第25話 決裂
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。不知火流という恐るべき剣の使い手。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。奥座敷で鎌足と対談する。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。内裏では男装をしている。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。執念深く自己中心的、かつ残虐な性格で、些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつける。自分よりも位が下の者には容赦はしない。
━━━━『麒麟』
龍の頭、鹿の体、牛の尾、馬の蹄、そして黄色に輝く体を持ち、背中は鱗と鬣に覆われた、異国の古の神話に登場する伝説の霊獣である。
国に吉兆を運ぶことで知られているこの霊獣は、日本の歴史においても、良い政が行われている時にのみ現れる縁起の良い存在として、時の権力者たちからも安寧の政権の象徴として崇められる存在だった。
そして人間世界と異世界とを繋ぐこの霊獣の額には、鬼と同様に鋭く尖った、”角“が生えていた⋯⋯。
⋯⋯夜を徹して行われる内裏の警備。
その役を担う武官や警備兵たちの、待機場の一つにもなっている大広間。
警備の番が始まる暮れ六つ前、薄暗くなりつつあるこの広間の中央で、まだ齢十五から十六程の少年公家が、広間の中央に置かれた大きな鎧飾りを前にして、右手にだらりと刀を下げて立ち尽くしていた。
その足元には、紙垂付きの白い鞘が無造作に転がっている。
僅かに何枚かの雨戸が開いてはいるものの、暮れ六つを迎える直前の慌ただしい御所とは隔離されたような、閉ざされた空間。
外にも中にも、この少年以外の人影は見当たらなかった。
少年はつい今しがたまで、手にしているその刀を振っていたのだろうか。
纏う狩衣ははだけ、露わになったその上半身からは、まるで闘気や瘴気の波を代わりに身に纏ったように、白い湯気を妖しく漂わせている。
少年の口元には、まだ幼さが残る八重歯が覗く。
その口から漏れ出る息は荒い。
だが、これはただの疲れの息ではなかった。
昂ぶる気持ちを抑えきれない息だった。
既に春が訪れているとは言え、まだほんの少しだけ冬の寒さが残っている、このがらんとした静寂の広間の中で、その吐息もまた薄っすらと白く変わった。
「⋯⋯あの江戸から来た男女、絶対に許さねぇ」
少年が怒りと憎しみが籠った声で呟く。
少年は手にした刀を、伝説の霊獣『麒麟』の角に見立てるように、⋯⋯下から上へ。
肩の位置に水平になるまで、ゆっくりと上げていく。
⋯⋯そうして握る刀が鎧飾りの胸元を指した時、少年の目は、獲物を捕らえた“獣”の目となった。
手首を撓らせるように、素早く数度回転させた、次の瞬間⋯⋯。
目の前の鎧飾りの胴の部分は、まるで柘榴のように粉々に切断されて弾け飛び、数え切れない無数の欠片となって広間の床に降り注いだ。
そして胴体を失った他の鎧部分もまた、そんな欠片の後を追うように、がらがらと床へと崩れ落ちていった。
「⋯⋯必ず殺す、殺してやる、⋯⋯殺してやるぞ」
僅かに開いた雨戸の隙間から、西日が射し込む。
少しずつ少しずつ照らされていく、その少年の背中には、古の霊獣━━『麒麟』の大きな入れ墨があった。
全身から立ち上る湯気。
⋯⋯それはまるで呼気や吐息のようだった。
荒々しく伸縮する背中。
⋯⋯それはまるで心臓の鼓動のようだった。
遠くの山際に沈んでいく、血のように赤い日輪。
その光を浴びて煌めく麒麟の入れ墨は、まるで生命を宿したように激しく脈打ち、黄金色に輝いていた。
伝説の霊獣『麒麟』は、虫も殺せない程に穏やかな性格と伝えられている。
しかし、この少年の”背中の麒麟“は、まるで違っていた。
見るもの触れるもの、その全てを破壊し尽くすような、凄まじい怒りに満ち溢れていた。
「⋯⋯見ていろ。東番初日の明日が、鎌足の命日だ。⋯⋯せいぜい最後の夜を楽しんでおくがいいさ」
少年は振り返り、沈んでいく陽を睨みつけた。
そして再びゆっくりと腕と刀を上げていく。
少年の刀と目は、陽の向こうに確かに次の獲物を捉えていた。
西日に輝くその瞳に映るのは、鎧飾りのようにばらばらになった血肉の塊と、その横に転がる半刃の歪な刀。
逸る気持ちが抑えきれず、西日を獲物に見立ててかざされた鋭い角は今、六つ鐘を待つ虚空を突き刺していた。
「⋯⋯死ね」
⋯⋯刺された茜の空、その血の色が更に濃くなる。
━━━━まもなく暮れ六つ。
綾麿と鎌足。
二人の対談の刻限が近づいていた━━━━。
━━━━徐々に陽が沈んでいく奥座敷。
残された時間はあまり無かった。
しかし鎌足は、綾麿が今しがた口にした『六歌戦』という言葉が、どうしても心に引っ掛かっていた。
口に出すことは無かったが、鎌足はこの京都への旅の間中、『六歌戦』と呼ばれる六人の剣士たちについて、ぼんやりと想いを巡らせていた。
信と武を極めたという、日本の守護者『六歌戦』。
そんな彼等はどんなに素晴らしい人間なのか。
鬼が現れ出した京都をどのように守っているのか、どんな大切な任務を任されているのか。
そしてその剣の実力はどれ程のものなのか。
鎌足は密かに興味や期待を抱き続けていた。
(⋯⋯もし京都から江戸にまで鬼の侵略が飛火した場合、『六歌戦』たちは、江戸を守る助けになってくれるだろうか)
人外の強敵、鬼との戦い。
幻斎や綾麿には強気を貫いたものの、やはり“もしも”の事態も考えずにはいられなかった。
もし自分たちが任務に失敗した時、この『六歌戦』たちに、江戸の平和と徳川政権の守護の想いを、代わりに託す事が出来るかどうか。
”救い“という心の拠り所の一つとして、それを心から知りたかったのだ。
(⋯⋯折角の機会だ、もしかしたら『六歌戦』について、何か知っているかもしれない)
幻斎存命の話を聞いて上機嫌な綾麿の高笑いを、鎌足は遮るようにして問いかけた。
「⋯⋯あ、あの、先ほど中将様が口にされました、日本の守護者⋯⋯京都の『六歌戦』たちの事なのですが⋯⋯、今の『六歌戦』たちについて、もし何か知っていることがあれば、是非お教え頂けませんか?」
鎌足は綾麿を真っ直ぐに見つめた。
その純粋な瞳の中に映るのは、大切な人たちの顔。
⋯⋯百地翁、御頭の半蔵、甚左、平次、大吾、伊賀の仲間たち、江戸城の顔馴染みたち、江戸でいつも世話になっている人々⋯⋯。
江戸に暮らす人々だけではない。
まだほんの僅かばかりの滞在にもかかわらず、京都で出会った人々の顔までもが映っていた。
⋯⋯櫻や美桜、大将の兼季、茶店のおばさん、すれ違った子供や母親、宿の女将、案内役に門番、京都の町で笑顔を見せる人々⋯⋯。
今はただひたすらに平和な日本の未来を願いながら、見知った顔から一度しか会っていない者の顔まで、走馬灯のように次々と、瞳の中に浮かんでは重なっていく。
純粋で感情的で真っ直ぐな性格の鎌足は、自然と胸が熱くなっていた。
「日本を護ってくれているという事は、江戸も、京都も、幕府も、朝廷も、東も西も関係無く、彼等はこの国に暮らす全ての者を護ってくれているはず、⋯⋯そう私は願い、信じているのですが⋯⋯」
鎌足の真摯で熱の籠もった瞳と声を前に、綾麿の笑い声がぴたりと止まる。
綾麿は無言で、鎌足をじっと見つめた。
そして暫くの後、ゆっくりと口を開いた。
「⋯⋯鎌足殿は情熱的な御方だ。⋯⋯今の麿は機嫌が良い。百地殿の話を聞かせてくれた礼に、鎌足殿が気になっている、その『六歌戦』の話、⋯⋯少しだけだが教えよう」
「えっ、本当ですか、嬉しいです」
「⋯⋯『六歌戦』たちは、京都及びその周辺にてそれぞれに大事な任務を帯びている。⋯⋯ある者は、京都から鬼が出ることを防ぐ防衛線として、⋯⋯またある者は、秘密の山寮で羅生門の探索を続け、⋯⋯またある者は、その類稀なる神秘性をもって、各地の荒んだ人の心に救いを施している」
「⋯⋯わぁ、やっぱり立派な方々なんですね」
「⋯⋯そしてこの『六歌戦』の決定は、全会一致。常に六人全員の賛成をもって動く。⋯⋯誰か一人でも意を唱えれば、鎌足殿の江戸を憂う、その切実な願いは叶わぬ事になる」
「⋯⋯わ! 良かった⋯⋯、誰の反対もなく、六人全員が賛成するだけで良いんですよね」
感情が昂りすぎて、ほんのり涙目にすらなっていた鎌足の目が、一瞬にして明るさを取り戻してきらきらと輝く。
「これで胸の心配が一つ無くなりました、良かった」
「⋯⋯鎌足殿。『六歌戦』は日本の未来のために生きる憂国の志士ばかり。江戸の守護に反対する者など出るはずがない。『六歌戦』は必ず江戸も守ってくれる、手を携えて共に戦える、⋯⋯そう思っているのか?」
「あ、はい、そうなれば良⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯ほほほ、それは、⋯⋯絶対に無い」
勇んで言葉を続けようとした鎌足を、綾麿が嘲笑まじりの冷ややかな声で制止する。
「⋯⋯え?」
「鎌足殿。全会一致と言ったではないか。その願いだけは天地がひっくり返っても有り得ぬことだ。諦めよ」
「⋯⋯え、何で? 何故ですか? 何故そんなにはっきりと言い切れるんですか」
「⋯⋯そろそろ良い頃合か。鎌足殿がどの様な強さや考えの者かはよく分かった。剣腕も体捌きも問題外。⋯⋯ならばせめて少しは頭が切れて、使える目処が立たないかとは思ったが⋯⋯、⋯⋯ただただ失望した」
「⋯⋯は?」
「道化は肩がこる故、叶わぬ夢物語を聞かされたり、つまらない質問を受けるはこのくらいで終わりとしようか。⋯⋯さて、然らば此処からが本題。⋯⋯逆に鎌足殿に麿の話を聞いてもらうとしよう」
「⋯⋯は!? 失望? 道化? 夢物語? ⋯⋯え?」
「⋯⋯まずは先程の麒麟との腕試しの件だが、麿が麒麟を止めたこと、そして何一つ麒麟を咎めぬことを少なからず疑問に思ったであろう。まずその理由を答えよう。⋯⋯麒麟は出世が早く、まだ心幼き故、位や身分への執着は人並み以上。また時折、悪戯も過ぎてな。自分より上の位の者には過剰な程の従順さを見せるが、その反面に自分より下の位の者には、人を人とは思わぬ態度を取ることがある」
(⋯⋯ッ! そんな理由が! なんてふざけた奴だ、やっぱりさっき斬るべきだったか)
「江戸でも有数の武芸者であろう鎌足殿の前でも、腕試しと称したあの過ぎた悪戯よ。麿が止めていなければ、間違いなく死んでいたはずだ」
「え⋯⋯、と⋯⋯、そうか、やはり綾麿様は全部お見通しだったのですね。でもそんな⋯⋯、少しだけ頭に来たからと言っても、流石に少将殿を、御所内で死ぬまで痛めつけたりなんて、そこまではしませんよ」
(止めなかったら、殺してたかもしれないけど)
内心苦笑いを浮かべつつ鎌足が言葉を返した後、綾麿は手にしていた扇子を何かを否定するように左右に激しく振りながら、音を立てて一気に閉じた。
そして鎌足にとって予想外の言葉を投げかけた。
「⋯⋯否。死んでいたのは、鎌足殿、そなたよ」
そして扇子の天で鎌足を指した。
「⋯⋯!? ⋯⋯なッ!」
「麒麟は麿の直属の配下のうちでも随一の手練れ。伊賀の忍如きの剣技で斃されることは絶対にありえぬ。⋯⋯麒麟の使うは、刀要らず型要らずの秘剣、天衣無縫流」
(⋯⋯ッ! ⋯⋯忍如き!? ⋯⋯天衣無縫流?)
『六歌戦』を語る最後あたりから、綾麿の物腰や声色が、会談当初から明らかに変わり始めていた。
今の綾麿から伝わってくるのは、落ち着きを遥かに通り越した、尋常ではない冷たさと重さ。
そして麒麟と同じように、人を見下したような嘲り。
そんな綾麿の変化に戸惑い狼狽え、鎌足の表情が強張っていく。
「良いか、鎌足殿。麒麟の剣はまさに天賦の才。三年前の春の宴席にて、僅か齢十二にして、剣の師匠をも自らの手で斬っている。もし剣の師匠を桜の枝で斃せたら、帝の世話役、従六位侍従に取り立ててやる、そんな右大臣殿の酔いの戯言を真に受けてな⋯⋯、本当に木の枝で師匠を一刀両断、文字通り真っ二つだ。⋯⋯その思わぬ急な出世と、生来の貧しかった生活との反動で、今の麒麟が生まれた。⋯⋯麒麟は人並み以上の出世への欲と降格への恐れ、その苦楽の狭間に日々囚われ揺らめきながら生きている」
(⋯⋯ッ! ⋯⋯師匠を、斬った!?)
「⋯⋯あの者の秘剣はな、木の枝でなくとも、その気になれば紙きれででも人を斬れるだろう。⋯⋯あの白鞘の刀は、麒麟の真の力を禁じた麿が持たせているもの。位が上の麿へは、まだ無意識に心の奥底に自制が働き暴走を抑えきれているが、自制の箍が外れた本気の麒麟を前にしては、麿とて不覚を取るやもしれん。⋯⋯忍び返しの鶯張りの床すら満足に歩けぬ、鎌足殿の拙き腕では、結果は火を見るより明らかというもの」
「⋯⋯!? 私を拙いと!? ⋯⋯そ、そんなこと、最後まで戦ってみないと分からないじゃないかッ!!」
我慢の限界点を迎えた鎌足が吠えた。
「⋯⋯では聞こう。鎌足殿。麒麟の白鞘、何と見た?」
「⋯⋯え、何、って⋯⋯、刀に決まってるじゃないですか、他に何があるんですか!」
「刀と見たか。⋯⋯それが拙い、という事だ」
「⋯⋯ッ!? それはどういう意味ですか!?」
「あれは一月ほど前だったか。⋯⋯麒麟の北番の時に現れた蒼鬼三鬼、⋯⋯勢い余って警備の兵十人もろとも、肉も骨も何もかも柘榴のように斬り刻んたことがあってな」
「⋯⋯なッ!? 蒼鬼を三鬼も⋯⋯!?、しかも人を⋯⋯警備兵を十人も巻き添えに!?」
「麿が駆け付けた時は、麒麟、⋯⋯鬼と人の肉塊の山、血の海の中で、ひたすら愉しそうに笑っておった」
「⋯⋯うっ」
「⋯⋯それからというもの、麒麟には紙垂を封とした、あの白鞘一本しか得物を使うことを許してはいない。麒麟はまだ子供だが、それ程までに恐ろしい剣客だ。⋯⋯鎌足殿よ、白鞘の本質は、東番で居る限りは何れ分かる日が来るだろうが、鬼切丸の刃を交えながら見抜けなかったようでは、その腰に忍ばせた鎖鎌を使ったとしても、麿どころか麒麟の足元にすら及びはせぬ」
(⋯⋯ッ! 何だ!? 白鞘の本質って!? ⋯⋯そして綾麿ッ、⋯⋯まさか私が隠し持つ鎖鎌のことも見抜いていたのか!?)
「身体に隠し通せる所を見ると、通常の鎌よりも小振りに精巧してあるな。だがその鎌は基本防御が中心、小柄な体躯でも活かせる、遠心力を活用しての鎖や分銅による攻撃の方を得意とする、⋯⋯そう、腰や脚に巻き付けているだろうその鎖を使って、だ。⋯⋯違うか?」
(⋯⋯がッ!? ⋯⋯な、何で、其処まで正確に⋯⋯!?」
鎌足の頬を、生温い“嫌な”汗が伝う。
握り拳を作り、身体をわなわなと震わせる鎌足を、綾麿は鼻で笑った。
そして動揺と怒りが入り混じった鋭い視線で睨みつけてくる鎌足に対して、綾麿は全く遠慮を見せずに、棘のある言葉を続けた。
「そして此度わざわざ御所へ入ったのも、朝廷の動向の偵察だろう。⋯⋯そして表向きは後の援軍を匂わせながらも、援軍など差し伸べる気は露ほどもないのであろう? ⋯⋯しかもそれだけに留まらず、隙あらば麿を含め、朝廷側の要人の暗殺まで行おうとする企みすらも匂ってくるわ。⋯⋯本当に愚かで浅はかな者よ。この従三位不知火中将綾麿に、下手な小細工は通じぬ」
「⋯⋯ッ!? な⋯⋯、⋯⋯ッ」
「⋯⋯ふっ、図星か。⋯⋯麿は鬼を憎んでいるが、その憎しみに次いで、江戸や徳川もまた心底嫌っている。徳川に味方する者は全て誰であろうと、⋯⋯斬る」
「⋯⋯き、⋯⋯斬る、⋯⋯だとぉ!?」
「⋯⋯麒麟を咎めなかった理由、それは御主が憎いからだ、鎌足殿。⋯⋯ふふふ、⋯⋯我等の京に土足で忍び込み、東番頭に体よく紛れ込む、徳川の溝鼠一匹。⋯⋯今、此処で始末する事など造作も無いわ」
綾麿の明らかな侮辱の言葉、暴言の数々に、短気な性格の鎌足の怒りは既に最高潮に達していた。
(⋯⋯くそっ! くそっ!! 黙って聞いていれば!! ⋯⋯そうか、離れの此処に私を誘ったのも、全ては私を面と向かって愚弄し脅迫し、潰すためか!? ⋯⋯江戸や伊賀衆を馬鹿にされたのも許せない。⋯⋯御前の思い通りにさせてたまるか!!)
鎌足の手が、鬼切丸の柄に伸びる。
「⋯⋯振るうか? ⋯⋯鬼切丸」
綾麿は戦闘態勢を取る事も無く悠然と、ただ余裕に挑発的に微笑んだ。
そして鎌足に聞こえない程の小さな声で、もう一言だけ短く呟いた。
(⋯⋯振るったら終いだ。⋯⋯此処で死ね、徳川の鼠)
怒りに満ちた鎌足が鬼切丸の柄を握りしめた⋯⋯。
⋯⋯その瞬間。
「⋯⋯⋯⋯中将様、輝里です、もう間もなく暮れ六つ。刻限になりましたので、御連絡に参上致しました」
⋯⋯座敷の外からの、別な男の声。
その声に気を削がれた鎌足は、鬼切丸を振るおうとする寸前で、その手が止まった。
刻を知らせに来た男の声が掛かるのが、あと僅かばかり遅れていたら、鎌足は怒りに任せて、恐らく綾麿に斬り掛かっていただろう。
綾麿は片膝をついたまま微動だにせずに、障子の向こうの輝里の影を一瞥し、残念そうに溜め息を一つだけ吐いた。
そして肩に掛けていた村雨を手に立ち上がり、まだ自分を鋭く睨み続けている鎌足に向けて言った。
「⋯⋯刻限だ。命拾いしたな、鎌足殿。御所で三度も抜刀したら、その場で即斬り殺されても文句は言えない大問題となる所だ。⋯⋯折角今日二度も生き延びたのだ、明日の東番はせいぜい励まれよ。⋯⋯さて、仲間が待っているだろう正門まで見送ろう。⋯⋯輝里。鎌足殿がお帰りだ。夕闇に紛れて御所内⋯⋯特に清涼殿や夜御殿あたりをちょろちょろと嗅ぎ回られてはかなわぬ。⋯⋯鎌足殿を正門へ案内しろ」
「⋯⋯? ⋯⋯わ、分かりました、綾麿様。⋯⋯では、鎌足殿、此方へ」
障子を開けて輝里が座敷の中へと入る。
そして鎌足を廊下へと誘った。
この輝里と言う若い公家の男は、本当に今この座敷に来たばかりで、これまでの綾麿と鎌足のやり取りは、全く知らないように見えた。
「⋯⋯うッ、⋯⋯くっ」
高まっていた戦意を不意に折られた鎌足は、座敷を出て廊下へと歩き出した綾麿と輝里の後ろを、ただ黙って付いていくしかなくなっていた。
⋯⋯遠くから聴こえてくる、暮れ六つの鐘の第一鐘。
(⋯⋯っ、この綾麿に、何もかも、全部、全部⋯⋯見破られていた⋯⋯、何一つ騙せなかった⋯⋯、くそっ⋯⋯、何が”拙い“だ、何が“溝鼠”だ、そして何が”中将“だ。⋯⋯やはり此処、京都御所は伏魔殿だった)
前を歩く綾麿の背中を睨みつけ、肩を震わせて無言で歩く鎌足の胸に、まだ先程の火種が熱く燻り続ける。
そしてその火種が生み落としたのは、確固たる一つの新たな決意だった。
(⋯⋯不知火中将綾麿、そして樋ノ口少将麒麟。⋯⋯確信した。⋯⋯私が京都で警備の番をしている間に、必ず斬らねば。⋯⋯この二人は紛れもなく、伊賀御庭番と徳川政権の、敵⋯⋯!)━━━━。
━━━━暮れ六つの鐘が既に鳴り終えた頃、綾麿と輝里に先導された鎌足は、固く閉ざされた正門の扉の前に着いていた。
鬼が最も出現しやすいとされる暮れ六つを迎え、門番たちの姿は既に無かった。
その代わり警護兵が何人も、門の内外を出入りし警備を開始していた。
いつもは賑やかな正門前の通りも、今はもうほとんど人は歩いてはいない。
そんな状況でも甚左たち三人は約束を守ってくれていた。
正門と裏門、どちらから出てくるか分からない鎌足を、二手に分かれて今までずっと待っていてくれたらしかった。
あまりにも鎌足が遅いのを、心から心配してくれていたのだろう。
正門の端で待っていてくれた平次と大吾は、出てきた鎌足の無事な姿に心から安堵の表情を浮かべている。
甚左はわざわざ遠い裏門にまで回ってくれていた。
鎌足の出門から少し遅れて甚左は姿を見せると、遠くから笑顔で手を振りながら走り寄って来てくれた。
「⋯⋯一度正門の様子を見ようと戻ってきた所です。ちょうど良かった」
「ありがとう、甚左。平次、大吾も⋯⋯、改めて、皆、ごめん。本当に待たせたね、約束の暮れ六つを過ぎちゃった」
内裏での麒麟との交戦や綾麿との不快な会談に、少し鬱な気持ちになっていた鎌足にとっては、いつもの見慣れた顔⋯⋯三人の笑顔を見れた事が、本当に嬉しくてたまらなかった。
「⋯⋯小頭、あの方たちは?」
甚左たち三人は、正門前に佇んでいる見慣れない二人の公家⋯⋯綾麿と輝里の存在に気が付いた。
綾麿は、相変わらずの無表情で伊賀衆の四人の姿をじっと見つめ、一方、隣の輝里は愛想の良い性格なのか、此方に向けてにこにこと笑顔で手を振っている。
「小頭、良かったですね。早くも知り合いができたんですか? どちらも凄く格好良いじゃないですかぁ?」
大吾は笑顔でおどけ、預かっていた脇差の忍刀と手裏剣を鎌足に返しながら、鎌足の脇を肘で小突いた。
しかし大吾の予想とは正反対に、鎌足の反応は冷ややかなものだった。
「⋯⋯違う、殺さなきゃいけない敵、だよ。少なくとも片方はね」
鎌足は淡々と呟き、そして膨れっ面で唐突に踵を返すと、綾麿と輝里に別れの会釈をする事も無く、二人に背を向けたまま無言で歩き出してしまった。
甚左たち三人は顔を見合わせ、各々に困惑した表情を浮かべ、そして鎌足の後ろに続いた。
「⋯⋯小頭らしくないな、どうしたんだろう」
その場を去ってゆく伊賀衆四人の姿。
綾麿は無言で眺め続けていた。
⋯⋯沈む陽に照らされた四人の影。
それが瞬きよりも早い、そんなほんの刹那の一瞬だけ、まるで蝋燭の灯りが揺らめく様に五つに変わった。
⋯⋯ように見えた。
それは目の錯覚か、陽の悪戯か。
この場で起こったその一瞬の不思議な現象を、綾麿の眼だけが捉えていた。
「⋯⋯輝里」
「はい、中将様」
「一つ頼まれてはくれぬか」
「はい、私でよければ何なりと」
「⋯⋯悟られずにあの鎌足の跡を付けよ。もし途中で四人が道を別っても、鎌足だけを追え。そして目の前で何が起きても一切手を出さず、その一部始終を見届け、麿に報告せよ。⋯⋯麿は鬼の迎撃に向かえるよう、正門か屋敷で待っている。⋯⋯それと、必ず相当の安全な間合いを取れ。よいな」
「鬼の迎撃⋯⋯? 安全な⋯⋯? ⋯⋯か、畏まりました。しかし、付けるのは鎌足殿だけで良いのですか。他の者への追跡も必要ならば、青龍様や朱雀様らに繋ぎを取りましょうか」
「⋯⋯否、その必要は無い。追うのは鎌足という頭の男だけでいい。任せたぞ、輝里」
「⋯⋯男? ⋯⋯あの、綾麿様⋯⋯」
「急げ、見失うな」
「⋯⋯あ、はい、只今」
直ぐに身を翻した輝里は、鎌足たち四人の向かった道、その方角に向かって急いで駆けていった。
輝里の背中はすぐに見えなくなった。
いつしか警備兵たちの姿も内裏へと消え、静寂が訪れた大通りと正門の前には、綾麿ただ一人が佇んでいた。
その綾麿の口元が、にやりと緩む。
「⋯⋯鬼切丸、そして、伊賀御庭番小頭、鎌足か⋯⋯。この麿の村雨に斬られるか、それとも先に『修羅』に喰われるか⋯⋯。⋯⋯ふ、⋯⋯ふふふ、⋯⋯ほほほ、ほほほほほほ⋯⋯⋯!」
妖しい高笑いに彩られる綾麿。
その顔は既に薄墨色となり、雲間に顔を覗かせる今宵のきらびやかな満月が生み出す影が、綾麿の背後にも長く伸びていた。
陽は完全に沈みかけ、夜の帳が下りようとしていた━━━━。
第25話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています!
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪
次回第26話「影法師」は2月18日昼頃に公開予定です。




