第102話 浪人笠の男
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の半刃『鬼切丸』と共に、鬼が現れた京都に援軍として派遣された。裏では極秘に朝廷探索の密命も帯びていたが、何者かの侵攻による伊賀の危機の報に、一時御所を離れる事を決断する。鬼切丸の残りの半刃を求め、出羽へと一人旅立つ。
森の中で道に迷い、とある小さな村へと辿り着いた鎌足は、鬼に纏わる奇怪な事件に遭遇する事になる。
謎の浪人笠の男━━━━
鎌足が通された奥座敷で、村人たちから“鬼”と呼ばれて取り囲まれていた、正体不明の旅の剣客風の謎の男。
━━━━⋯⋯「鎌足よ、あの剣客、あの刀、どう見た?」
伊賀御庭番衆御頭、服部半蔵がぼそりと呟いた。
「⋯⋯とにかく凄く強い。⋯⋯ただそれだけとしか」
隣に立つ鎌足が、心無しか委縮した声で小さく言葉を返す。
鎌足と半蔵の視線の先、二人から遠く離れた場所に、無造作に伸びた茶色がかった長髪を風に靡かせながら、黒の羽織を纏う男が悠然と立っている━━━━⋯⋯。
⋯⋯━━━━それは今を遡る事、二年。
享保十一年、春。
年の干支は、縁起の悪いと言われる丙午、その厄を払うために、一と一の揃目、十一に験を担いで催された、江戸城中庭における御前試合での出来事だった。
徳川将軍や老中幕閣たちを前にしたこの御前試合は、日本全六十九国、三百藩、北から蝦夷から南は琉球まで、名だたる剣客や武芸者たちが一堂に集い、勝抜き方式で己の鍛え抜いた剣技を披露する場だった。
将軍も列席、剣技を見物する公の一大行事。
各藩の来賓席の中に、現徳川政権を恨み、将軍暗殺を画策している者が居る可能性も否定できない。
また武芸者たちに関しても、身分を偽った暗殺者が紛れ込んでいる可能性も捨てきれない。
将軍の護衛には最新の注意が払われ、当然に公儀御庭番である伊賀一族も、半蔵や鎌足はじめその全員が、木の上、陣幕の背後、果ては水遁術で池の中にまで潜み、随所で警備の目を光らせていた。
鎌足は呆けながら、その男を見つめ続けている。
そんな鎌足に半蔵が微笑みながら声をかけた。
「⋯⋯見惚れたか。あの剣裁き。今までに何度か御前試合は見てきたが、十人抜きを見るのは初めてだ。しかもそのどれもが秒での勝利。見よ、息が乱れるどころか、汗一つかいてはおらぬ」
「⋯⋯まだ歳は二十半ばに見えるのに、あの柔と剛を兼ね備えた動き、凄すぎます。直心影流の道場主や、念流の高名な武芸者ですら、まるで赤子の手をひねるようにあんな容易く⋯⋯。あーあ、勝ち抜きが最大で十人までだなんて惜しいなぁ、もう少し見たかったなぁ」
「⋯⋯ふふふ、いつも自信満々な御主が、形無しか? 何なら次は特別試合、御主が真剣で挑んでみるか?」
「⋯⋯へっ? ⋯⋯い、嫌ですよ。敵いませんよぉお」
「⋯⋯そうか。⋯⋯ふふふ、まあ、気持ちは分かるぞ。あの強さ、幻斎爺の全盛期よりも勝っているかもしれん。俺の目をしても、それ程までに見えたからな」
「⋯⋯え。⋯⋯な、なら私などが到底に及ぶ所ではありませんよぉ。⋯⋯でも、そんな凄い剣客が市井にはまだ居るんですねぇ。日本は広い。⋯⋯浪人かな? 剣で名を売って仕官を探そう、そんな口でしょうか?」
「いや。仕官には一切興味は無いらしい。あれ程までの剣腕を持ちながら、未だ己の武を高めるための旅の途中なのだそうだ。しかも高きはそんな武や志だけに非ず。勝っても奢らず、心優しく、貧しき者には親身になって寄り添う。人のできた素晴らしい大人物と聞いている」
「⋯⋯へぇ。そんな立派な方なんだぁ。御頭、あの人についてぜひ詳しく教えてください。見習わなくっちゃ」
「そうだな。優れた者の生き様を見知るのも、また一つの良き修練になろう。御主もあの男を身習い、更に厳しい修練を重ね心を磨き、一刻も早く、小頭に推挙されるくらいにまでならなくてはな」
「えっ、新参者の私が小頭に!? ⋯⋯え、えへへ。⋯⋯もし本当に小頭になれたら、⋯⋯こ、困るなぁ、照れるなぁ。⋯⋯私の名は伊賀御庭番、“小頭”の鎌足だ!! ⋯⋯かぁ。⋯⋯え、えへ、えへへへ」
「⋯⋯何をにやにやしている? ⋯⋯それと、⋯⋯見るがいい。あの刀を」
「えっ?」
件の十人抜きの男は、用は済んだとばかりに早くも試合用の木刀を置き、上座に退席の一礼をしていた。
その手には一振りの漆黒の刀が握られている。
燦々とした陽の光を浴び、男の掌の中で黒水晶のように美しく輝いている黒鞘。
鎌足の目には鞘は、まるで比類無き強さの象徴⋯⋯、黒い龍の鱗のようにも見えてならなかった。
「⋯⋯わ、龍だ、刀に黒い龍が宿っている。⋯⋯凄い刀だ。抜かなくても氣で分かるや。間違い無く名刀だ」
鎌足は思わず呟いていた。
御頭の語った言葉通り、男は最後まで清々しい人格者だった。
倒した十人全員に声をかけ、試合で自身が与えた傷を気遣い、互いの武を讃え、警備や審判の侍たち一人一人に至るまで丁寧に礼を尽くし、それらを全て終えると、心残り無しとばかりに羽織を颯爽と翻す。
そして誉を求めるでもなく、褒美の見返りを受けるでもなく、無言のままに試合場を立ち去っていく。
その姿に半蔵も感嘆の声をあげる。
「⋯⋯流石、あの刀の主に相応しい振る舞いだ。⋯⋯鎌足よ。あの刀は日本でも特別な刀。神君家康公とも縁がある、選ばれし真の豪の者しか持てぬ刀なのだ」
「⋯⋯えっ、そ、そんな凄い刀なんですか?」
「⋯⋯ああ。⋯⋯日本全土、武の道を志している剣客たちにとって、大将となるべき器の者が持つ刀⋯⋯、そう言ってもよいくらいの至宝の名刀だ」
「⋯⋯お、御頭っ、あの刀の銘、何て言うんですか? それと、あの剣客の姓名は? 私もあんな刀が持てるように、小頭になれるように、頑張らなきゃだから!!」
目をきらきらと輝かせている鎌足に向けて、半蔵は何処か嬉しそうに、刀と男の銘名を告げた。
「⋯⋯ふふ、あの刀の銘は━━━━」━━━━⋯⋯
⋯⋯━━━━「⋯⋯あ、あの、⋯⋯いや、その刀は!?」
記憶を辿りながら、鎌足は思わず叫んでいた。
立ち上がった浪人笠の男。
その男の身体と共に行灯の陰の中からゆっくりと朧気に現れ、そして男の胸元に翳されていく一振りの刀。
まだ抜かれてはいない、その漆黒の漆塗りの鞘が、左右背後の無数の行灯の光を纏いながら煌めきを放つ。
鎌足にとってその鞘の漆黒は、まるで永い眠りから目覚め、眠りを妨げた邪魔者を探して首をもたげていく、黒き龍の鱗。
そしてその黒光りもまたゆっくりと瞼を開いていく、龍の鋭い眼に見えていた。
綾麿の持つ村雨のような、金色の蒔絵や装飾などの豪華絢爛な派手さは無い。
だが刀を改めて目の前にした今、確実に断言できる。
村雨と同じく、まさしく名刀中の名刀。
日本の歴史千七百年に渡り脈々と息吹いてきた、剣豪剣客武士たちの魂、その全てが宿っているような重厚かつ威厳に満ちた刀だった。
「⋯⋯あ、あ、⋯⋯あああ」
その圧倒的な存在感を前に、鎌足が狼狽する。
刀だけではない。
男の放つ氣もまた凄まじい圧だった。
無造作に座していた時は、まるで感じなかった闘氣。
それが今は、焙烙玉が爆発するように一気に目の前で弾け、男の全身から漲り迸っている。
氣は見えない強烈な風となり、吹き荒ぶ嵐となり、自信満々に構えていた鎌足の心に襲いかかる。
鎌足の二本の脚も今、座敷の畳の上を堅く踏み締めながらも、その心は既に遥か彼方へ。
自信も強気も、また闘気すらも、外の漆黒の闇の中へと吹き飛ばされていた。
「⋯⋯と、十一の丙午。⋯⋯将軍家、御前試合」
口から記憶の欠片が漏れ出る。
二年前に目にした、“あの日”の柔と剛の華麗な剣技の衝撃が、鎌足の脳裏に今、鮮明に蘇っていた。
そしてその記憶の邂逅と反比例するように、先程までの鎌足の威勢は夜の露と消えていく。
鎌足は震える手で浪人笠の男と黒刀を指差しながら、その記憶の核心を口にしかけた。
「⋯⋯と、すると、⋯⋯あ、貴方の名は⋯⋯」
しかしそんな鎌足の言葉を遮るように、浪人笠の男の方が先手を取る。
翳した黒刀ではない。
笠の下に覗かせる”口“から生まれた言霊が、刃のように鋭く、鎌足の名前の呟きを止める。
「⋯⋯ほう。ふふふ、伊賀と名乗った故、もしやとは思ったが。この刀、見知っておったか。と言う事はやはり“あの時”、周囲に潜んでいた者の一人だったようだな」
それはこの男の独り言のようでもあり、鎌足への問いかけのようでもある。
不思議な笑みだった。
「⋯⋯拙者の話、信じてくれるのか? 鎌足殿」
そんな掴み所の無い男の笑顔と黒刀を前にして、鎌足は名前を呟くのも忘れ、まるで壊れた絡繰人形のように、カクカクとぎこちなく軽く頭を上下させる。
「⋯⋯ならば、今は拙者の名などよりも、まずはこの状況の打破。⋯⋯そうであろう?」
これもまた不思議だった。
感情的な鎌足には到底に出来ない氣を操る能力。
鎌足に進言する男の身体からは、つい今しがたまで感じた闘氣の波風は、嘘のように一瞬で消え失せていた。
「⋯⋯は、はい」
思わぬ再会にまだ動揺の中にある鎌足が、目を丸くしながら今度ははっきりと大きく、上下に首を揺らした。
⋯⋯その時だった。
鎌足の背後から唐突に叫ぶ者があった。
それは一向に動こうとしない鎌足に、痺れを切らしたような焦燥感に溢れた声。
そして今まで以上に顕になった明確な”意思“⋯⋯。
「⋯⋯━━━━殺せ!!」
その声のあまりの強さに呆けていた鎌足が我に返る。
そして即座に背後を振り向いた。
(⋯⋯はッ!!)
その声の主は村長の妻だった。
改めて目にする村長の妻。
この浪人笠の男に投降や刀を迫っていた先程よりも、今は明らかに怒りと興奮で顔は火照り、目も狂わしいまでに血走っている。
周りを取り囲む村人たちも同様だった。
誰も彼もが眉を顰め、怪訝な表情を浮かべていた。
浪人笠の鬼を斃す⋯⋯そんな大きな啖呵を切り、刃を向けながらも、最後は躊躇してしまった鎌足。
その動きが村人たちの怒りと憎しみの炎に油を注ぎ、反発と増長を招いてしまったのだろうか。
誰からとも無く、だった。
村人たちの心の声はすぐに殺伐とした言葉と変わり、戸惑う鎌足の前で激しく重なり連なっていく。
「⋯⋯殺せ」
「⋯⋯殺せ、鬼を殺せ」
「⋯⋯この村さから、出すでない」
「⋯⋯絶対にこの奥座から、生きて帰すな」
その声のどれもこれもが淡々としていた。
凍えるような寒さを纏った声だった。
そして何よりもその言葉一つ一つから、確かな憎悪や殺意が感じられた。
(⋯⋯ッ!?)
二十を超える数、一気に押し寄せる殺気。
そのあまりもの圧に、村人たちに心を重ねていた鎌足ですら、危険を察知する本能が村人たちへの同情を上回っていた。
次の瞬間、鎌足はこの無数の殺意から逃れるため、半ば無意識に大きく後方へと飛び退いていた。
「⋯⋯皆さん、どうか落ち着いて! ごめんなさい、私、勘違いしてたみたいです。この方は鬼ではありません、いや、絶対に皆さんの頼りになる、とても強くて、とても立派な方なんです! この私が保証します!」
鎌足は村人たちに必死に自制を呼び掛けた。
そんな鎌足のすぐ隣には今、攻めるべき相手から守るべき相手へと変わった、浪人笠の男が薄笑いを浮かべながら佇んでいる。
「⋯⋯ふふふ、可笑しくも不思議なものだな。つい今しがたまで刃を交えようとした二人が、こうして今は肩を並べて、武芸に拙い村人たちと向かい合っている。⋯⋯はははは、滑稽な話だ」
「⋯⋯ちょ、ちょっと! 今はそんな冗談を言っている場合じゃないでしょう!? 皆に事情を分かってもらわないと! 鬼と勘違いされたままでいいんですかぁ!?」
鎌足が真剣な表情で男に向かって叫んだ、その時。
目の前の村長の妻から次に飛び出した怒号は、鎌足が予想だにしていなかった言葉だった。
「⋯⋯━━━━殺せ!! あの女子も、殺せ!!」
「⋯⋯なッ!? ⋯⋯ち、違⋯⋯」
鎌足は驚きで思わず後退りする。
「⋯⋯あの女子も鬼じゃ! 鬼の仲間じゃ!」
村長の妻の激しい罵りに引っ張られて、他の村人たちもすぐに追随を始めていた。
「この女も笠の男の仲間だったのか! 儂たちを言葉巧みに上手く騙しおって! 絶対に許せん!」
「そうだ! こいつも鬼だ! それならばあの男に続いてすぐに現れた、その合点もいく!」
「殺せ! 早う殺してしまえ! 奥様が仰る通り、あの女子も間違い無い、鬼じゃ!」
「村長様が亡き今、奥様の命令が絶対。邪魔な鬼は全て殺す。それがこの村の掟じゃ!!」
(⋯⋯あ、あわわわわ、どうすれば⋯⋯、⋯⋯ッとと)
後退りした鎌足の背が、行灯の光の当たらない暗い壁に付く。
もう逃げ場は無い。
完全に壁際にまで追い詰められていた。
一方、浪人笠の男の方は余裕綽々だった。
軽く溜め息をつくと、悠然と数歩後ろに退く。
そしてあたふたと思案に暮れている鎌足の隣に寄ると、至って冷静に呟いた。
「⋯⋯鎌足殿。余計な御世話かもしれぬが、其処の壁、あまりもたれかからないほうがよい。どうせもたれかかるなら、拙者のように下側にした方がよい」
「⋯⋯はぁ!? 貴方だけじゃなく私まで疑われてるって時に、何を訳の分からない事を言ってるんですか!? ⋯⋯え、えっと、⋯⋯み、⋯⋯いや、⋯⋯と⋯⋯? ⋯⋯んと、⋯⋯うーん」
「⋯⋯ん? もしかして拙者の呼び名か?」
「⋯⋯あ、⋯⋯は、はい」
「⋯⋯そうだな、⋯⋯うーん、⋯⋯笠地蔵でよい」
「⋯⋯は!? それはちょっと⋯⋯」
「⋯⋯ん、そうか。⋯⋯なら今は“浪人さん”でよい」
「⋯⋯浪人さん? ⋯⋯ん、わ、わかりました。⋯⋯で、ろ、浪人さん? まずいですよ、この状況。余計な話なんてしてる場合じゃない!」
「ならば余計では無い話をするとしよう。鎌足殿。先程の問いかけの続きだ。⋯⋯聞かせてくれ。何故拙者の話を信じた? 刀に覚えはあっても、拙者が鬼でないという確証は何処にも無かったはずだ。あの御前試合で見た拙者の力量ならば鬼には負けぬ、そう踏んだのか?」
「⋯⋯いえ。それもありますが、⋯⋯さっき調べたあの村長の亡骸。喰われる前、明らかに複数の刃か複数回の太刀で、念入りにとどめを刺すよう斬られていました。貴方程の剣腕ならば、あの御前試合のように一撃で仕留めるはず。あんな傷にはならない。⋯⋯だからです」
鎌足は凛とした顔で呟いた。
その返事に“浪人さん”は笠の下の口元を緩ませる。
「⋯⋯ははは、素晴らしい洞察力だ。流石だ、鎌足殿。その洞察力のお陰で女子を斬る事はしないで済んだ」
「⋯⋯えっ、わわわ。もしかして私が話を信じずに刃を引かなかったら、私は斬られちゃってた!?」
「⋯⋯勿論。⋯⋯峰打ちで、だがな。⋯⋯ははははは」
「⋯⋯は、はは(⋯⋯ほっ。良かった。私が賢くて)」
「⋯⋯で、上座で横たわる村長⋯⋯だったか。先にも言った通り、あの男を喰うたのは紛れもなく鬼」
「ですが、貴方でない以上、此処にはもう鬼など⋯⋯」
「それぞまさしく、”葬魂の術“」
「⋯⋯えっ」
「⋯⋯此処に居るのは、拙者たち二人を除けば二十一名。男が十、女が八、子供が三。そしてそれとは別に、村長の亡骸が一⋯⋯。鎌足殿よ。この中にこそ、人を喰い漁った残虐非道な鬼がいる⋯⋯、としたら?」
村長の妻の言葉に続き、今の言葉もまた鎌足にとって驚天動地、想像の範疇を超えた一説だった。
浪人笠の男が鬼ではないと分かった以上、悪行に及んだ鬼はもう外の闇の中に消えた、そう思っていた。
いや、無理にでもそう思おうとしていた。
しかし現実的にはやはり、今の説の方が何倍も説得力があるように思える。
そしてもし今の話が本当ならば、鬼の脅威はまだこの座敷の中に蠢き、村の恐怖は続いている事になる。
「⋯⋯そ、そんな、信じられない。あの人たちの中に、鬼が!?」
「⋯⋯だからこれも先に言ったであろう? この座敷に違和感を感じぬか? そして目の前で見た事、聞いた事に、何か矛盾を感じぬか? ⋯⋯と」
「⋯⋯ッ!?」
今は信じるに足りる、この浪人笠の男からの核心を抉る謎掛けに、鎌足はもう一度、不思議な形状と配置の行灯に囲まれた、この座敷内の全てに目を配る。
警戒心を顕にし、狐のように吊り上がった目を細め、睨みつけてくる村長の妻。
離れた左右の壁際に呆けて並ぶ、三人の子供たち。
門扉を開ける問答をしていた時以上に厳しい表情を浮かべている、下男の男。
後は男女皆、それぞれに鍬や鎌や斧を手に、鎌足たちをじりじりと半円状に取り囲み、逃げ道を防いでいる。
先程からずっと変わらない緊迫の光景だけが在った。
(⋯⋯違和感? 矛盾だって? ⋯⋯ッ、くそっ、全然分からない。無理だ、どう見ても皆、人間だ。鬼には見えないよ。しかも私たちの武器への警戒が強くて、話をする事、聞いてもらう事すらままならないぞ)
困惑する鎌足、その脳裏にふと浮かんだのは、あの東番詰所の情景だった。
平次と大吾、どちらが鬼か。
その真実を見極め、鎌足に激しく追及を重ねていく、綾麿の厳しい顔と声。
(⋯⋯こんな時、私もあんなふうに強く在れたら⋯⋯、これがもし綾麿だったなら、一体どうするんだろう? ⋯⋯って、いやいや、何で綾麿の顔が浮かぶんだ?)
頭の中に浮かんだ綾麿の残像を打ち消すように、鎌足は首をぶんぶんと左右に振った。
そして暫くの沈黙の後、鎌足は浪人笠の男に向かって、申し訳無さそうにおずおずと口を開いた。
「⋯⋯浪人さん。今、もしこの中に潜む鬼が居たとしても、見抜くのは無理なような気がします。京都のとある綾麿から、疑わしき者を縄でぐるぐる巻きにして、暮れ六つを迎えさせ、鬼に戻るかを吟味する、という手立ても聞いてはいます。が⋯⋯人数が多すぎます。しかもこの状況では、そんな提案もまともに聞いてくれそうもない。それに私は明日の暮れ六つはまで待てないんです。夜明けと共にすぐ此処を発たないといけない⋯⋯」
少し俯きながら語る鎌足の顔は、どうしたら良いか分からない、そんな苦渋と悔しさに満ちている。
そんな鎌足に、浪人笠の男はその笠の下から穏やかで優しい目を覗かせた。
「⋯⋯見抜けぬか。⋯⋯いや、きっと村人を想う気持ちが強い、誰一人とて鬼である事を認めたくない、心根の優しさが故の事。⋯⋯だからこそ人を惑わす葬魂の術は恐ろしく、そして憎むべき邪術なのだ。⋯⋯案ずる事は無い、それが人として、至極当たり前の感情。鎌足殿、御主が人である証拠だ。苦悶せずに胸を張っていい」
「⋯⋯えっ」
「⋯⋯案ずるな。⋯⋯かく言う拙者も、朝には京都に発たねばならん。大事な集まりに間に合わなくなるからな。⋯⋯ならば、戯れもこれまで。まずは探していた仲間を労い、その後は⋯⋯、━━━その仲間の代わりに、鬼を狩るとでもしよう」
━━━━鬼を狩る。
一段と強めに呟かれた“語尾”と共に、鎌足に語りかける穏やかな目は、一瞬にして激しい闘氣に満ちた目へと変わっていた。
その変化は村人たちも同じだった。
一斉に手にしている武器を男に向ける。
浪人笠の男のその最後の一言によって、明らかに村人たち側の警戒も強まっていた。
「⋯⋯そうそう、鎌足殿。御主にまだ言っては無かったが、拙者は旅の最中だが、狩りの最中でもあってな。闇に紛れながら日本に害をなす獲物を追い、此の村と屋敷に辿り着き、そしてこの騒ぎに巻き込まれた」
浪人笠の下から覗くその目。
それは紛れもなくあの御前試合で見せていた、己の剣技に誇りと信念と命を懸け、幾多の修羅場を乗り越えてきた強者だけが放つ、戦いの最中に在る鋭い眼だった。
そしてその目は、この座敷で起きた怪異全ての真実を確かに見抜いている、力強い黒き龍の双眼でもあった。
「拙者の後を離れず付いてくるのだ、鎌足殿。歩きながらになるが、拙者の読む”真実“を話して進ぜよう」
浪人笠の男はそう呟くと、狼狽える鎌足を他所に、取り囲む村人たちの包囲網の中へ。
⋯⋯ゆっくりと身を投じていった。
「⋯⋯え! あ、あの、⋯⋯浪人さん!」⋯⋯
⋯⋯「なッ!? 早く! 早く武器を取り上げるのじゃ!」
村長の妻の金切り声をきっかけに、一気に座敷の緊張が高まっていく。
「⋯⋯きゃああああああっ」
「⋯⋯お、鬼が、鬼がこっちに来るぞ!」
「⋯⋯ッ! ⋯⋯か、勝手に其処を動くな!」
「⋯⋯来るでねえ! 刀を捨てて壁際さ行け!」
恐れ慄く村人たちの威嚇と警告の声。
村長の妻は汚い言葉を半狂乱で罵り叫び続けている。
その醜悪な声に釣られ、子供たちが泣き叫ぶ。
そんな必死の声と阿鼻叫喚と化した包囲の輪も、この睨みを利かせ歩みを進める、浪人笠の男に完全に気圧されていた。
村人たち皆が波が二つに分かれるように、男を避けて座敷の左右に散り散りになっていく。
四方の壁際に並ぶ独特の一面行灯が、そんな騒々しい座敷内と、壁際の影から抜け出た二人の姿を今、鮮明に照らしていた。
浪人笠の男が鎌足の横を通り抜けたその一瞬、今までは壁の暗がりでよく見えなかったその格好が顕となる。
鎌足にとって今や男の代名詞とも言える浪人笠は、長い間旅路に使っていたのだろうか、想像していた以上に見すぼらしかった。
もしかしたら戦いの時における視野の確保のためかもしれないが、笠の尖端をはじめ所々藁はほつれ、意図的に開けたような乱雑な覗き穴がいくつも空いている。
その笠から覗かせていたのは、無造作に伸びた茶色の混ざる髪。
口元を隠すためにも使われる、剣客用の黒い襟巻。
剛の剣を振るうための、精悍で逞しい身体、日焼けした小麦色の肌。
これらの特徴は鎌足の記憶の通りだった。
ただ内衣の上に纏う、黒い羽織。
これだけは記憶とは違っていた。
色は同じだが、あの日見た柄とはまるで違う。
今は無数の“白い花”の柄が縫い描かれていた。
ほんの一瞬のすれ違いのため、まじまじと見たわけではないものの、視界にちらついた花の柄にはほんの幾つか“赤い花”柄も混じっている気がした。
鎌足は何故か妙な胸のざわめきは覚えたものの、それでも今は悠長に羽織の柄を気にしている所ではない。
下座から上座へ。
座敷の真ん中を悠然と歩き進む男、そのすぐ後ろに背中合わせのようにして、鎌足は身体を預けていた。
そして前だけを見て進む男の代わりに、鎌足は背後に集中する。
左右に掃けて行く村人に警戒の目を配りながら、男から間髪離れずにぴたりと付いて、鎌足も後歩きでゆっくりと進んでいく。
そんな鎌足の視界の端に、行灯の光に更にはっきりと照らされた、羽織の袖の端が再びちらちらと映る。
やはり見間違いではない。
白花に紛れて赤花が、ほんの一つ二つ見えた。
目を凝らしてみたその赤い花は、白い花とは違って、染めも雑で花の枠をはみ出し、何処か薄汚れている。
(折角の風流な白花が台無しだ。何だろう、これ?)
「⋯⋯鎌足殿よ」
「⋯⋯えっ、⋯⋯あ、は、はい、浪人さん」
背中から不意に聞こえた男の声に、首を傾げかけた鎌足の動きが止まる。
「真実を語るは今。⋯⋯さあ、謎解きと行こうか」
「⋯⋯はい、是非に」
「皆で集まり、食事をしている最中に鬼が現れたた。⋯⋯村人たちは挙ってそう言っていたな。そして、すぐに御主も現れた、と」
「⋯⋯はい、確かに。それは間違いないです。村長の奥方や、下男さん、他の皆さん何人も全く同じ事を言ってましたから」
「ならば、この部屋の様子を見て、何かおかしな事に気づかぬか」
「⋯⋯おかしな? ⋯⋯ん、えっとぉ⋯⋯、ん⋯⋯」
鎌足は再びがらんとした座敷内部を見渡した。
そして、ふと”ある違和感“に気付く。
「⋯⋯あっ! 食事をしていたはずなのに、膳も無ければ料理も無い! 何の形跡も無いぞ! 鬼が押し入ってすぐにこの騒ぎになったのなら、片付けたりする暇なんて無いのに!」
「⋯⋯そうだ。⋯⋯明らかにおかしいだろう」
「でも何で⋯⋯、何であの人たちは皆で嘘を?」
「それは、この亡骸が全ての秘密、謎を握っている」
気付けば二人は上座、村長の亡骸のすぐ傍にまで辿り着いていた。
男は斃れている村長の横に片膝をつきながら、ゆっくりと腰を下ろした。
「⋯⋯やはりな。見よ。血の固まりを。今はもうすっかり乾ききっている。御主が先程見た時はどうだった?」
「⋯⋯血? ⋯⋯あ、⋯⋯ほとんど乾いてました! まだ少しは乾いてない部分はあったけど、もしも死んで間も無い時に私が此処に来たのなら、血はまだ潤っているはず、乾ききっているのは明らかに変だ! そうか、亡くなってから既にかなりの刻が経っていた、って事か!」
「⋯⋯ああ。そして。鬼が来て暴れたにしては、この座敷は綺麗すぎる。血の痕跡など畳たった数枚。⋯⋯これが、もう一つの真実を照らし出している」
行灯の光に包まれた浪人笠の男。
その横顔が流し目で捉えたのは、亡骸のすぐ隣に転がる、あの“鬼の面”だった。
浪人笠の男はその”鬼の面“を手に取る。
そして笠を目深に被り直すと、鎌足からは見えない笠の下で、きつく歯を食い縛った。
「⋯⋯何故、拙者を待たなかった?」
小さく、息苦しそうに、そう呟いた直後だった。
浪人笠の男は、徐ろに鞘から刀を抜き放つと、その亡骸の真横の畳に深々と突き刺した。
「⋯⋯この亡骸が探していた拙者の仲間だ。鎌足殿」
「⋯⋯え!?」
「この者は村長に非ず。拙者の門下の一人。この呪われた村を調べるために拙者と共に村に来た。それが残念ながらこの結果となった⋯⋯。⋯⋯ッ、食事とはな、この仲間の亡骸を皆で食す。⋯⋯そういう事だ」
「⋯⋯送り込んだ? ⋯⋯え、どういう事!?」
浪人笠の男の眼は、ほんの僅かにぬめりが残る唯一の血溜まりを見つけると、その血を右の二本の指でなぞった。
そして自身の羽織の左肩、一つの白花の刺繍の上に荒々しく擦り付けた。
「⋯⋯鎌足殿。また一つ、白き徒花が散った。⋯⋯拙者と命を共にする、身に纏いし百八の隊士の花。赤き血の花となったは、これで六つ目だ」
この時、鎌足は数々の驚きのあまりに浪人笠の男の背中を離れていた。
煌々と上座に集まる行灯の光。
その無数の光の帯に照らされた男の羽織、その背中を鎌足は初めて目にした。
その背中には⋯⋯。
⋯⋯巨大な般若の図面が縫い描かれていた。
そしてその般若の面刺繍は、同じく縫い描かれた刃の閃光によって、眉間から左右に真っ二つにされていた。
鎌足が背中から退いた事で、村人たちにもその両断された般若の刺繍柄が晒される。
この時の村人たちの動揺は凄まじかった。
村長の妻が血相を変えて、わなわなと震えながら、般若面を指差して狼狽する。
「⋯⋯そ、その無残に断たれし般若面! ⋯⋯き、聞いた事があるぞ。百八の剣士から成る、鬼の面を被り、我らを狩り諸国を巡る、憎き人間たちの部隊。そやつらを率いる隊長の男の纏う衣、その背中には、あの流行り和歌を表した、般若の苦面が描かれている、と⋯⋯
百八の 鬼灯響き 面の影
徒花揺れて 萼も枯れゆく━━━━
(鬼灯に似た鐘が百八の邪を鳴らす時、影に生きる百八の面たちが、この世に光を灯すでしょう。実を結ばない花が風に揺れるように、彼等の命もまた風の前の灯。鬼灯の萼や鐘の音と同じく、枯れて散っていく、そんな儚い宿命を背負いながら今日も戦っています━━━━)
⋯⋯そうか、夕刻の鬼面の男はやはり御前の仲間ね!
そして、帝に仕える、鬼を狩る鬼面の剣客集団。その名は確か⋯⋯、━━━━『鬼狩隊』」
「⋯⋯その通り。知っていてくれて光栄だ。流石はこの村の副将格の羅刹。この倒れし男は鹿島一刀流の使い手。貴様ら鬼たちの言う村長の大将は、残念ながらこの隊士に既に斃され、一足先に霧と変えられたと見えるな、⋯⋯ふはははは」
「⋯⋯く、ぐうッ、⋯⋯ちぃッ!!!!」
村長の妻の激しい舌打ちの中、鎌足だけが何も状況が飲み込めていない。
すぐ傍に座している浪人笠の男と、下座の村人たちを見比べながら、右往左往していた。
「⋯⋯どうやってこの男を殺めたか? ⋯⋯ふん、当ててやろう。⋯⋯恐らくはそこの小さな子供。あどけないふりをして近づき、隙を突いたのだろう。⋯⋯この隊士は無鉄砲で猪突猛進な所はあるが、誰よりも子供を好いていて、何より優しかった」
「⋯⋯え。⋯⋯あ、あの、先程から何を⋯⋯? 鬼⋯⋯じゃなくて、⋯⋯鬼たち?」
「⋯⋯鎌足殿。この村はな、三年も前から廃村だ。⋯⋯今は村人は誰一人住んではおらぬ」
「⋯⋯は?」
「⋯⋯だが二か月程前から、この村に羅生門を抜けた浮浪鬼、羅刹たちが棲み着いた。奴等とて人間と同じ。一枚岩ではない。時に命令に背いたり、脱走を企てる鬼も出る。不思議なものだ、それが時に各地の鬼の伝承や逸話にもなっていく」
「⋯⋯え?」
「奴等、浮浪鬼は葬魂の術で人間に成り切る。記憶を取り込むだけでなく、棲み着いた地の因習や風土を調べ上げる。そしてあたかも何年何十年もその地に生をなす人間のように、上手く振る舞う。そうして地元の人間や、時にはこうして道行く旅人、迷い人を襲い、喰らう」
「⋯⋯え、⋯⋯え?」
「この村がこの近江国付近一帯の、根城となっている。そんな極秘の情報を手に入れてな。それで拙者たちが今日、やって来たという訳だ」
「それって⋯⋯、まさか」
鎌足の頭が少しずつ言葉の意味を理解していく。
「⋯⋯えっ、ならば、⋯⋯もしそうならば」
鎌足の頬を冷たい汗が流れた。
背後の村人たちは、静まり返っていた。
鎌足はそんな後方の沈黙を、ゆっくりと振り返る。
⋯⋯鎌足の視線の先には、鍬や斧を手に持ったまま、鎌足と浪人笠の男を、死んだような目で無表情に眺める、男、女、男、男、女、男⋯⋯⋯⋯。
先程の狼狽から一転して、何故か突然黙り込んだまま何かをぶつぶつと唱えている村長の妻。
あの親しげな顔は微塵も無い、目を見開いて虚ろな眼球をただ左右に小刻みに動かしている、下男。
村人たちの二十一の顔があった⋯⋯。
ケタケタとけたたましく、子供たちが笑い出す。
「廃村に何故今これ程までの数の村人が居るのか。⋯⋯これぞまさに羅生門が生みし、”怪鬼譚“。そう思わぬか、鎌足殿。奴等、鬼にとっては鬼面を被る拙者たちこそが鬼。皮肉にも此処“怪鬼譚”の修羅場では、人が鬼、鬼が人なのだ」
「⋯⋯ら、羅生門の存在まで知っているのですか。⋯⋯浪人さ⋯⋯いや、あ、貴方は一体!?」
「⋯⋯拙者の面は背中の般若面。殺した男が拙者と顔見知り、仲間だとすぐに気付かなかったろう? 腹と喉の渇きを満たすため、体良くその場しのぎを演じ、たまたま居合わせただけの鎌足殿を欺こうとしたばかりか、拙者を丸腰にしようと刀まで渡せとは⋯⋯、笑わせる」
畳に刺さる刀の柄に手をかけ、浪人笠の下から宿命に燃える熱い眼を煌めかせながら、男は凄みを感じさせる声で呟いた。
「⋯⋯夜も更けた。もうまもなく日も変わろう。さあ、三文芝居は終わりにしようか。地蔵や仏も、鬼へと変わる。⋯⋯悪鬼羅刹どもを狩るには、相応しい頃合いだ」━━━━。
第102話も最後までお読み頂きありがとうございました。
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次回、第103話「鬼狩り」は、10月10日〜12日頃の投稿予定です。なるべく早めに投稿できるようにします!
引き続き『羅生門怪鬼譚』をよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)




