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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編 十二

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109/109

第109話 旅立ちの朝 〜後編〜

いよいよ第一鐘「京都六歌死闘編(きょうとろっかしとうへん)」完結です!

長い長い序鐘&第一鐘。綾麿(あやまろ)と鎌足(かまたり)に最後まで熱く心を重ねて頂き、本当にありがとうございました!


【登場人物紹介】

不知火綾麿(しらぬいあやまろ)━━━━

 従三位中将(じゅさんみちゅうじょう)。帝と日本を守る『六歌戦(ろっかせん)』の一人。謎の妖刀『村雨(むらさめ)』を帝から拝領し、御所警備西番を任う。村雨(むらさめ)の真刃(しんば)と鞘刃(さやば)での不知火(しらぬい)二刀流(にとうりゅう)の使い手。江戸徳川政権を憎み、鎌足(かまたり)を快く思っていない。麒麟(きりん)や朱雀(すざく)など五人の直属配下と『六歌戦(ろっかせん)』現体制の打破を画策する。出羽(でわ)に旅立つ鎌足(かまたり)を警戒、朱雀(すざく)に鎌足(かまたり)抹殺の命を下す。


伊賀の鎌足(かまたり)━━━━

 江戸城の公儀御庭番(こうぎおにわばん)伊賀組の小頭(こがしら)の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の半刃(はんじん)『鬼切丸(おにきりまる)』を持つ。鬼が現れた京都へ援軍として向かうが、滅亡したはずの風魔(ふうま)一族の江戸侵攻の報に、一時御所を離れる事を決断する。鬼切丸(おにきりまる)の残りの半刃(はんじん)を手に入れて伊賀の力となるべく、持主の役小角(えんのおずぬ)が隠遁(いんとん)する出羽(でわ)へ旅立つ。


 ━━━━空にはまだ三日月の影が朧(おぼろ)に浮かんでいた。


 白白(しらじら)と夜が明けたばかりの、男子禁制の弓削(ゆげの)大社(たいしゃ)。

 その本殿(ほんでん)前に甲高い若い女の声が響く。


「⋯⋯小夜神(さよがみ)様の降臨(こうりん)なるぞ!!」


 声の主をはじめ、大勢の足音が広い境内(けいだい)を走り回る。

 そして各自の持ち場へと就いていく。


 本殿(ほんでん)前の中庭を抜けた先に聳(そび)え立つ、朱の大鳥居。

 その真下から別殿(べつでん)が立ち並ぶ下の地まで、長く伸びた階段は数にして百段。

 薄っすらと篝火(かがりび)が焚かれ、夜の名残を残しているその階段の両端には、左右に百人ずつ合計二百人もの赤袴の若い巫女が、整然と立ち並んでいた。

 その光景を目にした男ならば、誰もが溜め息が漏らしてしまう事はまず間違い無い。

 二百の若い巫女たち、その誰もが甲乙付け難い程に容姿端麗(ようしたんれい)、色とりどりに美しかった。


 そんな巫女たちの視線は今、一点に集まっていた。

 全員が最上段の大鳥居を見上げ、お目当ての”誰か“が神門をくぐり、現れるのを今や遅しと待ち侘びている。


 かつて無い程の厳かさと物々しさ、そして巫女たちの真剣な眼差しに包まれる中━━━━。



 ━━━━待望のその時はやって来た。



 注目の大鳥居から日輪(にちりん)を背に現れたのは、梓弓(あずさゆみ)を持つ美しい巫女を左右両側に従えた、一人の美しい巫女(みこ)。


 立ち並んでいる巫女たちの誰もが息を飲む。


 この現れた巫女の立ち姿や外見を、たった一言で表すならば、まさに“神の降臨”だった。


 ⋯⋯天照大神(あまてらすおおみかみ)の再来。


 何らの疑問を抱かずにそう思えてしまう程の、類稀(たぐいまれ)な神秘性を放っていた。

 

 高貴な刺繍が施された、綺羅びやかな水干(すいかん)に似た紅と白の巫女装束。

 日輪(にちりん)を模した、豪華な髪飾りの輝き。

 女性の美と命の象徴とも言える、長く伸びた黒髪の美しさ、凛とした艷やかさ。

 そして雪のような色白の顔に、目の周りを紅に染める妖艶(ようえん)美麗(びれい)な化粧。


 そのどれもがこの世の実在(もの)とは思えない。

 其処(そこ)には老若男女問わず誰もがうっとりと見惚れる程の、究極の天上人(てんじょうびと)の神々しい美が在った。



 ⋯⋯弓月院小夜(きゅうげついんさよ)。



 この“現人女神(あらひとがみ)”が本殿(ほんでん)を離れ、人前に現れる事は滅多には無い。

 “とある目的”により京都の町へと下山、京都御所へと向かうべく、弓削(ゆげの)大社に仕える巫女たちの前に今、久々にその姿を現していた。

 

 その究極と言えるまでの美貌と華を前にしては、昇りゆく日輪(にちりん)の後光(ごこう)すらも、輝きを失って見える程だった。


 小夜(さよ)は百段の階下に視線を向ける。

 そして二百の巫女を見下ろしながら、この“現人女神(あらひとがみ)”は右手を階下に高々と翳(かざ)した。

 二百の巫女たちが小夜(さよ)を向き直り、一斉に跪(ひざまず)く。


「⋯⋯皆の者よ、よく聞け。この小夜(さよ)は『六歌戦(ろっかせん)』召集により、暫(しばら)くの間この本殿を留守にする」


 下山の目的を告げる、小夜(さよ)の澄んだ凛とした声。

 二百の巫女たちが挙(こぞ)って頭を下げ、敬礼する。


「その間、弓削(ゆげの)本殿には何人(なんぴと)の侵入も許すでない。この神門(しんもん)山門(さんもん)に一歩でも足を踏み入れし者は、必ず捕らえ、殺せ。⋯⋯万が一に殺し損ねた者は、この弓削(ゆげの)からの死を以ての追放とする。⋯⋯良いな?」


 その言葉はまさに神託(しんたく)。

 弓削(ゆげの)の巫女たちにとっては、まさに神からの詔(みことのり)にも等しかった。

 二百の頭が更に深く下がる。


 この時、小夜(さよ)の両隣に控える巫女が歩み出た。

 そして手にする梓弓(あずさゆみ)の弦(げん)を幾重(いくえ)にも掻き鳴らした。


 それは荘厳かつ幻想的、かつ重厚な弓の二重奏。

 その音を合図に、二百の巫女が再び一斉に動く。

 巫女たちはその美しい顔や神聖な衣装に似ず、各自が懐中や背中に武器を忍ばせていた。

 日本刀、短槍(たんそう)、弓矢、釵(さい)、長刀(なぎなた)、錫杖(しゃくじょう)⋯⋯。

 各々が様々な武器を手に、この梓弓(あずさゆみ)の鼓舞(こぶ)に応えた。


「「「「「「小夜神(さよがみ)様の仰(おお)せのままに」」」」」」


 二百の女性の声が美しくも狂わしく重なる。


 それは表向きの弓削大社(ゆげのたいしゃ)から想像されている、美や麗といった一般的な民衆の常識を覆す、“異様”とも言える情景だった。

 死をもって、という穏やかでは無い命令。

 そして信心を超えた、まるで洗脳でもされているような一致団結した動き。

 更にその”奇怪“を見下ろしているのは、小夜(さよ)と梓弓(あずさゆみ)の巫女だけではなかった。


 優雅に巫女装束を靡(なび)かせる小夜(さよ)の背後。

 階下の巫女たちからは見えない鳥居の陰には、密かに様子を窺(うかが)う三鬼の巫女姿の影があった。


 ⋯⋯紅髪鬼(こうはつき)、紅螢鬼(こうけいき)、紅鈴鬼(こうりんき)。

 女の紅鬼(あかおに)修羅(しゅら)たちである。



 紅鈴鬼(こうれいき)が紅白の鈴紐(すずひも)から垂れ下がる、大きな本坪(ほんつぼ)の鈴を凛と鳴らしながら、涼やかに呟く。


《⋯⋯流石は『六歌戦(ろっかせん)』の一人。これだけの数の女子(おなご)を心酔させるとは。なかなかに出来る事ではない》


 紅螢鬼(こうけいき)が握る拳をゆっくりと広げ、掌の中から無数の螢を空に舞わせながら、愉しげに呟く。


《理由は信心だけじゃなさそう。一部は恐怖心。だってあの人は地上の人間の女子(おなご)で、一番恐ろしい人だから》


 紅髪鬼(こうはつき)がその長く艷やかな黒髪を、ゆらゆらふわふわと宙に漂わせながら、おっとりと微笑む。


《理由(それ)は私たちには関係ない事よ。あの方は日本(ひのもと)侵攻のための大切な協力者。紅皇鬼(こうおうき)様の御命令通り、私たちの為すべき事は弓削(ゆげの)本殿、そしてあの方を警護するだけ》



 そんな三鬼の女修羅、紅鬼(あかおに)たちの目の前で、小夜(さよ)は百の階段を、ゆっくりとゆっくりと降り始める。


 この先に待つ久々の再会。

 その瞬間を想像して、小夜(さよ)の口元が妖しく緩む。

 その微笑みを彩る妖艶な紅化粧の眼(まなこ)には、かつて対峙した”あの男“の記憶と残像が、鮮やかに蘇っていた。


(⋯⋯不知火(しらぬい)綾麿(あやまろ)よ。この小夜(さよ)が弓削(ゆげの)を下りる日。それをそなたも待っていたのであろう? ⋯⋯さあ、時は満ちたぞ。あの三年前の対面からどれ程までに強くなったか。この私にしかと見せてみるがよい)





 ━━━━名声高き弓削大社(ゆげのたいしゃ)の宮司として、京都政権に絶大な影響力を誇り、また綾麿(あやまろ)と謎の因果(いんが)を匂わせる、『六歌戦(ろっかせん)』、弓月院小夜(きゅうげついんさよ)━━━━。





 ━━━━日本(ひのもと)が誇る最高峰の剣客集団『六歌戦(ろっかせん)』。

 恐るべき事にその内の二人までが、密かに鬼と手を結んでいた。


 蒼鬼(あおおに)と、先の風魔那由他(ふうまなゆた)。

 紅鬼(あかおに)と、この弓月院小夜(きゅうげついんさよ)。


 人間(ひと)と蒼鬼(あお)と紅鬼(あか)が交わる。


 鬼を滅し羅生門(らしょうもん)を封じる役目を担うはずの彼等は今、地獄界と地上界とを繋ぐ戦慄の架け橋━━━━羅生門(らしょうもん)邪道(じゃどう)の一つと化していた━━━━。





 ━━━━そして。

 陽のあたる地上から、その羅生門(らしょうもん)を抜けた先。

 地獄に於いても今この時、日本(ひのもと)への脅威と恐怖は、人知れず密かに着実に進行していた━━━━⋯⋯。





 ⋯⋯━━━━《⋯⋯まだか!! 羅生門(らしょうもん)の開通は!?》


 紅鬼(あかおに)軍の本拠⋯⋯紅鬼洞(こうきどう)内に恫喝、罵声、怒号が響き渡る。


 その声の出処(でどころ)は、幾重にも枝分かれして伸びている通路の一つ、最深部の扉の先。

 杖や剣や魔導書など西洋東洋を問わず古今東西の魔術具が置かれ、そして常に妖しい紅(あか)の気体が充満している、とかく不気味な部屋からだった。


 その一室の空気は、元々の奇怪さに輪をかけて、まさに“地獄の中の地獄”。

 そう呼んでも過言では無い程に今、狂気と暴力で淀(よど)みに淀(よど)んでいた。


 部屋の中には二十の羅刹(らせつ)たちが、緊張の面持ちで立ち並んでいる。

 そしてそんな羅刹(らせつ)たちと向かい合う、二鬼の紅鬼(あかおに)修羅(しゅら)の姿が在った。


 一鬼はこの不気味な部屋の管理者でもある、紅鬼(あかおに)軍の副将、修羅(しゅら)の紅呪鬼(こうじゅき)。

 そしてもう一鬼は、血の紅(くれない)色と黄金(こがね)色に染まる髪を靡(なび)かせた、大柄な紅鬼(あかおに)の修羅(しゅら)。


 この派手な修羅(おとこ)が全ての淀(よど)みの原因。

 騒ぎの発端だった。



 ⋯⋯それは牢から解放されたばかりの、伝説の魔鬼(まき)。

 紅酒鬼(こうしゅき)こと、酒吞(しゅてん)である。



 ⋯⋯《⋯⋯おい! 雑魚鬼ども、いつまで待たせりゃ気が済むんだ!? いいか! とにかく早く開け! この酒吞(しゅてん)様は気が短いんだ!》


 酒呑(しゅてん)は傍に控える羅刹(らせつ)たちに向けて、狂犬のように吠えまくっていた。

 いつもは怖いもの知らずの強面(こわもて)屈強な羅刹(らせつ)たちですら、そのあまりもの迫力を前にして身体が竦(すく)んでいる。


 ⋯⋯力の限りに暴れ回ってやる。

 ⋯⋯誰彼構わず叩き潰してやる。

 ⋯⋯早く、早く、暴れさせろ!


 そんな秘めた胸の内、心の声までが聞こえてきそうな程に、この時の酒呑(しゅてん)は”狂鬼“と“鬼迫(きはく)”の塊だった。

 早くも戦闘用の鎧や装備を纏(まと)い終わり、生来の好戦的で暴力的な性格を滾(たぎ)らせている。


 羅刹(らせつ)たちが怯む一方、この場でただ一鬼、紅呪鬼(こうじゅき)だけは冷静沈着を貫いていた。

 繋ぎ役の羅刹(らせつ)の報告にも、静かに耳を傾ける。


《⋯⋯ふむ、あの者がいよいよ下山、『六歌戦(ろっかせん)』召集の場に向かう、⋯⋯か》


 弓削(ゆげの)大社に派遣している女修羅三鬼からもたらされたのは、日本(ひのもと)の協力者である小夜(さよ)の下山の報だった。


(《⋯⋯『六歌戦(ろっかせん)』の会合と京都はあの小夜(もの)に任せるとして。⋯⋯取り急ぎの問題は酒呑(こちら)だな》)


 紅呪鬼(こうじゅき)は一息つくと、次はいよいよ目の前の荒くれ者と対峙する。

 変わらず落ち着き払った声で、酒呑(しゅてん)を諌(いさ)め始めた。



《我慢しろ、酒吞(しゅてん)。京都や江戸とは違う。出羽(でわ)に羅生門(らしょうもん)邪道(じゃどう)を開通させるにはまだ時間がかかる》


《この俺、酒吞(しゅてん)様の総大将(そうだいしょう)の座が懸かってんだ! のんびりと待っていられるか! 現状はどうなっている!?》


《⋯⋯羅刹(らせつ)の何鬼かに葬魂(そうこん)の術を仕掛けさせた。今、出羽国(でわのくに)に向かっている。奴等が目的の地に到着しさえすれば、すぐに出羽国(むこう)と地獄(こちら)の邪道(じゃどう)は開く》


《何をちまちまやってやがる!! 俺様が羅生門(らしょうもん)本道を通り、京都から江戸まで焼け野原にし人を喰いながら直接に向かってもいいんだぜ!! その方が手っ取り早え!》


 酒呑(しゅてん)は紅呪鬼(こうじゅき)を激しく睨み付けた。

 その目は今にも、この部屋ばかりか岩窟(がんくつ)全てを破壊し吹き飛ばしてしまいそうな、狂暴さに満ち溢れている。

 紅呪鬼(こうじゅき)はやれやれとばかりに溜め息をついた。


《⋯⋯それはまだ許さぬ。まずは約束通りに役小角(えんのおずぬ)と鬼切丸(おにきりまる)。出羽国(でわのくに)での厄介事を全て片付けてからだ》


《⋯⋯けっ、勿体振りやがって。その堅物ぶりも昔と全く変わってねえな。紅呪鬼(こうじゅき)よ》


《⋯⋯褒め言葉として捉えておく》


《⋯⋯っと、そういやあ⋯⋯、現総大将の紅皇鬼(こうおうき)の野郎はどうした? この酒吞(しゅてん)様を広間でも来賓(らいひん)の間でもねえ、こんな薄汚い場所に案内しやがって!?》


《⋯⋯薄汚い場所で悪かったな。此処(ここ)は私の大事な秘密の地下研究室だ。⋯⋯葬魂(そうこん)の術の生まれし地だぞ》


《それにだ、紅皇鬼(てめえ)の代わりに戦おうってのに、まだ一度も俺様に挨拶も無えとは一体どうなってやがる!? ⋯⋯納得いくように説明しろ! 紅呪鬼(こうじゅき)よ!!》


 酒吞(しゅてん)の言葉の通りだった。

 何かあれば自分が責任を取る。

 そう宣言しながら酒呑(しゅてん)を解き放つ決断を下した紅皇鬼(こうおうき)は、まだ一度も酒呑(しゅてん)の前には姿を見せていなかった。


 冷静な紅呪鬼(こうじゅき)の眉間に皺(しわ)が寄る。

 その脳裏を過(よぎ)るのはつい一刻(いっとき)程前に直接に交わした、紅皇鬼(こうおうき)との会話だった⋯⋯━━━━。




 ━━━━⋯⋯(《⋯⋯紅呪鬼(こうじゅき)よ、俺は閉鎖以来久しぶりに閻魔宮(えんまきゅう)に顔を出してくる》


(《⋯⋯閻魔宮(えんまきゅう)に? 酒呑(しゅてん)とは会わないのですか?》)


(《酒呑(あいつ)は御前が相手をしろ》)


(《⋯⋯は?》)


(《⋯⋯目覚めさせた者が面倒を見るのは当然だろ? それに俺には大事な用があってな》)


(《⋯⋯危険な酒呑(しゅてん)を解放させておきながら、この大事(だいじ)を上回る何の大事(だいじ)があるのです?》)


(《順序が逆になっちまったがな、此度(こたび)の酒吞(しゅてん)の解放、閻魔王(えんまおう)様にも報告は入れておかないと流石にまずいだろう。状況が状況だけに会えるかはわからんが》)


(《⋯⋯閻魔王(えんまおう)様に会えるかどうかも分からないまま、閻魔宮(えんまきゅう)へ行く、と?》)


(《実際にこの目で閻魔宮(えんまきゅう)の状況を見てみたい、ってのあるからな。⋯⋯というわけだ。暫(しばら)く紅鬼洞(ここ)を空けるが、その間は任せたぞ》)


(《⋯⋯⋯⋯》)


(《酒吞(しゅてん)を言葉巧みに上手く操りながら、憎(にっく)き小角(おずぬ)と鎌足(かまたり)とか言う奴を血祭りにあげてこい。⋯⋯そうそう、この奥座には決して酒呑(やつ)を近付けさせるなよ。この総大将の椅子は奴には座らせるつもりはねぇ。勘違いされたら困るからな。⋯⋯いいな、紅呪鬼(こうじゅき)?》)


(《⋯⋯⋯⋯、はい、畏(かしこ)まりました》)⋯⋯━━━━。




 ━━━━⋯⋯紅呪鬼(こうじゅき)は目を閉じる。

 そして紅皇鬼(こうおうき)の去り行く背中を思い出していた。


(《⋯⋯もしもの時は酒吞(しゅてん)は自分が何とかする、と言っていたはずだが。やはり私に押し付けたか。やれやれ、閻魔王(えんまおう)様への報告は必要な事とは言え、気まぐれが過ぎる御方だ。⋯⋯待て、いや、まさか。⋯⋯もしや、酒吞(しゅてん)から逃げた⋯⋯、か?》)


 しかしあれこれと深い考察を巡らす余裕や暇(いとま)は無い。

 紅皇鬼(こうおうき)の真意が何(いず)れにしても、今は上手く酒呑(しゅてん)からの追及を誤魔化すのが先決だった。

 意を決した紅呪鬼(こうじゅき)が口を開く。


《⋯⋯紅皇鬼(こうおうき)様は出かけられている》


《あぁ!? 何だとぉ? ふざけやがって、面倒な事は周りに押し付けて、自分は楽しくいけしゃあしゃあと女紅鬼(おんなおに)どもを引き連れて日本(ひのもと)見物か!?》


《違うな。その行き先は残念ながら、御主が一番恐れる場所。⋯⋯閻魔宮(えんまきゅう)だ》


《なにぃ!? 閻魔宮(えんまきゅう)だと!? ⋯⋯紅呪鬼(こうじゅき)よ、まさかこの酒呑(しゅてん)様を再度封印するための相談じゃねえだろうな!?》


《⋯⋯さて。⋯⋯そうかもしれぬな》


 紅呪鬼(こうじゅき)は此処(ここ)で敢えて答えをはぐらかした。

 そして後は口を閉ざして黙り込む。


 その場しのぎの口から出任せ、はったりだった。

 しかしこれが結果的には最善最良の策となった。

 閻魔王(えんまおう)の名と、封印という言葉。

 そして不必要に口を開かない沈黙という一手は、酒呑(しゅてん)にありもしない封印の幻影を見せ、警戒を抱かせる事に成功していたのだ。


 紅呪鬼(こうじゅき)の話術にはまった酒吞(しゅてん)は、苛立ちで顔を歪(ゆが)めて激しく舌打ちをする。


《ふん、閻魔王(えんまおう)など恐れるものか! ⋯⋯いいだろう。紅皇鬼(こうおうき)がどう動こうが関係ねえ。俺様にとっての最優先は、出羽(でわ)へと繋がる羅生門(らしょうもん)》


《⋯⋯⋯⋯》


《だがいいか、忘れるなよ紅呪鬼(こうじゅき)。鬼の約束は絶対だ。鬼切丸(おにきりまる)を持つ者を潰し、役小角(えんのおずぬ)の出羽(でわ)を陥落(おと)しさえすれば、この俺様は御前との約束通り、紅鬼(あかおに)の総大将。⋯⋯紅鬼(あかおに)の頂点に立ってしまえば、閻魔王(えんまおう)とは言え、そう容易には手を出せぬからな! ⋯⋯はっはっは!》


《⋯⋯私の配下の修羅(しゅら)二鬼を監視に付けることも忘れるな、酒呑(しゅてん)よ。紅滅鬼(こうめつき)と紅殺鬼(こうさつき)は私が手塩にかけて育てた妖術に長けた二鬼(にき)。それぞれ西洋と東洋の強力な封印の呪法を身に付けている。⋯⋯万が一に、御主が少しでも反逆や離反の意思、不可解な動きを見せれば━━━━、この二鬼の呪法により、御主は封鬼牢(ふうきろう)へと逆葬(ぎゃくそう)される》


《⋯⋯ふん、笑わせるな。⋯⋯できるのか。この俺様を封印することが。そんな未熟な小童(こわっぱ)の修羅(おに)どもに》


《⋯⋯この紅呪鬼(こうじゅき)が授けし魔界の呪術、見くびると思わぬ痛い目を見るかもしれんぞ。酒呑(しゅてん)よ》


《なにぃ?》


《真実を言ったまでだ》


《⋯⋯ふん、どこまでも口の減らない、頑固な奴め》


《そこまでの覚悟が無いと務まらぬからな。酒呑(おぬし)であれ紅皇鬼(こうおうき)様であれ、紅鬼(あかおに)総大将に仕える副将として、な》


《⋯⋯ふん、安心しろ、紅呪鬼(こうじゅき)。俺様が総大将に就いても、御前だけはそのまま副将の座に据え置いてやる。⋯⋯俺様に感謝しな》


《⋯⋯それはそれは。とりあえずは、有難き幸せ⋯⋯、とでも返しておこうか。⋯⋯ふふふふふ》⋯⋯



 ⋯⋯日本(ひのもと)に迫る、最大の危機。


 遠き平安の時代の災厄(やくさい)、再び。

 蘇える狂気の暴君、酒呑(しゅてん)。


 その暴魂(ぼうこん)の雄叫びは、慟哭(どうこく)の響(なげ)きをも含んでいた。

 

 ⋯⋯酒呑(しゅてん)の葬魂(そうこん)の術により、魂を奪われた肉体。

 平安当時の『六歌戦(ろっかせん)』の一人、坂田金時(さかたきんとき)⋯⋯。


 流れる血に刻まれた人としての過去は、七百年の刻を超えても未だ消えてはいなかったのだ。


 紅(くれない)の血の昂(たかぶ)りが、遠い記憶を呼び起こす。

 そして酒呑(しゅてん)の邪念野心と重なり、交わっていく。



 紅(あか)の洞窟に再び、酒呑(しゅてん)の咆哮(ほうこう)が木霊(こだま)する。


《血が騒ぐ。あの懐かしき陽(ひ)の下(もと)で早く暴れたくて仕方ねぇ。一日でも早く、一刻でも早く、一秒でも早く、羅生門(らしょうもん)邪道(じゃどう)を開門させろ! ⋯⋯いいな!!!!》






 ━━━━紅鬼(あかおに)の総大将の座、そして地獄と日本(ひのもと)双方の覇権を狙う狂気と伝説の鬼、紅酒鬼(こうしゅき)こと酒吞(しゅてん)━━━━。






 ━━━━一方、その頃。

 地獄を支配するもう一つの巨大勢力、蒼鬼(あおおに)の軍。

 その本拠である蒼鬼城(そうきじょう)の天守では、総大将の美しき蒼鬼(あおおに)、蒼極鬼(そうごくき)が一人思案に暮れていた━━━━⋯⋯。





 ⋯⋯━━━━《蒼極鬼(そうごくき)様、また考え事をされてるんですか?》


 蒼妖鬼(そうようき)が心配そうに問いかけた。


 蒼極鬼(そうごくき)は今日もまた、蒼の地獄を一望できる天守の高欄(こうらん)に立ち、ひとり考えを巡らせていた。


《⋯⋯ああ》


 空返事と共に振り向いた蒼極鬼(そうごくき)は、心此処にあらず。

 少なくとも旧知の蒼妖鬼(そうようき)には、そう見えた。


《葬極鬼(そうごくき)様、そう心配しなくても大丈夫ですわよ。蒼氷鬼(そうひょうき)と蒼雪鬼(そうせつき)の姉妹が仕掛ける葬魂(そうこん)の術、そして疑心暗鬼(ぎしんあんき)の罠にかかれば、今度ばかりはあの憎たらしい”かまあし“ちゃんも、一巻の終わり》


《⋯⋯出羽(でわ)の件、か》


《今から合流しようとする大切な仲間九人。その一人がまさか既に死んでいて、しかも葬魂(そうこん)の蒼鬼(おに)が化けているとは。うふふ、かまあしちゃんは夢にも思わないはず》


 かまあし。

 鎌足(かまたり)の事である。

 目にした字面(じづら)からやっと覚えた憎い人間の名を連呼し、その泣き顔を想像しながら、蒼妖鬼(そうようき)は悦に入った顔で微笑んだ。

 しかしそんな覚え間違いと笑顔に、蒼極鬼(そうごくき)は軽く左右に首を振る。


《⋯⋯私が考えているのはその事ではない。出羽(でわ)の作戦には何の不安も無い。⋯⋯それよりも、だ。やはりまだあの男が気になってな》


《⋯⋯あの男?》


《つい喉元まで出かかっている気もするのだが。⋯⋯どうしても思い出せぬのだ。⋯⋯あの男の事を》


《⋯⋯何だ。⋯⋯また不知火(しらぬい)綾麿(あやまろ)の事ですか?》


《⋯⋯そうだ》


《そこまで気になさるなんて⋯⋯。あのような人間の男、この蒼(あお)の地獄⋯⋯いえ、地獄全土とも何一つ関係は無いとは思うのですが》


《⋯⋯のはずだがな。⋯⋯妙な胸騒ぎがしてな》


《⋯⋯? 胸騒ぎ、ねぇ⋯⋯、⋯⋯あ!》


 蒼妖鬼(そうようき)が突然、何かを閃いたようにぽんと手を叩く。


《蒼極鬼(そうごくき)様、名案を思いつきましてよ!》


《⋯⋯名案?》


《それ程までに気になるならば、亡者たちの過去の罪人記録━━━━“閻魔帳(えんまちょう)”を調べてみてはどうでしょう? 閻魔帳(あれ)を遡(さかのぼ)れば、あの綾麿(おとこ)について何かを思い出したり、胸騒ぎの意味が分かったりするかもですよ?》


 蒼妖鬼(そうようき)はきらきらと目を輝かせる。

 そして両掌を腰に添えながら、にんまりと得意顔を見せた。


《閻魔帳(えんまちょう)⋯⋯。成程、綾麿(あやまろ)の記録を探る、か。罪人の記録は閻魔宮(えんまきゅう)での私の役目だが、余程に名のしれた亡者以外はいちいち一人一人の顔は見てはいないし、また名前も覚えてはいない。⋯⋯が、私の付けた数百年にも及ぶ記録は全て残ってはいる》


《⋯⋯うふふ。⋯⋯ね、名案でしょう?》


《⋯⋯そうか、過去の職務の際にその顔を見て、名を呼んだ事があった⋯⋯。それで記憶の片隅に引っ掛かっていたのかもしれんな》


《でしょ、でしょ!》


《⋯⋯もし、万が一にも名前や記録が閻魔帳(えんまちょう)に残されていれば、あやつは地獄に一度来たという事(こと)。無ければ私の気の所為(せい)⋯⋯ということになる、か。⋯⋯ふむ》


《まあ⋯⋯、人間が地獄に来てまた蘇ったなんて聞いた事も無いし、恐らくは名前は無いんでしょうけど。⋯⋯それで蒼極鬼(そうごくき)様が御納得されるなら。調べてみる価値はあるかと?》


《⋯⋯そうだな。それに依然として姿を見せぬ閻魔王(えんまおう)様。その御様子が今どうなっているのか。それも気になっていた。蒼将鬼(そうしょうき)たちの報告だけではなく、これは久しぶりに閻魔宮(えんまきゅう)に一度、自ら出向いてみる必要があるな》


 蒼極鬼(そうごくき)は軽く頷くと、再び蒼の地獄を振り返った。

 その視線の先には、天守からの絶景が広がっている。


 妖気に満ちたこの蒼(あお)の天守閣に於いては、各地獄の距離や階層などは一切関係は無い。

 紅鬼(あかおに)の管轄地以外、即(すなわ)ち蒼鬼(あおおに)の管轄地獄と、閻魔王(えんまおう)統括の中立地ならば、望む場所の全てが天守閣(ここ)から一望できた。


 蒼極(そうごくき)の視界の遥か遠く。

 件(くだん)の閻魔宮(えんまきゅう)が、霧に小さく霞んで見える。


 閻魔宮(えんまきゅう)が聳(そび)え立つ泰山(たいざん)。

 その山腹の麓(ふもと)にあたる黄泉比良坂(よもつひらさか)。

 そして黄泉の坂を下った先の岸辺からは、海とも思える程の巨大な大河が広がっていた。


 まるで亡者たちの心境を映したように暗く寂しく物憂げに澱(よど)み、また時と場所によって潮の流れや渦目(うずめ)が不規則に変化する、静動(せいどう)万華(ばんか)の奇怪な水面(みなも)。


 それは現世(このよ)と来世(あのよ)を分かつ境界線。



 ⋯⋯世に知られた、“三途(さんず)の川”である。



 そんな地獄の名勝(めいしょう)山河(さんが)を眼(まなこ)に映しながら、蒼極鬼(そうごくき)が呟いた。


《折角だ。いつも通り向かうのでは、面白くない。⋯⋯賽(さい)の河原の番人、蒼賽鬼(そうさいき)を呼んでくれぬか》


《⋯⋯えっ!? ⋯⋯と言うことは! もしかしていよいよ“あれ”のお披露目ですの!?》


 蒼妖鬼(そうようき)は揉み手と満面の笑みで、蒼極鬼(そうごくき)にすり寄っていく。


《⋯⋯ああ。賽(さい)の河原において極秘裏に造らせていた、“あれ”の試運転に丁度良い》


《わわわっ! 是非に是非に私も乗せてくださいな!》


《此度(こたび)の日本(ひのもと)侵攻のための秘策中の秘策。その勇姿を是非とも閻魔王(えんまおう)様にも見て頂くとしよう。⋯⋯いや、その前に。閉ざされた閻魔宮(えんまきゅう)では、行き場を無くした亡者ども以外にも、“何”が待ち受けているか分からぬからな》



 謎の全ての答えは、川の上流、あの霞の中⋯⋯。


 ⋯⋯閉ざされた閻魔宮(えんまきゅう)に在り。


 この時の蒼極鬼(そうごくき)の眼は、確かにそう告げていた。



《⋯⋯不知火(しらぬい)綾麿(あやまろ)か。この私を脅かす、その出自、その謎、その正体。⋯⋯しかとこの蒼眼(そうがん)で暴いてくれよう》





 ━━━━『六歌戦(ろっかせん)』不知火(しらぬい)綾麿(あやまろ)に謎の執着と警戒を抱き、また日本制覇の秘策を巡らせる蒼鬼(あおおに)軍総大将、蒼極鬼(そうごくき)━━━━⋯⋯。





 ⋯⋯━━━━そして。


 時を同じくして、舞台は再び陽のあたる地上。

 日本(ひのもと)、京都へ。

 蒼極鬼(そうごくき)が警戒の念を見せ、また小夜(さよ)とも何らかの因縁を持ち、そして旅立った鎌足(かまたり)が最も名残(なごり)に思う男は今、京御所から離れた私宅別邸に居た。





 ━━━━「⋯⋯また夜通しされていたのですか」


 書斎の襖(ふすま)を開けた青龍(せいりゅう)は、差し込む朝の陽と共に、温かな気遣いの声を発していた。


 青龍(せいりゅう)が声を掛けた先。

 その小さな座敷には、机を前に熱心に何かを調べている最中の一人の男の背中が在った。

 その傍には眩(まばゆ)いばかりの金色に輝く、豪華絢爛な刀鞘(かたな)が一振り、立て掛けられている。

 

 それは言われずと知れた妖刀、帝から授かった『村雨(むらさめ)』。

 そしてその現所有者、不知火(しらぬい)中将(ちゅうじょう)綾麿(あやまろ)だった。



 部屋着用の薄紫の狩衣(かりぎぬ)を纏った綾麿(あやまろ)は、昨晩からこの部屋に籠もりきりで、ずっとある調べを続けていた。

 脱いだ烏帽子(えぼし)と共に机の上に置かれているのは、御所内の書庫や倉庫から取り寄せた、数多くの記録書。

 その一つ一つの書物、何十何千万という文字を綾麿(あやまろ)はひたすらに読み耽(ふけ)っていた。

 これが警備の番や出仕(しゅっし)以外の日における、此処(ここ)暫(しばら)くの綾麿(あやまろ)の日常の光景だった。



 朝の穏やかな景色に似合う落ち着いた声で、綾麿(あやまろ)の後ろに座した青龍(せいりゅう)が問いかける。


「もうじき召集の日ですね。⋯⋯三年、いや正確にはもう六年にもなりますか。永く追い続けてきた弓削(ゆげの)大社(たいしゃ)、そしてその忌まわしき秘密。⋯⋯どうでしょう? 新しい何かは掴めそうですか?」


 綾麿(あやまろ)は読みかけの書物を閉じ、青龍(せいりゅう)を振り返る。

 そして残念そうな声で、淡々と言葉を吐き出した。


「⋯⋯否(いな)、何の証拠も掴(つか)めずだ。⋯⋯小夜(あやつ)め、なかなかに尻尾を出さぬ。念の為にと思い、前に一度調べた書物も今一度隈無く調べてみたが、やはり過去の内裏(だいり)の記録や地方の公文書(こうぶんしょ)、口伝(くでん)の紙の端に至るまで、その何もかもが影も形もなく、歴史から消されている」


「⋯⋯そうですか。やはり防御は厳重ですか」


「先日の御所での鬼たちとの戦いの折、紅斬鬼(こうざんき)から確証は得たとは言え、日本(ひのもと)反逆の証拠としては不十分。⋯⋯もっと確実な証拠を掴まねば、関白(かんぱく)殿以下、誰も罷免(ひめん)や排除の話は取り合ってはくれまい」


「諸大臣の中にも、弓削(ゆげの)の影響は強く及んでいます故(ゆえ)。流石は難敵、幾星霜(いくせいそう)にも渡り日本(ひのもと)の裏に君臨する女傑(じょけつ)」


「紅閃鬼(こうせんき)にもそれとなく問うてみたが、知ってか知らずか口は割らず、だ。密かに紅鬼(あかおに)と組する事を此処(ここ)まで突き止めながら、手が出せぬとは。本当に歯痒(はがゆ)いものよ」


「⋯⋯本当は出羽国(でわのくに)の小角(おずぬ)が、もっと協力的であれば、このような苦労は無かったのかもしれませんね。確か綾麿(あやまろ)様も以前は何度か文を送っていたはず。紅鬼(おに)を退けた『六歌戦(ろっかせん)』功労の誉(ほまれ)と、生き証人でもあるあれ程の者が後ろ盾になってくれれば、心強いのですがね」


「一度も返事は無い。梨の礫(つぶて)だ。小角(おずぬ)は余程に権力や人を嫌っているらしい。⋯⋯此度(こたび)も玄武(げんぶ)に文(ふみ)を託してはみたが、恐らく聞き出すのは至難(しなん)の業だろうな。鬼切丸(おにきり)の片割れを破壊しようとするならば尚更だ」


「⋯⋯厄介ですね。小夜(さよ)と鬼切丸(おにきりまる)の両天秤は。しかもどちらもが重く、手強い。本当にお疲れ様で御座います」


 綾麿(あやまろ)は普段の姿を決して人前では見せようとしない。

 しかし普段から傍に仕えている青龍(せいりゅう)だけは、その細やかな苦労の全てを悟っていた。

 青龍(せいりゅう)は穏やかな声で綾麿(あやまろ)をそっと労(ねぎら)い、綾麿(あやまろ)もまたそんな青龍(せいりゅう)に向けて、穏やかにそっと笑みを返す。

 此処(ここ)にはいつもの見慣れた二人の光景があった。


 綾麿(あやまろ)が悔しそうに唇を噛む。


「⋯⋯本当は此度(こたび)の召集日。すなわち弓削(ゆげの)大社(たいしゃ)を下山し、小夜(あやつ)が都に居座っている間までに、何とか手を打ちたかったのだが。残念ながらそれは叶わぬようだ。⋯⋯だが青龍(そなた)の方こそ、また夜通しだったのではないか? 成果はどうであった?」


「私の方も御所の謎の氣の乱れにより、占(せん)の残影(ざんえい)が揺らいでいます。これは時期的にみても原因は恐らく⋯⋯」


「⋯⋯霧人(きりひと)、陰陽衆(おんみょうしゅう)だろうな」


「私もそう思います」


 青龍(せいりゅう)は真剣な表情で、こくりと頷いた。

 そんな青龍(せいりゅう)に向けて、綾麿(あやまろ)は厳しい表情で言葉を続けていく。


「⋯⋯霧人(きりひと)の狙いは何と見る?」


「⋯⋯さあ、まだ何とも。鬼が羅生門(らしょうもん)邪道(じゃどう)を開けぬよう守護結界を張っている、とも考えられますが、真実の程は掴めてはおりません。現に鬼たちはあの襲撃の夜を境に現れてはおりませんし、その可能性はあります。⋯⋯が」


「⋯⋯怪しい点もあるか」


「⋯⋯はい。もしそうならば、陰陽(おんみょう)五色(ごしき)は白の呪法のはず。しかし私の占(せん)が乱されているという事は、同系の青の呪法を含みます。⋯⋯この点が解せません」


「⋯⋯そうか。⋯⋯小夜(さよ)に続き、霧人(きりひと)率いる陰陽衆(おんみょうしゅう)にも油断は禁物。⋯⋯あの霧人(おとこ)の真意もまた、しかと『六歌戦(ろっかせん)』召集の場で確かめさせてもらおう」


「私も引き続き、御所に漂う呪法の痕跡(こんせき)を辿ってみようと思います。しかしご安心を。私に与えられた任務、羅生門(らしょうもん)本道の探索の方も責任を持って成し遂げます故(ゆえ)」


 青龍(せいりゅう)は頭を下げた。

 綾麿(あやまろ)は申し訳無さそうに言葉を返す。


「⋯⋯地獄を攻めるためには、羅生門(らしょうもん)本道の場所を見つけるのが何よりの要(かなめ)。青龍(せいりゅう)よ、それは妖力に長けたそなたにしかできぬ事。相当に難儀(なんぎ)だろうが何とか頼む」


「畏(かしこ)まりました。この青龍(せいりゅう)の妖力の全てを注ぎ、何とかしてみせます。⋯⋯しかし、綾麿(あやまろ)様?」


「⋯⋯どうした?」


「見た所かなりお疲れの御様子では? どうでしょう、私の龍笛(これ)で良ければ⋯⋯」


 青龍(せいりゅう)はそう言うと、懐から龍笛(りゅうてき)を取り出した。


「⋯⋯その荒(すさ)ぶ心も、幾分(いくぶん)かは鎮まりましょう」


 そして唇を龍笛(りゅうてき)へと寄せた。



「⋯⋯笛か。久しぶりだな」


 綾麿(あやまろ)もゆっくりと目を閉じていく。


 のどかで美しい朝の陽(ひかり)を伴奏に、青龍(せいりゅう)が響かせた龍笛(りゅうてき)の音。

 それは疲れた身体の隅々にまで染み渡る、澄んだ美しい癒しの音色だった。

 御所で吹いた鎮魂(ちんこん)挽歌(ばんか)の音とはまるで違う旋律。

 響きも抑揚も高低音の交わりも、何もかもが異なる。

 しかし共通している事がただ一つだけあった。

 それは奏者の生来の優しさ、人を慈しむ気持ちが垣間見える、という事。

 音色は青龍(せいりゅう)の心を映していた。


 まるで生きている人間の鼓動のように、所々で波を打ちながら高揚していく笛の旋律。

 その残響が壁や障子に染みながら消えていく。

 

 その細やかな余韻の侘(わ)び寂(さ)びを慈しみながら、目を閉じたままに綾麿(あやまろ)が呟いた。


「⋯⋯とすれば、決定的な証拠のための唯一の手ががりとなるは、もう一人の生き証人。⋯⋯鎌足(かまたり)の奴が最初に会った時に思いがけず口にした情報。⋯⋯やはりそれに縋(すが)るしか無いのかもしれんな」


 鎌足(かまたり)からもたらされた情報、そして生き証人。

 それが誰のことを指しているのか。

 青龍(せいりゅう)はすぐに悟っていた。


 龍笛(りゅうてき)の息吹が止まる。


「ならば鎌足(かまたり)はやはり生かしておきますか? 私が早馬で駆ければ今ならまだ朱雀(すざく)を止めることができますが」


 止まった龍笛(りゅうてき)の音色。

 その代わりに青龍(せいりゅう)が口にしたのは、言わば”値踏み“。


 ⋯⋯鎌足の命の値踏みだった。



 綾麿(あやまろ)がゆっくりと目を開けていく。


「⋯⋯否(いな)。それと鎌足(やつ)の命とは別。⋯⋯憎き江戸側の鎌足(かまたり)は出羽(でわ)で殺す。鎌足(やつ)は何(いず)れは俺や朝廷にとって最大の障壁(てき)になるかもしれんからな」


「⋯⋯⋯⋯」


「その意味では出羽(でわ)に旅立ってくれたのは好都合というもの。遠方で旅人が野垂(のた)れ死ぬのは、いつの世もよくある事。⋯⋯諸大臣はじめ、皇子(みこ)や姫への鎌足(あやつ)の死の報告の際に、誤魔化しも効く」


 綾麿(あやまろ)から出た答えは容赦の無い、非情の言葉だった。

 その表情も旅立つ朱雀(すざく)に命令を伝えていた時と、まるで変わってはいない。

 断固たる厳しさや決意が滲んでいる。

 しかし青龍(せいりゅう)は何故(なぜ)か少し微笑んでいた。


「朱雀(すざく)よりも遥かに、遥かに長い付き合いです。綾麿(あやまろ)様の本心からの言葉や殺意なのか、それとも一軍の将として、無理にでも情けを捨てて作らねばならない我慢の仮の顔なのか。私だけは手に取るように分かります。⋯⋯それに、真実(それ)を唯一理解して差し上げるのも、貴方様に仕える副将としての私の務めでもありますから」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯綾麿(あやまろ)様の力になりたい想いに焦がれる朱雀(すざく)に狙われ、仮に鬼切丸(おにきりまる)を破壊する本気の玄武(げんぶ)とも出逢っては、その命は間違い無く⋯⋯、果てます」


「⋯⋯だろうな」


「⋯⋯伊賀の鎌足(かまたり)。⋯⋯本当に、本当に殺してしまってもよいのですか?」


「⋯⋯⋯⋯」


 綾麿(あやまろ)は黙ったままだった。


 そんな綾麿(あやまろ)を横目に、青龍(せいりゅう)は昔を懐かしむような穏やかな表情を浮かべていた。

 そして爽やかに微笑んだ。


「それに。憎い、殺す、最大の敵。ふふふ、綾麿(あやまろ)様。かつて私と出会った直後も同じ事を言っていましたよ?」


 綾麿(あやまろ)は罰が悪そうに、少し目線を逸らす。

 そして障子の隙間から差し込む光や、庭木の木漏れ日を見つめながら、素知らぬ顔で呟いた。


「⋯⋯遠い昔の話だ。⋯⋯記憶に無い」


 そして溜息混じりに薄っすらと微笑むと、一言一言を噛み締めるように言葉を続けた。


「朱雀(すざく)への命令に後悔などは微塵(みじん)もない。⋯⋯ただ」


「⋯⋯ただ?」



「⋯⋯もう二度と、鎌足(あやつ)のあの減らず口を聞く事は無い⋯⋯。そう思うとな、いささか寂しい気もする。⋯⋯それだけだ」⋯⋯━━━━。





 ━━━━妖刀『村雨(むらさめ)』を振るい、鎌足(かまたり)と『鬼切丸(おにきりまる)』、そして江戸徳川にとっても最大の宿敵。

 未だ多くの謎を秘めた『六歌戦(ろっかせん)』、不知火(しらぬい)中将(ちゅうじょう)綾麿(あやまろ)━━━━⋯⋯




 ⋯⋯その瞳に映る明日は、善か悪か。

 ⋯⋯その心に描く未来は、正か邪か。

 ⋯⋯その口にした言葉は、嘘か真か。




 綾麿(あやまろ)の秘めた胸の内を、出羽(でわ)への旅路の最中の鎌足(かまたり)は、知る由もない━━━━。





 ━━━━「⋯⋯ふぁ、ふぁ⋯⋯ふぁっくしゅんッ!」


 燈十郎(とうじゅうろう)から教えてもらった下りの山道で、当の鎌足(かまたり)は豪快にくしゃみをしていた。

 

「⋯⋯んー? ⋯⋯誰か噂してるな。⋯⋯誰だろう」

 

 鎌足(かまたり)を取り巻く縁(えにし)の輪。

 その誰もが鎌足(かまたり)と鬼切丸(おにきりまる)に並々ならぬ想いを抱き、これから始まる長い物語、運命を共にしようとしていた。


「⋯⋯噂話、まさか綾麿(あやまろ)じゃないよな。鎌足(かまたり)が居なくなって、麿(まろ)は寂しいのじゃー! なーんて今頃言ってたりして。⋯⋯はは、まぁ、そんな訳無いよな。⋯⋯てか、有り得ない有り得ない、何を考えてるんだ、私は!」

 

 目指す出羽(でわ)までの旅路はまだ始まったばかり。

 雪国への路は長く、そして険しい。

 そして待ち受ける数々の試練、背後や地獄から忍び寄る魔の手にも、まだ何一つとして気付いてはいない。


「⋯⋯にひひ。たぶん、美桜(みお)か櫻(さく)ちゃんだな、うん」


 それでも今、鼻をこする鎌足(かまたり)の心の中とその表情は、今日の陽の光のように明るく輝いている。



「久々だ、伊織(いおり)や乙葉(おとは)に会えるの。楽しみだなあ。鬼との戦い、私の武勇伝、色々と聞かせてあげなくちゃ」


 鎌足(かまたり)は足取りも軽く、次の一歩を踏み出した。

 その度に出羽(でわ)への距離は確実に縮まっていく。


(⋯⋯まずは伊賀の仲間、九人と約束の刻限に落ち合わないと。次の満月、亥(い)の刻までに出羽国(でわのくに)の関所の近く、古(いにしえ)の城趾(しろあと)⋯⋯、とやらだっけ)


 続く道の先、前を向いた鎌足(かまたり)。


 その目は確かに、明日への希望と期待に満ちていた。

 


「⋯⋯待っててよ、伊賀の皆。役小角(えんのおずぬ)様。そして、⋯⋯もう一つの鬼切丸(おにきりまる)!」





 ━━━━江戸と伊賀の危機を救うため、まだ見ぬ鬼切丸(おにきりまる)の半刃(はんじん)に想いを馳せる、記憶を無くした少女。

 伊賀御庭番衆小頭(いがおにわばんしゅうこがしら)、鎌足(かまたり)━━━━。





 ━━━━現世(うつしよ)の人間(ひと)と、地獄の蒼鬼紅鬼(あおおにあかおに)。

 双方に様々な想いが交わり、ぶつかり、交差しあいながら、物語は桜舞う春の京都から、その舞台を変える。


 次なる舞台は、出羽三山(でわさんざん)の奥地。

 万年雪に覆われた、極寒の銀世界へ━━━━。





 ━━━━『羅生門怪鬼譚(らしょうもんかいきたん)』

 第一鐘「京都(きょうと)六歌(ろっか)死闘編(しとうへん)」


 完



 第二鐘「出羽(でわ)白雪(しらゆき)血風編(けっぷうへん)」へ続く━━━━。




第一鐘 全100話、最後を締め括る第109話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ブックマーク、☆評価、顔文字、感想等、良かったらぜひよろしくお願いします。その優しさや応援が新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。


次回第110話、第二鐘の予告編は11月7〜8日の投稿予定です。

次回は第二鐘の各シーンの台詞などの切り抜き予告となっています。テレビの次回予告を観ているイメージで楽しめるような内容を考えています。どうぞお楽しみに。


序鐘9話、第一鐘「京都六歌死闘編(きょうとろっかしとうへん)」100話、全109話。

皆様の応援や励ましのお陰で、1月から始めた連載&第一鐘も完結を迎える事ができました。次回、第二鐘への予告編1話(110話)を挟んで、111話から物語はいよいよ、第二鐘「出羽白雪血風編(でわしらゆきけっぷうへん)」に突入していきます。

現在進捗は135話あたり。投稿までにもう少し書き溜め準備期間を頂く事になるかと思いますが、引き続き当作『羅生門怪鬼譚(らしょうもんかいきたん)』をよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

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