第20話 東番
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。幻斎に授けられた、七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸』を手に、鬼が現れた京都御所に援軍として派遣される。裏では朝廷側の探索の密命も帯びる。
甚左━━━━
伊賀組の中忍。江戸から京都へ派遣された四人の忍のうちの一人。鎌足の京都での補佐役を務め、鎌足からの信頼も厚い。剣の腕も立ち、いつも優しい人格者。
平次━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。手裏剣の名手。全国各地の情勢に詳しく知識が豊富。お節介焼きな性格で、鎌足の身だしなみには特にうるさい。
大吾━━━━
伊賀組の中忍。江戸からの援軍の四人の忍の一人。まだ若くて実戦経験に乏しく、武芸の腕もいまいち。真面目でひたむきな性格。京都では情報伝達が主な任務。
━━━━謁見の儀が開催された翌日、正午、午の刻。
鎌足たち伊賀忍の滞在する宿に、近衛大将兼季の親書を携えた、御所からの使者がやって来た。
帝の朱印も押されたこの親書によって、正式に鎌足ら伊賀の忍四人に御所の警護の任が伝達された。
大将である兼季の配慮によって、紫宸殿で鎌足が鬼切丸を投じた行為も、正式に不問となることが決まったらしい。
警備担当の正式な就任も鬼切丸の不問も、どちらも望む所では無いのだろうか、親書の内容を鎌足たちに読み上げる伝達役の使者の男は、ずっと苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
昨日、鎌足から謁見の儀での不始末と、その前後に起きた出来事の一部始終を聞いていた甚左たち三人は、任務の失敗と江戸への帰還を覚悟して、昨日の夕刻からこの伝達が来るまでの半日、終始どんよりと沈んでいた。
三人の中でも、自然と礼儀作法の担当になっていた平次は、特に生きた心地がしない程に不安だったようで、一晩中寝ることができなかったようだった。
いつもの明朗さは何処かへ消え失せ、この伝達を聞く直前まで、まるで魂が抜けたように顔面蒼白な状態だった。
それ故に、使者を見送った鎌足たち四人は顔を見合わせながら、ほっと胸を撫で下ろした。
「皆、本当にごめん。頭に血が昇っちゃった。反省してます。もうしません、たぶんしません」
「覆水盆に返らず。もう過ぎた事です。これを次に活かしましょう。でも胡散臭い公家たちの中で、唯一大将様が話のわかる善い方で良かった」
「小頭、本当に良かったですね! ⋯⋯あ、私は小頭の鬼切丸の武勇伝を聞いて、痛快な気持ちにもなりましたよ? 流石、やる時はやる小頭です!」
「こら、大吾。小頭をあまりおだてるな。とんでもない事を仕出かしてるんだ。きちんと反省してもらわないと。それにしても⋯⋯、お咎め無しで良かった」
「予想外の事態は起こっちゃったけど、何とか第一関門突破だよね。これも皆のお陰だよ、本当にありがとう」
「終わりよければ全て良し、ですか? ⋯⋯はは、小頭らしい。でも本当の任務は此処から始まるんですよ」
「そうですよ、甚左さんの言う通り。でも昨日落ち込んだ分、今日くらい京都の賑やかな花町で、ぱあっと愉しく過ごしたいなあ。小頭の健闘と謁見成功を祝して」
「こら、大吾、気を抜くな。早速警備の準備もしなくてはならないんだぞ。今できることを抜かりなく行って、小頭を精一杯に補佐する、それが我々の本分だ」
優しい言葉も厳しい言葉も。
かけてくれる言葉の一つ一つから、皆それぞれに鎌足の事を心から心配してくれていた事が、ひしひしと伝わってくる。
鎌足は今、目の前で嬉しそうに笑ってくれる三人を見て、昨日から引きずる不快感や靄としていた心が、じんわりと安らいでいくのを感じていた。
そして三人の想いと気遣いや手助けの全てに、改めて深い感謝の念を抱かずにはいられなかった。
(本当に皆が居てくれて良かった⋯⋯。私一人では絶対に乗り切れなかったよ)
伝達役の話によると、伊賀の御庭番衆たち四人に任された警備は、通称『東番』。
これは東西南北の名が付けられた当番制の四番のうちの一つで、元々は北番と南番を少将の位の武官が、東番と西番は中将の位の武官が、警備責任者である番頭を任されていたらしい。
今回の鎌足ら江戸から来た援軍の新たな割り当てのために、中将が差配する東西番の内の東番の方を、鎌足たちに譲り渡すことになった、とのことだった。
「そして警備する時間は、暮れ六つ前から明け六つ過ぎにかけて、だったよね。なら昼間は御所に訪れるのも難しそうだね。まあ、人の目が少ない夜間の方が内裏を探るには好都合か。でも”人“を探るのは難しいかも⋯⋯」
鎌足は昨日の謁見の際の最後の光景、暮れ五つの鐘を思い出していた。
あの公家たちの混乱ぶりを見ると、やはり陽が暮れてからが最も警戒すべき時間。
すなわち夕刻以降の陽が沈んでいる間に、羅生門が開いて鬼が現れることが多いのだろう。
「鬼は主に夜間に現れるのか。何か理由があるのかな」
「さあ? どうなのでしょう。探るべき点が山程有る割には、時間の猶予は無い。明日からが大変ですね」
「⋯⋯いや、平次、もう任務は始まっている。“今”からが大変なんだ」
早くも甚左が、任務の真っ只中にいるような真剣な表情で呟く。
親書の伝達によれば、肝心の鎌足たちの担当する東番の初日は、早くも明日とのことだった。
伝えられた当面の東番の期限は、僅か半年、九月末日まで。
四番の交替制⋯⋯四日に一度の番になると、期間は半年あるとは言え、実質的には一月と半しか御所内には入れないことになる。
表向きは御所を鬼から守る警備の役でも、朝廷の内情や公家たちの動きを探る密命も帯びているため、一日とて無駄にはできない。
まだ正午過ぎ。
明日の五つ過ぎの出仕を前に、皆で対策を話し合う余裕は十分にあった。
「⋯⋯よし、皆。じゃあ、明日に向けて、今日の残された時間をどう動くべきか。遠慮無く意見を聞かせてほしい。私は━━━━」⋯⋯。
⋯⋯一日、一刻でも早く朝廷側の偵察を開始する。
それが暫くの間、四人で色々と話あった結論だった。
まずは刀や手裏剣や鎖帷子など、武器や防具の装備を再確認する。
そしてその後は、昨日の非礼の詫びと東番就任の挨拶を名目に、再度京都御所を訪れてみてはどうか、という考えに行き着いた。
既に公に東番を任されている。
きっと昨日のような、ぞんざいな扱いはされないだろう。
今度は正門から堂々と四人で中へと入り、昨日は満足に確認できなかった各広間や小神殿、宝物庫や武器庫などを探索し、かつ徳川政権に否定な考えを持っていると思われる文官たちの調査、洗い出しを進める。
あわよくば昨日見れなかった帝の姿を確認できたり、その寝所近くも入り込めるかもしれない。
「⋯⋯よし、その作戦でいこう。⋯⋯もしもの時は私が案内役を引きつけるから。半刻程でも、四人で手分けすれば多少なりとも成果は得られると思う。⋯⋯いい? 昨日我慢できなかった私が言うのも何だけどさ。表向きはあくまで自然に、だよ。どんな嫌味な公家と話しても顔は笑顔で、舌は心の中だけで出すんだ」
四人は顔を見合わせ、頷いた⋯⋯。
⋯⋯それから一刻半(※3時間)の内には武具や防具の手入れは全て済ませ、鎌足たち四人は申の刻(※16時)前には再び京都御所の正門の前に立っていた。
今回は事前連絡の無い突然の訪問になるため、四人は改めて礼儀を重視し、鎌足は昨日同様に羽織袴、そして今日は同席する他の三人も相応の礼服を着込んでいる。
しかしその裏では、明日からの本番の戦闘を想定し、四人共が下に忍装束を着込み、小刀や手裏剣や苦無などの武器も潜ませていた。
一見して昨日と何ら変わりのない、鎌足の羽織袴姿。
しかしその羽織袴の下には、鎌足の意向も汲みながら、伊賀忍四人の知恵を結集した工夫が施されていた。
今日、鎌足が羽織っているのは大吾が調達してきてくれた、昨日よりも少し大きくて厚く、丈も長めに仕立てられた真新しい羽織。
この羽織から生じる膨らみが、鎌袋と鬼切丸を背中の腰の部分に交差させ潜ませるのに、大いに役立った。
かさばって昨日は外すしかなかった愛用の鎌も、今日は鎖の先端に装着ができている。
忍装束の派手な文庫結びの帯は勿論、刀と鎌の二つの武器を腰に仕込んでいるとは、一見しただけでは全く分からない。
「へへ、小頭、羽織だけじゃないですよ。腿にゆとりを持たせたその新しい袴、履き心地良いでしょ?」
理想の袴を調達できて得意気な大吾の隣で、鎌足と甚左も満足気な笑みを浮かべる。
太腿に出来た余裕のお陰で、鎌足は鎖もまたいつも通りに左脚にぐるぐる巻きにしてから、腰へと巻くことができていた。
そしてその上に履く新しい袴にも、甚左がちょっとした細工を施してくれていた。
袴の外側の左右には、目では見えない程に薄く、縦に切れ目が入っている。
もし鎖を必要とするような急な異変が起きても、この切れ目から袴を裂いて脱ぎ捨てることが可能で、すぐに忍の戦闘装束に戻ることができる仕様となっていた。
「⋯⋯にひひ。これで偽装はばっちり。ありがとう。やっぱり鎌があると安心するなあ。お腹も変な感じがしない。これなら急な“何か”があっても、すぐに忍装束に戻って鎖鎌を使えるよ。流石、甚左は伊賀の知恵袋だね」
「恐れ入ります。ですが小頭? 知恵“袋”もいいですが、まずはその鎌”袋“。なるべく使わないで済むように、今日は常に冷静を意識してないと駄目ですよ?」
「はは、上手いこと言うな、甚左さん。大丈夫ですよ、今日また鬼切丸を抜いたり、鎖鎌をぶん回したりなんかしたら、次こそは間違い無く死罪になっちゃいますよ、⋯⋯ははは、いくら怒りっぽい小頭と言えども、昨日の今日。それくらい流石に分かってますよ」
「大吾の言う通り。甚左殿、心配は無用。昨日、鬼切丸を抜いてしまった事は頂けなかったが、女子である事はしっかり隠し通したのだ。怒りを抑える冷静さもしっかり持っておられる。二度と同じ過ちはしないはずだ」
「⋯⋯⋯⋯」
鎌足は急に口籠った。
(⋯⋯う、し、しまった、謁見の時、実は女子ってばらしちゃったこと、皆に伝えるの忘れてたよ。⋯⋯死罪? ⋯⋯まずい、どうしよう。さっきは皆に対して、格好つけて自信満々に、”舌は心の中で出せ“なんて言ったけど、⋯⋯正直言うと、我慢できる自信、⋯⋯無い)
「⋯⋯ですよね? 小頭っ?」
「⋯⋯あ? ⋯⋯う、うん、は、⋯⋯ははは、当たり前じゃないか! し、心配無用だよ。⋯⋯よしっ、では、行ってくる。声もちゃんと低くして、今日もまた、日本の、⋯⋯だ、だ、男子として、この鎌足、立派に門番殿に挨拶してくるでござる」
鎌足は三人に背を向けて逃げるように、ぎこちなく正門へと向かっていく。
「⋯⋯小頭、どうしたんだろう?」
甚左たち三人の顔に疑問符が浮かぶ。
首を傾げて、心配そうに後ろから見つめる甚左たち三人を余所に、正門の前へと凛と立ち尽くした鎌足は、昨日と同様に力強く叫んだ。
「頼もーう!!」
その唐突な挨拶の言葉に、昨日とは違って声の聞こえる距離で見ていた甚左と平次が、目を丸くして慌てて鎌足を止めに入った。
「こ、小頭!? な、何を⋯⋯!? そんな恥ずかしい挨拶はお止めください!」
「お、おいっ!!」
「え? 何で? 昨日はこの挨拶で問題無かったよ?」
揉み合う三人を面倒臭そうに見つめながら、昨日と同じ門番が正門横の詰所から顔を出した。
「⋯⋯? 何やいきなり。誰や、⋯⋯あ、昨日の⋯⋯、また江戸の御使者様か。すんません、昨日も言うたけど、こちらは従五位以上のお公家はんしか通られへん。⋯⋯また裏門に回っておくれやす」
「⋯⋯は?」「⋯⋯は?」「⋯⋯は?」
⋯⋯そして四人は、また裏門へと回された。
(⋯⋯またか)
四人それぞれに心の中で愚痴を呟く。
苦々しい表情を浮かべながら、やれやれと四人で裏門に回ろうと歩き始めた⋯⋯。
⋯⋯その時。
正門から大通りを二十歩ほど進んだ鎌足たち四人は、御所の正門へ向かって悠然と歩いてきた、一人の公家とすれ違った。
その公家は、齢二十代半ばくらいだろうか。
凛々しく鋭く、前を見据えた瞳。
美しく整った顔立ちに、長い髪。
衣からふわりと漂う、香の香り。
そして優雅で落ち着いた佇まい。
白粉もお歯黒も見られず、前髪の下ろし方も口紅の付け方も、その容姿の全てがまるで昨日の文官たちとは異なっている。
明らかに近衛大将同様、位の高い武官に見えた。
(わぁ⋯⋯)
そして何より鎌足を釘付けにしたのは、その公家の左腰横に吊るした刀の素晴らしさ。
今まで鎌足が見たこともない豪華な彫りや装飾が施された、妖しげな煌めきを放つ鞘だった。
納刀されているので、刀身は見えない。
だが鞘だけでも、とにかく目を奪われた。
魂を奪われた。
⋯⋯と言っても良いのかもしれない。
ほんの一瞬のすれ違いだったが、確かに鎌足の中で刻が止まっていた。
そんな鎌足の熱を帯びた視線を感じたのか。
すれ違う瞬間、その公家の目線も一瞬だけ、鎌足へと向けられた⋯⋯。
⋯⋯気がした。
(この公家の男、刀。⋯⋯只者ではない)
鎌足の本能は、そう直感していた。
(誰だろう⋯⋯、夕刻、暮れ六つも近づく今から正門に? 出仕なのかな? ⋯⋯ということは、今日の警備は確か南番だったな。⋯⋯南番の誰か、か?)
鎌足は立ち止まり、公家の後ろ姿を目で追った。
すれ違った公家の男は、先程の門番に何ら咎められることもなく、鎌足が今しがた断れたばかりの正門を素通りして、御所の中へと入っていく。
(南番は、確か少将の誰かだったな)
「⋯⋯どうしました? 小頭?」
鎌足は頬を紅潮させながら、振り返った甚左に慌てて問いかけた。
「甚左、少将って言ったらさ、偉さはどれくらい?」
「偉さ⋯⋯? ああ、位階のことですね。確か通常は従四位下か従五位あたりだと思いますよ」
「従四位下か従五位⋯⋯」
正門から入ることができるということは、あの男は従五位以上の高い位階の公家に違いなかった。
(あの人、やっぱり少将様だ)
思うより先に鎌足の足は動いていた。
「あ⋯⋯、小頭、何処へ行くんです!?」
唖然とする甚左たち三人をその場に残したまま、鎌足は一人で正門前に駆け戻ると、門番の男に即座に問いかけていた。
「⋯⋯あ、あの! 門番さん。門番さん。今しがた此処から入っていったお美しい御公家様は、何と言う御方ですか? もしかして今日の南番の警備をされる少将様ですか?」
「はあ⋯⋯? ⋯⋯南番? ⋯⋯少将様? ⋯⋯ああ! ⋯⋯あっはっはっはっは」
「え? 違うんですか?」
「今の御方は南番の樋ノ口少将様やないよ。あの御方はな、東番と西番を任されとる、不知火中将綾麿様。この御所の武官の中で、間違い無く一番お強い御方や」
「⋯⋯不知火中将、⋯⋯綾麿、⋯⋯様」
「⋯⋯あ、でも今日からは西番だけやけどな。今日は警護でのうて、月に一度の帝を交えた軍事評議の日なんや。⋯⋯うーん、それにしてもあんな強うて凛々しくて頼りになる御方から、東番がなあ⋯⋯、江戸の御使者はんに変わってしまうとは。悪いけど本当に残念やわ」
門番は鎌足の頭の先からつま先まで、まじまじと見つめながら、深い溜め息をついた。
「⋯⋯す、すみません」
鎌足は何故か無意識に謝っていた。
あの綾麿という名の中将から漂う気概や気品に、既に気圧されてしまっていたからなのかもしれない。
「それに誰かはんが東番に割り込んできたお陰で、本来の四月の番の割り振りが、全て組み直しになったんや。今日は当初の予定なら、中将様の東番。今朝になって急遽、今日の警備担当は少将様の南番に変更や。あまりにも急な変更でな、少将様もえらく不機嫌そうやったで。⋯⋯まあ、正直に言わせてもらうとな。門の通行を管理する儂もえらい迷惑やわ」
「⋯⋯か、重ねて、す、すみません」
続けざまの門番の愚痴に、鎌足は再び謝った。
口では謝罪を述べながらも、その頭の中に浮かぶのは、先程の綾麿の悠然と歩く姿。
(⋯⋯あの男は、果たしてどれ程の使い手なのか)
そして心を奪われた、あの謎の刀への興味でいっぱいだった。
「⋯⋯あ、あと! その中将様が腰に下げていたあの刀は? その銘は? ⋯⋯鞘だけでその凄さが伝わります。音に聞こえた名刀のようにお見受けしたのですが」
「⋯⋯ああ! 御使者はん、目が利くねえ。あっはははは、凄い刀やろ。あれが鬼をも斬る伝説の妖刀、強い”にわか雨“を意味する、“村“に“雨”と書いて『村雨』やで。ついこの間もな、御所で暴れ回って大納言様の御命を狙った悪い鬼を、中将様があの『村雨』でもって、一刀両断に斬り伏せたんや!」
「⋯⋯村雨、⋯⋯鬼を斬る刀?」
「いやもう、最近の京の町はな、あの村雨の活躍の話と和歌でもちきりや。今一番の流行り歌や、知らんか? ⋯⋯ああ、そっか、あんさんは江戸もんやし知らんかぁ? はははは、なら儂が教えたるわ、えっとな⋯⋯」
鎌足は、この京都で今までに何度か聞いた、『村雨』という言葉を思い返していた。
(⋯⋯不知火中将綾麿、か)
すれ違った際、綾麿は確かに此方を一度見た。
確証は無かったが、何故か不思議と今はそう思えてならなかった。
その時に感じた綾麿の瞳の輝きも、目にした腰の村雨の鞘の輝きも、鎌足の頭に焼き付いて離れない。
(江戸、徳川幕府にとって、あの公家の男は危険人物かもしれない)
それは忍としての“直感“だった。
その直感が今、鎌足に危難の前触れを告げていた。
(嫌な胸騒ぎがする。悪いけど、鬼との戦いの後、⋯⋯いや最中か。待て、いやいや、前になるかもしれない。鬼の出方次第かもだけど、⋯⋯考えや動き、強さを探りながら隙を見て、あの男は、中将は⋯⋯、⋯⋯もしかしたら、早めに殺さなければならないかもしれないな)
鎌足の胸の奥が疼く。
熱くじわりと沸き上がってくる使命感。
そして冷たくぼんやりと浮かび上がってくる、中将に対する穏やかではない感情。
(⋯⋯あ、もし一人消えたら、私たちの警備の番の回数も増えるのかなぁ、それなら尚更⋯⋯、でも⋯⋯、⋯⋯いや、⋯⋯うーん、どうするべきか)
頭にちらつくのは⋯⋯“暗殺”の二文字。
「門番さん、ありがとう⋯⋯」
鎌足は顎に手を当て、険しい表情を浮かべたまま、門番の元を離れていった。
この時、綾麿と村雨のことしか頭にない鎌足の耳に、門番の声は全く届いていなかった。
門番もまた、既に声が聞こえない程にまで遠ざかってしまっている鎌足には構うこと無く、調子に乗って目を瞑り悦に入りながら、抑揚や旋律を付けた和歌の詠みを得意気に続けていた。
「宵待ちのぉ〜 霧に匂えるぅ〜 知らずの火ぃ〜 胸ぞ焦がれしぃ〜 天の村雨ぇ〜⋯⋯、でな、その他には、こないな歌も、村雨の和歌に負けず劣らず流行りやなあ。⋯⋯弓月の、⋯⋯満ちては⋯⋯欠けて⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯その口ずさまれた和歌は、六つを数えていた━━━━。
第20話も最後までお読み頂きありがとうございました。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等もお待ちしています。
次回、第21話「再会」は、2月3日に公開予定です。




