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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編 十二

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第108話 旅立ちの朝 〜中編〜

【登場人物紹介】

伊賀の鎌足(かまたり)━━━━

 江戸城の公儀御庭番(こうぎおにわばん)伊賀組の小頭(こがしら)の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の半刃(はんじん)『鬼切丸(おにきりまる)』を持つ。鬼が現れた京都へ援軍として向かうが、滅亡したはずの風魔(ふうま)一族の江戸侵攻の報に、一時御所を離れる事を決断する。鬼切丸(おにきりまる)の残りの半刃(はんじん)を手に入れて伊賀の力となるべく、持主の役小角(えんのおずぬ)が隠遁(いんとん)する出羽(でわ)へ旅立つ。


 ━━━━⋯⋯枕草子(まくらのそうし)、冒頭の一節。

 『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる━━⋯⋯』


 ⋯⋯そんな宮中の高名な随筆の情景をそのまま絵にしたような暁(あかつき)の空は今、近江国(おうみのくに)の鎌足(かまたり)たち同様に、この京の都にも新たな一日の始まりを告げていた。


 鎌足(かまたり)の去った御所には、まだ朝靄(あさもや)の漂う早い刻限から珍しく、帝の後継者⋯⋯皇子(みこ)である櫻(さく)の姿があった。

 一人で縁側に座り、脚を前後にぶらぶらさせながら、ぼんやりと空を眺めている。

 櫻(さく)は旅立った鎌足(かまたり)の事を思い出していた。

 

 ⋯⋯あの約束の日。


 それは鎌足(かまたり)の謹慎明けの初日。

 喜び勇んで駆け付けた午後の御所だったが、其処(そこ)には既に鎌足(かまたり)の姿は無かった。

 互いに堅く約束していた、十日ぶりの再会。

 しかし鎌足(かまたり)は伊賀や江戸の危機の報を受け、当日昼過ぎには京都を急ぎ旅立たざるを得なくなってしまった。

 そのため残念ながら会う約束は叶わなかった。


 それでも鎌足(かまたり)はふらりと今日にもまた、御所に舞い戻って来るのではないか。


 ⋯⋯“やっぱり戻ってきちゃったよ”


 そんな照れ笑いと共に、曲がり角の向こうからひょっこりと顔を出すのではないか。

 鎌足(かまたり)を思い出すたびに、櫻(さく)はそんな淡い期待でいっぱいだった。


(⋯⋯ちぇっ。約束したのにな。⋯⋯鎌足(かまたり)姉ちゃん)


 櫻(さく)が口を尖らせた、その時⋯⋯。



 ⋯⋯櫻(さく)に不意に声をかける者があった。



「⋯⋯あそぼ、まりつき、⋯⋯まり、もってる」



 それはたった一度だけ、見知った顔。

 同い年程に見える、可愛らしい少女。


 ⋯⋯天音(あまね)だった。


 

 何一つ足音も気配も無く、白靄(しらもや)の中から突然に現れたようにすら見えた天音(あまね)は、櫻(さく)からほんの数歩離れた場所でにこにことあどけない笑顔を見せている。

 そしてその両の掌には、そのたった一度の出会いの機会に櫻(さく)から貰った、あの鞠(まり)を大事そうに抱えていた。


「⋯⋯ひっ」


 櫻(さく)は驚いて立ち上がると、怯えた表情で後退(あとずさ)りする。


「わ⋯⋯、⋯⋯い、嫌だよ、君とは一緒には遊ばない」


 この時、櫻(さく)の中に蘇っていた”暗い影“。

 それはあの初めて天音(あまね)と会った時の記憶だった。


 占いとは名ばかりの得体の知れない、呪法。

 今の可愛い声とはまるで違う、大人びた声。

 そして不幸な死を想像させる、狂気の言葉。


 櫻(さく)の身体は再び、あの時の背筋が凍り付くような恐怖に包まれていた。

 


「なんで? ⋯⋯あそぼ。まり、ふたり、たのしい」


 櫻(さく)のよそよそしい態度の理由に、天音(あまね)はまるで気付いてはいない。

 首を傾げながら櫻(さく)に近寄ると、手にした鞠(まり)を櫻(さく)の目の前にそっと差し出した。


「⋯⋯っ、その鞠(まり)ッ⋯⋯、⋯⋯っ、遊ばないったら!」


 櫻(さく)は思わず天音(あまね)の手を払い退(の)けていた。

 差し出された鞠(まり)が、櫻(さく)の腕に弾かれて宙を舞う。


「⋯⋯あ、まり、⋯⋯ころころ」


 鞠(まり)は庭を点々と転がっていく。

 遠ざかっていく鞠(まり)を見ながら、天音(あまね)は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。

 櫻(さく)が見せたのは、明らかな拒絶。

 しかしそれでもまだ一緒に遊ぶのを諦めきれない。

 天音(あまね)は櫻(さく)に笑顔で話しかけ続けた。


「⋯⋯まり、いや、なら、うらない、うらないあそび」


「⋯⋯遊ばない! 占いなんてしないよ!」


 櫻(さく)を真っ直ぐ純粋にじっと見つめ続ける天音(あまね)に対し、櫻(さく)の反応はまるで対象的だった。

 天音(あまね)の方など見向きもしない。

 その甘える言葉もあどけない笑顔も、何もかもを無視して御所の中へ。

 櫻(さく)は足早に逃げるようにして、庭から立ち去ってしまった。


 その場には天音(あまね)だけが一人、ぽつんと取り残される形となった。

 天音(あまね)が握り拳を作る。

 そして口を堅く真一文字に結びながら、涙目で俯(うつむ)き、悔しそうに呟いた。


「⋯⋯さく、うらない、だめ、⋯⋯おなじ、ととさま、かかさま、と⋯⋯」



 ⋯⋯その時。



 少しだけ顔を上げた天音(あまね)の濡れた瞳に映ったのは、朝の宮中廊下で優雅に揺れる二つの烏帽子(えぼし)。

 それは陰陽寮(おんみょうりょう)を束ねる、二人の公家。



 ⋯⋯鷹乃宮(たかのみや)中納言(ちゅうなごん)霧人(きりひと)と、春日目(かすがめ)少納言(しょうなごん)樟羽(くずは)だった。



「⋯⋯あ、ちゅうちゅうなごんさま。あと、くずはー」


「⋯⋯どうした? 天音(あまね)」


 霧人(きりひと)は優しく微笑む。

 そして穏やかな声で、天音(あまね)に言葉をかけた。

 その言葉は効果てきめんだった。

 まるで萎(しぼ)んだ花が今再び開き、花を咲かせるように、天音(あまね)の顔にぱあっと笑顔が戻る。


「⋯⋯さく、まり、だめ。うらない、いや。ざんねん」


「⋯⋯そうか。飯事(ままごと)を断られたのだな。櫻皇子(さくらのみこ)はきっと機嫌が悪かったのであろう。気にしなくてもよい。⋯⋯さあ、嫌な事は今は忘れ、控の間に戻るが良い」


「⋯⋯わかった、おへや、まり、ひとり、あそぶ」


 天音(あまね)は転がっていた鞠(まり)を拾い上げ、ぱっぱっと土埃を手で払い落とすと、一人すたすたと廊下を歩いていく。

 そんな天音(あまね)を見つめながら、樟羽(くずは)がそっと霧人(きりひと)に耳打ちするように呟く。


「⋯⋯天音(あまね)の方はまだ時間(とき)がかかりそうですね」


「⋯⋯ああ、そうだな。⋯⋯だが、決して交わらぬように見える二人とは言えども、所詮は子供と子供。⋯⋯今はその時間(とき)の流れに任せておけば良い」


 二人は何かを確かめ合うように微笑むと、再び長い廊下を歩き出した。


 宮中では綾麿(あやまろ)と並び、高い位階(いかい)や役職と共に飛び抜けた優雅さと美しさを誇る二人。

 廊下をすれ違う公家や官吏たちは皆、感嘆と賞賛の溜め息を漏らしている。

 すれ違う女官の中には、近くに寄れた感激で涙目になっている者すら居るくらいだった。


 そんな者たちを横目に妖艶な笑みを浮かべながら、樟羽(くずは)は隣を歩く霧人(きりひと)にそっと話かけた。


「⋯⋯霧人(きりひと)様。鎌足(かまたり)の出羽(でわ)行きの件、計画通りに綾麿(あやまろ)の知る所と致しました」


「⋯⋯御苦労であった。⋯⋯その後の動きは?」


「更に霧人(きりひと)様の読み通り。即座に追っ手を差し向けた模様。⋯⋯うふふ。玄武(げんぶ)と朱雀(すざく)は既に京都を離れました」


「⋯⋯やはりな。子飼いの二人、出羽(でわ)に差し向けたか。我ら陰陽衆(おんみょうしゅう)の掌の上で弄ばれているとも知らず⋯⋯。知の足りぬ愚かな奴等(やつら)だ」


「⋯⋯そして霧人(きりひと)様。既に宮中の警備兵の六分(ろくぶ)以上は、我々陰陽衆(おんみょうしゅう)の息のかかる者たちと相成(あいな)りました」


「⋯⋯そうか。その調子で綾麿(あやまろ)の勢力は全て削げ」


「⋯⋯はい。⋯⋯とすれば後の懸念は『六歌戦(ろっかせん)』御影(みかげ)燈十郎(とうじゅうろう)。あやつの差配する鬼狩隊(きしゅうたい)。新たな御帝(みかど)親衛隊(しんえいたい)の選抜に、隊士から十数名が加わるとの噂ですが⋯⋯、もしそうなれば多少なりとも厄介かと」


「案ずるな。それは既に手を打ってある。何の問題も抜かりも無い。⋯⋯それよりも、だ。例の御所の空の結界はどうなっている?」


「⋯⋯陰陽(おんみょう)司(つかさ)の五色(ごしき)と陰陽衆(おんみょうしゅう)たちが密かに創生(そうせい)を進めし結界、そちらも着々と。蒼鬼(あおおに)にも紅鬼(あかおに)にも、勿論(もちろん)、綾麿(あやまろ)子飼いの青龍(せいりゅう)にも、誰にも気取られぬ事無く⋯⋯」


「⋯⋯よし、そのまま秘密裏に創生(そうせい)を続けろ。⋯⋯もし御所内に気取る者が出れば⋯⋯、━━━━殺せ」


「⋯⋯それはもう。見た者、知る者には死を。五色(ごしき)たちをはじめ、全員に重々伝えております。⋯⋯うふふふ」


 陽の光すらも嘲笑うように、樟羽(くずは)の妖しい笑みに闇色が加わる。

 そして霧人(きりひと)もまたそんな樟羽(くずは)以上に妖しく黒く、微笑みを返した。





 ━━━━御所の統制警備を徐々に掌握し、何かの企みを進めている、陰陽寮(おんみょうりょう)の頭(かしら)であり、陰陽衆(おんようしゅう)を束ねる『六歌戦(ろっかせん)』、鷹乃宮(たかのみや)中納言(ちゅうなごん)霧人(きりひと)━━━━。





 ━━━━そして。


 この妖しくも美しい陰陽師(おんみょうじ)二強の前方。

 その長い廊下の先から今、二人の方へ近づいてくる、白鞘(しろさや)を差した一人の少年の影があった。


「⋯⋯おや? 霧人(きりひと)様。南番の夜勤明けの少将(しょうしょう)が、相変わらず死相(しそう)を浮かべながら此方(こちら)に歩いてきますよ?」


「⋯⋯実の親まで斬ったと云う、綾麿(あやまろ)子飼いの粗暴な駄犬(だけん)。樋(ひ)ノ口(くち)少将(しょうしょう)麒麟(きりん)か。⋯⋯ふっ、目の穢(けが)れだな」


 立ち止まり、麒麟(きりん)の悪態を囁き合う霧人(きりひと)と樟羽(くずは)。

 そんな姿は当然に歩む麒麟(きりん)の目にも入ることになる。


「⋯⋯っ!(⋯⋯陰陽師(おんみょうじ)の奴等だ!)」


 麒麟(きりん)の位階と役職は、従四位下(じゅしいのげ)少将(しょうしょう)。

 樟羽(くずは)は従四位上(じゅしいのじょう)中納言(ちゅうなごん)。

 更に霧人(きりひと)はその遥か上を行く、従三位(じゅさんみ)中納言(ちゅうなごん)。

 しかも『六歌戦(ろっかせん)』と言う名誉職も担っている。

 

 身分の差は明白だった。


 いつもの麒麟(きりん)ならば、目上に媚びへつらう事も大して気にはならなかったかもしれない。

 しかし御所の警備にあれこれと口を出し始めた陰陽師(おんみょうじ)たちを、麒麟(きりん)は心から煩わしく思っていた。

 そして上手く時勢に乗り、自分を飛び越えて出世を果たしていく者の存在が、何よりも気に食わなかった。


 そんな疎(うと)ましい陰陽師(おんみょうじ)たちを束ね、尚且つ宮中の皆からの羨望の眼差しを浴びている二人との、不意の遭遇。


 麒麟(きりん)の心がすぐさまに、霧人(きりひと)と樟羽(くずは)を拒絶、礼を否定していた。

 しかしいくら無視を貫きたくても、この状況下では流石に背を向けて廊下を引き返す事はままならない。

 嫌々でも宮中の通例に従い、道を開ける他は無い。


 麒麟(きりん)はすれ違う際、立ち止まり道を譲り、そして黙ってぎこちなく頭を下げた。


「⋯⋯⋯⋯どうも」


 霧人(きりひと)はそんな麒麟(きりん)を一瞥(いちべつ)すると、樟羽(くずは)と共に薄ら笑みを浮かべながら、横を通り過ぎていく。


「⋯⋯これはこれは。ごきげんよう。少将(しょうしょう)殿。下々の務め、夜通しの警備、御苦労であったな」


 それはすれ違いざまの、霧人(きりひと)からの一言。

 その言葉、声色は明らかに人を見下したものだった。

 頭を下げたままの麒麟(きりん)の肩が、一瞬だけぴくりと小さく動いた。


「⋯⋯⋯⋯」


 鼓動が速くなる。

 白鞘(しろさや)を持つ掌が、怒りで小刻みに震える。


「⋯⋯ふふふふふふ、⋯⋯はははははは」

「⋯⋯うふふふふふ、⋯⋯ほほほほほほ」


 高らかな嘲笑いと共に二つの足音が遠ざかっていく。


 頭を下げたままの麒麟(きりん)は、苦々しく唇を噛み締め、ひたすらに刃を向けたい気持ちを堪えていた。

 元々持ち合わせていない堪忍袋(かんにんぶくろ)。

 それでも何とか急場で、無理やりにでも心の中で我慢の袋を拵(こしら)え、袋(それ)を限界まで目一杯に広げながら、湧き上がる怒りをやり過ごしていた。

 


 足音と笑い声が、刀の間合いから離れた⋯⋯。

 ⋯⋯堪え切った。

 


 その事実を確信した麒麟(きりん)は、大きく息を吐き出すと、堪忍袋の緒を緩めながらゆっくりと頭を上げていった。

 そして廊下の先、角を曲がる直前の二人の後ろ姿を睨み付けた。

 真剣のように鋭く、また獣(けもの)のようにぎらついた瞳。

 その眼(まなこ)には映るのは憎悪。

 そして燃え滾(たぎ)る底知れない野心。


 麒麟(きりん)が床に唾までも吐き捨てる。


「⋯⋯ちっ、何が『六歌戦(ろっかせん)』だ、中納言(ちゅうなごん)だ。御所の表舞台、栄華(えいが)という緩流(かんりゅう)の川に溺れる雑魚(ざこ)どもめ!」


 霧人(きりひと)と樟羽(くずは)の背が視界から消えた、その直後だった。

 感情の赴くまま麒麟(きりん)は白鞘(しろさや)の模造(もぞう)の刃を抜いていた。

 そして手首の撓(しな)りと共に、怒りに任せて薙ぎ払う。

 その鋭い閃光の煌めきは、模造(もぞう)の刃が生んだ虚飾(きょしょく)の光にはまるで見えない。

 常人の振るう“真剣”での煌めきなどは遥かに凌駕(りょうが)している。

 そんな凄みに満ちていた。


 突然の抜刀に混乱する公家たちの叫び声が響く中、麒麟(きりん)の目の前の太柱は、深々と抉(えぐ)られるようにして粉々に砕け、そしてまるで花弁(はなびら)のように、木屑となって朝の風の中に散っていく。



 この時の麒麟(きりん)の目は、来たるべき輝かしい未来の自分を、朝陽の光の中に映していた。


(⋯⋯俺は御前たちとは違う。ちょっとだけ、人よりほんのちょっとだけ、運が無かっただけなんだ。⋯⋯見てろ。俺はな、目の前に立ちはだかるどんな急流にも逆らい上(のぼ)りきってやる! 京都朝廷だけじゃねえ。江戸や徳川もだ。この国を全てを飲み込み。この日本(ひのもと)の頂(いただき)に上り詰めるのは、━━━━この俺、”天舞童(てんまどう)“麒麟(きりん)だ!!)





 ━━━━天衣無縫流(てんいむほうりゅう)の使い手であり、底知れない野望を胸に秘める少年公家、樋(ひ)ノ口(くち)少将(しょうしょう)麒麟(きりん)━━━━。





 ━━━━更に。


 この時、霧人(きりひと)、樟羽(くずは)、麒麟(きりん)⋯⋯三人がすれ違う様子、そして麒麟(きりん)の暴挙を、離れた柱の陰から覗き見ていた者があった。



 ⋯⋯帝の娘、美桜(みお)である。



「⋯⋯ああっ、御所の大切な柱をあんなにずたずたに⋯⋯。酷い、やっぱり何て乱暴な御方なのでしょう」


 麒麟(きりん)の凄まじい剣閃と破壊に、美桜(みお)は顔を顰(しか)めながら、着物の袖で顔を覆っていた。


 美桜(みお)が廊下をひっそりと覗き見していた理由。

 それは何も警備番明けの麒麟(きりん)を労ろうとか、麒麟(きりん)の美桜(じしん)への秘めた想いに勘付いていたからではない。


 目的はただ一つ。



 ⋯⋯霧人(きりひと)だった。



「⋯⋯それにしても、⋯⋯あぁ、良かった」


 美桜(みお)は胸を高鳴らせ、頬を赤らめながら呟いた。


「霧人(きりひと)様が揉め事に巻き込まれなくて⋯⋯、少将(しょうしょう)様に変な因縁を付けられなくて、本当に良かった」


 そして掌の上へと目線を下ろす。


「⋯⋯でも残念。徹夜して折角作ったのに。⋯⋯これ、渡しそびれちゃったな」


 昨夜、何かの目的で霧人(きりひと)は御所に滞在していた。

 ならば少しでも、ほんの僅かな刻でも構わない、霧人(きりひと)の傍に在りたい。

 美桜(みお)はそんな仄(ほの)かな乙女心から、従者に無理を言い、珍しく昨日一晩を御所内で櫻(さく)と共に過ごしていたのだ。


 見つめる手の中には、何日も前から作り始め、昨晩やっと完成した、手作りの紙細工が優しく握られていた。


 錦(にしき)の台の上に梟(ふくろう)が三つ。

 大きな梟(ふくろう)と一回り小さな梟(ふくろう)。

 その大小の梟(ふくろう)の間に、小さな梟(ふくろう)が一つ。


「私と、櫻(さく)ちゃんと、あと一つは⋯⋯」


 美桜(みお)が頬を更に赤らめる。

 そして自分自身に気合を入れるように力強く呟いた。


「鎌足(かまたり)さんが元気になって御所に帰ってくるまでには、もっと霧人(きりひと)様と親しくなれるよう頑張らなきゃ!」



 そんな美桜(みお)もまた櫻(さく)と同じく、この暁(あかつき)の空に鎌足(かまたり)を想っていた。

 詳しい事はまるで分からない。

 傷が癒えるまでは、代わりの援軍と交代し、江戸へ一時帰還する。

 ただそれだけを兼季(かねすえ)から聞いていた。

 しかしいくら休養とは言え、鎌足(かまたり)が自分と櫻(さく)に何も告げず江戸へ旅立つとは、どうしても考えられなかった。

 余程の事情が有るとしか思えなかった。


「⋯⋯鎌足(かまたり)さん、⋯⋯今頃はどの辺りだろう。何してるかな。今度もまた無茶してなければ良いけど」


 

 それでも絶対に”さよなら“ではない。

 鎌足(かまたり)は必ず帰ってくる。

 元気な笑顔で、”ただいま“と言ってくれる。

 そして自分も、“おかえり”と元気よく言葉を返す。


 美桜(みお)はそんな未来を信じて止まなかった。

 陽が昇っていく東の空に、美桜(みお)の祈りの心が響く。

 

(⋯⋯神様、どうか、どうか。鎌足(かまたり)さんが無事に京の都に帰って来れますように)





 ━━━━鎌足(かまたり)の身を心から案じ、『六歌戦(ろっかせん)』鷹乃宮(たかのみや)中納言(ちゅうなごん)霧人(きりひと)に密かな想いを寄せる、美桜姫(みおひめ)━━━━。





 ━━━━しかし鎌足(かまたり)を取り巻く運命の縁(えん)の中にあって、恋の深い迷い道に彷徨(さまよ)う女子(おなご)は、この美桜(みお)だけではなかった。





 ━━━━「⋯⋯鎌足(かまたり)とか言う女子(おなご)は、この琵琶湖の周辺をもう離れたかしら」


 綾麿(あやまろ)から鎌足(かまたり)たち伊賀者を仕留める役目を受けた、旅路の途中。

 琵琶湖を一望する峠で、朱雀(すざく)は悔しそうに爪を噛んでいた。

 心の迷いを映すように、開いた番傘がくるくると左右に行ったり来たりする。

 考える事は出発前も、今も、変わらない。


(あの綾麿(あやまろ)様が気に掛けるなんて、どんなに綺麗(きれい)な女子(おなご)なんだろう。⋯⋯やっぱり小夜(さよ)様と同等か⋯⋯、いや、まさかそれ以上?)



 朱雀(すざく)の佇む峠の街道沿いの御堂には、道祖神(どうそしん)として仏像が一体、祀(まつ)られていた。

 ひとしきり苦々しい溜め息を付いた後、朱雀(すざく)は仏像に徐(おもむろ)に近づいていく。


「⋯⋯あった」


 朱雀(すざく)が仏像の前でしゃがみ込む。


「仏の頭に鉛色(なまりいろ)の頬(ほお)かむり⋯⋯、か。玄武(げんぶ)も此処(ここ)を通ったみたいね。半日どころか丸一日くらいは遅れているかも? 急がないと」


 朱雀(すざく)が仲間内の合図をじっと見つめているこの時。

 その背後から、鼻息を荒くして忍び寄る、三人の破落戸(ごろつき)風の男たちの姿があった。


「よお! そこの日傘の別嬪(べっぴん)の姉ちゃん、一人で旅してるのか?」

「良かったら俺達と一緒に行かねえか? 姉ちゃんは西か東かどちらに行くんだ? 俺達は西だ」


 破落戸(ごろつき)の品のまるで無いぶしつけな問いかけに、朱雀(すざく)は再び深い溜め息をつく。


「東よ。北陸道に抜けるの。残念でした。違う方向よ」


 朱雀(すざく)が返したのは、赤羅様(あからさま)に嫌そうな表情と感情の籠(こ)もっていない返事。

 しかしまだ破落戸(ごろつき)たちは、絡みを止めなかった。


「嬢ちゃん、間違えたよ、西じゃねえ、東に向かうんだよ俺達。なら一緒な道だなあ。奇遇(きぐう)だなあ?」


 けらけらと厭(いや)らしい笑いと共に、三人は更に朱雀(すざく)に近づいていく。


 朱雀(すざく)の瞼(まぶた)が下がる。

 じっとりと目を細め、冷淡(れいたん)な声で呟いた。


「西じゃなかったの? 随分(ずいぶん)と気まぐれで呑気(のんき)な風来坊(ふうらいぼう)さんたちね。行先はどこでも良い、って事かしら?」


「へへへ、そういう事。そんな恐い顔しなさんな。まあ一つよろしく頼むわ。宿代や食費はあんた持ち。⋯⋯一緒に旅をして、夜の宿も四人一緒な部屋をとって⋯⋯」


 破落戸(ごろつき)の一人が、朱雀(すざく)の肩に触れようとした⋯⋯。


 ⋯⋯その時だった。



 朱雀(すざく)が体を閃(ひらめ)かせる。



 ⋯⋯その瞬間。



 朱雀(すざく)に触れかけた破落戸(ごろつき)の指五本が、赤い鮮血と共に青い空をふわりと舞っていた。


「⋯⋯ぅんぎゃああああッ!!!?」


「⋯⋯何処(どこ)でもいい、⋯⋯のならば地獄はどうかしら? 風来坊(ふうらいぼう)さん達が腰を落ち着けるにはお勧めよ。物珍しいたくさんの蒼鬼紅鬼(おに)にも会えて、毎日一緒な屋根の下にも泊まれるわよ。⋯⋯ふふ、御希望ならこの朱雀(わたし)がいつでも葬(おく)ってあげる。⋯⋯勿論(もちろん)、ただ、でね」


「⋯⋯ひっ、⋯⋯ひぃぃいっ!?」

「⋯⋯お、おおおぉ、刀だ、傘に仕込み刀だ!?」


 指を斬り飛ばしたのは、番傘の柄の先に仕込まれていた刃だった。


 それは朱雀(すざく)の異名にもなっている番傘剣(ばんがさけん)。

 しかも朱雀(すざく)は既に納刀までも終えていた。


 血の飛沫が飛んだ番傘を肩に掛け、朱雀(すざく)は優雅に微笑みを浮かべ、舌舐めずりをしている。

 しかしその目だけは笑っていなかった。

 その冷酷な瞳を前に、三人の破落戸(ごろつき)たちは血相を変えて、峠を転がるようにして我先にと逃げ出していく。


 そんな三人の背に向けて朱雀(すざく)は鬱陶(うっとう)しそうに呟いた。


「⋯⋯私の身体に触れていい男は、綾麿(あやまろ)様だけよ」


 

 周りの旅人たちもこの騒ぎに気付いていた。

 街道に憐れに転がる、五つの忘れ物。

 血溜まりに沈む五本指を目にした女性が、大きな悲鳴を上げる。

 辺りは喧騒(けんそう)に包まれていた。

 

 しかしそんな中でも朱雀(すざく)は一切動じる素振りは無い。

 番傘(ばんがさ)を優雅にくるくると回しながら、ゆっくりと東へ向かって歩き出した。


 きらびやかな朱色(しゅいろ)に、白の渦模様が描かれた洒落(しゃれ)た雅な番傘(ばんがさ)。

 その傘の下で、傘柄と同じ瑞々しい朱色(しゅいろ)に染まる美しい唇を、朱雀(すざく)はぎゅっと噛み締めた。



「綾麿(あやまろ)様の計画にとっても、そして私にとっても、鎌足(かまたり)とかいう女忍は邪魔なだけの存在。残念だけど綾麿(あやまろ)様にはもう会えないわよ。この私が絶対に殺してやるから」





 『六歌戦(ろっかせん)』綾麿(あやまろ)に恋焦がれ、鎌足(かまたり)への嫉妬や憎しみ、そして殺意が迸る美しき追跡者、番傘剣(ばんがさけん)朱雀(すざく)━━━━。





 ━━━━人の縁(えん)や運命の巡り合わせとは本当に不思議で、そして数奇なものと言える。

 鎌足(かまたり)の無事を願う美桜(もの)も在れば、逆にこうしてまだ会った事も無い鎌足(かまたり)に殺意を抱く朱雀(もの)も在る。

 そんな中、鎌足(かまたり)よりもむしろ所有する刀、即(すなわ)ち鬼切丸(おにきりまる)に謎の想いを寄せる者も在った。





 ━━━━「鬼ではありません、何かの間違いです!」


 遠州屋(えんしゅうや)の軒先で、上半身を縄でぐるぐるに縛られた二番番頭(にばんばんとう)の男が、膝をつき許しを乞うていた。

 その眼前には白馬に乗り、西洋風の外套(まんと)を靡かせ、頭巾(ずきん)を深々と被る女性が居た。


 ⋯⋯神凪水軍(かんなぎすいぐん)首領(しゅりょう)、神凪(かんなぎ)摩耶(まや)だった。



「⋯⋯嘘は駄目だよ。蒼鬼(おに)だよ。下手な芝居はいいから。臭(にお)いの濃さからして一月半、ってところかな」


 馬上から男を断罪した摩耶(まや)は、近くで怯えた表情で様子を見守っている遠州屋(えんしゅうや)の女中に向け、言葉を続けた。


「ねえ、ちょっと。そこのお姉さん。この一月半の間で、店(たな)の周りで不審な死者が出たり、行方不明になった者は居なかった?」


 問われた女中(じょちゅう)は、おどおどしながら答えた。


「⋯⋯野犬に襲われて死んだ者が二人。あと丁稚(でっち)の子が一人行方知れずなのと、⋯⋯あ、店(たな)の女中や男の方が三人ほど突然置き手紙を残して郷(さと)に帰ったりとか⋯⋯」


 摩耶(まや)が縛られている男の方へ向き直る。


「ほら、しっかり喰ってるじゃん」


「ええっ、今の話と私が何の関係が!? む、無実です! 私は天地神明(てんちしんめい)に誓って、断じて鬼ではありません!」


「⋯⋯ねえ! 誰か火を持ってきて。燃やしたら直ぐに本性を見せるから」


 摩耶(まや)は聞く耳を持たない。

 事も無げに大層(たいそう)な事を次々と口にする。


「炙(あぶ)り刺しはね、効くよ。どんなに元気でむきむきな鬼でも、いちころ、だよ。ぴんぴんころり、だよ」


「⋯⋯そ、そんな!?」


「この店(たな)に近づいたのは何故? 命令? それとも浮浪鬼(はぐれおに)? ⋯⋯まぁ、別にいいや。そこまで首を突っ込む必要は無いか。でも散々暴れていたみたいだからね、相応の報いは受けてもらうから」


「⋯⋯ぐ、ぐぅぅうぅぅ⋯⋯」


「因果応報ってやつさ。⋯⋯ねぇー? 火はまだ?」


「くッ! ⋯⋯くっそおおぉ! どうシテバレタァ!?》


 男の形相が、まさに人外の“鬼”へと変わる。

 と同時に、隠していた邪悪な力を曝け出した。

 堅く縄で縛られたままの状態で、足の力だけで空中に飛び上がる。

 そして鋭い牙と狂暴な本能を剥き出しにして、顎が裂けてしまう程に口を大きく開け、馬上の摩耶(まや)へと襲いかかった。


《⋯⋯グオオオォッ! 得体ノ知レヌ女! 死ネェッ!!》


「⋯⋯往生際(おうじょうぎわ)が悪いね。これだから鬼は嫌なんだ」


 馬上で外套(まんと)を颯爽と翻した摩耶(まや)は、内の腰に差す二本の刀の鞘(さや)、その左の一本を握りしめる。

 そして飛びかかってくる蒼鬼(おに)の羅刹(らせつ)に向けて、真上から真下へ、一気に刃を抜き放った。


 得体の知れない水飛沫(みずしぶき)が飛び散る。

 その水音と共鳴するように重く低い轟音(ごうおん)が響き渡る。


 その飛沫(しぶき)や音と同時だった。

 蒼鬼(おに)の身体は脳天から股に至るまで、まさに一刀両断、真っ二つ。

 一瞬にして垂直に切り裂かれていた。


 蒼鬼(おに)の方は自分の身に何が起こったのか、それすらも分からなかったかもしれない。

 叫びを上げる暇も無く、蒼鬼(おに)の身体からは蒼(あお)い霧が迸(ほとばし)る。

 左右に斬り裂かれた身体は、そのまま馬上の摩耶(まや)の左右の宙を舞い、そして鈍い音と共に地に落下した。

 そして摩耶(まや)の被る頭巾(ずきん)にも、まるで激しいにわか雨のように、鬼の返り血が大量に降り注ぐ。

 

「あ。⋯⋯お気に入りの外套(まんと)だったのに⋯⋯、最悪だ」



 血化粧(ちげしょう)を纏いながら、とほほ顔で呟く摩耶(まや)とは対象的に、其処(そこ)にはあまりにも壮絶な光景が広がっていた。

 周囲で見守っていた人々からは、気が狂ったような甲高い悲鳴と、身近に鬼が潜んでいた事実への動揺のざわめきが起きる。


 しかし摩耶(まや)はそんな騒ぎ声も、まるで気にかけない。

 鮮血の外套(まんと)もそのままに、二つに分かれて転がる男の亡骸(むくろ)を馬上から冷ややかに見下していた。

 一気に一月半の刻が進んだ亡骸(むくろ)は、一部は白骨化していたものの、まだ微かに人としての原型は留めている。


「⋯⋯一月半もの間、店(たな)の誰も気付かないとはね。やっぱり葬魂(そうこん)の術を見抜くのは、普通の人間には無理、か」


 不思議な事に暫(しば)らくの刻(とき)を経ても尚、この場にはまだ先程の一閃の余韻、奇妙な謎の音の残響が残っている。

 摩耶(まや)は壮大な和楽の旋律を聞いているように目を瞑り耳を澄ますと、何事も無かったように淡々と呟く。


「地上の抜刀は、だめだね。海鳴(うみな)りが聞き慣れない。この海鳴剣(うみなりのつるぎ)を使うなら、やっぱり海に限るよ」


 そして白馬の手綱を取ると、その頭を優しく撫でた。


「関係の無い御前まで、鬼の血で汚しちゃったね。⋯⋯ごめんよ、よしよし」


 この時の摩耶(まや)は、先程の剣捌(けんさば)きが嘘のように物静かな声、そして穏やかな瞳をしていた。

 白馬は摩耶(まや)の擦(さす)る手に何度か頬ずりし、そして雄々しく凛々しくいなないた。


(鬼切丸(おにきりまる)は、果たしてどんな海鳴(おと)を奏でるんだろう)


 その白いいななきが、摩耶(まや)たちの次に取るべき行動の合図となった。

 摩耶(まや)が腕を上げ、背後の馬群に合図を送り、颯爽(さっそう)と外套(まんと)を翻(ひるがえ)す。

 そして六人の仲間たちと共に、改めて京都へと続く街道を意気揚揚と見つめた。



「まだ十五里はあるのにね、随分と道草しちゃったな。⋯⋯急ごうか。会合(やくそく)の時間に遅れたら、誇り高き『神凪水軍(かんなぎすいぐん)』の名折れだ⋯⋯」





 その瞳の先に何を想うのか、鬼切丸(おにきりまる)を目にする事だけを目的に、初めて会合に参加する神凪水軍(かんなぎすいぐん)首領、謎多き『六歌戦(ろっかせん)』、神凪(かんなぎ)摩耶(まや)━━━━。





 ━━━━この摩耶(まや)や燈十郎(とうじゅうろう)のように、日本(ひのもと)には”鬼を斃す者“も居れば、逆に“鬼と手を結ぶ者”も居た。

 その内の一人の男は今、燦々と煌(きら)めく陽の下ではなく、暗くじめじめとした陽の当たらない地下で荒々しい息吹を放っていた。

 其処(そこ)はまるで手を組んでいる鬼たち、その住処(すみか)である地獄の底を彷彿とさせる、暗く寂しい場所だった。





 ━━━━四隅の至る所に蜘蛛が這い、八角の巣を作る、陰鬱(いんうつ)陰湿(いんしつ)な地下座敷。



「⋯⋯那由他(なゆた)様。蒼賽鬼(そうさいき)から良い報せと悪い報せ、二つが届きました。何方(どちら)から聞かれますか?」


 巨大な刀を背負う女忍、刹那(せつな)の問いかけの声が響いていた。


 全ての鎧や手甲を脱ぎ、軽装の忍服を纏(まと)っている。

 先の蒲生将監(がもうしょうげん)の拷問の際に見えなかった鎧の下の皮膚も、今ならば垣間見える。

 しかしその皮膚もやはり無残なものだった。

 この薄暗い地下でもはっきりと分かる程に、大小数多の傷で覆われている。


 そんな傷だらけの刹那(せつな)の目の前。

 粗雑に足を組み、南蛮の椅子に腰掛けている風魔(ふうま)一族の頭(かしら)⋯⋯風魔(ふうま)那由他(なゆた)は、手にしている酒の盃を一気に飲み干すと、愉しそうに呟いた。


「⋯⋯そうだな、ならば良き報からだ」


「例の蒼鬼(あおおに)に依頼していた四鬼の修羅(しゅら)手配の件、蒼鬼の総大将より早速に許可が下りたそうです」


「⋯⋯ほう、思ったよりも早いな。流石は蒼(あお)の旦那だ」


「蒼賽鬼(そうさいき)を含む五鬼の修羅(しゅら)、近い内にこの風魔屋敷に挨拶に推参(すいさん)する、との事。そして将軍の暗殺、及び江戸城の陥落に至るまでは、全面的に那由他(なゆた)様の指示に従い、その下に動く、とも」


「⋯⋯ならば、悪い報は?」


「⋯⋯根来衆(ねごろしゅう)が停戦降伏の条件を拒否。そして懸念していた通り、やはり雑賀衆(さいがしゅう)と手を組みました」


「⋯⋯ほほう。ふん、⋯⋯で?」


「送り込んだ偵察部隊からは、近い内に奴等は大胆にも先手を打ち、当屋敷に攻め込んでくる恐れ有り⋯⋯、との報も届いております」


「⋯⋯くくく、成る程な」



 良し悪し二つの報告を聞き終えた那由他(なゆた)だったが、その表情はどちらの報告においても何一つ変わらない。

 ただにやにやと薄ら笑みを浮かべ続けている。

 酒に酔っているようには見えない。

 この決して揺るぎない自信や余裕が、風魔那由他(ふうまなゆた)という男にとっての、当たり前なのだ。



「⋯⋯面白え。西日本の忍の二大勢力、根来衆(ねごろしゅう)と雑賀衆(さいがしゅう)が仲良く手を結んで、俺たち無敵の風魔(ふうま)に反抗か」


「⋯⋯如何致しましょう? 奴等とて急な同盟。攻めてくるまでには、まだ暫(しばら)くの日を要するとは思いますが」


「なあに。その頃には、匙(さじ)たち風魔(ふうま)死天王(してんのう)だけじゃねえ。蒼賽鬼(そうさいき)たち蒼鬼(おに)までが、手ぐすね引いて待ち受けている⋯⋯、それを知らずに無謀にも屋敷(ここ)に攻めてくる、ってか? ⋯⋯はっはっは! こいつは見ものだぜ!」


「⋯⋯策を弄(ろう)せず、真正面から受けて立つ、と?」


「当たり前だ。おめでたい馬鹿な奴らめ。⋯⋯刹那(せつな)よ。今の二つの報せ、俺にとってはどちらも良き報だ。⋯⋯そうだな、ならば江戸徳川や伊賀への復讐ついでに、日本(ひのもと)の忍の統一とでも洒落(しゃれ)込もうじゃねえか!」


 那由他(なゆた)は手酌で盃に波々と酒を注ぐと、再び一気に飲み干した。

 そしてまたすぐに次の一杯を盃に注ぐ。


「⋯⋯那由他(なゆた)様? ⋯⋯あ、あの、⋯⋯飲み⋯⋯過ぎには十分に注意してください」


 心配そうに那由他(なゆた)を見つめていた刹那(せつな)だったが、居ても立ってもいられずに気遣いの言葉をかける。

 那由他(なゆた)が一番に反応を見せたのは、奇しくも、“その時”だった。


「あん? ⋯⋯五月蝿(うるせ)え。刹那⋯⋯、何度言わせれば気が済むんだ? ⋯⋯俺のやる事なす事にいちいちぐだぐだと注文を付けるんじゃねえ」


 激しい叱責(しっせき)を前にして、刹那(せつな)が目を逸らして俯(うつむ)く。


「⋯⋯は、はい。⋯⋯また悪い癖が出てしまいました。申し訳御座いません」


「御前は死天王(してんのう)として、俺のために戦いの中に生き、そして俺への忠誠や風魔(ふうま)一族の再興を願う証(あかし)印(しるし)として、その体に傷を刻んでいくだけで良いんだ」


「⋯⋯はい、仰る通りです。重ね重ね失礼ばかり⋯⋯、どうかお許しを」


 那由他(なゆた)は盃を床に打ち捨てた。

 盃は刹那(せつな)の前で粉々に砕け散る。

 そして那由他(なゆた)は椅子から立ち上がると、盃の欠片を踏みしめながら、立ち竦(すく)む刹那(せつな)の横へと歩を進めていく。

 

「⋯⋯さて、と。そろそろ召集に向かう準備をしなきゃだな。⋯⋯五人の面(つら)ぁ、拝んでくるとするか」


 そのすれ違いざまだった。

 ふと立ち止まった那由他(なゆた)は、刹那(せつな)のすぐ耳元で囁(ささや)くように呟(つぶや)いた。


「⋯⋯刹那(せつな)。来たるべき江戸城制圧の折に死掛(しか)ける、風魔八門遁甲(ふうまはちもんとんこう)。御前にその映えある、第一糸(だいいっし)を任せる」


「⋯⋯えっ?」


「⋯⋯匙(さじ)や蒼賽鬼(そうさいき)の旦那(だんな)が手配する、四鬼の修羅(しゅら)。他の七つの糸を御前が指揮しろ」


「⋯⋯私が? よろしいのですか?」


「⋯⋯はっ、何を言ってやがる。戦場では敵対する誰もが恐れ慄(おのの)く『大刀(だいとう)の刹那(せつな)』だろう? 根来(ねごろ)や雑賀(さいが)との戦いでも、来たるべき江戸城総攻撃でも。また数多(あまた)の傷を刻み、己(おのれ)をもっと美しく飾って魅(み)せろ。⋯⋯それが俺たちの約束、御前の存在している唯一の理由だからな」


「⋯⋯あぁ。その御言葉、有り難き幸せ、⋯⋯必ずや那由他(なゆた)様の御期待に添ってみせます」


「⋯⋯頼りにしてるぜ、刹那(せつな)」


 那由他(なゆた)の最後の言葉、呼び名⋯⋯。


 その声に刹那(せつな)の目が惚(ほう)ける。


「⋯⋯お任せを。那由他(なゆた)様」


 力強い返事だった。

 そして那由他(なゆた)を心から慕(した)う返事だった。



 美桜(みお)や朱雀(すざく)だけではない。


 此処(ここ)にもまた一人、『六歌戦(ろっかせん)』の男に恋焦がれる女子(おなご)が居た。


 淡桃(うすもも)色に染まる傷頬(きずほほ)。

 熱い想いと深い憂いを帯びた瞳。


 地下牢を後にしていく那由他(なゆた)の後ろ姿⋯⋯陣羽織の背中に描かれた巨大な女郎蜘蛛を、刹那(せつな)はずっと見つめ眺めていた⋯⋯。



 ⋯⋯そんな刹那(せつな)に見送られながら、薄暗い風魔(ふうま)屋敷の地下通路を、那由他(なゆた)は一人悠然と歩く。


 乾いた廊下に、那由他(なゆた)の足音だけが響いていた。

 そして背負う蜘蛛や、復讐と再興の念に呼応するように、通路の壁際や天井、至る所に張り巡らされた蜘蛛(くも)の巣の中で、無数の小さな八つ目が怪しく煌(きら)めいていた。

 

 

 左右の指をまるで蜘蛛(くも)の足のように蠢(うごめ)めかせながら、那由他(なゆた)が不気味にほくそ笑む。



「⋯⋯さあ、『六歌戦(ろっかせん)』ども。今は江戸城侵攻の大事(だいじ)の前。当面の間は見逃してやる。⋯⋯が、俺たちの復讐劇に少しでも刃向かうようならば、御前たちも蒲生(がもう)や根来(ねごろ)と同じだ。━━━━どんな華やかな歌花(うたばな)でも、我ら風魔(ふうま)の進撃の後には枯れ草しか残らぬと知れ!」





 ━━━━風魔(ふうま)再興、徳川への復讐、その野望の成就のためには日本(ひのもと)すら裏切り、蒼鬼(あおおに)と手を組むに至った、『六歌戦(ろっかせん)』、蜘蛛(くも)の那由他(なゆた)こと、風魔(ふうま)那由他(なゆた)━━━━。





 ━━━━そしてこの那由他(なゆた)以外にも、地獄の鬼と繋がり、日本(ひのもと)の裏舞台で妖美に蠢(うごめ)く者が、もう一人居た。



 紅鬼(あかおに)と密かに手を結ぶばかりか、時の権力者たちとも繋がり、京都の政治中枢にも強大な影響力を持つ、日本(ひのもと)を陰で操る魔性の女⋯⋯、京の都の人々や信者たちからは、月から降臨した“女神”や、“月読(つくよみ)の生まれ変わり”とまで呼ばれる、妖艶美麗な巫女(みこ)。



 その本拠、男子禁制の神門(しんもん)”弓削大社(ゆげのたいしゃ)“では━━━━。


 


第108話も最後までお読み頂きありがとうございました。ブックマーク、☆評価、顔文字、感想等、良かったらぜひよろしくお願いします。その優しさや応援が新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。


次回第109話、第一鐘完結「旅立ちの朝 〜後編〜」は、11月3日の投稿予定です。

次回はいよいよ第一鐘完結、残りの主要登場人物たちに引き続きスポットを当てた、第二鐘への予告も兼ねた話になっています。どうぞお楽しみに。


序鐘9話、第一鐘「京都六歌死闘編(きょうとろっかしとうへん)」100話、全109話。

1月から始めた連載&第一鐘も残り1話で一区切りとなります。そして第二鐘への予告編1話(110話)を挟んで、111話からはいよいよ、第二鐘「出羽白雪血風編(でわしらゆきけっぷうへん)」の幕開けとなります。

引き続き『羅生門怪鬼譚(らしょうもんかいきたん)』をよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

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