4話 魔女の作ったごはん……を、フォロー……
せっかくさっぱりしたのに、やけにじっとりとした汗が額ににじむ。
意識して手早く衣類を身に着けた。
鼻の奥に、あのときの臭いがよみがえる。
吐きそうになって奥歯をかみしめると。
「ただいま」
カラスの化け物の声がした。
「お、おかえりなさい!」
俺は駆けだし、ダイニングに通じる扉を開けた。
「おや、ぴったりでなにより」
丸い深緑色のガラスがきらりと光り、俺を見ている。
なんのことだと訝しんだが、貸与の制服のことらしい。
「あ。これ……制服で……いいんっすよね?」
「うん」
「以前つとめていた家政夫さんのですか?」
「ううん。お泊りセットで置いてるやつ」
「お泊りセット……」
ということは恋人のか!!!!!!
え⁉ このカラスの化け物、恋人いるのか⁉
「そんなの俺が着ていいんですか⁉」
「いいんじゃないの? そもそも置いておく方が悪いし。わたしはずっと『持ち帰れ』って言っているのに」
カラスの化け物は、コツコツと足音を鳴らして暖炉のほうに向かった。
自在鉤にぶらさげている鍋の様子をみるためらしい。
火はもう消してあるので、鍋の下には消し炭になった材木があるだけ。
「キャベツのスープでいいかな?」
木杓子で鍋をぐるぐると混ぜ、中腰のまま振り返ってカラスの化け物は俺に尋ねた。
「あ、じゃあ! せめてよそいます!」
「ん。じゃあ、まかせるね」
カラスの化け物は言い、暖炉から少し離れた。代わりに俺が鍋に近づく。
……不思議と、なんかこう。
料理の匂いがしない。
そっと鍋の中をのぞく。
透明な液体の中に、キャベツと思しき葉物が形もないぐらいに煮込まれている。余熱のせいか、くつくつとささやくような音がした。
さらに顔を鍋に近づけるが……。やはり、なんの匂いもしない。
この料理………。これで……完成な の か ……?
「食器はここ。洗い場はここで、ポンプはこれね」
「はい」
ぽんぽんと声が飛んできて、俺はとりあえず返事をした。
「こっちが食品庫で、あっちは……まあ、また明日自分で確認して」
「わかりました」
あの○○さん、と言おうとして俺は口ごもる。
はて。
俺はスコットさんから『魔女の家で家政夫』とだけしか聞かなかった。住所を聞き、紹介状を持たされてここまで来たのだが。
正式には。
このカラスの化け物はなんという名前なのだろう。
「……………あの」
「なに? あ、鍋敷きかな。だったらわたしが持っているよ。自在鉤から外して鍋ごとこっちに」
「いえ、あの。実は」
「うん」
「あなたの……名前を聞いていないのですが」
「イバク商会から?」
「……はい」
「じゃあ、なんといって仕事を紹介されたの?」
「………………あの」
「うん」
「魔女の家で家政夫」
「そう」
カラスの化け物はタイル製の鍋敷きを持ってすたすたとダイニングテーブルに移動した。
「なら、魔女でいいよ」
「魔女」
「そこは、さん、づけで」
「魔女さん」
「うん。わたしは君を家政夫さんと呼ぼうかな」
「わかりました」
「じゃあ、家政夫さん。鍋をこっちに」
言われて俺はギャルソンエプロンで鍋のとってを包み、持ち上げる。
そのままダイニングテーブルの鍋敷きの上に置いた。
カラスの化け物改め魔女さんは、洗い場の上に設えた棚からシチュー皿を二枚とカトラリーをいくつか持って来る。
「よそって」
「はい」
木杓子でキャベツのスープとやらをすくいとるが……。
まじで匂いがせん。
え、俺の鼻がおかしいのかと危ぶんだが、さっき風呂場では石鹸の香りがしたし、そもそもこの家に入った直後はミントの香りを感じた。
スープ皿にキャベツのスープをいれる。
もはやとろけて薄緑色の藻みたいになったキャベツが木杓子にしつようにからみつき、なんかもう……なんだこれ。
そうやって俺が準備をしている間に、魔女さんはグラスや水、ワイン、果汁の入ったボトルなんかを用意し、なんだかやけに硬そうなパンをカッティングボードに乗せて持って来る。
「このパンは、明日の朝の分も含まれているから」
「なるほど、わかりました」
ということでふたりできっちり分量を決めてパンを切ろうとしたのだけど。
……このパン。
硬ったい。
ちょっとした凶器ぐらいの硬さだ。
材木に刃をいれる感じでナイフをギコギコやりながら魔女さんの様子をうかがうが、別段「硬そうだな」という顔もしていない。
ということは。
かなりハードなパンがお好み、ということなのだろうか。
とりあえず魔女さんの皿に二枚ほどパンを置き、向かいの席に着席したものの……。
気になるのは。
魔女さんがどうやって食事をするか、ということだ。
まさかあのくちばしが、パカッと開くわけないけど……。
「じゃ、いただきます」
「あ、いただきます」
魔女さんが言うので、俺もぺこりと頭を下げた。
スプーンを右手にした魔女さんはキャベツのスープをすくいとり……。
左手で仮面の下部を押し上げる。
そうしてスプーンを口に運んだ。
どうやら仮面はつけたままらしい。
外せばいいのに。
そう思い、とっさに「あ」と声を出しそうになって唇を引き絞る。
外せない、のではないか?
俺の背中と一緒で。
だからできるだけ不自然にならないように視線をそらし、スプーンを手にした。
スープ皿に銀色のスプーンを沈め、口に運ぶ。
「…………………………」
「これ、なんの味もしないね」
俺の心を代弁したのは魔女さんだ。
「で……ですね。その素材の味が……。あの薄味がお好みですか?」
「ううん。なんかこうなった。美味しくないよね」
「いえあのそのうーん……。捕虜収容所ではこんな感じの料理がよく出たので」
「それ、なんかフォローしようとしてくれてるの? 失敗だよ?」
「ぐふ……っ。え、あの。ちなみにこれ。味付けは……」
「塩、いれたけどなぁ……。こしょうと」
いれてこれかよ……。
味といえば、キャベツの甘みがうっすらと舌に残るだけ。それもくたくたに煮すぎたキャベツがまとわりついて……。なんかもう邪魔。
肉が嫌いっていってたから、味の深みになるものがないんだろう。かといってハーブを使っているわけでもないから、ただの「キャベツの煮汁」になっている。
……どうしたもんかね、このスープ。いまからでも塩やこしょうを足すか? そんなことを考えていたら……。
「ん……ぎぃ、ぎぎぎぎぎぎ」
突如向かいから変な声が聞こえて顔を上げる。
魔女さんがパンを噛んで食いちぎろうとしているが、全然だ。
両手で引っ張っているのに、しつこい強度と硬度をもってパンが抵抗している。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「かったい……このパン」
というようなことを魔女さんは言ったが、正直聞き取り不可能だ。
千切れたら魔女さん、勢いよく背中から床に倒れるんじゃないかと思うほどのけぞっている!
「ちょ……無理しないで!」
「うぎぎぎぎぎぎ」
「離して! パンを口から! ほら、ここに乗せて!」
取り皿を突き出すと、しぶしぶと言った風に歯型のついたパンを置いた。
「あの……。よければこれ、温めても?」
「うん」
ふよん、とくちばしが上下に揺れた。
俺は切り分けたパンを皿に乗せてキッチンに戻った。
オーブンがあったけど、いまから火を入れても時間がかかる。まだ暖炉の火が生きているだろうからあれを使おう。
俺はいったん皿を調理台に置き、火かき棒を持った。
暖炉の火を揺すって起こし、木っ端を足して火力を持たせる。
棚をあちこち探したら焚火台をみつける。金網でできていて、本来はその上に鍋とかを置くんだけど。
いまはその上にオーブンで使用する鉄製トレイを乗せて暖炉に入れた。
パンにちょっとだけ水をふりかけ、鉄製トレイの上に置く。
んで、さらに鉄製トレイに水をふりかけた。
じゅっと蒸気があがるから、すぐに鍋のふたをパンの上にかぶせる。
こうすれば水気がパンに戻ってやわらかくなる。
そうやってパンを温めている間に、食糧庫とやらをごそごそ。塩と胡椒確保。卵もあるじゃん!
それから中庭に野菜畑があるということは……。やっぱり! 乾燥パセリとドライトマトも発見!
っていうかキャベツがゴロゴロ出てくるんだが⁉ 今年豊作だったのか⁉
「ちょっとすみません。こっちのキャベツのスープも……味を足してもいいですか?」
一応断りを入れると、魔女さんがあっさりうなずく。
「卵とドライトマトも……」
「好きに使って」
許可が出た。鍋を持って暖炉に戻る。
パンを皿に戻し、代わりに焚火台に鍋を乗せる。
さっき、ふたりぶんスープを取ったから。分量が減ってだいぶんいい感じだ。
再度火をいれながら、ドライトマトを投入。塩と胡椒を……。
「え! そんなにいれるの⁉ しょっからくならない⁉」
いつの間にか魔女さんが近くに来ていた。仮面が小刻みに動いているのは、パンをもぐもぐと食べているから。
「これぐらいは……いりますよ?」
「だって、少々って本に書いてあったよ?」
「少々って書いてあったら、魔女さんの思う3倍は入れてもらってかまいません」
苦笑いして木杓子で混ぜる。ドライトマトもいいかんじに戻ってきた。これ、うま味が出るんだよな。
で、ここに卵を落として……。最後に乾燥パセリを、と。
「だって料理って後戻りできないじゃない。濃くなったらもう……。水で薄めるために何日同じスープを飲む羽目になるか……」
「ありがちですね。あ、味、見てください」
俺は小皿に少量スープをすくい、魔女さんに渡す。
彼女が仮面の端っこをつまむのを見て、視線をそらす。
「おいしい!」
すぐにそんな声が聞こえてほっとした。




