ヤンデレの扱い方
翌朝、正面ホールのど真ん中に額に入れられたハンカチが飾られているのを見て、ユミルは放心していた。
「我が家に訪れたお客様みんなに見てもらおうと思って」
その場所に飾った理由を、クロードは嬉しそうに教えてくれる。
この屋敷に訪れた者が正面の入り口から出迎えられ、最初に目に入る、そんな位置に金の額縁に入れられた世にも恐ろしいウサギの化け物のような刺繍が飾られている。
クロードに贈るために徹夜までして一生懸命刺した刺繍に間違いはない。けれど、自分でひいき目に見たって出来栄えはよくなかった。幼い子供が見たら泣き叫んでトラウマになるレベルに恐ろしい生き物が刺繍されている。
ユミルは涙目になりながら助けを求めるように、執事を振り返った。
「もちろん、私共はお止めしました……!!」
執事とメイドが一緒になってクロードを睨みつける。
「こんな人目につくところに飾らないでください……」
執事たちの奮闘に胸を震わせながら、ユミルは勇気を出して小さな声で懇願する。
その言葉に、クロードはハッと気が付いて重々しく頷く。
「わかった。これは僕の寝室に移動しよう」
パぁッと喜びに顔を輝かせるユミルに顔を寄せて、クロードは小声で囁く。
「僕だけが独り占めさせてもらうね」
そういう意味ではない!! とユミルはクロードの顔を見上げるが、とろけるような甘い笑顔で見つめ返されて何も言えなくなってしまう。
グウゥゥゥ
ユミルは慌ててお腹を押さえたが、その音はすぐには収まらない。
真っ赤な顔でお腹を押さえているユミルが可愛くて、クロードは思わず笑ってしまう。
恥ずかしさから顔を背けて、ユミルは食堂へ向かって歩き出そうと足を出した。
「あっ」
前をよく見ずに足を進めたため、壁際の彫刻にぶつかりそうになる。
間一髪気が付いてぶつかることはなかったが、一部始終見ていたクロードの顔面は蒼白だ。
「今すぐ家中の装飾品を撤去しろ! 絨毯も引っかかりの少ない物に変えて、余計な柱は切断してしまえ!!」
ユミルの身を案じるあまり、クロードの過剰な気配りが炸裂した。
(『ヤンデレ』の症状だわ!)
とっさにクロードの手を取る。
ユミルの手の温かさに、クロードの勢いは止まった。覗き込んだ彼女の瞳には心配の色が滲んでいる。
「きみの行く手を阻むものは全て撤去してしまうから、安心して」
優しくユミルの手を握り返してくれるが、違う。そういうことじゃないと、ユミルは首を振る。
「クロード様、食堂までエスコートしてくださいますか?」
可愛いユミルのおねだりに、クロードは大きく頷く。
「もちろん!!」
「彫刻も絨毯も今のままで大丈夫です。わたしがもう少し気を付けて歩くので」
「でも……」
「それでも心配でしたら、こうしてクロード様がわたしの手を引いてくださったらいいんです」
ユミルの言葉に、クロードは進みかけた足を止める。
「いいの?」
過剰過ぎる愛を拒まれ続けてきたクロードは驚く。
「僕はまだきみに宝石も別荘も贈っていないのに、僕のエスコートを受け入れてくれるの?」
ユミルは、人生で一度もそんな高価な贈り物をもらったことはない。もとより身寄りがない神殿育ち。誕生日だってわからなくて年に一度のプレゼントも絵本の中の出来事だ。
「クロード様がお嫌でなければ、手を引いてほしいです」
(無償の愛を与えてくれる僕の聖女は、僕の愛を無条件に受け入れてくれる)
クロードの胸は嬉しさでいっぱいになった。
ユミルの腹の虫がこれ以上暴れ出す前にと、二人は朝食を摂りに食堂へと向かった。
いつものように焼き立てのパンにボタージュスープ、ベーコンと卵にサラダ、季節の果物。気持ちが通じ始めた二人は食事の間の会話も弾む。
「ユミルは欲しい物はない?」
「十分にいただいています」
衣食住が保障されたホワイトな職場で、ユミルは何の不自由も感じていなかった。
クロードは愛しい人に贈り物をしたいのだが、無欲な聖女相手では候補の検討もつかない。
「……でも、お買い物に行けたらハンカチが欲しいです」
クロードへの最初の贈り物は化け物のような刺繍になってしまったが、それでも額に入れて飾るほど喜んでくれた。
次はもっと練習して完璧な物を贈りたい。練習用も含めてハンカチを購入出来たら、とユミルは思ったのだ。
ユミルはこれまで神殿で朝から晩まで治療漬けだったという。自分の自由時間などなく、公爵家に来たばかりの頃は時間の使い方に戸惑いを見せていた。
そんな彼女は欲しい物だけではなく、『街に買い物に行く』ことにも興味があるのだろう。それを察したクロードは口を開く。
「では、護衛を五十人ほどつけて……」
そこまで言って、クロードは気が付いた。ユミルが求めているのは厳重な警護ではない。
「……心配だから、僕も一緒に行っていいかな?」
クロードが自分のヤンデレ発言に気がつき、途中で意見を変えたことにユミルは気が付き、嬉しくなる。
「はい! 一緒にお出掛けできたら嬉しいです」
その日はちょうどクロードの予定が空いていたので、二人は急遽、街に出掛けることにした。
◇
「このハンカチ刺繍しやすそうだけど、違う色のほうがいいかしら?」
真剣に何枚ものハンカチを見比べるユミルの隣で、クロードはユミルを見ていた。
公爵家に来てから彼女に用意した絹の滑らかなドレスもよいが、素朴な顔立ちのユミルには柔らかな綿のワンピースも良く似合っていた。
ユミルが動くたびに揺れるスカートの裾、華奢な首がのぞく襟元、小さなボタンまでもが彼女の愛らしさを引き立てていて、ずっと見ていても飽きない。
「クロード様、どちらがいいと思いますか? クロード様?」
ふいにユミルに顔を覗き込まれ、クロードの胸はキュンと高鳴る。
「全部買おう。屋敷に戻ってからゆっくり選べばいい」
早く屋敷で彼女の温かな聖力に包まれたい。クロードはそんな想いでいっぱいになっていた。
「こちらにします」
クロードに尋ねても無駄だと察したユミルは、選んだハンカチを持って会計へと向かおうとするが、あることに気が付き動きを止める。
「ユミル、どうかした?」
青ざめた顔で、ユミルは振り向く。
「わたし、お金を持っていませんでした」
神殿時代、治療院から治療院へ移動する間に街中を通り抜けるときに見ていたからお金の使い方はなんとなくわかっていたが、実際にお金を使ったことはなかった。
神殿にいた頃は無給だが衣食住は保障されていて、現在のクロード専属の治療師となってからも屋敷内で贅沢な福利厚生を堪能していたが、現金の支給はまだだ。
「僕も持っていないよ」
高位貴族であるクロードは普段、市井で現金を使っての買い物はしない。
彼の後ろからいつものようにそっと執事が現われて、スマートに会計を済ませてくれた。
世間知らずな自分に落ち込みそうになったが、目の前のクロードは平然としているので、ユミルはまぁいいかと気を取り直す。
しかし、いずれは自分で自由に使えるお金が欲しいなと考える。
「刺繍糸も見に行こうか?」
クロードの提案にユミルは喜んで頷く。
二人は店を替えようといったん外に出た。ユミルの護衛も兼ねているつもりのクロードだが、街のことは詳しくない。
二人でキョロキョロと店を見回す。
「見つけた! 聖女だ!!」
聞き覚えのある男性の声に、ユミルが振り向く。
大声を上げてユミルに向かってくるのは法衣姿の神官だった。彼は鬼気迫った様子で、人混みを掻き分けユミルへと迫ってくる。
その様子にユミルは怖くなり、思わず駆け出す。
異常事態を感じ取ったクロードはユミルの手を握り、一緒に走る。二人は待たせていた馬車に乗り込んだ。
走り出した馬車の中で、ユミルの呼吸が整うのを待って、クロードは問いかける。
「さっきのは神官?」
「はい。あまり会話をした記憶はありませんが、神殿で姿を見たことはあるので間違いないと思います」
基本的に朝から晩まで治療院を巡っていたので、ユミルは神殿には寝に帰るだけの状態だった。親しく会話を交わす神官など、夜中ユミルに解雇を告げたデッド神官くらいだっただろう。
「ユミルを探していたみたいだけど……」
「勝手に解雇したのに、何の用だったのでしょう?」
クロードの問いかけに、ユミルは首を傾げる。
結論が出ないうちに、ティム公爵家に着く。
ユミルをエスコートしようと、クロードは先に馬車を降りる。
「遅かったじゃないか」
馬車を降りたクロードを待っていたのは彼の幼馴染でもある王太子だった。
クロードより三歳年下の王太子は、金色の獅子のようなくせ毛に橙色の瞳を輝かせている。
「殿下!!」
幼馴染でもある王太子は、忙しい合間を縫って息抜きと称してたびたび公爵家に遊びに来ていた。
それはきっと寂しい友人を心配していたからだということをクロードは理解していたので、驚きはしても無下に扱うことはなかったが。
けれど、今回クロードが王太子の訪問に驚いたのは、約束もなしに突然現れたからだけではなかった。
「面会謝絶の重病だと聞いていたが……」
近しい友人であるクロードさえ会うことが出来ないほどの病に侵されていると聞いていたからだ。それも突然発症した原因不明の病で、近しい者以外には病気にかかったことも秘匿されていたはずだ。
それが、どこからどう見ても健康体にしか見えない。
病にかかったことが嘘だったのか?
クロードは己の情報の信憑性を疑うほどに、目の前の男は溌剌と元気そうに見える。
「それが実は……」
「クロード様、どうしました?」
馬車の降り口で立ち止まったままのクロードを不思議に思い、後ろからユミルが顔を出す。振り向きざまに至近距離のユミルがいて、その可愛らしさに状況などお構いなしにクロードの顔はにやつく。
「……見つけた! わが命の恩人!!」
王太子は初対面のはずのユミルに目を輝かせた。




