素晴らしき福利厚生
不安そうに瞳を揺らすクロードに、ユミルはにっこり微笑む。
「わたしがあなたに差し上げるのは、朝はおはようと言って夜はおやすみと言うことが当たり前の、そばにいてもいなくてもあなたが安心できる、そんな愛情です」
きょとんとするクロードの両手を、ユミルは小さな手で包み込む。
「治療の時間には早いですけど」
そう言って、柔らかな光でクロードを包み込む。
やはり治癒の感覚はないが、彼の心に少しでも温もりが届くように、ユミルは気持ちを込めた。
「あたたかい……」
ユミルの手に包まれた自身の手だけではなく、心の真ん中がほんわりと温かくなったような、そんな気がした。
これが聖女の癒しの力だろうか。
目が合うと、ニッコリ微笑んでくれる。
ユミルが言っていたのは、愛の言葉も宝石も欲しがらない、無償の愛。与え続けてばかりだったクロードとは反対に、ユミルは聖女として施しを与え続けてきた。
クロードは目の前の柔らかな光を放つ女性を手放してはいけないと、無意識に感じた。
「ユミルの部屋を僕の隣に移して」
クロードの言葉に、執事の目はキラーンと光る。
「御意にございます。午後からはユミル様のために仕立て屋を呼んでおりますが、立ち会われますか?」
「もちろんだ」
クロードとユミルが昼食を摂っている間に、ユミルの新たな部屋は整えられていく。
急遽呼ばれた内装屋には特別料金を払って魔法でも魔道具でもなんでも使って良いから今すぐ最高の状態に整えてくれとお願いする。
同じく設備屋には最新の魔道具を入れて部屋の温度湿度が常に最適になるよう管理を依頼した。万が一にもユミルが風邪などひかぬよう徹底させるためだ。
食後のお茶を飲んでいると、家具のデザインやカーテンの色合い、素材などを尋ねに職人たちがクロードを訪れる。
クロードはユミルの好みを聞きながら次々と決めて行った。
仕立て屋がくると、ユミルは着せ替え人形のように普段着からドレスまで何着も着替えさせられる。当面の分として既製品を十数着。当然のように山のようにオーダーする様子に、ユミルはただ圧倒されていた。
「普段着は二着あれば大丈夫なんですけど、雨の日に乾かないと困るので三着あると嬉しいです……」
これまでの衣装事情から必要枚数を伝えても取り合ってくれない。
「ティム公爵家で働く者が身なりを整えていないと、公爵家の評判に関わります」
執事のそんな言葉に納得して、あれよあれよと服も靴も帽子もバッグも注文されていく。
夕方にはユミルの新しい部屋はあらかた整った。取り寄せが必要な家具や魔道具は後から追加するらしいが、それでも質素剛健な神殿暮らしだったユミルにとっては贅沢過ぎる部屋となった。
年頃の女性らしい柔らかな色を基調として、家具は素人目にもどれも高級品だと思われる艶を出している。
とりあえずで揃えられた服飾類は、メインの部屋から続いている衣裳部屋へ入れられた。
元々が孤児なユミルは眠るために帰る場所があるだけでありがたいと、そう思っていたけれど。年頃の女性として可愛らしい家具やレースのカーテンに憧れなかったわけではない。
「まるでお姫様の部屋みたい」
目をキラキラさせるユミルにクロードは嬉しそうに微笑む。
「気に入った?」
ユミルはこくこくと首を縦に振る。
「こんなにしていただくなんて、どうお返しをすればいいか……」
「ユミル様の当然の権利ですよ」
執事の言葉に、ユミルは考える。
(わたしの権利、ということはクロード様専属治療師の?)
「食べきれないほどの美味しい食事に、山ほどの衣服、図書室や談話室などの使用権利に贅沢な個室、おまけにおやつはまさかのケーキ三種盛……」
神殿育ちのユミルには信じられない待遇だ。
出された食事は足りなくても味が薄くても神に感謝していただき、硬いベッドも眠るところがあることに喜び、朝から晩まで治療院をはしごする日々で自由時間もおやつの時間も当然なし。
ユミルは聖女を解雇されたことを、この時初めて喜んだ。
「これが世に言う『福利厚生』というやつですね! なんて素敵な職場なんでしょう!!」
「きみは僕の専属治療師だからね、当然の権利だ」
クロードの専属となったユミルには常に快適で最上の状態を提供せねばならない。ずっとずっと自分の傍にいてもらうために、クロードはそんな想いを抱え始めていた。
それに、実はティム公爵家には医者と薬師もすでに雇われているのだ。その二人は仕事がなければ好きに研究をしたり論文を書いたりと自由に過ごしている。
部屋こそは離れにあるが、ほぼユミルと同じ待遇なので、福利厚生が整っていることは間違いではない。
この国での治療は主に聖女に頼り切りなのだが、先々代の頃、ティム公爵家に嫁いで来た女性の実家が他国の医師一族だった。そこからティム公爵家では魔法という不確かなものに頼らない医療に興味をもち、侍医と薬師を抱えるようになった。
そのため、他家のように神殿に多額の寄付をしてすり寄ることのない、珍しい中立派でもある。
お抱えの侍医も薬師も太鼓判を押すほど、クロードの体は健康そのものだったが、精神病方面に詳しい者はおらず、『ヤンデレ』に関しては経過観察とされていた。
ティム公爵家にやってきて二日目、ユミルは困惑していた。
朝の陽ざしで柔らかに目覚め、食べきれないほどの朝食から好みの物を選び、食後のお茶まで飲むと、もうやることが無くなってしまった。
これまでは朝から晩まで治療院を駆けずり回っていたというのに。
ユミルの仕事は一日一回、雇用主であるクロードに治癒魔法をかけるだけなので、それ以外の時間は全て自由に使っていいという。
暇を持て余したユミルは屋敷内のあちこちで手伝いを願いでることにした。
使用人たちも最初は断るのだが、まだ客人に近い扱いのユミルの願いを強く否定することもできず、またあまりにも一生懸命にお願いされるので、つい頷いてしまう。
しかし、はたきを渡せば力任せに振り回し、海を渡ってやってきた異国の美しい壺を棚から落とす(使用人のナイスキャッチにより防がれた!)。
クロードのクリーニング前の衣服の仕分けを頼めば、これくらいの汚れならわたしでも落とせそう!と洗浄魔法をかけたつもりが漂白してしまい、伝統ある織物が真っ白に(きみの心根のように真っ白だ、となぜかクロードには褒められた)。
厨房で野菜の下処理を頼めばもちろん包丁なんて握ったことはないし、神殿時代の貧困が根強く、野菜の根まで捨てることを許さない(屑野菜はスープの出汁にすることを説明して納得してもらう)。
聖女様にはクロード様の治療に専念してもらおう!
その日、屋敷中の者が一致団結した。
それでも暇を持て余すユミルのために、それぞれ時間が空いた時に読みやすい本を勧めたり刺繍の手ほどきをした。
そんなある日、執務室で書類仕事をしていたクロードに気分転換に付き合ってほしいと言われ、二人で庭を散策することになった。
庭と一口にいっても公爵家のそこは気軽に入れば迷子になってしまいそうなほど広い。季節の花はもちろん、常緑樹も美しく刈り込まれている。
その中でも特に初夏の今、盛大に咲き誇る薔薇は圧巻だ。
「このピンクの薔薇はうちの先代の庭師が品種を掛け合わせてつくったティム公爵家のオリジナルなんだよ」
たくさんの種類が咲き誇る薔薇園で、クロードはひときわ大きな花弁の薔薇を指差す。
「まるでユミルの頬のように愛らしい色だろう?」
薔薇の感想を言おうとした口をポカンと開けたまま、ユミルはクロードを見つめる。
(また出たわ! クロード様の『ヤンデレ』症状)
折を見てはかけられるユミルへの愛の囁きを、今では『ヤンデレ』がどういった病気なのかなんとなく理解したユミルにとっては病気の症状の一つとしてとらえられている。
(近くにいる年頃の女性にこんな甘やかな言葉を垂れ流すなんて、『ヤンデレ』とは恐ろしい病気だわ)
「あっ」
クロードのヤンデレ発言に気をとられていたせいで、ユミルはうっかり薔薇の茎に触れてしまう。
薔薇の棘がユミルの指先に傷をつけ、タラリと血が流れた。
「大変だ! 医者を!!」
ほんの少し切っただけなのだが、クロードにとっては大事故のようなものだ。
「大丈夫です。すぐに血も止まりますから、舐めておけば治りますよ」
ユミルが慌てるクロードを落ち着かせようと言った言葉に反応して、クロードは彼女の指をパクリと咥える。
民間療法でよく聞く「舐めておけば治る」という治療方法は、実のところユミルは体験をしたことがなかった。
相手の怪我は自身の聖力で治療できたし、これまで大きな怪我や病気をすることもなかったため寝て居れば治る、が実際のところのユミル自身のこれまでの治療方法だった。
指を咥えたままユミルを見上げるクロードに、ユミルはドキリとした。
(クロード様って、こんなに格好良かったかしら?)
そんなユミルの感情の変化などお構いなしに、クロードは彼女の指から唇を離し、持っていたハンカチをきつく巻いてくれた。
「ユミル、自分を傷つけないでくれ。きみの体に傷がつくくらいなら僕の心臓をえぐり出されたほうがマシだ」
これまでクロードが付き合ってきた女性は、こういったヤンデレ言動に最初は「なんて優しいの」「わたし愛されているのね」と感動していた。
しかし、聖女であり治療する側のユミルからしたら、怒り以外の何物でもなかった。
「さすがに心臓をえぐり出されたら聖女の力でも治療できません。冗談でも治療できない状態の方がいいだなんて、言わないでください!」
公爵家に世話になるようになってから困惑や嬉しい驚きはあっても、終始ニコニコしていたユミルは初めて怒りを見せた。
ユミルの脳裏には、すでに手遅れになって助けられなかった過去の数人が浮かんでいた。
(死んでもいいだなんて、神への冒涜よ!!)
ユミルは怒りのままクロードを残して自室へと戻っていく。
残されたクロードはポカンとした表情のまま、しばらく薔薇園に突っ立っていた。




