第27話 影法師
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。不知火流という恐るべき剣の使い手。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
甚左━━━━
伊賀組の中忍。江戸から京都へ派遣された四人の忍のうちの一人。鎌足の京都での補佐役を務め、鎌足からの信頼も厚い。剣の腕も立ち、いつも優しい人格者。
━━━━「⋯⋯⋯⋯溝鼠って、綾麿が言うんだよ? どう思う? 誰でも絶対に頭にこない?」
「⋯⋯はは、それはとんだ災難でしたな」
鎌足と甚左は、帰路を並んで歩いていた。
江戸を発ってから、甚左とじっくりと会話ができる”二人きり“になれたのは、この時が初めてだった。
いつも鎌足や甚左の傍には、平次や大吾が居たからだ。
「⋯⋯その村雨という刀は、それほどまでに妖しい力を⋯⋯鬼を斬る力を、放っているように見えましたか」
「うん。あんな綾麿には勿体無いくらいの名刀だよ、あれは。鬼切丸と同じ、鬼を斬る刀⋯⋯。見たのは鞘とか柄だけなのに、何て言うか⋯⋯、心と身体の全てが吸い込まれそうになっちゃったもの」
「⋯⋯虜になった、⋯⋯ということですか?」
「そう、それ。そんな感じ」
「⋯⋯鬼を斬る刀か。⋯⋯⋯⋯これは御報告せねば」
「うん、百地翁様に報告しないと。京都の様子も伝えないとだし、宿に戻ったら手紙でも認めようかな。⋯⋯あ、そうそう、そう言えば綾麿、百地翁様が生きてるって知ったら、途端に笑顔を見せてさ。⋯⋯それだけじゃないよ、どうやら百地翁様に会いたいみたいなんだ。おかしいよね? 絶対に接点なんて無いはずなのに⋯⋯、公家に知り合いが居るなんて聞いたことも無いよ」
「⋯⋯そうなのですか、⋯⋯ふむ、何故でしょう? ⋯⋯やはりその綾麿、気になる、⋯⋯本当に、蒼鬼⋯⋯なのかもしれませんな」
綾麿追跡へと向かう平次と大吾を見送ってから、鎌足の胸にはずっと、得体の知れないざわめきが付きまとっていた。
それは不安か、心配か、それとも命令を下した後悔か。
その正体が何れにしても、心に巣食っている不穏な暗い念を払拭するために、鎌足は隣の甚左にひたすら話しかけ続けていた。
「⋯⋯でさ、それに、おかしいって言ったら、東番の警備の場所もだよ。内外全域を守りながら、肝心要の帝の寝所は一切立ち入り禁止なんだって。⋯⋯羅生門はいつ何処で現れるか分からないのにさ。⋯⋯羅生門が帝の寝所の中とか近くに現れたらどうするつもりなんだろう、全く⋯⋯、意味が分からないや」
「⋯⋯地獄からの近道。それができたら楽なんですけどね。羅生門の横道━━邪道は、一度その場所へ行ったことのある鬼がいないと開かないんですよ」
「⋯⋯へ?」
「あぁ、いえいえ、こちらの話、⋯⋯そんな理由があるのではないか、と思っただけで。⋯⋯はは、根拠の無い当てずっぽうな推理でしたな、⋯⋯あ」
大通りの脇に佇む小さな観音堂の前で、甚左が不意に立ち止まった。
「⋯⋯あぁ、たぶん、これだこれだ、この観音像だ。小頭? 見てください、あの正門の門番が小頭を待つ間に教えてくれたんですが、観音堂の隣から延びているこの横道は、何でも宿へと繋がる近道らしいですよ。⋯⋯かなり遅くなってしまったので、今日は此方の道を通りませぬか」
「⋯⋯近道かぁ、そうだね、通ってみようか」
昨日今日と歩き慣れた大通りを左へと曲がり、二人は観音堂の横の藪道を抜けていく。
その先には鎌足が初めて見る京都のもう一つの顔⋯⋯寂れた民家が点々と立ち並ぶ、まるで小さな廃村のような裏路地があった。
道は思いのほか広い。
しかし広さ故に、寂しさもその分、増していた。
そんな寂しい夜道を、甚左を先頭、その後ろに鎌足が続き、二人はゆっくりと歩いていく。
人気の少なかった日没の大通り以上に、この場所は刻が止まったように静かな道だった。
煌々とした満月の光が、通りの両端の廃れた家々を照らす。
人気は、まるで無い。
何かの災害や疫病の名残りなのか。
それとも鬼の実害が残した痕跡の一つなのか。
「この道は旧道で、今は廃屋が多いそうで。⋯⋯まあ、元々あまり人は住んで居なかったらしいですがね」
前を行く甚左がぼそりと呟く。
華やかで賑やかな寺院や店通りは多々あるものの、それはあくまで表の京都。
たった一歩道を違えると、こうした物悲しい寂れた場所もまた普通に存在しているのが、鬼に虐げられ混迷している今の京都の本当の姿なのかもしれない。
二人は先へと進んでいく。
過去に何か悲しい出来事があったのだろうか、道の両端には一定の距離を置いて供養の灯籠が立ち並び、仄かに蝋燭の灯火が揺らめいている場所へと出た。
道の左右の端に点々と見える燈籠の灯が、何とも物悲しくも幻想的に見える。
初めて通る道のため、鎌足は今、自分が京都の何処に居るのか分からない。
宿に近づいているのかすらも分からない。
甚左の得た情報によると、この寂れた道をもう少し進めば、また大通りへと抜け、宿のすぐ近くに出るという事だった。
「⋯⋯さあ小頭、急ぎましょう。今頃はきっと、宿の女将が私たちのために腕を奮った、あったかい夕餉が用意されていますよ」
「⋯⋯あ、うん」
慣れない道を先導して前を歩く甚左、後ろに続く鎌足。
陽はとっくに沈み、暗い夜道。
日中までとはいかないものの、明るい満月の光と供養の灯籠の火に照らされた、二人の足元からは長い影が伸びていた。
⋯⋯その時。
突然その一つに怪異が起きた。
甚左の影が一瞬だけ蝋燭の灯火の様に揺らめくと、影の背丈が、ゆっくりと長く長く伸びていったのだ。
明らかに月や光、雲が生み出した悪戯ではない。
その怪異に一切の音は無く、甚左の背中を見ながら歩く鎌足は、足元の甚左の影に起きたこの異変には、全く気付いていなかった。
影は縦に伸びきると、続けて横にも膨らんでいく。
そしてあっという間に、歩く鎌足の影の全てを、すっぽりと覆い被してしまう程の異様な大きさにまでに膨れ上がっていた。
今、鎌足の足元に広がるのは、上に立つ者や置く物を全て吸い込もうとするような、巨大な円形の深い闇。
もしも周りに平次か大吾が居たならば、二人のうちどちらかはこの異変に気づき、鎌足に急を告げる声を掛けていたかもしれない。
しかし今、この寂れた通りに人影は、鎌足と甚左⋯⋯この二人だけだった。
⋯⋯誰も邪魔する者は居ない⋯⋯
その事実を知ってか知らずか、影は更に変化した。
影の中から姿を見せたのは、無数の刃。
鎌足をぐるりと取り囲むように、影の縁に沿って、数え切れない程の刃がゆっくりと邪悪な鈍光を覗かせていく。
影が”口“だとしたら、それはまさに“牙”だった。
円状となったその牙の群れは、一つ一つが徐々に影から盛り上がり、不気味に夜の空へと伸びていった。
一寸、
⋯⋯二寸。
⋯⋯⋯⋯三寸。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯そして四寸。
鎌足に気付かれることを警戒するように、少しずつ少しずつ伸びていく無数の牙。
伸びた牙が月明かりに反射する。
それは、牙ではなく⋯⋯
⋯⋯針だった。
それは例えるなら、狂気の歯を持った怪魚が、影の池から大きな口を開き、人を飲み込もうと襲いかかる⋯⋯、そんな様相を呈していた。
いつの間にか鎌足の足元は、無数の針の群れに取り囲まれていた。
全ての針が、一斉に煌めく。
針の長さがどれも五寸(※15cm)を越え、六寸にまで達しようかとした時。
⋯⋯鎌足にとって二つの幸運が起きた。
鎌足はまだ心に燻ぶり続ける胸騒ぎから、いつもより少し俯き気味で歩いていた。
心に不安も無く、いつもの四人で和気あいあいと歩いていたならば、前を向いていたり隣の者に話しかけたりして、決して下は向いていなかっただろう。
これが第一の幸運。
第二の幸運は、たまたま雲が晴れて、月の明かりの輝きが増したことだった。
前を歩く甚左の背中、その腰あたりに視界があった鎌足は、視界の片隅に、月明かりに照らされて光る⋯⋯“何か”の存在を感じることができた。
「⋯⋯ん? 何か、光っ⋯⋯」
鎌足が何気無く、その光の出所を辿った、その瞬間⋯⋯。
鎌足の足元を取り囲んだ影から現れた無数の刃は、一斉に三尺(※約90cm)程にまで急激に伸び、四方八方から鎌足を串刺しにしようと、その凶暴な牙を剥いていた。
「⋯⋯ッ!?」
忍として鍛え上げられてきた敏捷性が活きる。
鎌足は瞬時に、空へ飛び上がった。
⋯⋯針の牙が、鎌足の草履の裏を掠める。
ガシャャャャャャャー━━━⋯⋯⋯⋯⋯⋯
無数の刃がぶつかる甲高い衝撃音が鳴り響いた。
その音の出所を、宙を舞う鎌足が目で追う。
ほんのついさっきまで鎌足が居た場所⋯⋯其処には、まるで獲物を捕らえることが出来なかった猟の鉄罠のように、剣山のような無数の針の固まりが、地に激しく食い込んでいた。
すぐ脇の土塀の上に飛び乗って難を逃れた鎌足は、この唐突に目の前に起こった針の襲撃、そしてこの世のものとは思えない異様な光景に我が目を疑った。
(⋯⋯ッ! こ、これは! な、何が起きたんだ!? 少なくとも人間の仕業じゃないッ! ⋯⋯ま、まさか、⋯⋯鬼か!?)
あと一瞬、ほんの一秒、気づくのが遅れていたら、きっとこの針の剣山に挟まれ、全身を突き刺されていただろう。
(⋯⋯あ、危なかった、⋯⋯くっ、くそっ)
鎌足はすぐさま辺りにも目を配る。
そんな鎌足の目に⋯⋯、甚左が映った。
すぐ背後で起こったこの怪異に全く気付いていないのか。
剥き出しになった針山の牙のすぐ傍で、まだ鎌足を先導しているように怪異に背を向けたまま、じっと立ち止まっていた。
「⋯⋯ッ、甚左! 敵襲だ!! ⋯⋯鬼だ!!」
鎌足が渾身の声で呼びかけても、反応が無い。
「⋯⋯!? 甚左! どうした! 気付いていないのか!? 聞こえていないのか!? ⋯⋯後ろだッ!」
声を張り上げて叫んでも、一向に反応も返事も無い。
居ても立ってもいられず、地上に降りる危険すら顧みずに、鎌足は土塀から飛び降りた。
「⋯⋯ッ! おい! 甚左! はや⋯⋯」
そして地を跳ねるようにして甚左に近寄って、怪異を挟んで背後から呼び掛けた時だった。
鎌足を再びの怪異が襲った。
鎌足に背を向けたまま、甚左の首だけが動く。
⋯⋯ゆっくりと。
⋯⋯みしみしと。
嫌な音を立てながら、鎌足の方へと向きを変えていったのだ。
鎌足を振り向くように、真横を向いた首⋯⋯。
⋯⋯しかしその首は止まること無く、あり得ない角度で曲がり続けた。
鎌足の位置からは、最初は右頬と右目、右耳しか見えなかった甚左の顔。
その顔が、今は鼻の形全て見え、左頬や左目までが見えていた。
⋯⋯そして首は、真後ろの鎌足の方を完全に向いて、背中に付いた甚左の顔は、にたりと不気味な笑みを浮かべた。
「⋯⋯⋯ふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「⋯⋯ッ!? ⋯⋯う、⋯⋯じ、じ、甚左⋯⋯」
その余りもの驚愕の情景に、鎌足の身体は小刻みに震え出し、額からは生温い汗が滴った。
驚きと慄きで舌まで麻痺したのか、
甚左の名を辿々しく呟く他は、上手く言葉が出てこない。
あの江戸での蒼鬼との遭遇を超える、今だかつてない衝撃が鎌足を襲っていた。
笑う甚左の目は、死んでいた。
⋯⋯だが甚左の口は、動いていた。
《よくぞ身共の必殺の針『影牙』をかわした。この男よりは格段に腕は立つな。⋯⋯のう? 江戸よりの援軍、伊賀の忍━━鎌足よ》
「⋯⋯ッ!?」
その声は、甚左では無かった。
《事の成り行きでこの甚左と申す者の命及び身体と魂、既に奪い申した。葬魂を解き、鬼の身体に戻るにあたり、この男の体、声、技、記憶、全てもはや用無し故、汚い骸はお返し致す。そして⋯⋯、この身共の真の姿も開帳致そう、とくと崇め奉られよ》
その言葉が終わるやいなや、甚左の胸から腹にかけて縦に裂け目が入り、その裂け目からひびが割れていく。
そしてまるで身体の内側から何かの殻を破るように、その裂け目から二本の腕が飛び出した。
二本の腕が甚左の裂けた皮膚を掴み、扉を開けるように裂け目を開いていく。
そして甚左の中から、身を屈めた人間━━得体の知れない何者かが、鎌足の眼前に飛び出してきた。
⋯⋯それは托鉢笠を被った、雲水姿の男だった。
その謎の雲水は、小さな肉塊と血を迸らせ、飛び出した勢いのまま降り立った地を蹴ると、手にした“何か”を振りかざし、鎌足に向けて不意打ちの一撃を見舞ってきた。
「⋯⋯なッ!? くっ⋯⋯」
鎌足の眼前に迫る、棒のような長い新たな影。
鎌足は危機一髪、その不意打ちを後方回転しながら避け、飛び退いた。
「⋯⋯おのれッ! 蒼鬼かッ!?」
着地した鎌足は、影から身を隠すように身を屈め片膝をつき、攻撃を仕掛けてきた謎の雲水を鋭く睨みつけた。
棒のように見えた長い影。
その正体は、仏僧が使う俗に錫杖と言われる、先端に金色の錫が付いた杖だった。
《⋯⋯蒼鬼だと? ⋯⋯ふふふ、あのような愚鈍な連中と一緒にされては、地獄にその名を轟かせる身共の名が泣くわ》
夜の闇に鈍く光を放つ、その不気味な錫杖を垂直に地に立て、その先端で地を思い切り突いた。
「うッ⋯⋯!?」
この謎の雲水の怒りが、錫杖から大地に伝わり、錫の金色の輪同士がぶつかる凛とした音が鳴り響く。
本来は魂を浄化するべき聖なる音も、今はただ人の煩悩を増幅させるような、邪悪な音色に聞こえてならない。
その狂気の音の威嚇に、鎌足は思わず足が竦み、身体が強張った。
音が鳴り止むと共に、謎の奇怪な雲水の男は、托鉢笠の紐をゆっくりと外していく。
托鉢笠を外した男の顔は⋯⋯、頭には布を巻き、高僧のように威厳と風格と美しさに満ちている反面、僧らしからぬ謎の紋様の入れ墨が、眉間や頬や目の下など所々に入っていた。
一見すれば、異風の美しき高僧。
⋯⋯しかし確実に人間には無いものが、その顔にはあった。
額には二本の角。
鎌足を睨みつける銀色の瞳。
そしてその銀色の瞳を宿すのは、明らかに人とは思えない薄っすらと紅く染まった目。
⋯⋯雲水の男は、鬼。
⋯⋯しかも、紅鬼だった。
「⋯⋯ッ! ⋯⋯な!? お、鬼⋯⋯、だが、蒼鬼じゃない!? ⋯⋯紅の鬼⋯⋯!?」
雲水の男は托鉢笠を再びゆっくりと被り、その禍々しい銀色の瞳を笠の下から覗かせ、紅に染まる眼をぎらつかせた。
《⋯⋯身共の名は紅鬼軍が一人、紅影鬼。⋯⋯江戸からの援軍、御庭番衆小頭、鎌足。甚左とやらに続いて、その力が如何なものかを見せてもらおう。⋯⋯我が影法師の針地獄、その身体でとくと味わうがよい。⋯⋯今宵、身共が、御主を地獄の淵へ案内致す》━━━━。
昨日は別アプリの声劇版投稿と連動して、本来は2話分の文量を1話に合算した特別長編投稿の予定でしたが、あまりにも長かったため笑、分割しての投稿になりました。今回の後編も楽しんで頂けたら幸いです。
第27話、最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています!
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪
次回第28話「紅影鬼」は2月22日の昼頃公開予定です。




