第28話 紅影鬼
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
甚左━━━━
伊賀組の中忍。江戸から京都へ派遣された四人の忍のうちの一人。鎌足の京都での補佐役を務め、鎌足からの信頼も厚い。剣の腕も立ち、いつも優しい人格者。
紅影鬼━━━━
紅鬼の上級鬼『修羅』の一鬼。紅鬼の総大将 紅皇鬼の命令で江戸からの援軍の実力を探る。地獄の針の山から召喚した狂気の武器と、殺した人間の魂を奪って本人に成りすます葬魂の術を用いて、鎌足たちを急襲する。
━━━━《ふふふ⋯⋯、身共は七十年前の戦いを知る者。この七十年で人がどれだけ強くなったのか、来たるべき日本侵攻への妨げとなるような力を秘めているかどうか⋯⋯。その手の内、甚左とやらに続き、身共に存分に見せてもらおうか。伊賀の女忍よ》
鎌足の前に現れ出た、托鉢笠をかぶった雲水姿の紅鬼⋯⋯紅影鬼。
その纏う法衣の白は既に甚左の血で紅に染まり、托鉢笠の下から垣間見える紅の目と銀の瞳を、更に狂わしく際立たせていた。
そして江戸で鎌足を襲った甲賀忍に化けた蒼鬼とは、人形であるという点では同じだが、蒼紅の目の色以外にも明らかに異なる点が一つあった。
「⋯⋯ッ!? ⋯⋯な、⋯⋯何が? 何が起き⋯⋯、⋯⋯え、そ、“葬魂を解いた”だって⋯⋯!?」
この紅鬼は、人である甚左の身体を抜け出ても尚、まだ人の姿を保っていたのだ。
「⋯⋯あ、紅鬼⋯⋯、⋯⋯まさか、これが、『修羅』⋯⋯」
鎌足が身体を震わせながら呟く。
『羅刹』と呼ばれる中級の鬼たちは、たった一度しか葬魂の術を使えないが、更に妖力を高めた鬼『修羅』は、何度でも葬魂の術を繰り返す。
そして、人の姿であり続ける。
⋯⋯確か綾麿はそのようなことを言っていた。
あの綾麿の話がもしも正しいとするならば、この紅鬼は少なくとも『羅刹』ではなく、『修羅』ということになる。
鬼の中でも最高の位に位置する『修羅』。
その恐るべる敵が今、鎌足の前に初めて姿を現し、狂気の牙を剥いていた。
《⋯⋯御主たち四人の中、落ち着きもあり年長に見えたこの甚左という男、当然に一番の使い手かと思い”いの一番“に襲ってはみたが、⋯⋯残念至極、とんだ見込み違いだったわ》
江戸の伊賀屋敷における甲賀忍の追跡で、蒼鬼とは奇しくも一度遭遇し、更に戦ってもいる。
鬼の異形さも悍ましい変化も恐ろしい技も、鎌足はその身をもって経験はしていた。
だが今回は状況がまるで違った。
苦楽を共にしてきた大切な伊賀組の一人⋯⋯仲間である甚左の体内から鬼が現れたのだ。
しかも、蒼鬼ではなく、初めて見る紅鬼。
その動揺の大きさに、鎌足の頭は全くと言ってよい程、目の前の現実を受け止めることができていなかった。
⋯⋯何故蒼鬼ではなく紅鬼なのか。
⋯⋯何故自分たち伊賀者を狙うのか。
⋯⋯そして何故自分の名前を知っているのか。
頭の中で幾つもの”何故“が繰り返される。
《⋯⋯身共の針や錫杖をかわした動き、そして他の二人との会話、そしてこの甚左の今に至るまでの記憶を覗くに、援軍四人の中では御主が一番の使い手のようだ。しかもあの鬼切丸の現所有者⋯⋯、『修羅』である身共と戦う資格はあると見た》
「⋯⋯き、記憶を覗く⋯⋯、だと!?」
《⋯⋯まあ、剣腕は何れにしろ、追っ払った残りの平次大吾も同じ運命。遅かれ早かれ全員死んでもらうがな》
⋯⋯記憶を覗く。
江戸を発つ前、百地翁はこう言っていた。
⋯⋯『⋯⋯殺した人間の魂を奪い取り、鬼の体内に取込む事で、その人間の顔も、声も、記憶も、極めてきた剣技すらも、全てを模倣してしまうのじゃ」⋯⋯
(⋯⋯記憶、⋯⋯模倣、⋯⋯⋯⋯殺した?)
鎌足の顔から一気に血の気が引く。
鎌足の名を知っている”何故“は解けた。
しかし、沸き上がってくる一つの大きな疑問が、鎌足の中の他の全ての“何故”を吹き飛ばしていた。
⋯⋯紅鬼が仕掛けたのは葬魂の術。
⋯⋯つい先程まで甚左の姿をしていたという事実。
⋯⋯百地翁の言葉。
⋯⋯それが意味するものとは。
「⋯⋯お、おいッ、ちょ、ちょっとまて、⋯⋯そ、葬魂の術だと⋯⋯、⋯⋯じ、甚左は? ⋯⋯甚左はどうなったんだ!? 本物の甚左は何処に居るんだ!? 何処に隠したんだ? ⋯⋯だ、⋯⋯出してくれッ、さ、先に甚左を返してくれよ!!」
鎌足は半ば錯乱したように、紅影鬼に対して感情を激しくぶつけていた。
《⋯⋯ふふふ、甚左と申す者の身体から身共が現れた⋯⋯、この現実に驚き、心を乱すのも無理はない。身共に課せられた任務は御主ら伊賀者の力試しと抹殺⋯⋯》
「⋯⋯そんなこと聞いてないッ!! ⋯⋯じ、甚左は⋯⋯、甚左は何処にい⋯⋯」
《⋯⋯よって、あの男は腕を試した後に、殺し申した。何処に居るか?⋯⋯と問われたならば、その御霊は既に“無間地獄”に堕ち申し候》
「⋯⋯は? ⋯⋯な、何だって⋯⋯!?」
紅影鬼は悪びれずもせず淡々と言葉を返すと、胸や腹に大きな空洞を開けて道の真ん中に横たわる甚左の亡骸に向けて、仰々しくも手を合わせて合掌した。
《⋯⋯南無阿弥陀仏。すぐにこの小頭の女子も後を追う故、寂しくはない。迷わず地の底で永遠に苦しみ続けるがよい》
托鉢笠の下に覗かせるその口からは、冷酷な微笑みが垣間見えた。
「⋯⋯ッ! ⋯⋯う、うそ、⋯⋯だ、ずっと一緒に居た、そんなはずはない、⋯⋯そんな、⋯⋯そんな!!!!」
《⋯⋯ふふふ、本当に四六時中、一緒に居た、と言えるか? ⋯⋯厠に立った時は付いていったか? ⋯⋯御主がのんびりと鼾をかきながら眠りについている間も、その姿を確認できたか? ⋯⋯その下に纏う忍装束を誤魔化す衣を求めに、御主を残して外には出なかったか? ⋯⋯御主が意気揚々と御所に潜り込んでいる間、この男は一人で行動はしなかったか?》
「⋯⋯うッ、それは⋯⋯」
《先程の夕刻、都合良く一人で歩いている所を襲ったのかもしれん、⋯⋯いや、それよりもずっと前から御主と身共は寝食を共にしていたのかもしれんぞ? ⋯⋯ふふふ、その礼服に色々と細工を拵えてやったのも身共かもな? ⋯⋯いやはや、あの時、御主の希望を叶えるのは大変だったぞ、小頭?》
「⋯⋯な、何言って⋯⋯、ち、違う、あの時は甚左だ、あの笑顔は違う、御前なんかじゃない⋯⋯、じ、甚左の記憶を盗み見て言っているだけだろう⋯⋯、うっ⋯⋯」
《⋯⋯ふふふ、いつから化けていたのか。知りたいか、知りたかろう、知りたかろう。⋯⋯だが、真実は決して言わぬ。これぞ『修羅』の仕掛ける葬魂の極意。死人への懐かしき思い出は、全て真赤な嘘や真紅の疑念に変わり果てる。⋯⋯さあ、怒れ、怒るのだ。⋯⋯怒り⋯⋯すなわち”瞋“の煩悩を抱き、真実を得られぬまま、慚愧や苦悶にも囚われて、死ぬるがよい》
「⋯⋯⋯⋯ッ、うそだ、そんな」
鎌足は両の膝からその場に崩れ落ちた。
その目からは涙が溢れて止まらなかった。
「⋯⋯私が京都に誘ったばっかりに! 私がもっと早く御所から出てきていれば⋯⋯、私がずっと一緒に傍に居てあげれば⋯⋯! 私が身代わりになっていれば⋯⋯、私が⋯⋯、私が⋯⋯.私がッ!!」
鎌足は狼狽した。
言葉にならない声で、空に向かって叫んでいた。
後悔と自責の念に駆られた涙が、とめどなく溢れた。
爪の間から血が滲むくらい地の砂利を強く握りしめ、激しく噛み締めた唇からも血が顎を伝い滴り落ちた。
そして何度も何度も、握り拳を地に叩きつけた。
そんな鎌足を紅影鬼が再び嘲笑う。
《⋯⋯これ、鎌足とやら。その身体と技、次の葬魂の術に使わせてもらうつもりぞ。その前にやたら痛めつけるのは止めてもらおうか。余計な傷までも移るのでな》
「⋯⋯な、⋯⋯なん⋯⋯だっ⋯⋯て⋯⋯」
《⋯⋯それにしても御主を誘い出すための仕方ない仮の身体だったとはいえ、この甚左と申す者、その剣腕あまりにも拙すぎてな、術中はもう反吐が出そうであった。こんな未熟者に身を窶してしまったは、誉れ高き『修羅』の恥よ。いかんいかん、ふふふ⋯⋯、会話や所作の節々に、ついつい身共の素が出てしもうたわ》
「⋯⋯⋯亡骸を、⋯⋯馬鹿にするな」
紅影鬼が舌舐めずりをする。
《⋯⋯しかしこの甚左とやらの記憶の中を探り散らし、御主の女体や技の数々をじっくりと舐め回してみるに、女子ながらにその剣腕と鎌の術、そしてその勝ち気な性格。⋯⋯葬魂を仕掛けたならば、そこそこは愉しめそうだ。女体なれば、紅斬鬼たち女鬼との会話も弾もうて》
「⋯⋯す」
《⋯⋯ん? ⋯⋯今、何と申されたかな?》
「⋯⋯ろ、す」
《⋯⋯? ほう、まさか?》
「⋯⋯⋯⋯殺す」
《⋯⋯殺す、と聞こえ申したが、身共の聞き間違いかな》
「⋯⋯ッ!、御前だけは!! 此処で殺す!!!! ⋯⋯って、言ってんだよ!!!!!!」
凄まじい復讐の念と怒りを滾らせた鎌足は、纏っていた羽織を脱ぎ、そしてすぐに外せるように細工をしてあった袴を裂いて、羽織も袴も宙に無造作に投げ捨てた。
満月の月明かりの下、解き放たれた鎌足の忍装束の文庫結びの帯が、蝶の羽根のようにたなびく。
《⋯⋯敵と遭遇した急の時、すぐに脱げるように身共⋯⋯甚左が仕込んだその袴、⋯⋯まさか当の甚左に対して脱ぐことになろうとは、思わなかったであろう。何という運命、何という皮肉よ、⋯⋯しかし愉快、⋯⋯ふふふふ》
「⋯⋯あの時は絶対に御前じゃないッ、甚左だ!! ⋯⋯ッ、それ以上、何も言うなッ!! 生臭坊主ッ!!」
戦闘用の忍装束へと戻った鎌足は、腰と脚に巻き付けていた鎖を即座に外した。
じゃらりと地に落ちた鎖が、鎌足の流した涙と血を新たに纏う。
「伊賀流鎖鎌! 壱ノ鎖刃、天渡りッ!!」
鎌足の投じた鎖と分銅がまるで生き物のように宙を舞い、鎌足の巧みな手元の操作によって、空中で左に右に角度を何度も変えながら紅影鬼に向かっていく。
《⋯⋯ほぅ、これが伊賀秘伝という鎖鎌の技か》
紅影鬼は微動だにしない。
様々に角度を変え、勢いを増した鎌足の鎖の先端の分銅は、最後は左前方の角度から紅影鬼の胸にめり込んだ。
「⋯⋯捉えたッ!」
明らかな手応えがあった。
鎌足がそう思った瞬間。
⋯⋯分銅は紅影鬼をすり抜けていた。
揺らめく残像と共に紅影鬼が、鎌足の眼前から消える。
「⋯⋯なッ!?」
《⋯⋯愚かな。伊賀の鎌足。それは我が影法師。⋯⋯ふふふ、今宵は身共の妖力を最大に発揮できる満月の夜ぞ。御主に微塵も勝ち目は無いと知れ》
どこからとも無く響き聞こえる紅影鬼の声。
鎌足は前後左右の全てに視線を流し、慌てて紅影鬼の気配を探る。
しかしその視界や五感からは、何一つ感じ取れるものが無かった。
(⋯⋯読めない、くそっ、何処へ消えた!?)
その時、警戒を強める鎌足の背後に伸びる影が、突如として揺らめき盛り上がっていく。
紅影鬼の挑発の言葉と気配を辿る事に気を取られ、鎌足は再び自身に起きた影の異変に、まだ気付いてはいない。
その影の色は黒から灰へと薄まっていき、徐々に輪郭を際立たせ、黒灰以外の様々な色を纏いながら、錫杖を持つ紅影鬼の姿が浮き上がってきた。
そして背後の至近距離から鎌足に向けて、錫杖での突きの一撃を繰り出してきた。
「⋯⋯ッ!? 後ろかッ⋯⋯!?」
不意を突いて猛烈な勢いで繰り出された錫杖の突き。
そして間髪入れず続けざまに横に薙ぎ払う第二撃。
どちらも鎌足は既の所でかわし身を翻していた。
何とか後方に退いたものの、反撃態勢がまだ整わない鎌足に、紅影鬼は攻撃の手を緩めない。
雲水の法衣の両袖をだらりと垂らした後、その腕を肩の位置にまで上げる。
そして法衣の袖の中⋯⋯覗く漆黒の闇から、三寸(※約9cm)程の長さのおびただしい数の針を、まるで鉄砲の弾丸の様に鎌足に向けて発射した。
《ほうれ、地獄の針山からの土産だ。受け取れ》
鎌足に襲いかかってくる針の雨。
(⋯⋯ッ! これは!? 避けれない⋯⋯かッ!?)
鎌足は、咄嗟に鎖で防御の型を取る。
「伊賀流鎖鎌、十壱ノ鎖刃、鎖防陣ッ!」
鎌足を中心に高速で回転する鎖の壁。
しかし鎖で旋回の壁を作っても、向かってくる細く鋭い針の雨、その一本一本全てを捌き切ることは不可能に近かった。
鎌足の防御の隙をすり抜けた三本の針が、鎌足の左肩、左脇腹、そして右上腕に相次いで突き刺さり、忍装束の下の柔らかな肉を抉っていた。
「⋯⋯ッ、ぐっ!!」
鎌足の左右の腕、身体に猛烈な痛みが走った。
すぐに三本の針を抜いた鎌足は、激痛と出血に顔を顰めながらも、懐に忍ばせていた手裏剣や苦無を投じていく。
たがその飛び道具全てが、やはり鎖鎌の攻撃同様に、紅影鬼をすり抜けてしまう。
(⋯⋯距離を取ると不利! これは接近戦しかない!)
傷を負った肩や腕を庇いながらも、鎌足は手裏剣を投じ、左に疾走り抜けていく。
すると奇怪にも針の雨もまた、一本一本が命を宿した追跡者のように、鎌足の後を追いかけ襲いかかった。
廃屋の壁際を駆け抜けていく鎌足。
その駆け抜けた直後の壁に、次々と無数の針が突き刺さっていく。
(⋯⋯ッ! 手裏剣や苦無も尽きてしまった)
それでも何とか針雨の波状攻撃を凌いだ鎌足は、廃屋の並びを鎖鎌を構えて全速で疾走り抜け、そして廃屋の壁を蹴って飛んだ。
「⋯⋯鎖鎌、飛び道具。通じないなら、これはどうだッ!! これが鬼を斬る刀⋯⋯鬼切丸だッ!!」
鎌足は、宙で鬼切丸を素早く腰から抜いた。
狙いは針を投じ終わったばかりの紅影鬼の懐。
鬼切丸と鎌を交差させて✕⋯⋯十字の字を作る。
「伊賀流鎖鎌、二十八ノ鎖刃、二重斬!!」
狙いの懐に身体ごと飛び込んだ鎌足は、この二つの刃を同時に紅影鬼の喉元に勢いよく押しやった。
(本来なら鎌と刀で左右から攻撃する技、⋯⋯しかし此度の鎌はあくまで力添え! 鬼切丸の刃ならば、喉元をある程度、抉る事さえ出来れば、鬼にとっては十分な致命傷にはなるはず!)
紅影鬼の喉を、鬼切丸と鎌の二重の刃は確かに捉えた。
⋯⋯ように見えた。
しかし無情にもこの攻撃もまた、まるで形の無い幻影でも相手にしているように、鎌足の体ごと鬼切丸も鎌も紅影鬼をすり抜けていく。
「⋯⋯ぐッ! またか!? ⋯⋯何で!? 何故捉えられない!?」
動揺して狼狽する鎌足を嘲笑うように、闇の中から紅影鬼の声が響いた。
《無駄だ。これぞ身共の真髄、影法師の術。ふふふ、それが七十年前に紅鬼の同胞を苦しめ、伝説ともなった鬼切丸か。⋯⋯しかし案外と他愛の無いものよ。出来るものなら時を戻し、七十年前に相見えたかったぞ。⋯⋯七十年を経た今はその程度の力しか無いとはな。それとも操る御主の腕が拙いだけかな。⋯⋯ふはははははは》
(⋯⋯くそっ、幻影ばかり斬っても駄目だ! 本体を⋯⋯、敵の本体を斬らないと! ⋯⋯ッ、何処だ! きっと本体は何処かに潜んでいる、何処だ!?)
《⋯⋯とは言え、その鬼切丸は言わずもがな、その鎖鎌の術⋯⋯、身体⋯⋯、我が物とするのが楽しみだ》
鎌足は前方だけでなく後方にも
、そして四方八方にも更に意識を高めて集中し、紅影鬼の声の位置を探る。
⋯⋯しかしやはり何の気配も感じることができない。
感じるのは、自分自身の心臓の鼓動の乱れと、限りの無い困惑。
(⋯⋯何処だ、何処にいるッ!?)
《⋯⋯此処だ》
その心を見透かしたのか。
鎌足の後方から、錫杖を振りかざした紅影鬼が不意に飛びかかった。
「⋯⋯ッ!?」
戦いの本能が鎌足の身体を動かす。
鬼切丸の刃をかざし、咄嗟に錫杖を受け止める鎌足。
⋯⋯しかしその瞬間、錫杖は粉々に砕け散り、その中から巨大な長針が姿を現した。
「⋯⋯ッ、こ、これは、針の槍!?」
紅影鬼は余裕の笑みを浮かべながら、鎌足の鬼切丸の刃をものともせずに弾き返した。
そしてその妖気漂う錫杖の真の姿⋯⋯長針の槍で凄まじい突きを繰り出してきた。
鎌足は再び鬼切丸で受け止める。
しかしこの至近距離から見舞われた強烈な一撃、その人外な力に鎌足の身体は遥か後方へと吹っ飛ばされていた。
弾かれた勢いのまま、道沿いに建ち並ぶ燈籠に背中からぶつかり、三基の燈籠を立て続けに破壊した所で、鎌足の身体は激しく地に何度も跳ねた。
「⋯⋯が、がはッ!?」
横たわる鎌足の苦悶の呟きが、夜の闇に無情に響く。
紅影鬼はそんな鎌足を冷たく嘲笑うと、ふっ⋯⋯とその姿を消した。
(⋯⋯消えた?)
苦悶で目を細め、顔を歪ませた鎌足が呟いた瞬間だった。
目の前の倒壊した燈籠の土煙の中から、消えた紅影鬼が地を駆けるように再び姿を現し、凄まじい速さで鎌足に向かって迫ってきた。
追撃の針は止まらない。
鎌足を刺し殺そうと、紅影鬼が長針の槍を振りかざす。
「⋯⋯ぐぅッ、⋯⋯ぅぅううおおおおおっ!!」
力を振り絞り、身を起こした鎌足は身体を即座に回転させ、まさに薄皮一枚の差⋯⋯忍装束の袖を大きく斬り裂かれながらも、間一髪に長針の槍の突きを避けきった。
そしてすれ違いざまに、逆手に持った鬼切丸で紅影鬼の胸を突き刺した。
⋯⋯はずだった。
⋯⋯手応えはあった。
しかし結果は同じだった。
また霞のように紅影鬼は揺らめき、鎌足の目の前から消えていく。
「⋯⋯なッ、⋯⋯これもまた幻影か!? くそっ」
斬っても斬っても、紅影鬼は倒れない。
全てが幻。
まさに幻影と戯れるだけの、鎌足の一人舞台となっていた。
息をつく暇も無く、紅影鬼は闇の中から次々と更なる追撃⋯⋯無尽蔵の針の雨を降らせた。
紅影鬼の本体の居場所も、打開策も見つからない。
(⋯⋯うぅぅ⋯⋯、ど、何処にいるんだ!? ⋯⋯卑怯者ぉ、⋯⋯くそっ、くそおっ!!)
《ふはははは⋯⋯、どうした、御主の力はそれまでか》
打つ手が無く、半ば“やけ”になったように鎖を振り回す鎌足だったが、そんな鎖分銅が捉えるのは、やはり全てが紅影鬼の幻影。
捉えたと思った姿はすぐに跡形も無く消え去り、後に響くのは紅影鬼の嘲りの笑い声と、勝ち誇った得意気な台詞だけだった。
「(⋯⋯落ち着け、まずは落ち着け。一度体勢を立て直さなくては⋯⋯)、⋯⋯くっ、伊賀流鎖鎌、十三ノ鎖刃、砂霞っ!」
鎌足は鎖を手元に引き寄せると、物凄い早さで鎖を旋回させた。
自分の足元の地面に鎖で円を描く。
地面から巻き上がる砂煙が、鎌足の周辺を包んでいく。
この鎖刃の型は、状況に応じて攻めにも転じることの出来る、同じような防御の型『鎖防陣』とは違い、相手の目を眩まし、その隙にその場から身を隠したり場合によっては退いたりする技⋯⋯言わば基本逃走用に用いる技だった。
しかし今、甚左の仇を取り無念を晴らす⋯⋯そんな熱く滾る誓いを胸にしている鎌足には、この場から一旦退くや逃げるという選択肢は一切無かった。
砂煙を一時の盾や目眩ましとして、降り注ぐ針の雨を避けた鎌足は、再び疾走た。
紅影鬼の本体を探る刻を得るため、砂の霞の中に紛れて、まずは何処かに身を隠す必要がある。
鎌足は廃屋の庭、丈の高い茂みの中に飛び込んだ。
身を低くし、気配を消し、完全に夜の廃屋や道の草木に心を同化し、左右上下に目を凝らす。
(よしっ、砂霞によって紅影鬼には私の動きや隠れている場所は見えていないはず! この位置から紅影鬼の本体の居場所を探ることができれば⋯⋯)
しかしそんな鎌足の一縷の希望を無残に打ち砕くように、今度は頭上から更に数を増した、まさに文字通りの”針の雨“が降り注ぐ。
(⋯⋯ッ、また? 上から!? 何故だ!?)
鎌足の視界に入った、廃屋の引き戸。
針雨からの脳天串刺しを何とか避けた鎌足は、咄嗟にその引き戸に体当たりし、廃屋の内へと転がり逃れた。
(⋯⋯ッ! ⋯⋯はぁはぁはぁ⋯⋯、完全に紅影鬼の目を眩ましたはず、⋯⋯気配も消した、⋯⋯が、何故、私の位置がこんなに素早く、しかも正確に分かる!?)
⋯⋯静まりかえった真っ暗な廃屋の中。
鎌足は転がるようにして土間から上がり、廃屋中央の囲炉裏の側で片膝をつき、呼吸を整えた。
そして鬼切丸を眼前で右斜めに添え、左手には鎌や分銅を堅く握りしめたまま、紅影鬼の次の針の攻撃に身構えた。
その左右の手は、小刻みに震えていた。
「⋯⋯はぁはぁはぁ、⋯⋯はぁはぁ、⋯⋯きっとまたすぐに攻撃が来る、次は何処からだ? 左か、右か、⋯⋯それとも天井からか?」
瞳を上下左右に慌ただしく移ろわせながら、鎌足が重々しく呟く。
狭い廃屋の内部。
もうどこにも逃げ場は残されていない。
針で受けた肩や腕の傷からは、まだ血が流れていた。
燈籠に直撃した背中にも、鈍くて重い痛みが響く。
自分から廃屋の中に飛び込んだとは言え、それは⋯⋯「嬲り殺し用の狭い牢獄に閉じ込められた」⋯⋯そう言っても過言ではなかった。
呼吸が整うことはなかった。
今、訪れる者を一切拒むように、しんと静まりかえったこの廃屋内には、まるで悲痛な叫び声にも聞こえる、鎌足の荒々しい呼吸音だけが響いていた。
(⋯⋯くそっ、⋯⋯これまでか。甚左の仇も取れず、任務も果たせず、そしてこの身体も魂も鍛えた技も、鬼切丸までも⋯⋯、何もかもがあんな外道の紅鬼に奪われるのか!? ⋯⋯うぅ、うおおおぉぉぉおおおッ、⋯⋯畜生おぉッ!!)
鎌足の目に悔し涙が滲む。
鎌足は京都に来て初めて、そしてその人生においても初めて、⋯⋯“死”を覚悟していた━━━━。
第28話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています!
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪
(前回第27話、中盤のとある一部のシーンだけは、とある事情があって投稿の後にカットしました。物語の展開や設定には全く影響はありません♪(*^^*))
次回第29話「蒼炎鬼」は2月26日の昼頃公開予定です。




