第29話 蒼炎鬼
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。不知火流という恐るべき剣の使い手。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。御所を去る鎌足たちの影の中に、鬼の気配を察知する。
━━━━空に浮かんだ満ちた月は、蒼い光を仄かに地上へと注ぎ始めていた。
暮れ六つを半刻(※1時間)ばかり過ぎた頃。
内裏の警備を担当する、東西南北四番の総責任を務める武官の公家⋯⋯不知火中将綾麿は、鎌足ら伊賀の忍たちの後ろ姿を見送った後、そのまま人通りの消えた正門の前にまだ一人留まっていた。
警備は非番に変更となり、かつ出仕が終わる時間はとっくに過ぎているにも関わらず、綾麿は御所に戻るでもなく帰路につくでもなく、何故かその場から全く動こうとはしない。
鎌足を追跡させた輝里の帰りを待ちながら、まるで見えない敵から正門を死守するように、四方八方にずっと睨みを効かせていた。
そしてその鋭い瞳は、何かを思案し続けているようにも見えた。
(⋯⋯鎌足ら伊賀者どもが消えた後⋯⋯いや、”謎の影“が消えた後から、また別な妖気が漂い始めた。⋯⋯屋根の上。二丁から三丁は離れている⋯⋯か。⋯⋯正門へと向けられ続けているこの妖気、いや、殺気。恐らくは⋯⋯⋯⋯、⋯⋯どうやら奴等伊賀者だけが、今宵の獲物というわけではないようだな⋯⋯。 あの影に潜む『修羅』とは別動隊か)
綾麿の左手には、妖刀⋯⋯村雨。
その豪華絢爛な鞘の金色が、蒼い満月の光と共鳴するように、美しく妖しく煌めいた。
(⋯⋯輝里が戻る気配はまだ無い、⋯⋯この殺気も動く気配は無い。⋯⋯とすると、目的はただの偵察か。⋯⋯現れた目的は内裏の襲撃ではない、と見た。⋯⋯ならばここは”動いてみる“しかない、⋯⋯か)⋯⋯⋯⋯
⋯⋯長い沈黙を破り、綾麿が狩衣を翻した。
帯執と金具を懐から取り出し、村雨を腰に佩く(※吊るす)。
そしてその足を東の方角へと向ける。
綾麿は御所にも戻らず、籠も呼ばず、配下の供も付けず、そのまま無人の大通りを歩き出した。
(本家は近すぎる。⋯⋯別邸ならば、何か起きても御所にまで災いが及ぶことはなかろう)
その目的の場所は、西の方角にあるすぐ近くの本家ではなく、一里(※約4km)ほど離れた東にある別邸。
他の公家たちの屋敷の近さと比べると、この九条屋敷別邸は御所からは相当な距離があった。
綾麿は御所の土塀に沿った大通りを抜け、上級や中級階級の公家たちの屋敷が立ち並ぶ静かな通りを、一人ゆっくりと歩いていく。
この通りは、普段から厳格に身分の差が重んじられる場所だった。
昼間でも市井の者はほとんど通らない。
また夜は夜で、鬼を恐れる公家たちが家の内にこぞって引き篭もっているため、今は尚更に人通りは全く無い。
(⋯⋯動かず、か。⋯⋯奴等の殺気、何ら近付いてくる気配は無い)
綾麿は歩き続けた。
別邸への道も、半ば程にまで差し掛かった頃だろうか。
綾麿は、自身の背後、屋根伝いに忍び寄ってくる二つの足音を察知していた。
近すぎず遠すぎず、常に二丁(※約200m)程の距離を取り、その二つの足音⋯⋯“二人”は、明らかに綾麿の跡を付けていた。
(⋯⋯先程正門で感じた気配とは違う、⋯⋯殺気は薄い、これは⋯⋯“人”だな)
綾麿は素知らぬ顔で、歩む速度を敢えて保ったまま、背中でその気配を探る。
(⋯⋯。左屋根上に一人、⋯⋯右の屋根にも一人。⋯⋯左屋根の者の方が長けているな。この足運び、⋯⋯忍か。さすれば伊賀の者だな、無粋な奴等だ)
ただならない警戒の念を放っていた先程の正門前とは違って、今の綾麿の瞳はこの二人の追跡者をまるで相手にもしていなかった。
(⋯⋯そしてこのような時に尾行するとは、⋯⋯何と愚かな奴等だ)
綾麿を別邸方向へと”動かした“警戒心の出何処は、少なくともこの二つの足音ではない。
綾麿が薄ら笑みを浮かべる。
(鎌足の差し金か、それとも、鼠二匹の勇み足か⋯⋯)
そして悠然と歩きながら、腰の村雨の柄にそっと指をかけた。
(⋯⋯何れにせよ、愚か者には変わりない。⋯⋯元来の殺気の方は何ら動く気配は無かったか。⋯⋯見立て違いならば、御所が気掛かり。⋯⋯さて、では引き返す前に、彼奴ら鼠の首二つを刎ね、頭である鎌足に送り返⋯⋯)
村雨を抜きかけた綾麿。
⋯⋯その手が、突然ぴたりと止まった。
そして暫くそのまま歩みを進めた後、綾麿は柄にかけていた指をそっと離した。
後ろを付けてくる、伊賀忍者二人。
彼等からは決して見えない綾麿の目。
抜刀を止めたはずのその二つの眼は、何故かより一層鋭さを増していた。
(⋯⋯この気配、殺気⋯⋯、動いた。⋯⋯来たな、“鬼”、⋯⋯め。⋯⋯後方四丁(※約400m)⋯⋯、一、二、⋯⋯三、⋯⋯、四、五。⋯⋯五鬼か。⋯⋯伊賀者の更に背後から此方に向かってくる)
背後に迫り来る忍と鬼。
それでも綾麿の歩く速度は、遅くもならず速くもならず、まるで変わらない。
後ろを一度も振り返ることもなく、悠然と歩き続けていた。
(⋯⋯速い、⋯⋯三丁、⋯⋯二丁半、⋯⋯二丁、⋯⋯)
背後の氣の流れから自身とのおよその距離を測っていた、綾麿の数えが止まる。
⋯⋯その直後だった。
綾麿の背後、距離にして二丁足らずの地点。
遠吠えのようにも威嚇のようにも聞こえる、無数の”獣“の雄叫びが、突如、夜の静寂を劈いた。
そして続けざまに闇から響いてくるのは、刃と刃がぶつかり合う鈍い音。
そして恐怖と絶望に満ちた、二人の人間の唸り声。
綾麿の耳だけは、何が起きたかを具に悟っていた。
(⋯⋯伊賀者の気配が一人消えた。⋯⋯逝った、か。⋯⋯もう一人は、⋯⋯遠ざかっていくな、⋯⋯何とか逃げのびたようだな)
二人の伊賀の忍を事も無げに蹴散らした、真の追跡者⋯⋯鬼の群れ。
その次の標的は、間違いなく伊賀の忍の先を歩く綾麿であることは間違いなかった。
背後から音も無く迫り来る五匹の鬼に対して、綾麿は何ら慌てもせずに平然と歩きながら、左腰に吊るしていた村雨を外し、左手に持ち直した。
綾麿の歩く音。
そして虫の鳴き声。
それ以外は何も聞こえない。
例えるならば、まさに嵐の前のひととき。
不気味な程の静寂がこの場に訪れていた。
⋯⋯この静寂が今まさに終わりを迎える、その時。
綾麿が一つの異変に気付く。
(⋯⋯伊賀者の気配、⋯⋯今しがた確かに一人消えたはず。⋯⋯だが、⋯⋯また再び氣が揺らめいている、⋯⋯これは葬━━━━)
⋯⋯唐突に虫の鳴き声が止んだ。
追跡者は襲撃者へと変わる。
背後の両屋根から、通りの暗闇から。
そして隣接する塀を突き破って、地から空から綾麿に襲いかかる、幾つもの人外な影。
満月の煌々とした明かりに照らされて、幾つもの角が夜空に煌めいた。
綾麿はまだ、背中を向けたままだった。
《グルルルッッッ!!》《ギャハハァァァ!!》《ガアアアァァァ!!》《グオオオォォォ!!》⋯⋯⋯⋯
鬼たちは各々に、悍ましい戦意の奇声や、涎交じりの魔性の雄叫びを上げた。
そして目の前を歩く隙だらけの綾麿を、捻り潰そう、叩き殺そう、押し潰そうと、金棒や大剣や斧など凶暴な得物を振り上げて、四方から飛びかかっていく。
⋯⋯鬼たちの狂刃が、綾麿に届く。
その寸前、その刹那の瞬間。
⋯⋯綾麿の身体が閃いた。
この時の綾麿の動きもまた、人外と言ってもよいのかもしれない。
左手に持つ鞘から、目にも止まらぬ速さで村雨の刃を抜き、ひらりと身を翻して空を舞う。
そして右の刀身と左逆手で持つ鞘⋯⋯左右の村雨から、まるで刃の雷のような凄まじい閃撃を走らせた。
驚きはこの村雨の巧みな刀捌き鞘捌き、それだけではない。
その瞬発力⋯⋯鋭く素早い身のこなしも、市井の武芸者の遥かに上をいっていた。
綾麿は四方から襲ってきた凶刃の全ての刀筋を背中で読み切り、難無くかわし、一鬼の肩口を蹴って更に空高く舞うと、鬼の波状攻撃の輪の中から颯爽と飛び退いていたのだ。
綾麿と鬼たちの間にこうして再び間合いが生じるまで、それはほんの僅か一瞬の出来事だった。
地へと降り立った綾麿は、動きで起きた風に髪を靡かせ、涼しい顔で鬼たちを軽く流し見た。
そして村雨の刀身を振り、鞘を回して鬼の血を払うと、ゆっくりと納刀していく。
このただ一度の交戦で、勝負は既についていた。
綾麿の村雨の刃の走りに捉えられた鬼も。
また鞘の走りに捉えられた鬼も。
綾麿に襲いかかった全ての鬼が、その胸や首を横一文字に深々と斬られていた。
そのあまりもの傷の鋭さと深さに、既に首が地に落ちている鬼もいるくらいだった。
《⋯⋯ッグガ》《⋯⋯ガガッ》
《⋯⋯⋯⋯》
《⋯⋯ガガガ⋯⋯、ナ、何ダコレハ?⋯⋯》
鬼たち自身、何が自分たちの身に起こったかが分からないのだろう。
互いに顔を見合わせて首を傾げた後、その傷口から夥しい量の血を迸らせながら、一鬼⋯⋯また一鬼と、死の咆哮を上げて鬼たちはその場に倒れていった。
そして倒れた鬼たちは全て、夜の闇と戦いの熱気に溶けていくように、蒼い霧へと化していった。
一方の綾麿は息一つ乱してはいない。
徐々に蒼い霧と化していく、横たわる鬼の骸の塊を、納刀した村雨を手に、ただ黙って見下していた。
「⋯⋯蒼鬼。⋯⋯一、⋯⋯二、三、⋯⋯四匹、⋯⋯か」
⋯⋯綾麿が斃した蒼鬼の数を確認した、その時だった。
「⋯⋯“六”鬼目が、まだいたか」
新たな妖気を感じた綾麿が振り返った。
その妖気の出何処は、今度は綾麿の前方からだった。
灯りを必要としない程の満月の夜。
綾麿の眼前、真っすぐに延びた通りの先⋯⋯月の光と日没の闇が交差する、淡い月明の幻想世界の中から、悠然と綾麿に近づいてくる男の姿がぼんやりと浮かぶ。
⋯⋯その身体は異様だった。
何も背丈の高い低いや、体格の大小ではない。
不思議に波打つ蒼い揺らめきを、その全身に纏っていたのだ。
それは明らかに、この夜の満月の光の仕業ではなかった。
蒼い揺らぎは、この男の身体の内部から生まれ出で、男の皮膚から直に揺らめき、周囲に波動を放っているように見えた。
「今程の蒼鬼の群れとはまた別者だな。⋯⋯邪悪で大きな氣。⋯⋯何者だ?」
綾麿の淡々とした無機質無表情な問いかけに対して、男から返ってきたのは意外すぎる反応だった。
その蒼く揺らめく謎の男は、突然に盛大に手を叩きながら、甲高い称賛の声を上げたのだ。
《⋯⋯ふふふ、はっはっはっは、⋯⋯お見事、お見事。御前が御所で北番と南番という責任ある大役を担っている、樋ノ口少将⋯⋯麒麟とかいう男だな? 日本の王⋯⋯帝との無駄な悪足掻きの会議はどうだった? ⋯⋯ふふふ、俺たち蒼鬼に降参する事でも決まったか? ⋯⋯ふふふふ⋯⋯はっはっはっは》
「⋯⋯麒麟?」
思いがけず投げかけられた麒麟の名に、綾麿が顔を顰める。
互いの間が五間半(※10m)にも満たなくなった時、月下の蒼々とした明かりと地上で放つ自らの蒼い光によって、この謎の男⋯⋯その顔や衣までもがようやく顕になっていた。
歳はまだ若く、血気盛んな二十代だろう。
和装と韓服が混ざったような、独特な異国風の蒼の服。
そして蝋燭の焔が猛るように、蒼みがかり逆立つ髪。
男は禍々しく奇怪な外見に似ず、口元には微笑みを浮かべている。
しかしその身体から放たれているのは、仰々しい程の祝福の拍手とはまるで正反対な、邪悪な氣。
遠くから蒼いゆらめきに見えた物の正体。
⋯⋯それは奇怪で禍々しい蒼の炎だった。
そんな蒼の狂気の残り火を全身に絶えず燻らせている男の目には、拍手でも微笑みでも隠しきれない程に、残虐な本性が滲んでいた。
銀色の眼、蒼い瞳。
そしてその眼の上、額に見えるのは二本の角。
⋯⋯現れた男。
されは人間とは似て、非なる者。
上級の鬼『修羅』⋯⋯すなわち人形の蒼鬼だった。
人間ならば誰しもが驚愕するこの蒼鬼⋯⋯修羅をすぐ目の前にしても、綾麿は何故か村雨を持つ左腕をだらりと下げたまま、何かを考え込むようにじっと佇んでいる。
この時、綾麿の中には、この修羅への警戒の念以上に、一つの大きな”疑心“が浮かんでいた。
綾麿の目は、眼前の蒼鬼の背後に潜んでいる、更に大きな脅威⋯⋯見えない”何か“の存在を捉えていたのだ。
(⋯⋯人形の蒼鬼。『修羅』の一鬼か。⋯⋯しかし、麒麟だと? ⋯⋯いや、それよりも何故、今日の評議の事や番の担当を知る?)
帝との定例評議の日取りは、御所の中でも限られた者しか知ることはできない、重要情報の一つだった。
絶対に他言無用の軍事評議ではないとは言え、非常勤の高官、常勤の公家や官吏の中でも、情報を知り得る者は限られていた。
(⋯⋯関白殿以下諸大臣、武官三将と文官三納言、出入りを管理する門番数名と、そして外部のごく一部の者たち⋯⋯、か)
更に綾麿が疑念を抱いたのは、綾麿を麒麟と呼んだ点にあった。
江戸からの援軍⋯⋯鎌足の東番への就任決定によって、警備の番の並びは今朝になって急遽組み直されていた。
この蒼鬼は、麒麟の定例評議の存在や出席、そして南北の番の日取りを知りながらも、おそらく今朝の急な変更までは知らないのだろう。
評議が終わった後は、本来ならば綾麿が御所の警備を担当し、麒麟が帰路に着くはずだったのだ。
(⋯⋯どうやら顔は知らず、名前だけしか知らないようだな。とすれば誰かから伝え聞いた情報だけで動いているのか。⋯⋯どこから漏れた? 相手は鬼⋯⋯、単なる一警備兵や下級官吏からとは思えぬ)
綾麿が珍しく眉間に皺を寄せた。
(⋯⋯東西南北の番は御所に出仕する誰もが知っている。⋯⋯今日の変更も今朝、官位の有無に関係なく全員に通達されている。非番の者の屋敷にも通達は出されたはず。⋯⋯しかし評議の日取りを合わせて知る者となると話は違ってくる。⋯⋯皆が知る今日の番の変更を何故か知らぬ者⋯⋯、とすれば御所の人間から漏れたのではないな、外部の者か。⋯⋯警備の番の割り当てと定例評議の情報を知り得る、普段出仕しない外部の位の高い者、⋯⋯すなわち御所の外で任に就いている者は⋯⋯)
綾麿の瞳が鋭く煌めく。
(⋯⋯数える程しか居らぬ)
⋯⋯⋯⋯━━━━綾麿の脳裏に真っ先に浮かんだのは、三年前の記憶⋯⋯。
⋯⋯広大かつ豪華で雅な神殿内⋯⋯。
⋯⋯上座に凛と座し、下座に座る綾麿見下すように向かい合う、水干の朱の巫女装束に色鮮やかな千早(※上衣)を纏い、後ろに謎の眉月の煌めきを背負った、一人の絶世の美しき女性の影⋯⋯。
⋯⋯不意に脳裏に眉月の閃光が走る⋯⋯。
⋯⋯『そなたの望みを遂げるには、この私に勝つしか道は無い。⋯⋯出来るのか? そなたに』⋯⋯
⋯⋯その眩い光に照らされ、浮かび上がってくる記憶の中の女性の顔は、昔と今、どちらの綾麿に対しても、美しく妖しく微笑みかけていた━━━━⋯⋯⋯⋯
⋯⋯⋯⋯(⋯⋯予てから動向を探っているあの女性か⋯⋯? ⋯⋯否、あの女性ならば年格好くらいは鬼に告げるはず。⋯⋯なれば、あの女性以外にもまだ⋯⋯)
そんな綾麿の思考を、一段と強くなった拍手が遮った。
《⋯⋯どうした、どうした、そんな難しい顔をして。⋯⋯はっはっは。そんなにこの俺が怖いか? ⋯⋯少将麒麟よ》
「⋯⋯⋯⋯」
綾麿は、自分を麒麟を取違えていることを、敢えて蒼鬼には告げずに伏せた。
「⋯⋯人形の蒼鬼、『修羅』か。その姿、角、瞳⋯⋯、葬魂の術で魂を奪い、鬼の身に宿してから相当の年月が経っているな」
綾麿から睨みつけられても尚、人形の蒼鬼の嬉々とした拍手は止まない。
むしろ一層その手を強めた。
《これはこれは⋯⋯、はっはっはっは! 御名答だ! この顔と身体になったのは、前の蒼鬼の日本侵略の時。二百六十年は経っているはずだ。⋯⋯勉強熱心、感服するぜぇ? 鬼の事をよく分かってるじゃねえか。⋯⋯流石は京都の警備番を率いる程の剣士だ、その眼力、南北の番を務めるだけの事はあるみたいだな、褒めてやるぜ》
「⋯⋯二百六十年。⋯⋯そうか、なるほど。⋯⋯何故、御所や町ではなく、此度は麿を狙う?」
綾麿の問いかけに、蒼鬼は唐突に手を止めた。
《⋯⋯ふふふ、賢い侵略者の軍ならば、今の京都の強さの程、すなわち敵の主力を探ることは必定。それを測るために選ばれた映えある人間、それが警備役の長として二番を務める御前、ってわけだ》
「⋯⋯それは光栄だな」
《本当はな、⋯⋯今日御所で番をしている男のほうと戦ってみたかったんだがな。残念ながら其奴は試す必要も無い程の強さを持っている、言わば”訳あり“らしくてな。御前の方を選ばざるを得なかったってわけだ。⋯⋯上からの命令だから仕方がねえ。⋯⋯外れくじ、ってわけだ。⋯⋯だが。⋯⋯今のところは大外れ⋯⋯ってわけじゃねえな、案外と愉しい楽しい“大当たり”の札に化けるかもしれねえ、⋯⋯ふっふっふ》
蒼鬼は不敵に微笑んだ。
「先程の蒼鬼の群れをけしかけたのも貴様か?」
《⋯⋯その通り。この俺が蒼の地獄からわざわざ出向くに値するかどうか。まずは中級の蒼鬼⋯⋯羅刹ども五鬼をけしかけてみたが、結果はこの通り。俺たちの完全な敗北。⋯⋯人間にしてはかなりやるな。素晴らしい、そして面白い、⋯⋯ここまでは合格だ》
蒼鬼は再び仰々しい盛大な拍手を綾麿へ送り始めた。
⋯⋯と思ったのも束の間、今度はたった十数回ですぐにその手をぴたりと止めると、がっかりしたような表情を浮かべ、綾麿に向けて人差し指を立てた。
《⋯⋯とはいえ、戦いの極意というものを熟知していない、本能だけで刃を振り回す羅刹どもには、最初から期待なんてしてなかったがな。⋯⋯ただ、明らかに残念な事が一つ。⋯⋯御前の後ろをちょろちょろしていた二人だ、あれは弱すぎるぜ、不合格だ。実に弱く儚く脆い存在だ。⋯⋯まあ、”使い勝手“は多少なりともあるわけだが、⋯⋯あの二人も御前の仲間だろう?》
人差し指の先からは、蒼い小さな炎が生じる。
蒼鬼が“否定”の感情を表すように人差し指をぶんぶんと左右に振ると、そのたびに指先の炎からの飛び火が、左へ右へと迸った。
「⋯⋯⋯」
綾麿は蒼鬼を睨みつけたまま何も答えない。
《⋯⋯おいおい、何だ? 俺とした事がもしかして間違えたか? ⋯⋯ちっ、仲間でないなら何者だ、あの雑魚どもは?》
「⋯⋯⋯」
《⋯⋯語りたくない、か。⋯⋯まあいい。嫌なら答えなくてもいいぜ。俺たちには“自ずと”分かる話だからな。⋯⋯そうそう、名乗り忘れてたな、俺の名前は⋯⋯『蒼炎鬼』。地獄の蒼の火の山の処刑人、蒼き業火を司る者。そして御前が人生で最期に出会う男、その命を奪い取る鬼だ。⋯⋯さあさあ! この俺が折角出向いてやったんだ、盛大な拍手で俺を迎え讃えるがいい!!》
『蒼炎鬼』⋯⋯そう名乗った蒼鬼は、この夜一番の大きな拍手で自分で自分を讃えだした。
「⋯⋯ふっ、褒めたり悲しんだり、忙しい蒼鬼だ。⋯⋯で、端的に言うと、どうしたいのだ?」
綾麿は全く動じない。
むしろ拍手を冷ややかに見つめ、薄ら笑いを浮かべさえもしていた。
その綾麿の姿に、蒼炎鬼は今までの人を食ったような軽い眼から一転、目つきが一気に鋭いものへと変わる。
《⋯⋯大した余裕だなぁ、おい、人間の分際で。⋯⋯どうしたい? ⋯⋯ならば京都火の海祭りの前祝い、なんてのはどうだ? 人間共の泣き叫び焼け焦げていく炎で彩られる五山の送り火、その映えある最初の火種として、御前には此処で焼け死んでもらうとでもするか》
蒼炎鬼は最後に一度だけ大きく拍手を打ち、両の手を合わせたまま止めた。
そしてその手をゆっくりと左右へと離していく。
するとまるで左右の掌を繋ぐように、蒼い火が生まれ燃え出で、そして左右の腕を広げきった蒼炎鬼の両の掌には、天までも焦がしそうな勢いで地獄の炎が燃え盛っていた。
《⋯⋯そして俺たちの総大将、蒼極鬼様に報告だ。帝、日本、京都、人間ども、公家如きの警備番頭、どれもこれもやはり取るに足らず。⋯⋯よって俺が全て燃やし尽くし、灰にしました、⋯⋯と》
綾麿は、そんな蒼炎鬼の得意げな表情と、狂わしく禍々しく舞い上がる炎をじっと黙って眺めている。
そして氣を集中するように一度ゆっくり目を瞑った。
(⋯⋯鎌足だけではなく、此方にも蒼鬼⋯⋯人形の修羅が来るとはな。しかも人違いときている。⋯⋯なんという、狂わしくも⋯⋯、面白き夜だ)
そしてゆっくりと開かれていく綾麿の瞳は、頭上に瞬く月の光と目前に猛る地獄の火を纏いながら、一段と妖しく鋭く⋯⋯蒼と紅の煌めきを放っていた。
刀身を納めたまま、左手に握る村雨の鞘。
それを今、ゆっくりと上げていく。
蒼炎鬼の炎の挑発に、眼前で村雨を構えながら、綾麿は氷のように冷たく落ち着いた声で応えた。
「⋯⋯よかろう。蒼炎鬼とやら。⋯⋯この樋ノ口少将麒麟、相手になってやろう。この村雨の蒼白の焔⋯⋯、その薄汚れた葬魂の身体で、とくと味わい、⋯⋯そして心置き無く滅するがよい」━━━━。
第29話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています!
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪
3月も週2〜3ペースで更新していきます、お楽しみに♪
次回第30話「不知火」は3月1日の昼頃公開予定です。




