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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編 十二

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第105話 座敷牢の蜘蛛

【登場人物紹介】

伊賀の鎌足(かまたり)━━━━

 江戸城の公儀御庭番(こうぎおにわばん)伊賀組の小頭(こがしら)の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の半刃(はんじん)『鬼切丸(おにきりまる)』と共に、鬼が現れた京都に援軍として派遣された。裏では極秘に朝廷探索の密命も帯びていたが、何者かの侵攻による伊賀の危機の報に、一時御所を離れる事を決断する。鬼切丸(おにきりまる)の残りの半刃(はんじん)を求め、出羽(でわ)へと一人旅立つ。

 森の中で道に迷い、とある小さな村へと辿り着いた鎌足(かまたり)は、鬼に纏わる奇怪な事件に遭遇する事になる。


御影(みかげ)燈十郎(とうじゅうろう)━━━━

 浪人笠(ろうにんがさ)を被り、背中に般若(はんにゃ)の割面の絵柄の羽織を纏う剣豪、かつ日本(ひのもと)『六歌戦(ろっかせん)』の一人である人格者。あらゆる剣客武人の頭領の証と名高い、『国士無双(こくしむそう)正宗(まさむね)』が愛刀。百八の流派の剣技を会得し、京御所から「鬼狩隊(きしゅうたい)」隊長として鬼を遊撃する任を帯びている。基本寡黙だが口を開けば饒舌、笠の下から明朗な笑顔を覗かせる。


 ━━━━⋯⋯風魔(ふうま)那由他(なゆた)。


 その名を口にした燈十郎(とうじゅうろう)の声は一変していた。

 綾麿(あやまろ)の野盗討伐の回想をしている時も、緊張感を漂わせ厳しい表情は見せていた。

 しかしその声の中には、綾麿(あやまろ)に対する同じ剣客としての畏敬(いけい)の念など、柔らかさもまだ感じられた。

 しかし今はまるで違う。

 笠の下から覗く表情も何処(どこ)か強張(こわば)り、その声はただひたすらに重苦しく、名を口にするのさえも憚(はばか)られるような嫌悪感すらも纏(まと)っている。



 ━━━━風魔(ふうま)。


 その名前には鎌足(かまたり)も聞き覚えがあった。


 相模国(さがみのくに)を本拠とし、後北条(ごほうじょう)氏に長く仕え、関東全域にその名を轟(とどろ)かし暗躍した乱破(らっぱ)。

 俗に言う鎌足(かまたり)ら伊賀や、宿敵である甲賀(こうが)と同じ、忍の一族である。


 しかし今より百三十有余年前。

 江戸幕府の開設と共に現徳川政権の手によって、主(あるじ)である後北条(ごほうじょう)氏と共に滅亡したはずだった。

 ⋯⋯関東での弾圧を逃れた生き残りの一部が、日本(ひのもと)の何処(どこ)かで生き残っている⋯⋯。

 そんな眉唾(まゆつば)な噂はあったものの、今は歴史の表舞台からは完全に滅している、遠い過去の忘れ忍草(ぐさ)。


 それが鎌足(かまたり)の知る、”風魔(ふうま)”の記録、そしてその一族の歴史に纏(まつ)わる全てだった━━━━。



「⋯⋯ッ、今聞いた、風魔(ふうま)那由他(なゆた)!? それが敵の、⋯⋯いや、『くも』の正体、名前なのですか!? そしてその仰る風魔(ふうま)とは、忍の一族、あの風魔(ふうま)の事なのですか!?」


 思わぬ名を前に鎌足(かまたり)の動揺も大きかった。

 燈十郎(とうじゅうろう)は神妙な面持ちで言葉を続ける。


「⋯⋯恐らく、『くも』は毒蜘蛛の『くも』。あの那由他(もの)で間違い無いだろう」


「⋯⋯ッ、どうして風魔(ふうま)が『六歌戦(ろっかせん)』に!? 何で!?」


 鎌足(かまたり)は無意識の内に、今にも羽織に掴みかかりそうな程の勢いで、燈十郎(とうじゅうろう)に歩み寄っていた。

 『六歌戦(ろっかせん)』の立場上、身内や京御所に関わる情報を、燈十郎(とうじゅうろう)はこれ以上は軽々しく口には出来ない。

 また鎌足(かまたり)自身もまた、燈十郎(とうじゅうろう)の親切にこれ以上甘える事は、褒められた行動ではなく、迷惑をかけるだけ。

 そんな常識や道理は重々承知していた。

 しかしそれでも問いかけずにはいられなかった。

 熱く激しく。

 そして真っ直ぐに燈十郎(とうじゅうろう)を見つめる。


「⋯⋯やれやれ」


 そんな鎌足(かまたり)を前にして、燈十郎(とうじゅうろう)は困惑を滲ませ、溜め息をつく。

 そして燈十郎(とうじゅうろう)が返した言葉と笠の下の目は⋯⋯。


 ⋯⋯鎌足(かまたり)の不安を包み込む、“優しさ”を纏(まと)っていた。



「⋯⋯力になる、と言った手前もある。止むを得んな。ただし此処からは、拙者の独り言だ」


「⋯⋯は、はいっ、ありがとうございます、私も決して燈十郎(とうじゅうろう)様から聞いた、とは誰にも言いません!」


「『六歌戦(ろっかせん)』は拙者のように遊撃部隊をもって京都周辺を護る者、綾麿(あやまろ)殿のように御所内を守る者、民衆の心に寄り添い救いを与える者など様々な任務を帯びている。風魔(ふうま)那由他(なゆた)の任務は関東 東日本(ひがしひのもと)と江戸幕府の偵察」


「⋯⋯関東の、え、え、⋯⋯江戸幕府の偵察ッ!?」


 鎌足の声が裏返るのは、今宵三度目だった。


「そしてもう一つの重要な任務は、京都の朝廷の敵となる者たち、いわゆる朝敵(ちょうてき)を闇から闇に葬る⋯⋯、暗殺」


「⋯⋯し、しかも暗殺まで!?」


「それが風魔(ふうま)那由他(なゆた)が担う裏の役職、禁門関東総支配(きんもんかんとうそうしはい)」


「きんもん⋯⋯しはい? 何ですか! その役職は!?」


「禁門(きんもん)とは帝(みかど)の住まわれし門、即(すなわ)ち京御所を意味する。公家の自由を制限する江戸幕府は公家たちにとっては朝敵(ちょうてき)。そんな江戸幕府に対抗するため、文官の高位公家たちによって秘密裏(ひみつり)に設けられ、雇われた忍の集団。それが禁門関東軍(きんもんかんとうぐん)」


「⋯⋯表の役職ではない、秘密裏の役職ぅ!?」


「そして江戸を含む関東八州への絶対的な差配権限を与えられた、その軍の長官こそが⋯⋯、禁門関東総支配(きんもんかんとうそうしはい)」


「⋯⋯な、なななな」


 鎌足(かまたり)の脳裏に浮かぶのは、あの紫宸殿(ししんでん)で嫌と言うほど目にした、無数の白塗りの顔。

 文官公家たちの不気味な笑顔の群れだった。


「⋯⋯ち、畜生(ちっくしょう)ッ! あの白塗りの気持ち悪い瓢箪(ひょうたん)どもめ、風魔(ふうま)一族を囲うばかりか、江戸との約定(やくじょう)に反して、密かにそんな役職を設けていたのかッ!?」


 鎌足(かまたり)の耳にした燈十郎(とうじゅうろう)の“独り言”は、江戸徳川と京都朝廷の公の約束事の大事を揺るがす大問題だった。

 予想だにしていなかった事の重大さ。

 そして燈十郎(とうじゅうろう)の”独り言“は、鎌足(かまたり)の問いかけの核心へと迫っていく。


「⋯⋯『六歌戦(ろっかせん)』の一人、風魔一族(ふうまいちぞく)頭領(かしら)、風魔(ふうま)那由他(なゆた)。江戸徳川を憎む京都の一部の民衆からは、和歌で讃えられる程に熱烈に支持を受けている。それ故に『六歌戦(ろっかせん)』に名を連ねる、⋯⋯が、その性格は凶暴かつ残虐非道。『蜘蛛(くも)の那由他(なゆた)』の通り名を持つ程に執念深く、戦いの血を好み、他人の命など露(つゆ)とも思わぬ男だ」


「⋯⋯蜘蛛(くも)の、⋯⋯那由他(なゆた)」


「人々も皆、その通り名で呼ぶ。そして固く口をふさぐ。鎌足(かまたり)殿ら伊賀の密偵が総力を上げて調べても、恐らく風魔(ふうま)の名には辿り着けまい。それか辿り着く前に無残にも殺されてしまうか⋯⋯、そのどちらかだ。⋯⋯秘密裏の役職、故(ゆえ)の箝口令(かんこうれい)。風魔(ふうま)の名は、禁門(きんもん)の中の禁門(きんもん)。京都と朝廷にとって門外不出の禁忌(きんき)の名なのだ」


「⋯⋯ッ、風魔一族がまだ生き残っている、そんな確たる証拠や話が伝わってこなかったのは、京都朝廷によるそんな保護や画策、理由もあったのか⋯⋯」


「風魔(ふうま)那由他(なゆた)は、手も触れずに物を持ち上げるとか、意のままに人の身体を操るとか、不思議な奇術めいた技と剣を使うらしいが。⋯⋯なるほど、そうか。鬼の出現と混乱に乗じて密かに、先祖の恨みを晴らすべく、江戸幕府への復讐や、伊賀と友好的な他の忍衆への殺戮を始めたとしても、あの男の性格ならば合点(がてん)がゆく⋯⋯」


 燈十郎(とうじゅうろう)は“独り言”の間中、神妙な顔をしていた。

 その表情を見ているだけで、この件(くだん)の”風魔(ふうま)那由他(なゆた)“という男がどれ程危険な男なのかが伝わってくる。


「⋯⋯そうか、そうかッ。首謀者は風魔(ふうま)の生き残りだったのか! 百三十年前に生き延びた草の種(たね)が密かに根を生やし、復讐の時を窺(うかが)っていたのか⋯⋯、くそっ、『六歌戦(ろっかせん)』に数えられながら何て卑劣な真似を! これは何とかして御頭や百地翁(ももちさま)に伝えなくては!」


 鎌足(かまたり)は震わせた腕で拳を握りしめ、歯軋(はぎし)りをしながら唸(うな)った。

 そんな鎌足(かまたり)を燈十郎(とうじゅうろう)が真剣な表情で諌(いさ)める。


「⋯⋯鎌足(かまたり)殿。『六歌戦(ろっかせん)』には全会一致の約定(きまり)と共に、『六歌戦(ろっかせん)』同士は決して刃を交えてはならぬ、不戦の約定(きまり)がある。よって拙者は直接には鎌足(かまたり)殿や伊賀の手助けはできぬが、敢えて一つ助言を申すならば⋯⋯」


「⋯⋯っ、その助言、とは?」

 


「⋯⋯風魔那由他(ふうまなゆた)には決して近づくな、そして戦うな。綾麿(あやまろ)殿以上に、命が幾つあっても足りぬぞ」━━━━。








 ━━━━「ぐわあああああああああああっっッ!!」


 ⋯⋯京都のはずれ、門に主(あるじ)の名を示す看板すら掲げられていない、とある荒れ果てた広大な屋敷。


 天井の四隅を見渡せば蜘蛛の巣ばかり。

 そんな屋敷の広い地下座敷牢に今、傷だらけで血塗(ちまみ)れの一人の中年男が、耐え難い痛みを前に、髪を振り乱し絶叫を繰り返していた。

 其処(そこ)はまるでこの現世(うつしよ)の地獄の一端。

 地の底のようにじめじめとした暗い座敷は、牢獄と言うよりはむしろ拷問部屋に等しかった。

 四方の壁には部屋を照らす無数の蝋燭(ろうそく)の燭台(しょくだい)と共に、東洋西洋、古今東西、あらゆる拷問の器具が無造作に置かれ、また床に転がっている。


「⋯⋯っ、こ、殺せぇ! 早く、⋯⋯早く、殺せぇ!」


 この中年男はもうかれこれ二刻(ふたとき)(※4時間)ばかり、痛みに耐えながら、目をぎらつかせて吠え続けていた。

 その右腕には、鎌足(かまたり)が四日前に河原で目にした亡骸(なきがら)たちと同じ、鶴の入れ墨が有った。


 ⋯⋯そして、一方。


 その中年男の両手首と両足首は、既に無かった。



 この部屋の上座には、この部屋や和の内装にはそぐわない舶来物(はくらいもの)の豪華な椅子が置かれ、若い男が一人、悠然と腰掛けていた。

 椅子の肘掛けに腕を乗せて頬杖(ほおずえ)をつき、足を組みながら、その苦しみ悶える中年男を見下している。

 この若い男はひとしきり中年男の咆哮(ほうこう)を愉しんだ後、装着していた蜘蛛の八足を模した装飾仮面(マスカレードマスク)(※目元だけを隠した仮面)をゆっくりと外していく。

 そして絶対的な強気と自信に溢れた素顔を晒し、快楽に満ちた妖しい笑みを浮かべた。


 ⋯⋯この仮面を外した若い男こそ、様々な忍の里を焼き討ちした張本人、鎌足(かまたり)と燈十郎(とうじゅうろう)が警戒を強める、『六歌戦(ろっかせん)』“蜘蛛の那由他(なゆた)”こと、風魔(ふうま)那由他(なゆた)だった。


 武田忍の隠れ里を焼き討ちした時と同様、無造作に乱れた長髪で、黄金色の派手な蜘蛛柄の装飾と黒紫(くろむらさき)と濃紺(のうこん)の闇色で彩られた、重厚な忍装束を纏(まと)っている。

 そして戦闘を離れた普段の衣装なのだろうか、今宵は更に傾奇(かぶき)さを増した、真紅の陣羽織(じんばおり)を羽織っていた。


 その那由他(なゆた)の目の前。

 地に這いつくばり苦悶の表情を浮かべている中年男の傍に、齢(よわい)三十代前半の痩せこけた長身長髪の男が一人、ゆらゆらと佇んでいる。

 その男の眼は血走り鋭く、裾(すそ)や端が切り裂かれたようなぼろぼろの灰色の着流しを纏(まと)い、髪も那由他(なゆた)以上に乱れ、髪色も白髪に近い灰色をしていた。

 見るからに不気味な男だった。


 この痩せこけた不気味な男は、円形の盾のような奇怪で摩訶不思議なものを背負っていた。

 背面には禍々しい蜘蛛の紋が描かれている上に、まるで千手(せんじゅ)観音(かんのん)の背のように、上下左右と斜め四方に刀の柄(つか)が八本飛び出ているのだ。

 

 この謎の男は、その見た目の不気味さに更に不気味さを重ねるように、にたりと笑う。

 そして唸り声を上げ続ける中年男の横にしゃがみ込むと、その耳元に向けてねっとりとした嘲(あざけ)り声で囁いた。


「蒲生(がもう)一族の頭(かしら)、そして唯一の生き残り、蒲生将監(がもうしょうげん)よ。まだ、死なぬ、殺さぬ、終わらせぬ。一日一日少しずつ少しずつ、その身の一部を削っていくと言っただろう。今日でまだ四日目。まだまだまだまだまだまだまだだ」


「⋯⋯うぐぅッ!?⋯⋯」


 男の狂気を映したようなその瞳の怪しい輝きに、不吉な”何か“を悟った中年男⋯⋯蒲生将監(がもうしょうげん)は、絶望的な表情で喚(わめ)き散らし始めた。


「ぐがあああああっ! 殺せ殺せ、終わりにしてくれ! 先に逝った仲間たちの元に逝かせてくれ!」


 その男の嘆きの叫びに、那由他(なゆた)は至福と恍惚の表情を浮かべながら呟く。

 

「⋯⋯良い響きだ。これで初めて蒲生(がもう)一族を心の底から征した気持ちになれる。⋯⋯匙(さじ)よ、忍の頭(かしら)としての自尊心(じそんしん)を捨てた只(ただ)の人間としての悲鳴の礼に、俺からの手向(たむ)けだ。特別にもう一刀(いっとう)くれてやれ」


 “匙(さじ)”⋯⋯と呼ばれた痩せた男は、那由他(なゆた)の下命(かめい)に不気味な笑顔で返した。


「ふっふっふ。聞いた通りだ。我等が頭領(かしら)、風魔(ふうま)那由他(なゆた)様からの特別のお慈悲だ。有り難く頂戴しろ」


 そして匙(さじ)は背中の円状の盾から飛び出た八本の柄(つか)、その一本を握り、弾く。

 その勢いによって八本の柄(つか)が男の背後で、くるくる、ぎしぎし、と激しく回転をし始める。


「⋯⋯さて、”おまけ“の一太刀は、どの刀にしようか」


 激しく旋回する柄(つか)、それはまるで風車(かざぐるま)のようだった。

 そして男は唐突に、自分の頭の真上に来た柄(つか)を握る。

 回転をぴたりと止めると、握る柄(つか)をそのまま円盾から勢いよく引っこ抜いた。


 その掌には、蒼(あお)く妖しく煌めく、一振りの刀が握られていた。



 この男、匙(さじ)の背負う円盾━━━━

 その異様な物体は、盾よりも厚みがあり、盾の中には細長い溝穴が、上から下、左から右、左斜め上から右斜め下、右斜め上から左斜め下、四方向に渡って貫通して掘られ、そして一つの溝穴に両側から二本ずつ、計八方向に円をなすように八本の刀が収納されていた。


 巨大な円盾は、背後を守る盾の役割を果たすと共に、それ自体が回転する巨大な鞘(さや)。

 正体は八本の刀を収納できる、狂気の武器庫だった。


 しかも男はまるで後ろにも目があるのか、見えない背後の刀を“意図的に選んで”抜いているように見えた。



「この風車(かざぐるま)の匙(さじ)こと、匙(さじ)清浄(せいじょう)。お待ちかねのお慈悲の一太刀は、蒼鬼(あおおに)からの貢物(みつぎもの)『閻魔鋼(えんまこう)』をまぶした忍刀(しのびとう)⋯⋯『鋼丸(はがねまる)』としようか!」


 匙(さじ)は抜いた刀を将監(しょうげん)の口にほんの軽く突き刺し、刀を持つ手首をぐりぐりと撓(しな)らせた。


「女子(おなご)の肌に触れるように、やさしく、そっと、な」


「が、がががああっ、がああ、がっはあああ⋯⋯!」


 刀を口内にあてがわれた将監(しょうげん)は、声にならない声を上げる。

 と共に、口内の歯の全て、そして歯ばかりか舌の一部の肉片までもが座敷牢の床に散らばり落ち、大量の血が滴(したた)り落ちた。


「ほほう、やっぱり閻魔鋼(えんまこう)は効くな。軽く捻っただけで、いとも簡単に歯が根こそぎ削れるわ」


 匙(さじ)が鋼丸(はがねまる)を将監(しょうげん)の口から引っこ抜き、軽く空を斬ると、背後頭上の元の溝穴に素早く納刀する。


 歯と舌の一部を失った将監(しょうげん)の叫び声は、ますますもって声にならない。

 ただ喉から空気の漏れ出る音と呻(うめ)き声だけが、この密閉された座敷牢内に木霊(こだま)していた。


 まるで床の血を味合うように舌舐めずりした那由他(なゆた)が、冷笑と共に冷酷に呟く。


「⋯⋯『六歌戦(ろっかせん)』の緊急の召集日まであと二日。それが終われば今度こそ江戸の甲賀軍と合流するために再び旅立ちの準備だ。二、三日後に気が向いたらとどめを刺してやる。ばたばたと喚(わめ)く五月蝿(うるさ)い荷物はいらねぇ。⋯⋯旅の邪魔だからな」


 

 ⋯⋯その時。

 不意に座敷牢の入口の隠し扉が開いた。


 この凄惨な拷問の場に現れたのは、あの武田忍の里を焼いた夜、那由他(なゆた)の傍に居た、全身傷だらけの忍。

 ”刹那(せつな)“と呼ばれていた、若い女忍者だった。


 この座敷牢も薄暗いとは云え、武田の隠れ里の夜の闇よりは幾分かはまともだった。

 あの夜にはっきりと見えなかった表情が、蝋燭(ろうそく)の灯火によって、ほんのりと照らし出される。


 鎌足(かまたり)よりも少し大きいくらいの小柄な体躯(たいく)、肩まで伸びた髪。

 そしてその掌に握るのは、自身の身長の三分の二程の長さはありそうな、普通の刀の五倍から六倍ほどの厚みはある、巨大な刀。


 物騒な武器に似合わない、美しい女性だった。


 しかし醜い女性でもあった。


 初見の美しさを打ち消す程に一際(ひときわ)目を引くのは、美しく愛らしい顔を台無しにする、その右頬に付けられた大きな刀傷。

 そして忍鎧(しのびよろい)や忍装束の隙間から露わになっている胸元に残る、✕印の大きな刀傷だった。

 更にその無残な大傷を筆頭に、顔の他の部分は勿論(もちろん)、忍鎧(しのびよろい)の隙間から覗く腕や脚など、肌という肌の全てには大小合わせて数え切れない程の数多(あまた)の傷がある。


 傷が無い皮膚を探すのが難しいくらい、傷という傷でびっしりと覆われたこの異様な形相(ぎょうそう)の女忍は、椅子に座している那由他(なゆた)の前で片膝をつくと深々と頭(こうべ)を垂れた。


「那由他(なゆた)様。只今遠征より戻りました。お申し付け通り紀州(きしゅう)の根来衆(ねごろしゅう)の砦(とりで)、攻めて参りました」 

 

 報告を受ける那由他(なゆた)は、拷問を愉しんで見ていた先程までと全く変わらない。

 余裕で、得意気で、強気で、そして傲慢(ごうまん)に、椅子の肘掛けに頬杖(ほおづえ)をついたまま、刹那(せつな)に問いかけた。


「⋯⋯御苦労だったな、刹那(せつな)。して、戦果(せんか)は?」


「⋯⋯はっ、流石は名の知れた根来衆(ねごろしゅう)、予想通り砦も強固で、何十人もの忍の抵抗に合いました、戦果は⋯⋯」


 刹那(せつな)は話を一時止めると、纏(まと)う忍鎧(しのびよろい)の左腕の手甲(てっこう)を徐(おもむろ)に外した。


 その手甲(てっこう)の下から現れたのは、赤い腫れが残る、生々しい大きな刀傷だった。

 数多の古い傷痕を覆うように傷口が走っている事から、この数日中に付けられた新しい傷に見える。

 真新しい傷はこの左腕だけではなかった。

 刹那(せつな)は首に纏う襟巻を外し、那由他(なゆた)にしっかりと見えるように顎を上げ、その首筋にある別の赤く腫れた三寸(※9cm)ほどの刀傷も隠す事なく灯りの下に晒した。


「⋯⋯この通り。左腕と首の傷の代償として、根来(ねごろ)の砦その全てを尽(ことごと)く破壊して参りました。敵の砦(とりで)を守る隊長以下、刃向かう者は全員殺しました」


 勝利の報を告げる刹那(せつな)の声は、淡々としていた。


「よくやった、刹那(せつな)。俺のためのその傷も素晴らしい。良いぞ、これでまた美しくなったな」


 那由他(なゆた)はにやりと愉しそうに笑う。

 刹那(せつな)の表情に変わりはない。

 ただ落ち着いた声で、忠誠の言葉を返した。


「那由他(なゆた)様、御褒めの言葉、ありがたき幸せ⋯⋯」


 将監(しょうげん)が今だに痛みで悶(もだ)え転がっている中、刹那(せつな)の真横で匙(さじ)がけらけらと笑う。


「いやはや、いつ見ても凄い傷だな。その顔なら夜道で出会う誰もが逃げるわ。どんな醜い男と化け物対決をしても、間違い無く刹那(せつな)の勝ちだな。はっはっはっは!」


 悪ふざけに満ちた、厭(いや)らしい揶揄(やゆ)だった。

 しかしそんな匙(さじ)の言葉や嘲りには耳を貸さず目もくれず、刹那(せつな)は淡々と報告を続けていった。


「砦を破壊し、敵の本拠(のどもと)に迫りし時、根来(ねごろ)の頭目(とうもく)、根来義太夫(ねごろぎだゆう)より休戦と和睦(わぼく)の申し出がありました。よって那由他(なゆた)様の御判断を仰(あお)ぎに一時帰還した次第。条件としましては、全面降伏と共に風魔(ふうま)一族の支配を甘んじて受ける、との事。如何(いかが)しますか⋯⋯」


 刹那(せつな)が言い終わるやいなや、那由他(なゆた)は即座に冷たく言い放った。


「おい、それだけじゃ話し合いを始める事すらもできねえ。肝心の物が足りねえ。根来義太夫(ねごろぎだゆう)、そして小頭(こがしら)、この二つの首と引き換えだ。そうすれば考えてやる。⋯⋯根来(ねごろ)の奴等にそう伝えろ」


 那由他(なゆた)の即答と強気の条件提示に、匙(さじ)が嬉しそうに反応する。

 狡猾(こうかつ)な薄笑みを浮かべ、そして大笑いした。


「⋯⋯と言いながらも、いつも最後は皆殺しにするくせに。ふはっはっはっはっはぁ!」


「⋯⋯っ、しかし本当に良いのですか? 那由他(なゆた)様。その条件は厳しすぎます。根来衆(ねごろしゅう)からの拒否や反抗は必至。根来(ねごろ)は今までの忍び里で隠遁(いんとん)するような他の忍流派とは違い、名のしれた巨大勢力。⋯⋯鉄砲隊を持つ雑賀衆(さいがしゅう)とも繋がっている故(ゆえ)、奴等(やつら)二派が手を組んで、逆に仕掛けてくる可能性もあります」


 刹那(せつな)が意見したその瞬間、那由他(なゆた)は明らかな不満と苛立ちを見せる。

 一気に凄みと圧を増した低い声で呟いた。


「⋯⋯刹那(せつな)。この俺には何人(なんぴと)たりとも意見する事は許さん。御前は黙って俺の指示通り、目の前の敵をただ叩き潰すだけでいい。あれこれと俺に指図や口ごたえするんじゃねえ。奴等が徒党を組んで、何十人何百人で歯向って来ようが構いはしねえ。この俺が叩き潰してやる」


 恐ろしいまでに絶対的な、将(しょう)としての威厳だった。

 刹那(せつな)が再び深々と頭(こうべ)を垂れる。


「失礼致しました。私は那由他(なゆた)様のお考えに従います。今までも、今も。⋯⋯そして、ずっとこれからも⋯⋯」


 刹那(せつな)は那由他(なゆた)の顔色を窺うように、そっと密かに上目遣いに、那由他(なゆた)を見つめる。

 その瞳は主(あるじ)と配下という主従関係や畏敬の憧れを超えた、何処(どこ)か不思議な煌(きら)めきを放っていた━━━━⋯⋯。





 ⋯⋯━━━━「⋯⋯で、風魔(ふうま)のやり方、拷問や報告をさっきから高みの見物か? 覗き見の趣味でもあるのか? ⋯⋯え? 蒼鬼(あおおに)の旦那(だんな)よ」


 一通り刹那(せつな)の報告が終わった直後だった。

 何も無い座敷の東側隅の空間に向けて、唐突(とうとつ)に那由他(なゆた)が呟いた。


 痛みで転がる将監(しょうげん)が涙目で、その空間を見つめる。

 しかし何も無い。


 ⋯⋯と、思った瞬間だった。


 座敷牢に突然に怪異が起きた。


 那由他(なゆた)の今の呟き呼び掛けに反応するように、座敷牢に男の乾いた妖しい笑い声が響き始めたのだ。


《⋯⋯ふっふっふ、⋯⋯はっはっはっはっは》


 そして将監(しょうげん)が目線を送った座敷の東側の片隅に、ぼんやりと人の影らしきものが浮かび上がっていった。


《お見通しだったか。相変わらず侮(あなど)れない人間だ。⋯⋯流石は『六歌戦(ろっかせん)』、風魔(ふうま)那由他(なゆた)と言うべきか。我等が贈った『閻魔鋼(えんまこう)』も、貸し出した羅刹(らせつ)たち全ても、この上なく見事に扱ってくれて、感嘆の言葉しか無い》


 ぼんやりとした影は、やがて明らかな人影へと変わっていく。

 

 目の前で起きた信じられない光景。


 ⋯⋯にも関わらず、那由他(なゆた)も刹那(せつな)も匙(さじ)も、不思議な事に三人ともがこの怪異を怪異と思っていないような素振りで、警戒を見せるどころか、むしろ当たり前のように平然と受け止めている。


「⋯⋯が、⋯⋯が、ががが、ががっ!? がっがが⋯⋯」


 この場で将監(しょうげん)だけが、恐怖で身体を震わせ顔を引きつらせ、目を見開いて影を凝視していた。


 ⋯⋯それは人影ではなく、⋯⋯鬼影(おにかげ)。


 将監(しょうげん)が何度か瞬(まばた)きをした、その一瞬の間だった。

 蒼(あお)い目、銀の瞳、そして額に二本の角を持つ、一鬼の蒼鬼(あおおに)がその姿を現していた。

 

 その蒼鬼(あおおに)は呪術師のような蒼(あお)い衣を身に纏い、指に挟んだ髑髏(どくろ)柄の賽子(さいころ)を気ままに転がしながら、那由他(なゆた)に不敵な笑みを送っている。


 ⋯⋯鬼影の正体。


 それは蒼鬼(あおおに)軍の重鎮、蒼賽鬼(そうさいき)だった。



《⋯⋯羅刹(らせつ)たちの見返りに、蒼鬼(あおおに)総大将、蒼極鬼(そうごくき)様より伝言がある。⋯⋯重ね重ねになるが、まずは二日後の『六歌戦(ろっかせん)』召集、よきに計らうように、との事。そしてもう一つ。隙あらば蒼鬼(あおおに)に仇(あだ)なす不知火(しらぬい)中将(ちゅうじょう)綾麿(あやまろ)を討て、との事。⋯⋯以上だ。二つの願い、確かに伝えた》


 言葉の重要度とは裏腹に淡々と。

 蒼賽鬼(そうさいき)は事も無げに呟く。


 それは“願い”という呼び名の、蒼極鬼(そうごくき)からの”命令“。

 那由他(なゆた)はそんな二つの”願い“を鼻で笑う。


「おい、蒼(あお)の旦那よ。ずっと其処(そこ)に居たんだろう? ⋯⋯俺に何人(なんぴと)たりとも意見する事は許さん、ついさっきそう言わなかったか? 修羅(しゅら)のくせに覗き見する目は付いていても、話を聞く耳は持ってねえみてえだな」


《⋯⋯何ぃ?》


 那由他(なゆた)の挑発に近い言葉に、蒼賽鬼(そうさいき)の声色は変わっていた。

 指に挟む賽子(さいころ)の回転がぴたりと止まる。


「それにな、蒼鬼(おまえら)が御所に侵攻しなければ、俺たち風魔はゆるりと今頃は江戸城天守閣で、火に包まれる江戸の町を、ゆるりと“高みの見物”としゃれこんでいたんだ。今の旦那(だんな)みたいにな」


《⋯⋯⋯⋯》


「⋯⋯ふん、まあいい。三月(みつき)にも渡る長い付き合いだ、話は分かったぜ。任せておきな。他の『六歌戦(ろっかせん)』の誰かが積極的な意見を言いやがっても、絶対に通させねぇ。逆に何か美味い情報が入れば、それも全て渡してやる」


《⋯⋯ふん》


 蒼賽鬼(そうさいき)は言葉を返す代わりに、再び掌の中の賽子(はいころ)をゆっくりと再び転がし始めた。


「⋯⋯そして不知火(しらぬい)綾麿(あやまろ)の奴だが。俺達『六歌戦(ろっかせん)』には不戦の約定(やくじょう)がある。そう簡単には手出しできねえ。⋯⋯が、綾麿(やつ)め、『六歌戦(ろっかせん)』の中では一番の新参者。にも関わらず、裏で御所の土台骨を支える俺たち風魔(ふうま)を尻目に、華やかな御所の表舞台を我が物顔で歩きやがって。⋯⋯いけ好かねえ公家だ。旦那(だんな)から頼まれなくても何(いず)れ始末する。待ってろ」


《⋯⋯そうか。⋯⋯よきに、な》


 眉間に皺(しわ)を寄せている那由他(なゆた)からは、綾麿(あやまろ)に対しての明らかな闘気が早くも迸(ほとばし)っていた。

 その殺気と本気を感じ取った蒼賽鬼(そうさいき)が、満足気に微笑む。

 指と指の間で転がる気ままな賽子(さいころ)の回転も、いつしか元通りになっていた。



《⋯⋯では、な。総大将の返答は後程伝える》


「⋯⋯待てよ、見返りの見返りだ。蒼賽鬼(そうさいき)の旦那(だんな)。一つだけ頼まれてくれねえか」


 那由他(なゆた)が何かを企んだ笑みを浮かべる。

 こういう時はろくな内容ではない。

 繋ぎ役として那由他(なゆた)の性格をよく知る蒼賽鬼(そうさいき)は、怪訝(けげん)そうに眉を顰(しか)めた。


《⋯⋯何だ? 頼み、だと?》


「⋯⋯修羅(しゅら)を四鬼、俺に貸してくれねえか。⋯⋯そう蒼極鬼(そうごくき)の大将に伝えてくれ」


《⋯⋯何だと? 修羅(しゅら)を四鬼、だと? 何に使う?》


「⋯⋯糸をかける」


《⋯⋯糸、だと?》


 ⋯⋯糸。


 謎めいた那由他(なゆた)の言葉。

 刹那(せつな)と匙(さじ)だけは、その意味を理解していた。

 二人の口元が那由他(なゆた)に同調して、にやりと緩む。


 那由他(なゆた)は人差し指を口に当てると、意味の解けずに疑問符を浮かべている蒼賽鬼(そうさいき)を見つめながら、愉しそうに笑みを浮かべた。


「⋯⋯糸、それは風魔一族の秘密。今は言えるのはそれだけだ、旦那(だんな)。⋯⋯ふふふ、意味を知りたいかい? ⋯⋯なら四鬼の内の一鬼は、旦那(だんな)、あんたでも構わねえんだぜ」


《⋯⋯ふん、生憎(あいにく)と私にも賽(さい)の河原で”やるべき事“があってな。⋯⋯まあよかろう。蒼鬼(こちら)にはあれこれ命令するなと常々言うくせに。好き勝手に無理を言う奴め。⋯⋯総大将には上手く伝えておこう》


「そうかい、ありがとよ、旦那。恩に着るぜ」


 那由他(なゆた)は椅子から立ち上がる。

 そして刹那(せつな)や匙(さじ)にも目を送ると、二人に向けても檄(げき)を飛ばした。


「刹那(せつな)よ。そして匙(さじ)よ。聞いたな。⋯⋯風魔死天王(ふうましてんのう)、後の二人に召集をかけろ」


「“糸”のためにあの二人を、ですね? 畏まりました」

「⋯⋯くくくくく、それは、糸(いと)をかし。相解(あいわか)り候(そうろう)」


「『六歌戦(ろっかせん)』の会合が終わり次第、風魔忍郡(ふうまにんぐん)全軍をもって江戸を目指す。まずは蒼鬼(あおおに)羅刹(らせつ)を派遣せし、甲賀の同盟属軍と合流。そしてその後はいよいよ俺たち風魔(ふうま)一族の大願成就(たいがんじょうじゅ)、将軍の抹殺、そして御庭番(おにわばん)として陽の光を浴び続ける、憎(にっく)き伊賀をも殲滅(せんめつ)、根絶やしにする! ━━━━江戸城侵攻、再開だ!!」


「⋯⋯あぁ、今度こそ。いよいよ、いよいよ、ですね」

「くっくくく、我ら御先祖の恨み、百倍返しですなぁ」


 那由他(なゆた)、刹那(せつな)、匙(さじ)⋯⋯、紅蓮の炎に包まれる江戸城を想像しながら笑い合う三人。

 その姿を乾いた表情で見つめながら、蒼賽鬼(そうさいき)は淡々と呟いた。



《⋯⋯やれやれ、人の恨みとはかくも恐ろしきものか》



 そしてその鬼影はまるで黒墨(すみ)が薄墨(うすずみ)になっていくように朧(おぼろ)となり、いつの間にか蒼賽鬼(そうさいき)はこの座敷牢から姿を消していた━━━━⋯⋯。





 ⋯⋯━━━━「がぁあ、あがが、⋯⋯がが、うがあ、うっぐがぁあ⋯⋯」


 蒼賽鬼(そうさいき)が消えた後もなお、将監(しょうげん)は相変わらず痛みで床をのた打ち回りながら、唸り続けていた。

 那由他(なゆた)はそんな将監(しょうげん)を煩わしそうに一瞥(いちべつ)すると、右掌の五本の指を何かを掴むように曲げ、そして大きく広げていく。

 そして藻掻(もが)く将監(しょうげん)に向けて、その手を軽く横に流した。


「⋯⋯大事な話の最中だ。五月蝿(うるせ)えよ」


 その掌の一振りによって将監(しょうげん)の叫びが唐突に止まる。

 聞き分け良く、急に黙り込んだ。

 ⋯⋯のではない。

 将監(しょうげん)は話さない、のではなく、話せない状態。


 ⋯⋯将監(しょうげん)は既に息絶えていた。


 ついほんの今しがたまで声を上げていた将監(しょうげん)は、僅かこの一瞬の間に只(ただ)の物言わぬ亡骸(むくろ)と化していたのだ。


 那由他(なゆた)は一切手を触れていない。

 それにも関わらず、将監(しょうげん)の首は今、五つに輪切りにされ、切断されている。

 その首の切断面は、武芸者ならば誰もが見惚れてしまうくらいに鮮やかで美しく、まるでまだ首がそこに有るかのように、血管からの出血は最小限に留まっていた。


「⋯⋯あーあ、とうとう殺っちゃった。なんまんだぶ、なんまんだぶ。⋯⋯⋯くっくっく」

 

 将監(しょうげん)の輪切りとなった肉塊を見下しながら、匙(さじ)が不気味ににたにたと笑う。

 そんな匙を鬱陶(うっとう)しそうに横目で見ながら、刹那(せつな)は那由他(なゆた)に問いかけた。


「⋯⋯那由他(なゆた)様、それよりも例の出羽に向かった女忍、鎌足(かまたり)とやらの方はどう致しましょう?」


 那由他(なゆた)はつまらなさそうに口を歪(ゆが)ませる。


「放っておけ。鬼切丸(おにきりまる)だろうが鬼斬丸(おにぎりまる)だろうが、俺たち風魔(ふうま)には何の関係もねぇ。ましてや何の脅威でもねぇ」


 二つの妖刀、鬼切丸(おにきりまる)と鬼斬丸(おにぎりまる)⋯⋯。

 その言葉に興味津々に反応したのは、匙(さじ)だった。


「鬼切丸(おにきりまる)か。いや鬼斬丸(おにぎりやる)でもよい。八又(やつまた)の一つに差し込みたくてかなわん。⋯⋯そそられる。⋯⋯くくくく」


 今にもよだれを垂らしそうな匙(さじ)を無視して、刹那(せつな)は那由他(なゆた)に進言する。


「⋯⋯っ、し、しかし、得体の知れない刃。念のために最新の注意はするべきかと⋯⋯、那由他(なゆた)様の身にもし何かあったら、わた⋯⋯」


「⋯⋯おい。刹那(せつな)、御前も耳が無えのか? さっき俺が何て言った? そして御前は何て答えた?」


「⋯⋯あ、⋯⋯ぅ」


 那由他(なゆた)の圧に刹那(せつな)が再び頭を垂れる。

 那由他(なゆた)には意見してはいけない、そう頭では理解しつつも、刹那(せつな)は那由他(なゆた)を色々と案じるがあまり、ついつい口が先走ってしまうようだった。


「⋯⋯再度失礼を。鎌足(かまたり)とやらは後回しに致します」


「出羽(でわ)で鎌足(やつ)が刀を探している間に江戸城は陥落する。蒼鬼(おに)の不始末で始まった鎌足(やつ)との揉め事なんぞ、奴等で勝手にどんぱち殺(や)させとけばそれでいい、いいな」


「⋯⋯仰せのままに」


「その出羽(でわ)に向かった鎌足(かまたり)とかいう糞餓鬼(くそがき)の小頭(こがしら)を除けば、伊賀御庭番(いがおにわばん)で注意すべきは頭領(かしら)の半蔵(はんぞう)くらいだ」


 匙(さじ)がねっとりとした声でまた口を挟んできた。


「半蔵ねぇ。⋯⋯くくくく、早く奴の血を吸いたくて、この八又(やつまた)の風車(かざぐるま)の魔剣たちが、はや啼(な)いておるわ」


「奪った文(ふみ)を書いたのは百地幻斎(ももちげんさい)。前の『六歌戦(ろっかせん)』だ。まだ生きてたみてぇだが、既に老いぼれ、敵ではない。俺たち風魔(ふうま)の侵略に今更勘付いた所で、半蔵(はんぞう)一人で何ができる? ⋯⋯はっはっはっは、伊賀の愚者(ぐしゃ)どもめ!」

 

 既に勝利を確信した那由他(なゆた)の嘲りの高笑いが壁に反響し、不気味な獣(けもの)の遠吠えのように変わる。

 そしていつまでもこの陰鬱(いんうつ)な秘密の座敷牢の中に、響き渡っていた。



 ⋯⋯匙(さじ)が残響に酔いながら、不気味に笑う。


「江戸城を包囲せしは、風魔死天王(ふうましてんのう)と蒼鬼(あおおに)が修羅(しゅら)四鬼」


 ⋯⋯刹那(せつな)が那由他(なゆた)を見つめ、静かに微笑む。


「四(し)人(びと)四(し)鬼(き)の八つの糸で死掛(しかけ)るは、蜘蛛の巣地獄⋯⋯」



 ⋯⋯そして江戸と伊賀への復讐、ただその一念で邪悪に顔を歪ませた、風魔那由他(ふうまなゆた)が高々に、吠えた。



「八つの蜘蛛の糸。その全てを解くは、今の伊賀御庭番(いがおにわばん)に到底不可能! 風魔(ふうま)に伝わりし、必殺必勝の死の罠、━━━━『風魔(ふうま)八門遁甲(はちもんとんこう)の陣』、とくと味わえ!!」



 那由他(なゆた)の纏(まと)う、真紅(しんく)の陣羽織(じんばおり)。

 その背中には八本足の巨大な女郎蜘蛛(じょろうぐも)が縫い描かれ、葵の御紋の刺繍に、八角の糸を絡めていた━━━━。




第105話も最後までお読み頂きありがとうございました。ブックマーク、☆評価、顔文字、感想等、良かったらぜひよろしくお願いします。その優しさや応援が新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。


次回第106話「黎明」は10月21〜23日頃投稿予定です。

引き続き『羅生門怪鬼譚(らしょうもんかいきたん)』をよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

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