初めてのケンカ
怒りのあまり早足で去っていくユミルを追うこともせず、クロードは今が盛りと咲き誇る薔薇園にポツンと立ちつくす。
クロードは早くに両親を亡くしたせいか、相手の怪我や病気、不在にも人一倍不安感が強い自覚があった。普段は明るい性格だが、自分が代わりに死んでいれば、ついそんなことを考えてしまう夜もある。
そんな闇深い一面がヤンデレ化へ拍車をかけてしまったのだろう。
付き合った相手の行動を束縛しないよう気を付けていたけれど、常に安全でいてほしいと護衛を五十人つけてみたり、危険があってもすぐに駆け付けられるようにどこにいても居場所がわかる魔道具を渡してみたりした。
相手の女性たちは付き合い初めのころは自分がいかに愛されているかを確認するように言葉や物をねだっていたというのに、クロードの心配性が過剰になってくると急に手のひらを返して「あなたの愛は重過ぎる」「ヤンデレにはついていけない」と離れていく。
その度に傷ついても、クロードは人を愛することを諦めなかった。誰かを愛して、愛されたかった。
言葉も愛も与えることが当たり前になっていたクロードは、戸惑っていた。
これまでの自分の欲しい物だけを強請っていた女性たちとは違って、ユミルが怒ったのはクロードが自分の命を粗末に考えたから。
(ユミルは、僕に生きてほしいと思ってくれているんだ)
早くに両親を亡くしたクロードは愛に飢えていた。
無意識ではあったけれど、自分が愛することで愛してもらおうと、抱えたたくさんの愛を振りまいてきた。
けれど、ユミルに出会ってから与えられるのは無償の愛ばかり。
(僕の聖女様……)
ユミルは自分の部屋に戻っただろうかと、二階の窓を見上げる。
自室の隣に配置したユミルの部屋を。
可愛らしく彩られた自分の部屋に戻ったユミルは、早くも後悔していた。
長い神殿生活で、言われたことは従うのが当たり前だったユミルは、自分の意見を口にすることは少ない。
命を粗末にするような発言についカッとなってしまって雇用主に怒りをぶつけるなんてもってのほかだ。
不器用にグルリと巻かれた白いハンカチを見る。
(誰かに治療してもらったのは、初めてだわ)
これまで何百人、何千人、数えきれないほどの人を治療してきたユミルだったけれど、大きな怪我をしたことはなかった。それでも数年に一度は風邪くらいひく。
そんな時は固い神殿のベッドでひたすら眠ることで回復してきた。
聖力が人一倍多いユミルが体調不良で治療院に行けないと、人手が減ったと神殿では露骨に嫌な目を向けられていたというのに。
すぐに塞がりそうな小さな切り傷一つで、クロードはとても心配してくれた。
ユミルの胸がほっこりと温かくなった。
「お礼を言いたいわ……でも、さっき怒ってしまって気まずいし」
部屋の中でウロウロと独り言を口に出しながら悩んでいるユミルの目に、刺しかけの刺繍が目に入る。
貴族は感謝の礼などに刺繍入りのハンカチを贈ると教えてもらった。
せっかくなので一枚刺してみては? と絹のハンカチも渡されている。
「よし!」
ユミルは刺繍セットを持ち、ソファーに座る。
幸い棘が刺さったのは左手。メイドに包帯を巻きなおしてもらって、それでもいつも通りとは言えないけれど、刺繍を刺すことが出来ないというほどではない。
その日は午後からクロードは外出の予定があり、顔を合わせることなく一日が終わった。
珍しく怒るという感情を他人にぶつけてしまったユミルは、気まずさからその状況にホッと胸を撫でおろす。
ハンカチに刺繍を差し終えたら、それを渡して怒ってしまったことを謝ろう。ユミルはそう考えて一晩中、針を動かし続けた。
翌朝、クロードはいつも通り食堂にいた。
「ユミル、おはよう。ごきげんはどう?」
普段と変わらぬ調子で明るく声を掛けてくれるが、ユミルは小さな声で「おはようございます」と返事をして、すぐに食事の席につく。
一睡もせずに刺繍を刺すことに没頭していたので、頭はぼんやりと霧がかかったかのようだった。
でもあと少しで完成だから。
早く部屋に戻って刺繍を完成させたい。ユミルは会話をすることも忘れてもくもくと朝食を平らげて自室に戻った。
いつもであれば「今日のパンはどれにしよう」「昨日はオレンジのジャムが美味しかったから同じ物を、でも苺のジャムも捨てがたいわ」と楽しそうに悩みながら食事をしていたというのに、今日のユミルは余計な言葉は一切発せず食事を終えて去ってしまった。
普段とのあまりの違いにクロードは首を傾げる。
(お腹でも痛いのかな。いや、食事量に問題はなかった。では……)
クロードは自分の顔に両手をあてる。
(まさか、昨日、自分の命を粗末にするような発言をしてしまったから嫌われてしまったのか!?)
全身から血の気が引き、クロードの顔面は青く染まった。
すぐにユミルの後を追おうとするクロードを執事が呼び止める。
「クロード様、予定が迫っておりますのですぐに外出の用意を」
今すぐにでもユミルの足元に縋って許しを請いたいというのに、時間に厳しい執事が張り付いた笑顔でクロードの前に立ちふさがる。
「ユミル、ユミル~」
若き公爵は弱々しい声を響かせながら馬車に乗せられ出掛けて行った。
刺繍が完成したのは、その日の夕方だった。
前日から眠らずに刺し続けたユミルは完成したハンカチを握りしめ、そのままソファーで眠ってしまう。
夕食の席でユミルにもう命を粗末にするようなことは言わない、考えない、そう話をしようと決めていたクロードだったが、ユミルが眠ってしまったことを聞き、ガッカリと肩を落とす。
「起こしてきましょうか?」
遠慮がちな執事の言葉に、クロードは首を横に振る。
「いや、慣れない環境で疲れも出たんだろう。寝かせてやってくれ」
食事の後、クロードはユミルの部屋の扉をノックした。
何度叩いても応答はない。
「ユミル、まだ眠っている?」
小さな声で問いかけながら、そっとドアを開ける。
クロードの声に気が付いたのか、ユミルは「う~ん」と唸りながら体を動かした。その拍子にソファーから体が大きく乗り出す。
思わずクロードは部屋に入り、ソファーから落ちそうになったユミルを抱きとめた。
彼女が床に落ちることを防げたクロードは安堵して、改めて腕の中に収まった小柄なユミルを見つめる。
ティム公爵家で過ごすようになって少し肉がつき頬の血色も良くなった。
出会ったあの夜よりずっと可愛らしくキレイに見える。
(ずっと俺の腕の中に閉じ込めていたい)
これまで付き合った女性に対しては、どこにいても生存確認をしていたい、そう考えていたクロードだが、ユミルには少し違う感情を持ち始めていた。
「うぅん、クロード様」
「なんだい?」
ユミルの呼びかけに、クロードは優しく返事をする。
「え? え? えーー!?」
目覚めた瞬間、目の前には雇用主であり謝罪したい相手でもあるクロードがいる。それもこれまでになかったほど距離が近い。
ユミルは驚きのあまり飛び起きた。
ついさっきまでは体温を感じられるほど近くにいたというのに、あっという間にソファーの向こう側へと移動してしまったユミルに、クロードは寂しさを感じた。
(きっとまだ僕のことを怒っているんだ)
「勝手に部屋に入って悪かったね。もう遅いし、今夜の治療はなしにしてゆっくり休んでくれ」
そう言って部屋を出て行こうとするクロードを、ユミルは呼び止めた。
「クロード様、待ってください!!」
足を止めたクロードに、ユミルは歩み寄る。
(わたしはクロード様の専属治療師なんだから、仕事はちゃんとしなくちゃ!)
「手を、出してください」
最近はクロードの両手に、自身の手を覆うようにかざして治癒魔法をかけるのが定番となっている。
ユミルの手に握られたままだった白い布が、ヒラリと落ちた。
「あ!」
ユミルは刺繍を終え、その出来栄えのひどさに落ち込んだままハンカチを握りしめ眠ってしまったのだった。
「これは……ウサギ?」
素早くハンカチを拾ったクロードが、白いハンカチに濃紺の糸でデカデカと刺繍された物を見て呟く。
小さな手と足がアンバランスだがついているので、きっとこれは動物。長い耳といえばウサギだろう。それにしては口だけが赤い刺繍糸で大きく歪に主張していて、愛玩動物のような可愛らしさは見当たらない。
首を傾けるクロードに、ユミルは泣きそうになった。
「クロード様に謝りたくて、ハンカチに刺繡を……。贈り物には相手の好きな物や家紋を刺繍するのが一般的だと聞いて……」
出会ってまだ間もないクロードの好きな物は知らない。
ユミルはティム公爵家の家紋を刺繍することにした。
ティム公爵家の家紋は竜のイメージをした円形のシンプルな物だったはずだが……。
「下手くそで、あの、作り直すので……」
そう言ってクロードの手からハンカチを取り返そうとするが、彼はそれを両手に持ち、掲げるように見上げた。
「これ、ユミルが作ったの? 僕のために?」
不器用すぎるユミルが初めて一人で刺した刺繍。家紋どころか化け物のようにさえ見えるが、クロードに贈るために作ったことに間違いはないので、仕方なく涙目のまま頷く。
「嬉しい!! 絶対絶対、大切にする!!」
クロードは感情のままユミルを抱きしめる。
「こんな気持ちのこもった贈り物は初めてだ。我が家から門外不出の宝物にしようね!!」
ユミルはクロードの腕の中で「捨ててくださいぃ~」と小さな声でお願いをしたが、きっと届いていない。




