第30話 不知火 〜蒼〜
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。不知火流という恐るべき剣の使い手。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。御所を去る鎌足たちの影の中に、鬼の気配を察知する。
蒼炎鬼━━━━
蒼鬼の上級鬼『修羅』の一鬼。蒼鬼の総大将 蒼極鬼の命令で京都御所の番頭の実力を探る。地獄の蒼の火の山から召喚した蒼炎の秘術と剣技を使う。番頭の少将麒麟を急襲するが、それは麒麟ではなく綾麿だった。
紅影鬼━━━━
紅鬼の上級鬼『修羅』の一鬼。紅鬼の総大将 紅皇鬼の命令で江戸からの援軍の実力を探る。地獄の針の山から召喚した狂気の武器と、殺した人間の魂を奪って本人に成りすます葬魂の術を用いて、鎌足たちを急襲する。
━━━━暮れ六つもとうに過ぎ、決して誰も来ることはない、忘れ去られた京都の裏の暗黒街。
満月が見守る下で、鎌足と紅影鬼は交戦の真っ只中にあった。
しかし交戦と言うよりは、実際は一方的な嬲り殺し。
紅影鬼の繰り出す地獄から召喚した凄まじい技や術を前に、鎌足の命はもはや風前の灯となっていた。
それはまるで、群れからはぐれた一匹の鼠と、追い詰めた獰猛な山猫。
そんな比喩が当てはまるように、圧倒する紅影鬼は針の長剣を手に、そして満月を背に、鎌足が逃げ込んだ廃屋を、その鋭い紅の眼で睨みつけていた。
《⋯⋯鎌足め、現世の深淵に逃げ込みおったか》
紅影鬼が苦々しく呟く。
《⋯⋯しかし、思いの外、取るに足らない奴よ。この七十年で人間界は⋯⋯少なくとも江戸の力は衰退したと見える。あの鎌足を始末した後は、他の伊賀の二人ではなく、先程正門前で見かけたあの不知火中将綾麿とか言う男、⋯⋯奴と戦ってその力を見てみるとでもするか。丁度良い、送り込んだ平次と大吾とやらが、少しは綾麿の動きや居場所を探ってくれるだろうて。⋯⋯ふふふ、鎌足に化け近づき、綾麿を殺し、そしてあの村雨を奪い取れば、身共の左右の手には鬼切丸と村雨⋯⋯、なかなかに楽しめそうだ》
紅影鬼はほくそ笑むと、何故か托鉢笠の縁に指をかける。
そして笠を傾げながら、鎌足が飛び込んだ廃屋とは反対側の方向に、首の向きをゆっくりと変えていく。
紅影鬼の視線が向けられたのは、つい先程まで甚左に化けて鎌足と共に歩いてきた道の先。
その遥か彼方の暗がりに向けて、紅影鬼は目を凝らした。
《⋯⋯それにしても綾麿め、⋯⋯ふふふ、はや、もう一匹の“鼠”を此方に送り込むとは。⋯⋯ふん、あの時に隣にいた若造か。⋯⋯村雨とやらを持つ綾麿との戦い、鬼切丸の鎌足よりは楽しめるのは間違いなかろうが、決して侮れぬ奴らしい。⋯⋯紅皇鬼様に御報告せねばならぬのは、むしろ綾麿のほうかもしれんな》
紅影鬼が呟いたその時、道端の木の陰からふいに現れ、紅影鬼の背後から話かける、何者かの影があった。
《⋯⋯ドウサレマシタ、紅影鬼様、トドメハ刺ササナイノデスカ?》
それは金棒を腰に差した、美僧の紅影鬼とは似ても似つかない、禍々しく醜い容貌の紅鬼だった。
《繋ぎの羅刹か。⋯⋯なに、今とどめを刺すところだ》
《⋯⋯敵ハ援軍ノ人間ノ中デモ、カナリノ使イ手ノハズ、ソレニモカカワラズコノ圧倒的ナ強サ。流石ハ紅影鬼様。⋯⋯ドウシマスカ、紅皇鬼様ニ、此ノ度ノ援軍ハ恐ルルニ足ラズト、モウ報告シテモ良イノデハ?》
《⋯⋯そうだな。力試しの顛末は既に見えた、報告してもよかろうて。ふふふ⋯⋯、光の届かぬ深淵に逃げ込んだとは言え、あの鎌足の命ももはや残り僅か。身共は鎌足を殺して葬魂を仕掛けた後、内裏の西番の長、不知火中将綾麿とか言う、容易ならざる男のことを探り、そして抹殺することにした。⋯⋯その旨も合わせて紅皇鬼殿に報⋯⋯》
紅影鬼の言葉が何故か唐突に止まった。
”何か“を閃いたその紅い目は、更なる血を求めるように妖しさを増して煌めいていた。
《⋯⋯ドウサレマシタ?》
《⋯⋯ふふふ、待て。⋯⋯名案がある、⋯⋯羅刹よ、向かうは紅鬼洞に非ず。⋯⋯身共の命令を聞け。嫌だ、不服だ、とは言わせぬぞ。もし断れば、この場で殺す》
《⋯⋯ハ?》
紅影鬼の銀の瞳がぎらぎらと笑う。
そして続けざまに不気味に微笑んだ。
《⋯⋯残念ながら強さはない。だが、若く、美しく、⋯⋯そして由緒と素質を感じる人間だ、⋯⋯修羅となるための足掛かりにはもってこいだぞ?》━━━━
━━━━その頃。
時をやや同じくして、人気の消えた夜の京都の町中。
紅影鬼に新たな標的となった中将綾麿もまた、蒼鬼の修羅⋯⋯蒼炎鬼と真っ向から対峙していた。
《⋯⋯村雨? 蒼白の焔だと? ⋯⋯ふはははは、これは面白い。俺は下級中級の鬼とは違うぜ? ひ弱な人間の剣技如きが、この猛り狂う地獄の『蒼炎』に敵うとでも思っているのか?》
蒼炎鬼は強気で不気味な笑みを浮かべながら、開戦の狼煙を上げた。
広げた両手の掌の上の炎の玉⋯⋯自ら『蒼炎』と呼んだ地獄の業火を、下手で放り投げるように綾麿へと軽く放り投げた。
左の掌の炎。
右の掌の炎。
そしてまた新たに生まれる、左の掌の炎と、右の掌の炎。
その炎を蒼炎鬼は事も無げに、次々と放り捨てるように投じていく。
この狂気の攻撃を前にしても、綾麿は依然としてまだ村雨は納刀したままだった。
綾麿が身を翻す。
そして舞うように地を跳ねた。
通りに沿った笠塀に華麗に飛び乗り、鞘で炎を次々と薙ぎ払う。
そして笠塀を後方宙返りで飛び降りたかと思えば、次の瞬間には塀の壁を使った三角飛びで、その身体は空高くを舞っていた。
⋯⋯右に、⋯⋯左に、⋯⋯空に。
無数の蒼炎の玉の飛翔⋯⋯その全ての攻撃を、綾麿は鋭くも美しい体捌きで、颯爽と舞うように軽やかにかわしていく。
《⋯⋯ふははは、⋯⋯ほぅ、なかなかやるな》
この狂気の蒼い炎の勢いは凄まじかった。
直撃を受けた通りの桜並木、飛び火した笠塀の向こう側⋯⋯公家屋敷内の庭園の木々は、まるで綾麿の身代わりになったように、みるみるうちに延焼が広がり、あっという間に通りの周囲は炎の渦に包まれていった。
《はっはっはっは! どこまで逃げ回れるかな。⋯⋯そら! ⋯⋯そら!》
不動の蒼炎鬼。
その自信もまた揺らぎがない。
炎を避け続ける綾麿を嘲笑いながら、次から次へと掌から新たな炎を生み出しては、綾麿を追撃した。
追撃したと言うよりは、炎に追撃”させた“という表現が正しいかもしれない。
その攻撃は既に、綾麿の強さを測るような、軽い下手投げではなくなっていた。
力を強めた、横手からの投げ。
更に左右に持つ炎の玉を、両の腕を撓らせて、今度は同時に投じていく。
その蒼い目、銀の瞳は、明らかにこの戦いを“愉しんで”いた。
鎌足を襲う紅影鬼と同様に、人間は獲物、鬼は狩人。
この力試しの攻撃を、一方的な嬲り殺しの余興と捉えていたのだ。
綾麿は、この蒼炎の波状攻撃を避け、先程とは反対側の笠塀に再び飛び乗った。
しかし綾麿の足元のすぐ傍の瓦に蒼炎が着弾し、炎が一気に燃え盛る。
綾麿はそのまま笠塀の上を駆けていく。
地上の蒼炎鬼の横を横切りながら駆ける綾麿。
その背後を追いかけるように、蒼い炎は塀上の瓦に次々と引火していき、それはいつしか蒼い炎の大波となっていた。
そして獲物を追いかけるように、綾麿の背後へと迫っていく。
もうすぐ足元に追尾の炎の蒼波が届く⋯⋯
その直前、笠塀が途切れる曲がり角まで走り切った綾麿は、地上に飛び降りるために空高くに再び舞った。
《人間にしては良い動きだ。⋯⋯だが、もう逃さん》
蒼炎鬼の銀の瞳も、蒼波と同様に綾麿を追っていた。
その目は、その綾麿の動きを予知していたのか、誘っていたのか。
狂りと振り返った蒼炎鬼が、間髪入れずに邪な念を詠じ始めた。
するとまた新たな蒼い炎の怪異が起きた。
左掌の蒼炎の勢いは、今までの三倍もの大きさにまで広がり、命を宿したかのように猛り狂ったのだ。
そしてそれは、蒼炎鬼の掌から浮かび上がり、巨大な蒼炎の球へと変わっていた。
《⋯⋯馬鹿め、そこだァッ!!》
蒼炎鬼は、空中の綾麿の動きと着地点を完全に読みきっていた。
そして綾麿が今まさに着地しようとする地面をめがけて、その巨大な蒼炎の球を、思い切り投げつけた。
《地獄の蒼の火の山から召喚せし邪弾蒼炎球⋯⋯! 粉々に爆ぜろ! 日本の愚かな勇者よ!!》
巨大な蒼い炎の球が、着地したばかりの無防備な綾麿に襲いかかる。
目前に迫る蒼炎球。
⋯⋯振り返った綾麿の顔が、一瞬にして蒼い光に染まった━━━━
━━━━⋯⋯次の瞬間、天地を揺るがすような凄まじい地響きが起きた。
着弾した巨大な蒼炎球は、既に蒼い炎の壁となり、天高くにまで蒼煙が立ち昇っていた。
「⋯⋯ッ!」
ぼんやりとした煙の中、片膝をつく綾麿の姿がじわりと浮かぶ。
綾麿はまだ生きていた。
咄嗟に後ろに大きく飛び退いて、この蒼い炎の爆弾の危難から、間一髪逃れることができていたのだ。
しかしその飛び退いた先にもまた、蒼炎鬼の新たな蒼炎が襲いかかる。
今度は前からではない。
一つ、でもなかった。
蒼炎は綾麿の頭上⋯⋯上空の四方八方から、無数に放射状に降り注いできたのだ。
「⋯⋯ッ!」
《⋯⋯ふはははは! 蒼の火の山が遂に火を噴いたぞ! ⋯⋯これぞ、蒼き怒りの炎⋯⋯流星蒼炎群ッ!》
狂気の炎の塊たちが、それぞれに炎の尾を引きながら、地上の綾麿へと襲いかかる。
綾麿はゆっくりと立ち上がり、自分へと舞い降りてくる蒼い炎の流れ星を、仰ぎ見た。
「⋯⋯地獄の蒼の火の山、その流星群か。⋯⋯まさかこの地上で⋯⋯、日本で⋯⋯、見ることのできる日が来ようとはな」
避けることができるか、できないか。
生きるか、死ぬか。
そんな緊迫の一瞬。
しかし天を見上げながら小さく呟いた綾麿は、何かを偲ぶような、懐かしむような目をしていた⋯⋯⋯⋯。
⋯⋯そしてすぐに、無数の衝突音が鳴り響く。
蒼炎群は、そんな綾麿のすぐ傍に次々に着弾した。
今度は何度も何度も爆発音が鳴り響く。
そして爆発は爆発を呼び起こして、一つの爆音へと繋がり、巨大な蒼い炎の煙と渦が吹き上がった。
《⋯⋯まだだ、まだ生温いわ!》
蒼炎鬼は容赦を知らなかった。
口を窄め、息を大きく吸う。
異風の衣の下の横隔膜が下がり、胸郭が異様な広がりを見せる。
綾麿を影も形も無くなるまでに焼き払おうとでもいうのか、蒼炎群が着弾した地に向けて、蒼炎鬼は何とその口からも蒼い炎を噴射した。
蒼炎の流星群に、蒼炎の息吹。
京都の町中で大胆に“野焼き”でも行おうとしているような、傍若無人で圧倒的な攻撃と火勢に、既に蒼炎鬼の視界⋯⋯前方の通りや近隣の公家屋敷は、その大地や自然や建造物全てが、文字通りの火の海と化していた。
本来ならば「一体何事か」と驚いて飛び出てきたり、火から逃げ惑うはずの道沿いの屋敷の公家たちも、この悍ましく奇怪な戦いと恐ろしい蒼炎鬼を前にしては、誰一人として顔を出さない。
(「ぎゃぎゃ、⋯⋯神様ぁ、仏様ぁ⋯⋯」)
(「ま、麿の屋敷が⋯⋯燃ゆる、燃えているでおじゃるぅ、⋯⋯この世の終わりじゃあぁ」)
(「⋯⋯は、早く、庭の火を消すのじゃぁ、外に逃げたら鬼に見つかって殺されるでおじゃる、⋯⋯火の中のほうがましじゃ、⋯⋯はよはよぅ、火よ、消えろおぉ」)
木々の焼ける臭いが充満し、周辺は生と死の狭間、まさに炎に包まれた修羅の地獄絵図と化していた。
特に集中砲火を浴びた綾麿の居た場所の猛火は、筆舌に尽くしがたいほどだった。
今だに蒼い炎が天まで届き焦がすほどに、激しく燃え盛っている。
その炎の中がどうなっているのか。
ただ目に見える限りでは、綾麿の姿は、影も形も見当たらなくなっていた。
《⋯⋯ふふふ、相当にしぶとかったが、とうとう燃え尽きたか⋯⋯、ふふふ、ふはははははは》
蒼炎鬼が戦いの勝利、そして力試しの終幕を確信し、してやったりの笑みを浮かべる。
バチバチ⋯⋯という、炎が燃え盛り木々が燃える音。
そして蒼炎鬼の狂気の笑い声。
《北南の番頭、少将麒麟、逃げる力だけは認めてやるが、その豪華な刀は見かけ倒しか! ふははははははははは⋯⋯、後はこのまま京都の町と御所に向かい、全てを火の海で蹂躙してやるとするか!》
今、人間にとっては絶望と畏怖を感じる音しか、その場には残されていなかった。
そこには、もう綾麿のあの得意気な笑い声は無い。
この戦いの通りに面し、屋根が燃え盛る公家屋敷。
公家の娘だろうか、侍女の子だろうか。
その裏口から一人の少女が怯えながらも顔を覗かせ、炎の渦の中へ祈るような眼差しを向ける。
その無垢な瞳だけは、まだ何かを信じていた。
そして、蒼く煌めく夜の闇に向かって呟いた。
「⋯⋯村雨は負けないもん、⋯⋯あの和歌みたいに、皆を守って、鬼をやっつける刀だもん」
それは蒼炎鬼の高らかな笑い声に比して、いとも簡単に吹き飛ばされ掻き消される程の、小さな声、願い。
しかしその小さな声には、鬼の脅威に晒された京都に暮らす人々、全ての希望が詰まっていた。
この邪悪な炎が猛り狂う荒涼の地に、ふと何処からか、心地良いあたたかな春風が吹いた。
⋯⋯その時だった━━━━。
第30話も最後までお読み頂きありがとうございました。長かったので急遽半分に分けました。
第30話を前編「不知火〜蒼〜」、第31話を後編「不知火〜白〜」としています。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています!
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪
次回後編、第31話「不知火〜白〜」は是非続けて読んで頂きたいので、珍しく連続投稿したいと思います。本日3月1日23時〜3月2日00時過ぎ迄の間には公開予定です。




