の顛末は? 蒼鬼を斃しに向かわねばならぬ。⋯⋯時間の猶予は無い。知りたいのは、蒼鬼の使う技とその行方。そして鎌足のことだ。⋯⋯まず蒼鬼について、だ。⋯⋯どんな技を使う蒼鬼だった?」
「⋯⋯よかった。御無事で何よりです。⋯⋯で、そう、⋯⋯それ、それなんですが、大変なことが起こりました。⋯⋯あの後⋯⋯」⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯鎌足と紅影鬼との死闘。
それを輝里は密かに物陰に隠れながら覗っていた。
輝里は、今しがた目にした戦いを、綾麿に語り始めた⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯⋯⋯「⋯⋯なるほど、⋯⋯その得体の知れぬ敵は、恐らくは人形の蒼鬼。鎌足と共に居た江戸の連れの忍の一人を密かに殺したのだろう。そして蒼鬼がすり替わっていたというわけだ⋯⋯。⋯⋯して、その蒼鬼の使う技、⋯⋯見えなかった、というのか?」
「⋯⋯はっ、遠方よりの確認。加えて夜半での事故⋯⋯、その⋯⋯、ほとんど互いに何をしていたか動きは分からず⋯⋯、ただ雲水姿の托鉢笠の男が、何かの無数の光を発しながら、悍ましき影と共に蠢いていた⋯⋯、と言うより他はなく。⋯⋯っ、御下命十分に果たせず申し訳ございません⋯⋯」
「⋯⋯その後、鎌足の方はどうなった?」
「⋯⋯何処からともなく次々に飛び出てくる“何か”から避けるように、鎌足殿は廃屋の中へ⋯⋯。その後は双方一向に動き無く⋯⋯。恐らく、⋯⋯いや、間違いなく、鎌足殿は逃げたものと思われます。あのような異形の怪物に、鎌足殿が勝てるはずはありません」
「思う? ⋯⋯最後まで見届けなかったのか?」
「⋯⋯あの、実は⋯⋯中将様のお申し付け通り、相当に離れた草むらに潜んでおりましたが、⋯⋯鎌足殿の次は、私が狙われる番ではないかと段々と怖くなり⋯⋯身体の震えが止まらなくなり⋯⋯、⋯⋯逃げ出してしまいました、本当に申し訳ございません⋯⋯面目ない」
輝里の言葉に、綾麿は目を閉じながら、じっと考え込んだ。
(⋯⋯鎌足、伝説の鬼切丸を授かる程に百地の信を得ている者。少しはやるかと思っていたが⋯⋯、他愛ない、逃げたか。⋯⋯否、逃げることすら叶わず、その命、既にこの世に無い、⋯⋯か。もし葬魂を仕掛けられたならば、魂は今頃は地獄の深淵を彷徨っているかもしれんな。⋯⋯まあよい、葬魂を受けず、人知れず野晒しの骸になっているなら、それまでの事。⋯⋯思慮すべきは何故に鎌足が狙われたか、⋯⋯そして明日の東番、鎌足がもし姿を現わすようなら、⋯⋯鎌足は果たして人か、⋯⋯それとも⋯⋯)
珍しく考え込む綾麿の姿を前にして、輝里が訝しげに声をかける。
「⋯⋯中将様、どうなされました? 何をお考えで?」
綾麿はゆっくりと目を開ける。
「⋯⋯否、何でもない。構わぬ。下がってよい」
「⋯⋯はっ、では。これにて失礼致します」
輝里は頭を深々と下げ、再度会釈した後、綾麿の隣に置かれた村雨の方を一瞥し、襖を閉めようと手をかけた。
「⋯⋯待て」
綾麿が輝里を呼び止める。
「⋯⋯?」
「⋯⋯輝里、麿があまり人と話さぬ理由を知っているか?」
「⋯⋯え? どうしたんですか、急に」
「⋯⋯幾つか理由があるが、そのうちの一つ。それはな、葬魂の術に打ち勝つためだ」
「⋯⋯葬魂の⋯⋯術に?」
「ああ、人を知れば知るほど、人と交われば交わるほどに、葬魂の術はその力を更に増す。そして人は鬼の術中に堕ちる。⋯⋯大切に想っている者や、目の前で笑顔を浮かべる者を信じ抜きたいと願う気持ちが、心の奥底に生まれ出るからだ。⋯⋯だから麿は人を深く知ることはせぬ。⋯⋯よって、常人では気づかぬものが、時には見えることもある」
「⋯⋯は、はぁ」
「⋯⋯心が人のままでは、葬魂を見破ることはできぬ、⋯⋯人としての心を捨て、鬼の心を持たなければ、葬魂の術にも鬼にも勝つことはできぬのだ」
「⋯⋯そ、そうだったのですね」
「⋯⋯輝里」
「⋯⋯は、はい」
「⋯⋯何故、村雨を見る?」
「⋯⋯は?」
「村雨は見知っているはず。何故に眼をやった?」
「⋯⋯仰っている意味が?」
「⋯⋯記憶を読み、頭の中で村雨の姿を見たとしても、やはり実物は格別か」
「⋯⋯⋯な、何のことでしょう? 中将様」
「⋯⋯多くの鬼が斬られてきた刀、数々の逸話が伝わる刀だ、地獄に住まう者でも自然と興味も湧くというもの」
「⋯⋯⋯は、はは、⋯⋯一体何を?」
綾麿は村雨を手に、音もなく立ち上がった。
「⋯⋯輝里、そなたの仇は麿が取ってやる、⋯⋯それがせめてもの供養だ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯貴様、⋯⋯蒼鬼だな」
言葉を発するや否や、綾麿の村雨の真刃が、鞘から抜き放たれた。
稲光の様に走る一筋の閃光。
その閃光は、一瞬にして輝里の首と胴を真っ二つに斬り裂いた。
廊下や障子だけでなく、座敷内の天井までも血飛沫に染まっていく。
座敷によたよたと前のめりに歩き、ごろりと転がり落ちた首は⋯⋯、輝里ではなかった。
一瞬だけ恐ろしい形相の紅の鬼の首へと変わり、紅い霧と共にまた輝里の顔へと戻っていく。
その首と胴から発する紅の霧は、座敷の香の煙と交じり合い、最後は通り雨の明けた夜の空へ消えていった。
血の紅に染まった座敷の中。
腰を沈めて片膝立ちする綾麿は、村雨の真刃の柄を眼前で垂直に握ったまま、再び深く考え込むように虚空を睨んだ。
「⋯⋯何故だ、蒼の鬼に非ず⋯⋯。紅の鬼だと?」
綾麿がゆっくりと立ち上がる。
綾麿の瞳の中か、脳裏の片隅か。
地獄の針の山の前に腰掛け、全身剣山のようになっていく亡者たちを悠然と眺め、絶えず嘲笑を送っている托鉢笠をかぶった雲水の姿が浮かんでいた。
(⋯⋯そうか、あの影。蒼鬼の中で思い付く者は居なかったが、⋯⋯なるほど。紅鬼で影の術を使う者、托鉢笠に雲水と言えば⋯⋯、恐らくは紅影鬼だな、⋯⋯鎌足を襲った鬼は。⋯⋯ならば襲われた鎌足の命、十中八九⋯⋯否、九分九厘もはやこの世には無いだろう。⋯⋯しかし)
綾麿は、何故か以前から見知っていたかのように、紅影鬼の名を当たり前のように心の中で呟いた。
そして開いたままの襖から、顕になっている庭園を思い詰めた表情で眺めながら、眉間に皺を寄せた。
紅い雫が滴る。
視界の端に映る襖は、紅鬼の色⋯⋯血の紅に染まっていた⋯⋯。
(⋯⋯蒼鬼だけではなく紅鬼までもが動いた。⋯⋯地獄の鬼どもに一体何が起こっている?)━━━━。
━━━━この血の惨劇が起こった奥座敷と廊下に面した、美しい庭園。
その池の水面に、季節外れの紅の蓮の花弁が数枚、春の夜風を受けて人知れずゆらゆらと浮かんでいた。
その花弁が突然の妖しい炎に包まれ、そしてゆっくりと池の中へと沈んでいく。
『⋯⋯蒼鬼、蒼炎鬼を斃し、僕たち紅鬼の葬魂の術もを見破る人間か⋯⋯、これは侮れませんね』
ふと何処からか、そんな声がした。
しかしその声もまた折からの夜の春風に乗り、綾麿の耳に届く前には、虚空へと消え去っていった━━━━。
第33話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪(いつも無数の誤字脱字ばかりで、すみません)
次回、第34話「東番の朝」は3月7日もしくは8日に投稿予定です。(正式な投稿日はXでポストします)新たな展開に是非御期待ください!




