第22話 少将 麒麟
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
━━━━樋ノ口少将麒麟。
怯えた表情の案内役からそう呼ばれた少年公家は、当初に見せていた笑顔から一変、今は狂気に満ちた眼で、中庭へと飛び退いた鎌足を睨みつけていた。
「見慣れない奴だな⋯⋯、誰だ、御前?」
(⋯⋯ッ! 此奴! この若さで少将だと!? それに、何だ!? この得体の知れない邪な氣は!? ⋯⋯此奴、⋯⋯間違いなく、⋯⋯強い。だがそれよりも何よりもこの“眼”だ、⋯⋯これは何十人と“人”を斬ってきた奴の眼だ!)
これまでの任務に於いて、鎌足は何度も邪悪な思考を持つ相手と巡り合い、幾多の死闘を経験してきた。
その歴戦の忍としての本能的な直感が、この目の前に佇む少年が相当な危険人物であることを知らせていた。
その感覚は、正門前で不知火中将綾麿と村雨を見た時に感じたものとは、似て非なるものだった。
感じるのは、凄まじいまでの嫌悪感。
そして押し寄せてくる、底の知れない強さ。
自分に向けられているその鋭い眼光からは、江戸で戦った蒼鬼を遥かに上回る、深い闇と狂気すら感じた。
「⋯⋯おい、此処は位階が高い者たちの中でも、特に選ばれた者しか足を踏み入れることができない神聖な場所だ。身分の卑しい者どもが気安く近づける所じゃねえ。 御前等、名は? 官職は? 官位は? ⋯⋯答えろ」
少年公家は怒りの言葉と共に、鎌足から一旦目を逸らし、次は廊下に平伏している案内役を睨みつけた。
「⋯⋯も、申し訳ありませんッ! しょ、少将様! ⋯⋯こ、⋯⋯この御方は江戸から参られた、東番を新たに担当されることになりました、か、鎌足様で⋯⋯!」
自分よりも相当に歳下の男を相手に、声を震わせ額を床に擦り付け、ひたすら謝り続ける案内役の姿を見て、鎌足はハッと我に帰った。
廊下の角で出会い頭にぶつかってしまったことに加えて、ふと口にしてしまった先程の軽い挨拶が、この若き少将の怒りを買ってしまったのかもしれない。
鎌足はその場を取り繕うため、即座に床に片膝をつき、少将に向けて改めて丁寧な挨拶と共に謝罪の言葉を述べた。
「少将麒麟様、大変に失礼致しました。先程の無礼、心よりお詫び致します。明日より新たに東番を任されました、伊賀の鎌足と申します。どうかお見知り置きを」
鎌足の言葉が終わるや否や、この少年公家、少将麒麟は、二人の頭の上から荒々しく言葉を吐き捨てた。
それは位の低い者を見下した、蔑みの声だった。
「あん? 伊賀? ⋯⋯鎌足だぁ? ん⋯⋯、⋯⋯あぁ、昨日俺が非番の日に江戸からやって来て、紫宸殿で暴れた男か女かよく分からない“忍”⋯⋯ってのが御前か! そうか、そうだったな、めでたく東番頭に決まったんだったなあ。⋯⋯ん?」
「⋯⋯は、はっ」
「⋯⋯ったく、援軍なんぞ要らねえのに。調子に乗って江戸からのこのこ出てきた上に、東西南北警備四番にも割り込んできやがって。御前のせいで、今日の夜の警備は急遽、俺の担当する南番になったんだぞ? 分かってんのか? はっきり言って”迷惑“なんだよ。⋯⋯それに東番は明日からのはずなのに、何で今日もまた御所に来てるんだ? ⋯⋯え?」
(⋯⋯此奴、歳下のくせに何様だ)
遠慮の無いずけずけした物言いと嘲り笑い。
その麒麟の生意気な態度に、短気な鎌足の中に不快感と苛立ちが即座に湧き上がってきた。
「余所者の此奴を、此処まで連れてきたのは御前か?」
麒麟の不満の矛先が案内役にも向けられる。
案内役は、ただ廊下に頭を伏せているだけは謝罪は受け入れてもらえない、と思ったのだろう。
この視線と問いかけに、何の躊躇も無く廊下から中庭にまで降り、そして地面に額を付けて謝っていた。
「⋯⋯す、すみません! ⋯⋯こ、此処まで、も、勿論案内するつもりは、な、無かったのですが、⋯⋯事の成り行きで、⋯⋯や、止むをえなかったのです、⋯⋯お、お、お許しください、しょ、しょ、少将様様ッ!」
案内役の謝罪は、半分涙まじりの懇願の言葉となっていた。
この謝罪で、案内役がどれだけこの麒麟を恐れているかが伝わってくる。
相変わらず眼を鋭くぎらつかせたまま、麒麟は呆れ果てたような大きな溜め息をついた。
そして鎌足を完全に無視して、案内役に対して怒りの言葉をまくし立てた。
「今しがた定例の評議で、より一層の警備の強化を話し合ったばかり。それで意気揚揚と出てきてみたら、⋯⋯これだ。⋯⋯俺たち上級の武官が帝の守護にいくら尽力しても、手足となって働く奴等が弱っちくて使えねぇ、決まりもろくに守らなねぇ、そんな雑魚どもばかりなら全く以て意味が無ぇ。此処は立ち入り禁忌の清涼殿。勝手に御所の決まりを破って、得体の知れない男か女か分からない江戸者なんぞ、近づかせやがって」
(⋯⋯ッ!)
鎌足の地に付けた握り拳に、自然と力が入る。
(我慢しろ、我慢しろ、抑えろ。抜いたら駄目だ、抜いたら死罪だ。此処は堪え時だ⋯⋯、皆にも言っていたじゃないか、舌は心の中だけで出すんだ⋯⋯)
礼を尽くす表情と自己を抑制する心とは裏腹に、鎌足の手は無意識に背中の鬼切丸へと伸びていた。
湧き上がる怒りを何とか我慢し続けている鎌足だったが、これが内裏の外の世界で起きていたならば、きっともう堪えきれずに抜刀してしまっていたことだろう。
それ程までにこの麒麟から伝わってくる圧力は、無礼で醜悪で非道で、そして何より”危険“なものに感じた。
「⋯⋯お許しを、どうか、お許しをッ⋯⋯!」
案内役は伏したまま、額を地面に擦り付けまでして、ただひたすらに謝罪の言葉を言い続けていた。
麒麟は手にした白鞘で自分の後頭部をとんとんと何度も叩きながら、この案内役の悲痛な訴えをにやにやと愉しそうに聞いている。
「⋯⋯さて、と。北と南の警備の番を預かる誉れ高き従四位下、少将を拝命する身として、決まりを破った案内役の御前には、相応の罰を与えないと内裏に示しがつかないな。⋯⋯うーん、そうだなぁ、⋯⋯大人の諺にも、罪を憎んで人を何とやら、ってあったよな。⋯⋯よし、今回はその憐れで惨めな姿に免じて⋯⋯」
(⋯⋯⋯!)
(⋯⋯⋯!)
案内役と鎌足が息を呑む。
そんな二人に対して、麒麟はにっこりと微笑んだ。
その笑顔に、案内役が安堵の表情を浮かべる。
鎌足も張りつめていた緊張の糸が少し解れた⋯⋯。
⋯⋯その瞬間に、麒麟は満面の笑顔のまま、案内役に向かってこう告げた。
「⋯⋯⋯死罪だね」
笑いながらその判決を言い終えた時、麒麟の姿は既に廊下には無かった。
中庭の案内役の方に向かって、その身体は宙を舞っていた。
⋯⋯その顔は狂気に染まっていた。
空中で白鞘から一気に刀身を抜き、恍惚の表情を浮かべ、土下座する案内役の頭上から、その無慈悲な狂刃を振り下ろした。
「⋯⋯⋯⋯ひ、ひひぃぃぃぃッッ!?」
キィィィン━━━━⋯⋯⋯⋯⋯⋯
⋯⋯人の肉や骨に刀がめり込む音ではなく、刀と刀がぶつかる鈍い音が響く。
麒麟の放った不意の狂刃は、腰を抜かしたように座り込んでいる案内役の額の僅か手前、二寸(※6cm)程の位置で止まっていた。
狂気の刃を防ぎ止めたのは、横から案内役を守るために振りかざされた、もう一つの刀。
それは鎌足が咄嗟にかざした、鬼切丸だった。
「⋯⋯あぁん!?」
思わぬ横槍に麒麟が目を見開いた。
「⋯⋯ぐッッ!!」
緊迫の状況を物語るように、刀身にまだ白布が付いたままの鬼切丸。
その白布が交えた麒麟の刃によって斬り裂かれ、風に吹かれて空に飛ばされていく。
殺戮の刃を受ける鬼切丸に力を込め、鎌足が立ち上がった。
鬼切丸の刃と、麒麟の白鞘の刃。
二刀は激しく交差したまま、鎌足と麒麟が刀越しに鋭く睨み合う。
「⋯⋯何だぁ!? 男女! 俺の愉しみの邪魔をする気か!?」
「⋯⋯しょ、少将様ッ!? 少しお戯れが過ぎましょう!!」
「⋯⋯ほぉ、これが噂の鬼切丸とか言う骨董刀か。⋯⋯はっ、何だ、この薄っぺらな刃は。⋯⋯笑わせてくれる⋯⋯⋯⋯なあッ!!」
「⋯⋯ッ! ⋯⋯鬼切丸を、⋯⋯私の宝物を⋯⋯馬鹿にするなああぁぁッッ!!」
この互いの咆哮が合図となった。
一進一退のじりじりとした刀の鍔迫り合いから、二人はそれぞれ相手の刀を弾きながら、次の瞬間には後方へと飛び退いていた。
その飛び退きざま、麒麟の小さな身体が勢いよく地を跳ね、鋭く一回転する。
(⋯⋯ッ!?)
それは、鎌足の死角から放たれた、麒麟の鋭い回し蹴り。
その一閃は飛び退く鎌足の左頬を掠めていた。
間一髪で仰け反り、直撃を避けることができた鎌足だったが、その左頬に鋭い痛みが走る。
飛び退いた先、左頬を押さえながら鎌足は片膝を付いた。
そんな鎌足に対して、身体を翻しながら颯爽と着地した麒麟は、余裕と自信に満ちた笑みを浮かべ、鎌足を遠くから見下ろすように吠えた。
「おい、御前。鎌足⋯⋯とか言ったな。この内裏で、従四位下少将の俺に刃を向けるとはな。その意味を分かってるのか? 御前もその男と同じく死罪確定だぞ」
鎌足に向けられたその瞳の煌めきは、刃を交える前よりも更に冷たさと残虐さ、そして怒りを増していた。
抑えた手を離した鎌足、その頬に残る赤い線からは、一筋の血が流れていた。
(⋯⋯っ、くそっ、我慢できなかった。また抜いてしまった。⋯⋯だが、後悔は無い。案内役に斬り掛かった此奴の抜刀、脅しや戯れじゃない、⋯⋯本気だった)
鎌足は少し俯きながら、流れる血を手の甲で拭い、付いたその血を舌で舐め取った。
それは目の前の麒麟を、敬うべき中将でも無く、自分よりも歳下の少年でも無く、一人の“敵”として捉え、自分の中で芽生えた”ある感情“を確認する、鎌足なりの儀式とも言えた。
(⋯⋯斃される前に、斃す。⋯⋯殺られる前に、殺れ)
麒麟の度を越した暴挙と暴言、そして漲る殺意の挑発を前に、鎌足の中で必死に我慢し続けていた理性の箍は既に外れていた。
「⋯⋯少将⋯⋯さ⋯⋯、いや! 麒麟とか言ったな。御前みたいな生意気で我儘な子供は、どうやら一度痛い目を見てみないと、大人の理屈が分からないようだな!」
鎌足は、鬼切丸を右逆手斜めに構えた。
俗に言われる”霞の型“である。
そして袴の下、腰と脚に忍ばせた鎖もいつでも解くことができる臨戦体制を取った。
「⋯⋯ふん、雑魚が。殺る気か。いいぜ、たっぷりと遊んでやるよ、どこからでもかかってきな。その根拠の無い自信に満ちた得意な顔を、柘榴のようにズタズタにしてやるよ。此処で早速刑の執行だ」
鎌足の戦意を前にしても不敵な笑みを浮かべ続ける麒麟は、棒立ちしたまま右手に持つ刀をゆっくりと肩の位置まで上げた。
そして右半身をやや前に乗り出し、まるで刃の切っ先で鎌足を指すような不思議な構えを取った。
(⋯⋯ッ! この型は!? ⋯⋯初めて見る)
上段でも中段でも下段でもなく、袈裟懸けでも突きでも、ましてや抜刀の構えでもない。
片手で刀を相手に向けただけの、奔放すぎる構え。
(隙ばかりじゃないか! だが⋯⋯)
真っ直ぐに鎌足に向けられた切っ先。
その刃の陰から、麒麟の余裕と狂気の瞳が並んで見える。
そのぴんと伸ばした腕の先、妖しく光る切っ先は、その名前の通り、まるで伝説の聖獣━━麒麟の角のように思えた。
そして今まで見たことがないこの変則の型は、鎌足に大きな動揺と攻撃への戸惑いを与えていた。
⋯⋯胸を目がけて突いてくるかもしれない。
横に胴を薙ぎ払ってくるかもしれない⋯⋯。
⋯⋯それとも顔面を狙い斬り上げてくるのか。
麒麟の動きが読めきれず、鎌足は次の動きへと移れない。
(⋯⋯く、くそっ)
一足飛びでは刃の届かない間合いを互いに保ったまま、凄まじい殺気を放つ二人の睨み合いが続いた。
鎌足の心を見透かしたのか。
麒麟が鎌足を煽り始めた。
「はっ、おいおい、何だ、さっきの威勢はどうした? 俺の構えに怖気付いたか? ⋯⋯来いよ、”忍“とやらのくだらねぇ技、どんなものか見せてみろよ」
「くっ! 御前こそ! 私の鬼切丸が怖いんだろう!」
その挑発を受けて、鎌足が先に動いた。
(⋯⋯大丈夫だ、恐れる必要は無い、はったりの構えだ)
麒麟の一挙手一投足に細心の警戒しながら、鎌足は少しずつ少しずつ間合いを詰めていった。
「来い、雑魚。骨まで切り刻んで刀の錆にしてやるよ」
少将は身動き一つせずに、刀の切っ先を鎌足に向けたまま待ち構えている。
「⋯⋯な、何だと!? ⋯⋯ふん、御前の剣なんて子供の飯事と同じなんだよ!」
麒麟を罵る鎌足の足元、地を踏みしめる摩擦音が小さく響く。
互いの間合いは半歩分、縮まっていた。
⋯⋯鬼切丸の刃が麒麟に届くか届かないか。
何度か地面にじりじりとした摩擦音が響かせた鎌足は、そんな間合いの際にまで接近していた。
まさに一触即発。
互いに間合いの余裕は無い。
後に残された駆け引きは限られている。
鎌足か麒麟か。
二人のうちどちらが先手を取って仕掛けるのか。
それだけだった。
「⋯⋯ふん、俺に歯向かう奴は絶対に殺す!」
「⋯⋯くっ、絶対に御前はだけは許さない!」
お互いの殺気と戦意が最高潮に達した瞬間━━━━。
━━━━その見えない火花が散る生死の間合いを切り裂くように、凛とした男の声が響いた。
「⋯⋯止めろ、麒麟」
叫び声ではない、大きな声でもない。
落ち着き払った「制止」と「呼び名」の二言だけだったにも関わらず、まるで真空の刃のようなその言葉の鋭さ、そして言霊の命のような威圧の力に、名指しされた麒麟の動きがぴたりと止まった。
呼ばれていない鎌足すらも、同様にそのたった一声によって身体が止まった。
一瞬にして鎮まっていく互いの闘気。
そして静寂がその場に広がっていく。
声のした方向⋯⋯。
清涼殿の奥へと続くあの廊下の角を、鎌足と麒麟は同時に振り向いた。
⋯⋯その先には、一人の公家の男が立っていた。
その男の凛とした美しい顔に、鎌足は見覚えがあった。
そして男が右手に握っている豪華絢爛な鞘は、紛れもなく鎌足が追っていたあの妖刀⋯⋯『村雨』だった。
「⋯⋯! ⋯⋯あ、綾麿⋯⋯さ、ま」
今まであれほど生意気な笑みを浮かべていた麒麟が、明らかに動揺を見せながら”その名“を呟く。
「⋯⋯っ! ⋯⋯村雨、⋯⋯不知火中将⋯⋯綾麿」
鎌足も鬼切丸を握りしめながら、麒麟と同じように“その名”を呟いていた━━━━。
第22話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください。
次回、第23話「二つの顔」は、2月9日に公開予定です。




