第17話 中将 綾麿
━━━━京都御所内、紫宸殿で江戸からの使者が謁見している間、紫宸殿に程近い中庭の池の傍に、刀を手に烏帽子と狩衣を纏った一人の公家の男が立っていた。
近くの桜の木と水面を見つめながら、静かに刻を過ごしている。
この男の顔には白粉は無く、また御歯黒も無い事から、文官ではなく武官なのだろう。
歳は二十代半ばくらいだろうか。
長身で長髪、すらりとした風貌、そして落ち着いた雰囲気。
落ち着き、という点では近衛大将兼季にも重なる点があるが、気さくで実直な兼季に比べると、この男は話し掛けにくい、ただならない妖艶な雰囲気を纏っていた。
その男が左腰に吊るしている刀が、また独特の異彩を放っていた。
今は納刀しているため厳密に言えば、その柄、鍔、下緒、そして鞘。
唐鍔と呼ばれる繊細な装飾が施された鍔。
雅な朱に彩られた、鞘に巻き付く長い下緒。
そして金色と白の斑の柄。
どの部分をとっても見事なまでに美しい。
中でも鞘は別格だった。
柄とも繋がるように金色を基調として、所々に青と赤の美しい線が施されたその鞘は、鳳凰の羽ばたきを描いた豪華絢爛な彫物と、蒔絵が施されている。
いずれの部位も眩いばかりの輝きを放っていた。
京都や江戸だけでなく、異国の物珍しい物品が日々流れ込んで賑わう大坂の町中や港を歩いても、まず間違い無く同じ刀は見られないだろう。
「⋯⋯っ! いらした、中将様っ!」
恐らくこの男をずっと探していたのだろう。
池の傍に佇んでいる男の背中を見つけた、二十歳前後の公家の若者が一人、遠くから走り寄ってきた。
この若い公家の男にも、白粉や御歯黒は見られない。
更に腰に刀を帯びている事から、この若い公家も武官だと思われた。
そして急ぎ駆けつけた後は、池を見つめる男の後ろで片膝をついた。
「⋯⋯中将様、此方にいらっしゃいましたか。ずっとお探ししておりました。私だけではありません、近衛大将様も刻限の間際まで中将様を探しておられました。紫宸殿での江戸の御使者との謁見の儀、もう既に始まっております。あの⋯⋯、中将様は御参列されなくてもよろしいのですか」
中将と呼ばれた男は、身動き一つしない。
美しく咲き誇る桜の枝にとまる小鳥の囀りや、波一つない静かな池で優雅に泳ぐ鯉など、春の風流にその身を委ねたままだった。
そして暫くの沈黙を貫いた後、跪く若い公家を一瞥もせずに背を向けたまま、ようやく口を開いた。
「構わぬ、捨て置け」
「し、しかし、此度の謁見の儀、諸大臣様や諸納言様の代わりとして、文官は従六位の御方まで、武官は中将様まで、当該の全ての皆々様の参加が通達されております故。近衛大将様から前もって念押しの遣いの者も来ておりました。中将様も参列せねば、その体裁が⋯⋯」
「⋯⋯構わぬ、と言うておる」
中将は今度はその若い公家を遮るように、やや強めに言葉を返した。
「はっ、⋯⋯ですが」
若い公家の男は畏まりながらも唇を噛み締め、まだ何かを言いたそうにしている。
中将と言えば、武官では大将に次ぐ位であり、何時の時代に於いても、官位は少なくとも「従四位上」以上に相当する。
一国の藩主に匹敵する品位だった。
この若い公家の身分は、この中将より遥かに下の位、役職にしてまだ一介の警護兵なのだろう。
若い公家が口籠っている様子を背中で察した中将は、一度軽い溜め息をついた後に、再び口を開いた。
感情の希薄な、淡々とした声だった。
「⋯⋯まあよい、言うてみよ」
「⋯⋯は。はっ、で、では失礼して。⋯⋯日毎夜毎に鬼と戦い、戦力を削がれていく私たちにとっては、江戸からの御使者は、かねてから敵対しているとは言え貴重な援軍。誰よりも内裏を守り続け、武芸に秀でている中将殿だからこそ、むしろ気にはなりませぬか。御使者の剣腕を、強さの程を。果たして鬼と対等以上に戦える者なのかどうか。そして共に戦い、帝の御命をお任せするに値する者なのかどうか」
若い公家は、真摯な表情で中将に問いかけ続けた。
「それに、私は新参者であるが故にそうは思っていはいませんが⋯⋯、此度の援軍はあくまで儀式的なもの━━文官の皆々様の中では、そのような意見が主であるのは重々知っております。江戸に親書を送る事すら否定的な方も多数おられました。しかし我らが近衛大将様は、江戸徳川殿からの援軍には相当に前向き。否定的な方を説得し、帝に進言してまで、親書を書かせたとも聞いております。武官の長である大将様の作戦や指示に従い、鬼から御所と京都を守るのが私たちの一番の責務。それ故に尚更私は気になるのです。共に戦うことになった場合、その江戸の御使者の人となりが、その強さが⋯⋯」
中将は身動き一つしない。
若い公家の熱い問いかけにはまるで興味は無さそうに、表情も何一つ崩さなかった。
一通りを聞き終えた中将は、背中を向けたまま淡々と言葉を返した。
「⋯⋯麿は鬼を憎んでいる」
「はっ?」
「だが⋯⋯、その憎き鬼どもに次いで、今の徳川もまた憎んでいる」
「⋯⋯は、はい」
「本当に心の底から憎たらしい者どもだ。そのような憎き江戸者を相手に、この中将綾麿、わざわざ礼を尽くし会いに出向く義理など、一切無い」
「⋯⋯し、しかし」
「案ずるな。麿は、既に此処でその使者の影と会うていた。⋯⋯やはり所詮は徳川の犬の剣。全くもって笑止。犬の剣ならば、やはりその腕も大した事はなかったわ」
「⋯⋯は?」
「真に腕の立つ強き者ならば、この離れた地においても麿に感じさせるはずだ。⋯⋯尋常ならざる闘気、氣の乱れを、な。⋯⋯しかし、見よ。この鳥を、鯉を。今の麿と同じだ。まるで何事も無く、囀り、泳いでいる」
若い公家が目を移した先の木々や池には、どこまでも優雅でのどかな春の景色が広がっていた。
「それは離れながらにして相手の強さを推し量る⋯⋯、ということでしょうか。⋯⋯っ、流石、この内裏で並ぶ者無きと皆が口を揃える剣豪、中将様。その御考え、読みの深さ、一介の凡人である私などが到底及ぶ所ではありませぬ。⋯⋯し、失礼致しました」
若い公家は、中将に対して更に深く頭を垂れた。
実際は中将の言葉に半信半疑だったのかもしれない。
これ以上進言しても何も聞き入れてはもらえない、と考えたのかもしれない。
ただ、この中将の口から発せられる言葉と声、確固たる信念を感じる凛とした背中は、誰もが納得して頷いてしまうような妖しい説得力に満ちていた。
「⋯⋯それにしても羅生門の出現に焦燥しているとは言え、近衛大将殿の”援軍“という言葉への熱の入りようには困ったものだ。力無き者に身分不相応な地位を与えるなど、御所の秩序を乱す悪しき前例となろう」
「⋯⋯悪しき前例? その不相応な地位とは?」
「麿の見立て、恐らく近衛大将殿は、江戸の使者には東番か西番、どちらかの警護の番頭を任せるはず」
「⋯⋯!? 中将様が警護の長をしておられる東西両番、その片方をですか? そんなまさか、来たばかりの御使者に? まずは中将様の下に就くのが筋でしょうに」
「否。余程の事が無い限り、近衛大将殿の性格ならば、南北の番の少将の性格を鑑み、儀礼も重んじて、東番か西番を分け与えるだろう」
「た、確かにそうかもしれませんが⋯⋯、いや、それでも、⋯⋯っ、中将様は剣腕が遥かに劣る御使者に番頭を明け渡して、果たして御納得できるのですか?」
「⋯⋯ふふふ、⋯⋯ほ、ほほほほ⋯⋯」
中将は懐から取り出した扇子をゆっくりと少しずつ開くと、開いた扇子で口元を隠しながら高らかに笑みを浮かべた。
「それも案ずるな。麿には麿なりの流儀がある。麿の求める強さには満たぬのはとうに見えているが、実際その弱さ脆さがどれ程のものか。改めてじっくりと見定めた後、使者の腕が東西の番を担うどころか、戦力としても全く使えぬ。そう判断した時は⋯⋯」
「⋯⋯判断した時は?」
「その使者は麿が⋯⋯、斬る」
「⋯⋯!?」
「鬼に斃され、喰われるより先にな。⋯⋯それが不知火流の礼儀というものだ」
「⋯⋯っ、き、斬る? ⋯⋯な、ならば、もしその御使者が、中将様の思われる強さには満たずとも、番頭を務めるには値すると思われた場合は!? 生か⋯⋯」
「その時は、憎い江戸からの使者 故⋯⋯、斬る」
「⋯⋯ッ!?」
「⋯⋯やもしれんな、⋯⋯⋯ふふふふ」
情けも容赦も一切無く、吐き捨てるように語られる冷たい言葉と声を聞いて、若い公家はぞっと身震いした。
「⋯⋯ふふふふふ、どうした? 輝里、この麿が鬼よりも恐ろしいか?」
中将は初めて若い公家の方を振り向いた。
⋯⋯この不敵な笑みを浮かべる男。
その名を、『不知火中将綾麿』と言う。
不知火という苗字は、正式な公家の苗字には無い。
不知火流という変幻自在の剣の流儀を極めているため、異名として不知火と呼ばれているのである。
その生まれや素性を知る者は、御所には誰も居ない。
八年程前、突如として公家の名門━━九条家の養子となり京都の表舞台に現れ、六年程前には九条家の当主をも継いでいた。
そして、その類稀な剣の実力によって、帝や近衛大将兼季らの厚い信を得て、九条家の本血筋ではないにも関わらず、二十歳前半という若さで中将、しかも帝の計らいによって従三位という通常は有り得ない地位の座にまで上り詰め、現在は近衛大将の指揮の下で、何十人もの武官たちを率いる立場にいた。
「⋯⋯さて、鳥と共に囀り、鯉と共に戯れる刻は終わりだ、そろそろ頃合いだな」
綾麿が少しずつ扇子の扇面を閉じ始めた。
⋯⋯その時だった。
今まで静かに春の歌を囀っていた鳥たちが、一斉に空へと羽ばたき、桜の花弁が浮かぶ池を優雅に泳いでいた鯉が、水面から空へ高く飛び跳ねた。
「⋯⋯風を斬り、鬼が啼く声。⋯⋯これは!」
綾麿が表情を変えた。
“何か”の気配を感じ取ったのか、”何か“の音を耳にしたのか。
まるで見えない敵と戦っているような、厳しい表情を浮かべた。
「⋯⋯!? どうなされましたか、中将様!? その厳しい御顔は⋯⋯、ま、まさか羅生門が!?」
「⋯⋯否。⋯⋯これは、紫宸殿から伝わる殺気、か⋯⋯、⋯⋯ふふふ、ふははははははははははは」
“何か”の正体━━紫宸殿の中から発する、得体の知れない氣の乱れ。
それを感じ取った綾麿は、閉じかけた扇子を再び開いて口元を隠しながら、愉しさが入り交じったような妖しい嘲笑を浮かべた。
「どうやらその江戸からの使者、多少は使える奴らしい。⋯⋯輝里。江戸からの使者は何人だ? その者たちの名は?」
「はっ、確か、御使者は四名。うち謁見を許されたるは代表の一名のみ。今、謁見の儀に出ている男は、姓名を『伊賀鎌足』とか申したはずにございます」
「⋯⋯鎌足か。その名、覚えておこう。⋯⋯ふふふふ、面白い。その剣腕、後日改めて篤と見せてもらおう。この妖刀『村雨』、地獄の鬼の血だけではなく、はや江戸徳川の血も吸いたがっておるわ」
綾麿は腰に吊るしていた豪華絢爛な刀を手に取り、目前に掲げ、力強く握りしめた。
その刀の銘こそが⋯⋯『村雨』。
一閃するだけで究極の熱気と冷気が迸り、この世のあらゆる邪悪を退け、妖魔を滅し、悪しき者の血を吸うと伝えられた、日本の伝説の妖刀である。
この妖刀が放つ魔性の輝きには、多くの者が魅せられ取り憑かれ、是が非でも手中にしたいと望んだ。
しかし村雨はそんな者たちの邪な念を見抜いたように、手にした者たち自身の血を吸い続け、そして数多の権力者の手を渡り歩きながら、呪いとも言えるような数々の悲劇の逸話を生み落としてきた。
このような曰くは、世にも恐ろしい伝説の魔剣として村雨の名声を更に高めてきたが、それ故に世には贋作も多数出回り、歴史の渦の中で永らくその本物の所在は不明となり、いつしかその存在自体も、各地の伝承や書物の上での眉唾ものの噂話とされていた。
⋯⋯しかし村雨は、確かに実在した。
何時の頃か、呪いの伝染を憂いた当時の帝によって、本物の村雨はこの京都御所内に永年に渡り、密かに封印されていたのである。
そして時は流れ、およそ一年前。
村雨の封印の禁は、現帝の手によって解かれた。
帝が封印を解いた目的は、明らかにはされていない。
しかし唯一明らかな事実は、帝は妖刀村雨を、この剣の達人、不知火中将綾麿に直々に授けたということ。
⋯⋯そして今。
村雨は不知火中将綾麿の掌の中で、新しい血を求めるように妖しい煌めきを放っていた━━━。
━━━━「⋯⋯もうすぐ酉の刻だ。じき暮れ六つとなろう。行くぞ。輝里。今宵の御所番は、麿らが西番ぞ」
綾麿は扇子を一気に閉じ、ふわりと狩衣を翻し、優雅で不敵な高笑いを浮かべた。
村雨を手に、玉砂利の庭園を悠然と去っていく綾麿。
その後ろ姿に映る、鬼が哭いた紫宸殿。
綾麿が謎の氣を感じた、まさにその時。
紫宸殿では、鎌足が公家たちに向け、鬼切丸を投じていた━━━━。
公家の綾麿と、忍の鎌足。
西、京都の京都公家衆と、東、江戸の伊賀御庭番。
そして妖刀が二振り、村雨と、鬼切丸。
見えない火花が散る。
東西の宿命の戦いの中に生きる、伝説の妖刀を携えた二人の出逢いの刻が刻一刻、また刻一刻と近づいていた━━━━。
第17話も最後までお読み頂きありがとうございました。
この話は15〜16話と同じ時間軸の話なのですが、15〜16話内に同時に描かず、単独話として描いてみました。
15〜17話を紫宸殿内外から楽しんで頂けたら幸いです。
創作の励みになるので、ブックマーク、評価、感想等もお待ちしています。
★次回第18/19話「閻魔宮」は1月27日に公開予定です。




