第18話 閻魔宮
━━━━閻魔王が亡者の生前の罪を審判する場、そして全地獄の蒼鬼と紅鬼を統率し、地獄を統治する本拠。
それが『閻魔宮』と呼ばれる宮殿だった。
血の池、針の山、賽の河原など、蒼と紅の鬼たちが罪人に罰を与え、痛め続ける八つの地獄すなわち━━等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻、の八つ、閻魔宮はこの八大地獄の入り口、全ての地獄が見渡せる泰山の山頂に荘厳に聳え立っていた。
人間の血管の色である蒼と紅を基調とした極彩色のその巨大な宮殿は、亡者たちの騒乱や鬼たちの反乱を防ぐために、鬼の怪力や念力ですらも決して破壊できない、『閻魔鋼』と呼ばれる強固な材質で建造された、巨大な城壁と城門に守られていた。
この世とあの世の境目である、三途の川や黄泉比良坂とも直接に繋がっているこの閻魔宮を、生前に大罪を犯した亡者は必ず通ることになる。
そして閻魔宮内の審判の間において、閻魔王による生前の行いの厳しい追及や裁きを受けた後、どの八大地獄に堕ちるのかが決められる。
そしてこの地獄には、何千年、何万年と変わらない、絶対不変の体制があった。
閻魔王を頂点とし、罪状を記録する「司録」と呼ばれる役目を蒼鬼の総大将が務め、罪状を読み上げる「司命」と呼ばれる役目を紅鬼の総大将が務め、閻魔王を補佐する、という事。
そしてその下に、八大地獄それぞれを蒼鬼と紅鬼で均等に分けて、管理統括が行われる。
この閻魔王を中心とした縦と横の構図、すなわち蒼と紅の拮抗した体制こそが、この閻魔宮や地獄に永遠の繁栄と、人間達の死後の世界への想像に畏怖をもたらす、絶対的な構図だった。
鬼の生来の独占欲と好戦的な性分により、蒼鬼と紅鬼は地獄の創世の頃から、永い敵対関係にあった。
人間でも強大な力があり志が同じ者同士、“個体”が“集団”になれば、尚更に強大な力を手に入れ、増長された攻撃性や思考を持つことになる。
凶暴な鬼の派閥ならば尚更だった。
強大な蒼紅二派、この直接の激突による地獄の混乱を避けるため、閻魔王の監視と絶対的権威の下で、全てにおいて蒼紅両鬼を対等に扱う配慮が恒久的に図られていたのである。
しかし今、そんな蒼と紅の均衡の体制は、唐突に崩壊の時を迎えようとしていた。
閻魔王による、蒼鬼と紅鬼の日本侵略を許可する詔の発布。
それはすなわち、蒼鬼と紅鬼の日本争奪戦、全面抗争が容認されたということを意味していた。
そしてその地獄を揺るがす詔の後、均衡を崩した全ての元である閻魔王は黙して何も語らず、そして閻魔宮の門も突然に固く閉ざされたのである━━━━。
━━━━《⋯⋯気になってこの眼で直に確認を⋯⋯と思い来てはみたが、どうやら詔の件、そして閻魔宮の閉門の話、どちらも本当らしいな。行き場を無くし彷徨う罪深き亡者どもで溢れかえっている》
泰山閻魔宮の閉ざされた城門、そして地獄の入口でもある黄泉比良坂を共に見下ろせる小高い丘の上で、亡者たちの群れを眼下に、鎧武者姿の男が呟いた。
まるで戦国時代の合戦の最中のような、全身に深い蒼色の鎧と兜を纏ったその男は、腰に禍々しい重装の刀を一振り差していた。
顔に付けた防具━━“面頬”によってその顔色は伺い知ることはできないが、兜と面頬の隙間から覗く蒼みがかった眼と銀色の瞳が、この男が人間ではなく鬼であることを示していた。
その鎧武者の蒼鬼の隣には、俗に格衣と呼ばれる薄蒼色の神事服に身を包み、長い髪を逆立たせた妖美な容貌が印象的な、人間の齢にしてまだ二十歳半ば程の若い男が佇んでいた。
この男も人間に見えるが、やはりその目は蒼みががっており、銀色の瞳をしている。
そしてその額には、二本の角があった。
この二人の男は、そのどちらもが蒼鬼。
しかも最上級の強さを誇る鬼━━『修羅』だった。
問いかけられた格衣の蒼鬼も、問いかけた鎧武者の蒼鬼も、どちらもその表情は厳しい。
閻魔王の詔が発布されたこの状況を今だ完全には理解できず、実際に閻魔宮を前にしながらもまだ半信半疑といった様子だった。
《⋯⋯そのようだな。しかし何故に今更ながら。閻魔王様は、あれほど人間界への本格侵攻には反対し、我々蒼鬼と紅鬼の争いも抑えつけていらしたのに》
《日本の侵攻、そして紅鬼との侵略勝負、これは大いに結構。⋯⋯しかし七十年前に失敗に終わった紅鬼の侵攻を経て、次の日本侵攻は本来は我々蒼鬼の番のはず》
《ああ、その通りだ。思いがけず早く封印が解けた蒼の羅生門本道。そのために蒼極鬼様の差配の下、この二月近く着々と準備を進めてきたのだがな⋯⋯》
《⋯⋯七百三十三年前の例の紅鬼の造反以来、交互に日本を攻めざるをえない状態にはなったが、それが図らずも蒼鬼と紅鬼の均衡を保ってきた。元々前回侵攻に失敗した紅鬼の羅生門は、少なくとも三百年前後は解けないように封印されているはず。その均衡を今、この好機に崩されたのは、⋯⋯正直な所、大いに腹ただしい》
《蒼将鬼よ。ならば閻魔宮で直接に閻魔王様に意図を聞いてみてはどうだ? 数々の武勲を持ち、信頼もある蒼将鬼ならば、きっとすぐにお会いできよう?》
《実はな、蒼賽鬼。閻魔宮には真っ先に詔の再度の確認と、閻魔王様への面会を申し出たのだ。⋯⋯しかし、返事は一切無しだ。拙者と会うつもりなど無いと見た。このような事態は初めてだ》
《鬼の中でも相当の位と実績のある蒼将鬼でも断られたのか? 一体あの宮殿の中では何が起きているのだ? 閻魔王様のお考え、私とて今回ばかりはとんと読めぬ》
二鬼の蒼鬼は厳しい表情のまま、閻魔宮を見つめ続けていた。
⋯⋯その時。
そんな蒼鬼たちの背後の岩山の陰から、唐突に現れた二つの影があった。
《⋯⋯ん、おやおや? 蒼鬼の『修羅』の方ではないですか。どうやら貴方がたも我々と同じ考えのようですね。⋯⋯閻魔宮の様子を探りに来ましたね?》
《⋯⋯なあ、紅呪鬼よぉ。閻魔王様の詔はもう出されてるんだろう? 此処で見つけたのは好都合。折角だし今この場でこいつらまとめて殺っちゃおうぜ?》
⋯⋯それは薄ら笑いを浮かべる落ち着いた雰囲気の妖しい男と、見るからに好戦的で目つきの悪さが印象的な美しい女だった。
男は齢三十過ぎといったところか。
両腕をそれぞれ衣の反対側の袖に入れて悠然と構え、官吏のような佇まいで、一見して武器や武具などは一切持っていない。
対して、紅を基調とした派手できらびやかな戦闘用の衣に身を包み、長い髪を後ろで結んだ美しい女の方は、まだ相当に若い。
人間の齢で言うと二十歳程に見えた。
そして丸腰に見える隣の男とは違い、その女は恐ろしい武器を背負っていた。
それは通常の刀よりも重くて長い、刀身は六尺六寸(※約2m)はゆうに越える、俗に”野太刀“と呼ばれる刀である。
一見して共に人間には見える。
しかし決定的に違ったのは、二人共に薄っすらと目は紅く、銀色の瞳。
そして額に生えた二本の角。
その男女もまた人間ではなく鬼。
しかも蒼鬼二鬼と同様に、妖力も剣力も最上位である人形の鬼━━紅鬼の『修羅』だった。
《⋯⋯男のほうは紅皇鬼の側近、紅呪鬼か。そしてその長い刀は⋯⋯、なるほど。隣の女は紅斬鬼だな》
蒼将鬼は、表情が読み解けない面頬から、鋭い目だけをぎらりと覗かせて、淡々と言葉を吐き捨てた。
その隣で蒼賽鬼も、目を細めて眉間に皺を寄せ、無言のまま紅鬼の二鬼を睨んでいる。
一方、紅鬼の紅呪鬼は、蒼将鬼の冷徹な視線や、蒼賽鬼の圧の籠もった視線を、まるで気にも留めていない素振りで淡々と話を続けた。
《それにしても驚きましたな。私も閻魔宮に来てみるまでは半信半疑でしたが、詔はやはり本当の話らしい。ふむ、とすれば⋯⋯、遠慮は無用。貴方たち蒼鬼との日本征服合戦。これは絶対に負けられませんな》
《紅呪鬼さぁ? 長話はどうでもいいからさ、もう良いだろう? 早く殺っちまおうよ》
紅斬鬼は、仲間である紅呪鬼の話すらろくに聞こうともせずに、背中の野太刀の鞘に手をかけながら吠えた。
その声から伝わってくるのは狂気的な殺意。
美しい顔に似合わず、紅斬鬼の自己中心的で好戦的な性格が垣間見えた。
《⋯⋯紅斬鬼よ、亡者を見下しながらいつも嬉しそうに罪状を読み上げている紅皇鬼に似てきたな。総大将が口だけの薄っぺらな総大将なら、配下も配下で同じか。身の丈に合わない愚かな言葉は己を滅ぼすぞ》
《⋯⋯あぁ? 今、何て言った? てめぇ》
蒼将鬼の挑発に、紅斬鬼の声と目つきは、更に鋭いものへと変わる。
早くも怒りの限界を迎えたのだろう。
背中に背負う鞘から野太刀を荒々しく一気に抜き去ると、その重厚な刃の切っ先を蒼将鬼の面頬へと向けた。
《⋯⋯先に言っとくが、間合いなんて関係ないぜ》
蒼将鬼と紅斬鬼、互いの間合いは四間程(※約7〜8m)はあった。
一足飛びでは攻撃が届かない距離である。
しかし紅斬鬼は、何故か間合いを何一つ気にしていなかった。
むしろ蒼将鬼の喉元に直接に刃を突きつけているような、勝ち誇った表情にすら見える。
そして紅斬鬼の嘲笑と呼応するように、かざされた野太刀の切っ先は、まるで陽炎のように不気味に揺らめいていた。
《⋯⋯⋯⋯》
野太刀から得体の知れない何かを感じ取ったのか、蒼将鬼は紅斬鬼を睨み返したまま動かない。
蒼将鬼の隣の蒼賽鬼も、依然として一言も発しない。
鋭い視線の刃だけを、紅斬鬼と紅呪鬼に向け続けていた。
《さあさあ! どうした? 早く私と殺り合おうぜ!》
沈黙の蒼鬼たちとは対照的に、紅斬鬼の罵りと挑発は止む気配が無かった。
重量のある野太刀をいとも軽々と撓らせて空を斬り、そして肩に置くように構え直し、余裕と自信を見せつけている。
⋯⋯その時、紅斬鬼の隣から意外な声が飛んだ。
《⋯⋯こらこら、落ち着きなさい。もう良いでしょう、紅斬鬼》
⋯⋯三鬼の睨み合いをまるで興味も無さげに静観し続けていた、紅呪鬼からだった。
《散々罵って気が済んだはずでは。紅皇鬼様に無断で、こんな閻魔宮の目と鼻の先で騒ぎを起こしたら、後でどんなお叱りを受けるか分かりませんよ? 閻魔王様にも失礼。場を改めた方が良いと思うのですがね?》
《あん? なら我慢しろ、ってことか? ⋯⋯ふん、あいにく私は我慢するのが一番苦手でね、出来ねえよ!》
紅斬鬼の好戦的な殺気は、今や蒼将鬼だけには留まらず、隣の蒼賽鬼にも向けられていた。
この血気盛んな女鬼は、今すぐにもこの永年の宿敵、蒼鬼に斬りかかりたくてたまらない、といった様子だ。
《⋯⋯刃を向けたまま、待てど暮らせど攻めてこない、か⋯⋯。ふっ、実は拙者たちの力を恐れているのではないのか? 紅斬鬼》
沈黙を破り、蒼将鬼が口を開いた。
案の定、間髪入れずに紅斬鬼が反応する。
《何だと!? てめぇ、もう一回言ってみろ!!》
蒼将鬼は、顔面を紅潮させる紅斬鬼を鼻で笑った。
そしてついに腰の刀の鍔に軽く手をかけた。
《御主ら紅鬼たちが望むならいつでも戦いには乗ってやろう。だが今は蒼極鬼様への閻魔宮の報告が先だ。それに詔が出ている以上、焦らずともまたすぐに相見える日は来よう。⋯⋯我が武を讃えられ、閻魔王様から直々に拝領した、この閻魔刀。斬れ味を身をもって味わえる日を今から楽しみにしているが良い》
《⋯⋯ほぅ、なるほど。貴方の腰に下げているのが、噂の『泰山閻魔刀』。閻魔王様の絶大な力や念が込められ、たった一振りで百鬼すらも斃す力を秘めていると言われる、地獄でも五本の指に入る魔剣ですか?》
紅呪鬼は袖から腕を抜いて顎に手を当て、蒼将鬼と腰の閻魔刀を感慨深げにじろじろと眺めた。
《閻魔刀だぁ? はっ! 面白えじゃねぇか、私の紅の野太刀『鬼紅葉』はな、幾千万の罪人の血を吸ってきた自慢の一振りだ。どちらの刀が上か、何なら勝負してみるか? え? 蒼将鬼のおっさんよ!》
紅斬鬼は、よほど『鬼紅葉』と自身の剣腕に自信があるのだろう。
生来の好戦的で勝ち気な性格に加えて、今はその口の悪さも功を奏した。
《この泰山閻魔刀を愚弄するか、紅斬鬼?》
遂に蒼将鬼が紅斬鬼の挑発に反応して、一歩前に出ようとした時だった。
今までずっと隣で黙っていた蒼賽鬼が、蒼将鬼の胸に腕をかざして、前へ出ようとするその動きを制止した。
《蒼将鬼、蒼鬼の副将格である御主がわざわざ出るまでもない。私がこの性悪で短気な女鬼を懲らしめてやろう。なに、賽の運命の下、一太刀か二太刀で終わる》
《おっ、やるか》
紅斬鬼が嬉々とした笑みを浮かべる。
紅斬鬼にとって、憎い蒼鬼が叩きのめせるのならば、相手はどちらでも良かったのだ。
《紅呪鬼よ、こいつら一太刀か二太刀を御所望だとよ。向こうも乗り気なんだ。いいだろう? 殺るぜ、一太刀か二太刀、だ》
紅呪鬼からの問いかけを受けて、紅呪鬼の視線が蒼賽鬼へと向けられる。
蒼賽鬼は、紅斬鬼に負けず劣らず、自信に満ちた薄ら笑みを浮かべている。
⋯⋯目は口ほどに物を言う。
蒼賽鬼の妖しく煌めく銀の瞳は、紅呪鬼に対して、《口出し無用、止めるな》と言っていた。
その姿を前にしては、紅呪鬼も折れざるをえない。
やれやれといった表情を浮かべ、溜め息と共に紅斬鬼に向かって軽く頷いた。
《仕方ないですね、二太刀まで、ですよ》
《⋯⋯よしっ。⋯⋯そうこなくっちゃ。⋯⋯ふふふ》
《⋯⋯という事で、そちらも良いですね? 蒼将鬼?》
紅呪鬼の問いかけの視線を受けて、蒼将鬼も同じように小さく頷いた。
⋯⋯その頷きが戦闘開始の合図となった。
蒼賽鬼は蒼将鬼の前へとゆっくりと歩み出る。
《⋯⋯蒼将鬼よ、泣く子も黙る賽の河原の番人、この蒼賽鬼。こんな野太刀には決して負けぬ》
蒼賽鬼は、衣の右の袖から賽子を一つ、右掌の中へと滑り落とした。
その賽子は異様だった。
人間界の賽子よりも一回りは大きく、賽の目が髑髏の柄をしている。
蒼賽鬼は、その禍々しい賽子を人差し指と中指の間に挟んだ。
⋯⋯と同時に、賽子を持つ手を大きく振り上げた。
不意打ちの飛び道具だろうか。
蒼賽鬼の掌の中にあった賽子は、紅斬鬼の顔面に向かって勢いよく飛んでいく。
紅斬鬼は首を軽く捻り、いとも簡単に賽子の奇襲を避けると、怒りと呆れを顔に滲ませながら、蒼賽鬼を鋭く睨みつけた。
《⋯⋯へっ、何だ、そんなちっぽけな賽子》
的を外した賽子は、紅斬鬼の背後の岩に当たり、大きく跳ね返った。
そして乾いた血のような赤土の地を転がっていく。
《⋯⋯謝ってももう手遅れだ、⋯⋯賽は投げられた》
転がる賽子を眺め、紅斬鬼を嘲笑いながら、蒼賽鬼はその銀の瞳を大きく見開いた。
《ではいくぞ。紅鬼の女。さてさて、『獄門修羅賽』。此度はどの目が出るか、愉しみだ》━━━━。
第18話も最後までお読み頂きありがとうございました。
当初2話投稿予定でしたが、本日は1話だけになります。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等もお待ちしています。
★次回、第19話は1月29日に公開予定です。




