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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編

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第21話  再会

【登場人物紹介】

伊賀の鎌足かまたり━━━━

 江戸城の公儀御庭番こうぎおにわばん伊賀組の小頭こがしらの女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎げんさいに授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸おにきりまる』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。


甚左じんざ━━━━

 伊賀組の中忍。江戸から京都へ派遣された四人の忍のうちの一人。鎌足かまたりの京都での補佐役を務め、鎌足かまたりからの信頼も厚い。剣の腕も立ち、いつも優しい人格者。


平次へいじ━━━━

 伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足かまたりの身だしなみには特にうるさい。


大吾だいご━━━━

 伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験に乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。


 ━━━━「そしてまた裏門ここか⋯⋯」


 正門から入る事を止められた鎌足かまたりたち四人は、今、裏門の前へ立っていた。

 突然の出仕しゅっしの表向きの理由は、昨日の無礼の詫びと、明日の東番に備えての視察。

 理由に疑問を抱かれないか不安な面もあった。

 しかし東番警備の正式な伝達も済んでいるためか、裏門の門番には特に不審がられることもなく、御所に入ること自体は呆気なく許可された。


 ただし⋯⋯。


「⋯⋯えっ!? 通れるのはまた私一人だけ!?」


 ⋯⋯担当番以外の日ということで、通ることを許されたのは鎌足かまたり一人だけだった。


 全くもって予定外の事態の連続に、四人は顔をしかめて無言で見つめ合う。


(⋯⋯はぁ。たぬききつねみたいな胡散臭い公家たちと、また一人でかし合いをしないといけないのか)


 鎌足かまたりは溜め息しか出ない。

 早くも計画の全面見直しに直面した四人だったが、鎌足かまたり一人だけでも中に入ることができるのは、まだ良しと考えなければならなかった。


「仕方ありません。我々は外で待つとしましょう」

「また明日出直しか。折角色々と用意したのだが」


 甚左じんざ平次へいじが残念そうに呟く。

 しかし謁見えっけんを既に終えているため、昨日よりは鎌足かまたり内裏だいりでの行動に対する心配が少なくなっているためだろうか。

 鎌足かまたりを見送る表情は、三人ともに昨日よりは穏やかだった。


小頭こがしら、私たちのことは気にしないで行ってきてください。先に帰らないでちゃんと三人で待ってますからね。公家たちの嫌がらせにはどうか負けずに! 応援してます!」

 

 鎌足かまたりの背中を、大吾だいごの明るい声が後押しする。


「ごめんね、皆。また待たせることになっちゃって。今日は半刻(※1時間)と少しだけにするよ。暮れ六つの鐘が鳴るまでには絶対に戻ってくるから」


 丸腰であることを裏門の門番に意識させるため、忍刀や手裏剣を大吾だいごに渡し、鎌足かまたりはなるべく明るく元気に答えた。

 しかしその内心は違っていた。

 笑顔で見送る三人とは対照的に、鎌足かまたりの足取りは重たかった。


(私を止める人間が誰も居なくなってしまったな。⋯⋯うーん、さて。公家たちの嫌がらせ次第だけど、怒りが抑えられなかったらどうしよう。もしかしたらこの鎖で何人かの首を絞めちゃうかも⋯⋯、⋯⋯はぁ)


 三人に背中を向けてから、一気に鎌足かまたりの表情がくもる。

 その背後で扉がきしむ音、そして裏門が閉じられる音が響いた。



 ⋯⋯もう後戻りはできない。



(⋯⋯さて、と。ときは限られている。気を取り直して任務だ、任務。さあ、改めて内裏だいりを調べなきゃ。どんな思考の人間がいるか。重要人物の集まる場所は。徳川の治世の脅威となりそうな武器の有無は。⋯⋯そして帝は)


 鎌足かまたりは目の前を歩く男の背中を見つめた。

 御所の中を一人で自由に動き回る事ができたら良かったのだが、今日もまた昨日と同じ案内役の男に先導されていた。

 

(流石にそこまではまだ信頼が無い、という事か)


 案内役に動きを制限される中、一人で任務をこなさなければならない不安は大きかったが、そこは偵察を生業なりわいとする伊賀の忍。

 昨日一度目にした内裏だいりの間取りは、完全に頭に入っている。

 初日よりはまだ気持ちの落ち着きは早かった。


 昨日と同様に刃先を白布で巻いた鬼切丸おにきりまるに加え、今日は鎌袋も腰の後ろに忍ばせて、更に新しい羽織や仕込みはかまによって、脚の鎖も上手く隠すことができている。

 昨日のように鎖が擦れる音も無く、丸腰であることを信じきっているのだろう。

 案内役にも何もとがめられなかった。

 下に着込む忍装束を撫で、上の羽織の袖をひらひらとさせながら、鎌足かまたりはほくそ笑んだ。


(誰もこの羽織や袴の下に、忍装束や鬼切丸おにきりまるどころか鎖鎌まで装備しているなんて、気付かないだろうな。⋯⋯へへへ)

 

 四人で話し合った当初の予定では、今日は時間の許すかぎり、内裏だいりの各所状況を探ることが第一の目的。

 そしてあわよくば帝の執務室や寝所を探る。

 そのはずだった。

 しかし今、実際に内裏だいりへと身を委ねた鎌足かまたりの思考は、全く違う方向へと向いていた。

 つい先程すれ違った中将ちゅうじょう綾麿あやまろ

 そして『村雨むさらめ』と呼ばれる、鬼を斬る謎の妖刀。

 この二つへの興味が、今の鎌足かまたりの頭の中の大部分を占めていた。


(⋯⋯まず、あの中将ちゅうじょうを探ってみなくては。あの男⋯⋯、内裏だいり何処どこへ消えた?)



 昨日の謁見えっけん時は通らなかった長い回廊を通り、美しい庭園を望みながら、案内役から各広間や詰所の一つ一つを、昨日の続きとばかりに細かく説明されていく。


 その際、通り過ぎていく文官の公家たちの、冷ややかな視線は相変わらずだった。

 鎌足かまたりはそんな公家たちに面会をする度、廊下ですれ違う度、深く頭を下げて昨日の謝罪の言葉と共に、今回の東番頭ひがしばんがしら就任の挨拶を繰り返した。


(分からぬ。近衛このえ大将たいしょう殿は、何故にあのような小汚い江戸者を東番に据えるのじゃ? 気でも違えたのかや)

(何でも神聖な紫宸殿ししんでんで大暴れたしたそうじゃ、なんとまあ、無礼千万ぶれいせんばんな田舎者であろうか)

(実は女子おなごとか言う噂はまことかや? しかもしのびの者じゃと。これは生粋きっすいの下賤な生き者じゃ)

(きっと本日も妖しげな刀、鬼切丸おにきりまるとやらを隠し持っておじゃる。麿まろを斬る気かも、おお、こわいこわい⋯⋯)


 相手の心の声が、四方八方から漏れ聞こえてくる。

 頭を下げたすぐ眼前から聞こえることすらあった。


 昨日起こした火種は、御所のあちらこちらでまだくすぶり続けているらしい。

 鎌足かまたりに注がれる公家たちの目は、昨日よりも不信感や猜疑心さいぎしんがより一層に増している気がした。


(昨日の謁見えっけん時に鬼切丸おにきりまるを抜いた事と、女子おなごながら警備主任の東番頭ひがしばんがしらに就任した事⋯⋯、たぶんこの二つが原因かな。いや、女子おなごながら、こんな男子の格好をしているのも気に食わないのかもな)

 

 ただ一つ救いだったのは、昨日の謁見えっけんの儀は、位階いかいの高い文官しか出席していなかったこと。

 内裏で顔を合わせやすい位階いかいの低い文官たちの間では、鎌足かまたりが起こした不祥事や言動は、噂話の域を越えてはいなさそうだった。


(でも噂にしても、もうこんなにも広まって騒がれまくっているとは。⋯⋯まあ、あんな事をすればそりゃそうか。⋯⋯それにしても)


 ⋯⋯公家はきっと「心で言葉を留めておく」という事が出来ない生き物なのだろう。

 

(やっぱり、皆、ころ⋯⋯)


 また良からぬことを考えて始めてしまった所で、鎌足かまたりは今日もまたぶんぶんと首を横に振って、気持ちを切り替えた━━━━。






 ━━━━「⋯⋯で、昨日は驚かれたでしょう。紫宸殿ししんでんは代々、宮中の重要な行事にだけ使われるので、参上する位階いかいの高い文官の皆様は、これ見よがしに普段よりも白粉おしろいを濃く派手に塗って、御自身の身分の高さを顕示しあっているのですよ。普段はもっと白粉おしろいは薄いですから」


「⋯⋯ああ、なるほど。そうだったのですね。びっくりしました。紫宸殿ししんでんは少し暗いから、死人しびとの面がずらっと並んで居るようにすら見えましたよ」


 案内役ととりとめもない話をしながら歩く渡殿わたどのや回廊からは、綺麗に手入れをされた中庭が今日もまた幾つも見える。


(わぁ、綺麗だなあ、御所で見る桜がこんなに素晴らしいなんて)


 鎌足かまたりは特に広大で立派な中庭の前にさしかかった時、思わず立ち止まっていた。


 立ち並ぶ美しい満開の桜の木々。

 桜に映える、橋が架けられた美しい池。

 そして暖かな春の息吹を浴びながら、枝からひらひら舞い落ちる桜の花弁はなびら


 その美しさは格別だった。

 日本ひのもとならではの風情ふぜいや風流を感じずにはいられなかった。

 鎌足の胸や目頭が自然と熱くなる。


(⋯⋯帝や人や京の町だけじゃない。この景色も、鬼から絶対に守らなきゃ)


 鎌足かまたりは改めて日本ひのもとの悠久の歴史に、自身の使命や想いを重ねていた。


(⋯⋯でも、この庭園⋯⋯、桜の木々の並びといい、歴史を感じる燈籠とうろうや石塔の配置といい、前に何処どこかで見たことあるんだよなあ。気のせいかなぁ。⋯⋯まあ、そうだろうな。だって⋯⋯)


 ⋯⋯鎌足かまたりの想像以上に、この御所は広かった。

 そしてそれゆえに、似たような景色もたくさんあった。


 案内役によれば、昨日の紫宸殿ししんでんを小さくしたような小神殿と呼ばれる部屋も、内裏随所に幾つも配置されているらしい。

 区別したり覚えるのが困難な程に、部屋や庭園の数は鎌足かまたりの想像を遥かに超えていた。


内裏だいりの全容は少しずつだけど見えてきたぞ。でも⋯⋯)


 裏門から入って、早くも四半刻しはんとき(※30分)は過ぎているだろう。

 肝心の裏の任務に於いては、今の所は聞くもの見えるもの、何一つ心に留めて置くべき新しい事柄、役に立ちそうな情報は無い。

 昨日ちらりと垣間見えた鬼の痕跡こんせきも、今日はまるで見当たらない。


(何度も襲撃を受けているはずなのに。⋯⋯鬼が暴れた爪痕つめあとは全て、その都度すぐに修復しているのかもな。とすれば、昨日目にした痕跡は割と真新しいものなのか? ⋯⋯そういえば正門の門番さんが言ってたな。確か、あの中将ちゅうじょう綾麿あやまろって武官の公家が、つい最近鬼を斬ったとか何とか。⋯⋯昨日見た鬼の痕跡はもしかして⋯⋯)


「⋯⋯こちらからは女官たちの寝所です。その後は小神殿の幾つかを案内致します」


 鎌足かまたりの心を知る由もなく、案内役は流れのまま次の部屋に鎌足かまたりを案内しようとする。

 暮れ六つまでの限られている時間を、重要性の低い情報で潰されてしまうわけにはいかない。

 鎌足かまたりは思い切って、気になっていた事を口に出してみることにした。

 


「あの、御案内役あないやく殿? えっと⋯⋯、本日は帝は位の高い武官の方々との定例の評議を行っている、と門番さんから聞いたのですが、⋯⋯折角なので御近くまで案内して頂けないでしょうか?」


 鎌足かまたりの辿々しい問いかけに、案内役の男はいぶかしげな表情を浮かべながら、無言で鎌足かまたりをじっと見つめている。


(わ、まずい事を聞いちゃったかな)


 鎌足かまたりが内心少し慌てた。



 ⋯⋯その時。



 遠くから鎌足かまたりに向かって呼びかける、男の子の声が聞こえた。


「⋯⋯⋯⋯お姉ちゃーーーん!」


 鎌足かまたりが、声のした方向、渡殿わたどのに面した中庭を振り返る。

 その視線の先には、昨日鞠を拾ってあげた男の子と、あの美しい少女の姿が在った。

 男の子は、鎌足かまたりに向けて満面の笑みを浮かべながら手を振ってくれている。

 少女も男の子と手を繋ぎながら、鎌足かまたりに優しく微笑みかけてくれていた。

 

「あ、あの子たちだ」


 男の子が嬉しそうに鎌足かまたりに駆け寄ってくる。

 次の瞬間には、鎌足かまたりは、足袋たびのまま中庭に飛び降りていた。


「あっ、御使者殿!? また!?」


 背後の案内役の焦った声もまるで気にしない。

 自分のことを「お姉ちゃん」と読んでくれたこの二人にまた会えた。

 その喜びで鎌足かまたりはいっぱいだった。


「お姉ちゃん、また会えたね、嬉しいなあ」


「そうだね、昨日は話が途中になってごめんね」


 鎌足かまたりは頭を掻きながら、頬を赤らめて照れ臭そうに笑った。


「さくちゃん、良かったね。まりのお姉ちゃんにまた会えて」


 少女も男の子の後に続いて鎌足かまたりの傍に来てくれた。

 少女の頭には、桜の花の綺麗な髪飾り。

 それが美しい黒髪と和装に一際映えていて、鎌足かまたりの目には少女がまるで天女のように映っていた。


(⋯⋯わ、やっぱり綺麗な子だなぁ、舞い散る春の桜と一緒に見ると格別に美しいや)


 少女のあまりの美しさに、鎌足かまたりの頬は更にあかくなった。


「昨日、貴女あなた様にお会いしてからずっと、さくちゃん、この調子なんですよ。お姉ちゃんにまた会いたい、次はいつ会えるかなあ⋯⋯、なんて、うふふ」


 袖を口に当てて楽しそうに笑う少女からも、鎌足かまたりと再会できた喜びが伝わってくる。


 裏の世界に生きるのが生業なりわいの伊賀忍軍。

 鎌足かまたりは今までに、子供や同じ年頃の女性と話をしたりする経験がほとんどなかった。

 ましてやなつかれる、という経験になると初めてのことだった。

 自然とその笑顔もぎこちなくなる。


「⋯⋯あ、そう、なんだ。へ、⋯⋯へへへ」


「ねえお姉ちゃん、何で御所にいるの? 明日も明後日もいる? 僕、お姉ちゃんともっとゆっくり話したり、遊びたいなあ」


 少女に「さくちゃん」と呼ばれた男の子は、鎌足かまたりの腰に抱きつきながら、鎌足かまたりの顔を純粋な瞳でじっと見上げて、返事を待っている。

 不慣れな状況に、鎌足かまたりの返事はしどろもどろになった。


「⋯⋯あ、えと、私はね、江戸から来たんだけど、この御所を護る任務が決まって、東番ひがしばんって言うんだけど、分かるかなあ? ⋯⋯あ、でも、任務は今日じゃなくて、明日の五つどきを回ったくらいからなんだけど、四日に一度は此処ここにやって来て、今日は今日で、昨日ごめんなさいの挨拶とか、あとは秘密の偵察とか、って? あ⋯⋯」


 そしてうっかりと、”秘密の偵察“という言葉まで口にしてしまっていた。


(⋯⋯しまった)


 咄嗟に廊下の案内役の方を横目でうかがう。

 庭へと降りる草履を持っていない案内役は、足を庭に降ろしかけては引っ込めたり、また降ろそうとしたり、鎌足かまたりを止めに入るべきかひたすら思案に暮れている。

 どうやら距離があったのが幸いして、鎌足かまたりのこの失言は聞こえていなさそうだった。

 目の前の男の子や少女の方も、ぎこちなさすぎた鎌足かまたりの反応や仕草の方が面白かったようで、にこにこ無邪気に笑みを浮かべ続けている。

 鎌足かまたりが漏らした言葉の真意など、全く気にも止めていない様子だった。


 (⋯⋯ほっ)



 男の子は笑顔で鎌足かまたりに話続ける。


「⋯⋯うーん、よく分からないけど、またたくさん会える、ってことだよね? 良かったあ」


 話があまり理解できなかった男の子とは違って、少女の方は男の子よりは内裏だいりの事情に詳しく、また鎌足かまたりの言いたいことの一部が伝わったのだろう。

 少しかしこまった表情で、鎌足かまたりに優しく語りかけ、お辞儀をしてくれた。


「⋯⋯鬼から、私たちを守ってくださってるんですよね。本当にありがとうございます。中将ちゅうじょう様の代わりに明日から新しく東番をお務めになる御方がいる。そしてその御方は江戸から来られた方、そう今朝聞きました。それが貴女様だったのですね。確かお名前は⋯⋯」


「⋯⋯あ、草刈りの鎌に足って書いて、鎌足かまたりだよ」


 それを聞いた男の子はけらけらと笑った。


「えー? かまたり⋯⋯? 変な名前だなあ」


「⋯⋯でしょう? 名前を付けられた時、すっご〜く、嫌だったんだよ、お姉ちゃんも」


 男の子の素直な感想に、鎌足かまたりは笑顔でおどけた。


「さくちゃん? お姉ちゃんにそんな失礼な事を言っては駄目でしょう!」


 少女がすぐに男の子を戒めるものの、当の鎌足かまたりは男の子の発言をまるで気にはしていない。

 むしろ得意気に、にやりと微笑んだ。


「でもね、今ではすっご〜く、気に入ってるんだよぉ。大切な人から貰った名前だからね」


 少女からの注意と、鎌足かまたりの「大切な人から」という言葉。

 自分の失言に気づいた男の子は、申し訳なさそうな表情を浮かべながら鎌足に謝った。


鎌足かまたりお姉ちゃん、名前を笑ってごめんなさい。えっ、と⋯⋯、僕の名前は、さく、って言うんだ。さくら、って書いて、さく、だよ。七歳だよ」


 あどけなさが残るとはいえ、きっとしっかりした教育を受けているのだろう。

 きちんと非礼を謝る所も含め、男の子の育ちの良さがこの返事や態度からもうかがえた。


「私はね、十六歳。美しい桜って書いて、美桜みおって言うの。さくちゃんとは姉弟きょうだいなの。よろしくね」


(へぇ⋯⋯、二人とも桜の名前が付いてるんだ)


 鎌足かまたりは満開に咲き誇る、中庭の美しい桜の木々を改めて見上げた。


(今の季節にぴったりの名前だなぁ)


 年齢を告げてくれた二人に対して、鎌足かまたりは再び頭を掻きながら恥ずかしそうに答えた。


「私は十七歳? くらいかな。たぶん。⋯⋯へへ、改めてよろしくね」


「十七歳くらい? 可笑しいこと言うなあ」


 男の子⋯⋯さくは、まるで春のあたたかな陽射しのように、楽しそうに笑う。

 美しい少女⋯⋯美桜みおもまた、春のあたたかな風のように、優しく笑う。

 そしてそんな二人に囲まれた鎌足かまたりの顔にも、忍でもなく援軍の剣士でもない、十七歳の年頃の女子おなごらしい、爽やかで無邪気な笑顔が在った。



 しかし楽しい時間は、唐突に終わりを迎えた。

 会話がなかなか終わらないことに痺れを切らした案内役が、意を決して中庭へと降りてきたのだ。

 そして昨日と同じように慌てふためきながら、三人の会話に口を挟んできた。


「⋯⋯ッ、鎌足かまたり様! 昨日も言いましたが、この御二方おふたりとは気軽に話をするのは控えてくださいませんか! 私が怒られてしまいますゆえ。さあ、評議に用事がお有りなのでしょう、本来は禁じられてはいるのですが、代わりに特別に近くまででしたら案内あない致しますので。さあ! さあ!」


 ⋯⋯そしてまた鎌足かまたりの背中を無理やり押して、その場から遠ざけていった。


「⋯⋯ちょ、ちょっと、⋯⋯あ、案内役あないやくさんっ、お、押さないで、⋯⋯は、話の真っ最中なのに。⋯⋯は、はは。またこんなお別れになっちゃって、ごめん、今日はもう行くね」


「またね! お姉ちゃん!」

「また、お話しましょうね」


 これからも鎌足かまたりに会えることを、心から嬉んでくれているのだろう。

 廊下の角に押し込まれていく鎌足かまたりの背中が見えなくなるまで、昨日と同じように二人は笑顔で手を振り続けてくれていた。


「⋯⋯またね、さくちゃん、美桜みお!」


 鎌足かまたりもまた名残惜しそうに、二人の姿が見えなくなるまで懸命に手を振り続けていた。

 案内役あんないやくに押され、角を完全に曲がり切って、二人の姿が完全に見えなくなる。

 その途端、鎌足かまたりの手がぴたりと止まった。


(⋯⋯しめた)


 鎌足かまたりは実はこの時、姉弟二人に対しての純粋無垢な笑顔と共に、心の中では打算的な黒い笑顔も浮かべていた。

 

 それは、思いがけない案内役の提案に対する、忍としての“してやったり”の薄ら笑み。

 

 会話を止めに入った案内役。

 その言葉を聞いた瞬間、無邪気に微笑んでいた鎌足かまたりの心は、十七歳の女子から伊賀忍の小頭こがしらへと戻っていた。

 

(⋯⋯ふっ。よし。さくちゃんと美桜みおのお陰で、図らずも願いが叶ったぞ。⋯⋯帝や中将ちゅうじょうが居る評議の場の近くまで、上手く潜り込めそうだ)━━━━。







 ━━━━それから程無く。


 壁の装飾が一段と派手できらびやかになった通路を抜けた先。

 石塔に周囲を囲まれた中庭に面した、御所最深部の廊下。

 その廊下を少し進んだ先のかどの手前に、鎌足かまたりと案内役は立っていた。


 暮れ五つを告げる晩鐘が、再び内裏だいりに鳴り響く。

 ちょうど五つ目の鐘が鳴り終えた時、案内役が渋い表情を浮かべながら、重い口を開いた。


「⋯⋯鎌足かまたり様。この廊下の先が目的の場所。後はこのかどを曲がれば、此度こたびの評議の場、清涼殿せいりょうでんへと繋がっている回廊になります。もはやこの先においては帝の日常生活の場も兼ねていますので、我々のような下級の官吏は、立ち入る許可すら与えられてはおりません。さあ、もう暮れ五つ、今日はこれまでとしましょう。仲間の皆様も待っておられます。裏門へお連れ致します」


(⋯⋯この先に帝が。⋯⋯そしてあの中将ちゅうじょうが。⋯⋯村雨むらさめが!)


 鎌足かまたりの胸は高鳴った。

 無意識に足が前に出る。


(いやいや、何をしている、今日はここまでだ)


 そしてその足をすぐに止める。


 鎌足かまたりの脳内で、行くか戻るか、二人の鎌足かまたりが戦いを繰り広げていた。


(⋯⋯我慢しなきゃ。今日は時間が無い。⋯⋯でもこの機会を逃す手は、⋯⋯無い)


 そして最後は、誘惑が勝った。

 もしかしたら鎌足かまたりもまた、かつて村雨むらさめを欲した者たちと同じように、妖刀の魔力に魅入られていたのかもしれない。

 それ程までに、気持ちははやっていた。


御案内役あないやく殿、御配慮痛み入ります。⋯⋯ああ、なるほど、なるほど。この場所だけは絶体に鬼から死守せねばなりませんね。⋯⋯なら、この先を知ることも大事かぁ。⋯⋯あ、そうだ。⋯⋯あの、⋯⋯この角の先、ちらっと一目だけ、覗いてみても良いでしょうか?」


 鎌足かまたりは案内役に頭を下げて懇願していた。


「⋯⋯!? えっ、困ります、この先は」


「一目だけ、ちらっと、です。駄目でしょうか?」


「⋯⋯⋯⋯」


「大丈夫です、絶体に内密にしておきますから」


「⋯⋯⋯⋯」


「明日からこの京都御所を命を賭して守る、その大切な任務のためにも、ぜひ一見いっけんの機会を!」


 案内役は困り顔のまま、固まっていた。

 鎌足かまたりは熱を帯びた言葉を畳み掛ける。


「⋯⋯お願いです、どうか一目だけ」


 そして案内役は、鎌足かまたりの尋常ではない熱意を前に、⋯⋯遂に折れた。


 これがもし昨日だったならば、恐らく案内役は決して許可は出さなかっただろう。

 鎌足かまたりが、自分たちを鬼から守る役目の東番頭ひがしばんがしらに正式に決定している事や、二回目の案内で少し打ち解けていた事が大きな後押しになったのかもしれない。

 

「⋯⋯本当に、一目ひとめだけですよ?」


「(⋯⋯っ! よし!)、ありがとうございます。絶対に約束します」


 鎌足かまたりは案内役に改めて感謝を込めて深く深く頭を下げると、廊下の角に向かってゆっくりと歩みを進めた。



 ⋯⋯禁忌きんきの角。



 ⋯⋯あと、ほんの数歩。



 ⋯⋯こっそりと、覗き見るように。



 廊下をすり足で歩くように角へと歩み寄った鎌足かまたりは、角の向こう側に顔と半身だけを乗り出そうとした。



 ⋯⋯その時。



 何者かの影が鎌足かまたりの視界をよぎる。


 角を曲ってこちらに向かう人影と、覗き込む鎌足かまたり


 肩と肩がぶつかった。


「⋯⋯ッ!、と!?」


 思わぬ事態に鎌足かまたりの小声が漏れる。


 忍の本能が働く。

 ぶつかった瞬間には、鎌足は咄嗟とっさに後ろの中庭へと飛び退いていた。


(誰かとぶつかった?)



 鎌足かまたりとぶつかった人影は、廊下の角、目の前に佇んでいた。


 その人影は━━白紙の紙垂しでを飾られた白鞘しろさやを左手に握りしめ、薄墨うすずみ色と薄黄色を基調とした狩衣かりぎぬを纏う、⋯⋯少年の公家だった。



(⋯⋯何故なぜこんな場所に少年が!? しかも私よりも若い⋯⋯!?)



 烏帽子えぼしの下、まだ幼さを残したその顔立ちから、おそらくよわいまだ十五、十六歳くらいだろう。

 白粉おしろいもお歯黒はぐろも無く、背丈も鎌足かまたりよりも低く見える、よわい相当の物腰の柔らかそうな小柄な少年だった。


 その少年は、鎌足かまたり案内役あないやくの方を不思議そうに見つめながら、何も言葉を発することも無く、禁忌きんきとされた角でじっと佇んでいる。



 その姿に、案内役があからさまに狼狽うろたえ焦り、がたがたと震えながら呟いた。


「⋯⋯ッ!? ⋯⋯ひっ、⋯⋯ひ、くち少将しょうしょう、⋯⋯麒麟きりん様!?」


(えっ⋯⋯!? ⋯⋯この子供が、し、少将しょうしょう!?)


 案内役の異様なまでの萎縮と震える声、そして意外な言葉に、鎌足かまたりは驚いて目を丸くしながら、改めて少年を凝視した。

 

 その鎌足かまたりの視線に、少年がやんわりと表情を崩した。

 そして目を細めながら、鎌足かまたりに向かって優しくにっこりと微笑みかけた。


「⋯⋯は、はは。⋯⋯や、⋯⋯やあ、どうも。⋯⋯ご、ごきげんよう、⋯⋯し、少将しょうしょう⋯⋯、様?」


 鎌足かまたりが何気ない挨拶の言葉を呟いた、その時。

 少年は突然、その穏やかな目を大きく見開いた。



 ⋯⋯その瞳は、野に放たれた獣のように鋭く。



 そして凄まじい狂気をはらんでいた⋯⋯。



「⋯⋯ッ、たく、痛えな。⋯⋯誰だ、御前」━━━━。




第21話も最後までお読み頂きありがとうございました。

創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等もお待ちしています。

改稿履歴は全て誤字脱字等の訂正です。内容は全く変わっていませんので御安心ください。

次回、第22話「少将 麒麟」は、2月6日もしくは7日に公開予定です。

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立ち並ぶ美しい満開の桜の木々。  桜に映える、橋が架けられた美しい池。  そして暖かな春の息吹を浴びながら、枝からひらひら舞い落ちる桜の花弁はなびら。 もうすぐ桜の季節✿.•¨•.¸¸.•¨•.¸¸❀…
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