神殿に連れ戻された聖女
7話と8話を逆に投稿してしまいました。
読んでしまった方、本当に申し訳ないです。
よかったらもう一度7話8話と読んでいただけると嬉しいです。
ポタリポタリと水が垂れてくる天井を、ユミルは見上げた。
地下だというのに雨漏りかしら?
冷たい床に座り込んで、ユミルはブルリと震えた。
クロードに王太子と話をするから部屋で待っていてくれと言われ、ユミルは自室に戻った。
部屋の扉を開けるとソファーの後ろから神官が姿を現す。
驚いたユミルが抵抗する間もなく、口を塞がれ拘束の魔道具を使われた。公爵家の厚い守りを突破するために、おそらく神殿秘蔵の魔道具でも使ったのだろう。呆れるほど見事な誘拐だった。
目隠しをされてユミルが連れて来られたのは神殿の最奥。
おそらくは地下牢だろうと、ユミルは灰色の冷たい部屋を見回す。
神殿に地下牢があることを知っていたけれど、入ったのはこれが初めてだ。灰色の無機質なジメジメとした空間に、ユミルは早くもティム公爵家が恋しくなった。
解雇通知を突き付けられ神殿を追い出されたというのに、迎えに来たと言った神官は「勝手に抜け出して、手間を掛けさせて」とブツブツ文句を言っていた。
どうやら行き違いがあるようだが、話も聞いてもらえず、地下牢に押し込まれてしまったので、どうしようもない。
コンコンコン
壁を叩く音に、ユミルは耳を澄ませた。
「ユミル? いるのか?」
聞き慣れた声が隣の牢から聞こえて、ユミルは思わず声を上げる。
「デッド神官!」
あの日、夜中にユミルに解雇通知を突き付けた神官だ。
命令するだけの神官の中で、彼だけは食事の時間に間に合わなかったユミルにそっとパンを差し入れてくれ、熱を上げたユミルの額のタオルを替えてくれた人だ。
そんな彼からの解雇通知だったから、突然のことだったけれど、ユミルは従ったのだ。
「上手に逃げればよかったのに、捕まって戻ってきちまったのか」
顔は見えないが、馬鹿にするような口調が懐かしい。文句を言いながら不器用なユミルの世話をいつも焼いてくれていた。
「デッド神官はどうしてここに?」
「本当はお前を逃がした後に、俺も神殿を出て追いかけようと思ったんだけど。その前にお前に解雇通知渡したことがバレちまってな」
田舎から夢を見て中央の神殿に入ったデッドの篤い信仰心は、早々に砕かれた。
夢や希望はなく、権力と金に塗れた神殿に吐き気を覚えながら、それでも神殿にい続けたのは、ユミルが倒れそうになりながらも治癒し続けるその姿を守りたいと思ったからだった。
聖女の手かざし治療の廃止、聖女の無償奉仕廃止の決定を聞いた時、デッドはユミルを連れて神殿を出ようと決めた。
しかし、神殿は聖女を逃がすつもりはない。今後は無償ではなく患者から金銭を得て治療に専念させると知り、このままでは聖女は神殿の食い物にされて終わりだと気が付く。
完全に聖女を囲い込まれる前にと、聖女解雇の通知が発行された日、夜中まで働くユミルを待って彼女を神殿から追い出した。
世間知らずなユミルが一人で遠くに行けるはずもないから、自分も後を追うつもりだったが、すぐに他の神官に見つかりそのままこの地下牢に入れられた。
まさか、ひと月も経たないうちにユミルが隣の地下牢に入るとは思っていなかったが。
食事の時間でもないというのに人の気配があると耳を澄ませていると、拘束したユミルを連れた神官がデッド入っている鉄格子の前を通り、隣の牢を開けるガチャンという重い金属の音がした。
神官たちが去ってからしばらくたって、デッドは隣の牢にいるだろうユミルに声を掛けたのだ。
コツンコツンとヒールの足音が響き渡る。
腰まである長い髪を揺らしながらデッドの牢の前を通ったのは、この国を代表する聖女だ。長いドレスの裾を持ち上げながら暗い廊下を進み、ユミルの収監されている牢の前で止まった。
「あなたが王太子殿下の治療をした聖女?」
聖女の甲高い声が響く。
目の前の長い髪の美しい女性にも、王太子の治療にも覚えがないユミルは無言で首を傾げる。
「わたしが何度も治癒魔法をかけてあげてたのに全然回復しなかったくせに、平民だらけの治癒院で『日陰の聖女』に救われたなんて言われたんだけどぉ」
その女は鉄格子の隙間から細い手を差し込み、ユミルの髪を掴んだ。
「余計なことしてんじゃないわよ」
彼女が国を代表する聖女だと、誰が思うだろう。
美しい顔はその心根のように醜く歪んでいる。
髪を引っ張られた痛みの中、ユミルは神殿を追い出された夜を思い出す。
あの日は朝から患者が多く大変だったが、最後に診た成人男性は冗談抜きで死にかけていた。金色の髪の橙色の瞳。思い出すと、さきほどティム公爵家で王太子と呼ばれていた男の特徴と合致する。
あの晩は言葉を発することも出来ないほど衰弱していたが、はっきりと治癒することが出来た実感はあった。明るく溌剌とした印象の王太子を思い出し、お元気になられて良かった、とユミルは安堵した。
「なに笑ってんのよ? 気持ち悪い女ね」
光の聖女はユミルの髪から手を放し、ばい菌でも見るかのようにユミルを見る。
「王太子殿下の治療をしたのはあんたじゃなくて、あの日治療院に出向いたわたし、わかったわね」
聖女は言いたいことを言うと、踵を返して戻っていく。
ユミルが神殿に連れ戻された最大の理由は、王太子の命を救ったことだったのだろう。
その功績を光の聖女のものにして、神殿の地位を盤石とするため。
日陰の聖女であるユミルが王太子の治療をしたことが王家から公表でもされたらたまらないと、ユミルを捜しだした神殿は強硬手段に出たのだ。
ドカン!!!!
音とともに神殿が揺れた気がした。
パラパラと天井から埃か破片か、何かが落ちて来る。
大きな音は一度で終わらず、轟音は続き、建物は揺れ、人の悲鳴も聞こえてくる。
「ユミル、大丈夫か?」
お互い牢の中にいるため、声を掛けることしか出来ないが、心配したデッド神官の声が怒号の合間に聞こえた。
「は、はい」
ユミルの聖力は強いが、治癒に全振りのため攻撃魔法は使えない。
簡単な魔法が使えたら牢を抜け出すことも出来たかもしれないが、二人は逃げることも出来ずにただ耳を澄ませることしか出来なかった。
やがて、バタバタと足音が聞こえてくる。
「ユミル、ユミル!?」
聞こえた声は、出会ってまだ数週間だというのにすでに耳に馴染んだあの声だった。
「クロード様!?」
ドカン!!!!
施錠してあった入口が壊され、地下牢へと煙とともに入って来たのは、先ほどまで一緒にいたユミルの専属雇用主、クロードだった。
「ユミル、ユミル」
クロードは魔力を込めた手で、牢の鉄格子をねじ開けた。
「会いたかった」
クロードは甘えるように小さなユミルを自分の腕の中に閉じ込めた。
数えるほどしか彼の腕に抱きしめられたことはなかったはずだが、ユミルにはその温かさがすでに懐かしい。
「クロード様、わたしも会いたかったです」
「僕の聖女。もうどこにも逃がさない。一緒に屋敷に帰ろう」
クロードは腕の中のユミルをもう離すまいときつく抱きしめる。花のようなユミルの匂いがあまりに心地よくて、クロードは彼女の首筋に顔を埋めてスーと大きく息を吸い込む。
ユミルは恥ずかしさで真っ赤になるが、その腕を振りは抱くことはせずにされるがまま。
そんな二人の甘やかな雰囲気を壊すかのように、ドタバタと足音が聞こえた。
「ティム公爵、不法侵入ですぞ!!」
「聖女誘拐の罪も負うつもりか!?」
神官たちの声に、クロードは振り向き、ギロリと睨みつける。
神殿のどこかでまた爆ぜる音が聞こえた。
「僕の聖女を連れ去ったのはそちらだろう?」
空気がゾワリと揺れて、神殿の温度が上がる。
普段は使用することのない魔力を、クロードは解放していた。
クロードの魔力が怒りのまま神殿ごと燃やそうとしている。
このままここにいては自分の命が危ないと、神官たちが外へ逃げようと背中を向ける。
「責任もとらずに逃げるつもりか?」
振り向いた神官たちはクロードの瞳の中で青い炎が揺れるのを見た。
「ヒィッ」
「クロード様、治療のお時間です!」
ユミルは暗黒に染まるクロードの背中に抱き着く。
慣れ親しんだ温かな光が、クロードに流れこむ。
その光はやがて大きく膨れ上がり、神殿全体を包んでいく。
燃え始めていた炎は勢いを失い、神殿の外に逃げた人間もその光に包まれた。
「ユミル、僕は……」
感情の高ぶりが落ち着いてきたクロードは、自分が破壊した神殿の様子に言葉を失う。
争いのない現代では使う必要のない攻撃性の高い属性の魔法が、クロードは得意だった。しかし、同時に制御することも得意だったので、今回のような破壊行動は初めてのことで、自分自身でも驚いている。
自身の行動にショックを受けてクロードは茫然と立ち尽くす。
「クロード様の完治まではまだ時間がかかりますね」
ユミルはニッコリと微笑む。
これまでクロードに近寄ってきた女性たちは、彼の重い愛情の示し方を『ヤンデレ』と呼び遠ざかって行った。
けれど、聖女ユミルは違った。
「この命が尽きるまでにはきっと治して見せますから、ずっと傍に置いてくださいね」
「一生、僕の傍にいてくれるの?」
不安に揺れるクロードが、ユミルの言葉に顔を上げる。ユミルはつま先立ちになって、そんな愛しい雇用主の頬にチュッと唇を落とす。
「わたしはクロード様の専属治癒師ですから」
突然のユミルの口づけに、クロードは固まって動かない。ユミルはそっと彼から体を離す。
「でも、今日は特別です」
そう小さく言って、ユミルは再び神殿中に自身の聖力を巡らせた。
破壊された建物は直せないが、クロードの魔法による破壊行動によって傷ついた者達の傷は全て綺麗に癒えていく。
ユミルに自覚はないが、彼女の聖力量は歴代一といってもよいだろう。
「うわー、盛大にやったなぁ」
やっと追いついた王太子は、半壊状態の神殿の前で立ち尽くす。




