第105話 座敷牢の蜘蛛
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の半刃『鬼切丸』と共に、鬼が現れた京都に援軍として派遣された。裏では極秘に朝廷探索の密命も帯びていたが、何者かの侵攻による伊賀の危機の報に、一時御所を離れる事を決断する。鬼切丸の残りの半刃を求め、出羽へと一人旅立つ。
森の中で道に迷い、とある小さな村へと辿り着いた鎌足は、鬼に纏わる奇怪な事件に遭遇する事になる。
御影燈十郎━━━━
浪人笠を被り、背中に般若の割面の絵柄の羽織を纏う剣豪、かつ日本『六歌戦』の一人である人格者。あらゆる剣客武人の頭領の証と名高い、『国士無双正宗』が愛刀。百八の流派の剣技を会得し、京御所から「鬼狩隊」隊長として鬼を遊撃する任を帯びている。基本寡黙だが口を開けば饒舌、笠の下から明朗な笑顔を覗かせる。
━━━━⋯⋯風魔那由他。
その名を口にした燈十郎の声は一変していた。
綾麿の野盗討伐の回想をしている時も、緊張感を漂わせ厳しい表情は見せていた。
しかしその声の中には、綾麿に対する同じ剣客としての畏敬の念など、柔らかさもまだ感じられた。
しかし今はまるで違う。
笠の下から覗く表情も何処か強張り、その声はただひたすらに重苦しく、名を口にするのさえも憚られるような嫌悪感すらも纏っている。
━━━━風魔。
その名前には鎌足も聞き覚えがあった。
相模国を本拠とし、後北条氏に長く仕え、関東全域にその名を轟かし暗躍した乱破。
俗に言う鎌足ら伊賀や、宿敵である甲賀と同じ、忍の一族である。
しかし今より百三十有余年前。
江戸幕府の開設と共に現徳川政権の手によって、主である後北条氏と共に滅亡したはずだった。
⋯⋯関東での弾圧を逃れた生き残りの一部が、日本の何処かで生き残っている⋯⋯。
そんな眉唾な噂はあったものの、今は歴史の表舞台からは完全に滅している、遠い過去の忘れ忍草。
それが鎌足の知る、”風魔”の記録、そしてその一族の歴史に纏わる全てだった━━━━。
「⋯⋯ッ、今聞いた、風魔那由他!? それが敵の、⋯⋯いや、『くも』の正体、名前なのですか!? そしてその仰る風魔とは、忍の一族、あの風魔の事なのですか!?」
思わぬ名を前に鎌足の動揺も大きかった。
燈十郎は神妙な面持ちで言葉を続ける。
「⋯⋯恐らく、『くも』は毒蜘蛛の『くも』。あの那由他で間違い無いだろう」
「⋯⋯ッ、どうして風魔が『六歌戦』に!? 何で!?」
鎌足は無意識の内に、今にも羽織に掴みかかりそうな程の勢いで、燈十郎に歩み寄っていた。
『六歌戦』の立場上、身内や京御所に関わる情報を、燈十郎はこれ以上は軽々しく口には出来ない。
また鎌足自身もまた、燈十郎の親切にこれ以上甘える事は、褒められた行動ではなく、迷惑をかけるだけ。
そんな常識や道理は重々承知していた。
しかしそれでも問いかけずにはいられなかった。
熱く激しく。
そして真っ直ぐに燈十郎を見つめる。
「⋯⋯やれやれ」
そんな鎌足を前にして、燈十郎は困惑を滲ませ、溜め息をつく。
そして燈十郎が返した言葉と笠の下の目は⋯⋯。
⋯⋯鎌足の不安を包み込む、“優しさ”を纏っていた。
「⋯⋯力になる、と言った手前もある。止むを得んな。ただし此処からは、拙者の独り言だ」
「⋯⋯は、はいっ、ありがとうございます、私も決して燈十郎様から聞いた、とは誰にも言いません!」
「『六歌戦』は拙者のように遊撃部隊をもって京都周辺を護る者、綾麿殿のように御所内を守る者、民衆の心に寄り添い救いを与える者など様々な任務を帯びている。風魔那由他の任務は関東 東日本と江戸幕府の偵察」
「⋯⋯関東の、え、え、⋯⋯江戸幕府の偵察ッ!?」
鎌足の声が裏返るのは、今宵三度目だった。
「そしてもう一つの重要な任務は、京都の朝廷の敵となる者たち、いわゆる朝敵を闇から闇に葬る⋯⋯、暗殺」
「⋯⋯し、しかも暗殺まで!?」
「それが風魔那由他が担う裏の役職、禁門関東総支配」
「きんもん⋯⋯しはい? 何ですか! その役職は!?」
「禁門とは帝の住まわれし門、即ち京御所を意味する。公家の自由を制限する江戸幕府は公家たちにとっては朝敵。そんな江戸幕府に対抗するため、文官の高位公家たちによって秘密裏に設けられ、雇われた忍の集団。それが禁門関東軍」
「⋯⋯表の役職ではない、秘密裏の役職ぅ!?」
「そして江戸を含む関東八州への絶対的な差配権限を与えられた、その軍の長官こそが⋯⋯、禁門関東総支配」
「⋯⋯な、なななな」
鎌足の脳裏に浮かぶのは、あの紫宸殿で嫌と言うほど目にした、無数の白塗りの顔。
文官公家たちの不気味な笑顔の群れだった。
「⋯⋯ち、畜生ッ! あの白塗りの気持ち悪い瓢箪どもめ、風魔一族を囲うばかりか、江戸との約定に反して、密かにそんな役職を設けていたのかッ!?」
鎌足の耳にした燈十郎の“独り言”は、江戸徳川と京都朝廷の公の約束事の大事を揺るがす大問題だった。
予想だにしていなかった事の重大さ。
そして燈十郎の”独り言“は、鎌足の問いかけの核心へと迫っていく。
「⋯⋯『六歌戦』の一人、風魔一族頭領、風魔那由他。江戸徳川を憎む京都の一部の民衆からは、和歌で讃えられる程に熱烈に支持を受けている。それ故に『六歌戦』に名を連ねる、⋯⋯が、その性格は凶暴かつ残虐非道。『蜘蛛の那由他』の通り名を持つ程に執念深く、戦いの血を好み、他人の命など露とも思わぬ男だ」
「⋯⋯蜘蛛の、⋯⋯那由他」
「人々も皆、その通り名で呼ぶ。そして固く口をふさぐ。鎌足殿ら伊賀の密偵が総力を上げて調べても、恐らく風魔の名には辿り着けまい。それか辿り着く前に無残にも殺されてしまうか⋯⋯、そのどちらかだ。⋯⋯秘密裏の役職、故の箝口令。風魔の名は、禁門の中の禁門。京都と朝廷にとって門外不出の禁忌の名なのだ」
「⋯⋯ッ、風魔一族がまだ生き残っている、そんな確たる証拠や話が伝わってこなかったのは、京都朝廷によるそんな保護や画策、理由もあったのか⋯⋯」
「風魔那由他は、手も触れずに物を持ち上げるとか、意のままに人の身体を操るとか、不思議な奇術めいた技と剣を使うらしいが。⋯⋯なるほど、そうか。鬼の出現と混乱に乗じて密かに、先祖の恨みを晴らすべく、江戸幕府への復讐や、伊賀と友好的な他の忍衆への殺戮を始めたとしても、あの男の性格ならば合点がゆく⋯⋯」
燈十郎は“独り言”の間中、神妙な顔をしていた。
その表情を見ているだけで、この件の”風魔那由他“という男がどれ程危険な男なのかが伝わってくる。
「⋯⋯そうか、そうかッ。首謀者は風魔の生き残りだったのか! 百三十年前に生き延びた草の種が密かに根を生やし、復讐の時を窺っていたのか⋯⋯、くそっ、『六歌戦』に数えられながら何て卑劣な真似を! これは何とかして御頭や百地翁に伝えなくては!」
鎌足は震わせた腕で拳を握りしめ、歯軋りをしながら唸った。
そんな鎌足を燈十郎が真剣な表情で諌める。
「⋯⋯鎌足殿。『六歌戦』には全会一致の約定と共に、『六歌戦』同士は決して刃を交えてはならぬ、不戦の約定がある。よって拙者は直接には鎌足殿や伊賀の手助けはできぬが、敢えて一つ助言を申すならば⋯⋯」
「⋯⋯っ、その助言、とは?」
「⋯⋯風魔那由他には決して近づくな、そして戦うな。綾麿殿以上に、命が幾つあっても足りぬぞ」━━━━。
━━━━「ぐわあああああああああああっっッ!!」
⋯⋯京都のはずれ、門に主の名を示す看板すら掲げられていない、とある荒れ果てた広大な屋敷。
天井の四隅を見渡せば蜘蛛の巣ばかり。
そんな屋敷の広い地下座敷牢に今、傷だらけで血塗れの一人の中年男が、耐え難い痛みを前に、髪を振り乱し絶叫を繰り返していた。
其処はまるでこの現世の地獄の一端。
地の底のようにじめじめとした暗い座敷は、牢獄と言うよりはむしろ拷問部屋に等しかった。
四方の壁には部屋を照らす無数の蝋燭の燭台と共に、東洋西洋、古今東西、あらゆる拷問の器具が無造作に置かれ、また床に転がっている。
「⋯⋯っ、こ、殺せぇ! 早く、⋯⋯早く、殺せぇ!」
この中年男はもうかれこれ二刻(※4時間)ばかり、痛みに耐えながら、目をぎらつかせて吠え続けていた。
その右腕には、鎌足が四日前に河原で目にした亡骸たちと同じ、鶴の入れ墨が有った。
⋯⋯そして、一方。
その中年男の両手首と両足首は、既に無かった。
この部屋の上座には、この部屋や和の内装にはそぐわない舶来物の豪華な椅子が置かれ、若い男が一人、悠然と腰掛けていた。
椅子の肘掛けに腕を乗せて頬杖をつき、足を組みながら、その苦しみ悶える中年男を見下している。
この若い男はひとしきり中年男の咆哮を愉しんだ後、装着していた蜘蛛の八足を模した装飾仮面(※目元だけを隠した仮面)をゆっくりと外していく。
そして絶対的な強気と自信に溢れた素顔を晒し、快楽に満ちた妖しい笑みを浮かべた。
⋯⋯この仮面を外した若い男こそ、様々な忍の里を焼き討ちした張本人、鎌足と燈十郎が警戒を強める、『六歌戦』“蜘蛛の那由他”こと、風魔那由他だった。
武田忍の隠れ里を焼き討ちした時と同様、無造作に乱れた長髪で、黄金色の派手な蜘蛛柄の装飾と黒紫と濃紺の闇色で彩られた、重厚な忍装束を纏っている。
そして戦闘を離れた普段の衣装なのだろうか、今宵は更に傾奇さを増した、真紅の陣羽織を羽織っていた。
その那由他の目の前。
地に這いつくばり苦悶の表情を浮かべている中年男の傍に、齢三十代前半の痩せこけた長身長髪の男が一人、ゆらゆらと佇んでいる。
その男の眼は血走り鋭く、裾や端が切り裂かれたようなぼろぼろの灰色の着流しを纏い、髪も那由他以上に乱れ、髪色も白髪に近い灰色をしていた。
見るからに不気味な男だった。
この痩せこけた不気味な男は、円形の盾のような奇怪で摩訶不思議なものを背負っていた。
背面には禍々しい蜘蛛の紋が描かれている上に、まるで千手観音の背のように、上下左右と斜め四方に刀の柄が八本飛び出ているのだ。
この謎の男は、その見た目の不気味さに更に不気味さを重ねるように、にたりと笑う。
そして唸り声を上げ続ける中年男の横にしゃがみ込むと、その耳元に向けてねっとりとした嘲り声で囁いた。
「蒲生一族の頭、そして唯一の生き残り、蒲生将監よ。まだ、死なぬ、殺さぬ、終わらせぬ。一日一日少しずつ少しずつ、その身の一部を削っていくと言っただろう。今日でまだ四日目。まだまだまだまだまだまだまだだ」
「⋯⋯うぐぅッ!?⋯⋯」
男の狂気を映したようなその瞳の怪しい輝きに、不吉な”何か“を悟った中年男⋯⋯蒲生将監は、絶望的な表情で喚き散らし始めた。
「ぐがあああああっ! 殺せ殺せ、終わりにしてくれ! 先に逝った仲間たちの元に逝かせてくれ!」
その男の嘆きの叫びに、那由他は至福と恍惚の表情を浮かべながら呟く。
「⋯⋯良い響きだ。これで初めて蒲生一族を心の底から征した気持ちになれる。⋯⋯匙よ、忍の頭としての自尊心を捨てた只の人間としての悲鳴の礼に、俺からの手向けだ。特別にもう一刀くれてやれ」
“匙”⋯⋯と呼ばれた痩せた男は、那由他の下命に不気味な笑顔で返した。
「ふっふっふ。聞いた通りだ。我等が頭領、風魔那由他様からの特別のお慈悲だ。有り難く頂戴しろ」
そして匙は背中の円状の盾から飛び出た八本の柄、その一本を握り、弾く。
その勢いによって八本の柄が男の背後で、くるくる、ぎしぎし、と激しく回転をし始める。
「⋯⋯さて、”おまけ“の一太刀は、どの刀にしようか」
激しく旋回する柄、それはまるで風車のようだった。
そして男は唐突に、自分の頭の真上に来た柄を握る。
回転をぴたりと止めると、握る柄をそのまま円盾から勢いよく引っこ抜いた。
その掌には、蒼く妖しく煌めく、一振りの刀が握られていた。
この男、匙の背負う円盾━━━━
その異様な物体は、盾よりも厚みがあり、盾の中には細長い溝穴が、上から下、左から右、左斜め上から右斜め下、右斜め上から左斜め下、四方向に渡って貫通して掘られ、そして一つの溝穴に両側から二本ずつ、計八方向に円をなすように八本の刀が収納されていた。
巨大な円盾は、背後を守る盾の役割を果たすと共に、それ自体が回転する巨大な鞘。
正体は八本の刀を収納できる、狂気の武器庫だった。
しかも男はまるで後ろにも目があるのか、見えない背後の刀を“意図的に選んで”抜いているように見えた。
「この風車の匙こと、匙清浄。お待ちかねのお慈悲の一太刀は、蒼鬼からの貢物『閻魔鋼』をまぶした忍刀⋯⋯『鋼丸』としようか!」
匙は抜いた刀を将監の口にほんの軽く突き刺し、刀を持つ手首をぐりぐりと撓らせた。
「女子の肌に触れるように、やさしく、そっと、な」
「が、がががああっ、がああ、がっはあああ⋯⋯!」
刀を口内にあてがわれた将監は、声にならない声を上げる。
と共に、口内の歯の全て、そして歯ばかりか舌の一部の肉片までもが座敷牢の床に散らばり落ち、大量の血が滴り落ちた。
「ほほう、やっぱり閻魔鋼は効くな。軽く捻っただけで、いとも簡単に歯が根こそぎ削れるわ」
匙が鋼丸を将監の口から引っこ抜き、軽く空を斬ると、背後頭上の元の溝穴に素早く納刀する。
歯と舌の一部を失った将監の叫び声は、ますますもって声にならない。
ただ喉から空気の漏れ出る音と呻き声だけが、この密閉された座敷牢内に木霊していた。
まるで床の血を味合うように舌舐めずりした那由他が、冷笑と共に冷酷に呟く。
「⋯⋯『六歌戦』の緊急の召集日まであと二日。それが終われば今度こそ江戸の甲賀軍と合流するために再び旅立ちの準備だ。二、三日後に気が向いたらとどめを刺してやる。ばたばたと喚く五月蝿い荷物はいらねぇ。⋯⋯旅の邪魔だからな」
⋯⋯その時。
不意に座敷牢の入口の隠し扉が開いた。
この凄惨な拷問の場に現れたのは、あの武田忍の里を焼いた夜、那由他の傍に居た、全身傷だらけの忍。
”刹那“と呼ばれていた、若い女忍者だった。
この座敷牢も薄暗いとは云え、武田の隠れ里の夜の闇よりは幾分かはまともだった。
あの夜にはっきりと見えなかった表情が、蝋燭の灯火によって、ほんのりと照らし出される。
鎌足よりも少し大きいくらいの小柄な体躯、肩まで伸びた髪。
そしてその掌に握るのは、自身の身長の三分の二程の長さはありそうな、普通の刀の五倍から六倍ほどの厚みはある、巨大な刀。
物騒な武器に似合わない、美しい女性だった。
しかし醜い女性でもあった。
初見の美しさを打ち消す程に一際目を引くのは、美しく愛らしい顔を台無しにする、その右頬に付けられた大きな刀傷。
そして忍鎧や忍装束の隙間から露わになっている胸元に残る、✕印の大きな刀傷だった。
更にその無残な大傷を筆頭に、顔の他の部分は勿論、忍鎧の隙間から覗く腕や脚など、肌という肌の全てには大小合わせて数え切れない程の数多の傷がある。
傷が無い皮膚を探すのが難しいくらい、傷という傷でびっしりと覆われたこの異様な形相の女忍は、椅子に座している那由他の前で片膝をつくと深々と頭を垂れた。
「那由他様。只今遠征より戻りました。お申し付け通り紀州の根来衆の砦、攻めて参りました」
報告を受ける那由他は、拷問を愉しんで見ていた先程までと全く変わらない。
余裕で、得意気で、強気で、そして傲慢に、椅子の肘掛けに頬杖をついたまま、刹那に問いかけた。
「⋯⋯御苦労だったな、刹那。して、戦果は?」
「⋯⋯はっ、流石は名の知れた根来衆、予想通り砦も強固で、何十人もの忍の抵抗に合いました、戦果は⋯⋯」
刹那は話を一時止めると、纏う忍鎧の左腕の手甲を徐に外した。
その手甲の下から現れたのは、赤い腫れが残る、生々しい大きな刀傷だった。
数多の古い傷痕を覆うように傷口が走っている事から、この数日中に付けられた新しい傷に見える。
真新しい傷はこの左腕だけではなかった。
刹那は首に纏う襟巻を外し、那由他にしっかりと見えるように顎を上げ、その首筋にある別の赤く腫れた三寸(※9cm)ほどの刀傷も隠す事なく灯りの下に晒した。
「⋯⋯この通り。左腕と首の傷の代償として、根来の砦その全てを尽く破壊して参りました。敵の砦を守る隊長以下、刃向かう者は全員殺しました」
勝利の報を告げる刹那の声は、淡々としていた。
「よくやった、刹那。俺のためのその傷も素晴らしい。良いぞ、これでまた美しくなったな」
那由他はにやりと愉しそうに笑う。
刹那の表情に変わりはない。
ただ落ち着いた声で、忠誠の言葉を返した。
「那由他様、御褒めの言葉、ありがたき幸せ⋯⋯」
将監が今だに痛みで悶え転がっている中、刹那の真横で匙がけらけらと笑う。
「いやはや、いつ見ても凄い傷だな。その顔なら夜道で出会う誰もが逃げるわ。どんな醜い男と化け物対決をしても、間違い無く刹那の勝ちだな。はっはっはっは!」
悪ふざけに満ちた、厭らしい揶揄だった。
しかしそんな匙の言葉や嘲りには耳を貸さず目もくれず、刹那は淡々と報告を続けていった。
「砦を破壊し、敵の本拠に迫りし時、根来の頭目、根来義太夫より休戦と和睦の申し出がありました。よって那由他様の御判断を仰ぎに一時帰還した次第。条件としましては、全面降伏と共に風魔一族の支配を甘んじて受ける、との事。如何しますか⋯⋯」
刹那が言い終わるやいなや、那由他は即座に冷たく言い放った。
「おい、それだけじゃ話し合いを始める事すらもできねえ。肝心の物が足りねえ。根来義太夫、そして小頭、この二つの首と引き換えだ。そうすれば考えてやる。⋯⋯根来の奴等にそう伝えろ」
那由他の即答と強気の条件提示に、匙が嬉しそうに反応する。
狡猾な薄笑みを浮かべ、そして大笑いした。
「⋯⋯と言いながらも、いつも最後は皆殺しにするくせに。ふはっはっはっはっはぁ!」
「⋯⋯っ、しかし本当に良いのですか? 那由他様。その条件は厳しすぎます。根来衆からの拒否や反抗は必至。根来は今までの忍び里で隠遁するような他の忍流派とは違い、名のしれた巨大勢力。⋯⋯鉄砲隊を持つ雑賀衆とも繋がっている故、奴等二派が手を組んで、逆に仕掛けてくる可能性もあります」
刹那が意見したその瞬間、那由他は明らかな不満と苛立ちを見せる。
一気に凄みと圧を増した低い声で呟いた。
「⋯⋯刹那。この俺には何人たりとも意見する事は許さん。御前は黙って俺の指示通り、目の前の敵をただ叩き潰すだけでいい。あれこれと俺に指図や口ごたえするんじゃねえ。奴等が徒党を組んで、何十人何百人で歯向って来ようが構いはしねえ。この俺が叩き潰してやる」
恐ろしいまでに絶対的な、将としての威厳だった。
刹那が再び深々と頭を垂れる。
「失礼致しました。私は那由他様のお考えに従います。今までも、今も。⋯⋯そして、ずっとこれからも⋯⋯」
刹那は那由他の顔色を窺うように、そっと密かに上目遣いに、那由他を見つめる。
その瞳は主と配下という主従関係や畏敬の憧れを超えた、何処か不思議な煌めきを放っていた━━━━⋯⋯。
⋯⋯━━━━「⋯⋯で、風魔のやり方、拷問や報告をさっきから高みの見物か? 覗き見の趣味でもあるのか? ⋯⋯え? 蒼鬼の旦那よ」
一通り刹那の報告が終わった直後だった。
何も無い座敷の東側隅の空間に向けて、唐突に那由他が呟いた。
痛みで転がる将監が涙目で、その空間を見つめる。
しかし何も無い。
⋯⋯と、思った瞬間だった。
座敷牢に突然に怪異が起きた。
那由他の今の呟き呼び掛けに反応するように、座敷牢に男の乾いた妖しい笑い声が響き始めたのだ。
《⋯⋯ふっふっふ、⋯⋯はっはっはっはっは》
そして将監が目線を送った座敷の東側の片隅に、ぼんやりと人の影らしきものが浮かび上がっていった。
《お見通しだったか。相変わらず侮れない人間だ。⋯⋯流石は『六歌戦』、風魔那由他と言うべきか。我等が贈った『閻魔鋼』も、貸し出した羅刹たち全ても、この上なく見事に扱ってくれて、感嘆の言葉しか無い》
ぼんやりとした影は、やがて明らかな人影へと変わっていく。
目の前で起きた信じられない光景。
⋯⋯にも関わらず、那由他も刹那も匙も、不思議な事に三人ともがこの怪異を怪異と思っていないような素振りで、警戒を見せるどころか、むしろ当たり前のように平然と受け止めている。
「⋯⋯が、⋯⋯が、ががが、ががっ!? がっがが⋯⋯」
この場で将監だけが、恐怖で身体を震わせ顔を引きつらせ、目を見開いて影を凝視していた。
⋯⋯それは人影ではなく、⋯⋯鬼影。
将監が何度か瞬きをした、その一瞬の間だった。
蒼い目、銀の瞳、そして額に二本の角を持つ、一鬼の蒼鬼がその姿を現していた。
その蒼鬼は呪術師のような蒼い衣を身に纏い、指に挟んだ髑髏柄の賽子を気ままに転がしながら、那由他に不敵な笑みを送っている。
⋯⋯鬼影の正体。
それは蒼鬼軍の重鎮、蒼賽鬼だった。
《⋯⋯羅刹たちの見返りに、蒼鬼総大将、蒼極鬼様より伝言がある。⋯⋯重ね重ねになるが、まずは二日後の『六歌戦』召集、よきに計らうように、との事。そしてもう一つ。隙あらば蒼鬼に仇なす不知火中将綾麿を討て、との事。⋯⋯以上だ。二つの願い、確かに伝えた》
言葉の重要度とは裏腹に淡々と。
蒼賽鬼は事も無げに呟く。
それは“願い”という呼び名の、蒼極鬼からの”命令“。
那由他はそんな二つの”願い“を鼻で笑う。
「おい、蒼の旦那よ。ずっと其処に居たんだろう? ⋯⋯俺に何人たりとも意見する事は許さん、ついさっきそう言わなかったか? 修羅のくせに覗き見する目は付いていても、話を聞く耳は持ってねえみてえだな」
《⋯⋯何ぃ?》
那由他の挑発に近い言葉に、蒼賽鬼の声色は変わっていた。
指に挟む賽子の回転がぴたりと止まる。
「それにな、蒼鬼が御所に侵攻しなければ、俺たち風魔はゆるりと今頃は江戸城天守閣で、火に包まれる江戸の町を、ゆるりと“高みの見物”としゃれこんでいたんだ。今の旦那みたいにな」
《⋯⋯⋯⋯》
「⋯⋯ふん、まあいい。三月にも渡る長い付き合いだ、話は分かったぜ。任せておきな。他の『六歌戦』の誰かが積極的な意見を言いやがっても、絶対に通させねぇ。逆に何か美味い情報が入れば、それも全て渡してやる」
《⋯⋯ふん》
蒼賽鬼は言葉を返す代わりに、再び掌の中の賽子をゆっくりと再び転がし始めた。
「⋯⋯そして不知火綾麿の奴だが。俺達『六歌戦』には不戦の約定がある。そう簡単には手出しできねえ。⋯⋯が、綾麿め、『六歌戦』の中では一番の新参者。にも関わらず、裏で御所の土台骨を支える俺たち風魔を尻目に、華やかな御所の表舞台を我が物顔で歩きやがって。⋯⋯いけ好かねえ公家だ。旦那から頼まれなくても何れ始末する。待ってろ」
《⋯⋯そうか。⋯⋯よきに、な》
眉間に皺を寄せている那由他からは、綾麿に対しての明らかな闘気が早くも迸っていた。
その殺気と本気を感じ取った蒼賽鬼が、満足気に微笑む。
指と指の間で転がる気ままな賽子の回転も、いつしか元通りになっていた。
《⋯⋯では、な。総大将の返答は後程伝える》
「⋯⋯待てよ、見返りの見返りだ。蒼賽鬼の旦那。一つだけ頼まれてくれねえか」
那由他が何かを企んだ笑みを浮かべる。
こういう時はろくな内容ではない。
繋ぎ役として那由他の性格をよく知る蒼賽鬼は、怪訝そうに眉を顰めた。
《⋯⋯何だ? 頼み、だと?》
「⋯⋯修羅を四鬼、俺に貸してくれねえか。⋯⋯そう蒼極鬼の大将に伝えてくれ」
《⋯⋯何だと? 修羅を四鬼、だと? 何に使う?》
「⋯⋯糸をかける」
《⋯⋯糸、だと?》
⋯⋯糸。
謎めいた那由他の言葉。
刹那と匙だけは、その意味を理解していた。
二人の口元が那由他に同調して、にやりと緩む。
那由他は人差し指を口に当てると、意味の解けずに疑問符を浮かべている蒼賽鬼を見つめながら、愉しそうに笑みを浮かべた。
「⋯⋯糸、それは風魔一族の秘密。今は言えるのはそれだけだ、旦那。⋯⋯ふふふ、意味を知りたいかい? ⋯⋯なら四鬼の内の一鬼は、旦那、あんたでも構わねえんだぜ」
《⋯⋯ふん、生憎と私にも賽の河原で”やるべき事“があってな。⋯⋯まあよかろう。蒼鬼にはあれこれ命令するなと常々言うくせに。好き勝手に無理を言う奴め。⋯⋯総大将には上手く伝えておこう》
「そうかい、ありがとよ、旦那。恩に着るぜ」
那由他は椅子から立ち上がる。
そして刹那や匙にも目を送ると、二人に向けても檄を飛ばした。
「刹那よ。そして匙よ。聞いたな。⋯⋯風魔死天王、後の二人に召集をかけろ」
「“糸”のためにあの二人を、ですね? 畏まりました」
「⋯⋯くくくくく、それは、糸をかし。相解り候」
「『六歌戦』の会合が終わり次第、風魔忍郡全軍をもって江戸を目指す。まずは蒼鬼羅刹を派遣せし、甲賀の同盟属軍と合流。そしてその後はいよいよ俺たち風魔一族の大願成就、将軍の抹殺、そして御庭番として陽の光を浴び続ける、憎き伊賀をも殲滅、根絶やしにする! ━━━━江戸城侵攻、再開だ!!」
「⋯⋯あぁ、今度こそ。いよいよ、いよいよ、ですね」
「くっくくく、我ら御先祖の恨み、百倍返しですなぁ」
那由他、刹那、匙⋯⋯、紅蓮の炎に包まれる江戸城を想像しながら笑い合う三人。
その姿を乾いた表情で見つめながら、蒼賽鬼は淡々と呟いた。
《⋯⋯やれやれ、人の恨みとはかくも恐ろしきものか》
そしてその鬼影はまるで黒墨が薄墨になっていくように朧となり、いつの間にか蒼賽鬼はこの座敷牢から姿を消していた━━━━⋯⋯。
⋯⋯━━━━「がぁあ、あがが、⋯⋯がが、うがあ、うっぐがぁあ⋯⋯」
蒼賽鬼が消えた後もなお、将監は相変わらず痛みで床をのた打ち回りながら、唸り続けていた。
那由他はそんな将監を煩わしそうに一瞥すると、右掌の五本の指を何かを掴むように曲げ、そして大きく広げていく。
そして藻掻く将監に向けて、その手を軽く横に流した。
「⋯⋯大事な話の最中だ。五月蝿えよ」
その掌の一振りによって将監の叫びが唐突に止まる。
聞き分け良く、急に黙り込んだ。
⋯⋯のではない。
将監は話さない、のではなく、話せない状態。
⋯⋯将監は既に息絶えていた。
ついほんの今しがたまで声を上げていた将監は、僅かこの一瞬の間に只の物言わぬ亡骸と化していたのだ。
那由他は一切手を触れていない。
それにも関わらず、将監の首は今、五つに輪切りにされ、切断されている。
その首の切断面は、武芸者ならば誰もが見惚れてしまうくらいに鮮やかで美しく、まるでまだ首がそこに有るかのように、血管からの出血は最小限に留まっていた。
「⋯⋯あーあ、とうとう殺っちゃった。なんまんだぶ、なんまんだぶ。⋯⋯⋯くっくっく」
将監の輪切りとなった肉塊を見下しながら、匙が不気味ににたにたと笑う。
そんな匙を鬱陶しそうに横目で見ながら、刹那は那由他に問いかけた。
「⋯⋯那由他様、それよりも例の出羽に向かった女忍、鎌足とやらの方はどう致しましょう?」
那由他はつまらなさそうに口を歪ませる。
「放っておけ。鬼切丸だろうが鬼斬丸だろうが、俺たち風魔には何の関係もねぇ。ましてや何の脅威でもねぇ」
二つの妖刀、鬼切丸と鬼斬丸⋯⋯。
その言葉に興味津々に反応したのは、匙だった。
「鬼切丸か。いや鬼斬丸でもよい。八又の一つに差し込みたくてかなわん。⋯⋯そそられる。⋯⋯くくくく」
今にもよだれを垂らしそうな匙を無視して、刹那は那由他に進言する。
「⋯⋯っ、し、しかし、得体の知れない刃。念のために最新の注意はするべきかと⋯⋯、那由他様の身にもし何かあったら、わた⋯⋯」
「⋯⋯おい。刹那、御前も耳が無えのか? さっき俺が何て言った? そして御前は何て答えた?」
「⋯⋯あ、⋯⋯ぅ」
那由他の圧に刹那が再び頭を垂れる。
那由他には意見してはいけない、そう頭では理解しつつも、刹那は那由他を色々と案じるがあまり、ついつい口が先走ってしまうようだった。
「⋯⋯再度失礼を。鎌足とやらは後回しに致します」
「出羽で鎌足が刀を探している間に江戸城は陥落する。蒼鬼の不始末で始まった鎌足との揉め事なんぞ、奴等で勝手にどんぱち殺させとけばそれでいい、いいな」
「⋯⋯仰せのままに」
「その出羽に向かった鎌足とかいう糞餓鬼の小頭を除けば、伊賀御庭番で注意すべきは頭領の半蔵くらいだ」
匙がねっとりとした声でまた口を挟んできた。
「半蔵ねぇ。⋯⋯くくくく、早く奴の血を吸いたくて、この八又の風車の魔剣たちが、はや啼いておるわ」
「奪った文を書いたのは百地幻斎。前の『六歌戦』だ。まだ生きてたみてぇだが、既に老いぼれ、敵ではない。俺たち風魔の侵略に今更勘付いた所で、半蔵一人で何ができる? ⋯⋯はっはっはっは、伊賀の愚者どもめ!」
既に勝利を確信した那由他の嘲りの高笑いが壁に反響し、不気味な獣の遠吠えのように変わる。
そしていつまでもこの陰鬱な秘密の座敷牢の中に、響き渡っていた。
⋯⋯匙が残響に酔いながら、不気味に笑う。
「江戸城を包囲せしは、風魔死天王と蒼鬼が修羅四鬼」
⋯⋯刹那が那由他を見つめ、静かに微笑む。
「四人四鬼の八つの糸で死掛るは、蜘蛛の巣地獄⋯⋯」
⋯⋯そして江戸と伊賀への復讐、ただその一念で邪悪に顔を歪ませた、風魔那由他が高々に、吠えた。
「八つの蜘蛛の糸。その全てを解くは、今の伊賀御庭番に到底不可能! 風魔に伝わりし、必殺必勝の死の罠、━━━━『風魔八門遁甲の陣』、とくと味わえ!!」
那由他の纏う、真紅の陣羽織。
その背中には八本足の巨大な女郎蜘蛛が縫い描かれ、葵の御紋の刺繍に、八角の糸を絡めていた━━━━。
第105話も最後までお読み頂きありがとうございました。ブックマーク、☆評価、顔文字、感想等、良かったらぜひよろしくお願いします。その優しさや応援が新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第106話「黎明」は10月21〜23日頃投稿予定です。
引き続き『羅生門怪鬼譚』をよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。




