第23話 二つの顔
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。不知火流という恐るべき剣の使い手。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。江戸の徳川政権を何故か激しく憎んでいて、鎌足たち御庭番衆の援軍を快く思ってはいない。
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
樋ノ口麒麟━━━━
従四位下少将。紙垂付きの白鞘の刀を手にする少年公家。謎の剣技を操り、御所警備の北番と南番を務める。位の低い者を見下したり、自己中心的かつ残虐な性格で、些細な出来事をきっかけに鎌足に因縁をつける。
━━━━不知火中将綾麿。
妖刀『村雨』を手に、その場に姿を見せたこの男の一言によって、麒麟の表情は激変した。
麒麟は鎌足に向けていた刃をくるりと翻すと、すぐに刀を鞘に納めた。
そして鎌足が麒麟の方を再び振り返った時には、まるで何事も無かったように、最初に見せたあの穏やかな笑顔に戻っていたのである。
それは鎌足が呆気に取られるくらいの、変わり身の早さだった。
「ははははは、⋯⋯いやあ、綾麿さま、気合が入りすぎたお恥ずかしい所をお見せしました。御相手の江戸の御使者様の力量が分かったので、今ちょうど刀を納めようと思っていたところだったんですよ」
(⋯⋯? ⋯⋯は⋯⋯!?)
戸惑う鎌足をそっちのけに、麒麟は綾麿の元へと平然と歩み寄っていく。
「⋯⋯ね、ほら? この白鞘の刀で、ほんの少し力試しをしていただけですよ。あ⋯⋯、そうそう、鎌足さん? でしたっけ? あの御方はかなり使えますよぉ、僕が保証します。東番の安泰は間違いなしです。これならば待ち受ける鬼との厳しい戦いに、きっと大きな活躍をしてくれることでしょう」
(⋯⋯!? は⋯⋯!? ちょ、ちょっと待て!?)
麒麟の態度や言葉のあまりもの急激な変わりように、鎌足は理解が全く付いていかない。
にこにこと笑みを浮かべながら事の成り行きを報告する麒麟に対して、呼び掛けの後はずっと黙って話を聞いていた綾麿が再び口を開いた。
「⋯⋯そうか、ならば良い」
「僕の天衣無縫の剣も披露していませんし、綾麿さまの白鞘の言いつけはちゃんと守ってますよ、ほら、ほら」
麒麟は紙垂が巻き付いた白鞘を掲げた。
「そのようだな」
「⋯⋯あ、それから案内役さんが、勝手に此処まで人を通しちゃって」
「⋯⋯ほう、それは由々しきこと」
「⋯⋯で、こちらの案内役さんの処分ですが⋯⋯、いくら江戸の大事な御客人からの要請があったとは言え、案内禁忌が決まりの清涼殿。本来ならば厳罰を与える所です。⋯⋯が、事情が事情なだけに可哀想だし、特別に少将の僕の裁量で、今回だけは不問にしてあげる⋯⋯、ということでは駄目でしょうか?」
「⋯⋯よかろう。そのようにしろ」
「ありがとうございます、綾麿さま」
麒麟はまたにっこりと微笑むと、尻もちをついたまま震え続けている案内役に近づき、その青白い顔を覗き込みながら優しく言葉をかけた。
「あれれぇ? 鎌足さんとの力試しの迫力があまりにも凄すぎて、びっくりして腰が抜けちゃったのかな? ⋯⋯ね、今の話聞いたでしょ? ここは身分の低い者は立ち入り禁止。今度からは気をつけるんだよ。⋯⋯さあ、もう行っていいよ」
「⋯⋯は、⋯⋯ひ、ひぃっ、あ、ああ、ありがとう、ございます、あ、ありがとうございますッ!」
「⋯⋯案内、お疲れさま」
「お疲れさま」⋯⋯この最後の言葉を告げる時、麒麟はまた目を見開いた。
口元の緩みは歯軋りへと変わり、綾麿からは見えないその目も、何一つ笑っていなかった。
麒麟のその顔を見た案内役の男は、転げるようにしてその場から逃げ去っていった。
(⋯⋯は? 此奴、一体何なんだ!?)
麒麟の二つの顔の使い分けに、鎌足はまさに開いた口が塞がらない。
探していた綾麿や村雨を目の前にしながらも、次の言葉が中々出てこない。
しかしその困惑に加えて、鎌足の中に今、沸々と湧き上がる別の感情があった。
それは綾麿が見せた、麒麟への知らぬ存ぜぬの態度への不快感。
(この中将綾麿という男の目は節穴なのか!? 案内役の怯え方やこの場の状況を見れば、麒麟の言葉が戯言だという事は、すぐに察しがつくはずなのに!)
この状況を詮議する言葉も無く、麒麟のあからさまな嘘の言葉を鵜呑みにする、そんな綾麿の事なかれ主義的に見える姿勢が、鎌足は気に食わなかったのだ。
「⋯⋯麒麟よ、暮れ六つまで半刻も無い、今宵の南番警護があろう。江戸からの御客人⋯⋯東番頭の鎌足殿は、麒麟の代わりに麿がお相手致す。詰所に早く向かうがよい」
「⋯⋯ああ、もうそんな刻限ですか。では、お言葉に甘えて失礼させて頂きます、綾麿さま」
麒麟は綾麿に深く一礼すると、笑顔のまま綾麿と鎌足にくるりと背を向けた。
背を向けた途端、麒麟の穏やかな笑顔は、口元を歪めた憤怒の顔へと変わる。
(⋯⋯綾麿、邪魔しやがって。⋯⋯ちっ)
綾麿に対する麒麟の心の声が、憎々しさが詰まった舌打ちとなって漏れ出る。
それは綾麿は勿論、鎌足にも聞こえない程に小さなものだった。
(⋯⋯ふん、で、鎌足か。その名前覚えたぜ。⋯⋯無官位のくせに生意気にも俺に逆らいやがって。⋯⋯絶対に許さねえ、今に見てろ)
そして紙垂の白鞘を手に、この謎の少年公家━━樋ノ口少将麒麟は、まるで何事も無かったように悠然とこの場を立ち去っていった。
⋯⋯「⋯⋯おう、これは鎌足殿ではないか」
鎌足が苦々しい表情で麒麟の背中を見送った丁度その時、聞いたことのある声が鎌足の耳に入ってきた。
鎌足が驚いて振り向いた視線の先、清涼殿へと渡る廊下の角には見たことのある男の姿があった。
「⋯⋯あっ! 近衛大将兼季様!」
先程の麒麟の言葉や、綾麿が姿を見せたことから推察するに、帝との定例の評議はつい今しがた終わったのだろう。
昨日の帝への謁見の際、紫宸殿で鬼切丸を抜いた鎌足を擁護してくれ、また今回の東番就任の件も取り計らったくれた近衛大将兼季が、綾麿に続いてこの場にやって来ていたのだ。
綾麿には鬼切丸を抜いている所を見られたが、兼季にまで見られるわけにはいかない。
鎌足は咄嗟に鬼切丸を後ろ手にして、そして羽織をめくり背中に押し込むと、平然を装って片膝をつきながら頭を下げた。
そんな鎌足には何ら不信を抱くことも無く、兼季は昨日と同じように明朗な笑顔で、鎌足に話しかけ始めた。
「昨日は改めて失礼致した。鎌足殿よ。御帝の通達、明日の東番の親書は受け取れたかな?」
「⋯⋯はい、本日昼に、御使者殿から確かに承りましてに御座います」
「そうか、そうか。⋯⋯ん、⋯⋯で、⋯⋯さて? 今日は何故に出仕を? そしてこのような場所や庭で何を? おや、頬を怪我されているようだが⋯⋯?」
鎌足を訝しげに見つめる兼季の問いかけの横で、綾麿も無言でじっと鎌足を見つめている。
「⋯⋯あ、ああ、この傷は野良猫に引っ掻かれまして。血も止まりましたし、ほんの掠り傷。大事はございません、それよりも⋯⋯」
(⋯⋯まずい、上手く誤魔化さなければ)
「昨日は改めてありがとうございました、近衛大将兼季様。そしてお初にお目にかかります、不知火中将綾麿様。⋯⋯此度中将様から東番をお分け頂いたことを聞き、光栄至極に存じます。東番でもない本日、こちらの清涼殿に参りましたのは、明日の初番を迎えた逸る気持ちを抑えきれず、つつがなく東番の大役の引継ぎ⋯⋯」
⋯⋯鎌足がその場しのぎの口上を述べている、その時だった⋯⋯。
「⋯⋯では無く。この村雨と、この麿、不知火中将綾麿を探りにわざわざ此処までやって来た⋯⋯、そうであろう?」
綾麿が不意に鎌足の後に言葉を続けた。
手にした村雨を胸の位置で掲げ、鎌足に見せつけるようにして繋げられたその言葉は、まさに鎌足の心の動揺や真意をまるで全て見透かしているような、核心を突く一言だった。
「⋯⋯⋯ぐっ!」
鎌足の腕に鳥肌が立つ。
完全に胸の内を読まれた鎌足は、下を向いたままその場に固まった。
(⋯⋯こちらの真意や動きが、読まれている!?)
⋯⋯暫くの沈黙が流れた。
それは時間にして僅か数秒のことだったが、焦燥感に囚われている鎌足には、それは十数秒の長さに感じられる程だった。
「⋯⋯そ、そんなことは⋯⋯」
その沈黙を破って、鎌足がしどろもどろな弁明を切り出そうとした時だった。
綾麿が唐突に、しかもいかにも公家らしい妖しげな高笑いを交えながら、鎌足の言葉を止めたのだ。
「⋯⋯ほほほ、鎌足殿とやら? 冗談、冗談じゃ。⋯⋯ほほほほほ。明日の番のために今日から出仕か。⋯⋯気が早く、そして生真面目な御方だ」
「⋯⋯え、⋯⋯あ、⋯⋯は、はい」
綾麿の笑いが止まったのを見計い、顔を上げた鎌足の瞳に、扇子で口を隠した綾麿の姿が映る。
先程の鎌足の丁寧な口上からの驚いた反応が、綾麿はよほど愉しかったのだろうか。
⋯⋯扇子で口元は見えなくても、その目だけはまだ笑っていた。
(⋯⋯ッ! 綾麿! 私の反応を見ながら愉しんでいるのか? いや、しかし、⋯⋯ッ)
この綾麿の食えない態度を前にして、鎌足は改めて警戒の念を強めずにはいられなかった。
(⋯⋯ッ、思考が読み切れない。不思議で妖しい奴だ。⋯⋯綾麿の事をもっと調べなきゃ。今の所まだ何とも言えないけど、果たして徳川の敵になりうる者なのか、それとも⋯⋯)
そんな鎌足の胸の内や、綾麿との会話の内容など全く気にも留めず、兼季は鎌足と綾麿の二人に向けて、満面の笑顔で明るく声をかけた。
「おお、明日に備えて今日からもう励んで頂けるとは! その御心構え、誠に嬉しく思う。私の方こそ心から感謝せねばならぬ。⋯⋯そうそう、中将よ、この御方が江戸からの御使者であり、そして頼りになる援軍、伊賀新陰流の使い手、伊賀鎌足殿だ。欠席した御主には此度の評議が終わってから、昨日の謁見の事をゆっくりと話そうと思っていた所でな。丁度良かった、何とこの鎌足殿はな⋯⋯」
「いえ⋯⋯、今は結構です。その話は後ほど改めて本人の口から」
軽く会釈しながら、綾麿が兼季の言葉を遮った。
「⋯⋯ん? ⋯⋯そうか? ⋯⋯ははははは、そうだな、直接聞いて驚いたらいい。⋯⋯鎌足殿よ。実はな、私も鞍馬一刀流をいささか嗜なんでいるが、まだまだ未熟の身。鬼との戦いは私などよりも遥かに剣の腕が立つ、此処に居る中将と少将、二人の力に頼らざるを得ないのだ。鎌足殿のような志高い御方にお力添え頂けて、本当に助かる」
綾麿を笑顔で見つめたり、腰の刀を抜いて鎌足に見せつけるように掲げる兼季に、鎌足は再び頭を下げた。
「⋯⋯大層な御言葉、恐縮です」
(⋯⋯ふーん、大将殿は分かりやすい性格のようだな。なるほど、鞍馬一刀流か、山城奥山に古くから伝わる高名な剣術の一つだ)
「⋯⋯ところで鎌足殿よ、私や中将より先に、その頼りになるもう一人、少将が、南番の準備のために我々よりも先に清涼殿より出てきたはずだが? これくらいの背丈の小柄な若者だ。麒麟という名でな。⋯⋯もしかしてすれ違ったりはしなかったか?」
(もう二度と会いたくないくらい嫌な奴でした)
などという本音は言えず、かつ麒麟との対峙の瞬間を見られている綾麿を今、目の前にしている。
しかし正直に事の全てを話すと、今日もまた怒りに任せて鬼切丸を抜いたことが、兼季にばれてしまう。
この二人の手前、少将である麒麟の悪行の暴露や悪口も言えない。
鎌足は波が立たないよう、上手く素早く返事をしなくてはならなかった。
「⋯⋯あ、はい。つい今しがたお会いできました。⋯⋯で、⋯⋯あの、ほんの少しだけですが、力⋯⋯、試し? とやらを御所望され⋯⋯、あの⋯⋯、その⋯⋯」
鎌足の頭は混乱していた。
下を向いたまま、どう説明したら良いか困って、語尾がどんどん口籠っていく。
するとそこに意外な声が割って入った。
⋯⋯淡々とした綾麿の声だった。
「⋯⋯近衛大将殿。つい先程、こちらの鎌足殿と少将とは、麿がお引き合わせ致したところ」
(⋯⋯えっ?)
鎌足は、思わず飛び上がりそうになる程に驚いた。
「おお、何だ、そうか。それは良かった。同じ警備の仲間となる少将を、鎌足殿に早く紹介せねばと思っていた所だったのだ」
「鎌足殿の警備への熱意の程、しかと少将にも伝わった様子。刺激を受けた少将は、本日の急な南番もきっと無事に相務めましょう。そして明日の東番の鎌足殿も」
「そうかそうか、それは良かった」
綾麿の声は淡々としたものだったが、その報告を聞いて更に朗らかさを増した兼季の笑い声に、鎌足の顔にもやっと安堵が浮かぶ。
ゆっくりと顔を上げた鎌足は、兼季の方を向く綾麿の横顔を一瞥した。
その横顔は、誇るでも無く、笑うでも無く。
ましてや鎌足の方を見るでも無く、まさに”淡々とした声“が似合う、“無表情”な横顔だった。
(⋯⋯もしかして、この人、私を助けようとして、上手く取り繕ってくれた? ⋯⋯え、何で? ⋯⋯はぁぁぁ、でも助かったぁぁぁ)
改めてほっと胸を撫で下ろし、気の抜けたような表情を浮かべる鎌足。
この時、この鎌足の呆けた姿や表情を、綾麿の流し目が捉えていた。
⋯⋯それは鎌足も兼季も気付かない、ほんの一時だけの視線だった。
(良かったぁ⋯⋯、命拾いしたぁ。⋯⋯⋯⋯ん? 誰か此方に来るぞ)
鎌足の耳にこの時、紫宸殿の奥から此方に向かって歩いてくる、何人かの足音が聞こえていた。
そして鎌足たちの前に姿を見せたのは、三人のいかにも屈強に見える公家たちだった。
三人ともが白粉や御歯黒も無く、腰に刀を差し、背中に弓を背負っていることから、彼らもまた兼季や綾麿と同じく武官なのだろう。
三人は兼季の傍に跪くと、そのうちの一人⋯⋯中央に座した髭を生やした貫禄を感じる公家が、兼季を見上げながら進言した。
「⋯⋯御大将様。暮れ六つまであと僅か。次の御予定が」
「⋯⋯おお、もうそんな刻か。では、鎌足殿、明日から宜しく頼みましたぞ。私は暮れ六つ迄の間、残りの公務がまだ残っている故、今日はこれにて失礼致す。⋯⋯では中将、鎌足殿をよろしく。後は任せたぞ」
「はっ、畏まりました」
綾麿が頷く。
兼季は鎌足にも再び笑顔で会釈して、髭の武官たちと共にその場を立ち去っていった。
そして今、その場に残されたのは。
⋯⋯鎌足と綾麿。
二人だけとなった。
(⋯⋯わ、二人きりになっちゃった、⋯⋯わわわ)
「あ⋯⋯、え⋯⋯、と⋯⋯」
綾麿と村雨を求めて、清涼殿のすぐ近くまで入り込んできた。
そして今、自身が望んでいた状況になっているとは言え、いざ二人きりになると緊張して何を話してよいかが分からない。
あれこれ思案を巡らせながら言葉を探し、難しい表情を浮かべる鎌足だったが、先に綾麿が静かに口を開いた。
「⋯⋯鎌足殿とやら、南番が動き出し警戒が厳重となる暮れ六つまでは、まだ少しだけ刻がある。このような寒々しい場所では無粋であろう。それにそなたが望む東番の引継ぎも兼ねて、麿の部屋で少し話を致そうか」
「えっ、中将様の部屋で?」
「ああ、内裏の奥にある。静かで誰も邪魔は入らぬ」
「⋯⋯へえ、ゆっくり引き継ぎの話ができそうですね」
「其処ならば、泣こうが喚こうが助けを呼ぼうが、⋯⋯誰にも声は聞こえぬ、⋯⋯誰も来る事は無い。人に聞かれてはまずい東番にまつわる重要な話もできよう。⋯⋯ついて参るがよい。⋯⋯さあ、⋯⋯此方へ」
綾麿は鎌足の返事を聞くよりも先に、背を向けて何処かに向かってゆっくりと廊下を歩き出した。
「あっ、⋯⋯あの」
鎌足が呼び掛ける。
その声が聞こえていないのか、綾麿は一度も鎌足を振り返ることも無く、無言で廊下を歩いていく。
縁側へと座った鎌足は、足の裏の泥土を払いながら、ぼんやりと綾麿の背中と、村雨の鞘の金色の煌めきを見つめていた。
その時、鎌足は何故かこの綾麿の後について行くしかないと思った。
それはその背中や村雨に吸い寄せられるように⋯⋯、という表現が正しかったのかもしれない。
御所内の探索や情報収集という裏の任務には、願ったり叶ったりの誘いではあった。
しかし鎌足が綾麿の後を追おうと思ったのは、それだけが理由では無かった。
ついて行かなければならない。
断ったらこの場で何か嫌な事が起こるのではないか。
何故かふとそんな気がしたのである。
(ん⋯⋯、まあ、いいや、色々探ってやる⋯⋯)
鎌足は綾麿の背後に慌てて駆け寄ると、その後ろを黙ってついていった。
⋯⋯長く薄暗い、古びた廊下。
先導する綾麿は、依然として一言も発しない。
鎌足も、きょろきょろと周囲を見渡しながら、綾麿の後を無言で歩いた。
官位の低い者は通る事を許されていないのか。
それとも何か別の理由があるのか。
不思議とすれ違う者は誰もいなかった。
まだ踏み入れた事の無い、未知の内裏へ。
奥へ。
⋯⋯また奥へ、奥へと。
鎌足が一歩を踏み出す毎に、古い床はぎしぎしと軋んだ音を立てた。
同じ床を踏みしめているはずなのに、綾麿の足元からは、不思議にも何故か何一つ軋みの音は発していない。
鎌足の床を踏みしめる音が背後に一つ、また一つと鳴り響く度、鎌足の前を歩く綾麿の口元に、少しずつ少しずつ、謎の笑みが浮かんでいく。
(⋯⋯無口な人っぽいな。⋯⋯でもさっきは然りげ無く助け舟を出してくれたし、実は案外良い人だったりして。⋯⋯うーん、まだはっきりとは言えないけど、危険と感じたのは私の思い過ごしなのかな? ⋯⋯鬼との戦いを控えたり、慣れない御所やあんな素晴らしい村雨を前にして、気持ちが昂りすぎていたのかなあ)
すぐ目の前に潜む、あの麒麟をも上回る、狂気を帯びた冷たく妖しい笑み。
鎌足は危難に何一つ気付いていなかった━━━━。
第23話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等、お待ちしています。
改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください。
次回第24話「東西会談」は、2月11日に公開予定です。




