6話 朝起きたら、魔女さんぺったんこ!
次の日の朝。
ぱちりと目が覚めた。
ひとことでこの気持ちを表すならば。
「爽快」だった。
スプリングのよくきいたベッドなんて何年ぶりだろう。室温は暑くもなく寒くもない。寝具は臭くない。
最高だった。
俺はベッドから立ち上がり、カーテンを開ける。
まだ夜明け。
遠くに見える山際が昇る朝日に染まり始めている。
昨晩は風呂にも入り、満腹で眠ったもんだから寝過ごすかもと思ったりしたが。
なんのことはない。人間の体内時計はそれぐらいじゃ狂わないようだ。
いまから朝ごはんを準備し、洗濯物を干して。それから掃除をして……あ、掃除はあれか。魔女さんが起きてからのほうがいいよな。ガタガタ物音がしたらきっと起きてしまう。
そんなことを考えながら、寝間着からお仕着せに着替える。ギャルソンエプロンの腰ひもをぐっと巻いたら自然に背筋が伸びた。
さて、頑張るか。
がちゃりと扉を開けて。
「うお!!!!」
思わず悲鳴を上げた。
というのも。
まだ薄暗いダイニングのモザイクタイルの上に、巨大なカラスがうつぶせで死んで……!
ぺ、ぺったんこ⁉ トリって死んだらこんなにぺったんこになるん⁉
いや違う、これ魔女さんだ!
「え⁉ 魔女さん!!!! なにがどうなって……⁉」
慌てて駆け寄り、彼女のそばに両膝をつく。
ん? なんか声が……。ぼそぼそなんか言ってる?
俺はさらに彼女のくちばしに耳を近づけた。
「もうだめだ……。わたしなんてもうだめだ……」
魔女さんはそんなことをずっと繰り返している。
「なにが? 魔女さん、なにがダメなんですか?」
「もうやだ!!! なにもやんない!!!! うぎゃあああああ!!!」
「うわああああああ!!」
いきなり彼女がゴロゴロと激しくローリングをし始めるから慌てて壁まで飛びのいた。
「思いつかない! 思いつかない! 思いつかない! あそこに埋まる単語がわかんない! わ――――――――!!!!!」
「ひ―――――――――――――!」
それなのに魔女さんはすさまじい勢いで壁際まで転がってきて、ドシーンと壁にぶちあたると、また反対の壁までローリング!
「な、なななななななにが⁉ なにがどうしたんです⁉」
これ、なんかの発作⁉
薬かなんか飲ませるべき⁉
壁に張り付いておびえていたら、ぴたりと魔女さんは止まった。
止まったけど、うつぶせになった姿勢はそのままだ。
ぺったんこカラス。
「わかんないわかんないわかんない。どうせわたしはこれまでの女……。みんながなにを言おうとできっこないんだよ……。無理なんだよ。しょせんこんなもんなんだよ」
言いながら、今度はしゃくとり虫のように上下運動をしながら器用に赤い扉に向かって進む。
「あ……あの、魔女……さん? お薬……とか」
刺激してはいけないと思いつつ、そっと声をかける。
「紅茶」
ぼそりと言うと、魔女さんはしゃくとり虫状態で私室に引っ込んだ。
紅茶……。どういうことだろう。
そのままの意味か? それとも、紅茶と一緒になにか薬を飲むのだろうか?
紅茶に神経を落ち着ける効果ってあるんだろうか。どう考えても常軌を逸しているけど……。紅茶だけで元に戻るのか?
カラスってそうなんだろうか。
……わからん。わからんけど、そうなのかもしれない。
とりあえず、言われた通りに紅茶だけ淹れよう。
そう考え、台所に向かった。
手押しポンプを数回押して水を出し、やかんに満たす。
それを竃の上に設置。
ついで、焚口を覗き込む。
昨日、灰は掻きだしておいたのだけど……。よし、魔女さんはあれ以来触ってないらしい。
焚きつけと薪を組んで、鉄瓶に入れておいた火種をポイ。
なんかこのあたり、魔術でひょひょいとできそうなもんだけど……。
ふーふーと息を吹きかけて火種を大きくしながら、そんなことを思う。
というのも、戦場では魔法陣を使った火砲って結構あったんだよ。
羊皮紙に魔法陣が書かれていて。
それが地面に仕込まれていてさ。歩兵や騎馬が踏んだら、どかーんって。あれで徴兵された民間人がどんだけ死んだか……。
さっき声を掛け合った人が、次の瞬間には肉塊になって吹っ飛んでくる。
その映像と匂いがよみがえりそうで、俺は首を横に振った。
早く忘れたい。忘れよう。俺はもう、村に戻ってきたんだ。
背中にチリチリとした痛みが戻ってきそうで、「あー、あー」と意味もなく声を出してみる。最近覚えた気分転換法。他人には気味悪がられるが、思考がこれで止まる。
「あーあー。紅茶いれよー、紅茶紅茶。さぁ湯を沸かすぞー」
そんなことを言っていると、火が大きくしっかりと安定してきた。
ぽい、と一本薪を追加して腰を伸ばす。汚れてもいないギャルソンエプロンをはたき、バケツを手に取った。
湯が沸くまで、タイル掃除をしよう。床を磨こう。
というのも。
あの調子では、魔女さん、朝食がいるのかどうかわからん。
俺ひとりであれば、パンの欠片をかじればいいし……。昼ご飯をしっかりめに食べればぜんぜん問題ないだろう。
それまでに床を磨いて、テーブルをきれいにして。
そうだ。
中庭の園芸植物。あれを瓶に入れて飾れば魔女さんの気分も変わるかもしれない。
そんなことを考え、手押しポンプを押す。
ジャボジャボと盛大に水が出る。ふわりと漂うのは甘味。
懐かしい、と知らずに頬が緩んだ。
戦地に行くまではダウザーとして仕事をしていた。この水脈はいい水脈だ。
ちょっとだけ気分が上向く。
このちょっとの感情変化が感じられるだけ、俺はきっとよくなっている。
うん。俺は回復している。
「俺えらい、俺えらい」
呪文のように繰り返し、バケツを持ってリビングに移動。火は燃え盛っているが、まだやかんの湯が沸くには時間がかかりそうだ。
じゃぼ、とモップの先をバケツに浸け、そのまま、ゴシゴシとモザイクタイルをこする。
きれいで艶やかに見えたが、やはり汚れはそこそこあったらしい。
こすってはバケツでゆすぎ、こすってはバケツでゆすぎを繰り返す。
あと少しで終了、というところで、やかんがけたたましい音を立てた。口に鳴り笛が仕込まれているのだろう。
「はいはーい」
誰に言うでもなく声をかけ、モップをバケツに突っ込んで立てた。
手を洗い、竃からやかんを持ち上げる。いかん、思いのほか、熱湯。いったん、脇に置いておく。
その間に、水を張った鍋をかけた。
戸棚を見る。
昨日、乾燥ハーブっぽいのを見つけたんだよな。というか、ドライトマトといい、乾物は豊富なんだよ、この戸棚。
ローリエ、タイム、ローズマリーの乾燥物を見つけた。手早く紐で束ねてブーケガルニにして放り込む。
食品庫からは玉ねぎとじゃがいもを。
両方とも……芽が……でかかっている。これは早めに食べなくては。
ザルに入れてジャバジャバと洗う。
手早く皮をむいて、じゃがいもは芽と緑に変色したところをとったら……。量が半分になった。
……まあ、ふたり分だし。十分、十分。
たまねぎも可食部分を大きめにカット。
鍋に放り込み、蓋をした。
で、ティーポットに茶葉を入れて、やかんの湯を注ぐ。
湯気と香気がやわらかく頬を撫でた。
いい香りと水色だ。
ポットに蓋をし、トレイにカップを並べて……。
リビングのテーブルに置いた直後。
まるで見計らったように、玄関扉がノックされた。
「え……あ?」
客? こんなに早く?
壁にかけられた時計を見る。
まだ8時前。
俺の客が来るはずもないので、これは絶対に魔女さんの客。
だと思うのだが……。
返事に戸惑っていたら。
トントントン、だったノックが。
ドドドドドドドドド、ダダダダダダダダダ、と連打に代わっておびえた。




