第101話 鬼の村
【登場人物紹介】
伊賀の鎌足━━━━
江戸城の公儀御庭番伊賀組の小頭の女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の半刃『鬼切丸』と共に、鬼が現れた京都に援軍として派遣された。裏では極秘に朝廷探索の密命も帯びていたが、何者かの侵攻による伊賀の危機の報に、一時御所を離れる事を決断する。鬼切丸の残りの半刃を求め、出羽へと一人旅立つ。
━━━━「⋯⋯同じ突然の来客とは言え、先に現れたその男の方は、村にとっては望まぬ御客人でしてね」
下男はそう言いながら、廊下の最奥の扉を開いた。
━━━━村長の屋敷。
長い廊下の先に待っていた、鎌足が通された場所。
其処は畳数十枚にも及ぶ、三百年にも及ぶ歴史や由緒を感じる広い縦長の奥座敷だった。
がらんとしていて何も無い座敷、その壁際には三十基以上もの行灯がずらりと並ぶ。
この村の習わしなのか、油の節約なのか、それとも灯りを室内側に集約させる何かの目的があるのだろうか。
一基四面の行灯、壁に近い側の三面だけは不可解な事にどれも黒く塗り潰され、残りの一面だけが座敷の中央を縦に渡り煌々と照らしている。
その反面、塗り潰された面側に当たる座敷の四方の壁には、行灯の光はほとんど当たっていない。
奥座敷はまるで、闇の中の光の異世界。
幻想的でもあり、また奇妙すぎる光景でもあった。
しかし今、座敷に足を踏み入れた鎌足の瞳を釘付けにしているのは、そんな謎の行灯の灯火ではない。
行灯が照らす先、一段上がった上座の真下。
この座敷で起きたばかりの悲劇だった━━━━。
━━━━「⋯⋯酷い」
鎌足は顰めた顔を掌で覆いながら思わず呟いていた。
すぐ目の前の畳には、全身血だらけの男が横たわっている。
鎌足を案内してきた下男の話ならば、この男こそが“殺された”村長なのだろう。
先代から村長を襲名したてなのだろうか、男はまだ二十代半ばに見えた。
死後硬直が始まり、両手を広げ仰向けになった身体。
天井を睨みつけるように、見開いた瞳孔。
そして断末魔の叫びが今にも聞こえてきそうなほど、ぽっかりと虚しく開いた口腔。
(⋯⋯血がほとんど乾ききっている)
鎌足が傷口を見ながら呟く。
身体にできた数多くの裂傷、そして目鼻耳以外にも乱雑に空いた無数の顔の穴からは、相当の血が滴り流れた形跡があった。
小綺麗に手入れの行き届いた畳の中、この亡骸の真下の数枚の畳だけが、赤黒い血の染みで薄汚れていた。
鎌足も戦いの世界に生きる忍。
しかも伊賀忍の小頭。
市井の人間よりは、遥かに死は見慣れている。
しかし今、そんな鎌足をも驚かせたのは、その亡骸が纏う傷の“異様さ”だった。
その全身はまるで獰猛な野獣たちの檻に放り込まれたように、見るも無惨に引き裂かれ抉られていたのだ。
(⋯⋯刀か何かは分からない。けれど、まず鋭い無数の刃で傷を受けた後、━━━喰い散らかされてる。⋯⋯色々な亡骸を見てきたから分かる。山の獣の仕業でもない。ましてや正常な思考の人間から受けた傷でもない。半信半疑だったけど、これは⋯⋯━━━━)
この時、鎌足の頭を真っ先に過ったのは、京御所で見たあの蒼紅の異形の群れだった。
人外の力で、人間を叩き潰していく怪物たち。
直接に目の当たりにした事は無いが、幻斎からはそのような習性が有る事も聞いていた。
⋯⋯(奴等の中には、時に人を喰らう者もいる)⋯⋯
亡骸を見下ろしていた鎌足はゆっくりと顔を上げ、眼を鋭く細める。
そしてまるで戦場の最中に居るような、真剣な表情で呟いた。
「━━━━⋯⋯本当に”鬼“の仕業かもしれないぞ」
その時、鎌足は亡骸の顔のすぐ真横に、血に塗れた”ある物”が転がっている事に気が付いた。
それは鎌足の疑念や畏怖を嘲笑う、まさに能楽等で使われるような“鬼”の面だった。
(あれれ、こんな所に鬼面が落ちてる? 誰かがわざと置いた? それか死者を弔う何かの因習や咒いの類?)
鎌足は首を傾げながら、謎の鬼の面を拾い上げた。
(⋯⋯これ、ただの鬼面、般若面じゃないぞ。元はただの人の面だ? 後からわざと角を二本付けてる?)
⋯⋯この時、不穏な死と鬼面の謎に直面している鎌足を他所に、亡骸の横たわる上座の反対側、下座では先程から騒々しいざわめき声が延々と続いていた。
その先には老若男女、多くの村人が立ち並んでいる。
まだ櫻とさほど歳が変わらないような子供まで何人か居る事から、下男の言葉通りに”村人総出“でこの座敷に集まっているように見えた。
しかし年の功が物を言いそうな“村の寄合”の場にしては、何故か年寄りの姿は一人も無い。
若い男女ばかりがおよそ二十数名。
ましてや子供を除いたその全員が、鍬や鎌や斧など物騒な刃物を手にしている。
そんな物々しい出で立ちの村人たちが今、やんやと騒ぎ立てながら、ぐるり半円状に取り囲んでいるのは、上座と反対側となる下座の真正面。
行灯の光の当たらない、壁際に腰を下ろした何者か━━━━⋯⋯。
⋯⋯それは鬼ではなく、人間。
⋯⋯━━━壁の闇にもたれかかりながら悠然と腕と脚を組んでいる、武芸者風の男の影だった。
(見た目は明らかに人間。鬼じゃなさそうだけど)
鎌足よりも一足先にこの屋敷を訪れ、そして目の前の村長を殺めてしまったと言う件の客人。
そして人を喰い散らかした異常の殺人鬼。
それがこの男なのだろうか。
黒の筒袖の上に更に色濃い漆黒の打裂羽織を纏い、裾の広い野袴を履いた、いかにも全国を旅行脚していそうな素浪人風の出で立ち。
男は室内に居るも関わらず、まだ旅路用の浪人笠を深々と被り、しかも草鞋も履いたままだった。
土足である事は不可解に思えたものの、その“見た目”に鎌足は思わず安堵の吐息を漏らしていた。
(⋯⋯ただ)
しかしすぐにあの京都での戦い、辛い記憶が自身の楽観的な考えを戒める。
(⋯⋯鬼には、”あの術“がある)
脳裏に浮かんだのは甚左たちの最期の姿。
(いけない、いけない。油断は禁物だ。現にこの亡骸の酷さは人間の仕業とは思えない。⋯⋯とすれば、あの男は人間に見えてもやっぱり⋯⋯)
手にしている娯楽の鬼面や装飾の二本角ではない。
人間と思えた姿が、一瞬にして禍々しい本物の二本の角を持つ、邪悪な蒼鬼紅鬼へと変わる。
鎌足があの時の苦い記憶を思い出していた、この時。
⋯⋯その疑惑の男を取り囲む村人たちの中央に、先程からずっと甲高い声を上げ続けている若い女性が居た。
どうやらこの肝の座った女性が、門前にまで聞こえた怒号の主らしい。
その立ち位置や他の村人とは違う派手目の着物柄から推察するに、この女性は恐らくは村長の妻なのだろう。
村人たち全員の意思や怒りを代弁するように、その声も顔も緊迫の熱を帯びていた。
「⋯⋯四半刻(※30分)も何度同じ事を言わせるのです!? 観念して、その横に置く刀を差し出しなさい!」
「⋯⋯⋯」
「村の者の神聖な場、当奥座を土足で汚す、憎き鬼め! さあ! 抵抗は止め、武器をこちらに渡すのです!」
「⋯⋯⋯」
⋯⋯刀を渡せ、抵抗はするな。
それは刺々しく激しい命令口調だった。
しかし命じられた笠の男は何も語らない。
黙して語らずを貫いていた。
笠の下から覗かせている涼やかな口元だけではない。
余裕に組んだ腕も、そして片膝を立てて伸ばした無造作な脚も、何一つぴくりとも動かない。
まさに大胆不敵。
そんな言葉が似合う程に平然と居直ったままだった。
村人と男のやり取りを眺めている鎌足の隣で、下男が暗い表情で呟いた。
「⋯⋯今日は新月前。村の皆が一堂に集まる寄合の日。皆で食事をとっている最中、あの笠の御客人⋯⋯いや、あの殺人鬼が突然に現れ、この凶行に及んだのです」
「⋯⋯なるほど。それで子供さんも居るんですね」
鎌足は目を凝らし、改めて男を念入りに見つめた。
独特の行灯の光の陰に隠れてぼんやりと見えにくいものの、男は一振りの刀を自身のすぐ脇に立て掛けているように見える。
どうやらこの刀を渡せ、渡さないで、先程からずっと村人たちと揉めているらしかった。
そしてこの状況から察するに、肝心の話合いの最終結論も既に下されてしまったようだった。
総意は村長の死に対する、数による”報復“。
相手が二本差しの武士であれ地獄の蒼鬼紅鬼であれ、力無き村人たちが取り得る、最良かつ唯一の対抗手段。
”数の力“でもって仇討ちを果たそうとしている。
少なくとも鎌足にはそう見えた。
(⋯⋯わわわ、大変な場に出くわしちゃったぞ)
鎌足に動揺が走る。
きっと村人たちは鬼の真の強さは知らない。
人が相手ならばまだしも、相手は御所の警備兵すら敵わない、凶暴な鬼。
怒りや勢いに任せて刀一本や投降を迫った所で、そう簡単に事が上手く進むはずがない。
当然に凄まじい反撃を受ける事が想定される。
鬼を斃すどころか、逆に村人たちに大勢の犠牲者が出てもおかしくはない。
返り討ちに遭い、全滅の可能性すら濃厚だった。
(⋯⋯ッ! しかも羅刹じゃなく修羅だったら!?)
鎌足が思わず狼狽えたこの時、その瞳には一人の男の子の横顔が映っていた。
笠の男を取り囲む、村人たちの半円の外側。
大人と大人の衣の僅かな隙間から男を覗き込みながら、無垢であどけない表情を浮かべている。
(⋯⋯(櫻ちゃんっ⋯⋯))
鎌足の脳裏に続けざまに浮かんだのは、昨日御所で会えずに終わった櫻の笑顔だった。
櫻の笑顔と、男の子の姿が重なる。
櫻の怯えた顔と、男の子の傷付く姿が重なる。
鎌足は知らず知らずの内に、その男の子に櫻の姿を見ていた。
後はもう無意識だった。
身体が勝手に動いていた。
掌から鬼面がぽとりと畳に落ちる。
その掌は今、腰に忍ばせた鬼切丸の柄を堅く掴んでいた。
「⋯⋯下男さん! 村の皆で村長の敵を討ちたい、そのお気持ちは痛い程に分かりますが、この場には子供たちもいます! 相手は鬼の疑いのある者、⋯⋯いや、間違い無く鬼! 危険なこの場に私も御力添え致します!」
「⋯⋯えっ!? 御客人!? 脚を怪我しているのでは!?」
「さっきは嘘をついちゃってすみません! ⋯⋯実は私、⋯⋯そこそこ、━━━強いんですッ!!」
勝ち気な笑顔を浮かべ、叫ぶや否や、だった。
鎌足は上座から下座までの畳を、僅か二歩で駆け抜けていた。
立ち並ぶ村人たちの頭上を一飛び、宙で一回転する。
そして未だに無言を続ける男の前へと颯爽と身を翻し、腰の鬼切丸の柄を掴んだまま熱く啖呵を切った。
「やいっ! 浪人笠の男! いや⋯⋯、人を喰らう邪悪な鬼め! 蒼鬼か、それとも紅鬼か!? 答えろっ!」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯得意の黙りか。ふん、蒼鬼でも紅鬼でも、どっちでもいいや」
男とはまだ畳四枚分は離れている。
互いの刃の届く間合いを目測しながら、鎌足は前傾の姿勢をとっていく。
それは男の動き次第で即座に鬼切丸を抜ける、臨戦体勢でもあった。
そしてありったけの闘気を込め、男を睨みつけた。
鎌足の強烈な殺気が男を襲う。
しかしそれでも笠の男は相変わらず、畳に根が張ったように不動、そして冷静だった。
片膝を曲げて脚を伸ばし、腕を組んだまま。
動揺も怯みも、ましてや闘氣すら何一つ見られない。
(⋯⋯私の殺気、流されている!? ⋯⋯こいつッ⋯⋯)
むしろ鎌足の方が苛立ち、心を乱されていた。
鎌足は心の中で口を膨らませ、大きく舌打ちする。
(⋯⋯ふん、その余裕も今だけだぞ。まさか通りすがりの旅の女が、鬼を斬る伝説の刀を持っているなんて、夢にも思ってないだろうな。⋯⋯散々に吠え面かかせて、こてんぱんにやっつけてやる!)
自分には鬼切丸という無敵の相棒がいる。
男の力は未知数とは言え、鎌足は自信満々だった。
未だ顔が鮮明に見えない男に向けて、正義感に燃える鎌足が再び吠えた。
「村長さんの仇討ちだ! ⋯⋯この私、伊賀の鎌足が相手になるぞ!!」
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯その時だった。
浪人笠がほんの僅かにぴくりと動く。
そして鎌足の前で初めて、その男は閉ざしていた口を唐突に開いた。
「⋯⋯旅の女子よ」
「⋯⋯はひっ?」
不意の開口、そしていきなりの女子呼びに、思わず鎌足の声が裏返る。
「⋯⋯伊賀と言われたが、もしや江戸の将軍家と何らかの縁の者か。⋯⋯ふむ、鎌足殿とやら。見た所、旅の途中のようだが。このような修羅場に遭遇してしまうとは、とんだ災難でもあったな。はっはっは、余程に不運の星の下に生まれたと見える」
それは斜に構えた、ぶっきらぼうな声と笑み。
しかし凛々しく芯のある、力強い響きだった。
そしてそれは反面、女子ながらに大層な見えを切る鎌足を見下し挑発する、余裕に満ちた上から目線の言葉にも聞こえた。
「⋯⋯何だとぉお! もう一遍言ってみろおぉ!?」
案の定、短気な鎌足は顔を真っ赤にして、“当たり前”の反応で返した。
しかし男はそんな怒髪天の鎌足にも構う事無く、まるで空気と話しているように淡々と言葉を続けていく。
「そして口を開いたついでだ。先程からあれこれ喚き散らしている、鎌足殿の背後に隠れし女性よ。何度言われても、この愛刀は拙者の体の一部。渡すことはできぬ」
それは鎌足の背後に佇む、村長の妻に対して発した言葉だった。
その声は緊迫の場に即座に新たな波風を起こした。
名指しされた村長の妻は勿論、鎌足の背後に控える二十人もの村人たち全員の表情が、更なる怒りで一斉に強張っていく。
次から次へと村人たちから、罵声が飛んだ。
そしてこの熱く煮えだった怒りの坩堝と化した波は、矢面に立っている鎌足の心をも一気に飲み込んでいた。
まさに皮肉にも“人を食った”ような男の態度を前にして、鎌足の言葉も表情も背後の村人たち同様に自然と強くなる。
「いい加減にしろぉ! 幸せな村をぶち壊しておいて! くだらない無意味なお喋りはこれまでだ! ⋯⋯さあ、覚悟しろ! 残虐非道な鬼め!!」
「⋯⋯ふぅ、やれやれ。気の強い女子だ」
笠の男は首を左右に振り、軽く溜め息をつく。
「⋯⋯鎌足殿。その慣れた構えを見ると、なかなかに”使える“女子のようだが、御主はこの一件とは無関係。故に誤った余計な御節介や、親切の押し売りは慎んで頂きたい。真実を見ようともしない御人好しが、拙者とこの村人たちの問題に口を挟む事は止めてもらおうか」
「⋯⋯お、おせっか、ぃッ!? どういう意味だッ!?」
「言葉の通りだ。御主は今宵此処で起きた物事の真実が見えてはおらぬ。拙者はな、その村人たちが言うあの村長は、決して殺めてはおらぬ」
「⋯⋯な、何だって!? ⋯⋯う、嘘をつくな! 鬼め!」
「何を言う。嘘ではない。拙者はこの屋敷に乗り込んだばかり。そう、鎌足殿の来る、ほんの少しばかり前の事。それからまだ四半刻(※30分)も経ってはおらぬ」
「⋯⋯じゃあ、この状況はどう説明、⋯⋯いや、言い訳するんだ!? 乗り込んだ、ってのはどういう事だ!? 人を喰らうために押し入ったのか!?」
「⋯⋯本当に目の曇った物分りの悪い女子だ。よいか。事の経緯を簡単に話そう。京都に向かう途中だった二刻半(※5時間)前、拙者の京都への旅仲間が一人、とある大事な任務のため、この屋敷の中へ姿を消した」
「⋯⋯仲間? 大事な任務だって?」
「その仲間の者にも落ち度はあってな。勝手な行動だった。⋯⋯だが大切な仲間。拙者は嫌な胸騒ぎを覚え、塀を乗り越えて屋敷へと踏み込んだ。そして村人たちが集まるこの座敷に足を踏み入れてすぐに、玄関先から開門を求める切羽詰まった声と扉を叩く音が聞こえた。⋯⋯あと極小さくだが、最初の”たのもー“の声も、な。⋯⋯はっはっは」
「⋯⋯あ」
「鎌足殿。拙者はな、まだその大切な仲間を、面と向かって労う事もできてはおらぬくらいなのだ。当然に人を喰う暇なども一切無い。⋯⋯そして、その“たのもー”の声の主がな、もし不幸にもこの場に迷い込んだ、”か弱き“旅の女子であったならば、この醜く悍ましい戦いに巻き込まれてしまう。⋯⋯そう案じ、すぐには動かず、暫し様子を見るために座していた。⋯⋯以上だ」
「⋯⋯ッ、⋯⋯は、話の辻褄は合うけれど、それじゃあ、村の人たちの話と違うじゃないか! ⋯⋯あ、それに“曇った目”ってのはどういう意味だ!?」
「⋯⋯ははは。物事の真偽を見抜けぬからこそ、”曇った目“と言ったまで。悪気は無い、許せ。⋯⋯それに拙者はな、⋯⋯蒼鬼でも紅鬼でもない」
「⋯⋯なッ!?」
「見ての通りだ。拙者は人の形をしている。両の手脚も、ほれ、この通り。並の人間の手脚だ。それくらいは御主の”曇った目“でも分かるだろう? ⋯⋯はははは」
男は笠から覗く口元に笑みを浮かばせながら、初めてその手脚を揺らす。
手首や足首を軽く上下左右に振って、鎌足にわざとらしく見せびらかした。
そんな飄々とした姿や物言いは、どことなく綾麿を彷彿とさせる。
しかし綾麿の言葉少なで捻くれた妖しさとは違う、何処かさばさばとした豪快な奔放さを感じさせた。
「⋯⋯そ、そんな下手な誤魔化しには騙されないぞ! だってさっきからずっと、笠で額を隠しているじゃないか。その下には角があるんだ! 鬼だから外せないんだろう!? 違うって言うんだったら笠を取ってみろ!」
「⋯⋯はっはっはっは。言うな、鎌足殿。だがこの笠もまたこの愛刀と同じ。拙者の身体の一部だ。よってこの笠は拙者の首でもある故、首を外す事はできんな」
「⋯⋯む、むむむむ。減らず口をぉ!? ⋯⋯ふん、⋯⋯いいさ。笠の下に角があるか、人の形を成しているかなんて関係無い。御前こそ何も知らないと思うなよ! 私だけは知っているんだぞ、鬼の秘密を!」
「⋯⋯鬼の秘密、だと?」
「そうだ! 鬼には人間に化ける術がある⋯⋯、そう、御前が今使っている━━━━”葬魂の術“の事だ!!」
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯人間に化ける、葬魂の術。
その言葉を聞いた途端、男の口が止まる。
「へんっ、どうだ、図星だろ、ぐうの音も出ないか!」
この時、鎌足のこの言葉は、少なからず背後の村人たちへも動揺を与えていた。
(⋯⋯鬼しか知らぬ、⋯⋯葬魂の術、⋯⋯だと? ⋯⋯っ、今、確かにそう言ったな!?)
(この旅の者は、一体何者なの? どうして鬼の術の事を、まるで見てきたような口振りで話してるのよ!?)
(奥様の言う通りだ。どうなっている? 怪我をした、か弱き女子だから門を開いたのではなかったのか?)
(⋯⋯そ、それが。どうやら見誤ったらしい。すまぬ。こんな事態の最中とは言え、人が迷い込む事は滅多に無い故。喜び勇み、つい言葉を鵜呑みにし、油断したわ)
村人たちの驚きはざわつきの波に変わり、鎌足の背中にも押し寄せてくる。
耳に入る言葉の中には、下男の謝罪の声や村長の妻の慌てる声、意味が分からない言葉が無数にあった。
(⋯⋯わわ、葬魂の術だなんて、変な事を言って驚かせたり怖がらせちゃったかな。怪我しているなんて嘘をついちゃった事も、やっぱり怒ってるのかもしれない)
この時、鎌足は多少の違和感、疑念は感じてはいた。
しかし今は背後に散在する些細な疑問よりも、前方に聳え立つ大きな脅威。
この謎の男こそが斃すべき鬼。
前だけを見つめる鎌足の眼には、言葉の止まった笠の男に背後にちらつく、蒼か紅の鬼の幻影しか映ってはいなかった。
「⋯⋯鎌足殿よ」
沈黙を破り、男が再び口を開く。
「⋯⋯顔も声も記憶すらも亡き人間と同化する、鬼が使う葬魂の術⋯⋯、か。厄介な代物よな。⋯⋯拙者の見立てでは、御主、前に葬魂の術を相手にして、かなり痛い目に会った事が有ると見た」
「⋯⋯えっ」
「⋯⋯やはり図星か。今しがたの言葉の中には、葬魂の術への憎しみが込められていた。余程に辛い想いをしたのであろう。そして今もまだその呪縛に囚われている。違うか?」
「⋯⋯ううっ」
「⋯⋯まあ、拙者の方も立場上、色々とあってな。葬魂の術を憎む気持ち、鬼を憎む心は御主と同じ。故に鎌足殿の心中、察して余りある」
「⋯⋯っ、⋯⋯今度は情けに訴える作戦かッ!?」
鎌足はゆっくりと俯いていく。
そして腰の横で両の拳を震わせた。
甚左たち大切な伊賀の仲間の命を奪った鬼。
その鬼からの同情、慰めの言葉。
それは鎌足にとっては、侮辱や屈辱以外の何物でも無かった。
死んだ仲間を今も想い続ける自身の想いは勿論、大切な仲間の”死“すらもからかわれ汚され、そして踏み躙られた。
そんな悔しさや怒りが胸の奥から沸き上がってくる。
(⋯⋯許せない、⋯⋯許せない)
「⋯⋯鎌足殿、もう一度言う。⋯⋯拙者は鬼ではない。またあの上座に横たわる男も殺めてはおらぬし、喰ってもおらぬ。⋯⋯だが。⋯⋯殺めたのも喰うたのも、御主の言う通り、⋯⋯確かに、鬼」
「⋯⋯⋯⋯ッ」
「この中に、人の姿へと変化した悪鬼は、確かに居る」
「⋯⋯この人たちが私に嘘をついてる、って言うのか。この人たちの中に鬼が紛れている、って言うのか。⋯⋯そして次は、この人たちに罪を擦り付けるのか」
「ならば聞こう。御主はこの座敷に違和感を感じぬか? 目の前で見た事聞いた事に、何か矛盾を感じぬか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「拙者を信じるのだ。伊賀の鎌足殿。⋯⋯そして冷静になり、見極めるのだ。拙者は⋯⋯━━━━人だ」
「━━━━⋯⋯ッ、五月蝿いッ! もうたくさんだ!!」
次の瞬間、鎌足の右腕が座敷の空を斬っていた。
「⋯⋯っ、その刀は⋯⋯」
呟いた男の視線の先、突き出した鎌足の手の中。
其処には今、憎い鬼を斃す。
そのただ一心だけで腰から抜かれた鬼切丸が、男の胸元に向けて一直線に鋭い輝きを放っていた。
「⋯⋯皆への侮辱は、これまでだ。⋯⋯いくぞ、鬼。⋯⋯もう一度言う。この伊賀の鎌足が相手だ」
鬼切丸の刃以上に鋭角に細めた鎌足の眼が、行灯の光の集まりを帯びて煌めく。
「⋯⋯⋯⋯」
鎌足の本気、揺るがない瞳に、男も反応を見せる。
目深に被った笠の端に手をかけ、鎌足の瞳と鬼切丸の刃を一瞥した男は、再び呟いた。
その声は今まで以上に力強く重く、そして何かの決意を秘めた声だった。
「⋯⋯その刀。半刃だな」
「⋯⋯それがどうした」
「⋯⋯拙者の話を信じてもらうためには、伊賀者ならばやはり、目には目を。刃には刃を、⋯⋯か」
「⋯⋯何っ」
「半刃ながらもかなりの名刀と見た。⋯⋯だが。拙者のこの愛刀も中々に”ひけ“はとらぬぞ」
薄闇の中、男はゆっくりと立ち上がる。
そして脇に置いていた刀を手にした。
行灯の黒面の陰に隠れていた、男の刀。
その黒鞘が鎌足と同じ行灯の表面の光を受け、鎌足の目の前に鮮明に浮かび上がる。
「⋯⋯あ⋯⋯ッ!?」
その刀を見た鎌足の顔色が変わる。
鎌足はその黒光りする刀に━━━━見覚えがあった。
「⋯⋯そ、その刀は!? もしや!?」
「⋯⋯さあ、伊賀の鎌足殿。この拙者の豪の刃が導きし今宵の真偽。真が見抜けぬようでは、次は御主が⋯⋯、“喰われる番”ぞ?」━━━━。
投稿が遅れてしまいましたが、第101話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回、第102話は、10月7日〜10月10日頃の投稿予定です。(なるべく早めに投稿できるようにします!)
引き続き『羅生門怪鬼譚』をよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)




