第24話 東西会談
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。不知火流という恐るべき剣の使い手。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
━━━━古びた長い廊下を抜け、鎌足が綾麿に通されたのは、離れの小さな畳の奥座敷だった。
既に暮れ五つ過ぎとは言え、この内裏にはまだ多くの公家や官吏が出仕しているはずだった。
しかし綾麿が言っていた通り、人の声はまるで聞こえない。
⋯⋯この広い内裏の中、綾麿と鎌足の二人だけを残して、皆消えてしまったのではないか、⋯⋯刻さえも止まってしまったのではないか。
ふとそう思ってしまうくらい、凛とした静寂がこの奥座敷を包み込んでいた。
今、鎌足の耳に聞こえてくるのはただ一つ。
それは座敷に面している小さな中庭からの、風流な鹿威しの音。
この一定の間隔で空気を裂いて響く音だけが、刻が確かに流れていることを、鎌足に教えてくれていた。
「⋯⋯鎌足殿。此処は麿ら武官の待機用の座敷の一つ。無精故に東番就任の祝いの酒どころか、茶の一つも出せぬが、ゆるりと寛ぐがよい」
「⋯⋯へえ、風情を感じる素敵な座敷ですね」
綾麿は鎌足を座敷に招き入れると、上座にゆっくりと腰を下ろした。
その姿に儀礼的な素振りは全く無い。
悠然と片膝を立てている上に、左肩には村雨を立て掛けている。
綾麿は薄笑みを浮かべると、懐から取り出した扇子で、おもむろに扇ぎ始めた。
(⋯⋯あれ? 礼儀にはあまり拘らない人なのかな)
非公式かつ二人だけの面会とは言え、中将という立場なら、儀礼を重んじて丁寧に座するものと思っていた鎌足は、その無礼講とも見える態度に少し面食らった。
「さて⋯⋯、暮れ六つまでの限られた刻ではあるが、不肖この中将綾麿、鎌足殿の明日の東番の疑問や不安に何なりとお答え致そう」
「⋯⋯あ、はい。では御言葉に甘えまして⋯⋯(⋯⋯え、と、私は謁見の時と同じようにちゃんと座ればいいのかな)」
鎌足は綾麿に促されるまま下座に座し、一間半から二間程(※約3m)の距離を取って、綾麿と向かいあった。
「あ、あの⋯⋯、先程は大将様に上手く取り繕ってくれて、あ、ありがとうございました⋯⋯、でも何で⋯⋯あ、いや、あの⋯⋯その⋯⋯」
綾麿や村雨のことを知りたい調べたい、そう強く願っていた鎌足だったが、偶然の出会いからのこの二人っきりの流れ。
初対面である上に、本来ならばこんなに身近で話をすることすらも難しい、武官で上から数えて二番目の地位の中将。
鎌足の心は今、期待や意気込みだけではなく、緊張と戸惑いもが入り交じり、普段の落ち着きを無くしかけていた。
(⋯⋯この綾麿、言葉や態度から感情が本当に読みきれない⋯⋯、いつもこうなのかな? そう言えば、さっきは大将様から昨日のことは私から直接聞く、みたいなことも言ってたっけ⋯⋯、ということは昨日私が紫宸殿で起こした事件、知らないのかな?)
言葉に詰まった鎌足は、上目遣いで綾麿を見つめた。
昨日の謁見の儀の抜刀騒動で、今や内裏の時の人となっている上に、今日は今日で清涼殿近くでの麒麟への抜刀。
最悪なことに、それをこの綾麿に直接見られている。
(⋯⋯どうなんだろう、うーん、気まずいなぁ。何処でも刀を振り回す危険な奴だと勘違いされていたら、どうしよう。⋯⋯うぅ、最初は何から話をしたらいいんだ)
「⋯⋯あ、あの、お日柄もよく⋯⋯、あの昨日は⋯⋯、事の成り行きというやつで⋯⋯、あ、今日もか。⋯⋯わ、私は本当は平和を愛する者で⋯⋯、あの、その⋯⋯」
考えれば考えるほど次の言葉が上手く思い浮かばず、鎌足の目が泳ぎだした。
その表情から鎌足の気持ちを悟ったか悟らずか、綾麿は再び薄笑みを浮かべると、鎌足のしどろもどろな言葉を遮った。
「⋯⋯ほほほ、よほど緊張されていると見える。案ずる事は無い、鎌足殿。先程の大将殿との話、聞こえたかもしれんが、昨日の紫宸殿の一件、麿は故あって列席してはいない」
「⋯⋯えっ」
「何かの理由があって紫宸殿で刀を抜いた事だけは“悟って”いるが、鎌足殿が昨日他にどのような失態を犯したか、どのような話を述べたかなど⋯⋯、麿は一切興味は無い。朝から周りはがやがやと騒いではいたが、内裏に広まっている噂、麿は何一つ耳にしてはおらぬ。⋯⋯よって今は気楽に話をしてもらって差し支えない。人の噂も七十五日と言う。気に召されるな」
綾麿のその言葉に、鎌足の顔に幾分かは安堵が浮かんだ。
(⋯⋯ほっ。良かった)
想定外に巡り合えた思わぬ好機。
今後のために、探りたい事や聞き出したい事は山程あった。
表向きの引き継ぎとしての御所の警備の事、今だ謎も多い鬼についての事。
そして果たしてどこまで聞き出せるかは分からないものの、裏の任務のための情報収集、帝や朝廷の事、公家たちの思考。
(⋯⋯さて、と。⋯⋯何から切り出そうか)
少し落ち着きを取り戻した鎌足の頭に、様々な疑問や質問が過ぎる。
しかしその全ての疑問を差し置いて、何よりも知りたいと思ってることがあった。
それは、正門ですれ違った際に感じた、あの胸のざわめきが本当に正しかったのかどうか⋯⋯。
(⋯⋯この綾麿にも大将の兼季様同様に訛りがない。出自は京都ではないのかな。東西の警備の番を任されているほどの武官。大将様は江戸にも理解を示してくれて、忍の私が尊敬できるほど立派な考えを持っている御方に見えたけど、この男は果たして⋯⋯)
⋯⋯目の前で微笑みを浮かべ、扇子を広げているこの男━━不知火中将綾麿の存在が、江戸の徳川政権にとってどれほど危険か、という事だった。
そしてそんな綾麿の肩に立て掛けられている、鬼を斬るという妖刀━━村雨とは、一体どのような力を持つ刀なのか。
(⋯⋯待て待て、急くな。落ち着け。まずはいかにも引継ぎらしいことを話さないと⋯⋯、⋯⋯よしっ)
意を決して鎌足が身を乗り出した。
「⋯⋯あ、あの、中将様。改めて此度は東番の大役、わざわざお譲り頂きありがとうございました。⋯⋯そ、その東番のことですが、私たちは四人なんですけど、誰かと一緒に任務につくのでしょうか。⋯⋯そして警備は、あの⋯⋯、内裏の何処を守るのでしょう。帝の生活の場、えっと⋯⋯、先程、お、お邪魔しかけてしまった清涼殿も、でしょうか?」
まだ緊張が滲んでどこか辿々しい鎌足の問いかけとは真逆に、綾麿の返す言葉や態度は、その何もかもが落ち着き払っていた。
「⋯⋯お答えしよう。⋯⋯まず、最初の質問。麿たち東西南北四番の番頭が指揮するのは、無官位の武官の警備兵たちのみ。ただし帝が休まれる清涼殿の内部だけは、大将の兼季殿直属の”親衛隊“も警備する。つい今しがた清涼殿近くで鎌足殿が目にした、あの者たちが親衛隊だ」
(⋯⋯帝の親衛隊? さっき兼季様を呼びに来た武官たちのことか)
鎌足の頭に、兼季を呼びに現れた髭の武官の顔と、甚左の顔が過る。
御帝親衛隊⋯⋯、その言葉には聞き覚えがあった。
今日御所に向かう身支度を整えている時、甚左が話をしてくれた情報を鎌足は思い出していた。
「御帝親衛隊⋯⋯、仲間から聞いております。内裏の警備兵の中から、忠誠心が高く、腕の立つ者を集めた、精鋭の部隊とか。⋯⋯そうか、近衛大将様が指揮されておられたのですね」
「⋯⋯いかにも。二十名程から成る親衛隊は、この内裏警備の最後の砦として清涼殿だけを守り、他所で何が起きようとも決して清涼殿の持ち場を離れることは許されていない、帝と大将殿にのみ仕える特別の部隊」
「⋯⋯常に御帝の御側を守る、ということですね」
「⋯⋯だが、東西南北の警備兵たち、そして鎌足殿らが守るべきは、ただ一つの場所を除き、この御所内の全域。⋯⋯親衛隊が守りを固める清涼殿、鎌足殿が昨日行かれた紫宸殿をはじめ、その他の大小の神殿、広間、控の間、庭園、詰所、宝物庫、寝所。また京の象徴でもある大鳥居や、女官の寝所も然り。⋯⋯時と場合によっては、御所の外⋯⋯京の町中にまで出向く事すらある。これが二つ目の質問の答えだ」
「⋯⋯わ、結構な広範囲に渡るのですね」
「⋯⋯それと東番の譲り渡しの件だが、それは大将殿の御決断。わざわざ麿には礼はいらぬ。先程の少将も南北二つの番を持っているが、自尊心が高いため、話を持ちかけてもきっと譲らない⋯⋯、そう大将殿は御判断されたのであろうな」
(⋯⋯うーん、確かに。麒麟は頑として譲らなさそうだ。なるほど、清涼殿はあの髭の⋯⋯じゃなかった、親衛隊の人たちと一緒に守るのか。あの人たちの目を盗んで調べるのは厄介そうだなあ、⋯⋯そして警備は紫宸殿も含めて内裏全域、か。⋯⋯ん? ⋯⋯待て。⋯⋯今、一つの場所を除き、と言ったか?)
「あの⋯⋯、その警備不要の、一つの場所、とは?」
「⋯⋯清涼殿の奥にある夜御殿。すなわち帝の寝所だ」
「⋯⋯え? 帝の寝所を?」
「⋯⋯鎌足殿、夜御殿だけは、東番の警備中は勿論、人が侵入しようが鬼が現れようが、如何なる場合においても絶対に入ってはならぬ。これは鎌足殿だけに非ず。東西南北の警備兵だけではなく、親衛隊すらも然り。⋯⋯全員に夜御殿立ち入り禁忌の旨、固く告げてある」
「⋯⋯は? ⋯⋯え?」
思わず鎌足から驚きの声が漏れた。
(鬼の侵略の最終目的には、きっと帝の殺害も含まれる。その帝の命を守るのが警備の最大の目的であり、最優先でもあるのはずなのに⋯⋯、清涼殿を守る親衛隊までもが寝所には入れない? ⋯⋯一体何を言っているんだ? ⋯⋯昨日、帝と直接に謁見できていない事とも何か関係があるのかな?)
鎌足の明らかに訝しがる表情を見て、その胸の内を察した綾麿がすぐに言葉を続けた。
「鎌足殿。不信に思われるであろうが、敢えてもう一度言う。この決まりだけは絶対に守られよ。そして余計な詮索も不要。⋯⋯鬼を帝に近づけず、清涼殿の前で尽く斃すが、我等東西南北四番の本分と知り、夜御殿の御簾は⋯⋯決して開けてはならぬ」
「⋯⋯御簾を? ⋯⋯開けてはいけない?」
「⋯⋯よいな」
「⋯⋯は、はっ」
淡々と話し続けてきた綾麿の声が、この最後の念押しの言葉の時だけは、感情を込めた強い口調に変わっていた。
その圧力と鋭い眼光を前に、鎌足は今はどんな不信も全て我慢して飲み込み、ただ頭を下げるしかなかった。
しかしその内心は、清涼殿の奥への興味でいっぱいだった。
(⋯⋯駄目と言われるほど気になるじゃないか。これは重大な“何か”が隠されているな。⋯⋯綾麿や決まりを作った人には悪いけど、清涼殿の謎、御簾の向こう側、⋯⋯これは必ず調べないと、だな)
頭を下げた鎌足は、心の中で舌を出した。
そんな低頭する鎌足を、綾麿は上座から悠然と眺めている。
その目は、見えないはずの舌が見えたのか。
眼光は更に鋭いものへと変わり、口元にも妖しい微笑みが浮かんでいた。
「⋯⋯そして忘れてはならぬ大事な事がもう一つ。相手は人間でなく異形の鬼どもとは言え、警備に命を賭けるという点では同じ事。番を担当している最中、万が一にも警備に落ち度が生じ、夜御殿に敵の侵入を許し、そして帝の御命を危険に晒した場合は⋯⋯」
鎌足が慌てて頭を上げた。
「その場合は?」
「⋯⋯たとえ江戸からの御使者であろうと、失態はその命で贖ってもらう。決して死罪は免れることはできぬ。これもまた内裏の”決まり“だ。⋯⋯鎌足殿よ。不退転。その御覚悟で励むのだ」
「⋯⋯それは勿論承知の上です。帝に鬼は絶対に近づけさせません。この鎌足の一命を賭して、帝を御守りいたします、約束致します。帝の寝所⋯⋯いえ、清涼殿にすら鬼は入れさせません。もし約束を違えたなら、この鎌足の命、罪滅ぼしに差し出します」
「⋯⋯その言葉、確かに聞いた。⋯⋯絶対だぞ、鎌足殿?」
「⋯⋯はっ」
話の流れに乗って自信満々に返事をした鎌足は、再び低頭した。
(⋯⋯蒼鬼とは一度戦っているし、今は鬼を斃す刀、鬼切丸もある。それに一人じゃない、警備兵たちに加えて、甚左たち皆もいるんだ。絶対に大丈夫だ。⋯⋯へへへ、御所の人たち、きっとびっくりするぞ。私たちや鬼切丸の強さを見たら)
つい口から出た根拠の無い自信の言葉に酔って、鎌足の中で、抱いていた鬼との戦いへの警戒心や畏怖は、この時だけは何処かへと吹き飛んでいた。
そんな鎌足の余裕な背中を、冷たい薄笑いと共に綾麿は見下ろしている。
その瞳は、鎌足たち伊賀の忍たちにこれから待ち受けている鬼との戦い━━過酷な未来までも全て見通しているように、妖しい煌めきを放っていた。
「⋯⋯鬼たちや羅生門のことをどこまで知っているのかは分からぬが、鎌足殿はよほど鬼たちとの戦いには自信が有ると見える。⋯⋯大将殿の申される通り、実に頼りになる御方だ、⋯⋯ほほほ」
綾麿の言葉と笑みに、何かを思い出したように鎌足は頭を上げた。
「⋯⋯あ、そう、鬼⋯⋯、この内裏に現れ出した鬼とは、どのような異形の者なのですか? ⋯⋯そして鬼が通り、現れ出るという羅生門とは、一体どのような形なのですか?」
「⋯⋯一月半程前に起きた、此度のおよそ七十年振りとなる羅生門の開門、⋯⋯今の所は麿は蒼鬼しか見てはおらぬが、そもそも鬼の種は二つ。⋯⋯蒼と紅がいる。どちらにしても、その姿は禍々しく醜く、額に角が二本生えているために人との判別もすぐにつく」
(⋯⋯そうか、やっぱりな。京都に現れているのは蒼鬼なんだな。前回は紅鬼の侵略。今回は蒼鬼か)
「⋯⋯鬼はこの世の人間の武器では斃すことは容易ではない。斃すためには首と胴を切り離すか、心の臓を止めるか。この二つしか、討ち勝つ手立ては無い」
「はい、鬼の種も斃し方も、そこまでは知っています」
「羅生門とは、かつて七九四年に平安の都に封鬼のために建造された門、『羅城門』にその名を由来する、鬼の本拠の地獄界とこの現世とを繋ぐ回廊。空や雲を切り裂き、渦のような魔性の回転と共に、僅かな刻だけ現れる魔界の扉。この羅生門が何時何処で生まれ出ずるかは、この麿をしても皆目見当もついておらぬ。⋯⋯そう」
淡々と落ちついた口調で語っていた綾麿の言葉が、不意に止まる。
(⋯⋯?)
そして開いていた扇子をゆっくりと閉じていき、何故か鎌足に妖しく微笑みかけながら言葉を続けた。
「⋯⋯分かりやすく申そう。先程の清涼殿が人間界。鎌足殿が歩いてきた廊下が羅生門。⋯⋯そして此処が⋯⋯」
綾麿は言葉の最後に、閉じた扇子の先端の天で、目前の畳を、とん⋯⋯と叩いた。
「⋯⋯地獄、だ」
それはたった一言ながらも、先程の御簾の念押しの際に感じた圧力を遥かに上回る、恐ろしいまでの威圧に満ちた言葉だった。
扇子での怪しげな動作、そして鋭さを増して身体に突き刺さるような眼光に、鎌足は背中に何か冷たいものを感じずにはいられなかった。
鬼への畏怖を再び思い出したのか。
まだ見ぬ羅生門への恐れか。
⋯⋯それとも。
亡者の群れが地獄から押し寄せ、鎌足の“死”装束を手に、自分に迫ってきている。
そんなぞわぞわとした、不気味な感覚が鎌足を包んでいた。
動揺する鎌足を余所に、綾麿が言葉を続ける。
「⋯⋯先程の自信。⋯⋯鎌足殿は鬼と戦ったことはお有りかな?」
動揺の最中、不意に投げかけられた質問。
伊賀屋敷の追跡で体験した鬼との戦い。
死闘の経験はある。
だが、果たしてこの場で言うべきか。
(この流れ⋯⋯、鬼の情報のためだ、やむを得ないか)
「⋯⋯は、はい。一度だけ、一匹、蒼鬼を倒しました」
「⋯⋯ほう、なるほど。一度”だけ”、か。⋯⋯ほほほ、それは頼もしきかな。認めたのは大将殿だけに非ず、流石はあの麒麟が力試しをして認める程の強さを誇る鎌足殿。本当に心強い。一鬼”だけ“⋯⋯、そして先程のあの自信。⋯⋯ほほほほ」
綾麿は愉しそうに笑みを浮かべた。
(⋯⋯な、何だ、ちょっと焦ったけど、全然大丈夫だった。⋯⋯これは褒められてるのかな、何か悪い気はしないなぁ、⋯⋯にひひ)
端から見れば綾麿のこの笑みは、人を小馬鹿にした嘲り笑いに見えたかもしれない。
しかし根が純粋な鎌足は、嘲笑とは気付かずに、むしろ仄かに赤面をしながら話を続けていた。
「い、いえ、それほどでも⋯⋯、⋯⋯あ、でも私が斃したのは人間と変わらない姿の鬼でしたけど」
「⋯⋯! なに⋯⋯、人間と変わらぬ姿、だと?」
綾麿の笑みがぴたりと止まった。
そして続けざまに神妙な声で呟いた。
「葬魂の術⋯⋯、か」
その呟きに鎌足の表情が変わる。
そして身を乗り出した。
「⋯⋯ッ!? 中将様も御存知でしたか! やはり私が見た甲賀忍は、鬼が操る葬魂の術でしたか。殺した人間の技や記憶までも奪って、人に成り済まし続けるとか。⋯⋯っ、やはり本当にそんな恐ろしい術が存在しているんですね」
「⋯⋯暮れ六つが、鬼と人の境目」
「⋯⋯え?」
「東番を継ぐ鎌足殿だ。特別に良いことを教えよう。葬魂の術の秘密を」
「⋯⋯! 何か御存知なのですか!? 是非に!」
「葬魂の術は、全ての鬼が使える術ではない。『獄卒』と呼ばれる下級の鬼どもには使えぬ技。見た目は『獄卒』とは何ら変わらぬが、内なる妖力を一定の域にまで高めた中級の鬼『羅刹』に成ってこそ、初めて使うことができる代物。⋯⋯だがその中級の鬼『羅刹』とて、使えるのはただの一度きり」
「鬼にも位が!? ⋯⋯中級の鬼は一度きり?」
「⋯⋯そうだ。一度しか魂を入れ替えられない、まして屈強な鬼の身体を捨てることにもなる。ならば、自分よりも強い者を運良く斃せたか、相当に魅力のある容姿の者に巡り会えたか、もしくは上級の鬼から絶対の命令や対価を受けたか、⋯⋯余程の理由や目的が無いと、『羅刹』は葬魂の術は使わぬ」
(⋯⋯なるほど、⋯⋯なら私の斃した甲賀忍の蒼鬼は、もしかしたら誰かの指図を受けていたのかも。⋯⋯一介の忍なんて、蒼鬼が強い身体を捨ててまで化けたいと思えるような、魅力的な身体や立場とは思えないからな⋯⋯、ん? ⋯⋯下級? 中級? 上級の鬼?)
綾麿の言葉に引っ掛かりを感じた鎌足が慌てて問いかけた。
「⋯⋯あ、でも、上級の鬼とは? その『羅刹』よりもまだ上がいるんですか?」
「⋯⋯奴等は軍として組織されている。階級は三つ。『羅刹』は一度しか葬魂の術を使えぬが、上級の鬼となれば話は別。⋯⋯妖力の高みを極めた上級の鬼⋯⋯『修羅』と呼ばれる鬼たちは、何度でも葬魂を使う事ができる。そして常に己にとって魅力的な身体や魂を求め、葬魂の術を繰り返すのだ」
「⋯⋯っ!? 『修羅』⋯⋯!? 葬魂の術を何度でも⋯⋯!?」
「その恐ろしき葬魂の術の変化を見破ることのできる唯一の機会⋯⋯、それが先程口にした、暮れ六つの刻」
「暮れ六つ⋯⋯、あ、そう言えば、一日に一度だけ鬼の姿に戻る必要があるらしい、とも江戸で耳にしました。もしかしたら、それが暮れ六つなのですか?」
「⋯⋯ほう、鬼に戻ることを知っておるか。⋯⋯そう、もし鬼ならば暮れ六つには必ず一人になる。変化が解けて鬼の姿を晒す事を避けるためだ。⋯⋯誰かと暮れ六つを共に過ぎ、何も起こらなければその者は人だ。だが暮れ六つを共に過ごす事を敢えて避けるような者がいれば、その者は人に非ず、鬼であるやもしれん。⋯⋯そうして刻を利用して見抜く以外に、並の人間には葬魂の術に打ち勝つ手立ては、まず無い」
「⋯⋯⋯⋯、中将様、あの⋯⋯、何故そこまで葬魂の術にお詳しいのですか? 位のことも。⋯⋯先程から鬼しか知らないような事ばかり⋯⋯」
鎌足は綾麿が「知りすぎている」ことに徐々に疑問を抱いていた。
その鎌足の心を察したのか、綾麿は扇子を勢いよく再び開くと、その扇子で口元を隠した。
「喋りがすぎたな。この話はこれまでとしよう。麿が何故にそこまで葬魂の術を知るか。何れ分かる日も来るやもしれんな。⋯⋯ほほほほほ、鎌足殿よ、鬼に魂や身体を奪わぬよう、せいぜい御注意なされよ。⋯⋯まあ、とどの詰まりは、葬魂の術を恐れなくて済むためには、己の剣の腕が全て、という事だ」
そう言うと、綾麿は肩に掛け置く村雨に視線を向けた。
(⋯⋯あ、今だ!)
その綾麿の動きを好機とばかりに、鎌足はずっと聞きたかった質問を投げかけた。
「⋯⋯あ、あの、その刀!」
「この村雨の事か?」
「あ、はい! 鞘の輝きは勿論、描かれている絵や彫りの鳳凰、そのあまりもの素晴らしさ⋯⋯、そして柄や鍔からでも伝わってくる名刀の香り⋯⋯、これは如何なる謂れの刀なのですか?」
「⋯⋯村雨はな、帝からの直々の賜り物。鳳凰蒔絵の鞘も柄も、その全てが地獄の鬼や悪しき者を斬るために造られ打たれた、魔性の刀だ。この村雨ならば、人で言う致命傷を与えさえすれば、鬼の命を奪い取ることができる。⋯⋯鬼の首や心の臓をわざわざ斬らずとも、だ」
綾麿は村雨を手に取ると、鎌足からもよく見えるように眼前に水平に掲げた。
刀から漂ってくる不思議な妖気に気圧された鎌足は、背筋に焼け付くような熱さと凍りつくような冷たさ、⋯⋯二つの得体の知れない感覚を感じずにはいられなかった。
(⋯⋯鬼の首を落としたり、心の臓を貫かなくても鬼を斃せるのか。⋯⋯鬼切丸と同じだ。⋯⋯きっとこの村雨も、この鞘や刃の中に、鬼を斃すための凄まじい妖力を秘めているんだな)
互いの間は少し離れてはいたが、鎌足は上半身を乗り出して村雨を食い入るように、まじまじと見つめた。
(⋯⋯ん、あ、あれ? ⋯⋯よく見たら鞘が二段になってる? 鞘尻に至るまで鞘のほとんどに鋭い刻みのある彫り物が沢山あるのに、鯉口側の四半分(※鍔寄りの4分の1)は装飾がほとんど無くて、薄っすらと柄巻みたいな菱形の模様が⋯⋯? 何だか刀の柄みたいだな)
「目に見える鞘や柄、鍔、この下緒だけではない、刀身も刃文もそれはもう見事なものだ。⋯⋯まあ、必ずやきっと、⋯⋯そうだな、⋯⋯近い内、⋯⋯それも至極近い内、⋯⋯直にその両の眼のほんのすぐ、すぐ前で、じっくりと見れる機会があろう、ほほほほ⋯⋯」
「へぇ、近い内に、そんなすぐ目の前で。わあぁ⋯⋯、それは楽しみだなあ、早く見たいなあ」
鎌足は両目をきらきらと輝かせて、村雨の鞘を見つめ続けた。
剣を嗜む者としても、鎌足はこの素晴らしい刀⋯⋯村雨をすぐ近くで眺めることのできる感嘆の想いに囚われていた。
綾麿の手元の村雨に意識が集中するばかり、謎めいた笑みと共に、綾麿の瞳が殺意を帯びて妖しく揺らめいていた事に、鎌足は全く気が付いていなかった。
「あっ、でも私も、鬼を斬るための刀を持っています。鬼切丸と言って⋯⋯。さっき口にした蒼鬼との戦いでは、その刀、鬼切丸に救われました」
「先程、麒麟との腕試しの際に抜いていた刀か?」
「はい」
鎌足が胸を張って得意気に頷く。
「⋯⋯手には出来ずともよい、良ければもう一度見せてはもらえぬか」
「あ、はい、こちらでございます。⋯⋯しょ、っと」
近衛大将に見られないよう、咄嗟に腰の後ろに無造作に隠していた鬼切丸を取り出すと、鎌足は両の掌に乗せて、綾麿に見えるよう前に突き出した。
綾麿は真剣な表情で、鎌足の掌の中の鬼切丸に向けて、右から左へとゆっくりと視線を流す。
そして鬼切丸の切っ先から柄に至るまで、その全てをひとしきり見終えると、感慨深けに呟いた。
「⋯⋯ふむ、これが七十年前に鬼を斃し、羅生門を封じた伝説の刀、鬼切丸、その半刃か。⋯⋯なるほど、半刃とは言え鬼を滅する力はまだ十分に宿している。持主を失った後は、武の神への鎮魂として、鹿島神宮に奉じられたとばかり思っておったが」
「あ、鹿島神宮へ奉納した刀は、本物の鬼切丸ではなく、たぶん似せた別の刀です。京都に旅立つ朝に、当の持主の百地翁様本人がそう言っていましたから」
「⋯⋯!? ⋯⋯百地? 今、百地と言われたか!? 鎌足殿。それは七十年前の鬼との戦いで生き残った『六歌戦』の一人、伊賀の頭目、百地幻斎の事か?」
これまで平静冷静だった綾麿が、急にその身を乗り出した。
鎌足をじっと見つめる真剣な瞳。
その突然の変化に鎌足は戸惑ったものの、会話の流れに完全に飲み込まれていた。
「⋯⋯え、あ⋯⋯、⋯⋯はい、そうです。今は御頭の役は退いていますが」
「それは、御健在、⋯⋯という事か?」
「⋯⋯え、はい、内に籠りっぱなしで、昼寝したり将棋ばかりしてますが、一応は元気です」
「⋯⋯! 老いて既に亡くなったものとばかり思っていたが⋯⋯。そうか、そうか、御健在か⋯⋯。なるほど、だから鎌足殿は鬼の事を色々と存じておるのか」
綾麿はまた扇子で口元を隠しながら、今日一番の愉しそうな声で、笑みが止まらないようだった。
「そうか、まだ生きておられるか。これは一度是非、百地殿に七十年前の武勇伝を聞きにお伺いせねば。⋯⋯ほほほ、生きている、百地殿が生きている。七十年前の鬼との戦いを覚えておられる。⋯⋯これは良きこと、良きこと、たまらなく愉快だ。ほほほほほほほ⋯⋯!」
綾麿の突然の高笑いに、鎌足は無策無心で返事をしてしまった事を悔いた。
(⋯⋯え、何でこんなにも喜ぶんだ? ⋯⋯綾麿、百地扇様を知っているのか!? まさか⋯⋯。歳が離れすぎてる。何一つも接点は無いはず、絶対に会った事など無いはずだ。それ程までに百地様の話を聞きたい、ということか!? ⋯⋯何故だ? ⋯⋯ッ、⋯⋯不知火中将綾麿⋯⋯、やはり江戸徳川⋯⋯そして伊賀にとっても、油断ならない奴なのか!?)
⋯⋯いつの間にか陽は西に傾いていた。
笑う綾麿の顔を、西日が妖しく照らす。
刻限の暮れ六つが、刻一刻と近づいていた━━━━。
第24話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています!
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください♪
次回第25話「決裂」は、2月14日昼頃に公開予定です。




